阿修羅の牙   作:ダブルM

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第五話 愛

―――――アメリカには、二つのペンタゴンがある。

一つは、誰もが知るアメリカ合衆国国防総省。

見た目故か。それとも表のエリートが集まるからなのか。

またの名を『ホワイト』ペンタゴンと人は呼んだ。

そしてもう一つ。アメリカにはペンタゴンと呼ばれる存在がある。

建物の形が五角形だからなのか。

それとも、『犯罪(うら)』のエリートが集まるからなのか。

それはわからないが、ここ、州立アリゾナ刑務所が『ブラック』ペンタゴンと呼ばれていることは確かだった。

 

その中に、『合衆国の恥部』と呼ばれる男が居た。

ブラックペンタゴンに収容される凶悪犯。その大半をたった一人で捕獲し続けている男。

刑務所には彼専用の監獄があり、エアコン、冷蔵庫、大型テレビ、屏風などだけでは飽き足らず名画っぽい絵や彫刻までもが廊下にまで所狭しと置かれている、受刑者でありながら、超VIP待遇の男。

受刑者でありながら刑務所を自由に出入りし、実質彼の監視体制は人工衛星に頼るしかない。法の外に君臨する誰にも繋ぎ止められぬ男。

アメリカで一番喧嘩が強え男。

その男の名は『ビスケット・オリバ』と言った。

 

 

「かけたまえ。」

 

太い男であった。

首も。

足も。

胸も。

声も。

何もかもが太い。

特にそのアロハシャツからはみ出る腕の太さときたら、女性のウエストどころではない。

しかし、デブではない。

筋肉だ。この男、それ自体がとてつもなく巨大な筋肉の塊である。

 

「君の彼女の部屋程…とはいかないだろうが、リラックスするといい。」

 

『ビスケット・オリバ』であった。

その男が今、一人の男に着席を促していた。

 

「理乃と出会ってから金持ちの部屋には慣れているはずだったが…

ここは今まで見た中でも一番だな。」

「ハハ…照れるな」

「Mrアンチェイン…招待してくれたこと。そして、相談に乗ってくれたこと。

感謝している。」

 

アンチェインに頭を下げる若い男。

前髪を二つ、大きく分けた髪型に、黒い上着、白いシャツとジーンズ。

美麗な顔立ちをしたこの男の名は御雷零。暗殺拳・『雷心流』の現当主にして、拳願トーナメント準決勝進出者。

アメリカ最強の男と、若き暗殺拳の当主。

立場も、境遇も、年齢も、人種も、何もかもが違う彼らを結び付けたもの。

それは一重に愛の力であった。

 

事の発端はある女のひと言だった。

 

―――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

「零、アメリカに行きましょう。私のお友達に、零のことを紹介したいの。」

 

夕食を終えた部屋の中で、女が零に向って唐突に切り出した。

可憐で、妖艶な女であった。

胸元が大きく開いたワンピースに、金色の巻いた髪の毛。

男ならば誰しもが魅了される。

女の名は倉吉理乃。ゴールド・プレジャーグループの若き総帥にして、零の恋人。

その女が今、零の隣に座って腕を絡ませながら、笑って甘えてきていた。

零の答えは決まっていた。好きな女にこう、愛されて断れる男ではない。

 

「構わないよ。理乃が行きたいなら、俺もついていくさ。」

「やったぁ。じゃあ、ディスティニーランドにも行きましょう。

私、本場のモッキーが見たいの。」

「ああ。」

 

断れる男ではない。

ではないのだが、零の中には一つの迷いがあった。

その迷いが何なのか、零にはわかっている。

だが、まだそれを口にすべきではないと思っていた。

この旅行が終れば告げよう…そう心に秘めて。

 

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

「構わないよ。愛しい彼女のお友達、ミス・リノの恋人。

会った事は無くとも私にとってはもう友人のようなものだ。

友人の頼みとあらば断わる理由はないからね。

それに―――」

オリバが、葉巻に火をつけた。

「深い悩みなんだろう?それこそ、恋人には話せないような。」

「――――ああ。」

「私も愛しい彼女が居る身だ。こういう気配にはビンカンでね

大方、内容はリノとの事と自分の拳法のはざまで揺れ動く感情がある。

違うかい?」

「――――」

 

当たっている。

零の悩み。それは自身の方向性だった。

暗殺拳たる雷心流。それを愛する人と歩むため、不殺の拳として現代に適切な形に変える。

活人拳として愛する人のために戦う。

そこまではよかった。自身の腕に自信もあったし、あの拳願トーナメントにおいても優勝できるものと信じて疑わなかった。

だが、そこに壁ができたのだ。

黒木幻斎。

完敗だった。父を殺したその壁はあまりにも分厚く、高いものであったため心に迷いができたのだ。

結局今の自分はどうなのだ?

暗殺拳としても活人拳としても中途半端だ。

理乃は思ってくれている。それはわかる。

だが、俺は何がしたいのだ。

黒木幻斎に勝ちたいのか?

理乃と共に生きていきたいのではないのか?

おい、零。

お前、一体何になりたいんだ。

どうやって生きていくんだ。

うるさい。黙っていろ。

ではなぜおまえは理乃と一緒にいるんだ。

愛に囚われていてはあの男には勝てないのではないのか。

そんなことわかるか。

このままではいけないことくらいしかわからない。ただ、それが何なのかわからないだけなのだ。

自分の事だからってなんでもわかるわけではない。

自分の将来を疑いもなく決めて、疑いもなくその道を歩んでいるものなんかいるのか。

わからないから、まだこうして理乃といる。

そういう想いが黒木幻斎に負けて以来、頭の中でずっと巡っていた。

この男を前にしても、その想いはまだ消えていない。

 

ふっ、と。オリバが笑った。

 

「わかるさ。正直だからな、君は」

オリバがつぶやいた。

「正直?」

「ああ。正直さが顔に染みついている。

うらやましいくらいにね―――」

オリバは笑った。

「若いというのはいいことだ。エネルギーがある。正直を正直と通せるエネルギーがある。」

「――――」

「嘘をつく方が楽なのさ。だから私は毎晩嘘をついている。」

「…よくわからないな」

「わからなくってもいい。君はそもそも普通なんだ。

失礼な意味じゃなくて根本が普通なのさ。普通で強くなる男だ。」

「どういうことだ?」

「強い、ということと普通であることはあまり両立しないのだよ。

強くなるということは普通であることを捨てるということだからね。」

「―――――」

「その辺のごろつきに喧嘩で勝つくらいの強さなら普通でも十分だ。

しかし、君が望むようなそれ以上の強さを求めるとなると、普通ではいられない。

それはわかるね?」

「ああ…痛いほど理解している。」

 

そういって零はあることを思い出した。

雷心流継承の儀。不眠不休。不食不飲の荒行を九日間敢行した直後に行われるそれは、二日もの間構えを取り微動だにせず。更に不飲不食を貫く。

死が目前となり、幻覚幻聴が見える中で精神を研ぎ澄まし、闇の中からの不意の一撃にカウンターをとる。およそ尋常の所業ではない。

 

「言い方を変えよう。一線を超えた強さを身につけようとするならばある種の狂気を秘めなければならない。少なくともレイ。君はそう感じているな?」

「―――――」

「だが、君は普通だ。普通の部分をきちんと残してしまっている。

普通に物を考え、普通に行動し、普通に人を愛することもできる。

あの狂気的とも言えるライシンリュウの修行を極めながらも普通なんだ。」

「…知っているのか?」

「私に知らぬことなどないよ。」

 

オリバは微笑みながら言った。

 

「さて。

そんな普通の男が強さという狂気に取りつかれたゲンサイ・クロキにリベンジする。

これは果たして可能なのだろうか?不可能なのだろうか?」

「――――」

「そう、不可能だと思うだろう。普通ならば。

ほかならぬレイ。君も不可能だと考えている。」

「――――」

「だが、私は可能だと思っている。

普通だからこそ、できると思っている。」

「なに!?」

 

零が叫んだ。

 

「愛さ。」

「愛だって?!」

「愛だよ。」

「――――」

零は声にならない声をあげた。

 

「存在を全肯定し、行動のすべてがその人のためにささげられる。

強くなることも、戦うことも、食べることも…何もかも。

それが最も効率の良い燃料となる。人を愛する限り、燃料が尽きないのだから。」

「ならば俺は――――」

「今の君ではムリだ。」

 

オリバが葉巻から紫煙を噴き出しながら、言った。

嘲笑するように、首を振りながら。

 

「愛が、足りない。愛を信じ切れていない。

そんなザマではリベンジどころか、追いつく事すら適わないだろう。

それに、私にはリノが不憫に思えてとてもとても…」

「――――なんだと?」

「不憫さ」

 

オリバの大きい瞳が、零の眼を捉えた。

 

「なんのためにリノがここまで来たか。

なんのために君をこの私と引き合わせたか。

それすらわからぬボンクラではあるまい。」

「―――」

「普通の男が、狂気をなくして一線を超える方法。

それは愛しかない。愛という無尽蔵の燃料があるからこそ、人は強くなれる。

私という存在がその証明だ。ゆえに、リノは私と君を引き合わせたのだ。

君に、強くなってほしいからね。」

「なら、体験させてくれ」

 

零が立ち上がった。

殺気を隠さず、オリバの事を見下ろしている。

 

「無論だ。もとより、言葉で証明するものでもない。」

 

オリバも立ち上がった。包み込んで抱擁する母のような、優しい目だった。

 

「君に愛の強さを教えよう。」

 

そういってオリバは部屋を出た。零もあとに続く。

向うのは、中庭だ。夜の中庭だった。

 

―――――――――――――――――――――――――――――――――

 

半年前―――

 

怖いものなんてなかった。

優勝する自信があった。

闘技者の戦歴なんて何も関係ない。

そう思っていた。

準決勝まで勝ち残り、そこであの黒木幻斎と戦ったのだ。

ほれぼれするような技術であった。

前に立った時、堅牢なる城塞のイメージが零の脳裏をよぎった。

自分がどんなに動いてもその城を攻め崩すことができなかった。

その城の周囲をまわった。

なんとか突破口を見出そうとしたが見つからなかった。

 

そして今、全く同じイメージが零の脳に映っている。

ビスケット・オリバ。

なんという―――――

なんという男なのか。

まるで底が見えない。

 

(このバカげた筋肉量…

いや、そもそも骨格が人間の域ではない。)

 

身長は180センチ前半ほどであるが、恐らくその筋量と密度はユリウスラインホルトを超えるだろう。もしかしたら”猛虎”若槻以上かもしれない。

己と比べ、筋量にあまりの差があるので生半可な攻撃は通じないことは容易に想像がつく。

ならば――――

 

「戦力分析は終ったかね」

 

オリバが微笑みながら言った。

 

「――――ああ」

 

答えるように零は深く腰を落とした。

そのまま大きく左足を前に出した半身となり、左手は低く構え、右手は拳を握っている。

雷心流の構えだ。

 

「これはこれは。

ライシンリュウとは暗殺術。

特に暗器を用いた暗殺を得意とすると聞いていたのだが。」

「あいにくと愛する人に不殺を誓った身でな。」

「この私を殺してしまうかもしれない、と?」

「―――――簡単に死んでくれるなよ?」

 

言うが否や、オリバの視界から零が消えた。

雷の『ごとく』ではなく、雷と『成る』ように修練を積んだ零の一撃はまさに雷光と呼ぶにふさわしい。

その雷が、オリバの顔面を直撃した。

直撃したはずだった。

何も効いていないのか。アンチェインの顔は微動だにしていない。

距離を取る。

オリバが腕を出す。

 

「…フン」

 

腕を出すが、かすりもしない。すれちがいざまに人中に拳を叩き込むことも忘れない。

しかし、少しもぐらつかなかった。

零の打撃が軽いわけではない。

闘技者中最高のタフネスを誇るサーパインですら、顔をゆがめてたまらないほどの痛みを感じる、痛烈な打撃であるがこの男は出血どころか動きにみじんも変化が見られない。

三日月蹴り。肉につま先がめり込まない。筋肉の束にはじかれる。

オリバが前に出てくる。

否、正確には前に出ようとしたところでオリバが止まった。

零が、『周囲に居る』のだ。

前にも。横にも。斜めにも。見えてはいないが多分後ろにもいるだろう。

むろん、錯覚である。現実には一人であるが、少なくともオリバにはそう見えてしまっていた。

 

『雷心流・夢幻歩法』

 

神速の動きと緩やかな動き、緩急をおりまぜた不規則な動きで相手の視覚を幻惑し、雷心流最速の技『雷閃』につなげるための技である。

オリバが腕を上げ顔面を守るのを見た零は即座に攻撃を実行した。

狙いは無防備な脊髄。

 

『雷心流・雷閃』

 

雷光がきらめくようなその一撃は、猛者が集う拳願会の中でもダントツ最速。

その速度で持って、狙い通り背骨に一本拳を叩き込んだ。

並の相手ならこれで終わりだ。

勢いのまま、相手の表側に出る。

そのすれ違いざま、オリバの顔が見えた。

零は驚いた。

オリバの表情に変化がない。立ち会う前と同じ表情なのだ。

聖母のような。優しく、慈愛に満ちた微笑みだった。

再び構えなおし、オリバの前に立つ零。

その顔のまま、ずん。ずん。とオリバが迫ってくる。

脇腹に貫手。

シャツが破れる。それだけだった。

オリバが詰める。

もう一度、同じ箇所に貫手。

すれ違いざまに確認したが無駄だった。出血どころかあざすらできる気配がない。

オリバが詰める。

それに合わせて踏み込み打つ。

異常である、と零は思った。

何が普通なものか、とも思った。

この尋常でない筋肉量に筋密度、暗器程度の小さい武器では肉に刃が通るまい。

 

 

だがそれでも、更にはやく動く。

すべてがクリーンヒットしている。

さあ、この左は避けられないだろう。

当たった。

さらに右のストレート。

入った。思いっきり。

だが、撃ち抜けない。

左頬に思いっきり入ったというのに岩を殴ったようですらあった。

オリバの頸部がぴくりとも動いていない。

 

―――なんだこれは

 

オリバの捕まえるような左腕をかいくぐり眼前でフリーの体勢を得る。

間合いに入った瞬間、零の拳が動いていた。

下関。

清明。

神庭。

顔面にある各急所。その部位に応じて打つ拳の形を変え、より大きく衝撃を浸透させるこの技。相手には拳が大きく揺らめいたようにしか見えず、撃ち込まれたと認識した時にはもう遅い。

この技を零は『雷心流・陽炎』と呼んだ。

 

―――怪物め

 

その技が、アンチェインの愛の首筋一つで耐えられた。

顔面への急所にはすべて命中している。

しかし、揺れない。オリバの頭部がである。

いまだにいつくしむような笑みをこちらに向けたままである。

下がって、再び距離を取る。

下がった零を見てオリバがゆっくりと歩き出した。

同時に向こうの方から何かが迫る。

 

オリバの拳だ。

決して遅くはないが、零からすればよく見える。

長距離ミサイルだ。どういう弾道かもはっきりわかる。

どれだけの破壊力だろうが当たらなければ意味がない。

ダッキングでかわす。

頭の真上をその拳がすごい唸りをあげてすりぬけた。

とてつもない風圧だ。

髪の毛が浮き上がる。

まともにくらうわけにはいかない。

レバー。

左をそこに叩き込むが、拳がそこで止まった。

鉄?

いや、鉄なんてものではなかった。

零の脳裏によぎったイメージは大地。

大地に向って思いっきり殴るようなものだと思ってしまった。

どんなにいいタイミングで、どんな急所に当たろうが大地にとって人の拳がなんだというのか。

技もクソもない。

このビスケット・オリバという男の肉体は自分がこれまで相手にしてきたどの男とも何かが根本的に異なる。否、何か、ではない。

肉体だ。シンプルな肉体。筋肉の量と骨格が人類ヒト科の生物として明らかに常軌を逸しているのだ。

 

「チッ」

 

零は小さく舌打ちした。

決めてやる。

顎だ。両足でお前が立っていられなくなるほどの一撃を、その顎に決めてやる。

お前の肉が大地であるなら、この愛でもって大地を割るのみ。

零は足をとめた。

足を止めれば必ず手を出してくると信じて。

ほら、きた。

前に足をだす。

頭を沈め、左の拳をかわす。

髪の毛が当たったが、そんなものくれてやる。

俺は今眼前だ。フリーだ。

手を伸ばせば。

ほら―――当たった。

思った時には、もう、両の手が伸びていた。

 

「シッ」

 

はじけるような呼気が零の口から洩れた。

雷心流のスピードをつかさどる足。その鍛え抜かれた脚力で持って大地を『蹴り』。両の手をまっすぐ顎に向って突き出す。

サーパインを仕留めた技に、加速をつけた零の新しい技であった。

その技がアンチェインの顎に直撃した。

思いっきり。タイミングも角度も申し分ない。

あのサーパインですら、この技をまともにくらえば倒れるしかない。そういう威力であった。余りの威力にオリバの体が宙に浮く。

 

だが、それだけでは終わらなかった。

宙に浮いたオリバの両腕をつかみ。

力任せに引っ張りながら自分は腰を落として力を逃さず。

向ってきた顎に向って自身の頭頂部でもって顎に全衝撃を通す。

あらゆる防御を貫通するこの技を、雷心流では『発勁鎧通し裏当て徹し』と呼んだ。

 

会心の一撃であった。

倒れるしかない。少なくとも打った零本人ですらそう思った。

そう思った時、地の奥底から『何か』、唸り声を上げて迫ってくるものがあることに零は気づいた。

 

「攻守交替」

 

まさか。

嫌な予感が零の背骨を貫いた。

 

(嘘

逃げ

不可

筋肉

防御

来――――)

 

頭の片隅でそういうことを考えた。

考えたといっても千分の一秒やそこらだったはずだ。

考えた内にも入らないほんのわずかな時間。

何が来るかなんてのはわからなかったが、体が瞬時に反応していた。

左肘を上げ、左の脇腹をガードしたのだ。

そこへ、得体のしれないあの、『何か』が襲って来たのだ。

まるで噴火のように。

こんなとてつもないパワーを持った超自然現象が刑務所なんかで起こりっこないのに。

広場のどこにも火山があるなんて情報がなかった。

だが、その山はあったのだ。

居て、襲い掛かってきたのだ。

腕を当てられたのだ。

ガードした、左腕に。

単純に振りかぶって、回しただけの右腕だった。

ラリアットと呼ぶのすらおこがましい、ただ横に振っただけの腕。

それが零の左腕に読み通り当たった。細かく説明すればそういうことになる。

だがそんな細かいことなどはっきりいってどうでもいい事だった。

零にとっては左肘が爆発したようにしか感じられなかった。

その爆風で踏ん張っていた両足ごと根こそぎ持って行かれたのだ。

身体が、吹っ飛んでいた。

宙に浮いているとき、自分に何が起こったのかいまだによくわかっていなかった。

まさか、これがあのアンチェインの腕によるものだなんて思っても居なかった。

自分の知らない未知の力が働き吹き飛ばした――――そういわれた方がまだリアリティがあるというもの。

人の腕が、まさか、ここまでのパワーを持っているなんて考えたこともなかったからだ。

身体が浮いて地面と水平に飛ぶ。

宙で体がななめになり、数十メートル先の壁に衝突した。

左半身から。

 

「ガハッ!!」

 

全身がばらばらにくだけたような衝撃が零を襲う。

壁に当たる瞬間にとっさに手を突き、受け身に近いことはした。

したが、これだ。

とにかく立ち上がらなくては。

 

「~~~~♪」

 

地上最も自由な男が鼻歌を歌いながら悠々と歩いてくる。

信じがたい光景であった。

二度も秘技を顎に当てた。

上半身の急所という急所は打ち尽くした。

常人ならば間違いなく死。

闘技者でも3回倒しておつりがくる。

だというのに、まるでダメージがない。

機械と戦っていると言われた方がまだ納得ができた。

 

立ち上がり、構えて駆け出そうとしたときに気付いた。

あれ?

自分の拳の位置がみつからない。

いつもの場所にない。

あった。

なんであんなところに。

なんで、左肘より向こうに俺の拳があるんだ。

 

「…零」

 

はっと横に振り返る。

理乃。最愛の人が、遠くからこちらを見ていた。

心配そうに、両の手を胸の前で重ねながら。

何を―――――

 

「キャオラッッッッ!!!!!!!」

 

零が、吼えた。

痛みなのか。羞恥なのか。怒りなのか。

なぜ吼えたかは零にもわからなかった。

だが、その瞬間には駆け出していた。

眼の前の、肉の塊に向って拳と足を繰り出していた。

なあ、おい。

なんでお前は笑ったままなんだ。

どうして、理乃があんな顔をしているんだ。

まだやれる。

とにかく手数だ。

動け。

もう。

愛も、欲も。

何もなかった。

右拳と足を出し続ける。

打つ。

ひたすらに打つ。

打った分だけ当たる。

当たり前だ、こいつはもうガードすらしていない。

研ぎ澄ませ。

あの修行の時のように。

一体となるんだ。

気が遠くなる。

混ざりあう―――

 

 

 

 

「これは…戦いなの?」

 

微笑みながら、手も上げず。降り注ぐ雨を歓迎するかのように、すべての攻撃を浴びている男と。

白く眼をむきながらひたすらに雷そのもののような攻撃を浴びせ続ける男。

そういう男たちがいた。

理乃にはわからなかった。

 

「終わりが…近いのね」

 

愛を証明した男が居た。その男が自身の愛を見せつけるように腕を大きく広げた。

愛に迷う男が居た。その男が、まるで迷いなんてないかのように自分自身を見失うかのように動き続けていた。

部屋で、そっと枯れた花をなでるマリアにはわかっていた。

 

「もう、いいだろう。」

 

オリバが、広げた腕を閉じた。

その、閉じられた腕の中に零はいた。

信じられない速度だった。今までのパンチはなんだったのか。

そう思うような速さであり、撃つことに集中していた零にはかわすという思考すらわかなかった。

その腕が、もう一度、強く絞められた。

 

「―――――――――ッッッ!!!!」

 

オリバがとった行動は、ただ思いっきり零の胴から背を締め上げることだけ。

相撲で言うところの鯖おり。

だが、強烈だった。

その衝撃は背骨を伝わり、肺を圧迫し、心臓にまで届き―――

 

「―――――」

 

オリバが腕を解く。

ずるりと、零の体がそこから落ちる。

決着の瞬間だった。

 

―――――――――――――――――――――――――――――――

 

 

零が、目覚めたのは翌朝であった。

零が、ゆっくりとベッドの上で目を開いたのである。

視線が宙を泳いだ。

 

「零…」

 

声をかけると、零の視線がそこで止まり理乃の存在を認めた。

 

「理乃…」

 

零がつぶやいた。

 

「ここは…」

 

問いかけたところで声がかかった。

 

「私の彼女の私室さ」

 

再び零の視線が泳ぐ。

オリバだ。戦っていた地上最自由、アンチェインその男が微笑みながらこちらをのぞき込んでいた。

 

「勝負は―――」

「いい勝負だったわ――――」

零が負けたとは、理乃は口にできなかった。

ただ、それだけを答えた。

しかし零はそれ以上問おうとはしなかった。

理乃の表情からどうなったかは理解った。

 

「途中から、曖昧なんだ」

 

零が微笑んだ。

 

「ただ、覚えているのは…」

 

零が記憶の糸を手繰り寄せるかのようにいったん口をつぐんだ。

そしてまた、口を開いた。

 

「何か、大きく、優しいものに包まれたような気がしたんだ…」

「――――」

「あれは、なんだったのかな…」

「愛よ」

 

理乃とは違う、女の声が聞こえた。

太く、芯のある声だった。

横を向くと、2メートルほど離れた女の顔をしたベッドがあった。

否、違う。

ベッドの上に女が乗っているのだ。

キングサイズのバカでかいベッドの上に、ベッドと一体化するような大きさの女が乗っているのだ。

それは肥満という表現では到底足りない―――――

 

「紹介するわ、零。

オリバさんの恋人であり、わたしのお友達のマリアさんよ。」

「だが、すまないね。私たちはこれからデートなので、これにて失礼するよ。」

 

声をかけたオリバがマリアの隣に行く。

そしてそのまま、ひょいと。

自分よりも大きな大きな恋人を、羽でも持つかのように軽々と抱えた。

 

「…すごいな」

「当り前さ。」

 

即答した。

マリアの顔が、少し赤くなる。

 

「私が強くなったのはね。この人をこうやって抱きかかえるためなのだから」

 

抱きかかえたまま。部屋から悠々と出て行った。

零は思い返していた。果たして自分は理乃のことをどれだけ考えていたのだろうか。

愛する人の要望には応えたいと思っていた。

実際にこたえてきたとも思っている。

だが。

愛する人のために『強くなろう』と考えたことはあっただろうか。

このままでは決して黒木には勝てないなどと――――――――――

愛のために『努力』し、『強くなろう』とはしてきたことはあっただろうか。

その『愛』は、足りていただろうか。

今はまだ中途半端かもしれない。

しかし。

自分のためではなく誰がために努力する。

愛があれば――――

 

「零…」

「…モッキー」

「…え?」

「…ディスティニーランド。一緒に行きたいって言ってたよな?」

「――――ええ。言ったわ、零」

 

泣きながら、笑った。

理乃の眼から、涙があふれた。

女はその意味が理解ったから、うれしくて泣いた。

 

「一緒に、行こう。今から。」

 

 

 




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