ディズィーの素敵な冒険   作:オンドゥル大使

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ACT23「ピカチュウアレルギー」

 

「人によっては……何がダメって言うのは大きく変わってくるかと思う」

 

 ディズィーは手を払い、埃の被ったオーディオを撫でた。ここはホウエンの中でも有数の、都内のスタジオだ。

 

 しかし一か月前に親会社が倒産し、結果として連鎖的にスタジオ系列は管理会社までもが手離し、今は最新のオーディオ機器でさえも無用の長物と化している。

 

 ディズィーは今度の撮影は廃墟がいい、と言い出し、その結果としてこのスタジオを借り受ける形となった。

 

 だがほとんど借り受けたと言っても買い取ったに近い。最安値で買い叩かれたかつての栄光の音響は健在で、ディズィーは愛用のギターを繋いで微笑んだ。

 

「いい音響だ。それに、音の通りもとても素直。こんなにいい場所でも、駄目なものってのはあって」

 

 彼女が何かの拍子に不可思議な話を語り始めるのは業界では通説になっているが、自分は遭遇したのは初めてであった。ゆえに、初々しい反応だったのだろう。ディズィーはもったいぶったようにギターの弦を弾く。

 

「何なんですか? 教えてくださいよ」

 

「簡単には話せないなぁ。これって結構、プライベートな話だから」

 

 カリスマバンドであるギルティギアにはあらゆる話がついて回る。それがオカルトにせよ、ゴシップにせよ、飯のタネにする人間は数多い。

 

 唇の前で指を立てた彼女に、周囲を見渡してから自分は提言していた。

 

「誰にも言いませんし」

 

「じゃあ……まぁ、世の中にはさ、色んなダメがあるもんだよ」

 

「ダメ……ですか。それはNGとか、苦手とかいう分類の?」

 

「そう。夏がダメだったり、ホラーがダメだったりはまだ生易しいほうでさ。例えば、剥がれかけのシールの黄色くなっている部分が気持ち悪かったり、缶コーヒーのプルタブの形がどうしても人間の顔に見えちゃったりさ。そういう、特殊なダメの人の話」

 

 ディズィーは埃を払って丸椅子に座り込む。自分も、聞くスタンスに入っていた。

 

「ディズィーさんは何がダメなんですか?」

 

「オイラはシーチキン。出されれば食べるけれど、でもダメだね。昔、あれを食べて吐いちゃってから。どうしてもダメになっちゃった」

 

 意外に庶民派なのだな、と感想を胸の中に留めてから、自分の苦手も切り出してみた。

 

「僕はカラオケの閉鎖空間とか、苦手なんです。閉所恐怖症かも」

 

「それでも、人に言えるだけ、まだマシじゃん? オイラ達のダメ、は。世の中には、人には決して言えないダメを持っている人だっているんだから。そういう人の話。仮に、その人をカナさんとしよう。カナさんは二十代で、OLをしている。ちょうどその日は、ライヴ終わりでテンションも上がって来た頃合いだった。その時、事務所の一人が変わった友人がいるって言い出したんだ。その人はアレルギーを持っているって」

 

「アレルギー、ですか。ここ最近では特に言われるようになりましたね」

 

 テレビ番組でアレルギー特集が組まれるのも珍しい話でもない。それだけ一般に浸透してきた、深刻な話なのだろうとも思う。

 

「そう、アレルギーは……その個人によっては命にかかわる重大な話で……決して笑いものには出来ないんだけれど、そのカナさんのアレルギーは一回聞いた限りじゃ、嘘だぁーって笑っちゃうアレルギーだった。まぁお酒の席にはちょうどいいかもね、みたいな」

 

 自分は一拍置いてから、ディズィーに問いただす。

 

「それって何だったんですか?」

 

 彼女は少しだけ伏し目がちになって、その内情を語り始めた。

 

「……カナさんに直接会おうってなったのは、ちょっと次の歌に使えないかなって言う、下心もあったんだ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 炎天下の中でどうしても会いたい、と提言されれば自分は会わない理由もない。

 

 生憎、猛暑の影響か、カフェテラスには人は少なく、街を行く人々もどこか閑散としていて、誰も自分をディズィー本人だとは思わないようであった。

 

 新聞紙を広げ、ブラックコーヒーに口をつける。決していい味ではないが、人を待つのにはちょうどいい苦さだ。

 

「お待たせしました」

 

 そう言って会釈してきた相手にオイラは目を見開いた。

 

「あの……カナさん?」

 

「ええ、そうです」

 

 どうしてなのだろうか。外はとてつもない猛暑なのに、カナさんは厚着でサングラスもかけて、なおかつ耳にはイヤホンまでしていた。

 

 ……暑苦しいなんてもんじゃない。この人だけシンオウから来たのか? って思っちゃったよ。

 

「あの……話は聞いています。ディズィーさん……なんですよね?」

 

「ああ、うん。まぁ、あんまりおおっぴろげに言うものじゃないけれどね」

 

「ああ、すいません。その……友人が紹介してくれる、と聞いた時には、嘘だと思ったものでして」

 

 まぁ、その判断は正しい。自分でもどうして後日こうして会おうと思ったのかは不思議なくらいだ。

 

 やはり、その「体質」に興味があったからだろう。

 

「……お酒の席で聞いたよ。カナさん。あなたはアレルギーを持っているようだって」

 

「……ええ。お恥ずかしい限りで」

 

「何も恥ずべき事じゃない。アレルギーは他人によっては深刻な問題だ。それを笑うなんて事は出来ないね」

 

「……誠実な方なんですね。でも、私のアレルギーを知ったらきっと笑います。だから、お酒の席で聞かれたんでしょう?」

 

 何も言えない、とはこの事だったね。面白がれる場所だけでしか、聞けない話だったから。

 

「……ゴメン。侮辱したかもしれない」

 

「いいんです。慣れていますから。それでその……ご相談に乗っていただけるって」

 

「ああ、うん。話を……聞かせてもらえるかな?」

 

「これ、テレビとかじゃないんですよね」

 

 疑った彼女に自分は出来るだけの誠意を見せた。

 

「誤解しないで欲しいのは、あなたのそのアレルギーを誰かに面白がって話したり、それでいてネタみたいにするのは絶対にしない。あなたにとってはそれこそ死活問題なのだから」

 

「理解していただいているようで……。でも私、こんなですよ? サングラスに、イヤホン。それにこの猛暑で……」

 

「随分と暑そうだな、とは思う」

 

 彼女は首を引っ込めて恥じ入ったようであった。オイラは先を促す。

 

「ここでいいのかな?」

 

「はい。……あまり街をぶらつけませんし、ここならちょうど、目につきません」

 

 それは有名人であるオイラが、ではなく彼女の事情であった。このカフェテラスだけが、彼女の「セーフゾーン」なのだ。

 

「……でも、ちょっと意外と言うか……。だってあなたのアレルギー物質は、嫌でも見かけるし、嫌でも聞く。それこそ、ポケモンセンターに行けば絶対に」

 

「ええ。この街はそれがちょっとだけ少ないって言うだけで、安全でもありません。この世界で私の安息の場所はないのです」

 

 どこまでも非情な運命だ、とオイラは目を伏せた。だってこれを聞けば絶対に、君だってそう思うはずだ。

 

「……あなたの、その……ピカチュウアレルギーは、いつ頃からだったんですか?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ピカチュウが? アレルギー?」

 

 意外そうに尋ね返した自分にディズィーは深刻な面持ちを崩さなかった。

 

「ああ。彼女はピカチュウを目にすると……湿疹が出来たり、呼吸が乱れたり……運が悪ければ意識を失うという、そういうアレルギー体質だったんだ」

 

「見るだけで?」

 

 ディズィーは首肯する。

 

「その話振りだと……もしかして鳴き声を聞いても?」

 

 ディズィーは再び頷いた。

 

「ああ、見ても鳴き声を聞いても……、ピカチュウに関わる全ての領域で、彼女はアレルギーを受けているようであった」

 

「そんなの……」

 

「信じられない?」

 

 先んじて言葉を読み取ったディズィーはギターを撫でる。

 

「……かもね。でもカナさんはそうであった。深刻なピカチュウアレルギーだったんだ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「それは……三歳頃からだったと思います。ピカチュウの鳴き声を聞いた途端、寒気と言うか、全身の虚脱感を感じ取ったんです」

 

「それ以降は……どうやって生活を? だってピカチュウなんて……」

 

「ええ。どの企業もイメージキャラクターとして採用しておりますし、どの地域でも抜擢されている……いいイメージしかないポケモンだと思います」

 

「それが……ダメで?」

 

 カナさんは重々しく頷いた。

 

「……はい」

 

「それからずっと……そのファッションを?」

 

「……診断書を書いていただいたのはつい二年ほど前なんです。それまでは理解がなくって……。色んな人にからかわれたり……深刻ないじめを受けたりもしました……」

 

 惨い経験があったのだろう。沈痛に沈んだカナさんの言葉に、次の曲のネタにしようという気持ちはほとんど消え失せていた。

 

「……分かった。でも本当にピカチュウがダメってなると……。例えばピカチュウのモノマネとかでも……」

 

「いえ、人間の声なら平気なんです。問題なのは……」

 

「ピカチュウの肉声、か。そりゃ、どこに行っても聞くもんね……。映画の前だったり、ポケモンセンターだったり、ラジオだったり、テレビもそうだ。どの媒体だって、ピカチュウを採用してないのを見つけるほうが難しい」

 

 カナさんは、それに、と付け加える。

 

「ピカチュウをあしらったのもダメで……。シルエットとかでもたまに、すごい来るんです。何ていうのか……形容しがたい寒気と拒絶感が……。吐き気に近いかもしれませんが……」

 

「分かった。それ以上話さないでいい。聞くだけでも辛そうだ」

 

 カナさんは憔悴したように瞼を閉じ、やがてこちらへと声を搾った。

 

「……ディズィーさんは、色んな人を見て来たと聞きました。それこそ、聞くもおぞましい話から、本当なのかの判断も難しいお話まで。そういう知識に精通したお方だと。だから、その……私……」

 

「ゴメン。期待させたかもしれないけれど、オイラにそれを治す力はないよ」

 

 これだけは言っておかなければならなかった。

 

 ともすれば、カナさんは最後の希望に自分を据えていたのかもしれない。それを裏切る発言だったのかもしれなかったけれど、でもオイラは神様じゃないし、そういう話に遭遇はすれど、解決出来たためしはないんだ。

 

「そう……ですか。ディズィーさん、でも」

 

「うん。いい友人になれれば、とは思う。そういう相談も受けられる、いい友達に」

 

 手を差し出す。握手しようとして、彼女は硬直した。

 

「その……革手袋は……」

 

 その時、オイラはハッとした。

 

 ――手袋の中心にピカチュウのシルエットがあしらわれていたんだ。

 

 途端、カナさんは呼吸困難に陥ったように喉元を押さえた。本当に、今まで何ともなかったのに、それを見た瞬間に、だ。

 

 彼女の中の何かが位相を変えたのが窺えたほどだよ。

 

 僅かに垣間見える皮膚が赤くなっていって、意識の混濁が見られた。

 

 オイラは慌てて救急車や助けを呼ぼうかと考えたけれど、それでも駄目だ、というのが自分でも直感的に分かった。

 

 ――医療機関に行けば否が応でもポケモンのイラストや音声案内がある。その中には当然、ピカチュウも。

 

 だから、ここでやるべき得策は……。

 

「カナさん! 手袋を外した。それに、今!」

 

 オイラはその手袋を引き千切った。そして手袋のない手を差し出した途端、彼女の症状は今の一瞬なんてまるで嘘だったかのように、ぴたりと治まったんだ。

 

 意識も呼吸も、何もかも正常に戻った。

 

 その変化にこちらが軽い恐怖に襲われたほどだよ。

 

 何事もなかったかのように、カナさんは椅子に座り直していた。

 

「……失礼しました。お見苦しいところを……」

 

「いや、ゴメン。オイラも迂闊だった」

 

 しかし、とオイラは思う。

 

 このご時世、ピカチュウだけが天敵と言う彼女の体質。それはほとんど世界に馴染めていないと言ってもいい。爪弾きにされたような感覚を味わっている事だろう。

 

 オイラはカナさんに、友人になる事を誓い、その場は解散にした。

 

 その後は、だって?

 

 いい友人関係が続いているよ。ただ、時折困るのがどんな些細なものであっても、ピカチュウだけは混じらせちゃいけない。それだけ注意すれば、彼女はとてもいい、オイラの友人だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 話し終えたディズィーは、早速、新曲のレコーディングに入ろう、と言い出した。

 

 今の話がどこまで真実かは分からない。ひょっとすると全て、作り話かもしれない、と。

 

 だが、自分はこのスタジオを注視する。

 

 そこいらにポケモンのシルエットがあしらわれており、その中にはもちろん、ピカチュウのものもあった。

 

「……ここには、カナさんは呼べませんね」

 

「そうだね。いつかライヴに呼ぶのを約束したけれど、いつになるのかな。彼女のアレルギーに理解がある世の中になるのは」

 

 寂しく呟いて、ディズィーはギターの弦を鳴らした。

 

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