中華の片隅からこんにちは(完結)   作:笹倉

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兄妹は再会する

 けたたましい足音と共に扉が叩き開けられたその瞬間、部屋の持ち主である少女は隣にひっそりと佇む頭巾の女官を配したまま、座した椅子から立ち上がりもしなかった。

 退室しようとしていた女官長がギョッとして、三人の兵士を引き連れて踏み込んできた高官の前に立ち塞がる。

 

「何事です! ここが姫君のお部屋と知っての狼藉ですか!?」

「蓮伽様、貴女の兄君がこの禁城に戻って参りました」

 

 女官長を無視して高官が言い放った一言は、追い詰められた者特有の危うげな空気を孕んでいた。息を呑んだ女官長を押し退けて、兵士たちが前に出る。

 

「成蟜様は大王の手勢に奇襲を受け、竭氏も首を取られたという。このままでは成蟜様についていた我らも処刑されるのが必定、貴女の身柄を質にさせて頂く」

 

 すう、と蓮伽が顔を上げる。美しい顔に薄く微笑が刷かれていることに気付いて男たちが顔を顰めた。

 

「連れ出せ」

「お待ちなさい! このようなこと大王様も、成蟜様とて――」

 

 この期に及んで怯えの一つも見せない少女に舌打ちして、高官が短く命じる。叫んだ女官長を突き飛ばし、大股に踏み出した兵士たちが蓮伽に手を伸ばすより早く、鋭い風切り音がした。

 

「がっ」

 

 次の瞬間、高速で踏み込んだ頭巾の女官――漂が、長い棒の先端を先頭の兵士の首に突き入れていた。振るわれたのは箒の柄である。つい数分前に「虫がいたのを見た気がしたから」と蓮伽に言われてその箒を持ってきた女官長が、崩れ落ちた兵士の姿に一拍置いて金切り声を上げた。

 ただの女官だと思っていた相手が唐突に攻撃を繰り出してきたことに、残った兵士たちが目を見開いて剣を抜こうとする。その手を箒で打ち据えて、漂は最初に倒した兵士に蹴りを入れ、倒れゆく兵士の腰から剣を引き抜きざま、迷わず首を掻き切った。

 

「ヒィ!?」

 

 飛び散った血飛沫をまともに浴びた高官の悲鳴が上がる。左右から斬りかかってきた兵士たちの剣をしゃがんで躱し、漂は床を転がって側面に回り込んだ。目の前の兵士の足を蹴りつける勢いで立ち上がり、振り下ろされた攻撃を避ければ、相手の剣が背後の花瓶を打ち砕く。

 飛んだ破片が一瞬の目眩しになり、少年の手が怯んだ兵士の腹に全力を込めて剣を突き刺した。深々と刺さった剣を抜く手間を惜しみ、放置する代わりに相手の剣を奪い取った直後には喉を裂いてとどめを刺して、最後の兵士に向き直る。

 

 貴様、と眦を吊り上げて何か言おうとした兵士の言葉を、漂は待たなかった。ひゅっ、と細い息を吐いて踏み込んだ漂の一撃を兵士が辛うじて受け止め、しかし直後に全身を使って一回転した漂の剣が兵士の剣を勢いよく跳ね上げた。両腕を強制的に天井に向けさせられ、完全に無防備になった胴体に、兵士の顔が引き攣るのが、漂の視界にはっきりと映る。

 

 ――閃。

 

 銀の光が流れた瞬間、胴を薙がれた兵士が苦鳴を上げる。それでも僅かに身を躱し、致命の傷を抑えた兵士が、力を振り絞って漂に剣を振り下ろした。

 ガァンッ、と硬質な音がして、漂の剣が兵士の刃を受け止める。大の男と小柄な少年。歯を食いしばった両者の拮抗は十秒と続かなかった。

 

「――そこを、どけ!!」

 

 全身の力を両腕に込めて、怒声と共に振り抜いた漂の剣が、兵士の剣を弾いて輝く。未だ少年であるとは思えない剛力で一歩大きく踏み込んだ漂が、兵士目掛けて剣を振り抜いた――と思った瞬間、彼は勢いをつけて剣を投げた。

 がっ、と短い苦鳴。兵士の背後で空を裂いた剣が、じりじりと蓮伽に迫りつつあった高官の背中を貫通していた。漂が無手になったことを好機と見た兵士が体勢を立て直さんと剣を上段に構え、その瞬間翻った漂の左手に首を切り裂かれて鮮血を散らす。

 

「――――!?」

 

 何故、と目を見開いた兵士の目が最後に映したものは、漂の手から零れ落ちる尖った何か――割れた花瓶の欠片だった。

 ぐちゃ、と倒れた兵士が息絶えるのも待たず、漂は蓮伽のもとに走っていった。

 

「蓮伽様、お怪我は」

「ないわ、ありがとう」

 

 女官長の前だからか、蓮伽はにっこりお淑やかに笑ってみせた。

 女官長は壁際まで後ずさって荒い息を吐いているが、蓮伽は死体と血臭の中でも平常心を保っているようだった。愛らしい姫君が血まみれの部屋で微笑む姿は異様な光景ではあったが、漂はほっと安堵に息を吐いた。

 

「れ、れ、れ、蓮伽様、その娘、いえ、その声、もしや男なのですか? 一体、これは何事が――」

「夫人。貴女はしばらく下がっていた方が良いわ」

 

 震える足で立ち上がった女官長に、蓮伽はいつもと同じ可愛らしい笑顔を向けてそう言った。女官長がびくりと身を震わせる。

 

「この子は兄上か母様か将軍か、ともかく誰かが私を心配してよこしてくれた護衛だったみたいなの。どうやら成蟜兄様の反乱は失敗したようだし、そのうち政兄上か兄上の仲間が私を迎えに来ると思うから、私はそれまで待つわ」

「は、しかし……」

「夫人はさっき酷く突き飛ばされていたでしょう。頭を打ったかも知れないし、こんな血の匂いのする場所では具合が悪くなってしまうわ。ね、私にはこの子がついてくれるから、貴女は退室して少し休んで頂戴」

 

 真っ青な顔の女官長は、蓮伽を置いていくことに迷ったようだった。しかし護衛の兵士を呼ぼうにも、大半は表に出払ってしまっているし、下手な男を呼んでもまた自棄になった兵士が蓮伽に危害を加えかねない。大王が戻ってきたというのなら、いっそそれまで鍵をかけて閉じこもる方が安全なのも確かだった。

 

「――必ず内側から鍵をかけてくださいませ。中立の兵士や文官に幾人か心当たりがございます、わたくしは彼らに、建物の入り口を見張ってもらうよう頼んでみますゆえ」

「ええ、ありがとう」

 

 苦々しい顔でお辞儀をして、女官長は出ていった。漂が死体を外に放り出し、扉を閉めて窓を全開にする。幾分血臭がましになって、蓮伽はほうと息を吐いた。

 

(さて、今のところは予想内)

 

 城に軟禁されている現状で、蓮伽が差し迫って警戒していたのは、政と成蟜の雌雄が決する前に、誰かが先走って蓮伽を害しに来ることだった。

 こと戦闘において、蓮伽は見た目通り何の役にも立たない。故に漂を蓮伽の傍に控えさせ、誰かが強硬手段を取りに来た時の最後の壁とさせたのだ。

 蓮伽の手駒の方には「合図を受けたら王騎将軍に接触しに行け」と命じてあるため、蓮伽の方は漂に一人で守り抜いてもらう必要があった。幸い漂は優秀で、蓮伽に傷一つ負わせることがなかったので一安心である。

 

 ちなみに手駒だが、加勢を頼みに行かせたわけではない。蓮伽は「王騎が昌文君の首を持ってきた」という情報を得た時点で、王騎が政陣営に対して一定の評価を下したこと、昌文君の家族や領地を守るつもりであろうこと、彼がこの戦の趨勢をもって今後の立ち位置を決めるであろうことを読んでいた。

 政と成蟜の争いは、政に自力で決着をつけてもらう。それは蓮伽自身も最初に決めていたことだ。そのけじめが付く前に王騎に縋ったところで、あの男は動きやしないだろう。

 なので蓮伽が手駒に指示したのは一つだけ――やって来る王騎軍に昌文君の部下を装って接触し、ごく少規模の軍と王騎が気付かれないように領地から禁城まで来られる秘密の抜け道を教えること。

 大軍を引き入れる必要はないし、王騎もそのつもりはないだろう。ただ蓮伽は、王騎が政を見定めに来ると確信していた。彼女はそれを少しだけやりやすくして――それをもって呂不韋への牽制としたのである。

 

 政と成蟜の決着がどう転ぶかは別にして、今回の争乱で蓮伽が最も警戒していた人間が、他ならぬ丞相・呂不韋だった。

 二人の兄が潰し合い、弱った機を見計らって叩きに来るか。はたまた隙を突いて蓮伽を誘拐、或いは殺害するか。

 幸い呂不韋は王都から遥か離れた遠方にいる。警戒心の強いあの男なら、不確定要素が大きければ危険を冒さないだろう。

 だから、自分の傍には護衛として漂を。

 呂不韋の手駒が隠密に行動できそうなルートを、そこに王騎の兵を誘導することで潰す。

 

 その結果がどう転んだかはまだ分からないが、とりあえず漂は期待通りの強さを見せてくれたし、立てこもる程度なら政が来るまで充分保つだろう。

 

「漂、もう少し血の匂いが消えたら窓を閉めて。働かせたばかりで申し訳ないけど、兄上が来るまでは引き続き警戒をお願いね」

「はい。蓮伽様は窓の近くに寄らないようにしてください」

 

 頭巾をしっかりと付け直した漂はそう応えて、剣を手に窓辺に位置取った。蓮伽は椅子の背凭れに身を預け、外の音に耳を澄ませることにした。

 

 

※※※

 

 

 未だ死体や重傷者の転がる玉座の間にて、倒れ込むように豪奢な椅子に座して一息ついた政を眺めていた信は、僅か数秒の休憩を挟んで早々に身を起こした政に首を傾げた。

 

「玉座は取り戻した。行くところがあるから、お前も来い」

「んあ? なんだよ、あのでっかい椅子に王様が座ってるとこ、部下に見せなくていいのか? ようやく取り戻した玉座だろ」

「どうせ居合わせた成蟜派の高官を捕縛し、混乱が収まるには、もうしばらく時間がかかるだろう。その間に別件の確認をしておかねばならん」

「別件?」

「蓮伽――成蟜に囚われていた妹のことだ」

 

 反乱は収め、玉座は取り戻した。ならば次は妹の無事を確認しておかねばならない。

 

「囚われてたっつったって、多分状態は保護に近い軟禁だろうから、蓮伽の心身は極めて健康だろう、とか道中に楊端和と喋ってたじゃねーか。単に早く妹に会いたいだけなんじゃねぇの?」

「……お前はいらんことを覚えているな」

 

 というか、聞いてたのか。ニヤニヤしながら指摘してくる信に、政の眉間に皺が寄る。

 

「つーか、会いたいんなら誰かに言って呼び出してもらえばいいじゃねぇか。それか、政が勝ったことに気付いて、向こうから飛び出してくるかも」

「いや、それはない」

 

 政は首を横に振った。

 

「成蟜の敗北を知ったとしても、蓮伽は俺が迎えに行かないと出てこないぞ。成蟜が敗れたことを喜ぶような人物設定じゃない」

「人物設定」

 

 鸚鵡返しに言いながら、信は政の後について城の奥に続く廊下を歩いていった。恐る恐るこちらを窺う女官や文官たちの他、大きな扉の前に数人の兵士と、少し位の高そうな服装の年嵩の女官が立っているのが見えて、信は政をちらりと見る。

 扉の前に立った政に、女官が深々とお辞儀をした。

 

「――反乱の鎮圧と大王様のご帰還を、心からお慶び申し上げます。ここからはわたくしが蓮伽様のもとへご案内させて頂きます」

 

 女官長の身分と名を名乗り上げ、淡々と告げたその女官に、政は静かに頷いた。

 

 

※※※

 

 

 待ち侘びた兄を迎えに出られないとは寂しいものだが、残念ながらそれができる立ち位置に蓮伽はいない。

 決着がついたのは分かっても、蓮伽が自分から出て行くわけにはいかなかった。

 もしも表に出て行けば、政と成蟜のどちらに駆け寄るかの選択を迫られるだろう。「成蟜兄様を慕っている蓮伽」が、倒れた成蟜を放置して政の無事を喜ぶわけにはいかない。「実兄と仲のいい蓮伽」が、政を殺そうとして敗れた成蟜に駆け寄るわけにはいかない。

 あちらを立てればこちらが立たず。八方美人は大変だ。ならば選択を迫られる場所に行かないしかない。

 

 だから今、扉の外から聞こえた声に、蓮伽はようやく踏み出すことを許された。

 

「――政兄上! お帰りなさい!」

 

 四つの死体が片付けられた廊下に飛び出した蓮伽を、政が正面から抱き止めた。妹に弱った様子がないことを確認して、彼は深々と息を吐き出す。

 

「蓮伽、怪我はなかったか。食事は……ちゃんと摂っていたようだな」

「毎日おやつまで食べてたから安心して」

 

 全身泥と血塗れの姿にも構わず、ニコー!と愛嬌満点の笑顔で腕の中から見上げてくる妹に、政もゆるりと笑いかけた。なんだかんだ言ってお互いを心配していたので、ここでようやく二人とも本当に気が抜けたと言える。

 

「うわ、ちっちぇえのにマジですげえ美人……」

 

 ここまで彼らを案内してきた女官長が頭を下げて立ち去る気配を感じながら、数歩下がって眺めていた信は思わず呟いた。

 幼い頃から美貌で名を知られていたとは聞いていたが、確かに成長すれば傾城とも傾国ともなりそうだ。感嘆していた彼は、続いて出てきた女官服の人間が真っ直ぐ自分に向かって歩いてくることに気付いて目を瞬いた。

 

「――ここまでよく来たな、信」

 

 目の前に立ったその人間が抑えた声で囁いたその言葉に、信は一拍置いて息を呑んだ。

 信じられないと瞠目したその目が見る見る潤み始めるのを見つめながら、彼――漂は頭巾を少しだけ持ち上げてみせる。

 漂の大きな黒い双眸と、信の鋭い三白眼が、音を立てるほど真っ直ぐにかち合った。

 

「俺の託したものを、俺を天下に連れていくという願いを――守り抜いてくれてありがとうな」

 

 いつかの夜に冷たくなっていく身体で笑った時とは違う、確かな温度を孕んだ漂の笑顔に。

 洪水のように溢れ出した涙と共に、信は訳の分からない悲鳴を上げて、目の前の親友に抱きついた。




箒が間に合わなかったら燭台とか使ってました。

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