水底に沈むわたしを、長き眠りについたわたしを、見知らぬ誰かが引き上ようとしている。
でもそれは、わたしの望んだ事ではない。
ない、と思う、多分。
あの時の最後の被弾は、機関部に浸水を許し進む事さえ叶わなくなったわたしへの、砲撃処分だった。鋼で出来たわたしの船体[カラダ]も、抱えた魚雷が爆発すれば、流石に真っ二つに割れる。だから、わたしは二つに引き千切れて、この水底に折り重なる様に横たわっていた。
これだけ派手に千切れていれば、濁流となって入り込んだ海水は内側から艤装をも砕く。
それでもいつしか鋼鉄の装甲さえも錆びて、痛みも感じなくなった。
勿論、誰の事も恨んでなどいない。護り抜けなかった、それだけが心残りと言えば、心残りだったが。
共に沈んだ死せる御霊たちが、揺蕩う海面の向こうへと帰って行っても、わたしには、この重い鋼鉄の体を引き上げる事など出来はしなかった。
だけれど、わたしはそれでも良かった。
時だけが、ゆっくりと過ぎてゆく。
暗い、水底。
冷たく、音もなく。
遥か頭上の海面だけが、仄かな煌めきを揺らめかせている。
やがて、まるで岩が長き月日を経て苔むす様に、かつては毎日々々磨かれていた甲板を、無数の海藻やイソギンチャクたちが覆い、数多の砲撃を受け穴だらけの体は小さき魚たちの安住の住処となる。
朽ちたわたしにも穏やかな、そんな役目があるのだと、やっとそう思える様になった。
それなのに。
今更、何故?
ゴホッ、と苦しそうに咽ると、少女の口から水が飛び散った。
不思議な事に、彼女が創られた培養槽を満たす輝く様な培養液ではなく、それは潮の香りのする水だった。これまでのホムンクルスでは、なかった現象だ。
培養槽から半身を起こした少女の髪は、かの魔女と同じく漆黒だった。培養液を滴らせて、これも、あの魔女と同様に、腰よりも長い。これまで、魔力の満たす輝く培養液に隠され、確認する事が出来なかった。だが、もしや万が一にも、誤って魔女を創ってしまったのなら・・・、直ぐにこの場で殺さなければならない。
さもなくば、国が亡びる。
少しだけ、滅びの時が早まるだけなのかもしれないが、それでも意図しない創造など、魔術士にとっては恥でしかない。
俺は上着の懐の中で、左手の親指を中指の雷撃の指輪に触れさせる。たとえ魔女であろうと、生み出されて直ぐに力を揮える訳ではあるまい。あの培養液は可燃性であると同時に導電性で、指輪の放つ雷撃を余すことなく彼女の華奢な体へと伝える事が出来る。故に半身を培養槽に横たえた少女の体を、身動きも出来ぬままに瞬く間に焼き尽くす事が出来るだろう。そう、たとえば、火加減を誤って焼き魚を焦がすがごとく、少女の全身を炭の塊に変える事も出来るはずだ。
魔術士がホムンクルスを生み出す意図は、主に二つ。
魂を持たぬ純粋なホムンクルスは、それを鋳つぶし賢者の石の材料となる。
知らぬ者は唯無暗にあらゆる鉱物を精製して賢者の石を成さんとするが、それでは到底足らぬ事は長き錬金術の歴史が証明している。唯一、高純度の四大元素にホムンクルスの体を加えた場合のみ、賢者の石を生成する事が可能となる。
そして、ホムンクルスのもう一つの目的は、その器に魂を宿す事。
契約して使役する使い魔を創生する事もあれば、神の一時的な依り代に捧げる事もある。
唯、どれ程頑丈に作ろうと、神の魂を長く宿す事は難しい。精々、一言二言の貴重な予言を告げさせ、それだけでも造られた体は四散して果てる。
それが、魔術士がホムンクルスを創る理由。
普通の魔術士、ならば。
だが俺は魔術士でありながらも到底、魔術士とは言えない。
何故なら俺にはこの「世界」、今まさに海の魔族に滅ぼされ掛けているこの「世界」に生まれる前の、薄っすらとだが別の「世界」の記憶があるのだから。
そこで俺は魔術士などではなく、「提督」と呼ばれていた。
そして「提督」の役目は、海に住む魔女と魔物を殺す事だった。
少女がゆっくりと、顔を上げる。
少し眠たげに俺を見詰める瞳も、あの魔女の瞳と同じく真紅に染まっている。
背筋を、冷たい汗が伝う。やはり、失敗か?
精霊の祝福を受けながらも心を闇に染め、魔族に堕ちるのか?
今、殺さなければ、俺が殺される。
だが、この少女は・・・。
ゆっくりと、少女の瞳に力が宿る。
同時に少女の体は光に包まれ、俺は思わず右腕で自分の視野を隠した。
やがて輝きが和らぎ右手を下すと、目前に俺を睨みつける少女がいた。
多分、前世ではセーラー服と呼んでいた装束に身を包み、腕組みをして俺を見上げる様に立つ姿は、小柄なその体からは想像も出来ない、途轍もない重圧を放っている。
胸元で結ばれた黄色のネッカチーフ。濡れ羽色の髪に結ばれた、その瞳と同じ真紅のリボン。
少女の放つ桁違いの威圧感に、無意識に後ろに引きそうになるが、そうもいくまい。
「問おう。お前は、何者だ? まさか意思を持たぬ、唯の器という訳ではあるまい? 我が問いを理解出来るならば、答えよ。お前は、・・・誰[・]だ?」
少女は口角を上げ、口を開いた。
「陽炎型駆逐艦十二番艦、磯風だ。・・・この磯風に何か用か?」
それが俺と艦娘の、磯風との出会いだった。