ぼくたちの最後の遊びが始まった。その昔、エスタードに最初に足を踏み入れた一組の
夫婦はここ七色の入り江を生活の中心にしていたのだという。だからこの場所で、
一日か二日、短ければ数時間かもしれないけれど最初の二人の真似事をするのだ。
「きっとそのころは・・・いまよりもずっと空気も水もおいしかったでしょうね。
本物の楽園だったのだから食べ物だってあたしたちが想像できないほどに」
「どうだろう。確かにこの島の人たちは増えていくにつれてだんだん完璧さを
失っていったと聞くけれど、料理の種類や漁の技術ってところでは進化して
いるはずだ。世界が元通りになったことで特にそう言えると思うよ」
世界中、それも過去と現代さまざまな時代の食事を冒険の旅の間は楽しんだ。
エスタード島から出なければ決して味わえないようなものもたくさんあって、
真似できるものは自分たちなりに再現したし、できなかったけれどどうしても
もう一度食べたいものはわざわざ足を運んで食べに行ったりもした。
「土地ごとに味や素材はもちろん、文化も違った。びっくりしたことも多かった」
「・・・そうね。だったらあたしたちもこの場所にふさわしくならないといけないわ」
それだけ言うと、なんとマリベルは服を脱ごうとした。裸になって食事をする
場所なんて世界のどこにもない。ぼくは慌てて止めようとした。
「ちょ、ちょっと待ってくれ!突然どうしたんだ!水浴びなら後で・・・」
「あら、あたしはさっき教えたはずだわ、アルス。最初この楽園に人間は二人しか
いなかった。だから衣服なんかいらなかったと。せっかくその二人の生活を
体験するのならちゃんと再現しないと・・・ねぇ?」
ぼくをからかっているのか、それとも本気なのか。表情だけじゃわからない。
でもきっと本気だったのだろう。ぼくがすっかり見とれてしまっているうちに
淡々と上も下も服を脱ぎ捨てて、生まれたままの姿になってしまった。
「・・・マ・・・マリベル・・・・・・」
「うふふ、アルスには刺激が強すぎたかしら。でもそろそろ何か言ったら?」
感想を言えと言われても言葉が出てこない。痺れを切らしたのかマリベルが
ちょっとだけ不機嫌そうにぼくを問い詰めるのだった。
「・・・何よ、つまらないわね。てっきりあたしの美しさに卒倒するか理性を
破壊されて襲ってくるものと思ったけれど・・・もしかしていまいちだった?」
マリベルの顔に不安が見え隠れしていた。そうじゃないと言ってやる必要がある。
これ以上互いに本心を隠して幸せを逃す必要なんてどこにもないんだから。
「いや、きみは・・・とてもきれいだ。それこそ世界中、いろんな時代の女の人を
見てきたけれどきみ以上はどこにもいない。もちろん・・・その身体も」
「あ、改めてそう言われると照れるわ。その割には感動が薄いような・・・」
どうせ少ししたら別れが待っている。怒られるようなことも隠さず言うべきだろう。
「その・・・実はつい最近、きみの裸を見ていたんだ。その胸も・・・お尻も。
エンゴウの温泉で偶然目に入っちゃって。あ、でもほかに人はいなかったよ」
「・・・そういう問題じゃないでしょ!え、小さいころとか数年前の話じゃなくて
ついこの間のこと!?どこかから隠れて覗き見してたっていうの?」
「ほんとうに一瞬だった。でもきみの姿が頭に焼き付いて・・・その日どころか
次の日の夜も眠れなかった。旅の間もそのへんの女の人が裸になっているの
くらいは何度でも見た。でもこんなことは初めてだった」
何もかも正直に話した。もし呪文を使いこなしているころのマリベルだったら
怒りのメラゾーマが二発か三発飛んできてもおかしくなかった。ところが、
「ふ、ふ~ん・・・まあアルスだってわざとやったわけじゃないし?事故って
いうんなら寛大に許してあげるわ。ちゃんと自分から白状したんだからむしろ
褒めてあげないと。なるほど、あたしが一番ねぇ、うふふ・・・」
あっさりと水に流してもらえた。それどころか少し喜んでいるようにすら見えた。
「許してもらえたのはよかった。でもこう言ったらなんだけど意外だった。
もっと怒られて罵倒されるものとばかり思っていたよ」
「・・・やっぱりあんた、あたしのことを何もわかっちゃいないのね」
「そうかもしれない。だからこの最後の時間を悔いなく過ごしたい」
ついさっきまで気づかなかった互いの気持ち、そしていまだにわからないこと
だらけだ。もっとマリベルを深く知りたい。もう十分だと思えるくらい味わいたい。
そのためには多少のわがままもこれまで以上に聞いてあげようと思った。
「じゃあ、次はあんたの番ね。ほら、さっさと脱ぎなさい」
前言撤回だ。今はいろいろとまずい。彼女から距離を取って逃げと拒否の姿勢をとった。
「どうして後ずさりするのよ。まさか自分だけそのままでいようって気じゃあ
ないでしょうね、まったく男らしくない!あたしは裸なのに・・・」
「いや、それはきみが勝手にやったことだろう!ぼくは別に脱げだなんて
一言も言っていない。とりあえずもう少しだけ待ってもらえないかな」
「待たない!一人で脱げないって言うなら手伝ってあげるわ!」
いったい何が彼女をそこまでさせるのか。さすがに脱がされるのは情けなさすぎる。
とうとう観念してぼくはお手上げのポーズと共に、自分で服に手をかけた。
「・・・きみはぼくが男らしくないから裸になりたくないって言ったね?でも実は
その逆だ。男だからこそ・・・いまは見られたらまずかったんだよ」
「・・・・・・・・・あ~~~~~・・・そういうことね。よくわかったわ。
まあ生理現象なんだからしょうがないじゃない。全く反応なしのほうが
あたしとしたらショックだったし構わないわ。別にいいわよ」
そういうものなのか。だったらもういいか。一回やればそれで終わりだろう。
上着も下着もぜんぶ外して、ぼくも何も身につけていない姿になった。すると
マリベルはぼくにくっつく寸前のところまで来て、じっくりと眺めるように
観賞し始めた。やめてほしかった。特に下半身は。
「・・・・・・いや~・・・アルス・・・あんたこんなに全身に筋肉あった?
これは凄いわね・・・あたしのほうはこの頃あんたの体なんか見てなかった
わけだから・・・・・・勇者の力は失っても鍛えた体は健在ってわけね・・・」
小声でぶつぶつとつぶやいている。この至近距離でも聞こえないほどだった。
「足もまるで鉄みたい・・・・・・え、なにこの大きさは・・・・・・昔は
あるかないかわからないくらいだったのに。いくら大きくなっているからって
嘘でしょ、こんなの~~~っ・・・・・・」
いきなり鼻血を出したかと思うと、仰向けに倒れてしまった。意識はあるようだけど、
すっかり顔は真っ赤になってタコのようなマリベルを慌てて介抱した。
「・・・ま、まさかあたしが倒れるだなんて。あんたがこうなるのを期待してたって
いうのに・・・不覚!アルスも立派な大人の男になっていたのね・・・」
「しっかりしなよ!もういいだろう、真似事はやめて服を着ようよ」
「いや、続ける!一度始めた以上、明日の朝まではやるわ!」
結局その後もお互いに興奮したままの状態だった。魚の味はほとんどわからず、
寝ようとしてももちろん一睡もできなかった。エンゴウのときよりもずっと
目が冴えて心臓はドキドキして、呼吸も荒かったと思う。
「エスタード島の歴史の始めの人たちはよくこれで毎日普通に生活ができたね。
そのうち慣れちゃうものなのかな?これが当たり前なんだって」
「さあね・・・いまのあたしたちより感覚が鈍いってことだけは確かだわ」
ぼくらは一晩中手をつないで横になっていた。それ以上のことはなかった。
そこから先に行けるほど落ち着くのは無理だった。
翌日の朝、朝ご飯を食べた後に二人でそのへんの葉っぱや木の枝を切り取った。
これで服を作れば少しはましになるかもって思いそうした。だけど、実際に
それを身につけてみたところ、中途半端に体が見えるのは裸でいるよりも
色っぽくて欲望を煽る結果になって、すぐにやめてまた全裸に戻った。
「そっちのぶどう酒を持ってきてくれない?それが飲みたい気分なの」
「わかった。それならきみは食器を用意しておいてほしい」
この日は一日ずっと特に何もしなかった。冒険の旅の思い出話や、旅に出る前の
ぼくらが小さかったころの話なんかをだらだらとしていたらあっという間に
陽が沈んだようで夜になった。議論も考察も口論もない、ほんとうに二人で
これまでのことを思い返すだけだった。あっという間の時間だった。
「いろんな場所や空間、時代を駆け回ったけれど・・・ほんとうの幸せ、
欲しかったものは最初からすぐそばにあったんだから、ぼくたちが冒険に
出たことは正しかったのかどうか・・・考えても仕方がない話なんだけど
これから何回ぼくはそんな疑問に悩まされて生きていくんだろうか」
「ふふっ・・・その答えにたどり着けただけ無駄じゃなかったんじゃないの?
一生かけてもわかんない人だっているんだから遅くはないはずだわ」
裸のまま抱き合って寝た。それだけでも今までからすれば凄いことだし、
とても緊張したけれど、今日もそこまでだった。これで十分だったからだ。
最後の一線を越えるにはぼくたちはまだ心が幼すぎたし、時間が足りなかった。
そしてぼくだけじゃなくてマリベルもそれでいいと思っていた。
次の日の朝になると、どちらが言い出すでもなくぼくらは服を着た。この日は
相手に対する疑問をぶつけ、ずっと聞けなかったことへの答えを得る、そんな
一日にしようと決めた。まずはぼくの長年の仮説と彼女の真意を知る番だった。
「きみはほんとうはとても優しい。マチルダさんもそう言っていた。そのきみが
どうしてわがまま三昧なのかを考えていた。もしかするとそれもきみなりの
優しさだったのかもしれないって近頃思うようになったんだけど・・・」
「え?どうして?」
「きみの両親はかなり苦労してやっときみが生まれたって聞いた。だから一人娘は
特に可愛くて、何でも言うことを聞いてあげたいって思ったはずだ。ただのいい子で
いるよりもちょっとわがままなほうが二人は喜ぶ、そう思って無意識のうちに
いまのきみが完成されたんじゃないかなって勝手に考えていた」
異世界を旅している間もマリベルはいつも騒がしかった。水がないだの足が痛いだの、
すぐに文句を言うものだから慣れるまでは大変だった。こんなやつやっぱり村に
置いてくればよかったんだとキーファは言ったし、ガボやメルビンさんも呆れて
彼女のことをすべてぼくに丸投げしたときもあった。
でもぼくたちがほんとうに心配したのはマリベルがすっかり黙るときだった。
喚いているうちはまだ余裕がある。わがままや不満が消えたとき、彼女は
心から辛い出来事に元気を失ったか、痛みをこらえてやせ我慢している。
あの理不尽な要求もぼくたちを安心させるためだったのかもしれない。
「・・・いやいやいや、考え過ぎよ。そんなややこしい事情はないから」
自分で自分のことをただのわがまま娘だと認めるのは気が引けるだろうけど、
それ以上にぼくの過大評価を正したかったようだ。いつも世界一の美女だとか
歴史の中でも有数の聖人として扱うように言うくせに、いざそうすると逆に
怒ってしまう。あまり褒めすぎると照れてしまう、かわいいところだ。
「じゃあ次はこっちの番ね・・・あたしが気になっていること。大魔王との
戦いのときアルス自身が言った言葉を覚えてる?世界を救う勇者よりも
きみだけを守るきみのために生まれた存在になりたかった・・って」
「・・・うん。忘れていない。あのときぼくを叱りながらもきみは受け入れて
くれたはずだった。思えばあれもプロポーズだった。なのにどうして自然と
なかったことになっているのか・・・よく考えたら不思議な話だ」
ほぼ確実に死ぬという極限状態での誓いなんか無効だ、互いに混乱して舞い上がって
いただけだと二人して思い込んでいたせいか。あれは都合のいい聞き間違いだと
解釈したのか。もっとふさわしいムードでどちらかが言い出すものと思ったのか。
「今さらあんたのヘタレぶりを責めるつもりはないわ。あたしのほうにも責任は
あるものね。でも世界よりあたしのほうが大事って・・・どこまで本気だったか
聞きたかっただけ。単なる勢いじゃ・・・・・・なかったみたいね」
答えを聞くまでもなく、ぼくの目を見ただけでわかってくれたみたいだ。
もっと早く気がついてほしかったけれど、これだけで十分だ。
「ふふっ、あんた、あたしのこと好きすぎるでしょ。あたしが死んだ後はどうするの?」
「せっかく楽しい時間を過ごしているんだからそういうのはやめてほしいな。きみと
別れてからじっくり考えるつもりだ。すでに決めていたことを言うとするなら
一つ教えてあげようか。きみが嫌だとか絶対するなって言うことを片っ端から
やるつもりだ。それは確定している」
「はぁ?あたしの嫌なことを?あたしが好きなんじゃないの?」
「いや、こうすればきみが帰ってくるんじゃないかなって思ったんだ。勝手に何を
してくれてるの、ふざけないでって怒りながらね。きみのかわいいところを
世界中に語り継ぐ旅とかをすれば案外早く戻ってきそうだよね」
文句があるなら帰って来い、何度でもそう言い続けよう。ほんとうはわかっている。
ザオリクや世界樹の力が通らない、完全に死んだ人間が蘇ることなんかない。でも、
ぼくやみんなが彼女のことを忘れない限りずっと生き続けているような、そんな気が
するんだ。ぼくは最後の一人になるまでやめないだろう。
「まずはきみの銅像を造るのがいいかもしれない。ずっと後の時代まで残るものだ」
「やるのは勝手だけどちゃんと腕のいい職人を雇いなさい。あたしの美貌をしっかり
再現する必要があるんだから。あとフィッシュベルはやめてちょうだい。海が
近すぎてすぐに錆びついて悲惨な状態になるのは目に見えているわ」
この計画についてはぼくよりもマリベルのほうがだんだん真剣に意見を口にする
ようになって、最終的には一から十まで事細かに指示を出してきた。完成どころか
土台作りの時点ですでに彼女はもうこの世にいないはずなのにと思ったけれど、
だからこそいまのうちに言っておかないという気持ちもわかった。
こんなくだらない問題だけじゃない。これまでの感謝も恨み言も全て言い尽くして
おくべきだ。いつマリベルがこの遊びに飽きて、もう帰っていいわとぼくを
去らせてもおかしくない。そういう約束で合意して始めたからだ。一秒ずつ確実に
終わりに近づいている。だからもっとしみじみとした空気になるはずなのに、
なぜか時間が過ぎれば過ぎるほどぼくたちの会話の内容はどうでもいいものに、
緊急性のないくだけた話ばかりになっていた。無理して裸にならなくてもよくなった。
(そうか・・・これが夫婦か。いいなあ、やっぱり)
かつてぼくたちのことを予言した書物には、最後の勇者は次の世代を残さない、
一生清い体、つまり童貞のままいなくなると書かれていた。確かにそれは当たった。
だけど結婚できない、幸せになれないとまでは一言もない。あと数十分でこの
幸せが終わるとしてもぼくは満足だった。きっとマリベルも同じだろう。
その翌日もこれといって特別な出来事はなかった。これから世界はどうなるとかいう
世間話をしたり、七色に光る水の中で泳いだり、今まで気にもしていなかった草木を
じっくりと観察してみたりと、生産性や未来に残すものなんか何もない。だけど
ぼくたち二人はこの時間、確かに幸せだった。今までとは違って本当の自分を隠して
気持ちを押し殺す必要がないからだ。すでに楽園としての力は失われているとしても
ここはいま、悲しみも苦しみも汚れもない、二人だけの楽園だった。