僕が好きなキャラへの愛を、出来る限り詰めて文字にしました。

1 / 1
ただいまとさようなら。

部活仲間とY字路で別れ、帰路に着いた。

シューズを入れたナップサックを、ポンポンと蹴りながら足早に歩く。

部活を終えた後の下校は決まって空は真っ黒だ。点々と並ぶ街灯を縁にしながら、俺は急かされるようにして家へと急ぐ。

オンボロアパートの骨組みが剥き出しの階段はよく音が響く。

カツン、カツンと。俺が階段を昇る音が、周囲の静まり返ったアパートの壁に反響した。

「いけない…」

誰に言うでも無く一人つぶやきながら、俺は慌てて音が出ないように忍び足で階段を昇る。また音が煩いと、苦情が来たらたまらない。

3階まで上がると、そこから我が家の部屋が見えてくる。

部屋の窓からは光が溢れていた。既に誰か帰ってきているらしい。

バックから鍵を取り出して、半回転回す。

「ただいま」

「おかえりなさい」

帰ってきていたのは、母さんだった。

どうやら料理をしているらしい。母は顔を見せず、声だけで返事をする。

「今日、早かったんだ」

「そうね。早く上がらせてもらったから、帰ってきちゃった」

「ふうん」

とりとめのない会話をしながら、俺は洗濯機に汗と埃にまみれた体操着を投げる。

「早めに帰ってこれたなら、少しゆっくりしてれば良かったろ」

「そうもいかないわよ。普段は家事の事を息子に任せっきりだもの。たまにはここで母親らしい事をしなくちゃね」

「あのな、だから前も言ったろ。俺が部活をやらせてもらってるんだから、せめて家事全般くらいは俺が受け持つって」

我が家の財政状況は非常に厳しい。本来であれば俺は部活に行っている時間があるのなら、バイトの一つでもして家計の助けとなるべきなのだが、両親は俺が自分のやりたい事をやる事を許してくれた。

ならばせめてもと、普段の洗濯や掃除、料理達などはすべて俺が受け持つことにしたのだ。

「だから、言ってるでしょ。これは私がやりたくてやってる息抜きみたいなものなんだから、気にする必要無いって」

俺が文句を言うと、母はこう返す。これもまた、いつもの会話だ。

せめてもの反抗に、母の手の届かない所でやれやれと首をすくめていると、今度は玄関でガタガタと音がした。

おそらく父親が帰ってきたのだろう。

俺が閉めた扉の鍵が、今度はまたガチャリと半回転。人の帰りにあわせて螺旋を描く。

そして扉が開くと、やはり予想通り、うだつの上がらない顔つきをした父が入ってきた。

「ただいまー」

「あかえり、父さん」

「おかえりなさい」

玄関に立っていた俺が出迎える形になり、リビングの奥から母もまた声を返す。

そして父は少しだけ顔を和らげて

 

「ああ、ただいま。巴」

 

と俺の名を呼んだのだった。

 

 

俺は、臙条巴は、真っ暗な空間で、映写機からスクリーンに映し出されるホームビデオを見せられていた。

何気ない日常。少しだけ金銭的に難がある家族の、なんて事のない一コマの様子。

「…で、俺にはこうなる可能性があったって、あんたは言いたい訳だ」

「その通りだ」

俺が言葉をかけると、俺の隣に置いてある映写機の、その更に隣で立っていた男が返事をした。

カチリと男が映写機のボタンを押すと、ソレはすぐに空回りをし、何も映さなくなる。

カラカラカラと歯車が回る音だけが響く中、その男はゆっくりとした動きで、先程まで日常を写していたスクリーンの前に立った。

その男は異様な姿をしていた。

長髪の結ってある白髪に、王族が着るような豪奢な洋装。

浅黒い肌には眼に映る全てに黒い刺青が彫ってあり、何か呪術的な素養を感じさせる。

そして何より目を引くのは、その両手の10の指全てに付けられた指輪だった。

「正確に言えば、並行世界のあり得る可能性を手繰り寄せたに過ぎない。

だが、臙条巴という男には、たしかにこういった可能性が存在した」

男は感情を感じさせない尊大な物言いで、滔々と言葉を重ねる。

「どちらにせよ、我々は人理を再編する。この決定事項は変えようもない。

人類史は2016年を持って全て1からやり直し、無かったことになる」

男の異様は、明らかに尋常のそれではない。だが、何よりもその異質さを不自然に感じさせない強烈な雰囲気の様なものが男にはあった。

ともすれば、あの荒耶宗蓮以上の物を感じさせる『何か』が。

「だが、臙条巴」

名前を呼ばれ、男の顔を真っ直ぐ見る。

不思議と俺は、荒耶宗蓮以上のバケモノと相対しながら、歯の付け根が合わぬほどの恐怖を感じることが無かった。

もしかしたらその男の視線が、一種の憐憫を感じさせるものだからかもしれない。

「貴様だけにはいずれ来る時まで、夢を見る権利があると、我々は裁決した」

「我々?」

「私たちは、貴様が目にしている個では無く、群体だ。72柱の魔神。

その内の38柱が、貴様の一生を観測(み)た時に、何かしらの救いがあるべきだと判断した」

「救い…ね。それがこれって事か」

俺はさっきまで観せられていた、魅せられていた情景を思い出す。

決して楽な生活では無いのだろう。他の家族との格差に、劣等感で苦しむ事だってあったはずだ。

だけど、あの映写機の中の臙条巴は、確かに、家族だった。

「そうだ。貴様が望むのであれば、人理再編のその時まで、このあり得た可能性に潜ることを許そう」

男はそう言いながら、ゆっくりと俺の周囲を回るようにして歩き始める。

「貴様の魂は、荒耶宗蓮に消されたその時から既に消滅へと向かおうとしている。

もともとが貴様は存在しないものだ。故に魂も肉体の消滅と共に消滅する事になる」

そうだ。俺は臙条巴だが臙条巴では無い。結局の所は荒耶がこしらえた実験の為の人形でしかない。

「だが、そのようなバッドエンドを、我々は許容しない。そのような死を許容しない。

臙条巴であり臙条巴ではない何者か。貴様には、確かな救いがあるべきだ。

平凡な家庭こそが貴様の望む幸福ならば、せめてこの編纂事象が終わるその時まで、我々はそれを提供しよう」

男はそう言ってぐるりと俺の周りを一周回ると、再び俺の目の前でピタリと止まって右を指差す。

釣られてそちらに目を向けると、そこには真っ暗な空間に先程までスクリーンに映っていたアパートの扉がぼんやりと浮かんでいた。

「その扉を開ければ、貴様は臙条巴に似せた何かでは無く、臙条巴にあり得た可能性の一つとして人理再編までのひと時を過ごす事になる。さあ、」

男はその先の言葉は言わない。言うまでもないだろうとばかりに、今度は俺の右手を指差す。

すると、握りこぶしを作っていた右手の中にふと違和感を感じた。開けてみれば、そこにはいつのまにか一つの鍵が入っている。

この鍵を使ってあの扉を開けろ、と言いたいのだろう。

俺はその鍵をまじまじと見つめた後、右手に浮かび上がった扉を見て、そして目の前で憐憫の眼差しを浮かべて手を差し出す男を見た。

「…そうか。あんた、優しいんだな」

本能で荒耶以上の怪物だと感じながら、目の前の男に恐怖を感じない理由がはっきりとした。

この男は、俺を救いたいと思っているのだ。確かにこれ以上ない程の救いなのだろう。

あの小川ハイムでしか存在する事を許されなかった俺に、臙条巴として生活をする夢を見せてくれるという。

あまりにも魅力的な誘惑。この男の目をみれば、そこに何かしらの貶める意図などないことがわかる。

 

ならば、俺はーーー。

「ーーー断る。俺は要らない、そんな物」

はっきりと拒絶した。

「な、に?」

男は伸ばした手をそっと引っ込める。表情こそ変わらないが、俺にはこの男が拒絶されて傷ついたように見えた。

「何故だ。この夢は貴様がなによりも望んだものだ。

その可能性を選んで用意した。それを何故拒む」

「だって、この夢に溺れたら、今の俺がいなくなっちまうだろ?それは駄目だ」

そうだ。例えこの体が偽りであったとしても、それだけは譲れない。俺が臙条巴であったとしても無かったとしても、俺はここにいる。

「惜しくは無いのか?」

「惜しく無いさ」

男の質問に、俺は間髪入れずに答える。勿論強がりだ。

俺が望む事さえ出来なかった家庭の形。

その可能性をまざまざと見せつけられて、その中に自分が入れたのかと思うと。ただの家族であれたのかと思うと、悔しくて涙が出る。

だけど、例え頬を涙が伝っても、俺はきっぱりと拒絶する。

「---だって、両儀の事が好きな俺は、ここにしかいないんだから」

「……」

言った瞬間、安いぼろアパートの扉の横にもう一つ、アンティーク調の木製の扉が現れる。大きめのベルがついたそれは、どうやら喫茶店の扉の様だ。

「そうだ…待ち合わせをしてたんだ」

俺は、その扉を見て思い出す。待ち合わせをしていたのなら、向かわなければならない。

そう思うといてもたっても居られなくなり、頬を伝う涙をぐいと袖で拭いて席を立つ。

「悪いな。せっかく俺の為に用意してくれたのに。でも俺はやっぱり、こっちに行くよ」

最後に男に声を掛けると、男は納得がいかないと声をあげる。

「…やはり、貴様ら人間はわからん。何故、我らが用意した救いの手を取らない。

その先には破滅しかないのだ!貴様はもう存在する事が出来ないのだぞ!だというのに!!」

「あるよ、存在はしてるさ。俺の気持ちはずっとここに。

俺が死んで、いなくなったとしても。俺を覚えている奴がいるんだ」

「……っ」

「それならきっと、無価値なんかじゃない」

男は押し黙る。呆れて物が言えないのか、絶句して二の句が継げないのかわからないが、とにかく俺の邪魔をするつもりはもう無いらしい。

迷いのない足取りで喫茶店の扉まで歩き、のぶを回す。扉を開く前に、少しだけとなりの扉に視線を移す。そして、

「…さようなら」

そう言葉を一つ吐き出して、俺は喫茶店の扉を開いた。

 

 

暗闇に一人残された男は、魔神王ゲーティアは、一人苦悩する。

人間というものはどれ程に愚かなのか。目に見える安寧の幸福を捨て、死というバッドエンドへと向かう。

ゲーティアには、その行為の何もかもが許せなかった。

どの様な形であれ、人が死を迎える以上全ては無意味になる。だというのに、人はそこに意味を見出して、一人で勝手に満足する。

あまりにも愚かしい。魔術の神秘から放たれ、物理的な考えが根付く現代でさえ、人はその様な妄想に縛られている。

それは謂わば、魔神柱の行おうとしている偉業の完全否定とも言えた。

ギリッと歯噛みする。

だが、何より許せなかったのは、臙条巴の言に対して、自分が何も言い返せなかった事だった。

あの時あの瞬間、確かに魔神王はただ一人の少年に、言葉を返す事が出来なかったのだ。

うんざりだ。

うんざりだ。

うんざりだ。

やはり、人間には付き合いきれない。

ゲーティアは改めてそう思い直す。そして、先程までの感傷は全て考えない様にした。

ゲーティア達の行う偉業には、この様な余分は不要であると。

 

 

ゲーティアがあの時、臙条巴に対して何故何も言い返せなかったのか。

彼がその理由を知るのは、これよりまた、後の話だ。



▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。

評価する
※目安 0:10の真逆 5:普通 10:(このサイトで)これ以上素晴らしい作品とは出会えない。
※評価値0,10についてはそれぞれ11個以上は投票できません。
評価する前に 評価する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。