阿修羅の牙   作:ダブルM

13 / 16
第十三話 烈

13話 烈

 

ガオラン・ウォンサワットはリングの上で拳を繰り出していた。

 

「シッッ!!シッッッ!!!」

「はい次ッッ」

 

小気味いい音と共に、ガオランの眼前にいる紗耶香のミットが跳ねていく。

打つたびに、違う位置に繰り出される二つのミット。

それが、また繰り出されるたびに跳ね上がった。

16オンス。

これがガオランがはめているグローブの重さであった。

通常、プロの試合に使われるグローブは8オンスなのでそれの二倍の重さということになる。

慣れないものがつければ、構えるだけで結構な重量を感じるサイズだ。

両こぶしに450グラムずつつけて腕を振りまくれ、と言えばその重さがなんとなくわかるだろうか。

 

「シッッ!!」

 

それを、ガオランは難なく。

いつもと変わらないスピードでこなしている。

すでに5ラウンド分、ノンストップでミットを打ちまくっていた。

信じられない体力であった。

それでも十分な余力を持ったまま、ガオランは紗耶香に言う。

 

「紗耶香殿、もう少し回転を速くしても大丈夫か?」

「まじ?これ以上?」

「難しいか?」

「いや、大丈夫だけど――――」

「ならば、お願いしたい」

 

ここは光栄ジム。

紗耶香の実家が経営するボクシングジムであり、世界クラスのボクサーを多数輩出することでも有名なジムである。

紗耶香はまだ高校生のため経営に携わっているわけではないが、休日や姉からの要望があればこうして選手のミットを受ける手伝いをしたりすることがあった。

そういうわけで、現在は光栄ジム所属の世界チャンピオン・ガオランのミットを受けているわけであるが。

 

(はっええ…ハンドスピードもそうだけど、反応速度が尋常じゃない。

ミット出したと思ったその瞬間には打たれてる…)

 

ほかの選手とは明らかに速度が異なっていた。

むろん、一般のボクサーたちより下地はある。

幼いころからタイの皇太子・ラルマーの側近となるためにムエタイに取り組んで来たので格闘技のキャリアは20年以上だ。

しかし、そういう選手が居ないわけではない。

幼いころからボクシングを始め、今紗耶香のジムで世界を狙っている選手は確かにいる。

その選手と比較しても、ガオランの速度はあまりにも早すぎるものであった。

異常と言ってもいい。

――――虎だね、こりゃあ。

ほかの選手が鍛えた一般人レベルとするならば、ガオランは野生の虎だ。

特別な修練など何も受けずとも、人間よりはるかに優れた運動能力と反応速度を持ち得る生物。

修練というよりは生まれ持った資質。

明らかに才能の賜物であった。

 

「シッッ!!!」

「くっ!?」

 

殆んど矢継ぎ早に出していく紗耶香のミットをその瞬間にはじいていくガオラン。

もう何発撃っただろうか。

覚えていないが、明らかに尋常のミット打ちの数倍の量をこなしている。

紗耶香の息が上がり始め、ミットを出す速度が落ち始めた辺りでタイマーが鳴った。

3分の終わりを告げるタイマーだ。

そこでガオランが、腕を下げて礼を述べる。

 

「感謝する、紗耶香殿。」

「そ、それは、よ、よかった…」

 

汗一つかかず淡々と述べるガオランとは対照的に、肩で息を切らしながら紗耶香が答えた。

 

(な、なんで私の方が汗かいてんのよ…ふつー逆でしょ…)

 

ばて気味の紗耶香が膝に手をつき下を向く。

ガオランはガオランでリングから降り、すでにサンドバックを叩こうとしていた。

そして、サンドバックに手を伸ばそうとしたとき、やにわにジムがざわついた。

 

「やってるじゃないか」

 

ガオランの背後から、そういい放つ男がいた。

いつからいたのか。

見慣れない男であった。

黒人特有の黒い肌と、カールした髪の毛。

オレンジ色のアロハシャツにデニムを履いている。

目元はサングラスでおおわれているのでわからないが、少なくともここの人間ではない。

皆がざわついているのは、どう考えてもこの男が原因であった。

しかし、どこかで見たことがあるような――――

声をかけられたガオランは一瞬目を丸くした後、ふっと微笑みながら言った。

 

「――――来日していらっしゃったのですか。

ご一報いただければお迎えにあがったものを。」

「ハハハ。たまにはこういうサプライズもいいだろうと思ってね。」

「私にはいいのですがジムの皆が困惑しておりますよ――――Mr.アライ。」

 

Mr.アライ―――――その、ガオランが発した固有名詞にジムのざわめきは最高潮になった。

普段、ジムの空気が緩んだらしめる紗耶香の姉ですら、さわぎを止めようとしない。

紗耶香も紗耶香で愕然としている。

 

「マジ?」

「―――――神様じゃん」

 

マホメド・アライ。光栄ジムに降臨。

 

―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

光栄ジム、会長室。

練習場とはドア一枚隔てた場所で、長机を挟んで二人の男がソファーに座り向き合っていた。

そのドアを開け、震える手でお盆を持ってくる少女がいる。

 

「お、お茶です…」

 

紗耶香であった。

緊張して無理とだだをこねる姉に無理やり行かされて茶を運ぶことになったのだ。

――――緊張してんのはこっちもだよッッ

そういってやったが、背中を無理やり押されてやむなくそのお役を頂戴することになってしまったのだ。

失礼のないように、震える手になんとか力を入れて、お盆にある茶の入った湯呑をアライの前に置く。

その様子を見たアライは、朗らかに笑いながら紗耶香に言った。

 

「ハハ。そんなに気を使わなくても大丈夫だよ、お嬢さん。」

「フフ―――それは酷というものでしょう。あなたがボクシング界に与えた影響力の大きさを考えれば。」

(マジそれ!!!)

 

心の中でガオラングッジョブと思いつつ、茶を二人分置いて足早に退散する。

二度とこんなことしたくねえと思いながら、ほかの選手のミット打ちに戻った。

ガオランはそんな紗耶香を見て微笑んだのち。

茶を一息に飲み干して、アライに言った。

 

「ジュニアの調子は?」

「素晴らしいよ。この間は拳願試合に出てね、ネヅ…とかいう闘技者に勝ったらしい。」

「ほう」

「君のおかけだよ―――――本当に感謝している。」

「いえ。それが彼の本来の実力です。」

「だといいが。」

「それで――――ご用件は?」

「ああ、そうだった。それを伝える前に――――」

 

アライも、差し出された茶をぐっと飲みほしたあとガオランに尋ねた。

 

「例の対抗戦…出るそうじゃないか」

「――――――」

「対戦相手のことは知っているかね?」

「いいえ、まだ。」

「ならば伝えよう。」

「――――」

「レツ。カイオー・レツが君の相手だ」

 

カイオー・レツ…ガオランの脳裏に一人の男が浮かび上がった。

 

「レツ…スモーキン・ジョーとウィルバー・ボルトを倒した中国人ですか。」

「そう。あのボクシング界で物議をかもした中国人だ。」

「―――――――」

「君も知っているだろう。レツがしばらく前に言った、ワーレフを倒した時に言ったあの言葉を」

「―――君たちのボクシングはまだ幼い。」

「そうだ。」

「不愉快でした。」

「だろうな」

「ワーレフを、ウィルバーを倒したごときでボクシングの底を見たかのような言動…

ボクシングをなめているとしか思えません。」

「わたしもだ。」

「――――――」

「君に伝えたいことがある。」

「なんでしょう」

「その、レツからの伝言だ。」

 

――――――――――――――――――――――――――――

 

聞き終わったあと、ガオランは眉間にしわを寄せた。

それだけではない。

拳と眉間に、力の入った青筋を浮かべている。

 

「奴が、そんなことを。」

「事実だ。」

 

組んだ手を、みしりときしませながらガオランは言った。

 

「―――――不愉快だ。」

 

アライが何を伝えたのか。

その答えは、つい数日前の中国にあった。

 

 

―――――――――――――――――――――――――――――

 

中華人民共和国・某所――――

 

白林寺の道場内で二人の男が向き合っていた。

一人は――――容姿端麗。

それ以外の言葉が見当たらない。

切れ長の目に、それに沿った二重。

長いまつげと細く整えられた眉毛がことさらに男の貌のパーツを引き立てている。

しみだとか、青髭だとそういうものも一切ない。

白磁のような肌が光に反射してきらめいている。

身体もまた、見事であった。

左右均整に整えられ、腹筋も、二頭も、太ももも、余すところなく筋肉が張り詰めている。

かといって、ボディビルダーのように肉が肥大化しているわけでもない。

まるで中世の彫刻家、ミケランジェロが現代に創り出したような美しき肉体。

頸から胸にかけて凸型の上着を羽織り、太ももの大部分が見えるようなショートパンツをまとっている。

ある女に『わいせつぶつ』とまで言わしめた、この色気漂う男の名は、二階堂蓮。

現在は片原グループに所属する闘技者であり、日式中国拳法”天狼拳”の使い手でもある。

絶命トーナメントでは怪物・桐生刹那に後れを取ったものの、その実力は本物。

中国武術省では、中国拳法の最高名誉『海王』の名を与えてはどうか。

連日そういう話題に上る男である。

その男が今、冷や汗を流していた。

既に構えは取っている。

体を左足を前に大きく半身にし、脚を蟹股気味に前後に広げて配置。

腰を深く落とし、左腕は肘を少し曲げ胸の高さ位に。

右腕も同じように少し曲げ胸の位置くらいにしたいつもの構えだ。

だが、動けない。

 

「ッッ」

 

間合いをじりじりと詰めることさえできない。

それは目の前の男が原因だった。

その男は上半身裸で、構えてすらいない。

凛々しい眉。前髪を一本残らず額に上げ、みつあみのおさげにした髪の毛。

なにより身体がすごい。

浅黒い肌に、巨大な大胸筋と前方からでも見えるほどの三角筋。

黒一色の道着から見える左の脚には義足がハメられているが、不自由をみじんも感じさせないほどに男の体幹は安定していた。

蓮の肉体が美術品とするならば、この男の肉体は兵器。

どうやって作り上げたのかわからないほど、鍛えこまれた恐るべき肉体であった。

 

「ふ、相手が相手なら試合放棄とみなされるぞ」

 

微笑んで、言ったこの男こそ烈海王。

拳法家として最高峰の称号、海王の名を持つものにして中国武術会でナンバー2と称される拳雄である。

 

―――――――これほどか、烈海王。

 

蓮は、そう思った。

一見無防備に見えるこの形ではあるが、これは言い替えれば如何様に攻撃されても対応できるという自信の表れでもある。

現に、蓮は打ち込めずにいた。

イメージができてしまうのだ。

顔に打ち込めば―――――左の崩拳が顔面に。

腹にけりこめば―――――右の脚が側頭部に。

そのまま自身が倒れ伏すところまでがセットだ。

故にいずれも不正解。

 

(とはいえ、何もしないわけにもいくまい。)

 

じり、と脚を体ごと左に動かした。

 

「作戦は決まったか?」

「ああ。今さっき、な。」

 

いうが否や、一気に間合いを詰めた。

間合いに入る――――その寸前で足を止め、側面にとんだ。

烈の側面にある壁。

そこに両足をつき、

 

把威(はい)ッッッ!!!!!!!!!!!!!」

 

水平に飛びながら右脚で蹴りこんだ。

いわゆる三角蹴り。

壁を蹴り、その勢いをもってして相手にけりこむ。

選ばれた運動能力を持つものにしかできぬ攻撃。

烈は、何もしない。

視線すら向けない。

ただ、身体を少し沈ませた。

膝の力を抜き脱力することで回避せしめる最速、最低限の動作。

 

「!?」

 

蓮は驚愕した。

不意打ちにも近いあの攻撃をほんの少しの動作でかわした。

それだけではない。

あろうことか、この男は三つ編みの髪の毛を自身の足首に絡ませているではないか。

烈は、生きている蛇の如く巻き付けたそれを首ごとひっぱり。

 

「ぬんッ」

 

蓮を前にぶん投げる。

空中で身を翻し、脚から着地することには成功した。

しかし―――――

なんという。

なんという技術か。

腕や脚なんかではなく髪の毛を。

神経の通っていないそれを己の手足の如く操り、当てるだけならまだしもあまつさえ絡ませて投げ飛ばすとは。

ほれぼれするような技術であった。

知らず知らずのうちに、烈を称える笑みが蓮の口元に浮かぶ。

烈はまだ構えていない。

蓮は再び構えなおし、

 

(シャ)ッ!!!!!!!」

 

突っかけた。

今度は奇をてらうような真似はしない。

まっすぐに。

そして、爆裂音がした。

木製の床が抜けるほどの力で踏み込んだその勢いが、この音を生んだのだ。

それほどの踏み込みであった。

あの桐生刹那ですらが驚くほどのスピード。

明らかに海王クラスの速さである。

その勢いを保ったまま、拳を放つ。

親指と人差し指と中指。

この三本でつまむような形をつくり、烈のこめかみをフック気味につきにいく。

その手が、手にはじきだされていた。

烈が左の手の甲で軽く、軌道をそらすようにはじいたからである。

それは読めていた。

蓮はそう思いながらほとんど同時に、左を繰り出す。

左の貫手である。

狙いは腹だ。

骨と肉の間に入ってきそうな貫手である。

烈は、右腕をそっと蓮の貫手の内側に沿わせた。

はじいたりはしない。

勢いを持った連の腕はそれだけで軌道が外側にそれてしまう。

だが、止まらない。

その時には既に蓮の右ひじが烈の顔面に向って放たれていた。

烈が、右掌でそれを止める。

拳。

脚。

膝。

拳。

拳。

脚。

脚。

肘。

至近距離でめぐるましく蓮の打撃が放たれていた。

あまりの速さに、腕とか足が線のように見える。

それそのものの形がぶれて見えない。

そういう速度であった。

対する烈は――――いまだ構えてすらいなかった。

構えずにまっすぐ連を向いたまま。

脚を。

拳を。

膝を。

肘を。

そのことごとくを両の手で受け切っていた。

しかも、その場から全く動いていない。

一分半。

これが、最初の攻防が始まってから現在までの時間である。

濃密な蓮の打撃に彩られた1分半である。

並の者なら受け切れずにKO。

そうでなくても、精神力の大半をすり減らしてしまうほどの打撃の密度である。

だが、そのことごとくが烈に防がれていた。

たとえ闘技者でも一発はあたる。

最低、かすめるくらいはしてもいいだろう。

そういう連打であるにも関わらず、当たらない。

この時、蓮の脳内に浮かんだものはこれであった。

バリア。

SF映画であるような、透明な壁だ。

そういうものが烈と自分の間に張り巡らされ、立ちふさがっているのだ。

届かない――――

その考えを払拭すべく、呼気と共に右の上段蹴りを放つ。

軸足を回転させ、右の脚がきれいに上がった美しいフォームであった。

同時に、烈の眼が光った。

ぎらんと、獲物にとびかかるときの狼のような鋭い輝きを放った眼である。

冷たい汗が蓮の背骨の上を伝う。

そう認識した時には、烈の姿が蓮の目の前から消失した。

否、消えたわけではない。

下だ。

身を低く。

それこそ地を這うように体を沈ませた烈が、両の手を地に突き左脚を軸に体を時計回りに回転。

その回転させた勢いを持った右の踵を、蓮の軸足にぶつけていた。

いわゆる水面蹴り――――――足払いである。

鈍く重い衝撃が左足首を襲う。

 

「ぐっ!?」

 

当然、耐えることはできず身体が一瞬宙に浮いた。

 

「破ッッッ!!!!」

 

烈が動いた。

勢いのまま立ち上がった烈が、その場からまっすぐに。

呼気と共に、ごうとうなりを上げて縦の拳を突き出す。

中国武術を象徴する武器――――崩拳である。

宙に浮いている蓮に躱すすべはない。

横向きに回る蓮の胴体に、吸い込まれるように烈の拳が突き刺さる。

それでもなお、蓮は『レジェンド』

あの、究極の猛者の中の猛者しか集わぬ絶命トーナメントの参加者だ。

拳が胴につきたてられる寸前。

ほんの寸前に、拳が当たる直前に掌で受け止めることには成功した。

したのだが。

 

「がっ!??」

 

そのまま掌ごと腹に押し込まれた。

しかも、インパクトの瞬間に拳にねじりが加えられている。

それも、手打ちではなく足から、腰から。

いつの間にか構えていた烈の全身から伝わる力がその拳には込められていた。

貫通力を備えた拳。

銃弾を前にして木の葉を差し出すような防御はあまりに儚く。

 

「うごっ!!!」

 

そのまま、数メートルも吹き飛ばされて壁に激突した。

受け身など取れようはずもない。

 

「―――――」

「ほう。あれを受けてまだ立ち上がれるのか」

 

烈が賞賛した。

並の相手なら、いや、海王が相手でも終わっていて不思議ではない。

そういうタイミングでの一撃である。

蓮は立ち上がり、二度深呼吸をした。

乱れた呼吸をその二度の呼吸で元に戻したのだ。

そのまますうっと腰を浅く落とし、両の手を揉み手するように、腰の下で構えている。

奇妙な構えであった。

先ほどまでの構えとは根本から異なる。

防御を考えずに、何かを行う。

そういう意思が見える構えであった。

これこそが天狼拳・秘奥。

 

「なるほど――――奇龍か。」

 

烈が言ったその言葉に、蓮の切れ長の目が丸く開かれる。

 

「――――知っていたのか。」

「文献ではな。私もこの目で見るのは初めてだが。」

「――――」

「その文献では対練(約束組手)ですら再現するのは困難だとも書かれていた。

非常に興味がある。」

「なら、身をもって知るがいいさ。」

「言われずとも」

 

初めて、烈から動いた。

すうっと、烈の両腕が下から持ち上げられた。

その両腕は前に出すことはせず、そのまま上に持ち上がり。

さながら灰色熊が立ち上がって威嚇するかのように、両腕を広げて構えている。

妙な構えだ。

少なくとも、蓮が知る武術にこういった構えはない。

腕を広げたまま、烈がまっすぐにこちらを見ている。

烈しい。

なんという眼か。

圧倒的な力を持った獣は、もはや逃げ場を失った獲物を見るときこういう眼をするのかもしれない。

吸い込まれそうな瞳であった。

ごくりと、蓮ののどが唾を呑み込む。

これほどの拳法家がいるのか。

闘技者どころか地球上を探し回ったところで、これほどの男はそう見つからないだろう。

蓮は悦びにも似た賞賛を送っていた。

三秒。

その時、烈の身体が動いた。

動いたといっても歩いたとか、飛んだとかそういうものではない。

どういう動きをしたのか。

烈の身体―――上半身が大きく膨らんできている。

空気を送り込んでいる最中の風船のように、今まさに大きく膨らんできているのだ。

―――――何を。

蓮がそう思った刹那。

烈が、口に拳を当てた。

吹き矢を吹くように構えたと思うと

 

「~~~~~~~~~~~~~~~ッッッ!!!??」

 

不意に、視界が奪われた。

 

(く、空気かッッ!!!??吸い込んだ空気を弾丸のようにッッッ!!!????)

 

何かの確証があってそう思ったわけではない。

カンである。

眼球に何かが刺さったような異物感や濡れたような感触がないこと。

直前の烈の構えから推察すると、こういう結論が導かれただけにすぎない。

そして、そのカンは当たっていた。

大量に吸い込み、肺にためた空気を弾丸にして発射する。

最大トーナメントで烈が克己に対してはなったことのある技である。

なんと異様な技をこうまで鮮やかに使うのか。

本日何度目の賞賛か。

鳥肌が立つような興奮を感じながらも。

視界を奪われながらも、二階堂蓮は冷静であった。

ものすごい勢いで突っ込んでくる気配を感じている。

自分よりも。

あの桐生刹那よりもはるかに早い。

人間の出せる速度とは思えなかった。

 

(感じ取れ。奴が間合いに入るその瞬間を。)

 

烈が間合いに入る、その刹那―――

 

ベヂィイイイイイッッッ!!!!

 

『虚』

 

そういう、空気が破裂するような音が道場に響き渡った。

蓮が揉み手に圧縮していた空気を解き放つことで、開放された空気が爆音と共に大気中に飛び出す。

烈の動きが、ほんの一瞬止まった。

蓮は止まらない。

止まらないまま烈のサイドに移動し、

 

「―――――――――」

 

『幻』

 

耳元で何かをつぶやいた。

ぼそぼそと、何かを。

しかしまがまがしい言葉の羅列を烈の耳へと吹き込む。

烈の眼が見開かれる。

―――『瞬間催眠』である。

秘伝の呪詛を吹き込まれた烈の動きは止まったままだ。

 

「応ッッッ!!!!!!―――――――――――――」

 

『光』

 

そして、無防備となった相手に渾身の発勁を叩き込む。

この『虚・幻・光』が一体になった攻撃こそが天狼拳の秘奥、『奇龍』。

もう一人の阿修羅、『桐生刹那』ですらまともに食らった秘奥中の秘奥。

 

呃啊(フン)ッ!!!!!!!」

「ッッッ!!!!!!!!????」

 

その『奇龍』が今、稀代の拳法家・烈海王によって破られたのだ。

真っ向から、しかもただの一撃で。

 

「ぐあっ!!??」

 

またしても、壁にたたきつけられる蓮。

先ほどとは違いダメージは甚大だ。

マッハの速度で連の胴に撃ち込まれた拳の威力は、さながら身体の中の内臓という内臓を巨大なプレス機で押しつぶしているかのような苦痛を与えている。

立ち上がろうとしても、立ち上がれなかった。

脚に、身体に力が入らないし、そこに意識がまわらない。

腹だ。

とにかく腹が―――――

 

「ぐおおおええええええええええええ」

 

寝ながら、胃液と今朝食べたものをぶちまけた。

 

「おおおおあああああああ」

 

二度、大きく吐いたところでごろりとあおむけになる。

美麗な顔に床からはねた吐瀉物がかかっているが、気にかける余裕もない。

荒い息をしながら、大の字になる蓮に烈が上からのぞき込んできた。

そして、烈が何かを言う前に、蓮が口を開く。

 

「ひ、一つ…聞かせてくれ」

「何かな」

「俺の奇龍…どうやって破ったのだ?」

「ふむ…そうだな。」

「――――――」

「瞬間催眠の使い手とその解き方を知っていた――――というべきか」

「…な、に?」

「かつてドリアン海王という瞬間催眠の使い手と戦ったことがあってな。

その対策としてわが師から瞬間催眠の対処法を聞いていたことがあったのだ。」

「ど、ドリアン…あの、死刑囚…の?」

「その、ドリアンだ」

「なるほどな―――――」

 

烈の奇龍の破り方は単純である。

瞬間催眠を受けたその刹那、大きく声を発することで催眠を即座に解除。

同時にマッハ突きを敢行することにより、カウンターを取る。

ざっと説明すればこういうことになる。

しかし、そんなものは実際に起きたことに比べればくそみたいなものだ。

蓮は、そう思った。

言うは易いが、現に実行できるものなどこの烈海王を置いて他にいないだろう。

催眠を瞬時に解くだけでもありえないことなのに、その後の攻撃に超がつく高等技術でカウンターを放つなど誰ができるのか。

 

「奇龍…正直言って、寒気がしたものだ。私も伝説上の技とばかり思っていたのでな。

実際に対戦の場で行えるものが居るとは思ってもいなかった」

「ふ。ふ。ふ…一発で破られたうえでそんなことを言われてもな…」

「――――――」

「まいった――――降参だ。」

「――――――」

「スマナイが、手をかしてはくれないか?少し起き上がるのが難しくてな…」

「もちろんだ」

 

そういって、蓮に肩をかす。

 

「いや、私がかそう。」

 

否、かそうとしたところで男が現れた。

 

「ああ…来ていたのか」

「あんたは…」

「良いものを見せてもらったお礼というわけだ。」

 

マホメド・アライであった。

本来は立ち合いを見る予定であったが、飛行機の事情で試合前に間に合わず到着が遅れてしまった。

そして、到着した時には既に始まっていたので邪魔をするわけにもいかず、道場の外から覗き見ていたというわけだ。

 

「スマナイ、Mr.アライ。あなたが到着するよりも先に始めてしまった。」

「なに、遅れてしまったのはこちらが悪いのだからな。気にする必要はない」

「―――――」

「素晴らしいファイトだった。ところで、医務室はどっちかな?」

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

――――医務室

 

「烈、この男はまさか」

 

医務室のベッドの上に寝かされた連が、尋ねてきた

 

「そのまさかさ。ボクシング元ヘビー級王者、マホメド・アライその人だ」

「フフ…私がここに来たことはトップシークレットで頼むよ。後でストーカーされても困るからね。」

 

アライはあまり困っていなさそうな声で言った。

 

「こ、この男があの伝説の…」

 

連は目を見開いた後、深く息を吐いて言った。

 

「烈。あなたには驚かされてばかりだ。」

「これは私のせいなのか…?」

「ハハハ。違いない。」

「それで…今回メッセンジャーで来たと言われたが…」

「そう。対抗戦のことだ」

 

気を取り直したように、アライが烈に言った。

 

「君の対抗戦の相手が決まったのだ。」

「それは…ここで言っていい事なのか?」

 

蓮が、アライに尋ねた。

必要ならば部屋から出る。

そう言外に言ったつもりであった。

 

「私は構わん。」

「ハハ。君が良いというのなら言わせてもらおう。

まずは君に打診しないと発表もできないからね。」

「それで、相手は」

「ガオラン。」

 

アライが言った。

烈は一瞬目を丸くしたが、すぐに元の貌に戻った。

 

「ガオラン・ウォンサワットが君の対戦相手なのだが、どうだね。」

「私は一向にかまわん。」

「――――――」

「しかし…」

「しかし?」

「彼はボクサー…そう聞き及んでいるのだが」

「うむ。それがどうかしたのかい」

「――――」

 

烈は黙っている。

 

「私もボクサーだ。」

 

アライはそう言った。

 

「以前君とやったジョーもそうだ。ボルトもそうだ。彼らが弱いか?」

「弱くはない」

「だろう」

「だが、それでも勝利した。」

「――――――」

「腿も。貫手も。頭突きも。投げも。肘も。膝も使わず。」

「お、おい烈――――」

「さらには正面から上半身へ。両の拳の打撃のみで世界王者を打倒した。」

「――――――」

「そんな私にボクシングの世界王者が、それもなんでもありのルールで挑むと…?」

 

口元に薄ら笑いを浮かべながら、烈は言った。

 

「――――――」

 

明らかなる挑発である。

しかし、本音でもあった。

本心から、そう思って挑発しているのだ。

『お前では相手にならない』

直接は言わないものの、これはそういっていることと何ら変わりはない。

事実、烈はそういっているつもりであった。

アライは何も言わない。

ただ、黙っていた。

蓮は冷や汗をかきながらことの次第を見守っている。

 

「真剣勝負ということなら構わないが――――」

「構わないが?」

「なんならボクシングで勝負しても構わない」

「なに?!」

「無論彼が望むなら、ではあるが。」

「―――――」

 

黙っているアライをよそに、烈が続けた。

 

「一つ、彼に伝えてほしい。」

「何かな。」

「ボクシングでも、何でもありでも同じことだと。」

「―――――」

 

そういうと、烈は立ち上がった。

蓮とアライに背を向け、医務室の壁に向って歩いていく。

鉄筋コンクリートでできた、分厚い壁だ。

 

「君の道は既に――――――」

 

言うが否や、烈の腕が消えた。

 

「「!!??」」

 

実際に消えているわけではない。

打ち込んでいるのだ。

一本拳で。

二本拳で。

貫手で。

崩拳で。

正拳で。

掌底で。

ありとあらゆる拳の形で壁に向って打ち込みまくっているのだ。

だが、アライと連が驚愕したのはその速さではない。

音だ。

蓮がかろうじて眼で追えるか追えないかという速さの拳をコンクリートの壁に思いっきり打ちまくっているのに音が一切しないのだ。

殴るような音はもちろん、

かすれるような音とか、

何かが動いた時のような音とか。

そういうものも一切ない。

ただ、烈の腕がきらめく閃光のように光り輝きながら動いていた。

(たん)

烈が止まると同時に、そういう音が初めて聞こえた。

そこで、ようやく烈が振り向きながら口を開く。

 

「2000年前に通過していると。」

 

さらさらと。

何かが流れる音を蓮とアライの鼓膜が捉えた。

それの正体はすぐにわかった。

砂だ。

烈の背後から砂が――――

そう思った瞬間に、大量の砂が流れ落ちてきた。

 

(!?う、撃ち込んだ部分が砂に!!!???)

「…ミステリアス」

 

烈が撃ち込んだ部分の壁。

それが、砕けるでもひびが入るでもなく。

細かい流砂となって流れ落ちたのだ。

自然現象でも、トリックでもない。

現に、撃ち込んだ部分の壁には烈の拳の形がこれでもかというほど刻まれているではないか。

こんなことが。

こんなことができる人間がこの世にいるのか。

これが中国武術ナンバー2の実力――――。

蓮が、唾を呑み込んだ。

 

(人間じゃない…)

 

アライは、それを見て笑った。

口の端を大きく吊り上げ、笑いながら言った。

 

「伝えておこう。」

 

―――――――――――――――――――――――――

 

時は戻り、光栄ジム。

 

「以上が、私が見聞きしたすべてだ。」

「――――――」

 

ガオランは黙っている。

無理もない。

アライはそう思った。

自分とてここまで侮辱されて冷静でいられるのか。

いや、己の場合は烈と同じか。

よく挑発をした。

自分としては事実を述べていたが、それでもあれはメディア向けの意味が強かった。

予告KOなんかもしたりした。

しかし今回のケースは違う。

烈は本気でそう思って、本気でそう言っているに過ぎない。

 

「では、私は帰るとするよ。」

「――――――」

 

手を組んだまま、額にエッジを浮かべているガオランを置いてアライは会長室の扉に手をかけ、開く。

 

「あ、あのー…」

 

そこで、声をかけられてとまった。

紗耶香の姉だ。

 

「ン?」

「あ、あの―――えっと…せ、せっかくなので…ぱ、パンチを見せてくれませんか?

サンドバックでも、ミットでも…あれならシャドーでもいいので!!」

 

震える声で、しかしはっきりとアライに向って言った。

ちらりと周囲をアライが見ると、そこの者すべてがこっちを見ていた。

サンドバッグを叩いていたものも、腹筋をしているものも、鏡の前でシャドーをしている新人も。

皆が皆アライを見ていた。

期待しているのだ。

アライの、神様が放つ神の拳を。

 

「そういうことなら、大歓迎だ。」

「やったあ!!」

 

紗耶香の姉が、ぴょんと飛び跳ねた。

同時にジムが湧く。

見れるのだ。

神の拳が。

ヒーローのパンチが。

そういう期待でジム内が湧き上がっていた。

ただ一人を除いては。

 

「Mr.アライ。」

 

いつの間にそこに居たのか。

サンドバックの前に、ガオランが居た。

いまだ額に青筋を浮かべたまま、ガオランがサンドバッグの前で構えているのだ。

大きく半身に構え、左腕をだらりと構えたおなじみのヒットマンスタイルだ。

そのまま、ガオランが左腕を振った。

 

「う、腕が消え?!?!?」

 

ガオランの左腕が消失している。

少なくとも、紗耶香にはそうとしか見えなかった。

紗耶香だけではない。

アライを除く、このジムの全員がそう見えた。

ガオランの左腕の軌跡を眼で追う事が出来ていないのだ。

それはいい。

ハンドの速さが眼で追えないのは理解できる。

理解できないのはサンドバックだ。

ガオランの左が高速でサンドバックを叩いている。

それは状況から察するになんとはなしにわかるのだが、音がしない。

それだけでなく、微動だにすらしていないのだ。

打ち込まれたサンドバックがあまりの破棄力に、吊り下げられている金具ごとふっとばされたことあるが、こんな光景は見たことがなかった。

 

「烈に伝えてほしい。」

「何かな」

「御大層にボクシング『ごっこ』を興じていたつもりだろうが、それは間違いだ、と」

「なるほど―――ほかにもまだ何か言いたそうだな」

「貴公の背負う4000年。このガオラン・ウォンサワットの28年が叩き潰すと。

そう伝えてほしい。」

 

そういって、打ち終わったガオランがアライに向って振り返った。

同時に、どさりと言う音がする。

重たい何かが地面に落ちる――――紗耶香はその音を認識した瞬間に、何が起こったか理解した。

サンドバックだ。

ガオランが打っていたサンドバックの下から半分がちぎれて落ちているのだ。

しかも、ナイフで抉ったようにずたずたになって。

ごくりと、紗耶香はつばを飲み込む。

サンドバックの頑丈さは、幼いころから理解していた。

革製の、分厚いものである。

殴り方を誤って手首を痛めるものも珍しくない。

すくなくとも、拳なんかでこんなにざっくり切れたりはしない。

これは本当に現実なのか―――。

今、自分は何かの幻覚の中に居て超人たちが集う夢を見ているのではないか。

そう考えてしまうほどだった。

少なくとも、自分と同じ人類とは思えない。

そう思った瞬間、隣にいるアライと目があった。

眼があったアライは目を大きく開き、白い歯を見せながらにかっと笑った。

 

「スゴいね。人体♡」

 

――――――――――対抗戦第4試合

烈海王VSガオラン・ウォンサワット

ここに決定。

 

 

 




誤字脱字報告、感想等お待ちしております。
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。