いつものように明日葉にじゃれつく蓮華。
エスカレートしていく蓮華に、訓練に身が入らない明日葉。
見かねたあんこは明日葉に一つの作戦を持ちかける。

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デートはノーミスクリアーで

 光陰矢のごとし――まあ、月日が経つのは速いことで。

 腐れ縁、というには少し言葉が悪いかもしれないが、なんだかんだ言って今でもこの形容しがたい関係は継続できている。

 この、少し離れたところから代わり映えない光景を観察している、というのが相変わらずのワタシのポジション。

 ちなみに今は授業中、隠れてスマホをいじって世の中のあらゆる最新情報に目を通しながら、クラスの様子を観察していても、いつも通りの授業風景。

 半分くらいはまともにノートを取っている。ノートや教科書に落書きらしきことをしているのが二人、隣の席につつかれながらも夢の境目で船を漕いでいるのが一人、完全に爆睡しているのが三人。

 黒板右上のアナログ時計に目をやると、最後の授業、最後のチャイムが鳴るまであと三分。これが終われば今日も学園から解放――と思いきやそういえば御剣先生のスペシャルトレーニングとか言う珍妙なものがあるのを忘れていた。

 SNSのアカウントからログアウト、タスクキルをしっかり行ってから電源を押してスリープモードに。

 時計には存在しないはずの秒針が地獄へのカウントダウンを刻んでいるようで嫌気が差し、自然と体が前に崩れ落ちる。

 

 ワタシが大きく溜息を吐くのと、チャイムが鳴るのは完全に同時だった。別に狙っていたわけではない。

 チャイムによって、爆睡していた三人と睡魔と戦っていた一人が現実に引き戻され、ゆりの号令で全員が起立、礼、ありがとうございました、着席。

 再びスマホを取り出して、本日の宿題が記録された板書をカメラモードでパシャリ。そのままメールで自宅のパソコンへと飛ばしておく。

 特訓の前のこの喧騒、いつものアレはまた始まる。

 

「あーすーはー、今日も疲れたぁー」

「こらっ、いきなりくっつくな蓮華!」

 

 ホラゲ―のゾンビを彷彿させるような襲い方で明日葉の背後から飛びかかるように抱きつく蓮華。それを鬱陶しく思いながらも本気では引き剥がそうとしない明日葉。

 もう一度呟いておこう。光陰矢のごとし――月日が経つのは速い。

 蓮華と明日葉のこのやりとり、本当に親の顔より見ているかもしれない。ワタシの場合、親の顔を見ることが極端に少ない特殊な環境であることは仕方ないが。

 今から特訓だぞ、気を引き締めろ――叱咤する明日葉。

 明日葉こわーい、もっと肩の力を抜きましょー――のらりくらりと躱す蓮華。

 いつもの景色、いつもの空気。そしてこの状況で一番距離を置いて引き攣った笑みを浮かべるのは決まってミミ。恐らく明日葉の次に被害者かもしれない。

 次の特訓の準備にと、望や桜が文句を言いながら教室を移動する。

 明日葉は蓮華を引き摺りながら動いていた。あそこまでされたら普通は諦めがつくものだろうが、蓮華の女好きが尋常ではないのと、腐っても星守でありバレエの経験者でもあるので身体能力は恐ろしく高い。だからそれで蓮華は振り落とされることはない。その執念深さ、もっと他に使い道はあるだろうに。

 

 人のこと言えないけど。

 

   ◇ ◇ ◇ ◇

 

 悪魔に地獄。なまじその特訓理論に筋が通ってて納得できてしまうのが恐ろしい。

 御剣先生のスペシャルトレーニングを終えて、肩で息をしたりぶっ倒れたり疲労を全身で表現する星守。あのミサキでさえ膝に手を突いている当たり、やっぱりこの特訓のペース配分はおかしい。

 そしてそれだけハードな特訓メニューだったはずなのに、たった今目をキラキラと輝かせて星守一同眺めて回る蓮華とかいう女は一体何者なのか。

 多分、汗だくの女の子を見てたら興奮する―、とか考えているのだろう。

 

「あぁ~、汗だくの女の子に囲まれて、れんげ、なんだか興奮しちゃうわぁ~……!」

 

 実際に言っちゃってるし、その思考を正しく考え当ててしまったワタシが悔しい。

 そして蓮華の視線が最後に向かったのはやっぱり、明日葉。特訓中も明日葉の注意を散々無視していちゃついていた。一方的だけど。

 ゼェゼェ言っている明日葉に、蛇のように絡みつく蓮華。特訓前のように押しのけようとする気力もないらしく。やや苦しそうな表情だけ見せた明日葉。

 大変だなぁ、としかワタシは思えない。下手に手を出すと今度はワタシがアレの犠牲になる。今されると明日葉のように体力のないワタシは死ぬ。間違いなく死ぬ。

 

 ようやく迎えた放課後、蓮華は何やら用事があるらしく、明日葉も蓮華の拘束から解放されたらしい。

 荷物を鞄に纏めながら大きく溜息を吐く明日葉を見て、さすがに可哀想というか、見ていられなくなってしまった。

 

「明日葉」

「うわぁっ!? な、なんだ、あんこか……」

 

 何もそこまで驚くことはないだろうに。

 普段は真面目で一見完璧な生徒会長にして星守のリーダー、それがこういうとこには小心者になるということを知っているのはワタシと蓮華だけ。

 

「んーや、いつも大変そうねーと思って」

「ああ、ここ最近蓮華のスキンシップがエスカレートしている気がする。蓮華が特訓に集中できていないのも問題なのだが……」

 

 その先を言おうとしたのはさすがに憚られたらしい。やはり明日葉は変なところで他人に気を遣う。

 抱え込みやすいというか、頼るのが下手というか。

 

「アレでしょ、このままだと明日葉が特訓に身が入らない、とか」

「……」

 

 どうやら図星のようで、自己中心的な考えを当てられたのを恥じているのだろう。浮かない表情で項垂れる。

 自分のやるべきこと、周りに気を配ること。それらがしっちゃかめっちゃかになっているようで、明日葉自身もどうすればいいか分からない、そんなところか。

 

「あー、ワタシにいい考えがあるけど」

 

 聞かれていても聞いてなくとも言いように、独り言っぽく、それとなく、というには露骨が過ぎたか。

 明日葉が急に顔を上げ、食いつくように身を乗り出す。

 

「要は、明日葉から意識を逸らせばいいんでしょ」

 

 長年連れ添ったトモダチの悩みだ。

 いつも迷惑かけてばかりだった気がするから、今回くらいは役に立ってあげるとしよう。

 

 ◇ ◇ ◇ ◇

 

 翌日の放課後。

 帰路、ワタシは学校で起きたことを思い出して戦慄していた。

 昨日、明日葉の悩みを聞き入れ、あんこにしては大胆な発想をするものだと失礼な感想をもらい、彼女に許可をもらって、その日の晩に作戦開始の火蓋を切った。

 具体的に何をしたかというと、蓮華に一本メールを飛ばした。

 

 ――タイトル、「週末暇?」

 

 直接話すと何かを返されても返答に窮するのは見えていたので敢えてメールでという形を取った。何やら蛇足どころか百足になりそうな勢いの長文だったような気がするが、返信メールと今日のリアクションの食いつきっぷりに、自分が送った文章の詳細な内容の記憶など全て消し飛んでしまった。

 今朝教室に入った瞬間、犬型イロウスもかくやという敏捷性で飛びかかってきた蓮華になす術なく。「昨日のメール、とーっても楽しみにしてるわぁ!」と頬擦りまでされた時にはもう、大型イロウスに囲まれた時以上に顔面蒼白になっていたに違いない。

 

 何はともあれ、蓮華はワタシの想定を遙かに上回って楽しみにしているらしい。明日葉ならともかく、ワタシの誘いでこんなにもテンションを上げるなど思いもしなかった。今までにこれほどまでの期待を寄せられたことなどあっただろうか。

 自分から誘っておいてアレだけれども、今回のお出かけ――蓮華はデートなどとのたまっていたが――は失敗できない。自分から誘った以上、何というか、成功させて楽しませる責任がある、と思う。

 でもワタシ一人では何から手をつけたらいいのかさっぱり分からなかった。あいにく自他共に認めるインドア、ヒキコモリ。リア充みたいな遊び方なんて何一つ知らない。SNSでなんかやってるな、程度の知識でしかない。

 そこで今回は二人の助っ人に頭を下げた。後輩に頼り切りになるのも情けないけど、背に腹は代えられない。この道のベテラン――かどうかは知らないが、二人とも協力的で助かった。

 自称最強デートプランナーうららと、オシャレに困ったらまず脳裏に浮かぶファッションドラ○もんこと望。

 この二人の先生に全面的なサポートをしてもらい、完璧なお出かけプランを練っていくことになった。

 

 まだ春にさしかかって間もない。夕方ともなると少し気温も下がって冷えてくる。もう一枚何か上に羽織ってくるべきだったか。

 ワタシの肺から勝手に漏れていく溜息の音は、どこか遠くに飛び去っていくカラス数羽の鳴き声ついでの嘴についばまれていった。その光景を見ただけで気が重くなってくる。

 週末に向けて下調べはしておかなければならない。さて、ゲーム時間を減らすか、最近ゲームのイベントも重なってるせいもあって極端に短くなっている睡眠時間を削るべきか。脳裏によぎった瞬間答えが出てしまうその二択がまた、肺の空気を抜かす原因となった。今度は前から通りかかる車に轢かれた。

 

 明日は望にコーディネートを確認してもらうことになっている。そのついでにショッピングもするらしい。

 望は間違いなく買い物が長引くタイプだ。明日は色々覚悟しておかなければならない。

 また、溜息が漏れた。最後の音は割と遠くまで響いた気がする。

 

 ◇ ◇ ◇ ◇

 

 スマホにインストールしていたタスク管理アプリを起動して今日のスケジュールを確認する。現在時刻、午前八時半。

 ついに訪れた約束の週末、家を出る前に何度も、そしてここについてからも何度も今日すべきことをスマホを開いて確認していた。

 集合場所は、どこからでもよく見えて背の高い時計台の正面。どうやら待ち合わせ相手よりは先にここに辿り着くことができたようだ。先んずれば人を制す――こんなところで遅れを取るわけにはいかない。

 どうにも気持ちが落ち着かないのは、そわそわしてしまうのは、蓮華と出かけるからというだけではない。

 この服装――望がプロデュースしたこのファッションが本当に自分に似合っているのかどうか、そもそもワタシなんかが多少の洒落っ気を出して何か変わるものかという不安がある一方で、いつもと違う自分、非日常へと飛び立つ新鮮さが浮き足立たせているのも事実。周りに不審がられないように気を遣いつつ、改めて自分の服装を見つめ直した。

 望曰く、コーディネートはTPOが大事、と。今回はワタシリードでのデートだから、動きやすく活発さをアピールできるファッションで攻めて、なおかつワタシらしさを表現できるように構築したらしい。

 というわけで、いつもは適当に二房に分けて髪留めで雑に止めていた長い髪も、一つに纏めて頭の後ろで下ろした。いわゆるポニーテールに近い感じ。ゆるふわウェーブにすることによって、いつもの雑な髪型を「躍動感」へとグレードアップ。正直ヘアスタイルのセットだけでかなり時間がかかった。

 トップは黒地のインナー、そして胸元が大きく開いたカットソーを重ねてインナーが見えるようにしている。そしてその上から丈が短めのジャケットを羽織って。

 一方ボトムスはショートデニムにハイソックス、動きやすいスニーカーで軽やかな印象を与えるスタイルに。脚部の肌の露出が多過ぎるのが気になるが、これまで纏ってきた星衣が大体そんな感じなのでギリギリ我慢できる範囲。もっともワタシなんかの脚を見る物好きなんてそうもいないだろうが。

 ものぐさ、面倒くさがりだったから、ファッションになんて当然縁もゆかりもなかった。そのワタシがこんな活発な格好をするなんて、つい数日前までは思いもしなかった。 流石はファッションリーダー天野望のプロデュースしたコーディネート。ワタシなんかでもなんかかわいくなれたような気がする。手鏡などと言うオシャレアイテムは残念ながら持ち合わせてないのでスマホのインカメラで髪型が乱れていないか確認する。

 

「あーっ! あんこー!」

 

 ベテラン星守として、ゲーマーとしての鋭い勘が全身に信号を送る。敵襲。

 しかしワンテンポ遅かった。相手はワタシの反応速度を大きく上回る敏捷性で――

 

「いつものあんこもイイけど、やっぱりオシャレしてもかわいいじゃなーい!」

 

 ――拘束攻撃。

 

 予測不能回避不能とはこのこと。ある意味では慣れっこだけど、やはり自分がされるとなるとなんだか気恥ずかしいというかなんというか。

 放っておくといつまでも頬擦りしてくる蓮華を無理矢理にでも引き剥がして、僅かに距離を取る。そして見た。見てしまった。

 

「ぐっ……」

 

 雰囲気としては普段の蓮華と変わらないが、これは確実に、気合いを入れている(・・・・・・・・・)

 女としての絶対的な魅力。春先にふさわしいふわふわな感じの服に身を包んでいるが、蓮華の最強の武器である完璧なボディライン、その官能的な凹凸は我が儘な主張を一切失っていない。

 蓮華は自分を女として最大限に引き立たせる術を熟知している。いやこれでもまだ本気ではないのかもしれない。競うつもりはないが、女としての敗北感が肩に重くのしかかった。

 だってワタシが男だったら、今頃どこぞの先生みたいに鼻の下伸ばしてデレデレしているに違いない。こんな女に日頃からからかわれている先生の理性の強さには感服する。

 

「なんだか今日のあんこ、すっごく頼りになりそう」

 

 ワタシの全身をなめ回すように視線を動かす蓮華。その視線は気持ち悪いが褒めてくれるのは素直に嬉しい。からかわれたくないので顔には出さないけど。出ているかもだけれど。

 スタート前から先手を取られ続けている気はするが、気を取り直して。

 

「その、今日はワタシなりのやり方で、蓮華を楽しませてみせるわ」

「フフ、あんこがどんな素敵なデートプランを練ってくれたのか楽しみー」

 

 だからデートではない――とは言えない空気。

 とにかく今日は、この蓮華の楽しそうな顔を曇らせるわけにはいかない。最後に蓮華に楽しかったと言わせるのだ。

 

「ま、慣れないけど、ホスト頑張るから」

「あんこに任せるわー」

 

 と言いつつワタシの左に回り込んで急に肩を寄せる蓮華。すかさずワタシの左手を握り締めた。……恋人繋ぎ。

 蓮華は意に介さないようだが、女同士でいちゃついているように見えるこの光景、とにかく好奇の視線が刺さること刺さること。

 

「い、行くわよ……」

 

 少し歩調早めだが、逃げるようにその場から行動を開始した。

 にしても隣からすごくいい香りがする。

 

 ◇ ◇ ◇ ◇

 

 デートの定番と言えば映画鑑賞。これは外せない。

 それに非常にタイミングもよく、今日から上映される、とある漫画を実写化したアクション映画があるのだ。これが予告映像や役者のチョイスが絶妙で、上映前からネット上でも前評判がよかった。

 笑いあり、涙あり、そして熱いアクションが見所の作品だという。一日の気分をつくるのには最適の一本だ。

 この辺りでの最速上映を獲得するため、このお出かけが決まったその日には座席も予約しておいた。この時点で既に半分以上が埋まっていたところを見ると、やはり一般の人も皆期待しているようだ。

 映画館のエントランスに入る。するとネットやテレビコマーシャルでもよく見た予告映像が流れているのが見えた。ワタシがそれを見ていたのを蓮華に気付かれて。

 

「今日はアレを見るの?」

「ええ、そうよ……原作漫画も隠れた名作、知る人ぞ知る最高にアツいストーリー! それを今話題沸騰中の役者で、なおかつ役者さんのイメージとビジュアルの観点から配役も完璧と来たっ! これを最速上映でこの目に焼き付けずどうするって言うのよ!?」

 

 ドリンクとポップコーン、あとは上映前に目を通すパンフレットを購入。

 それを持ってシアターに足を踏み入れる。薄暗い部屋の奥、スクリーンには無限ループの注意事項が流されていた。

 券に記されている座席を見つけ、安堵しながら座る。予約タイミングがやや遅かったこともあり、最善の席を取ることはできなかったが、中段左寄り、まだマシな座席ではないだろうか。

 と、ここで一つ気付いてしまう。

 

「あちゃ、パンフレット一部しか買ってないわ……」

 

 蓮華もいるのだから本当なら二部は必要、しかしそもそもあまり映画など行かない身、行ったとして大体一人で見に行ったから、二人分買うという発想はなかった。

 申し訳なく思いながらそれを告げる。すると蓮華は困った顔一つせず、

 

「じゃー一緒に見ましょ。むしろひとつの方が距離も近くなって役得だわ」

「そ、そう……」

 

 映画のあらすじ、キャラクター紹介、見どころ、役者や監督のコメント、この薄い一冊だけでも情報はたっぷり詰まっている。

 小声での話し声が集まって少し騒がしいシアター内。薄暗さから多分周りからは見られていないだろうが、すぐ隣には蓮華の顔がある。

 映画に対して興味があるのかどうかは分からない。でもどうやら、パンフレットにはしっかり目を通しているらしい。いや待った、なんか顔が徐々に近づいてきている気がする。

 ってくっつくな。

 

 ……

 

『俺がっ……、俺が弱くて情けないばっかりにっ! アイツは……ナオトはっ!』

 

 ――ドンッ!ドカンッ!

 

 ぶん殴られ、吹き飛ばされ壁に埋もれる主人公。ちなみに殴ったのは本作のメインヒロイン。

 

『ナオトがあそこで出てってやられちゃったのは、アンタにそんな泣き言を言わせるためじゃない! アンタに託したの! 未来を! そして希望を!』

 

 ツカツカと壁に歩み寄り、そして主人公の胸倉を掴んで軽々と持ち上げるヒロイン。

 その表情は、悲しみを必死に隠そうとする、怒りの形相だった。

 

『ナオトにも、アタシにもできなかったこと……それをアンタはやってのけた! 理想ばっかのナオトでも、腕っ節だけのアタシでも切り開けない道を、アンタなら切り拓けるの!』

 

 持ち上げた主人公を、胸倉を掴んだまま再び壁に叩きつける。

 破片と土埃が主人公の髪や顔にかかって、表情はよく見えない。

 

『悩んだって構わない、迷うのも仕方ない――それでもアンタは決断してきた! 決めて、成し遂げてきた! そんなアンタを、アタシたちは知ってる! そして、あの一瞬でナオトは信じた!』

 

 ヒロインの腕の力が緩む。

 主人公はそっと地面に下ろされた。壁にもたれてはいるものの、その両足はしっかり地面を踏みしめている。

 

『アンタの言葉――俺が憧れる俺になる――アタシたちにも、憧れさせて……』

 

 多数の足音。響く銃撃音。床を貫き煙を上げる光線銃の弾丸。

 追っ手は、駆逐舞台はここを突き止めていた。

 

『見つかっ――!?』

 

 光弾の嵐がヒロインを襲う。その全身を、無数の牙が切り刻む。

 倒れ込むヒロイン。何が起こったのかも分からず死を覚悟した。

 視界が急に暗くなる。影がかかったか。いや、何者かが目の前に立ったのだ。そいつは、先程までくよくよしていた――

 

『――ナオト、気付かなくてゴメン……。俺、いつの間にかダサくなってたわ』

 

 バリアを張って攻撃を全て躱す。

 そして銃声がやんだとき、顔にかかった砂を服の裾で拭った。まだ完全に拭いきれてはいないが。

 

『……やんなきゃいけねーだろうがよ。ナオトは俺の最高にクールな姿に憧れた――って、そういうことだよなぁ!』

 

 ヒロインの視点。

 無数の敵に飛びかかる主人公の後ろ姿、その背中は最高に格好良くて、逞しかった。

 

 ……

 

「いやぁ~、期待通りの傑作だったわぁ~」

 

 満足も大満足、あの長いシナリオをまさかあそこまで綺麗に纏めてくるとは予想外。監督・脚本の名采配に脱帽だ。それに加えて俳優陣の名演技に感銘を受けた。表情一つでも完璧に仕込んでくる、原作漫画の味である細かく大胆な表情描写を完全再現した演技力。アレがこの作品の醍醐味を正しく引き立てていた。ここ十年で最高の漫画実写化映画になるだろう。

 映画館を出た時に、壁に飾られてあるポスターをスマホのカメラでパシャリ。後でブログのネタにしておこう。

 当初の予定ではあまり買わないつもりだったが、映画の期待以上の出来にグッズ関連も買い漁ってしまった。

 蓮華にも感想を聞いておきたいと思って――気付く。

 蓮華はグッズを何一つとして買ってない。ワタシがあれやこれやと選んでいる間、ずっと待たせていたということか。

 そもそも、グッズを買わないと言うことは映画をそこまで楽しめなかったということか。

 

「蓮華、映画……どうだった……?」

 

 一応、不安に思いながら恐る恐る聞いてみる。

 

「……すっごーくよかった」

 

 そこにはいつも通りの蓮華の横顔の笑顔があった。

 分からない、というかその沈黙は何だ。もしかしたら本当は楽しんでいなかったのか。

 胃が痛い、が、まだ戦いは始まったばかりだ。次で挽回しなければ。

 蓮華に隠れるようにしてスマホを取り出し、タスク管理アプリを起動する。

 時間と行き先を確認しながら、次なる目的地へと急いだ。

 

 ◇ ◇ ◇ ◇

 

 映画館を少し離れて少し歩いたところに、少し前にリニューアルされた大きな商店街がある。

 流行の最先端から古いながらも掘り出し物までここならある程度は揃ってしまう。難点と言えば、あまりにも広すぎて一日では全て回りきるのはほぼ不可能であると言うこと、そしてこの気持ち悪いほどの人の多さである。

 

「休日ともなると、さすがに人が多いわね。おめかししてかわいい女の子もいっぱぁあああい……」

 

 が、蓮華にとってはこれは問題でも何でもないらしい。女と同じくらい男もうろうろしているのに、視界に入れていないのだろうか。

 とにかく映画で気分を高めて(蓮華の気分が高まっているかどうかは不安なところではあるが)、座りっぱなしだったところを体を動かすことでリラックス――ということで、これから向かう場所は、つまるところゲーセンだ。

 ここならワタシの庭のようなもの、以前から何度も足を運んでいるため、どこに何があるかも全て把握している。

 蓮華も身体能力は高く、体を動かすようなゲームでも十分に楽しんでくれるだろう。

 割と入り口付近にあるので、そこまで奥深くまで入り込まなくてもいい。故にベテランから初心者まで多くの人が楽しめる。

 

「ねぇ蓮華、アレやらない?」

 

 指差した先にあるのは、『和太鼓の鉄人』。設置されている太鼓をバチで叩いていくリズムゲーだ。昔の曲から最新の話題曲まで収録されていて、ユーザー層も広い。動画投稿サイドでプレイ動画をアップしている人も多いくらいだ。かくいうワタシも、ここではないが同じゲームが設置されている、人気の少ない場所で動画を撮影しブログにも上げている。

 

「いいわよぉ、れんげもあれ、得意だから」

 

 遊んでる女の子を見てる方がいいんだけどね、とクネクネしながら言ったのは反応せず流す。

 店先に設置されているのもあり、ここでプレイするのは人目につく。だからあまりプレイする人もいないのですぐにバチを握ることができた。

 百円硬貨を入れ、太鼓を叩いて操作を進めていく。

 

「曲は蓮華が決めていいわよ」

 

 頷いた蓮華は太鼓の右端をトントンと叩きながら曲に目を通していく。そして決めた曲が真ん中に来たとき、力強くドンと叩いた。

 難易度は最高難度――なるほど蓮華も分かっている。

 2P専用の画面――譜面が表示される。やがて曲のイントロが流れ始める。

 リズムを取る。何度も視聴し練習した記憶を辿り、先に待つ譜面を脳裏に待機させておく。準備は万端。

 そして赤と青の『太鼓』が画面をスクロールし始めた。

 軽快な太鼓の音が商店街を駆け抜けた。

 

 ……

 

『鉄人おったわ』

『見てるだけで癒やされる絵面』

『俺の知ってる和太鼓の鉄人と違う』

『おかしい和太鼓の鉄人が野郎臭くない』

 

 etc.

 太鼓を叩いている途中から背後に大勢のギャラリーの群れができているのに気付いた。

 少しいい汗を流せたと満足した蓮華と共にゲーセン内に入って、休憩スペースに設置されている自販機でジュースを買いベンチに腰を下ろしていた。そしてSNSの確認は欠かせない。そこで確認したのが上記の書き込み。

 幸い正しいネットモラルを持った人間しかいなかったのもあり、写メや動画を無断撮影してあげているような輩は見かけなかった。ワタシのエゴサ能力から逃げられる輩などそうそういないので見落としはないだろう。

 しかしこう褒められると嬉し恥ずかしなんとやら。

 

「あんこがゲームしてる姿ってあんまり見ないんだけど、あーいうところでもあんなに楽しそうにするのねー」

「はぁ!?」

 

 中身を飲み干した空き缶をゴミ箱に捨てて、唐突に蓮華がそんなことを言う。

 あれだけ無駄のないプレイを見せておきながら、こちらに目線を配る余裕さえあったというのか。

 

「お母さんと一緒に来てた小学生くらいの女の子もかわいかったけど、やっぱりさっきのあんこが見られたのが一番ねぇ」

 

 ひぇーそんなとこまで見ていたのか。というかそんな面と向かって言うのも恥ずかしくないのか。こちらが蓮華の顔を直視できない。

 悪くはない、けど、慣れないものは慣れないのだ。

 

「んじゃ、次行くわよ」

 

 逃げるように休憩スペースから立ち去る。待って―、と間の伸びた蓮華の声がふにゃりと背中にぶつかった。

 

 人の森を掻い潜りながら目的のゲームへと向かう。イメージとしては先程鑑賞した映画の内容に少し似た設定のガンシューティングゲーム。最新型のゲームで、部屋の中に入って、前後左右三百六十度から敵に囲まれた状態で戦闘を開始するタイプのゲームだ。

 1Pなら自分もプレイしたことあるし、最高難易度でも正直対したことではなかった。

 しかしそのゲームはどうやら2Pだと最高難易度のレベルが桁違いにおかしいらしい。今回はそれをプレイしようというわけだ。

 

 ――が。

 

 蓮華に左手を絡め取られながらも、そのゲームとは別方向に人だかりができているのが見える。

 先程から人が少しずつそちらに流れているようだ。

 

「……」

 

 気になって仕方がない。昨日このゲーセンについて確認したときは、イベントがあるなどという内容はみていないが。

 もしかしたらゲリライベントの類かもしれない。ここを押さえておかなければゲーマーの名が廃る、が――

 

「あんこ、どうしたの?」

 

 今この手には蓮華が絡みついている。ここで欲求を優先させてしまえばプランが大きく狂ってしまう。それで蓮華を楽しませることが果たしてできるのだろうか。

 迷う時間はそんなに残されていない。考え込みすぎると蓮華に不自然に思われてしまう。あるいはもう思われているか。

 なんにせよ決断はすぐにしなければならない。ならば――

 

「予定変更よ。蓮華、今からあっち行くわ」

 

 人混みの先に行く。

 その正体を確かめて、その未知を蓮華と共に楽しめばいいというものだ。流石はワタシ、思考が冴え渡っている。これぞ折衷案と言うやつだ。

 若干蓮華を引っ張る感じにはなったが、群がる人々を押しのけくぐり抜け、なんとか人だかりの真ん中を拝むことができた。

 そこに広がっていたのは――

 

「あ、アレは……知る人ぞ知る幻の格ゲー……! まさかアーケード版ができたとは……!」

 

 ネットでもまことしやかに囁かれているマイナー格ゲーのひとつ、ネットの前評判ですらあまり話題にならず、売り上げが見込めないことから生産台数が大幅に削減されたとまで言われている、入手難易度がとに高く高い、ついでに格ゲーマニアの間でプレミアがついて高額となっているゲーム――そのアーケード版が実装されたらしい。

 そして注目すべきはそこだけではない。そこに座って実際にゲームをプレイしプロデュースしているのは、格ゲー界のカリスマ、ファイトマスター拳(けん)その人ではないか。

 是非一度対戦してみたい、そう思い続けて数年、イベントの詳細を見るに、大会のトーナメントを勝ち抜いて優勝した人は拳に挑戦することができるようだ。

 

「れ、蓮華……」

「なぁに?」

「わ、ワタシ、これ出たいんだけど……」

 

 ああ、こんなはずではなかった。まさかこんなところで憧れのゲーマーに出会えるとは。それだけでなくそんな相手と拳を交わすことができる日が来ようとは。

 

「大丈夫よ、楽しんでらっしゃい」

 

 蓮華の許可はもらった。さあ久々に格ゲーの腕が鳴る。

 ゲーセンクイーンの実力、ここにいる全員の目に焼き付けてやろうではないか。

 

 ……

 

 相手は百戦錬磨のベテランゲーマー、ファイトマスター拳。惜しくも敗れてしまったのものの、ワタシとしても全力を賭して戦い抜くことができた。それを証明してくれるのは、ゲーム機を取り囲むゲーマーたちの拍手喝采。

 拳と一緒にその歓声に応えて手を不振り返す。注目されるのはあまり得意ではないが、あそこまで健闘したのだ。少しくらい周りに返してやってもバチは当たるまい。

 ――と、決して抜けていたわけではなかったが、咄嗟に見つけるべき姿を探し出す。

 いない。彼女の姿がどこにもない。もしかしたらゲーセンの外に出てしまったのかもしれない。

 この空間に耐えきれなくなったか、あるいは蓮華を放ってゲームに夢中になるワタシに痺れを切らしたか。

 いずれにせよ、ここからすぐにでも離脱する必要があった。

 人混みをかき分け、ゲーセンの出口を目指す。イベントのゲーム機を離れてしまえば割と道は空いていたので進むのはたやすかった。

 商店街の通路に出る。右を見て――いない。左を見て――

 

「あっ――」

 

 いた。

 こちらに歩いてくる蓮華の姿。どうやら怒って帰ってしまったわけではなさそうだ。

 安堵に緊張が解れる――そうはいかなかった。やはりチャレンジに参加したのが判断ミス、せめて今日だけは我慢すべきだった。

 とにかく、これ以上のミスは許されない。選択をこれ以上誤れば確実にこのゲームはBADEND。最悪の形でゲームオーバーになる。

 

「ご、ゴメン……」

 

 聞こえているのか聞こえていないのか分からないくらいにか細い声で呟いて、逃げるようにスマホのスケジューラーを起動した。

 

 ◇ ◇ ◇ ◇

 

 スマホの画面に映る次のプラン。そして右上で小さく主張するデジタル時計。時刻は間もなく正午を迎えようとしていた。

 予定では次に向かうは商店街を少し離れたところにある、最近オープンした少しオシャレな喫茶店。休憩がてらに昼食を挟もうということだ。

 なんでも口コミではスイーツが大人気らしく、雑誌に載ったりテレビのニュースでも取り上げられたりするくらいのものだ。

 歩を進めながらスマホとにらめっこ、喫茶店に近づくにつれて人の量もまた増えてくる。この調子だと少し並ばねばなるまい。

 

「あ~、もしかして……」

 

 ぼそりと蓮華が呟く。

 

「な、何……?」

「ん、何でもなーい」

 

 さては蓮華も既に行ったことがあったか、行く先であそこに行くということが予測できてしまったのだろう。

 別にサプライズというわけでもないのだからばれてしまったところで失敗にカウントする必要もないが、なんというか少し悔しさは残る。どうせなら蓮華が知らないところを案内したかった、というのも本音。

 そして、店の外観が視界に入らない内から分かる人だかりに戦慄しながら、その入り口の行列を眺めたところで、蓮華が言い辛そうに口を開けた。

 

「あんこ、ここ、完全予約制よ」

 

 ……。

 

「は?」

 

 カンゼンヨヤクセイ?

 今ワタシは何語を聞いたのだろうか。一瞬理解が追いつかなかった。アリの行列のような人の壁と、今までの失敗がワタシの脳を処理落ちさせたのかもしれない。

 つまるところアレか、この店で飲食をしたければ、あらかじめネットか何かで今日この時間に行くということを確約した上で立ち寄らなければ中に入ることすらかなわない、とそういうことか。

 そんな馬鹿な。ワタシとしたことが、調査に穴があったということか。

 そもそもこの身は喫茶店などというリア充オシャレワードとは無縁。喫茶店にも完全予約制などというシステムがあるなど知る由もない。

 これは致命的なミスだ。基本外に出歩かないワタシの非常識さが招いた痛恨のミス。

 失敗したならば挽回しなければならない。

 では、どこで食事を取るか。ワタシもゲームで疲れ、蓮華も恐らくワタシをおいてどこかでフラフラしていたのだから疲労しているに違いない。ならばなるべく近い場所で人も少なくすぐに入店でき、ゆっくり落ち着いて腰を下ろすことが出来る場所、そしてある程度洒落ていてスイーツもおいしいところ。そんなところを今から短時間で探さなければならない。スマホを取り出しマップを起動する。素早く検索欄にランチと打ち込んで複数箇所現れるポイントにざっと目を通し――

 

「ここはダメそうね。違う場所に行きましょ、あんこ」

 

 腕を掴まれ、引っ張られる。

 

「え、ええ……」

 

 蓮華の牽引になす術なく、思考停止して連れて行かれるままだった。

 

 そこから先はもうなんというか、色々と失敗続きだった。

 昼食を取ろうと向かった先の別の喫茶店では、次こそは失敗するまいと力みすぎた結果、ひたすらスマホの画面を睨み続ける形になり、蓮華から話しかけられても全然気がつかないような有様で。

 あろうことか顔を上げると、「ちょっとあんこ、聞いてる?」なんて、ふくれっ面でこちらを見る蓮華を拝む羽目になり。

 乾いた作り笑いを浮かべて「あーごめんごめん、何だっけ」などとワタシ全然話聞いていませんアピールをぶちかまし。

 ここの会計は自分でするという全く贖罪になっていない贖罪を遂行することとなる。

 

 気を取り直して商店街に戻ってショッピングをしようものなら、洋服(とそれを眺めている女性客)をチェックして楽しそうに小躍りしている蓮華に対し、はっきり言ってウィンドウショッピングが苦痛でしかないワタシはすぐに疲れ果ててしまい、自分だけ休憩してしまうような状態に。

 戻ってきた蓮華はなんとも恍惚とした表情を浮かべていたのでよかったのかどうだったのか。

 

 ここまで失敗に失敗を重ねたのだ。もはや挽回や弁解、謝罪の余地もない。

 人目も憚らず口から吐き出した大きな溜息が、商店街の人々にぶつかっていった。

 

 ◇ ◇ ◇ ◇

 

 燃えるような黄金色の空。耳を打つのは同じリズムで押し寄せる波の音。

 視聴覚情報こそロマンチックなれど、ワタシの心は残念ながらそんなものとは無縁の状態、音のない暗闇そのものだった。

 海岸沿いの緩やかなカーブの輪郭をなぞる道、防波堤に体を預け海を眺める蓮華。立ち止まった蓮華を意に介することなくそのまま抜き去るワタシ。

 距離が離れていく、背中に何かが突き刺さる感覚。これは蓮華の視線か、それとも自分で罪悪感を自分に突き刺しているのか。

 腹部に向かって深々と突き立てられた刃をこらえることができず、ワタシは足を止めた。でも、振り返ることはできない。蓮華の姿を、真正面から見られなかった。

 ……波の音。……波の音。潮風が正面から吹き付けた。

 

「やっぱ無理」

 

 とうとう沈黙を破ったのは、ワタシらしくないそんな弱音。

 ショッピングでいくつか購入したものが入ったバッグを無造作に地面に落とした。荷物が腕から消え去ったのに、何故か肩は重いまま。

 どだい無理なことだった。ワタシに誰かを引っ張るなんて向いていない。今日一日蓮華をエスコートするだけでこの有様だ。

 あの日明日葉にこんな話を持ちかけるべきではなかった。全く実力が不足しているにも程がある。レベリングの問題ではない。選択したジョブが既に向いていなかったのだ。

 

「ワタシには無理。誰かを楽しませるなんて、できっこないの」

 

 小声で早口。蓮華にはもしかしたら聞こえていないのかもしれない。

 もはや独り言。それでもよかった。身軽になれるような気がした。失敗という罪から解放されていく錯覚を感じた。

 ぶちまければ楽になる――独りよがりの自己満足。最悪の選択。

 

「元はといえばそもそも蓮華を楽しませるなんて二の次だったし。明日葉が大変そうだったから少しくらい肩代わりしてあげようかなーとか、そんな軽い気持ちだし。だ、だから別に、蓮華と遊びたかったとか、そんなんじゃなかったし――」

 

 ――ああ、ダメだ、全てを台無しにしてしまう。

 

「――ワタシなんて、誰かと外で遊ぶなんてことあんまりしたことなくて、結局全部みんなに任せっきりだったし。ワタシ、動き回ってるだけで、別に何かできたわけじゃないし。実際失敗しまくってるし――」

 

 ――もうダメだ。謝って済むだろうか。うららに、望に、それから明日葉に。

 

「蓮華だって、ワ、ワタシじゃなくて、本当は明日葉と遊びたかったんでしょ。こんな無理して頑張っちゃってるワタシじゃなくて、いつも自然体でしっかりしていて、それでも蓮華のこと、ちゃんと分かってあげてる明日葉と……」

 

 最悪。こんなことを言うために、今日一日奔走したわけではないのに。

 もっと楽しい一日になるはずだった。ワタシが情けないばかりに、ワタシが非常識で世間知らずなばかりに。

 懐の広い蓮華のことだ。その表情に、その態度に決して不快や怒りを表さないかもしれない。けれどもその懐の中はどうなっていることやら。

 全て吐き出した。思ってもいないことまでついでに勝手に言葉になってしまったけれど、誰も得しない懺悔を終えて、ある意味すっきりできた。

 

 もう帰ろう。ここから逃げて――逃げてどうするんだろう。

 

 反転。荷物を持ち、踵を返して足早に蓮華の後ろを通り過ぎる。チラリと見た一瞬、蓮華はまだ海の方を見ていた。最初からこちらのことなど見ていなかったのだ。

 早歩きで、俯いて、誰とも視線を合わさない陰キャラ特有歩法。

 

 ――背後に長い影が伸びてきた。

 

「あーんーこ」

 

 その影は一瞬で距離を詰め、そしてその声は耳元で聞こえてきた。さらに言えば吐息が耳にかかってくすぐったい。というか近い。

 背後から捕縛される。背中には柔らかい温もりと感触。両腕が自分の胸の前でしっかりと組まれていた。

 ショートしていた脳髄が思考の限界を悟り、シャットダウンを始めた。

 

「ぜーんぶ、分かってる」

 

 落ち着いた声。包み込むような柔らかい声。

 

「明日葉の力になってあげようとしたこと。れんげを楽しませたいって、いろんな人に協力してもらってたこと。それでドジ踏んじゃって、みんなに申し訳なく思ってること。……全部、誰か他の人のために頑張ってたんだってこと」

 

 蓮華の両腕がキュッと締まる。ほんの少し、密着感が強まった。

 

「れんげはね、あんこにデートに誘ってもらって嬉しかったわ。れんげのために一生懸命準備してくれてるのも嬉しかった。今日一日、つまんないなって思ったことはないし、久しぶりにあんこと遊んだ時間は、たとえ明日葉でも代えることのできない、大切な時間」

 

 何を言い出すのかこの女は。

 楽しかった。アレがか。散々振り回したあげく自分の欲に釣られてエスコートを怠った今日一日がか。

 映画館を出た後、言葉とは裏腹にあまり楽しそうな顔をしていなかったこと、ワタシがゲームイベントに参加している間、つまらないから先にひとりゲーセンを出ていったこと、喫茶店が完全予約制だったことを知らず無駄な時間を過ごさせたワタシに痺れを切らして別のお店に連れて行ったこと。

 どこをとっても、楽しんでいてようには見えないではないか。

 もう何を言っても今更なので、全部投げつけてやった。今日一日の蓮華のリアクションは覚えている。それら全てを本人に叩きつけてやった。

 きょとんとする蓮華。しかしすぐに、「なーんだ」と柔らかい微笑を携える。

 

「映画はもちろん楽しかったわ。ヒロインの子もかわいくて演技も上手で引き込まれたし。それ以上に、映画を見ていろんな表情を浮かべているあんこを見ることができて、すっごーくよかった」

 

 映画についてはとりあえず楽しんでくれていたのか。楽しみ方が後ろなんかおかしい気がするけれどもそれは蓮華だから置いておくとして。

 

「ゲーセンの時は、そうね……頑張ってるあんこを応援するのもよかったんだけど、れんげも少し用があってね。今日誘ってくれたお礼にって、サプライズでプレゼントを用意しに行ったの」

 

 蓮華は一度腕の拘束を解いて、バッグから何かを取り出す。

 小さな紙袋の中から現れたものは、星とハートをオシャレにあしらったおそろいのストラップだった。

 三つではない、二つ。

 そういえばよくよく思い出してみれば、蓮華を探しにゲーセンを出たとき、蓮華はこちらに向かって歩いてきていた。

 それはつまり、どこかに出かけてその帰り、また戻ってきていたと考えるのが普通だろう。

 蓮華はおもむろにワタシの手を取り、掌にストラップの片方を乗せてそっと指を折って握らせる。

 

「いつ渡そうか、ってタイミング見てたんだけど、あんこったらあれからずっとスマホとにらめっこしたり、なんか難しそうな顔してるから、言い出そうにも言い出せなくってね」

 

 ばつが悪そうに舌を出して、てへっ。ちくしょうかわいい。

 

「れんげは楽しかったけど、もしそれでもあんこが納得いかないなら、あんこが憧れるあんこに戻れるなら、また今度、あんことれんげ、二人のためにデートしてくれないかしら?」

 

 ストレートな言葉。決してからかっているわけでもない。

 その沈む夕日に反射して煌めく二つの瞳には、ワタシの顔が、動揺を隠し切れていない顔がはっきりと映っていた。

 そしてふと、気がついてしまった。

 ワタシを優しく諭すような表情、言葉、それらを真っ直ぐ伝えようとするその瞳に隠されている、一抹の不安。

 ここで拒絶されたなら――そう考えると次が分からない、その先が見えない暗闇に気がついていて。

 つまるところ、ここが分水嶺なのだ。ワタシにとっても、蓮華にとっても。

 

 ――ああそうか。気付いてたけど今のワタシ、過去最低でダサいわ。

 

 大事な友達に、そんな危うげな感情を抱かせたワタシ。いつでも自分のことを見てくれていた彼女がワタシに、そうあってほしいと望むのなら、蓮華がなってほしかったワタシに、そしてワタシがなりたかったワタシになるしかないじゃないか。

 蓮華が両手で包んでいるワタシの右手、その拳に力を込める。

 もはや恥ずかしいなんて言ってられない。思っている場合ではない。

 この感情を、この気持ちを目の前の親友に伝えるには、どの選択肢が正しいか。

 いや、そもそも選択肢など一つしかなかった。それしかないなら、それを選ぶまで。

 空いている左手。蓮華の背中へと回し、懐に飛び込む。

 二つの人影が向こうで重なった。

 

 その時ワタシが発した言葉は、気持ちがしっちゃかめっちゃかで覚えていないが、たとえ会話ログがあったとして、絶対に見返したくはない。

 

 ◇ ◇ ◇ ◇

 

「ねぇあんこ聞いて、昨日の休みの時に、この間行けなかったあの喫茶店、限定スイーツが出ている間に二人分予約を取ることに成功したわ。……ところであんこ、れんげは今週末暇なんだけど――」

 

 一ヶ月。週末を数えて五回。その度に押し寄せてくる蓮華の誘い。

 予定が合わなかったりイロウスの出現で緊急出動が重なったりでここまで潰れてきたが、また回ってきた、というわけだ。

 まさかここまで猛烈なアプローチを受けるとは思っていなかった。

 ちなみにあの日以降明日葉へじゃれつく頻度は僅かに落ちた。落ちたと言っても普通に多いのだが。

 

「蓮華、八雲先生がお呼びだぞ」

 

 廊下から現れた明日葉が蓮華に呼びかける。

 はぁーい、と締まらない返事をして廊下に向かい、そのまま明日葉に抱きつく蓮華。

 台風が去ってどっと疲れがこみ上げる。ワタシはそのまま廊下を見ながら机に沈んだ。

 

「でもあんちゃん先輩、満更でもないんでしょ?」

「前の週末のイロウス警報、一番嫌そうな顔してたのあんこ先輩だもんねー」

 

 などと視界に入るデートマスター二人。

 やかましいのに面倒なところを見られていたか。

 顔を両腕の中に埋め、机の中からスマホを引っ張り出して起動する。

 暗闇の中、ディスプレイの光に照らされる星とハートがそこにはあった。

 

「……うっさい」

 

 光陰矢のごとし――きっと今週末が訪れるのも、そう長くは感じられないのかもしれない。



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