カースト上位の腐女子な彼女   作:颯月 凛珠。

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彼女の姿と、腐った思考。

 人は出会いと別れを繰り返す。泣いて別れを惜しむ人もいれば、笑顔で出会いを迎える人もいる。

 

 それが一番多いのはこの春という季節だ。花々は綺麗に咲き誇り、その下で新入生達が友達や親と写真を撮っている。もちろん、皆満面の笑みをたたえている。

 

「さーて、今年は可愛い子沢山いるかなぁ?」

 

 ──そんな新入生達を、下卑た目で見る輩が一人。

 

「海斗……。お前はどうしてそんな考えしかできないんだ」

 

 俺は、わざとらしく大きなため息を吐いてから、隣の輩──伊崎海斗に向き直る。

 

 海斗とは小学校低学年からの付き合いで、当時からかわいい女の子に目がないやつだった。それが今現在、高校二年生に突入しても全く変わってはいなかった。

 

「逆に聞こう、なぜカズはそういう考えができないのか、と。普通に定番行事だろう! "入学したての可愛い子探し"なんて」

 

 興奮しているのか、新入生達より明らかに頬を赤らめている。……こいつだけは春の桜じゃなく、秋の紅葉なんじゃないか? 

 

「そんな新入生が困るようなことはしねーよ」

 

 新入生から目を背けるように窓に背中を預け、そう答える。

 

「ちぇっ、つまんねーやつ」

 

 俺とは相対的に、窓から身を乗り出して新入生達に手を振る海斗。果たして、誰か反応してくれてる人はいるのだろうか。

 

「ていうか、俺さっさと帰りたいんだが……」

 

 未だに身を乗り出す海斗に向けてそう告げる。在学生は午後にある入学式のため、授業自体は午前中に終わっている。つまり、こいつが新入生を見たいと言い出さなければ、こんな時間まで残っているなんてことはなかったのだ。

 

「なんだよ。一人で帰っていれば良かっただろ」

 

 それに対して、こちらを見向きもしないで答える海斗。

 

「えぇ……一人で帰るの暇だから嫌なんだけど」

 

 海斗の方を見ながら、小声で呟く。

 それが聞こえたのか、海斗は窓から身を引いて俺に向き直ると、ヤレヤレといった感じに首を振った。

 

「お前は本当に、小学生の時から変わんねーな」

 

 いつもとは違う、どこかイタズラめいた顔をしながら俺の手を取ると、グイッと顔を近づけて耳元でそっと呟いてくる。

 

「それで? 本音はなんだ?」

 

 その声にゾクゾクと体中に何かが走る。それは、悪寒ではなく──『悦び』であった。

 俺はゴクリと喉を鳴らすと、彼に身体を預け、半自動的に口が開く。

 

「お前と一緒に帰りたかったんだよ……」

 

 そう、俺は彼のことが好きなのだ。そして──

 

「……帰って、何をするつもりだったんだ?」

 

 彼の手が俺の頬をなぞる。

 

 ──彼もまた、俺のことが好きなのだ。

 

 彼の手に、俺の手を重ねる。彼の手は春のように優しく、暖かかった。

 

「それは──」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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 ──遡ること昨日。

 

「ねぇねぇ、カズくん。今回のは中々イイ感じに書けたと思うんだけど、どうかな? どうかな!?」

 

 今まで静寂に満ちていた部屋に、異常に活気に満ち溢れた声が響き渡る。

 

「……」

 

 そう質問された俺は、彼女の顔、ディスプレイに表示されている原稿と順々に見やってから、リクライニングの背もたれに寄り掛かる。俺が見る度にパァっと明るくなるその笑顔は、普段は可愛らしいものなのだが、今ではただの嫌悪の対象でしかない。

 一応弁明しておくと、俺──笹崎和樹の現在地は学校でも無く、海斗の隣でもなく、彼女の部屋である。

 わざとらしく一つ大きく溜息をついた後、背もたれの反動を利用して椅子から立ち上がり、その勢いのまま彼女の頭に手を当てる。サラサラとした甘栗色の髪が指股に絡まり、手の甲がくすぐったい。

 チラリと彼女の顔色を伺うと、先程見た時より更に笑顔を輝かせていた。この様子だと、恐らく褒めて撫でてくれるとでも思っているのだろう。目を細めて今か今かとワクワクしているのが手に取るように分かる。

 だから俺は、彼女の期待に応えるようにそっと手に力を込める。もちろん、笑顔も忘れずに。

 

「良いわけねーだろ!? 自分がホモに仕立てあげられているストーリーを読んで、どう反応しろと!?」

 

 ──所謂、ドラゴンクローである。

 

「いたっ。えっ!? ちょっ! いたたたっ!!」

 

 可愛らしい笑顔から一転、困惑と痛みにより目を白黒させる彼女。

 

「ちょっとタンマタンマ! 今の撫でてくれる流れじゃないの!?」

「どうしてそう思えるんだ……どんだけお前の頭の中お花畑なんだよ」

 

 何故この状況で撫でられると思っていたのだろうか。呆れを通り越してむしろ尊敬の念すら覚えてしまう。

 

 ちなみに、この涙目で脳内お花畑の女の子が、この部屋の主、奈木瞳奈子。こいつとは小学生の頃からの昔馴染みであり、不本意ながら俺の彼女でもある。

 

「わ……私はカズくんと居られるだけでいつもお花畑……だよ?」

「……」

 

 彼女の頭を掴む力をさらに強める。

 

「ちょっ! 無言で力込めるのやめて! それ以上はめり込む! めり込むからぁ! 謝るから離してぇ!!」

 

 ギブギブ! と、涙目になりながら俺の腕をパシパシ叩いてくる彼女。それを見ていると、流石に少しだけ俺の良心が居た堪れなくなったので、パッとその場に離してやる。

 

 いきなり支えの無くなった彼女の身体は、たどたどしく後ろによろめくと、そのままベッドの上に崩れ落ちた。その際に、ベッドの片隅に置いてあったクマのぬいぐるみが音もなく床に落ちる。

 

「ひ、酷いよカズくん! 乙女になんて扱いするんだ!」

「その言葉、乙女の部分を彼氏に変えてそっくりそのまま返してやるよ」

 

 ぐぬぬ……と何も言い返せない様子で下から睨みつけてくる瞳奈子。

 

 黙ると可愛いのに、口を開けば残念って、ホントこいつのことを言うんだなって思った今日この頃。

 

「大体、始まり方はかなり良かったのに、なんでそこから強引にこういう展開に持っていったんだよ……」

 

 呆れた声でそう問い掛ける。彼女は、ボサボサになった茶色の髪を手櫛で整えつつ、先程の涙目はどこへやら、自信満々にすくっと立ち上ると、フフンッ! と鼻を鳴らすと、意外とある胸を張る。

 

「こういう展開が好きだからに決まってるじゃん……私が!」

「読者じゃないんかい」

 

 俺自身よく分かってないところもあるが、創作作家って読者のニーズに応えていくものだと思っていたんだが……。どうやらコイツは違うみたいだ。

 

「読んでくれる人の事とか考えないのか?」

「考えない。創作なんて自己満足なのだよ、カズくん」

「お前なぁ……」

 

 彼女は掛けてもいないメガネをクイッとあげる動作だけ見せて、ノートパソコンを閉じる。

 

「小説、もういいのか?」

「うん、いつでも書けるからね」

 

 そう言いながら、いそいそと床に落ちていたクマのぬいぐるみを抱きかかえて、ベッドに腰掛ける。彼女の腕の中に収まるそれは、俺がまだ小学生の頃に誕生日プレゼントとして渡した物で、この年になってもまだ大事にされているのは、少しだけむず痒く、どこか気恥ずかしかった。

 

「隣、いい?」

「ん、どーぞ」

 

 瞳奈子がこちらを見ることもなく返事をする。了承を得たので、俺は小さく「失礼」と声を掛けてから彼女の隣に腰掛け、制服のポケットからスマホを取り出して画面を開く。ただの気恥ずかしさからの逃避なのだが。

 

 暫くはお互いの時間がゆったりと流れた。

 

 俺は友人たちからのメッセージの返信を行い、彼女も時折スマホを眺めてはいたが、基本的にはぬいぐるみと戯れていた。その戯れの中、時折可愛らしい声で「えいやー」やら、「クマ吉」やらという単語が聞こえてきて、その愛らしさに自然と頬が緩んだ。

 

 気づいた時には、スマホから目を離して、彼女の横顔を盗み見ていた。

 

 きれいに整った目鼻立ち。それを助長するかのように曲線を描く長い睫毛。かわいらしく笑う度に窪む頬。本当、ルックスだけ見ればそこらの女優にも負けず劣らずの美貌を持っているんだなと、贔屓目無しにもそう思う。

 

 

 

 ベッドに上半身を倒す。先程まで近くにあった小さな背中が、この角度からはとても大きく感じ、シャツからうっすらと透ける下着の紐が、肩甲骨の辺りで隆起しているのが見て取れる。

 

 なんだかんだ瞳奈子の事を否定してきてしまったが、隣の少女は俺の彼女なのだ。俺の手の届くところにいて、その明るさで俺を元気づけてくれて、それでいていつも俺を慕ってくれる──大切な存在。

 

 ──そう考えていた俺は、無意識に彼女の背中に手を当てていた。

 

「……? なぁに、カズくん」

 

 不思議そうな顔をして、彼女が”クマ吉”と一緒にこちらを振り返る。彼女の純粋な瞳を見て、自分のやっていることがどこかやましいものに感じて、慌てて手を放す。

 

「いや、なんでもない」

 

 彼女にそう告げる。しかし、明らかに嘘であり、それは彼女に当然ばれていることだろう。

 

 俺が追求された時の言い訳をどうにか絞り出している間、彼女は一度ぱちくりと目を瞬かせてから、首を少しだけ傾げた後、”クマ吉”を抱きかかえながら、俺と同じように足を外に放り出して、ポスンっと後ろに倒れ掛かかってきた。

 

 彼女の顔が、文字通り目と鼻の先にある。

 

 このままあと数センチ近付けば、唇が触れ合う距離。

 

 カーテンの隙間から暖かな日の光が差し込み、二人が寝転がるベッドを明るく照らす。換気のためか、窓が少しだけ開いていて、そこから吹いてくる風にカーテンがきれいな弧を描いて靡く。

 

「ねぇ、カズくん」

 

 その光景を背景に、艶のある唇が動く。彼女から微かに伝わる吐息が俺の肌を掠める度、俺の血の巡りを加速させ、その大元の心臓が、耳元でドクンドクンと早鐘のように打ち鳴る。

 

「……なんだ?」

 

 できる限り平静を装って、返事をする。

 

 正直に言って俺はこの時期待してしまっていた。そんな雰囲気でないのは自分でも十分承知しているつもりだが、思春期の男女が部屋に二人きり、どうにもそういうこともあり得るかと、少しばかりの覚悟を胸中で決めていた。

 

「ゲームしよ!」

「……は?」

 

 ──だからこそ、彼女の唇から発せられた言葉が、あまりにも期待外れで、間の抜けた返事をしてしまった。

 

 彼女は、俺のそんな考えも露知らず、ベッドの反発を利用して「よっ!」という掛け声とともに立ち上がると、ガサゴソと棚の一番下に設置してあった赤と黒のボーダーが入った箱を漁り始める。

 

 

 

 何を考えているんだ、俺は……。

 

 

 

 そんな彼女の背中をボーッと眺めながら、自責の念を抱いでいると、彼女が「おっ!」と少しばかり嬉しそうな声を上げた。

 

「久しぶりにこれ、やらない?」

 

 彼女がお目当てのゲームを手にこちらを振り向いて、ムフーっと満足げに息を漏らす。

 

「あ、あぁ」

 

 俺はどうにも彼女を直視出来ず、満足気に吐く息を避けるかのように身を捩らせながら言葉を返す。

 

 彼女は俺の返事の度合いなどさほど気にしていないのか、巷で有名なバンドの曲を鼻歌で歌いながら、テキパキと準備を進めていた。

 

 その間に、俺が無意識にしでかした事を振り返る。

 

 簡潔に要約すると、俺は瞳奈子相手に無意識に発情していた、のだ。

 

 ……俺が、こいつに? 

 

 そう考えただけでボッと顔に熱を帯びる。それを冷ますためにブンブンと勢いよく首を横に振る。その際に布団についていた彼女の香りを思いっきり吸い込んでしまい、先程の羞恥と相まって少しだけむせ込む。

 

 いや、世間一般では恐らく彼女に発情するのは至って普通のことだ。でも俺は違う。こんな、酷くいえば悪趣味な女に発情してしまうのは些か不本意だ。俺は認めない。

 

 認めない、認めないぞ〜……と恨み言のように頭の中で唱える。

 

 自己暗示でどうにか落ち着きを取り戻した頃には、既に瞳奈子はテレビの電源をONにして、ゲーム機のコントローラーの青の方を手に持って準備万端、という風にテレビの前にペタンと座っていた。

 

「さっ、カズくん、やろー!」

 

 ……決してやましい意味に脳内変換なんてしていませんよ。

 

 流石にそこまで準備されては断れる訳もなく、「ハイハイ」と返事をしながら、彼女と同じように赤い方のコントローラーを手に持って、彼女の横に腰掛ける。

 

 ……いつまでも変なことを考えていても仕方が無い。ここは気持ちを切り替えてゲームに集中しよう。

 

 心の中でそう誓い、目の前の画面に視線を向ける。そんな俺に、彼女が思いついたかのように一言。

 

「ねぇねぇ、何か賭けしようよ。負けた方が勝った方の言うことをなんでも聞く! なんてどう?」

 

 おう、なんだお前、誘ってんのか? 気持ちの切り替え? 集中? なんですかそれ。

 

 とりあえず脳内で彼女に悪態をつく俺の中の悪魔を思考の波で一掃した後に、いつもの声音で彼女に接する。

 

「……ありきたりだな」

「その方が面白みがあるじゃん! ね? やろーよ!」

 

 瞳奈子が満面の笑みで、髪を揺らしてこちらを見る。彼女の方が座高が低いので必然的に彼女が見上げる形になり、髪の毛から香る女子特有の良い香りと相まって、どうにも魅力的に見えてしまい、反射的に少しだけ身を引いて距離を取る。

 

 どうしてこう、こいつはこんなに突発的なのだろうか。

 

 思えば彼女がボーイズラブを好きになって、小説を書き始めたのも突然のことだった。

 

 彼女曰く『なんか友達に勧められて、見てたらハマっちゃった』だ、そうで。本当、ちょろ過ぎて詐欺に合わないか不安で仕方がない。

 

 テレビの大画面に映し出されるキャラクター選択画面。彼女はその画面を食い入るように見つめて、まるで品定めをするかのように慎重にキャラクターを選んでいる。

 

 既にいつも使うキャラクターで決定していた俺は、コントローラーを布団の上において、先ほど瞳奈子が出した賭けのことについてもう一度確認を取る。

 

「負けた方が勝った方の言うことを聞く、でいいんだよな?」

「うん、そーだよ! ……何? 今更怖気づいても駄目だよ?」

「まぁ、別に怖気付くことはないんだけどさ……」

 

 最終的に「キミに決めた!」と、どこかで聞いたことがあるような掛け声と共に、ずんぐりピンクなキャラを選び、同時に嫌な笑みを惜しげもなく向けてくる瞳奈子。恐らく本気で勝ちに来るつもりなのだろう。

 

「そのお願いって、なんでも、だよな?」

「うん、なんでも、だよ」

 

 気味の悪い笑顔で言う。言質を取った俺は、ベッドに放り出しておいたコントローラーを後ろ手に回収して、ステージ選択画面でランダムへとカーソルを持っていく。そしてそのままスタートボタンを押す。

 

「でもお前、このゲームで俺に勝ったことないじゃん?」

「そんな余裕かましてられるのも今の内だよ、カズくん」

 

 ギシギシと軋むくらいコートローラーを強く握る彼女の顔は、いつになく本気だった。

 

 三つのカウントダウンの後に、ゲームが始まる。

 

 こいつの罰ゲームなんて、何をしでかすか分からない。もしかしたら、「BL小説のお手伝い」なんてやらされる可能性もある。そんなのノーマルな価値観しか持っていない俺からしたら堪ったもんじゃない。

 

 それなら、俺の威厳を保つ為にも……今日だけは本気でやってやろうじゃないか。

 

 そう思いながらいつもより手元に集中する。

 

 決して邪な命令をしようなんて、全くこれっぽっちも、天地がひっくり返っても無いのだが。

 

 傍らに置かれた"クマ吉"が、つぶらな瞳でヤレヤレといった感じに見てきている──ような気がした。

 

 こうして、俺と瞳奈子の負けられない戦いの火ぶたが切って落とされた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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 と、まぁ、これが弁当事件の事の顛末。

 

 ここまで説明すればわかると思うが、この勝負は俺の勝ちで、しかもちゃんと罰ゲームはそっち方面のことを考えていた。けれど、俺がチキンだったせいで妥協案ということで弁当を作ってほしいとお願いしたのだ。……つまり、美奈が言っていたことはあながち間違えではなく、寧ろ図星過ぎて俺の心を深く抉りとっていたのだ。ハイハイ、どうせチキンですよ~。

 

 それと、もう一つ。

 

 目の前で化粧品やら駅前のスイーツ店やら、楽しそうにガールズトークを繰り広げる瞳奈子を見る。彼女は、俺の視線に気づくとニコッと笑って胸元で小さく手を振ってきた。

 

 彼女はいわゆる『腐女子』を隠しているリア充……つまり”腐リア”なのだ。それは俺だけが知っていることであり、これから先彼女と別れない限りは誰とも共有されない事実であろう。

 

 皆に明るく、美人でスタイルも良い、正に”PERFECT WOMAN”が、実は腐女子で、クラスの男子たちであられもない妄想をしているなんて、いったい誰が想像するだろうか……。

 

「カズくん、どうだった?」

「ん? どうだったって、なにが?」

 

 目の前の瞳奈子にそう問われ、反射的に疑問を返す。彼女は話を聞いていなかった俺に対して不機嫌そうに頬を膨らませると、

 

「お弁当」

 

 と、ボソッと呟いた。あぁ、なんだ。お弁当の感想か。

 俺は一つ咳払いをしてから、彼女の目を見つめる。

 

「あぁ、凄く美味しかったよ。またいつか頼みたいくらいに」

「えへへ……お粗末さまでした」

 

 褒められたことが嬉しいのか、仄かに頬を赤くして体を左右にくねくねと揺らしていた。

 

「私、砂糖吐きそうです」

「熱々すぎてツッコむ気も起きないな……」

 

 俺たちの空気にあてられたのか、美奈と拓海が同時に溜息をつく。彼らの痛いものを見るような視線をできる限り無視しながら、弁当箱の包みを片付けて瞳奈子に返す。彼女は軽くなった弁当箱を嬉しそうに受け取ると、自分の弁当箱と一緒に鞄の中に仕舞った。

 

「んじゃ、みんな食べ終わったわけだし、解散ってことでいいな?」

 

 気を取り直してそう言うと、他の四人も「異議なーし」と返事をして、席を立つ。

 

「次の授業って確か移動教室だったよね?」

「確か……化学ですからそうですね」

「課題ってなんかあったっけ?」

「特にはないと思いましたが、確か『授業開始五分前には着席しておけ』とは言っていましたね」

「え、それって……」

 

 授業開始は十三時十五分。不安を胸に時計を見上げると、時計の長身は今にも『2』に到達しそうなところをさしていた。まったく気づいていなかったが、俺らのグループ以外の生徒たちは殆ど教室に残ってはいなかった。いや、なんで気づかなかったんだよ俺ら。

 

「ヤバっ! 早く準備しなきゃ!」

 

 優子と瞳奈子が慌てて教科書を出して、教室のドアへと向かう。一足遅れて遅れてしまった俺も、出来る限り急いで鞄から教科書とノートを探していると、悠々とした歩調で自分の席へと向かう美奈が目に入った。

 

「美奈も急がないと遅れるぞ?」

「私は教室に行く前に、先生に登校した旨を伝えてきます」

 

 俺の忠告に、彼女はスンっとした顔でそう言ってのけた。……ってことは、つまり? 

 

「私は、いつ登校しても自由ですからね~。先生に登校を伝えていない私は、まだ『お仕事中』ってことなんです」

「正当な理由があるのは羨ましいなクソ!」

 

 屈託のない笑顔で言う彼女に、怒りと焦りを込めた口調で吐き捨てる。彼女は俺に言われたことを特に気に留める様子もなく自分の机に腰かけると、時計を指差す。

 

「ほらほら、遅れちゃいますよ? 急いでくださいね……ってもう遅い気がしますが」

 

 手を振る美奈の背後で俺を見捨てるかのように、無慈悲に授業五分前の予鈴が鳴った。


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