雨をつれてくる男   作:双葉破月

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2019/07/21 加筆修正

冒頭は独白
それ以降は原作軸
柱合会議


陸 草木潤す

 耀哉がその男と出会ったのは、まだ齢五つか六つという頃だった。

 その日は雨が降っていて、耀哉は縁側に座り、ぼんやりと庭を見ていた。そうしていると、ふと、庭に見慣れないものがあることに気が付いた。庭木に隠れるように、けれど決して見つからない訳ではない所に、人が立っていた。

 青葉を思わせる真鴨色の着流しに、土器(かわらけ)色の帯を締めた剃髪の男。腰には刀を差していて、初めは鬼殺隊の隊士かと思ったが隊士の来訪があるとは聞いていない。何か特別な報告があって父に会いに来たのか、とも思ったが、それにしても雨の日に庭で待ち合わせと言うのもおかしい。

 結局、何も悪い気配はしなかったので、耀哉はその男を放っておくことにした。

 男は雨の中、じっと空を見上げている。その視線の先には、代わり映えのしない雨雲があるだけだ。どんよりとした、重苦しい、灰色の雲。紫陽花には映えるが、耀哉は、雨よりも晴れの日の方が好ましかった。

 けれど、熱心に雨雲を見つめる男を見ているうちに、なにをそんなに真剣になっているのか気になった。声を掛けようかとも思ったが、邪魔をするのも憚られ、そのまま男を観察し続けた。

 それから、どれほど時間が経っただろうか。雨はいつの間にか止んでおり、西の空は茜色に染まっていた。濡れた土の匂いが鼻を突き、耀哉は少しだけ眉間に皺を寄せる。その時だった。ずっと空を見つめていた男が、耀哉に視線を寄こしたのは。

 

 

「――――雨は、嫌いかね」

 

 

 皺だらけの顔をさらにくしゃくしゃにして、男は言った。穏やかな声だった。不思議と心が落ち着てくるようで、頭がふわふわとしてくるようにも感じた。そんな耀哉の状態を知ってか知らずか、男はさらに続けて言った。

 

 

「雨は天からの慈悲であり、罰である。君が厭えば悪となり、受け入れれば善となる。覚えておくといいだろう」

 

 

 その男とは、それきり。言葉の意味を尋ねる間もなく、たった一度の瞬きの間に、男の姿は消えていた。何とも不思議な出会いだった。

 まだしっかりと目が見えていたあの頃、あの時の情景は、今でも容易く思い出すことができる。強く、強く、脳裏に焼き付いているあの瞬間。――――新緑の色をした瞳が、確かに、耀哉を見返したのだ。

 

 

****

 

 

「よく来たね、私の可愛い剣士(こども)たち」

 

 

 右手を女児に、左手を錆兎に引かれながら、耀哉が姿を見せる。と、季節と炭治郎を除く全員が膝をついた。柱たちが一列に並び、一斉に頭を垂れる光景は圧巻にすぎた。季節は、口を開けて呆ける炭治郎の袖を引いて彼らの横に並ぶと、同様に膝をついて頭を垂れる。

 

 

「お早う、皆。今日は津衣鯉がいるから雨が降ると思っていたのだけれど、まだ降ってはいないようだね」

 

 

 炭治郎がちらりと横に視線をやると、季節からは苦笑する気配がした。

 

 

「顔ぶれが変わらないどころか、懐かしい顔が戻ってきて、半年に一度の“柱合会議”を迎えられたこと、嬉しく思うよ」

「お館様におかれましても、御壮健で何よりでございます。久しく見参に入れず、御心配をおかけいたしました。しかし、この通り回復に向かっておりますことを御報告し、合わせて、お館様の益々の御多幸を切にお祈り申し上げることと致します」

「ありがとう、津衣鯉」

 

 

 耀哉の挨拶に続き、誰よりも速く口を開いたのは季節だった。柱を差し置いての挨拶である。しかし、それは五年前まではよく見られた光景であり、柱と同等以上の実力者である季節が柱合会議に招かれ、挨拶を述べるのは何らおかしなことではなかった。

 不死川がギリギリと歯ぎしりし、甘露寺が少し気落ちする。横目で様子を窺っていた炭治郎は、鳩が豆鉄砲を食ったような顔で季節を凝視していた。すごいきちんと喋り出したぞ、とでも思っているのだろう。失礼な奴だとは思いはするが、それが炭治郎なのだからと季節はその視線を無視した。

 それから、一拍置いて不死川が口を開く。曰く、鬼を連れた隊士――つまりは炭治郎だが、それについての説明が欲しいとのことだった。話題に出された炭治郎は、今度は不死川を凝視していた。先程まで荒々しく季節に噛みついていた姿からは、全く想像ができない。知性を感じさせる様子に、目を白黒させている。

 季節は、そんな炭治郎の心境が手を取るように分かった。いくら知識として知ってはいても、実際にこの目で見るのとでは印象が違うものだ。

 

 

「そうだね、驚かせてしまってすまなかった。炭治郎と禰豆子のことは、私が容認していてね。そして、皆にも認めてほしいと思っている」

 

 

 そう言った耀哉に、柱たちはそれぞれの反応を見せる。反対する者、耀哉に従うと言う者、どちらでも良いと言う者、無言を貫く物。実に様々だ。季節は面の下で笑みを浮かべるだけで、何も言わない。炭治郎も、急なことにどうしたことかと狼狽え、耀哉と柱たち、そして腕に抱えた禰豆子が入っている箱を順繰りに見回した。

 柱たちの反応は想定の範囲内だったのだろう、耀哉は女児に手紙を読むよう促した。女児は懐から手紙を取り出し、一瞬、反対側に座る錆兎に視線を投げてから、その手紙を読み上げる。

 

 

「こちらの手紙は、()()である鱗滝左近次様から頂いたものです」

 

 

**

 

 

――――炭治郎が鬼の妹と共にあることをどうか御許しください。

 

禰豆子は強靭な精神力で、人としての理性を保っています。

 

飢餓状態であっても人を喰わず、そのまま二年以上の歳月が経過致しました。

 

俄には信じ難い状況ですが、紛れもない事実です。

 

もしも、禰豆子が人に襲い掛かった場合は、竈門炭治郎及び―――…

 

 

****

 

 

(竈門炭治郎)

 

「“鱗滝左近次、冨岡義勇、錆兎。以上四名が、腹を切ってお詫び致します”」

 

 

 一瞬、全ての音が遠くなった。じわじわと胸に沁み込んでくるくる言葉を何度も噛み締めていると、視界がふやけてくるのが分かる。お面をしている季節さんは勿論、正面にいる錆兎さんの顔も、少し離れた所にいる冨岡さんの顔も、よく見えない。ただ、優しい匂いがするのだけは、確かだ。

 

 

「それだけでは足りぬと仰せでしたら、俺も腹を切りましょう。なに、可愛い弟弟子のためです。それくらい容易い」

 

 

 くしゃり、と遠慮のない、けれど優しい手つきで頭を撫でられた。俺は、この手の感触を知っている。安らぎを与えてくれる、俺のもう一人の師――――季津さんのものだ。

 

 

「……切腹するから、何だと言うのか。死にたいなら勝手に死に腐れよ!お館様、それは何の保証にもなりはしません」

「不死川の言う通りです!人を喰い殺せば、取り返しがつかない!!殺された人は戻らない!」

 

 

 不死川さんと煉獄さんの言い分は尤もだ。俺だって、当事者ではなくて第三者としてこの場にいたのなら、二人の発言に同意しただろう。けれど、俺は当事者だ。俺と、禰豆子のために腹を切ってくれると言う人が、四人もいる。そのことに、泣かずにはいられなかった。

 

 

****

 

 

「確かにそうだね。手紙だけでは、人を襲わないという保証も証明もできない。事実だとしても、心許ない。ただ……人を襲う、ということもまた、証明ができない」

 

 

 不死川や煉獄の言葉は正しいし、耀哉の言うことも道理である。

 禰豆子が二年以上もの間、人を喰わずにいるという事実がある。そして、その禰豆子の今後の行動に、五人の者の命が懸けられている。これを否定するには、否定する側もそれ相応、もしくはそれ以上のものを差し出す必要があるだろう。そう言う耀哉に、不死川も、煉獄も、口を閉ざすしかなかった。

 

 

「それに、炭治郎は鬼舞辻と遭遇している」

 

 

 耀哉のその言葉に、柱たちは炭治郎に詰め寄り矢継ぎ早に問いかけはじめた。見かねた季節が炭治郎を背に庇うのと、耀哉が彼らを静めたのはほぼ同時。ピタッと会話が止むと、耀哉は続けて言う。

 

 

「鬼舞辻はね、炭治郎に追手を放っているんだよ。その理由は単なる口封じかもしれないが、私は初めて鬼舞辻が見せた尻尾を、掴んで離したくない。恐らくは禰豆子にも、鬼舞辻にとって予想外の何かが起きているのだと思うんだ。分かってくれるかな?」

 

 

 耀哉の話が終わると、皆、何も言うことはなかった。ただ一人、不死川だけは、口端から血が滲むほど噛み締め、忌々しげに吐き捨てる。

 

 

「わかりません、お館様。人間ならば生かしておいてもいいが、鬼は駄目です。それに、身内が鬼となったと言うのなら、季節もそうだ。その季節は自らの手で身内(おに)を殺すと公言しているのに、どうしてこの餓鬼が連れている鬼は生かせと…?ふざけてる、承知できるわけがねェ!!」

 

 

 そう言うや否や刀を抜き放ち、その勢いのまま自身の右腕を斬り裂く――――斬り裂こうとした。玉砂利の上に血が飛び散る。けれど、斬り裂かれたのは不死川の腕ではない。刀身は不死川の腕を斬り裂く前に、季節の腕の肉に深く切り込まれていた。見るからに深手、下手をすれば片手が落ちていてもおかしくはなかった。

 

 

「……何のつもりだ季節ィィ!」

 

 

 激情露わに刀を振り上げた不死川の手から刀を抜き取り、足払いを掛けて庭に転がす。保険の意味も込めて、鳩尾に拳を一つおまけしておく。そして、炭治郎の手から箱を取り上げ、耀哉に向かって失礼と声を掛けてから屋敷に上がった。

 縁側から離れた、屋敷の奥。日の当たらない場所で、季節は箱の上で更に不死川から奪った刀を振り上げた。炭治郎と甘露寺が悲鳴に似た声を挙げ、他の者たちは息を呑む。

 

 

「不死川、君の気持は良くわかる。ただ、前提が間違っているんだ。俺の母は人を喰うことを厭い、戸惑ったが、結局は我慢をしなかった。けれど、禰豆子は違う。この子は――――()()()()()()()()()()()()()()()()()()だ」

 

 

 鮮血が舞う。同じことをやろうとしていた不死川でさえ、季節の行動に度肝を抜かれていた。


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