中華の片隅からこんにちは(完結)   作:笹倉

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城の片隅からこんにちは

「――蓮伽様、あまり窓から身を乗り出しませんよう」

 

 低めた女の声に窘められ、その人物は何かを探すように忙しなく窓枠の外側で動かしていた頭部をぴたりと止めた。

 一度ゆっくりと瞬きをする程度の時間を開けて、乗り出していた上半身をそろそろ部屋の中に戻す。

 

 軽く背を曲げて扉の前に佇んでいた、少し歳のいった女官が、困ったお方、とでも言いたげにちらりと眉を寄せた。

 女官の更に後ろに控える、もっと年若いもう一人の女官が、深々と頭を下げたまま、二人のやり取りに耳をそばだてていた。

 

「私、落っこちたりしないわ」

 

 唇を尖らせて、窓辺の人物が言った。

 

 今日、新入りとして女官長と共に挨拶に連れてこられた若い女官は、その人物の顔を知らない。

 好奇心につつかれて、組んだ腕の隙間からそっと視線だけを上げてみたが、丁度逆光になっていて、相手の容姿は見えなかった。

 けれどその声ははっきりと分かる。幾分か甘えの窺える口調の、小花のように愛らしく、幼げな声だった。

 

「いいえ、分かりませんよ。うっかりお手を滑らせようものなら、蓮伽様の柔らかな指では、その磨かれた木枠を掴むこともできますまい」

「はぁい」

 

 ぴしゃりと言われて、蓮伽と呼ばれた人物は、諦めたように窓辺から離れた。

 どこか遠くから、鳥の鳴き声。窓から差し込む光が適度に遮られ、その人物の全身を浮かび上がらせた。

 

 ――それは、長い黒髪を束ねた、ほっそりとたおやかな少女の姿だった。

 年の頃は十かそこら。幼さを多分に残した顔立ちは、長じれば国でも指折りの美姫と呼ばれるだろう。

 

 風が吹けば折れてしまいそうなほど細い体躯は、簡素ながら品の良い、薄紅の衣装に包まれて。

 黒い瞳はきらきらと優しげで、地方の豪族の出である女官が見たこともないほど真っ白い肌が、見事な対比を描いている。

 その目がかちりと自分と視線を合わせたことに気付いて、女官は慌てて頭を下げ直した。

 

「昨日申し上げました通り、この子は新しく蓮伽様につくことになりました、女官の一人でございます。今回はお顔合わせに連れて参りました、どうぞお見知り置きくださいませ」

「そうなの、よろしくね。ねえ、あなた地方の出なのよね? 今度話を聞かせてちょうだいよ」

「はい、勿論です! お仕事も、一所懸命務めさせて頂きます、よろしくお願い致します!」

 

 言葉をかけられたのを合図に、若い女官は勢いよく挨拶する。名前と出身地を告げれば、少女は笑顔で名前を繰り返し、もう一度「よろしくね」と言った。

 

 ――優しげなお方だ、と考えて、若い女官は少しだけ肩の力を抜く。

 

 後ろ盾のない使用人にとって、仕える主の人格は死活問題だった。

 些細な不興を買っただの、敵対する相手に仕えていただので、唐突に首を切られる者は少なくない。

 金払いの良い職場は、それだけ権力者が多くいる。立ち位置を間違えれば、職だけでなく命だって簡単に吹き飛ぶものなのだ――例えば、自分の前任だった、幾人かの女官たちのように。

 

「――成蟜兄様は、まだ私のお願いに応じてはくださらないの?」

 

 若い女官の思考に合わせたかのように、少女――蓮伽が、女官長にそう問うた。

 女官長は慣れた様子で首を振ってみせる。

 

「申し訳ありません、未だ何の音沙汰もなく。蓮伽様におかれましては、今しばらく、こちらで心穏やかに過ごしているようにとだけ、ご命令でございます」

「成蟜兄様は、毎回そればかりね……」

 

 瀟洒な椅子に腰を下ろして溜息をつく蓮伽は、今回の状況をどこまで分かっているのだろうか。

 秦国大王の異母弟である成蟜が丞相・竭氏を始めとする一派を率いて大規模な反乱を起こし、大王が僅かな手勢と共に逃亡してから幾日。

 あれから蓮伽は何度も成蟜に書簡や伝言で謁見願いを出しているが、恐らく成蟜の方は、取り逃がした大王・嬴政の首を取るまで、蓮伽と顔を合わせるつもりはないだろう。

 

 大王の連絡員が紛れているかも、などという理由で、蓮伽付きの女官を何人も処分しておきながら、蓮伽本人はこうして鍵つきの部屋に閉じ込めるだけに済ませている理由を、成蟜の温情であると判ずる人間はあまりいない。

 いずれ何らかの形で利用するために「保管」しているのだろうと見る者が大半で、今も成蟜の傍に侍っている高官たちすらもそのはずだった。

 

 ――なぜなら、この蓮伽という少女は。

 成蟜がこの世の何より憎む秦国大王・嬴政の、同腹の妹だからである。

 

 

※※※

 

 

 最近白髪の混じり始めてきた女官長が、若い新入り女官を連れて引き下がり。

 蓮伽と呼ばれていた少女は、ややあって、長々と息を吐き出した。

 

 美麗な飾り彫の施された椅子の背凭れに、がくん、とだらしなく頭を落とす。仰け反った拍子に椅子ががたつき、四本脚のうち後ろ二本だけでバランスを取る体勢になるが、彼女は全く動揺しなかった。

 

「っあーーーーー……やってらんない」

 

 ひっっっっくい声で唸り声を上げるその姿は、「ちょっと考え足らずだけど素直で可愛らしい姫君」の姿に慣れ切った女官長が見たら悲鳴も上げずに卒倒するに違いない。

 王弟の反乱に際してさえ城にて己の立ち位置を守り、実家の後ろ盾があったとは言え女官長という地位を揺るがせない見事な立ち回りを見せ、未だ蓮伽に多少の皮肉を込めた説教をしてくるくらい余裕のあるあの年嵩の女が、年々微妙に化粧の濃くなってくる顔で白目を剥いてぶっ倒れるかと思うと若干心の中の悪魔がヤッチマエヨと囁くが、そんなことのために今まで組み上げてきた可愛いお姫様の仮面をぶち壊すつもりはないので、やっぱり考えるだけだ。

 

「政兄上は見失った、昌文君も賭けの相手も行方知れず。報告待ちの身が細るよー、まあ私元々細いんだけどね!」

 

 ぺーい、と卓子の上の干し杏をつまんで放り投げ、器用に口でキャッチする。

 今頃親愛なる兄上は食うや食わずの逃亡生活だろうに、自分は三食昼寝におやつと寝台付きなんて贅沢を享受することに引け目なんてありはしない。たとえ自分が絶食したところで、その分の飯が兄の元に届くわけではないからである。

 

「王騎将軍が大軍率いて昌文君と兄上の影武者を追いかけたりしなければ、も少し追いやすかったんだけどなぁ……。あの人が出てくる確率は半々だったとは言え、事前対処には限界があるし」

 

 むぐむぐ口を動かしながら、蓮伽は思考を巡らせる。

 飲み込んでから喋れ、と、自分と同じような育ちをしている癖に妹に対しては妙に口煩い兄のしかめっ面を思い出しつつ、花弁のような薄桃色の唇をぺろりと舐めた。

 

 不意に、城の外から地鳴りのような歓声が響いてきた。

 確か、今日は城の前に軍を集めていたはず。さては成蟜が大仰な演説でもぶったか、と考えた時、

 

「――お」

 

 地鳴りを起こさんばかりに轟く咆哮の隙間を縫って、高く細い、鳥の声が蓮伽の耳に届いた。

 すぐさま口に指を当て、決められた通りに吹き鳴らす。

 

 ぱさり、翼の音がした。窓辺に降り立つ一羽の鳩の姿を確認して、蓮伽は楽しそうに笑った。

 

「お帰り、待ちかねたよー!」

 

 椅子に座ったまま腕を伸ばしてみせれば、鳩は「クルッポー」と鳴いて窓辺から飛び移ってきた。

 しっかり布を巻いてあるので、鋭い爪も痛くはない。

 鳩の脚に結ばれた白い紙片を回収し、蓮伽は無造作にそれを開いた。

 

「――、――、――、――――へえ」

 

 ややあって、満足そうににやりと笑い。

 蓮伽は、卓子の上の干し果物を物欲しげに見る鳩を優しく撫でた。

 

「悪くない。悪くないぞー。そっかそっか、影武者君は器を見せたか。となれば王騎将軍の行動もまた修正されそうだなぁ」

 

 鳩の丸い頭を撫でる蓮伽の手のひらに、それより褒美をよこせと言わんばかりに鳩が頭を擦り付ける。蓮伽が干し杏をつまんで差し出せば、小さな嘴で素早くつつき始めた。

 

「お疲れ様。しばらく休んだら、また頑張ってもらうからね。いつもありがとう、タツゴロー」

 

 労う主人の優しい声に、白い鳩は喉を震わせ、クル、と小さく鳴いた。

 

 この鳩の存在を知る者にはことごとく「ヘンな名前だ」と言われるが、蓮伽はこの名を気に入っている。

 古風でカッコよくて、ちょっと武士っぽくていいじゃないか。いつか自分が子を産んだとしても、子には秦国らしい名前以外をつけるわけにはいかないのだから、遥かな記憶を偲ぶよすがに、ペットの名前くらいは好きにさせて欲しい。

 

 秦国大王妹、蓮伽。

 彼女は、21世紀日本からの転生者である。

 

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