中華の片隅からこんにちは(完結)   作:笹倉

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妹は居たい場所にいる

 反乱の後始末が全て片付いたのは、それから幾日が経ってからだったか。

 山民族が山に帰り、政の加冠までに将軍への道を駆け上がることを誓った信は、昌文君が用意したという『家』の前に立っていた。

 水辺にぽつりと二つ並んだ小さなボロ小屋の左側。それが信に与えられた最初の城だった。

 

「あのおっさんケチりやがって! 家じゃねーだろ、小屋だこれは!」

 

 一緒に付いてきた河了貂が地団駄踏んで喚くのに、信はにいと笑ってみせる。

 

「何言ってんだよ、十分だろ。俺たち最初は何も持ってなかったんだぞ。こっから武功を挙げて、土地も家もガンガンでっかくしていくんだよ」

 

 ばしんと背中を叩くと河了貂が少し不満そうな顔で口を噤み、「むうう」と声を上げる。

 

「……仕方ねえな、分かったよ。オレたちはこれから出世して、大金持ちになるんだからな」

「分かりゃいいんだ。……で、お前なんでここいんの? 山に帰ったんじゃなかったのかよ?」

「バカヤロー今更山でなんて暮らせるか!」

 

 ギャアギャア騒ぎながら小屋の戸を開けた時、隣の小屋の戸が開いた。ぱっと振り向いた二人の視界に、非常に覚えのある顔の少年が飛び込んでくる。

 

「着いて早々賑やかだな、信。あと、貂だったか、一緒に住むのか?」

「エッ、おま、漂!?」

 

 目を見開いて叫んだ信に、河了貂も目をぱちくりさせ、信より少しマシ程度の粗末な服を着込んだ漂はからりと笑った。

 信はダカダカ足音を立てて駆け寄り、ガシッと漂の肩を掴んだ。

 

「お前、なんでここにいんだよ! 大王の影武者なんて大功立てたんだから、あのまま王宮勤めとかするんじゃないのか!? お前に限ってクビはねーだろ!?」

「俺が自分から志願した。信と同じく、一から積み上げていきたいとな」

 

 信と漂を見比べてオタオタする河了貂を安心させるように笑いかけながら、漂はそう言った。

 

「信、お前だって王宮の衛兵を断っただろう? 俺たちの夢を叶えるには、中途半端な地位で留まっていちゃいけないんだ。戦場に出て、武功を挙げて、一段一段高みを目指す。本当に大将軍になりたいのなら、あのままただ大王のもとに仕えているだけでは叶わない」

「漂……」

「反乱は無事に鎮圧され、影武者の大任は果たし終えた。ならば次はお前と共に、俺自身の夢を叶える番だ」

「な、なんて奴だ……信と一緒に駆け登るためだけに、大王に与えられる地位を捨ててきたってのかよ……」

「ああ、まあそれは……」

 

 呆然と呟く河了貂に、漂は何故か苦笑いを浮かべた。河了貂がきょとんとして、信も首を傾げる。

 

「なんだよ、やっぱ城でなんかあったのか?」

「いや、まあ……何かと言えば何かなんだが……。――なあ、信」

「んあ?」

 

 もごもご口籠った後にふと真面目な顔になった漂が信を見つめた。

 空気が変わったことに気付き、信が漂の肩に手を置いたまま、ごくりと唾を飲んだ。漂のその目で見られると、信はいつだって胸を突かれたような気持ちになって気圧されてしまう。

 

「お前と共に描いた夢の他に、俺はあの城で新たな夢を見た。下僕上がりの兵士でも、大功を立て、中華統一の柱となり、天下の大将軍に成り上がれば――大王の妹姫に降嫁を願うことも許されるだろうか」

 

 信は思わず漂の肩を掴む手に力を込めた。

 漂の目は真剣だった。ただ恋に溺れた目ではない、かつて信と共に大将軍になる夢を描いた日と同じ、遥か先を見据えて真っ直ぐに輝く瞳をしていた。

 信はぱかりと口を開いた。ハワ、と瞠目した河了貂が両手で口を抑えるのが見えた。

 

「――マジかよ。惚れたのか?」

「ああ」

 

 信の問いに漂は迷わず頷いた。

 恐れも知らぬ大望だ。よりにもよって、かつては奴隷にも近しい下僕の身だった少年が、いつか中華統一を成す大王の実妹を妻に欲しいと言っている。

 信の目が一層大きく見開かれ、そして数秒置いて、吊り上げた唇から笑い声が洩れ出した。

 

「アハ――アハハハハハ! 上等じゃねえか、漂! でかい屋敷、美しい妻、沢山の子に使用人、いつか全部手に入れてやるって誓ったはずだぜ! 俺たちはこれから中華に名を轟かせるんだ、そうなったらどんな高貴な美女だって、俺たちが相応しくないなんて誰にも言わせねえよ!」

「信――ああ、その通りだ。俺たちは必ず駆け上がる! 恋だけではない、望むものを全て手に入れて、全力でこの乱世を駆け抜ける!」

 

 信と漂はバシンと手を打ち合わせた。再び親友と天下を目指す約束が戻ってきた実感に、信の腹の底から熱いものが湧き上がってくる。

 

「その意気だ、漂! ――よっしゃあ俺も負けてらんねえ、やってやろうじゃねえかァァァァァァ‼︎」

 

 拳を突き上げて吠えた信が、勢いよく小屋の中に飛び込んで、転がっていた棒切れを二本掴んで飛び出してきた。

 

「早速修行だ、漂! 1255戦目! 最後の夜で互角になった勝敗、俺の勝ち越しにしてやるよ!」

「っハハ――望むところだ、信!」

 

 大きく口を開いて叫び返した漂が、投げられた棒切れを掴み取って構える。始めの合図もなく、棒切れを大上段に振りかぶって勢いよく襲い掛かった信に、河了貂がゲッと呻いて、慌てて小屋の中に避難した。

 

「俺たちはここからだ! ここから始めるぞ、漂!」

「遅れてくれるなよ、信!」

 

 かつて小さな里で交わした剣と約束の続きは、二本の棒が激突する大音からもう一度始まる。

 

 

※※※

 

 

 一応の平穏を取り戻したとは言え、周辺国や後宮の太后は相変わらずだし、呂丞相の帰還も近く、まだまだ不穏の種は多い。

 反乱終結後の蓮伽は、何故か時々女官長がいつ火を吹くか分からない妖怪の子を見るような目を向けてくるとかで首を傾げながら、ようやく帰ってきた兄のもとをよく訪れていた。

 政としてはあまりべたべたしない性格の妹だと思っていたが、彼女は存外兄への情がしっかりあったらしい。考えてみれば蓮伽は臆病で心配性なので、平然とおやつを食べながらも頭の隅では常に最悪の事態を考え続けていたのかも知れなかった。

 政はそんな蓮伽を何も言わずに受け入れて、今日も書き仕事の手伝いをさせていた。

 

「ところで、王騎将軍からお前に伝言があるのだが」

「私、池の鯉に餌やってくるね」

 

 速やかに立ち上がろうとした蓮伽は、服の裾が政の足の下に敷かれていることを知って顔を引き攣らせた。

 

「貴女と共に盤上で遊ぶ日を待っていますよ、だと」

「淡々と容赦なく話を続けたな……うええ、それやっぱり私が色々やってたの分かっててノッてくれてたってことだよね? 怖い怖い怖い」

 

 逃げるのを諦めてぺたんと座りながら、蓮伽は幼子のように顔を顰めた。

 

「お前の名前は出していなかったが、俺の心当たりはお前くらいだから、お前で間違いないだろうな。まあ、戦上手というわけでもなく、軍略囲碁でも負け続けのお前が、王騎将軍と関わったことがあるとも思わんが」

「私も思わんよ、会話したこともほとんどないもん」

 

 昭王の血を継ぐ、美しく聡い小さな少女。戦の才こそ違えど、かつて王騎の傍で大将軍として名を馳せた、蓮伽と少しだけ似た背景を持つ女の存在を、蓮伽も政も未だ知らない。梟のように首を捻りながら、蓮伽が「えええ」と唸る。

 

「それってつまり、将来に期待されてるって思って良いの? でも私、軍師になれるほどの才能ないよね。ちょいちょい小細工はするけど」

「軍師には向いていないが、政治の方で暗躍の才はあるんじゃないか? そもそも王族の女に求められるのは、戦場ではなくそちらの采配だ」

 

 木簡をくるくる巻きながら政が言う。

 

「蓮伽は戦略を読むのは苦手だが、人を読み、先を読むのは得意だろう。情も慈悲もあるのに、それを別にして非道な手段をあっさり取れるのも良い。例えば漂を『殺させた』こと、あれはお前の布石でもあったはずだ」

 

 ただ追手から逃がすのではなく、蓮伽は漂をギリギリまで見極めた。死の瞬間まで政のために力を尽くせるか。彼に本当に「大王の予備」たる価値があるか。

 仮死の薬とは言え、一度死ぬことに変わりはない。蘇生失敗や後遺症の危険は勿論、替え玉と気付いた追手の八つ当たりを受けて「死体」が致命的に損壊される可能性もあった。

 追手に「あれは替え玉だ」と情報を流せば、漂への追撃は幾らか緩んだだろう。漂ならその隙間を突いて自力で逃げ延びることもできたかも知れない。

 しかし蓮伽はそれをせず、あくまで漂の「死体」を作ることにこだわった。

 

「あれは全て、漂を俺に成り代わらせる時のための準備だった」

「…………」

 

 ニコ、と蓮伽は微笑んだ。小花が散るような笑顔は、権謀術数の欠片も想像させない、幼げな愛らしさだけを見せている。

 

 漂を連れて来たのは昌文君だ。味方の少ない政の身辺を警戒しなければならない彼が、一介の小さな村で不要な一泊をしたというのは調べれば分かる。

 そこからもしも誰かに「大王そっくりの少年」の存在に行き着かれ、影武者の存在がバレたなら、政の死後、予備として大王になった漂に「そいつは影武者の方ではないのか」と言い出す人間が必ず出てくる。たとえ言い掛かりだろうとそれは真実で、いかに漂が賢くてもごまかしきれないし、虎視眈々と隙を狙う呂不韋相手に消し切れないリスクを負うことになる。

 

 だから、必ず漂の死体は必要だった。漂を一度殺させ、追っ手にも「影武者はいたが、既に死んだ」と認識させる。影武者が死んだなら、残っているのは「本物」だけだ。

 

「その通りだよ。でも、漂が生き残ってくれて良かったとも、本当に思ってるからね」

「そうだろうな。――今更だが礼を言う。友になりたかった男を喪わずに済んだ」

「どういたしまして。私たち友達いないもんね、友達になれそうな人は大事にしないと」

「仕方がない。王族とはそういうものだ」

「兄上はまだいいよ、男だし、外と関わる機会も多いから。私は周りが母上か女官しかいないから、お喋りくらいはできても友達にはなれないんだよね」

 

 蓮伽は眉を寄せて溜息をついた。仕える者と仕えられる者の間には明確な一線があり、踏み越えるのは双方のためにならない。それを蓮伽は理解していたし、弁えてもいた――まあ女官を集めて怪談大会とかはやるけど。

 

「兄上、いつか正式にお嫁さん貰うなら性格重視にしてね。私の友達第一候補、その人に期待してるんだから」

「覚えておこう」

 

 政は鷹揚に頷いて、次の書簡を手に取った。

 

「ところでお前、自分が嫁に行くことは考えていないのか?」

「今のところはないかな」

 

 硯に墨汁を注ぎ足しながら、蓮伽はそう答えた。

 時代の価値観からすれば一応嫁に行ってもおかしくない歳だが、まだ若い身空で子供を産みたくないし、今嫁いでも呂不韋の息がかかった家か、人質紛いに他国にやられるのは間違いない。なら行き遅れと言われても構わないから政が権力をがっちり握るのを待って、蓮伽の希望する条件――最低限性格が良くて蓮伽を尊重してくれる、まともな良識のある男――を選別してもらう方が良い。

 何よりも、まだまだ弱くて、寂しいのをひっそり押し殺す兄の傍に、蓮伽がいなくてはならないから。

 

「今はまだ、中華一でっかい野望を持った兄上だけで手一杯なもんで。漂や信が上がってきて、良いお嫁さんや子供ができて、兄上の傍にいてくれる人が沢山増えたら、お嫁に行くことを考えてもいいかな」

「ふん、生意気な」

 

 ふ、と笑って、政が筆を手に取った。

 くすくすと笑い返して、蓮伽は読み終えた木簡を収めた箱の蓋を丁寧に閉じた。





 これで完結です、ありがとうございました。
 書く所がなかったからここで書いておくと、漂は顔を隠せる軽めの兜をもらってます。偉い人からの下賜品てことにして、人前で外さない理由付けにしてる。
 蓮伽の手駒さんは羌瘣と同じ暗殺者集団の出身で、昔集団から逃げ出したのを拾われたそうです。直接戦闘力は羌瘣未満、隠密機動力は羌瘣以上の子。蓮伽はこっそり「ニンジャ」って呼んでます。

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