パンドラの改造に使われていたのは、発掘された古代の技術だった。
俺と親父しか扱えない筈のパンドラに、一体誰が、どうやってそんなものを?
ったく、つくづく親子揃って救えやしねぇ……俺には何も出来ねぇってわかってんのに、放っとけねーんだ。
こういうとこばっか遺伝させやがって……どうしてくれんだよ。なぁ?親父……
[ザクリス=ナルヴァ]
[ZOIDS-Unite- 第26話:各々の葛藤]
リューゲンゾイド研究開発機構本部。
既に陽が傾き、斜陽の朱に照らされたその廊下を、カツカツと足音を響かせながら歩く人物が1人……
試験配備中の機体である「ガン・ギャラド」の実績報告と定期メンテナンスの為、哨戒任務から帝都への一時帰還を命じられたアナスタシアだ。
既に帝都ガイガロスでの実績報告は済み、彼女はガン・ギャラドの定期メンテナンスという口実の下、この機構本部を訪れていた。
彼女は「STAFF ONLY」と書かれた扉の前まで来ると、暗証番号を入力し、扉の奥に続く薄暗い通路を進む。
機構本部の裏に張り巡らされたこの通路は、まるで迷路のように複雑に入り組んでいるが、彼女の歩みに迷いや躊躇いは一切無かった。
目的の場所と思しき無機質な金属製のドアの前に立ったアナスタシアは、微かに困ったような表情で小さな溜息を一つ吐くと、そっとドアをノックする。
「クラウ。私だ。」
声を掛けるも、返事は無い。
アナスタシアはそっと片手でドアに触れ、まるで言い聞かせるように言葉を続けた。
「瓦礫街から戻って以来、部屋に閉じ籠っていると聞いた。あの街で何かあったんだろう?話を聞かせてはくれないか?」
言葉遣いこそ普段通りだが、その声音は普段の冷たさとは打って変わり、優しい温もりを纏っていた。
クラウが居なければ計画が進まないから……というだけではない。
アナスタシアにとって、彼女はかけがえの無い妹同然の存在だ。父や部下達の前では、そんな素振りなど一切見せないが……今この瞬間こうして此処に立っているのは、あの街で一体何があったのだろうか?という純粋な心配の気持ち故だった。
ふと、ドアのロックが解除される音がアナスタシアの耳に届く。
しかし、微かにハッとした表情を浮かべた彼女の前に姿を現したのは、残念ながらクラウではなかった。
「グルゥ……」
開いたドアから出て来たのは、酷く疲れているとも、落ち込んでいるとも取れるような様子のヒドゥンだ。
アナスタシアは、ガックリと項垂れているヒドゥンの顔をそっと覗き込む。
「ヒドゥン……クラウは中に居るのか?」
「グル。」
ゆっくりと頷いたヒドゥンに招き入れられるかのように、アナスタシアはクラウの部屋へ入る。
元々待機用の部屋である為、そこまで私物がある訳ではないが……それにも関わらず、室内はまるで嵐が過ぎ去った後のような有様になっていた。
床にはずたずたにされた枕が転がり、詰め物だった羽毛がそこかしこに飛び散っている。
暇潰し用にと彼女がねだったポータブルゲーム機は、液晶画面が叩き割られた状態で壁際に転がり、数冊しかなかった本も全てバラバラにされていた。勿論散らばったページも、くしゃくしゃにされたり、切り刻まれたりした状態で羽毛と共に床に散乱している。
椅子も、本棚代わりの簡素なカラーボックスも、床に引き摺り倒され、ナイフで切りつけたのだろうと思われる傷が無数に刻まれていた。壁も同様の有様で、壁紙はすっかりボロボロ……その凶器たるナイフは、テーブルに2本。壁に5本。カラーボックスに3本ほど突き刺さった状態で放置されていた。
そんな凄惨な部屋の隅の、ベッドの上……そこに、丸めた布団をクッション代わりに抱きかかえて、顔を伏せたクラウがうずくまっていた。
「クラウ。」
アナスタシアはベッドの上で縮こまっているクラウの前に膝を突き、そっと布団を抱きしめている手に触れる。
微かにビクッとしたクラウは、泣きつかれたような表情で微かに顔を上げ、アナスタシアを見つめた。
「お姉様……」
「大丈夫。今此処に居るのは私とヒドゥンだけだ。他には誰もいない。安心してくれ。」
優しく語り掛けるも、クラウの眼差しは何処か虚ろで、此方の声をきちんと聞いているのかどうかわからない。
アナスタシアはそんな彼女を落ち着かせるように穏やかな笑みを浮かべ、言葉を続けた。
「クラウ。瓦礫街で何かあったんだろう?良かったら話を聞かせてくれないか?」
しかし、クラウは光を失った眼差しのまま掠れた声でポツリと呟いた。
「ねぇ、お姉様……」
「ん?」
「クラウは……捨て駒なんかじゃないよね?……」
その言葉に、アナスタシアは思わず唖然とした表情を浮かべる。
彼女は戸惑いを隠しきれない声音でそっと訊ねた。
「……一体どうした?いきなり捨て駒だなんて……何故急に、そんな事を?」
アナスタシアの目の前で、クラウは涙を溢れ返らせながら、抱えた布団に再び顔を突っ伏して呟いた。
「……アイツが言ってた……瓦礫街にアイツが居た……」
「アイツ?」
布団のせいでくぐもった聞き取り辛い声に、懸命に耳を傾けながらアナスタシアが問い掛ければ、クラウは躊躇いがちにその名を口にした。
「……ザクリス。」
その名を聞いたアナスタシアの目に、微かな殺気が宿る。
ザクリス=ナルヴァ……機構を裏切ったエリアス=ナルヴァ博士の息子。機構が失われたパンドラの再構築を命じた男。そして用済みであった筈にも関わらず、父がルーカスの企てに乗り、敢えて見逃した唯一の障害……
そんな彼が瓦礫街に居たという事は、恐らくディスクの存在に気付き、出所を探ろうとしていたに違いない。
自分が置かれている立場は、彼自身が一番よく理解している筈だが……それでも尚、首を突っ込んで来たという事は、彼がこの先大人しくしている保証が無くなった。という事だ。
(だから、始末するべきだと言ったのに……)
アナスタシアは微かに唇を噛む。
その脳裏には、6年前にザクリスを見逃す旨を語った父、オイゲンの姿が過っていた。
『シュバルツの
何処か自信たっぷりに語る父に、アナスタシアは何も言えなかった。
確かに父が思いついたザクリスの使い道には納得出来た。この上なく便利な捨て駒として、最後に役立って貰うつもりであるのは自分も同意見だった。
しかしそれはあくまで、ザクリスが大人しくしている事が前提だ。
彼がこうして動き出している以上、彼から此方の情報が洩れる前に準備を急がなければならない。
そして……その為にはやはり、クラウにいつまでもこうして閉じ籠っていられては困る。というのが現状だ。
妹同然の存在である彼女を、物のようにに思わざるを得ない自分の立場を、アナスタシアは思わず呪った。
「……クラウ。アイツの言った事を真に受ける必要など無い。誰が何と言おうと、お前は私の大切な妹だ。大丈夫。何も怯えなくて良い。」
そっと手を伸ばし、クラウの菫色の髪を撫でる。
しかしクラウにとって、今回の一件は……その程度で癒せるような出来事ではなかった。
「お姉様が捨て駒だって思ってなくたって、リューゲン卿はそう思ってるかもしれないじゃん!」
「クラウ……」
「守護鷲のパイロットだって!薄汚い野良犬だった癖に、今は幸せな飼い犬だって言ってた!自信たっぷりにそう言い切れるアイツを、羨ましいって思っちゃったんだよ!どんなにお姉様から大事にされてたって!クラウにはそんな風に言い切れる自信が無いんだもん!」
布団に顔を突っ伏したままでもハッキリと聞き取れるような声で、クラウが叫ぶ。
その悲痛な叫びに、アナスタシアはそっと身を乗り出して、小柄なその身体を優しくしっかりと抱き締めた。
「私は……例え父上からお前を捨て駒にしろと命じられたとしても、絶対にそんな事はしない。必ずお前を守って見せる。だから……だから落ち着いて。クラウ。」
抱き締めたまま、再びそっと頭を撫でれば……クラウがぽつりと呟いた。
「……本当に、守ってくれる?」
「あぁ。」
「……もしザクリスに、ディスクの中身がパンドラだって……口滑らせちゃったって言っても?……」
消え入るようなその声に、アナスタシアは微かな溜息を一つ吐く。
だが、抱き締めていた両手をクラウの両肩に添え直し、そっとその顔を覗き込んだ彼女は、優しい笑みを浮かべていた。
「元々アイツは頭のキレる男だ。ディスクの事を嗅ぎ回りに来ていたという事は、ディスクの中身がパンドラだと大方感づいていたんだろう。その確証を得るのが少し早まっただけの話だ。」
「でも……クラウ、お姉様を失望させてない?」
布団から僅かに顔を上げ、クラウは不安に揺れる水色の瞳で上目遣いにアナスタシアを見つめる。
アナスタシアは、まるでそんな彼女を安心させるかのように、軽く額同士を触れ合わせて囁いた。
「失望などしていないさ。うっかり教えてしまったのはディスクの事だけなんだろう?」
「うん……」
「他の計画については、何も言っていないな?」
「言ってない。」
「ならば上出来だ。よく頑張ったな。クラウ。」
その言葉で、クラウもやっと安堵したのだろう。
抱えていた布団を放り出し、彼女はアナスタシアに抱き着いて泣き出した。
「うんッ……うん!クラウ頑張ったよッ……」
「あぁ。ちゃんと知ってる。」
「お姉様……クラウの事嫌いじゃない?」
「まさか。こんな自慢の妹を嫌うなんて、出来る訳ないだろう?私はクラウの事が大好きだよ。」
「うん……クラウもお姉様の事大好きッ……」
「それも、ちゃんと知ってる。」
優しくクラウの背をポンポンと叩き、そっと放してもらったアナスタシアは、軍服のポケットからハンカチを取り出して涙を拭いてやりながら訊ねた。
「クラウ。一つ頼みがあるんだが、良いかな?」
「うん。」
「ザクリスが動き出している以上、此方も出来るだけ早く準備を整えなければならない。だからYGの起動調整を、お前に任せたいんだ。出来るか?」
その言葉に、クラウは微かに目を見開く。
「もう起動させちゃうの?あの子、集めたデータを読み込ませたばかりなんじゃ……」
「だからこそ、クラウでなければ駄目なんだ。お前なら、YGと集積データの間を上手く仲介出来る。元々素体が貴重で予備の無い機体だ。データを拒絶してフリーズされては計画に支障が出てしまう。」
アナスタシアの言葉に、クラウは少し考え込んだ後、そっと遠慮がちに呟いた。
「ねぇ、お姉様。」
「どうした?」
「あの子が起動したら、暫くは私が慣らしの為に専属パイロットになるんだよね?」
「あぁ。そうだが……それがどうかしたのか?」
意図を測りかねて、アナスタシアが不思議そうに問えば、クラウはそっと呟いた。
「あのね……あの子の慣らしが終わって、お姉様の機体になったら……代わりの子が欲しいなって……」
彼女の言葉に、ふむ……とアナスタシアは考え込む。
クラウをあまり戦線には出したくない。というのがアナスタシアの本音だが、準備が全て整い、表立って組織が活動を始めれば、戦力は少しでも多い方が良い。その頃に丁度、任を解かれる機体にも一つだけ心当たりがある。
「……わかった。YGの調整が終われば、代わりに私のガン・ギャラドをやろう。」
「え?!良いの?!」
「あぁ。お下がりで申し訳ないが……」
「そんな事無いもん!お姉様のガン・ギャラドなら、クラウ大切にする!!」
嬉しそうに満面の笑顔を浮かべるクラウに、アナスタシアの瞳が微かに揺れる。
だが、やはりそれは一瞬の出来事だった。次の瞬間には穏やかな笑みを湛え、アナスタシアはクラウの頭を撫でながら呟いた。
「YGの起動準備は、既に開発2課が終えてスタンバイしている。先に向かってくれ。私はガン・ギャラドのメンテナンス状況を確認してから向かう。」
「うん!じゃぁ行ってきま~す!行くよヒドゥン!」
「グオ!」
先程まで塞ぎ込んでいたのがまるで嘘のように、ヒドゥンを引き連れて元気よく部屋を出て行いったクラウを見送った後、アナスタシアは悲し気に目を伏せる。
凄惨な室内をもう一度見渡して、彼女は独り言のように呟いた。
「この凄惨な部屋の姿が、あの子の本当の心そのもの……なのかもしれないな……」
なんて哀れな子だろう……なんて悲しい子だろう……
カプセルに入った状態で発見された瞬間から、彼女の人生は組織によって捻じ曲げられてしまった。
姉代わりである自分に懐き、従うようになる事まで、全ては組織の……オイゲンのシナリオ通りだ。
そんな事すら知らずに、クラウは自分を信じ慕ってくれる。「お姉様だけは信じてる。」と言いながら……
今更赦しなど請えはしない。
到底詫びて詫び切れる事でもない。
ならば自分には何が出来るか?……その答えが“何を賭してでもクラウを守る事”だった。
その為ならば……今までの自分の「選択」を自分で「否定」する結果になっても構わないと……
(まだ何も始まっていないというのに、全てが終わったらその時は……などと考えるのは、やはり愚かだな……)
彼女と出会って以来、今まで何度も考えては掻き消して来た、一つの願い……
いつか全てが終わったら……その時は……
だが結局今回も、その願いを自ら掻き消して、アナスタシアは部屋を後にする。
どれだけ細やかであっても、それは過ぎた願いだ。
幼き日の寂しさから世界の全てを敵に回し、この手を血で汚す道を選んだ自分には……
~*~
「そんな馬鹿な?!」
その日の夜……午後10時過ぎ。
ガーディアンフォースベースの開発作業棟の一室……データ解析室で声を上げたのはクルトだった。
「しーッ!!声がデカい!!」
掠れたひそひそ声で怒鳴りながらその口を塞いだのは、帝都ガイガロスから戻ったトーマである。
まぁ、現在このデータ解析室に居るのはクルトとトーマの2人だけである為、わざわざ声を潜める必要は無いのだが……それでも確かに、声を潜めたくなる程デリケートかつ、複雑な案件だ。
ハルトマン教授の他にも数名、ナルヴァ博士が在籍していた当時のアカデミー関係者から情報を集めた結果、導き出された一つの結論……トーマは、それを報告する事を躊躇っていた。
つい今しがた、息子のクルトにだけその結論を打ち明けたのは……彼の方が自分よりも“その結論の中心人物”の事を知っているからだったのだが……
「集めた情報と、ルーカスの話を照らし合わせれば……そうとしか考えられんだろう?」
「けどッ……」
抗議しかけて、クルトはふいっと俯いた。
「俺は……信じたくないよ。ザック兄さんがパンドラを再構築した張本人だなんて……」
何処か頑なな様子で、クルトは呟く。
トーマも申し訳なさそうな表情を浮かべ、そんな息子を見つめた。
クルトがザクリスに懐いていた事は、甥であるルーカスから聞いていた。戸惑うなという方が無理な話だ。
ディスクの中身が、パンドラと呼ばれるプログラムである事。
それを作り上げたのが、帝国ゾイドの研究開発の権威であったエリアス=ナルヴァ博士である事。
ザクリスが、そのナルヴァ博士の実の息子であった事。
ナルヴァ博士は、リューゲンゾイド研究開発機構に消されたのではないか?という事。
その事件を機に、ザクリスがヴァシコヤードアカデミーを自主退学している事。
ナルヴァ博士以外にパンドラを構築出来得る人物は、彼しかいない事……
それを踏まえれば、確かにトーマが行き着いた結論に疑いの余地は無いが……
「もし仮にそうだとしても、ナルヴァ博士を殺し、ザック兄さんにパンドラの再構築を強要した黒幕はリューゲンゾイド研究開発機構の筈だ。被害者であるザック兄さんを犯人扱いなんて……」
「まだ被害者だと確定した訳じゃない。彼が自分から機構に手を貸した可能性も……」
「それだけは絶ッ対に有り得ない!きっとルーク兄さんだって、同じ事を言うに決まってる!!」
ムキになって声を荒げた直後、クルトは自分を落ち着かせるかのように長い溜息を一つ吐きながら、デスクに肘を突いて頭を抱える……
「あの人は……そんな人じゃない……」
祈りにも似た呟きと共に、彼はギュッと目を閉じた。
初めてザクリスと出会った時の事を、彼は今でも鮮明に覚えている。
7年前、帝国士官学校の学祭にルーカスが招待してくれたのが、全てのきっかけだった。
『ルーク兄さん。その人は?』
『あぁ。彼は俺の親友だ。』
笑顔で紹介するルーカスの隣で、ザクリスは困ったような、そして何処か照れ臭そうな笑みと共に「よせよ。」とぼやきながらも、自分から自己紹介をしてくれた。
『俺はザクリス=ナルヴァ。ルークからはザックって呼ばれてる。よろしくな。』
ルーカスよりも2つほど年上だという話だったが、それを差し引いて尚、大人びた落ち着きのある、カッコいい人だと思ったのが第一印象だ。
そんな彼が、かつてヴァシコヤードアカデミーに在籍していたと聞いた時は、とにかく胸が高鳴った。
技術者としての素養も、軍人としての素養も持ち合わせているとは、なんて凄い人なのだろう……と。
『俺も、ヴァシコヤードアカデミーでゾイドやAIの事を勉強して、父さんと一緒にガーディアンフォースで働くのが夢なんです!』
当時まだ12歳だった自分は、そんな憧れの存在に夢を語った。
身内以外には、誰に言っても冷やかされるばかりだったその夢を、ザクリスは馬鹿にしたりしなかった。
『その歳でゾイドやAIに興味があるなんて、クルトはよっぽどそういうの好きなんだな。』
『はい!俺、科学や工学が大好きなんです!』
『だったらなれるさ。ただ単に“好き”って気持ちだけで突き進むには厳しい道だけど、父さんと一緒にガーディアンフォースで働く。って目標があるなら、それがお前を支えてくれる。』
澄み渡った夏の青空のような瞳は、真っ直ぐ此方を見つめて微笑んでいた。
『その夢、絶対叶えろよ。俺応援してっから。』
ぽんっと頭を撫でてくれた時、嬉しさに思わず涙が溢れた……
あの日の彼の言葉と、頭を撫でてくれた優しい手に背中を押され、自分は今、こうして夢を叶え此処に居る。
自分にとってザクリスは、夢を後押ししてくれた恩人なのだ。
そんな彼が、こんな危険なディスクの製造に自ら関与するなど……
「……」
クルトは無言のまま、そっと目を開いて顔を上げる。
おもむろに席を立った彼は、ネットに接続されている隣のデスクのパソコンの電源を入れながら呟いた。
「父さん。」
「どうした?」
「一つだけ確かめたい事がある……俺が今からやる事、頼むから目を瞑ってて欲しい。」
感情が消え、代わりに真剣さだけが満ちた低い声に、トーマはギクリとした表情を浮かべる。
これは恐らく……“悪いスイッチ”が入ってるに違いない……
トーマは恐る恐る確認するかのように、クルトへと訊ねた。
「あ~……クルト?お前一体……何をするつもりなんだ?」
「リューゲンゾイド研究開発機構のデータベースをハッキングする。」
「はぁ?!」
大声を上げるトーマを、クルトはゆっくりと振り返る……その目には、鋭い光が宿っていた。
「あのディスク……パンドラを解析した時、見た事の無いコードがあちこちに使われていた。どのテキストにも、資料にも載っていない。ネットで調べても出て来ない。完全に未知のコードだ。もしそのコードの情報が機構のデータベースにあれば、機構の関与を裏付け出来る。」
「いや、しかしだな!機構が関与している証拠になったとしても、ザクリスの無実を証明する証拠には―」
「どうせ今からやるハッキングは、正式な手続きや許可を得ていない完全な違法行為だ。どちらにせよ証拠としては使い物にならないし、使う気も無い。」
冷たく撥ね付けるような返事に、トーマはすっかり困り果てた表情を浮かべる。
クルトは昔からこうだ。
普段は多少カッとなる事があっても、周りが止めに入れば落ち着いてくれるし、この年頃だった自分と比べても随分冷静で、しっかり物事を考えられる子なのだが……一度ムキになってしまうと、周りがどんなに止めようとしても全く歯止めが効かない。こういった“他の誰かの為”の場合は特に……
(全く……一度こうなると手が付けられなくなるのは、一体誰に似たのやら……)
父親として、トーマはクルトのこういう部分を心配していた。
どんなに誰かの為であったとしても“歯止めが効かずに突っ走ってしまう”というのは、まだまだ未熟な子供であるという事……それは恐らくクルト本人も自覚している事であろうし、改めるべき部分だ。
しかし、そこまでして他の誰かの為に必死になれるのは、彼の“優しさ”故であり、歯止めが効かなくなってしまうのも、最後まで何かをやり遂げようとする“強い意志”故である事を、トーマは誰よりも理解していた。
ムキになって
トーマは静かに溜息を吐くと、クルトの隣に椅子を引っ張って来て腰かけながら呟いた。
「……わかった。なら父さんも手伝おう。」
「え?……」
思わず目を見開いてモニターから顔を上げたクルトの隣で、トーマは呆れたように微笑んでいた。
「お前一度言い出すと聞かないからな。どうせ止めても無駄だろ?だったら此処で突っ立ったままお前1人にやらせているより、一緒にやった方がまだマシだ。」
「けど、それじゃ父さんまで共犯に……」
「お前なぁ……黙ってるだけで十分共犯だろうが。今更変わらん。」
そう言いながらパソコンを操作し始めたトーマに、クルトも呆れたような笑みを浮かべる。
互いのパソコンの間で共有ネットワークの構築作業を始めながら、クルトは何処か愉快そうに呟いた。
「やれやれ、悪い父親だ。」
「それはこっちの台詞だ。悪い息子を持つと苦労が絶えん。」
「そりゃどうも。こういう悪事を平然と手伝う人の息子なもので。」
「似るのは顔だけで十分だったのに、似なくて良い所まで律儀に受け継いだのは何処の誰だ?」
「今、父さんの隣でネットワーク構築してる奴。」
悪びれる様子も無く、しれっと答えたクルトを横目で眺めて、トーマは面白くなさそうに呟いた。
「……お前、口が立つのは母さん似なんだよな。」
「ちゃんと良い所も受け継いでるだろ?」
「可愛くない。」
「19の息子に可愛さ求めないでくれよ……」
思わず苦笑したクルトに、トーマはふと笑う。
「親にとって、子供はいくつになっても子供さ。可愛げの一つや二つくらい残ってて欲しい。と思ってしまうのは、勘弁してくれ。」
その言葉に、クルトも穏やかに微笑みながらモニターへ視線を戻し、そっと呟いた。
「まぁ……俺は父さん子だから、可愛げが無くなるって事はないよ。多分。」
「そうか。」
共有ネットワークの構築が完了したパソコンのモニターを眺めたまま、何処か安心したように呟いて、トーマは戦闘開始の合図を口にした。
「じゃぁ、機構にガサ入れと行こうか!」
「勿論!」
ニヤッと笑った科学者親子は、それぞれ相棒へと呼びかける。
「テオ、久々の仕事だ。起きてるな?」
[はい。サポートはお任せください。]
「ビーク、俺達も全力でクルトとテオのサポートに回るぞ。後輩AIに後れを取るな。」
[∬∵∈И!!]
夜の開発作業棟の一室で、静かな……だが、一切気の抜けない戦いの火蓋が切って落とされた。
~*~
その頃、カスタムショップ「FES」の整備ピット前……
星空を見上げながら、ぼんやりと紫煙を燻らせる青年に、店長のフェリックスが声を掛けた。
「よう。寝ないのか?」
「……寝つけなくてな。」
何処か暗い声で答えた青年の名を、フェリックスはそっと呼ぶ。
「なぁザクリス。」
「ん?」
「ナルヴァ博士が処分した筈のパンドラ……あれを再構築したの、お前だろ?」
煙草を取り出して火を点けるフェリックスの横顔をチラッと眺めて、ザクリスは再び星空を見上げる。
「親父の事を知ってるあんたに隠してても……無駄だよな。」
「あぁ。パンドラの調整には俺や他のメンバーも関わってたが……だからこそ、あれが1人で手に負えられるような生易しいプログラムじゃないってのは、嫌って程知ってる。なのに、昼間パンドラをバラしたお前の手際……ありゃぁ組んだ本人じゃなきゃバラせないバラし方だ。」
その言葉に観念したような溜息を一つ吐いた後、ザクリスはふと力の無い笑みを浮かべた。
「……ったく、嫌になるぜ。もう6年もプログラミングから離れてたっつーのに……どんなに忘れたくても、パンドラの事は全部、頭ん中に焼き付いちまってて消えやしねぇ……まるで呪いだ。」
「呪い。か……確かにな。あのプログラムが原因で、全てが狂っちまった。博士の人生も、博士の息子であるお前の人生も……」
「俺と親父はしょうがねぇよ。あんなものを作っちまった罰だ。自業自得さ……」
ふと、ザクリスは軍に身を置き続けている親友……ルーカスの事を思い浮かべる。
彼は悲し気な眼差しで足元に視線を落とし、そっと呟いた。
「だがまぁ……親父といい、俺といい、パンドラの呪いに掛かった奴は、どうも周りを不幸にしちまうらしい。どっかの馬鹿は俺のせいで人生狂っちまったし……アサヒだって、この先無事で居られる保証もねぇ……」
「だから、1人でこっそり出て行こうとしてた……ってか?」
呆れを隠そうともしないフェリックスに向かって、ザクリスは寂しそうに笑った。
「このタイミングでハスハが合流したのも何かの縁だろ?師弟だって話だったし、あいつになら安心してアサヒを―」
「お断りだね。」
遮るように響いた鋭い声に、ザクリスが目を見開いて振り返れば、ハスハがつかつかと此方へ歩いて来ていた。
彼女は眉根に皺を寄せたまま、手にしていた煙草の箱から慣れた手付きで一本取り出し火を点けると、紫煙と共に不機嫌な声で吐き捨てた。
「アサヒ拾ったのはてめぇだろうが。最後まで自分で面倒見やがれ馬鹿が。」
「拾ったって……んな犬猫みてーに……」
困惑したように呟いたザクリスを、ハスハがギロリと睨み付ける。
「先に犬猫扱いしたのは他ならねぇてめぇだろ。都合が悪くなりゃ他人に押し付けるって……無責任な飼い主と同じじゃねーか。」
「それは……」
思わず言葉を失って俯いたザクリスに、深々とした溜息を一つ吐いて、ハスハは腕を組む。
呆れ切った……それでいて、何処か諭すような口調で、彼女は口を開いた。
「一緒に居れば、遠かれ近かれこうなるってのは、てめぇが一番解ってた事なんじゃねーのかよ。そうやって他人に押し付けちまおうとするくれーなら、最初から連れて歩いてんじゃねぇ。犬猫だってそんな扱いされたら傷付くぞ。まして人間なら猶更だ。そんな事もわかんねーのか?」
「……わかってるよ。無責任だって事くらい……誰かを傍に置ける立場じゃねーのに、独りでいる事も出来ねーなんて……最低だって……」
フィルターに火が点きそうなほど短くなった煙草を消すついでに、コンクリートの地面に腰を下ろし、ザクリスはまるで懺悔するかのようにそっと言葉を続けた。
「正直……ずっと迷いはあったんだ。ホントにこのままアサヒと一緒に居て良いのか?って……一緒に来るか?って誘ったあの日の自分を、何度も責めたよ……ディスクの事を知ってからは特にな。いつ“奴等”に目を付けられるかわかんねぇ、いつアサヒに矛先が向くかわかんねぇってさ……」
疲れ切った溜息と共に顔を伏せ、ザクリスは力なくぽつりと呟いた。
「……全部、俺のせいだ……」
そんなザクリスを見下ろすハスハの目に、微かな同情の色が揺れる。
しかし、吐き出した紫煙と共に厳しい表情を浮かべて、彼女は呟いた。
「そうやって自分を責めてビクビクするくれーなら、周りを頼りゃ良いじゃねーか。」
「お前がさっき“お断りだ”っつったんだろ……」
「アホか!黒幕がリューゲンゾイド研究開発機構だってのは分かりきってんだろ?アサヒを押し付ける為じゃなくて、機構に一泡噴かせてやる為に頼れっつってんだよ!」
「簡単に言ってくれるなよ……やれるならとっくにやってる……」
その言葉で、先程から黙り込んでいたフェリックスが、不意に納得した様子で呟いた。
「……なるほどな。」
「なんだよ店長。なるほどなって……」
怪訝そうな表情を浮かべるハスハに、フェリックスは吸い終えた煙草を灰皿で消しながら口を開いた。
「自分はどうなっても良いが、アサヒに万が一の事があったら……そう考えると、自分で乗り込むのは勿論の事、警察だの軍だのガーディアンフォースだのに機構の事を垂れ込む事も出来やしねぇ……てとこだろ?」
だが、顔を上げたザクリスは自嘲するような笑みを浮かべていた。
「半分はそうかもな……」
「……なんだ、他にも何かあんのか?」
フェリックスまで怪訝そうな表情を浮かべたのを見て取り、ザクリスは再び俯くと、下ろしたままの前髪をくしゃりと掴むように掻き上げる。
彼はそのまま、躊躇うかのように暫し沈黙していたが……やがて観念したのか、投げ遣りに呟いた。
「人質とられてんだよ。“少しでも下手な事をすれば殺す”ってなッ……」
今までずっと1人で抱えて来た物が、堰を切って溢れ出すかのように……一度開いた彼の口は止まらなかった。
「しかもその人質ってのが、パンドラの再構築が終わって用済みになった俺を、命懸けで助けてくれた親友だ。俺、馬鹿で臆病だから、人質にされてる親友とアサヒ……どちらか片方を選ぶなんて出来やしねぇ……親友も助けたい。アサヒも守りたい……けど、奴等の言いなりになるしかない俺じゃ駄目なんだ。いざって時に親友を盾にされちまったら、俺じゃアサヒを守り切れねぇんだよ……」
今にも泣きだしそうな、その悲痛な声音に、ハスハがそっと納得した様子で呟いた。
「なるほど……だから、そうなる前にあたしに託したいってワケか……アサヒに黙って1人で死にに行く為じゃ無く、何をおいても守りたい存在だからこそ……」
やれやれと言った様子で吸い終えた煙草を灰皿で消すと、ハスハはズボンのポケットから小型タブレットを取り出し、何やら操作しながらザクリスの隣へ歩み寄る。
次の瞬間、座り込んだままギクリと身を強張らせて身を引いたザクリスの前に、彼女は操作していた小型タブレットの画面が見えるように、ずいっと差し出した。
「おら。」
「……なんだよ?」
「コレ、あたしの小タブの電話番号。登録しとけ。一方的に押し付けられんのはお断りだけど、どうしてもこのままじゃアサヒがヤバいって状況になったら……そん時は、力くらい貸してやる。手塩にかけて育てた弟子を無駄死にさせられちゃ、たまんねーかんな。」
その言葉にぽかんとした表情を浮かべながらも、ザクリスはそっとハスハの小型タブレットを受け取り、表示されている番号を自分の小型タブレットに登録し始める。
その様子を眺めてふと笑みを浮かべた後、ハスハはフェリックスを振り返って呟いた。
「店長。今の話、他言無用だかんな。」
「言わねーよ。俺だって元機構の技術者だったんだぞ。
自分で自分の首絞めるような事、言いふらしゃしねーっての。」
「ま、それもそっか。」
悪びれる様子も無くニヤッと笑ったハスハにやれやれといった表情を浮かべると、フェリックスはピットの脇の部屋に戻りながら呟いた。
「最後まで残ってた方がピットのシャッター閉めろよ。俺は寝る。」
「おう。おやすみ。」
ひらひらと手を振ってフェリックスを見送るハスハに、ザクリスがぎこちなく声を掛ける。
「登録した……その、サンキュ……」
「おう。」
返してもらった小型タブレットを受け取り、元通りズボンのポケットにしまった後……
ふと思い立った様子で、ハスハがザクリスの頭へそっと手を伸ばす。
しかし次の瞬間、ザクリスは酷く怯えた目で、サッと頭を庇うように腕をかざし、顔を逸らした。
その姿を見て、ハスハの脳裏にとある既視感が過る……
「お前……」
ハッとした様子で独り言のようにぽつりと呟いた後、不意にハスハは穏やかに微笑んだ。
防御姿勢をとったまま、微かに震えているザクリスの頭に、優しくぽんっと手を置いて彼女はそっと囁く。
「大丈夫。殴りゃしねーよ。」
「え……」
戸惑ったように顔を上げたザクリスの視線の先で、ハスハは穏やかに微笑んだまま、まるで子供を相手にしているかのように優しく頭を撫でていた。
就寝前である為か、いつも団子状に結っている黒髪を解いたハスハのその姿が、不意に母親とダブる……
しかしそれは、いつも脳裏に過る、弟を連れて出て行った時の姿ではなく……家族揃って穏やかに暮らしていた頃の、忘れかけていた優しい母の姿だった……
「お前も晩くならねーうちに、ちゃんと寝ろよ?」
「……おう……」
「あ、戻る時はシャッター閉めとくの、忘れねーようにな?」
「……それは、ちゃんとさっき聞いてた。」
「そっか。じゃぁおやすみ。」
「おう……おやすみ……」
普段のぎゃんぎゃん煩い声とは打って変わった穏やかな声に、ぽかんとしたまま返事をすれば、ハスハは満足した様子でピットの隅の鉄階段の方へと歩き去っていく。
そんな彼女の後ろ姿を眺めていたザクリスは、ふと、身体の震えが止まっている事に気が付いた。
(この歳で頭撫でられて震えが止まるとか……ガキかよ……)
先程まで撫でられていた頭にそっと触れながら、胸の内でぼやくものの……彼は小さな溜息を一つ吐く。
(いや、ガキだよな……馬鹿だし、無責任だし、我が儘で自分勝手で寂しがり屋で……体ばっかデカくなって、中身はちっとも成長しちゃいねぇ……)
ふと、ザクリスは星空を再び見上げて、ぽつりと呟いた。
「それにしてもアイツ、なんでわかったんだろ……殴られたのがトラウマだって……」
不思議そうに呟いたその声も、コンクリートの地面に胡坐を掻いたまま、1人ぽつんと星空を眺めて考え込むその背中も……まるで、小さな子供のようだった。
~*~
『YG01。最終起動チェック開始。』
『了解。各種モニタリングシステム異常無し。YG01、ゾイドコア低活性状態で安定。活性数値0083~0091。起動開始まで現状を維持―』
『パンドラ集積データ、マッチングテスト異常無し。現時点での拒否反応、認められず―』
『オーガノイド-ヒドゥン。及びテストパイロット-クラウ。共にコンディション異常無し。所定位置にて待機中。通信感度テストに移ります。』
リューゲンゾイド研究開発機構本部。地下第6ケージ……
その中央に佇む、拘束具だらけの恐竜型ゾイドのコックピット内で、聞こえてくる無数の声を聞き流しながら、クラウはただぼんやりとシートに体を預け、モニター越しのケージ内を眺めていた。
既に準備は終わり、スタンバイ状態だという話だったにも関わらず、一体何度行えば気が済むのだろう?と呆れてしまう程、チェック作業は延々と続いている……
いつまでも起動調整テストが始まる気配が無いからと、クラウは一度ケージを抜けて夕食とシャワーを済ませて来たのだが、それでも待ち時間は有り余るほど残っていた。待機室を出て第6ケージにやって来た時はまだ夕方だったというのに、気が付けばもう夜中だ。
こんな時、ゲームがあれば暇潰しになるのに……と思ったが、瓦礫街から帰って来た際、苛立ちに任せて画面を叩き割り、壁に投げつけてしまったのを思い出してクラウは落ち込む。
あのゲーム機は、初めて自分からアナスタシアへねだった物だ。大切にすると約束していたのに、自分で壊してしまったと言えばアナスタシアもがっかりするだろう。当然、新しい物をねだる訳にもいかない。
どんよりとした溜息を吐くクラウに、オペレーターの若い男性が語り掛けた。
『―イロット、テストパイロット。聞こえてていれば応答を。』
「はいはい。聞こえてるよ~……」
『通信感度、異常無し。続いて起動管制システムのチェックへ移行―』
「やっと話しかけて来たと思ったら、そんだけ?」
呆れたようにぼやくクラウに返事をする者は、誰も居ない。
クラウはいじけたようにむすっと口を尖らせるが、次の瞬間にはすっかり諦めたような表情を浮かべる。
(ま、クラウにいちいち構ってらんないよね……万が一この子が暴走でもしたら、辺り一帯火の海だもん。)
疲れたような溜息を一つ吐いて、クラウはぼんやりとコックピット内を見上げた。
“YG”と呼ばれているこのゾイドは、コックピットの位置が頭部ではなく胸部にある。その為、起動前の状態で頭上を見上げても、目に映るのは光を失っている上部モニターと、上部モニターの操作に必要なスイッチ類だけなのだが……クラウの眼差しはその遥か向こう……見える筈の無いゾイドの顔を見上げているかのようだった。
「居れば厄介者なのに、居なきゃ困るなんて……クラウと同じだね。お前。」
そっと寄り添うように上部モニターに触れた時、不意にコックピット内へ声が響いた。
『すっかり遅くなってしまった。クラウ、待たせて悪かったな。』
「お姉様!!」
クラウの表情が一気に明るくなる。
メインモニターに表示されたケージ内の一角。オペレーター達が作業をしている場所を拡大表示すれば、そこにアナスタシアの姿があった。軍帽を脱ぎ、代わりにヘッドセットを装着した彼女は、モニター越しに真っ直ぐこちらを見つめている。
『今から起動調整テストを始める。頼んだぞ。クラウ。』
「うん!」
クラウの元気な返事に、ふと微笑んで見せた後……アナスタシアは一旦ヘッドセットのスイッチを切り、傍の機材を操作している作業員へ伝えた。
「始めろ。」
「はっ!」
クラウが長い事待ちわびたテスト開始の号令が、コックピットへ響き渡る。
『開発コードGZ004-3A。GR開発素体YG01。起動試験開始。』
「了解。おいで!ヒドゥン!!」
「グォォォォォォォォッ!!!」
クラウの呼びかけで、ヒドゥンが一条の光と化し、YGへと溶け込む。
直後……拘束具越しのYGの目に、赤い光が灯った……
「YG01。ゾイドコアの活性化を確認。活性数値上昇。0142、0265、0397……0500を突破。起動します。」
オペレーターの声に、アナスタシアが微かな不安を滲ませてYGを見上げる。
その視線の先で、YGは自身をケージ内の固定具に縛り付けている拘束具を軋ませながら、目覚めの咆哮を上げた……しかし……
「YG01。起動を確認。ゾイドコア活性数値……尚も増大中!」
「活性数値0880、0952……1000を突破!コンバットシステムの臨戦状態を超えています!!このままでは―」
「慌てるな!」
アナスタシアの鋭い一喝に、作業員達が水を打ったように静まり返る。
そんな作業員達に、彼女は間髪入れず指示を出した。
「作業続行!活性数値が2500を超えなければ問題無い!!」
「しかし、そこまで数値が上昇すれば拘束具が―」
「一体何の為に強制停止装置を取り付けている?どちらにせよYGの機体性能ならば、あの程度の拘束具は気休め程度にしかならん。今更狼狽えるな。」
氷のような冷たい視線に射貫かれ、声を上げた作業員が黙り込む。
アナスタシアは拘束具を軋ませるYGを真っ直ぐ見据えたまま、ヘッドセットのスイッチを再びオンにした。
もし危険な状態であるのなら、クラウの様子ですぐに分かる筈だ。
しかし、ヘッドセットから聞こえて来たクラウの声は、ケージ内の作業員達の様子とは打って変わって、至って楽しげであった。
「そっかそっか。そうだよね。こんなに沢山戦闘データを貰ったんだもんね。暴れたいよね。」
古代ゾイド人であるクラウには、目覚めたばかりのYGの声がハッキリと聞こえていた。
戦いたい。
暴れたい。
全てを破壊したい。
あぁ邪魔だ。
体を縛っているコイツが酷く邪魔だ。
これでは動けない。
思う存分暴れられない!
「あぁ、これ邪魔だよね……良いよ。目が覚めたばっかで身体動かしたいんでしょ?ねぇお姉様。この子暴れたがってるから、ちょっとくらい良いよね?」
「制御出来るのなら……多少構わん。お前に任せる。」
真剣な眼差しでYGを見据えたまま呟いたアナスタシアの言葉に、クラウは無邪気な笑顔を浮かべる。
「やったぁ!お姉様ありがとう!!」
直後、クラウの笑みはニタリとした不敵なものに変わった……
「さぁ!まずその邪魔臭い拘束具……ぶっ壊しちゃえ!」
彼女の言葉に、YGが雄たけびを上げながら身をよじった。
その瞬間、固定具とYGをガッチリと繋いでいた拘束具が、まるで意味を成していなかったかのように呆気なく引き千切られる……派手な音と共にケージの床に降り注いだ拘束具の残骸に、作業員達から悲鳴が上がった。
そんな中、クラウは感激したように笑い声を上げる。
「すごいすごい!やっぱ強いね!流石“死竜”の遺伝子を継いでるだけあるよ!」
だが、その言葉に応えようともせずにYGはゆっくり振り返ると、先程まで自分が縛り付けられていた固定具へとおもむろに尾を打ち付けた。
派手な音と激しい揺れが、ケージ内を襲う……恐らく、上に立っている本部の建屋まで揺れたに違いない。
人間達のそんな心配などお構いなしに、YGは何度も、何度も、まるで八つ当たりするかのように固定具へ尾を打ち付ける。
忌々しい!
忌々しい!!
この俺を縛り付けようなど!!
破壊してやる!
二度と俺を縛り付けられないように!!
跡形も無く破壊してやる!!
尾を打ち付けられる度にみるみる変形していった固定具は、程なくして耳をつんざくような音と共に真っ二つにへし折れた。
見るも無残な姿になった固定具を満足そうに見つめた後、YGはまたケージ内をゆっくりと見渡す。
今度はアナスタシアと作業員達が居る一角に狙いを定めたのか、不気味な程静かに一歩足を踏み出した……まさに、その瞬間だった。
「こら。そっちは駄目だよ。」
まるでペットにでも語り掛けているかのような軽い口調で、クラウはYGを制止する。
しかし、その口調とは裏腹に、彼女の手は思いっきり乱暴にブレーキレバーを手前に引っ張っていた。
いきなりブレーキをかけられ、それ以上進みたくても進めなくなってしまったYGは、ゾッとするような低い唸り声を上げる……
何故邪魔をする?
俺は暴れたいんだ。
邪魔をするな。
「あっそ。言う事聞かないなら……お前のゾイドコア、ヒドゥンに潰させちゃうからね?」
呆れたような、それでいて叩きつけるような冷たい声に、YGの唸り声がそっと止む。
クラウはそんなYGへ言い聞かせるように言葉を続けた。
「今すぐもらった戦闘データを試そうとしなくても大丈夫だよ。お前にはこの先、壊してもらわなきゃいけないモノがたぁ~っくさんあるんだから。」
壊さなきゃ、いけないモノ……
コレは違うのか?
「そう。それは壊しちゃ駄目。壊していいモノはもっと別の所に沢山あるの。それにオモチャもまだもらってないんだから、そんな状態で暴れても楽しくないじゃん。だから今日はもうおしまいだよ。良い??」
クラウの言葉に、YGは暫く考え込むように動きを止めていた。
だが、やがてYGはクラウに一言、ぽつりと呟いた。
……わかった。
次は、もっと暴れさせろ。
これでは足りない。
これでは全然足りない。
YGはそう言い残して、そっと自らスリープモードに入る。
意外な程素直に言う事を聞いたYGに、クラウはきょとんとした表情を浮かべた。
「……普通の奴より凶暴だって聞いてたのに、意外と素直じゃん。」
ぼやくように呟いたクラウに、アナスタシアが呼びかける。
『クラウ。大丈夫か?』
「うん。大丈夫。今日はもうおしまいだよって言ったら、寝ちゃった。」
『……そうか……精神負荷の方はどうだ?』
「クラウは全然平気だけど……お姉様が乗るなら、少しセッティング緩和しないと厳しいかも。この子の破壊衝動に引きずり込まれてお姉様が廃人になるとか、クラウ絶対ヤダもん。」
『なかなか、手強そうな機体だな。』
何処か楽しむような笑みを浮かべた後、アナスタシアは作業員達に伝えた。
「多少の被害は出たが、現時刻を以てYGの起動調整テストを完了とする。
ケージ内の修復が完了するまでの間は、予備の第7ケージにて作業を継続。
先に起動調整を完了しているデスキャット、デッドボーダーと共に出撃出来るよう準備を整えろ。
テスト終了後、YGは“ヤークトジェノザウラー”と呼称を改める事とする。」
その宣言に、作業員達から拍手が上がる。
死竜……デスザウラーの遺伝子をより強く受け継ぐ“最凶”のゾイド。
“ヤークトジェノザウラー”と命名された“