ドラクエⅦ 人生という劇場   作:O江原K

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雨の糸

 

いまぼくは若い女の人、年齢はぼくと同じくらい・・・ということになるのだろうか?

その人に抱きしめられている。誰に聞いても美人だと認めるだろうし、いい香りがする。

なのにちっともドキドキしないのはこの人がぼくを呼ぶ名前のせいなのか、それとも

この人が本来ならぼくの母親になるべき人だったからなのか・・・。

 

「あ~~~っ、よしよし、キーストン・・・」

 

「・・・・・・・・・」

 

島に戻ったぼくは半分強引にそばにいた海賊船に乗せられていた。そこでぼくを待って

いたこの女性の名前はアニエス、この海賊船の船長の妻という人だ。この前会ったのは

半月前、それなのにこれほどべたべたとしてくるのだ。これが親馬鹿というやつか。

 

「うん、体は異常なし・・・変わらず元気そうね、キーストン。でもあなたは何か

 悩みを抱えている・・・隠そうとしてもわかるわ」

 

「・・・全く悩みがないことなんかありませんよ。ぼくなんて特にいろいろ考えすぎる

 人間ですから。どうでもいい話や今さら悔やんでも仕方のない無駄なことまで」

 

この人がぼくのことを『キーストン』と呼ぶのは、誰かと間違えているわけではなく、

キーストンという名こそがぼくにつけられるはずだった名前だからだ。このあたりは

事情が複雑だから順を追って説明しなければいけないと思う。

 

 

 

エスタード島の遺跡の奥にある謎の神殿。不思議な石版を集めて台座に置く、その

繰り返しの一番最後に向かったのがコスタールという国だった。そのときのぼくは

いろいろなことが重なって荒れていた。何のために旅をしているのかがまるで

わからなくなって、これでようやく終えられると思っていたほどだった。

 

『・・・神様の復活?魔王との決着?そんなのやる必要はない。過去は知らないけど

 いまの世の中はこれまでずっと平和だったんだ。余計なことはしなくていいよ』

 

神様を復活させるための一族に生まれたアイラや魔王を倒す希望として封印されていた

メルビンさんとは違い、ぼくには戦う理由がなかった。わざわざ闇に閉ざされた暗い

世界に行くよりは平和な現代でのんびりしていたい気持ちが強くなっていた。

 

 

『・・・・・・!?キーストン・・・あなた、キーストンね!?私にはわかる!

 あなたはあの人と私の間に生まれてくるはずだった・・・!』

 

愛する夫を魔王軍との戦いで失い、妊娠していたのに突然おなかの中の子どもが消えて

いなくなったという二重の不幸に見舞われ、すっかり無気力になっていた肌の白い

若い女の人がいた。誰が話しかけても虚ろなままでいたのに、ぼくが近づくと一変して

起き上がり、希望を見つけたかのように目を輝かせた。でもぼくはひどい対応をした。

 

『・・・あなたは誰です?いきなり見知らぬ人に息子だと言われても困ります。

 ぼくはこの国に来たのは初めてだし故郷に両親がいるのだから人違いでしょう』

 

『いいえ・・・あなたのその紋章の形をしたアザが・・・私たちの血が流れる証です。

 水の精霊に愛され、そして古の勇者の子孫であることを示すものに他なりません!』

 

『・・・・・・こんなもの・・・世界中を探せば似たような人はたくさんいますよ、

 多分。さあ、もういいでしょう、みんな、そろそろここを離れよう』

 

『ちょ、ちょっと・・・アルス、どうしたの?あなたらしくないわ』

 

ぼくもこのときその予感はあった。いつからか自覚するようになった不思議な力、

こんなものがどこからやってきてぼくに宿ったのか、その謎の答えを見つけた。

 

魔王により致命傷を受けた水の精霊が最後の力でしたことは、伝説の大海賊、

『東海の帝王』という称号も持つシャークアイのまだ生まれていない一人息子を

平和な世に送り、災厄から逃れさせるだけでなく魔王を倒すための切り札として

温めておくという奇跡だったと知ったのはその後のことだし、そこから更にずっと

後になってから、風の精霊が似たような行為をしたというのを聞いた。聖風の谷の

少女フィリアの翼を数百年以上先の人間の背に移すというものだった。

 

それらの事実を知る前からぼくも、遥か過去の見知らぬ土地で出会ったこの女性が

ぼくのほんとうの母親なのではないかと思ってはいた。でも認めたくなかった。

これ以上自分が自分でも理解できない存在になっていくのが怖かったからだ。

このままいくと二度と元通りの生活ができなくなるような気がして、だから

冒険の旅は最後の石版世界であるここで終わりにして漁師の息子に戻りたかった。

 

 

 

「全てを知った今だから納得できるとはいえ・・・いい迷惑だった。あのときの私は

 ただ死ぬことばかりを願っていた。フィリアちゃんって女の子も大変だったと聞くわ。

 やるならもう少ししっかりと説明してくれたらよかったのに、精霊たちも」

 

「あはは・・・まあそのおかげでぼくも無事に成長できたわけですから・・・」

 

「いや、あなたならあの時代でもきっと生き延びることができた!もしあのまま

 何事もなく出産していれば私の手で直接あなたを育てることができたのに・・・」

 

コスタールではメルビンさんたちに不愛想な態度を叱責されていたぼくが今ではこの人をなだめる側だ。ふくれっ面で不満を露わにするアニエスさんを落ち着かせた。

 

「でもあなたの優しさは変わらないわ。あのときも最後、私のことを『お母さん』と

 呼んでくれた・・・それだけで私は何があっても生きていけるようになった」

 

コスタールを支配していた魔物バリクナジャを倒し、それから大灯台に明かりを灯して

光を取り戻してもぼくの気持ちはそれまでとあまり変わらなかった。なのにその地を

去る最後になって真の母親を認める気になったのは目の前の絶望に沈む女の人が哀れに

思ったからか、それともぼくも我慢できなくなったからなのか・・・いまだわからない。

 

「あなたのおかげで私は今ここにいる。前にも話した通り、希望がないままでいたら

 海底王の誘いに乗って一年に一日だけ歳を重ねる人魚になろうとしていた。でも

 それを拒んだおかげで更に勝った祝福を受けることができたのだから・・・」

 

「更に勝った祝福・・・?その話はまだ聞いていなかったはずです。魔王が死んで

 奇跡的にこうして人間として生きているということは聞きましたが・・・それも

 よく考えるといろいろ教えてもらわないとわけのわからないことばかりです。

 奇跡だから何でもあり、で片づけられてしまったらそこまでなんですが」

 

「あら、まだ話していなかったかしら。もう知っているものだと勘違いしていたわ。

 別に隠すことではないからせっかくだし今日一つ残らず話しましょうか。あなたと

 別れた後の私のことからまずは・・・・・・」

 

突然とても重要な話が始まるというのは冒険のとき珍しいことではなかったのだけれど

どうしても焦ってしまう。近頃ぼけーっとのんびり生きているのだからなおさらだ。

でも、まさにアニエスさんが語り始めようとしていたときに別の声によって遮られた。

 

 

「おお!キーストンではないか!来ていたのなら最初にオレのところへ足を運んで

 くれたらよかったものを!まあいい、陸で仕入れた上等の酒と果物を持ってきたぞ!

 さあ、ここからは親子三人で語らい合おうではないか————っ!」

 

この海賊船マール・デ・ドラゴーンの船長であり、ぼくのほんとうの父親でもある

大海賊シャークアイ。彼が駆け足で向かってくると、そのままぼくたちと共に座った。

 

「平和な世、しかも本来おれたちがいないはずの時代の世なのだからもっと暇だと

 思っていたのだがな、好戦的でないとはいえ海の魔物と漁師たちのトラブルの

 解決や危険な渦潮の調査・・・やるべきことはたくさんあるものでな、なかなか

 時間が取れなかったが今日は大丈夫だ、さあキーストン、それにアニエスも」

 

「うふふ、嬉しそうね、あなた。じゃあ一杯いただきましょう」

 

ちなみにキーストンというのはシャークアイの考えた名前だという。アニエスさんが

妊娠しているとわかったその日に彼には確信があったらしい。これは男の子であり、

双子ではない。そして苦戦が続く魔族との戦いを終わらせる力を持っていると。

復活した魔王によってエスタード島が封印されたとき、氷漬けの呪いから解放され

遥か長い時を経て帰ってきたシャークアイもやはりぼくのことを一目であの時代に

残した息子だと直感で理解してぼくを船に招き入れた。そのときこう言われたのだ。

 

 

『キーストン・・・この明日なき戦乱の日々に終止符を打つ、世界の要石となる。

 そういう意味を持ってオレはまだ生まれていない我が子にこう名付けた。しかし

 勇者ロトやその子孫、更に言えばロトのずっと前の勇者と呼ばれた者たちも

 この名を一度は息子に与えようとして、しかしそれをやめたという記録があった。

 彼らは特に深く考えず、後から思いついた名のほうがいいからそうしたらしいが

 実は違う。古い預言の書をオレは昔どこかで手に入れ・・・その内容を読んだのは

 ついさっきのことだった。オレたちに起きた信じがたい出来事に加え・・・いや、

 それ以上に驚かされた。キーストン、いや・・・アルスどのだったな。これを』

 

『・・・とても古い巻物だ・・・でも書かれている文字は読める!』

 

『そう、そこがオレとアルスどのの繋がりだ!オレ以外の船員は誰一人こいつを

 読むことはできなかった。古代文字に精通した学者もいるというのにな』

 

ぼくの仲間たちも誰もそれを読めなかった。でもぼくとシャークアイだけは

見たことがないはずの文字を次々と解読し、読み進めていくことができた。

 

 

 

この世界に永久に続く真の平和をもたらすことができる勇者の名は『キーストン』と

呼ばれるべきであり、それ以外の者がこの名を授けられようとしても神の力がそれを

阻むだろう。彼は決して恵まれた体躯を持たず、小柄で期待を抱かせるような男では

ないが、時が経つうちに大きく成長し、眠っている力にも目覚めることだろう。

 

彼は力や速さ、賢さにおいて秀でた者となるのではなく、人を引き寄せる心の優しさ、

金では買えない愛情と絆が彼を勇者だと人々に認めさせる。自らの苦痛を隠し、

たとえその左腕が破壊され激痛で意識を手放しても当然と言えるときであっても

自分が愛する者の元へ行きその身を案ずることだろう。この世で最後の勇者の名は

定められた日まで守られ、彼がまだ母の胎にいるときに与えられることになる。

 

 

 

「あの巻物はエスタード島とその他いくつかの大陸が復活したときオルゴ・デミーラに

 よる襲撃やそれを妨げた突然の洪水のような大雨によってどこかへ消えてしまったが

 もう必要ない。キーストンが魔王を倒しこうして平和な日々が続いている、それで

 じゅうぶんではないか。何千年も昔の言葉を見事に成就してみせたのだからな」

 

「・・・でもぼくはあなたに対しても何度も失礼なことを言ってしまいました。

 いま思い返しても一切弁護のしようのないひどい言葉の数々を・・・それで

 ほんとうに優しい勇者などと言えるでしょうか。とてもそうには・・・」

 

「いや、立場が逆だったらオレでもそうしていたかもしれぬ。初対面であり、しかも

 自分と大して年齢が変わらない男や女にお前の親だと言われたら混乱し拒絶するのは

 普通の反応だ。それにお前はこれまで自分を育ててくれたもう一組の親たちを

 気遣い愛していたから、あの方々を裏切るような行為はしたくなかったのだろう?」

 

神様を復活させてから数年間、旅を始める前のようなのどかな日々が続いていた。

それを乱そうとするものは魔族だろうが友好的な人間だろうが拒みたかった。そこに

他人を思いやる気持ちはちっともない、自分勝手な思いからだったはずなのに。

勝手に美化されて物語を創作されるのはいつになっても好きになれそうもない。

そんなぼくの心を読み取ったのか、アニエスさんが夫の言葉に反論した。

 

「それはどうかしら。この子はただ・・・幼なじみのキーファ王子たちがいたころの

 ような戦いや苦しみ、悲しみのない毎日に帰りたかっただけじゃないかしら。

 ここであなたの子、選ばれし人間だという事実を受け入れてしまったら今度こそ

 戻れなくなってしまう・・・そう怖くなったのでしょう?」

 

「・・・なるほど、そうなのか、キーストン?」

 

ぼく以上にぼくのその時の気持ちをわかっていて、うまく言葉にしてくれた。

 

「そ、そうです。ぼくが言いたかったのはそういうことだったんです」

 

「うふふ・・・でもあなたが失うのを恐れたのは故郷や仕事や大勢の友人と

 いうよりは・・・たった一人の女の子だったのでしょう?私にはわかります」

 

「・・・・・・そ、それは・・・えーと」

 

わかりすぎているというのも問題だ。しっかりと抱かれているままでは逃げ場もない。

 

「フム・・・古より予告されていた勇者、そんなものになってしまったら一生涯自由に

 身動きができなくなる。漁師の息子として村に住み続けるなどできやしないな」

 

「歴史がそれを証明しています。使命のためにほんとうに愛していた女性ではない人と

 結婚せざるをえなかったり、魔王を倒した後も国のため、世界のための戦いは終わらず

 平穏とは程遠い生涯であったりと・・・それではあの子とどこにでもあるような平凡

 ながら幸福に満ちた家庭を築くというのはできませんからね」

 

二人はその名前を口にしなかったけれど、絶対に全部わかっている。沈黙しか手はなかった。

黙っているうちに別の話へと変わっていくのを期待した。

 

 

「ところで・・・もうそろそろいいのではないか、二人とも。体を離しても」

 

シャークアイが密着しているぼくとアニエスさんを離そうとした。確かにぼくらは

親子になるはずだったとはいえ外見はほとんど歳の変わらない友人や兄弟のような

三人だ。妻が自分ではない若い男に抱きついているのはいい気分ではないだろう。

 

「あら、そうかしら?」

 

「ああ、もう離れろ。オレだってキーストンと親子の抱擁をかわしたいのだから」

 

そっちかよ、と思わず転びそうになった。ぼくじゃなくてアニエスさんに嫉妬して

いたのか。この人も奥さんに負けず親馬鹿だなぁ。

 

 

「・・・二人とも・・・初めて出会ったときとすっかり印象が変わりましたね。

 こんなにおしゃべりで明るいとは・・・ぼくの仲間たちも驚きますよ」

 

呆れたように吐き捨てたぼくに対し、二人はくすくすと笑いながら答えるのだった。

 

「いいや、違うなアルス。これが本来のオレたちだ。オレもアニエスも感情が豊かで

 しかも表情に出やすい人間だ。しかし戦いの最中ではそうもいかないだろう?」

 

「あの日コスタールであなたと会ったとき、私は絶望の深みにいました。夫は魔物に

 倒され息子を奪われた直後だというのに元気に笑顔で話せるはずがありません」

 

それはそうだ。あまりにも簡単なことでつい忘れていた。魔王の支配下だった世界と

この平和な世界、全く変わらないでいられる人間なんているはずがなかった。

もし自分にどんな不幸があってもほんの少しも変わらないなんていうのは・・・よほど

無理をしているだけだろう。ますますその苦しみが増し加わるというのに。

 

「オレたちの船の仲間もそうだ。無口な奴だったが戦いで仲間が減り船が静かになると

 皆を鼓舞するために正反対の人間となり笑顔と元気をもたらそうと努めた男もいる。

 戦う必要がなくなったため気性が穏やかになったやつらもいる。それまでは無理して

 強がって、大声を張り上げて喧嘩好きを装っていたんだとか・・・」

 

「ですからキーストン、どこで生まれ育ち、どんな人間になったとしても人はいつでも

 変わる、言い換えれば『誰かになれる』ことができるのです。たとえあなたが遥か

 遠い昔から予告されていた勇者であったとしても・・・それを成し遂げたのはあなた

 自身の頑張りの結果であり、これから先どう生きるかもあなたが決めてよいのです」

 

誰かになれる、とはどういうことだろう。ぼくはぼくのはずだ。モシャスや変身、

ドラゴラムを使ったところでぼくはぼくだ。一度も使ったことはなかったけど。

この言葉の意味を考えているうちに、シャークアイがぼくのすぐそばに座った。

 

 

「・・・で、お前は何になりたいか決めたのか?今のお前なら何にでもなれる。

 俺の跡を継いでこの船の船長として海の平和を守る決心がついたか?」

 

やっぱりこういうことか。確かにこの海賊船は居心地がいいけれど・・・。

 

「すいません。もう少し考えさせてください。ぼくにはまだわかりません」

 

「フム・・・そうか、キーストン・・・いや、アルスどのに無理を押しつける

 わけではないから安心してくれ。ただ・・・漁師になったとしても最初は

 ただの雑用、掃除やイモの皮むき程度しかさせてもらえないだろう。その点

 オレたちならすぐに次の代の頭領という待遇だ。いい話だと思うがな・・・」

 

 

思い返してみると、コスタールに向かうずっと前からヒントはあった。初めて

ダーマ神殿で職に就こうとしたとき、フォズ大神官が驚いていたのを覚えている。

 

『・・・?おや、アルスさんには海賊の才能があるようですね。今すぐにでも

 転職できます。本来いくつかの職をマスターしないといけないのですが・・・』

 

『海賊?船乗りならまだわかりますけど。漁師の家に生まれたしこれまでの船旅は

 ぼくが操縦していますから・・・海賊というのはどこから来たのやら』

 

『微妙ねぇ・・・あんただから仕方ないけどそこは勇者とか賢者とかじゃないの?

 てゆうかあたしたちのおかげでダーマ神殿を取り戻せたんだから今すぐにでも

 勇者にするのが筋でしょうよ。天地雷鳴士とか賢者でもいいからさぁ。まずは

 魔法使いから始めなさいって・・・ドケチにも程があるわね、まったく・・・』

 

『・・・・・・今ならモンスターの心がなくても『くさった死体』にしてあげますよ?』

 

海賊のほうが漁師よりも適性があるってことなんだろう。でも魔王との決戦までに

いろんな職に就いたし、どれが一番ぼくに向いていて楽しいと思ったかはもう

覚えていない。結局ほとんどの呪文と特技が使えなくなっちゃったしね。

 

 

「今は何かの用事の途中だったのだろう?無理を言って来てもらってすまなかったな。

 楽しい時間を過ごすことができたことに感謝する。そろそろ村に戻るか?」

 

「はい。風の帽子を持ってきているのですぐに帰れます。お酒、ごちそうさまでした」

 

ぼくはそのまま空に帽子を放り投げようとした。いま船は村から少し離れたところに

いるからもう一回戻ってもらうのも悪かった。ところがそのとき、快晴だったはずの

空が急に曇り始め、すぐに大雨になった。ただ雨が降るだけならそれほど驚かずに

予定通りの行動がとれたのに、これほどの異例な事態にぼくは帽子を投げられなかった。

 

「・・・これは・・・!いったん中に入ろう、二人とも!」

 

「・・・そうですね。でもどうして突然・・・?こんなこと今まで・・・」

 

一度もない、とか見たこともない、とは言えなかった。ぼくはこの現象に覚えがあった。

あの日も雲一つない日だった。神に化けた魔王の封印から解かれた直後のエスタード島、

その神殿にあろうことかオルゴ・デミーラ自らが奇襲を仕掛けてきた。戦う準備が

できていないぼくたちにとっては絶体絶命だったけれど、洪水のような雨がぼくたちを

守ってくれた。あまりの激しい雨に魔王軍も本拠地ダークパレスへ戻ることを強いられた。

 

「あれは水の精霊の奇跡だった。魔族によって倒された精霊たち、でも水の精霊だけは

 この現代までずっと生きていてぼくたちをいつも助けてくれた・・・」

 

ぼくの腕のアザが光るとき、いつも水の精霊が力を与えてくれていた。

 

 

大きくなったいまでも覚えている。まだ赤ちゃんだったとき重い病気にかかったこと、

五歳にもなっていない幼い日、他に誰もいない危険な場所で遊んでいて崖から落ちそうに

なったこと。ぼくは見えない力に命を救われた。温かく優しいものがぼくを包んでいた。

 

冒険の旅の間もその力はずっとぼくといっしょにいてくれた。ウッドパルナで

危険なオニムカデを相手にしたとき、キーファがいないユバールの洞窟で魔物に

囲まれたとき、先に進む手段がないと思われたとき、ぼくに並外れた力を与えて

危機を乗り越えるようにしてくれた。そして最後の戦いのとき、ぼくは初めて

その力の主、つまり水の精霊と会話をする機会があった。その声は確かに言ったんだ。

ぼくとマリベルだけがどうにか生き残り、魔王から身を隠している最中のことだ。

 

『・・・アルス、もしこれ以上は戦えないと思うなら・・・その娘と二人でここから

 逃げなさい。魔王も疲弊しているので、あなたたちが戦う意思を放棄したとあれば

 すぐに追ってくることはないでしょう。その隙に無人島や異世界、魔王の手の届かない

 ところまで逃げるのです。私がそのための時間を作ります』

 

『そ、そんなことできるはずが・・・!どうしてあなたが悪魔のような誘惑を!?』

 

『・・・・・・勇者として戦死するより・・・その立場を捨てた臆病で卑怯な者として

 穏やかに寿命を全うしてくれたほうがどれほど私は嬉しいことでしょう。あなたは

 世に平和をもたらすためにこの時代に移されましたが、私はあなたを楽園の島から

 旅立たせたくなかった・・・数えきれない痛みや悲しみを味わってほしくなかった』

 

世界には一つの島しかない、歪で本来のものではない間違った平和だった。

それを正しい形にするために水の精霊はぼくを導いてきたと思っていた。

 

『できることならあのまま・・・古代遺跡も神殿も不思議な石版の存在も知らないまま

 いてほしかったところでしたがあなたの好奇心や流れる血の運命からは逃れられ

 ませんでした。私にできることは後ろから手助けをすることだけ。打ちのめされて

 傷ついたあなたを抱きしめてあげたいと何度思ったことでしょう』

 

たとえ世界が魔王の思い通り進もうと、ぼくが幸せに不自由なく暮らしているのなら

そのほうがいいと言ってくれた。命に代えても魔王を倒せ、勇者としての使命を全うしろ、口にはしないけれど皆がそう言ってくるようだったから、ぼくはその言葉に救われた。

だからもう一度戦おうと立ち上がれた。マリベルへ向けるものとはまた別の種類の

『愛情』をこの女の人に抱いていた。そう、これは母親への・・・・・・。

シャークアイを加護していた水の精霊とぼくを守っていた水の精霊は・・・きっと

別の存在なのだろう。その地位は歴史のどこかで継承されたんだ。

 

 

 

「アニエスさん、さっきあなたは人魚として不老不死の命を得るよりも

 更に勝った祝福があった、そう言っていました。いまになってやっと気がついた

 ぼくは遅すぎたのかもしれませんが、あなたは過去のコスタールでぼくたちと

 別れた後・・・魔王に負けて死にゆく水の精霊から力を託されたんじゃ・・・」

 

「・・・・・・さあ?少なくとも今の私はただの人間。あなたといっしょ、

 特別な力はほとんどないどこにでもいる人間の一人に過ぎないわ」

 

この大雨の犯人はこの人ではないかと疑って聞いてみたけれど直接の答えはなかった。

ぼくを船から帰したくないから少しでも時間を伸ばそうとしていると思った。

やり方を変えないと吐かないな。ぼくはアニエスさんの手を取って言った。

 

「・・・これまでありがとう、母さん。ぼくが生まれたときからずっと見守って

 いてくれて・・・そして数えきれないほど助けてくれて。これからはこうして

 普通に接することができるから・・・今度母さんの手料理が食べたいな」

 

「・・・・・・キーストン・・・!いま・・・確かに私のことを・・・」

 

「ところで母さん、ぼくは大半の呪文や特技をもう使えないけれどいまだに少しだけ

 使えるものもある。母さんも力は完全になくなったわけじゃないんだよね?

 短い時間大雨を降らせる、それくらいならできるんじゃないのかな?」

 

「ええ、多くの力はあなたが魔王を倒したときに失われたけれどもほんの僅か、

 私は力を残されたまま人間に戻って・・・・・・」

 

しまった、という顔をしていた。やっぱりぼくの母親だ。隠し事はできないタイプの

人間だ。シャークアイもあれほどの大物でありながらどこか抜けているところがあると

皆が言う。いつもマリベルに怒られていたぼくみたいに、何かをうまくやろうとしても

完璧にはできない不器用さが悲しいぼくの父親だ。ぼくには二組の両親がいる、

それでいいと割り切るようになれたのも最近のことだ。幸いなことに漁師の家と

海賊船の夫婦の仲は良好だ。ならぼくがそれを乱す必要はちっともないじゃないか。

 

 

「・・・いまあなたと別れたらもう二度と会えなくなるような・・・そんな不安が

 ありました。こんな平穏な世の中だというのに変な話ですが、それでも私は

 我慢できませんでした。キーストン、あなたは何か感じていませんか?」

 

これは驚いた。話し方が今だけ水の精霊のものに戻っていたこともそうだけどそれ以上にぼくが抱いていた悪い予感と同じものを持っていたなんて。こうなるとやはりぼくに

何かが起きる可能性は極めて高くなった。今日これからぼくは死ぬか、どこかへと

いなくなる。そうか、仲間たちだけでなくこの人たちともお別れになるんだ。

 

「さあ・・・たとえ平和でも足を滑らせて死ぬ確率は争いに満ちた世界と変わりません。

 嫌なものを感じたというのなら・・・喜んで足止めさせられますよ」

 

「ふふふ、足止めはしないわ。私たちもいっしょにこの船ごとあなたの村へと行くだけ。

 その間は私のつくったお菓子でも食べて・・・たくさんお話をしましょう」

 

 

かつて古代の人々は、雨は水の精霊が天で織っていた絹の糸だという言い伝えを

信じていた。地上の人々への恵みとして雨を与え、作物が育って飲む水に困らず、

命を守ってくれていると書かれていた書物を過去の世界で見つけたことがある。

 

シャークアイが魔王の軍に敗れた日、コスタールどころか全世界がひどい大雨に

襲われたという。そしていま、愛する我が子と二度目の別れが迫っていることを

嘆いたのか、冷たい雨が激しく降っていた。海賊船が村に到着するころには

止むだろうけど、ぼくがいなくなった後もう一回こんな雨が降るかもしれない。

雨は水の精霊の涙。愛する者を失った精霊の悲しい涙だった。

 

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