中華の片隅からこんにちは(完結)   作:笹倉

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妹は禁城で遊んでいる

「申し訳ありません、成蟜様は日々お忙しく、まだお時間が取れないとのことでございます。いずれお時間ができましたら、きっと真っ先に蓮伽様とお会いしてくださいましょう」

 

 ――決まり切った文句に、いい加減うんざりしていそうだ。

 

 深々と頭を下げながら女官長が主に告げるのを、同じく更に背後で頭を下げながら、この職場で一番の新入りであるその女官はそんなことを考えた。

 

 誰がうんざりしているかと言うと、つまり自分を含めた全員だ。先頃王都を追われた大王――玉璽が成蟜の手に入り次第「前王」になる――嬴政の実妹であり、この部屋に閉じ込められている蓮伽は、日々熱心に異腹の兄である成蟜に謁見願いを出しては、仲立ちをする女官長に拒否の返事を貰っている。

 毎回毎回同じ断り文句を聞く蓮伽もうんざりだろうが、却下されると分かっていて一々成蟜にお伺いを立てなければならない女官長もさぞ飽き飽きしていることだろう。

 

 これで成蟜が蓮伽をもっと粗雑に扱っていれば、女官長だけの判断で却下の返事をすることもできようが、そうでもないところがまたややこしい。

 嬴政が王都から逃亡してからというもの、成蟜は蓮伽をこの部屋に閉じ込めこそしたものの、彼女の気が塞ぐことなく過ごしやすいよう、何くれとなく気を遣っていることは、手配をする女官長こそが誰よりも理解している。

 

 外の空気が入る大きな窓、甘いお菓子や果物。定期的に入れ替えられる花瓶の花は、彼女が好む白と薄桃。服は簡素な造りだが極めて上質で、透き通るような紗はそれ一枚で新入り女官の月給が吹き飛ぶだろう。

 

 ――可哀想な姫君、と女官は思う。

 

 今回の反乱で、蓮伽はずっと蚊帳の外に置かれている。

 女官たちにも箝口令が敷かれ、反乱の趨勢や嬴政の現状について彼女に一言でも洩らした者は厳罰に処すとの言い付けが下っているから、蓮伽は全てが終わるまで、何一つ分からないまま待つしかないのだ。

 

(お可哀想な蓮伽様)

 

 何でも蓮伽は幼い頃から、成蟜を大層慕っていたとか。先の見えない状況で、せめて同じ城にいる兄の顔を見たいと思っていることが透けて見えるから、恐らく成蟜もしつこい蓮伽を疎むことなく、毎回黙って女官長に却下の伝言を預けるに留めているのだろう。

 尤も、それも分からないでもない。これほど美しい妹に無邪気に慕われたなら、あのいつも険しく目尻を吊り上げている成蟜様だって、嫌な気持ちはしないだろう。

 

 同時に、成蟜が彼女に会いたくない理由も分かる。

 城の誰もが讃える、黒真珠の如き美しい、幼く純粋な妹姫の瞳に見上げられて、「今まさにお前の兄を殺そうと手を尽くしているのだ」などと、どんな冷徹な男だって言えるまい。

 

「夫人は毎回そればかり。沢山お話したいことがあるのに、成蟜兄様はいつ私に会ってくださるのかしら」

「それはもう、お時間ができ次第、すぐにでございますよ」

 

 話さなくていいから大人しくしていてくれ。そんな本音を隠して丁重に返す女官長は、さっさとお茶の用意を始めた。

 甘い餡と棗の詰まった月餅は、これも蓮伽の好物として手配されているものだ。閉じ込められている大王の妹がいつ成蟜に処刑されるかと、ひそひそ噂している下っ端兵士たちなんて何も分かっていやしないのだと、女官は給仕をしながらこっそり考えた。

 

「――ねえ夫人、私、たまには外に出られないのかしら? 女官と一緒なら、少しくらい散歩に出てはいけない?」

「いいえ、なりません。貴女様ときたら、先日もこっそり女官を集めて怪談大会などやらかして、夜中だというのに女官の悲鳴を聞きつけて兵士たちが飛んできたではありませんか。お暇なら大人しく刺繍でもなさいませ」

 

 蓮伽のついでにじろりと視線をくれられて、女官は小さく肩を跳ねさせた。

 実のところ、彼女も怪談大会に出席した一人である。娯楽の少ない禁城で、姫君自らのお誘いにわくわく頷いたは良いが、あの日は報告を受けてやって来た将軍や女官長に姫君共々しこたま叱られた。

 ついでに、あれから夜番の日が怖くて仕方ない。同僚には呆れられるけど、でも人間の頭を持った梟って本当に死ぬほど怖くない?

 

 胸中で誰にともない言い訳をしている女官を他所に、むぅ、と蓮伽が唇を尖らせて女官長を見上げる。

 そこらの男ならたちまち笑み崩れるだろう可愛らしい膨れ顔に、女官長は相変わらず頑としていて。

 

「……分かったわ。じゃあこうしましょうよ、私と謎解き遊びをして頂戴」

 

 不意に思いついたように言い出した蓮伽に、女官長が怪訝そうに首を傾げた。

 

「謎解き遊び、でございますか?」

「そうよ。どうかしら、私が出す三つの謎を全て解けたら、成蟜兄様への謁見願い、しばらく控えてもいいわ」

 

 女官長にとって、その提案は魅力的に思えたようだった。

 ことが蓮伽に関わる限り、成蟜は幾分寛容になるから、謁見願いを持って行っても女官長が勘気に触れるということはない。

 けれど、大王が随分と長く逃げ延びているせいで、成蟜の空気がピリピリしているのも確かだった。

 何でもつい先日、王騎将軍が昌文君の首を持ってきたとかで、幾分機嫌が上向いたのは幸いだったが――用がないなら近付きたくない相手には違いない。

 

「……ようございます。三問ですね。出してご覧なさいませ」

 

 真っ赤な紅を塗った唇を舐めて、女官長が蓮伽に向き直った。貴女も考えるのですよ、と若い女官は囁かれ、慌てて茶器を置く。

 優雅に杯を傾けていた蓮伽はくすりと笑い、皿に載っていた干しリンゴを摘み上げてみせた。

 

「ざくろにあってリンゴにない。椅子にあって机にない。月にあって太陽にない。皇后にあって皇帝にない。これなあに?」

 

 女官には、何が何だか分からなかった。目を回している彼女の前で、女官長は少し考えて答えた。

 

「『口』でございます」

「正解」

 

 蓮伽が面白そうに笑う。女官長はにやりと得意げに口の端を吊り上げた。

 

「え? え? 口?」

 

 一人意味が分からないのは若い女官で、おろおろする彼女に女官長が「文字に起こしてご覧なさい」と言った。

 

 ちなみに、上記の単語八つを中国語にすると、「石榴」「苹果」「椅子」「桌子」「月亮」「太阳 」「皇后」「皇上」となる。その漢字に含まれる共通点は、「口」というわけだ。

 

 理解して感心する女官を眺めながら、蓮伽がにこにこ笑って次の問題を紡ぎ出す。

 

「では第二問ね。

 全く同じ重さの硬貨が七枚、それより少しだけ軽い偽金が一枚。さて、偽金を見つけ出すために天秤が一つ用意されたわ。最低何回天秤を使えば、八枚の中の一枚を探し当てることが出来るかしら?」

 

 次の沈黙はもう少し長かった。もたもた指を使って計算している女官を他所に、程なく顔を上げた女官長が答えた。

 

「二回でございます」

「その内訳は?」

「一回目の計測は三枚ずつ左右に乗せ、釣り合えば残りの二枚、傾けば軽い方の三枚の中に偽金があることになります。

 二回目の計測では、一回目が釣り合ったならば残り二枚を一枚ずつ左右に乗せ、軽い方が偽金。

 一回目が傾いたなら、軽い方の三枚の内、一枚ずつ左右に乗せ、釣り合ったなら残りの一枚が、傾いたなら軽い方が偽金でございますね」

 

 すらすらと述べた女官長に、女官が感心した視線を送る。蓮伽も嬉しそうに手を叩き、「正解」と言った。

 

「流石ね、夫人。答えを出すのが予想以上に早いわ」

「後宮でそれなりの職位を頂くならば、美貌や後ろ盾だけではならぬのですよ。女官長ともなれば、これくらいは当然です」

 

 つんと澄ました顔をしているが、少し鼻孔を膨らませているから、内心悪くない気分なのは明らかだ。ただの小うるさいお局様じゃなかったのね、と胸の中で呟いた女官は、丁度そのタイミングで蓮伽と目が合ってピャッと震えた。何も考えてませんよ!

 

「さあ蓮伽様、次の謎かけが最後でございます。お約束は覚えていらっしゃいますね?」

「勿論。貴女が解けたならね。

 では最後の謎かけ、これはとても短いわよ――」

 

 勇んで構える女官長に、蓮伽は艶やかな唇を開く。桃の花弁のような吐息がこぼれ、最後の謎を囁いた。

 

 その謎かけに、女官長は顔を顰めて考え込み――そしてとうとう解けなかった。

 

 


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