雲間からときおり月が覗き、白い光を降り注ぐ。
静まった竹藪の中に、屋敷が照らされた。
丹念に作られたであろう、しっかりとした作り。
だがあちこちに空いた大穴とその繕いが見目をみすぼらしくしてしまっている。
その隙間から漏れる月明かりと、灯火に照らされながら少女はため息をついた。
「やっぱり遅いなぁ、先生」
夕食を作ったものの、職人と先生に出す具合がつかめないのだ。
話のあと、弾き手は仕事があると言って屋敷を離れた。
依頼を受けるなり、二人は泊まり込むことに決め、そして情報収集に向かったのだ。
少女は下手人の当てが無いかと竹藪を見たものの、あまりにも広大で手が足りない。
ほうほうに手を伸ばしたあげく収穫は無いと来た。
そして先生は情報が無いかと町へと向かった。
あちらもすぐには終わるとはいかないだろう。だが夜に帰ってくるとはいったのだ。
ならば遅くなるだけでしっかり帰ってくるはず。
それでは眠りについている職人のほうはどうだろうか。
きっと、まだぐっすり眠っている。
ああも大きい隈をつくっているのだ。どれ程まともに寝ていないことか。
────呼んだほうがいいのでしょうか
様子を見てみよう、と思い立った。
「あら……」
廊下の先、わずかに開いたふすまから光が漏れている。
そこから、コツコツと叩く物音。
「職人さん……?」
そっと覗いてみれば、明かりのもとで職人が作業をしていた。歪んだ輪にした板に、軸を取り付けている。
うまい具合にいったのか、満足げに頷いているのを見た。
「寝るって言ってたのに……」
横を向いたさいに見えた顔は真剣であり、怯えていた様子は微塵も見えなかった。
きっと、職人というのはああいった人のことを言うのでしょう。
不調の時も、己が手掛けることをやめない、諦めない人。
「先生もちょっとはあんなふうになってくれないかしら」
次の作業に取りかかろうとするのを横目に、少女は立ち去る。
私も仕事をしなきゃね、そう意気込みながら見回りを再開して。
背にしたふすまが轟音と共に吹き飛んだ。
「ええっ、うそ!」
舞い散る木材から身を守りながら、少女は叫ぶ。
「どこから来たって言うのよ!」
ためらうことなく飛び込んだ。
◆ ◇ ◆
埃だろうか、粉塵が舞う。
明かりが消えてしまったのか、部屋は暗く、先も見えない。
それでもすぐに職人の姿は見つかった。
壊れた壁のそばで這いつくばっていたのだ。
どこかから拾った布切れで頭をかばいながら、隈の残る顔を覗かせた。
「無事ですか!?」
「ありがとう……どうにかね」
「とにかくここから────だめっ!」
少女のどこにそんな力があるのか、職人は軽々と引っ張られ宙に浮いた。
襟首を捕まれ食い込む首に抗議の声をあげようとして。
粉塵切り裂く一撃が目前に突き刺さる光景に、飲み込むしかなかった。
そのまま、廊下へと放り投げられる。
「ぅぐあっ、たた……」
「はやく走って!」
「あ、ああ!」
粉塵の向こうで職人が逃げていくのをどうにか見て、ひとまず息をつく。
──あとはこいつをどうにかするだけ!
足元に転がった木片を目の前にいる何かへ投げつける。
木片は何かに当たるが、跳ねることもなく通りすぎた。
「あら……あんたはこっち!」
叫びながら飛び退くと、重い一撃が床に沈む。
「おっそ────っ!」
言葉は続かない。
巻き上がる粉塵が大木のように太い何かが迫ってくる様子を浮かび上がらせた。
影の腕だ。
横凪ぎに殴られ、まっすぐ壁に叩きつけられた。
「ぐ、があ……」
息がつまる。足が震える。背中が悲鳴をあげている。
仰向けに転がった少女は、ぶれる視界に大きな影が近づいてくるのを見た。
先ほどまでの手の早さはどこにいったのか、見つめるように動かない。
まるで観察でもしているかのようだ。
────案外、しつこいわね……
さて、どうしようか。
ぴったりつかれたこの状況。まさしく蛇ににらまれた蛙だ。
動けばすぐさま飛びかかってくるだろう。
時間を稼げる分、こちらとしては好都合なのだが。
じっと待つのは得意なのだから、
ふと、気づいた。
───鼻が……かゆい!
少しずつ粉塵の霧が晴れてきている。
誰も動かず、舞い上がらせることが無いのだから当然だ。
となると粉塵が下へ落ち、降り積もっていく。
当然、少女にも。
普段ならとるに足らない些細なことである。
だが、相手の目前で息を潜めるこの状況。
ブルブルとふるえながら息をのみ、必死にこらえる。
すぐに、決壊した。
そのとき、三つの動きが起きた。
少女は大きなくしゃみをした。
影は腕を少女へ振るった。
一陣の風が部屋を吹き抜けた。
突風に、影はビクリと動きを止める。
少女は目の前で止まった腕に肝を冷やしながら、周囲を見る。
風が吹いたのは破れた戸のほう。そこには着流しの男が立っていた。
──先生!
声をあげようとした少女に、人差し指を口にそっと当てた先生は腕を振る。
その手に持つ扇子を掲げて、勢いよく閉じた。
時が止まったかのように風が止む。
静まり返った空間に、竹が割れたような音が大きく響いた。
「────!」
影は飛び上がったかと思うと、濁った奇妙な悲鳴とともに飛び出していく。
先生に背を向け、壁もぶち破って逃げ出した。
その姿に先ほどまでの余裕は無い。まるで怯えているようである。
「あ、あれ……?」
「何で首かしげるんです!?」
首をひねる先生をよそに、少女も外へ飛び出した。
だが、影は巨体に身合わない身軽さで、竹藪へと身を踊らせていた。
生い茂る葉をかき分ける音だけが聞こえる。
どれだけすばしっこいのか、音はあっという間に遠ざかっていく。
「待ちなさい!」
少女は叫び、腰をおとして力をいれる。
月明かりに照らされた足がにわかに青白く光る。
影をにらむ少女が飛び出そうとしたその時、抑えるように、肩に手が置かれた。
いつのまにか追い付いた先生である。
「────私が」
どこに持っていたのか、背丈ばかりの長弓を構え、矢をつがえる。
「─────」
なにかを呟くと共に、弓を放つ。
まっすぐ放たれた矢は竹藪へと消えていった。
すぐに闇夜に悲鳴が響きわたる。
「追いかけます!」
「だめ」
飛び出そうとする少女の肩を先生は押さえ込む。
今度は両肩を掴み、押さえつけるようにだ。
「なんでです!」
「足、きてるでしょ」
──え、と。
少女はようやく、自身の足が震えていることに気づいた。
生まれたての小鹿、とはまさしくこのことだろう。
「───っはぁっ」
「はい、お疲れさま」
崩れ落ちた少女を支え、抱えあげた。
顔は青ざめ、足も未だに震えている。
その足をそっと撫でると震えは収まり、少女の顔も、落ち着きを見せる。
穏やかな寝息が聞こえたことに、先生は満足げに頷いた。
「……い、いまのは行ったかい?」
声をかけてきたのは、職人だ。
近くの部屋から、うかがうように顔だけ出している。
「ああ、ご無事でしたか。ひとまずは去ってくれましたよ」
「そ、そうかい」
安堵した職人は、ぐったりと抱えられた少女に気づいた。
「ちょっと、その子は……大丈夫なのかい!」
「なあに、疲れただけですよ。寝てればすぐに元気になります」
「そうか……無事で良かった」
大きなため息を吐いて、廊下へ倒れ込んだ。
少女のことをどれ程気にかけていたことか。
先生も、口許が緩んでしまう。
「食事はまだでしょう。この子が用意してくれました」
「ん?その子がかい?」
意外そうに、見つめた。
「ええ。けっこう良い腕してますよ」
「ああ、そうか……じゃあ、頂こう」
職人は首をかしげ、しばし辺りを見回していた。
「来てないのか……?」