ディズィーの素敵な冒険   作:オンドゥル大使

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ACT18「こどものしま」

「ねぇ、ディズィーちゃん。幸運と幸福の違いって分かるかなぁ」

 切り出したルチアにディズィーは大衆料理屋でうどんを啜る。

 ルチアも自分も一応は有名人。帽子とサングラスという定番で固めていたが、ルチアの漏らしたその言葉にディズィーは胡乱そうに尋ね返す。

「何それ。悪いけれどオイラ、宗教は……」

「ああっ、違ってさ。ほら、例えばディズィーちゃん、今いくら持ってる?」

 ディズィーはルチアの呆然とした眼差しに、まさかと声を潜めた。

「……あの、さ。ルチアまさか、危ないクスリでも……」

「やってないってば! もうっ、アイドルになんて事言うの!」

 憤慨するルチアにディズィーは諌めた。

「ゴメンってば。でも変な事言うからさ」

「ああ、うん……。幸福と幸運の違いってさ、ディズィーちゃん分かる?」

「さぁね。ハッピーとラッキーの違いでしょ」

 うどんを啜るとうぅんとルチアは呻った。

「やっぱり、その程度なのかなぁ。他人から見て、幸運だとか幸福だとか、そういうのって尺度がはかれないのかなぁ」

「……ルチア。宗教なんてやめときなよ」

「だから違うって! 宗教とかじゃなくって……。その、さ。この間アローラ一周の旅のロケに出たじゃん」

「ああ、言っていたね。人間用のチョコレート味のポケマメはおいしかったけれど」

「その旅の途中でさ。変な島に立ち寄ったんだよね」

「変な島?」

 ルチアは表情を翳らせている。言葉にするか迷っているようであった。

「誰かに言うのがルチアのためになるんなら、聞くけれど」

「ホント? いや、自分でも変かなって思うんだけれど……。これはアローラ南西の島で、本当にあった話なんだ……」

 

「ルチアさん最高ですよ! 今回の写真集、売れまくります!」

 マネージャーの言葉に上機嫌なスタッフ達が乾杯していた。アローラでの写真集撮影も終わり、二日後にはホウエンに帰る予定だ。

「何だか恋しくなっちゃうなぁ。常夏の島、アローラ……」

「ファッションも最高でしたねぇ。もっと発展途上かと思いましたけれど」

「カロスの輸入品でしょ。安く売ってるんだって」

 口々のスタッフの感想を聞きながら、ルチアは大好物のストロベリーカクテルを飲み干していた。

 それを見ていたスタッフが笑う。

「ルチアさん、これで酒豪だからなぁ」

「えへへー、全然酔ってないもんねー」

「そういや、ルチアさん。あと二日間滞在するんでしょ? だったら是非寄っていただきたい場所があるんですよ」

 ディレクターが端末に指し示したのはアローラ南西にある小さな島であった。

 元々アローラ諸島は様々な気候に恵まれた珍しい島々。カントーやジョウトで発見されたポケモンがこちらでは全く違う進化系統樹を辿っているのも珍しくはない。

「温暖地帯に属している島なんです。ここには何だか、妙な噂が付き纏って……」

 ディレクターがこちらの顔色を窺うのは撮影とは全く無縁であるからだろう。どうしてその島を紹介するのか、とルチアは訝しげであった。

「撮影はしないの?」

「月下の浜辺がとても綺麗なんで、出来れば撮影したいんですけれど……もうノルマは達成しましたし、元々旅行計画には入っていない島なんで、ルチアさんの了承がないと……」

 渋るディレクターにルチアは頷いた。

「うん、いいよー。行こう。おいしいお酒も飲めるんでしょ?」

「いや、それが……」

 ディレクターが困惑顔になる。

「辺境の島だからお店もないとか?」

「それもあるんですが……この島ではお酒を扱っていないんですよ」

 ルチアは目を丸くして聞き返す。

「そりゃまた、何で?」

 ディレクターは一拍置いた後、決心したように口にしていた。

「この島には、子供しかいないからです」

 

 子供しかいない島。

 そこまで聞かされてディズィーはサングラスの奥にある瞳を細めていた。

「胡散臭い……って思ってる」

「うん、まぁ。だってそんなの……おかしいじゃん」

「いいけれどさぁ……。半信半疑だったし」

「で、行ったの?」

 尋ねるとルチアは深刻そうに顔を曇らせた。

 

「面白そうじゃん。行こー!」

 自分の鶴の一声で決定されたロケは島と島を結ぶ連絡船の中で数人のスタッフと共に敢行された。数人のスタッフがカメラを組み立てている。

「しかし……ディレクターも急な話を降る人だよなぁ」

「子供しかいない島? また都市伝説みたいなの。……あの人元々、週刊誌の飛ばし屋だっただって」

「ああ、だから子供しかいない島?」

 くすくす笑いが交わされる中、どうしてだかディレクター本人は輪から離れていた。

 ルチアは歩み寄って尋ねてみる。

「その、ディレクターさん。面白い案件ですよね。子供しかいない島」

「ああ、そうなんですよ、ルチアさん。でもまさか乗ってくれるなんて思いもしなかったなぁ」

 どこか遠くを眺めているディレクターにルチアは小首を傾げた。

「……何か気になる事でも?」

「……有名人には聞き辛いんですが、ルチアさんは自分が幸福の側にいるか、幸運の側にいるのか、考えた事ってありますか?」

 胡乱な質問にルチアは頬を掻く。

「その……宗教とかなら」

「いえ、そうではなく。これはただの二元論なんです。幸福か、幸運か。今の自分はどっちに立っているのかって言う」

 暫しの沈黙の後、ルチアは答えていた。

「幸運、ですかね……。だってこうしてポケモンアイドルやらせてもらっているのも、ここまで何とか来られたのも全部幸運ですし……」

 ディレクターは水平線に投じた視線のまま、自分もなんです、と首肯していた。

「幸運で、ここまで来られたんです。だから、今いる場所が幸福じゃないんだって、どこかで分かっている。幸福と幸運はまったくの別物なんですよ」

 そこまで言われてもルチアにはピンと来なかった。

 島に辿り着いた頃にはスタッフ全員が浜辺のロケーションを確かめていた。

 宝石を散りばめたかのような浜辺。貝殻がそこいらに埋もれており、陽光を浴びた金の園であった。

「いやぁ、絶景だなぁ! ここなら確かに夜のロケーションは完璧そうだ」

 カメラマンが浜辺で打ち合わせをする間、ルチアは島の内部を巡る事になっていた。

 島には人の気配は薄い。

 この地特有のアローラナッシーも存在せず、針葉樹が鬱蒼と茂っていた。

「案内役の人は? 確かいたはずですけれど」

 マネージャーが首を巡らせて確かめる。ディレクターはいつの間にか、島のロケ地を押さえていた。

 スタッフ全員の居住区は小さな一戸建てだ。島の自然とまるで遊離した造りになっている。

「夜になったら浜辺で撮影を始めよう。ただし、これだけは気をつけてください」

 ディレクターは全員に念を押す。

「この島の子供には、絶対に話しかけないでください。絶対にですよ」

 誰もがその言葉を聞いているようで聞いていなかった。スタッフ達は撮影の準備で忙しい。

「にしたって、この島、誰もいないのかなぁ」

「無人島じゃないか? あれほどの自然が残っているんだし」

 交わされる言葉はどこか軽薄である。ルチアは島に来ればまずチェックしているファッションブランド巡りを考えていた。

「マネージャー。ちょっとブランド巡りしてくる」

「ああ、うん。行っておいで」

 マネージャーも慣れたもので、あらゆる地域を飛び回るルチアがどこへ行こうとお構いなしだ。見つかればその時はポケモンアイドル、ルチアの輝きでその場を乗り切ればいい。

 浜辺で貝殻を集めながらルチアは店頭を探したが、それらしいものは見つからない。

 絶好のロケーションだ。どこかに店構えくらいはあってもいいはずなのだが。

 その時、ルチアは不意に対面から歩いてくる影を見つけた。

 子供だ。

 少年なのか、少女なのか。服装と見た目だけでは判別出来ない。ゆったりとした服飾に身を包んでおり、わざと身体のラインが見えないように細工されているようであった。

 ――島の子供には話しかけてはならない。

 ディレクターの禁がすぐに脳裏に浮かんだが、ファッションブランドの店を探さなければ、結局何も進まない。

「ねぇ、そこの君。この辺りにファッションブランドのお店、あるかなぁ?」

 思えば自分は随分とラフな格好である。薄いTシャツと、ピンク色のサングラス程度で変装もしていない。

 もし自分がルチアだとばれれば厄介か、と思っていたが、子供はすっと陸地を示した。

「そっちの方向にお店があるの?」

 尋ね切る前に、子供は砂浜を陸に向けて走り出した。ルチアは慌ててその後を追う。まさか、とっておきの穴場があるのでは、と期待と焦燥が胸を占めていく中、周囲は次々と針葉樹に囲まれた自然の只中になっていた。

 気がついた時には、戻る道はおろか、行く道も不明に成り果てていた。

 子供は少し離れた場所でルチアを窺っている。最悪、子供に道を聞けばいい。その程度の認識で歩みを進めると、新緑から不意に拓けた場所に出た。白亜の洞窟の前に集っている子供達に、ルチアは息を呑む。

 誰も彼もが、同じ顔立ちだ。

 同じ目鼻に、同じ目の色。同じような格好に、背丈も全て均一――。

 三十人前後はいただろうか。

 子供だけの島、というディレクターの言葉が不意に思い起こされた時には、ルチアが戻るべき道を子供達が塞いでいた。

「なに……何のつもりなの……?」

 まさか犯罪集団か、と疑る目線を向ける。最悪の場合、ポケモンによる掃討も視野に入れていた。

 ポケットに入ったモンスターボールに手を伸ばしかけて、声が弾けた。

「みんな!」

 ルチアはぎょっとする。その声の主はディレクター本人であったからだ。

 まさか助けに来てくれたのか。そう考えていたルチアは子供達が一斉にディレクターを取り囲んだ事で目を戦慄かせた。

 ディレクターは聞いた事もない言語で子供達と話している。

 子供達はそれに応じ、ディレクターを静かに導いた。白亜の洞窟の前に歩み出たディレクターはこちらへと振り返る。

「ルチアさん。言っていませんでしたね。自分は、ここの出身なんですよ。アローラのこの島から、禁忌を犯して盗まれてきた子供なんです」

 どういう事なのか。黙りこくるしかないルチアにディレクターは首を横に振る。

「分からないかもしれません。ですが、ハッキリした事は二つ。自分はここに帰るために、今まで生きていた。そして、もう一つは、自分が幸運の側であった事です。幸運にも、この島から離れた事で、でしょうか。子供しかいないはずのこの島から出た自分は、驚くべき事に、成長しました。ここの子供達は成長もしませんし、老いる事も、ましてや死ぬ事もないんです。たった三十人前後の子供だけの場所。子供だけの楽園。彼らは……彼というのは語弊がありますが、男でもあり女でもあります。だから、ちょっと前の時代にはこの島から盗まれてきた子供もいました。自分もそうです。でも、帰る事が出来た。ようやく、帰る事が……」

 眼前で巻き起こったのは恐るべき現象であった。

 中年太りのディレクターが見る見る間に縮んで行き、子供達と同じ背丈になる。服飾だけはホウエンのテレビディレクターのまま、彼は十も二十も若返っていた。

 こちらへと向き直った彼はぺこりと一度だけお辞儀をし、白亜の洞窟へと導かれていく。

「待って……! 待ってください!」

 覚えずその背中に呼びかけていた。彼は帰ってしまうのか。この島の掟に。この楽園に。

 ならば、自分は……。

 胸に湧いた不安にディレクターだった子供は針葉樹の合間を指差す。微笑んでから、彼は聞き取れない言語で何かを口走った。

 何語かも分からないそれがその時にはどうしてだか「ありがとう」という意味だったのだと、ルチアには理解出来た。

 針葉樹の合間を脇目も振らずに駆け抜ける。

 すると三分もしないうちに浜辺へと出ていた。振り向くと、針葉樹で固められた自然の中にはどう考えても白亜の洞窟など見つけられず、途方に暮れていたルチアをスタッフが発見した。

 ディレクターの話をしようとしたが、彼らはどこか沈痛に顔を伏せていた。

「ルチアさん……。このような手紙が」

 手紙には見た事もない文字が書き記されている。その中のたった二行だけ、読み取る事が出来た。

「ルチアさん、ありがとう。私は帰ります。子供だけの楽園に」

「ディレクター、ヤバイクスリでもやっていたんですかね」

「まぁ、結構危ない橋を渡っているって言う噂だったし……」

 スタッフ達は滞りなく撮影を終えた。一度だけマネージャーが島に分け入ろうと言ったが、ルチアはそれを全力で止めた。

 ディレクターが永遠の子供であったのか、それともあの場所に帰ったから、子供に戻ったのか、それは分からない。

 ただ、この世界に分け入ってはならない禁断の領域がある事だけは確かだ。

 人智や真理を超越し、そこにはただ楽園のみが存在する。

 島を去る際、ルチアは風の中に妙な歌声を聴いていた。

 少年と少女の混在合唱のような不明瞭な歌声……。

「歌が聴こえる……」

「風が強くなってきましたね。帰りましょう」

 帰る、と言われてルチアは島を眺めていた。

「帰る……。それは、本当に帰るべき場所なのかな……。だってディレクターは……」

 

「……それが幸福と幸運の話?」

 尋ねるとルチアは静かに首肯していた。

 ディズィーは肯定も否定もせず、出汁が残った丼を見やる。

「でも……オイラはじゃあ、幸福の側かな。ここにこうして、ルチアと一緒にご飯食べてるもん」

「うん。そうだよね……そう思う。だってこうやってディズィーちゃんとご飯食べてるし」

 少なくとも今だけは幸福だ。そうお互いに考えて、うどんの汁を飲み干した。

 

 

 


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