ZOIDS-Unite-   作:kimaila

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第36話-仮面の下-

―クル兄ぃぃぃぃぃぃ!!―

 あの日の事は、今でもよく覚えてる……

 血塗れの部屋を見たレン達がどれだけ怯えていたかも、どれだけ泣いていたかも……

 それでも皆で必死になって、震えながら俺を止めに来てくれたんだ。

 俺のような……―――を……

 [クルト=リッヒ=シュバルツ]

 

 [ZOIDS-Unite- 第36話:仮面の下]

 

 お祭り騒ぎの賑わいを(つんざ)いた、グラスの砕けるけたたましい音……

 突然の出来事に、周囲で騒いでいたスタッフ達は水を打ったように静まり返り、クルトとネイトを見つめる。視線だけが突き刺さる静寂の中で、椅子から立ち上がったクルトはネイトの胸倉を掴み上げていた。

 

「聞き間違いだと思うんだが……今、なんと言った?」

 

 光の消えた暗い若草色の瞳。そこに渦巻くのは、怒りや殺意、狂気といった負の感情……

 そんな奈落のような眼差しを向けられながら、ネイトには臆する様子など全く無い。むしろ、その反応を心底楽しんでいる様子で、彼はニヤリと笑った。

 

「君も、俺と同じ“あぶれ者の化け物だ”って言ったんだけど、違った?」

「貴様ッ……」

「同類は匂いで分かっちゃうんだよねぇ。だってほら、君のその目……“殺してやる”って目じゃん。他にも純粋に狂ってる奴が居て、俺、安心しちゃったよ」

 

 声音は至ってフレンドリーだが、その口調はこれでもかと言わんばかりに神経を逆撫でる。その不快さに、クルトはギリッと歯を食いしばり、苦々し気に吐き捨てた。

 

「お前のような狂人に擦り寄られた所で、俺には不快以外の何物でもないんだがな」

「それって、自分で認めたくないから? それとも、周りにバレるから?」

「ッ!――」

 

 嘲るような問い掛けに、クルトが堪りかねて拳を振り上げようとした時、少年が2人飛び出して彼を抱きしめるように抑え込んだ。

 ……レンと、エドガーだ。

 

「駄目だクルト! こんな所で!!」

「お願いだから喧嘩しないで! 落ち着いて!」

 

 両側から必死で自分を止める、幼馴染2人の呼びかけ……しかしそれでも、盛大に地雷を踏み抜かれたクルトは止まらない。抑え込まれて尚、彼はネイトへと怒鳴った。

 

「俺は貴様のように敵も味方も関係無く殺そうとはしない! そんな狂人と一緒にするな!!」

「だから落ち着けって!」

「僕達分かってるから! クルトは違うってちゃんと知ってるから!!」

 

 ネイトは、そんな彼等を酷く愉快そうに眺め、嘲笑を浮かべた。

 

「その割に随分ムキになってんじゃん。やっぱり図星だった?」

「おいネイト! いい加減に――」

 

 見かねたカイが席を立ち、ネイトへ叱り付ける様に呼び掛けた次の瞬間だった。

 彼の言葉を遮って響いたのは、鈍い打撃音と、プラスチックの割れるようなバキリという音。

 それと同時に周囲の者の目に映ったのは、派手に宙を舞った水飛沫と、背後から思いっきり横薙ぎに頭を殴り付けたられたネイトが吹き飛ぶように倒れる様だった。

 

「え……」

 

 突然の事に目を見開いたクルトが、驚愕と戸惑いの声を無意識に零す。

 倒れたネイトの後ろに立っていたのは……

 

「……シーナ、さん?」

 

 そう。そこに立っていたのは、お冷のピッチャーの柄を両手で握りしめたシーナだった。

 

「いつの間に……」

 

 ぽつりと呟いたカイがテーブルへ視線を戻して見れば、確かに上に載っていた筈のピッチャーが無くなっていた。

 辺りは撒き散らされたお冷で水浸し。手にしたピッチャーの底も派手なヒビが入り、割れ目から残った水がポタポタと音を立てて床に滴っている。

 

「それ以上何か言ったら……許さないから」

 

 床へ倒れ込んだネイトへと放たれた、殺気立った低い声……それは静かながら、普段のシーナからは到底想像も付かない程の圧を纏っていた。

 

「いったぁぁ……」

 

 床に倒れ込んだ状態から上体を起こし、ピッチャーで殴り付けられた側頭部を抑えながら、ネイトがシーナを見上げる。忌々しそうなその声と表情は、彼女の顔を見上げた瞬間、消し飛んだ。

 ……彼女の目もまた、光を失った冷たい色をしていたからだ。

 シーナはネイトと目が合った直後、まるで止めを刺すかのように、底の割れたピッチャーを思いっきり投げつけた。

 

「ぶへっ?!」

 

 ピッチャーが顔面に叩きこまれた音と、その衝撃で仰向けに倒れたネイトが、後頭部を盛大に床へ打ち付ける音が響く。

 鼻血を噴き、白目を剥いてピクリとも動かなくなってしまったネイトの姿に、レンが微かに青ざめながらシーナを恐る恐る見つめた。

 

「あ、あの……シーナ? 流石にやりすぎじゃ……」

 

 戸惑いに上ずった声でしどろもどろに訊ねるも、シーナはピクリとも動かないネイトを冷たく見下ろしたまま、そっけなく呟く。

 

「大丈夫。殺してないから」

「殺してない……って……」

 

 レンだけでなく、クルトも、エドガーも、周囲の者達も、ネイトを見つめる。

 自分達の知っているシーナは、無邪気で人懐っこく、そして誰よりも心優しい少女の筈。そんな彼女が、まさかお冷のピッチャーで容赦なく人を殴り付けるなど……こんな風に冷たい声を発するなど……こんなにも暗く冷たい目で人を睨みつけるなど、誰も思っていなかったに違いない。

 まるで別人のように豹変した彼女に対し、カイ達は勿論、セルウェイ達も、周囲のスタッフも、ただただ戸惑いに顔を見合わせるばかりだ。

 そんな中、小走りに駆け寄って来たセシルが、そっとネイトの脈を確認し、残念そうに呟いた。

 

「生きてる……な」

「止め、刺した方が良かったかしら?」

「いや……」

「そう。残念ね」

 

 あまりにも辛辣な短い言葉の後、シーナはクルトに歩み寄る。

 思わずビクリとしながらレンとエドガーがクルトから離れ、当のクルトは唖然としたままの表情ではあったが、歩み寄って来たシーナへそっと訊ねた。

 

「シーナさん……あの、何故急にこんな……」

 

 戸惑うクルトを見上げたシーナは、冷たい瞳のまま寂しげに微笑む。

 

「大丈夫。もう“戻る”から……」

 

 シーナの体から、ふっと力が抜けた。

 そのまま倒れ込んで来た彼女を咄嗟に抱き留めたクルトは、面食らった様子で腕の中へと必死に呼び掛ける。

 

「シーナさん?! シーナさん! しっかりして下さい! シーナさん!!」

「クルト、ちょっと落ち着け」

 

 駆け寄って来たカイが、気を失ってしまったらしいシーナの顔を覗き込む。

 そっと体温を確かめるかのように頬へ手を添えながら、カイはぽつりと呟いた。

 

「……大丈夫。気を失ってるだけみてーだ」

「……そうか……」

 

 幾分安堵した様子のクルトが、躊躇いがちに訊ねる。

 

「カイ。シーナさんがこんな風になった事って……前にもあったのか?」

「いや……遺跡で記憶の断片を思い出した時に気を失った事はあったけど、こんな風に豹変した事なんて、今まで一度も無かったぜ?」

「……」

 

 クルトは心配そうにシーナの顔を暫し見つめた後、そっと彼女を抱き上げた。

 

「一応念の為に、基地内病棟へ運んで来る」

「なら僕達も一緒に――」

 

 そう言いかけたエドガーを制止して、カイが頷く。

 

「シーナの事、頼んだぜ。クルト」

「あぁ」

 

 短く答えた後、シーナを連れて食堂を出て行くクルトの背中を見送ったカイは、エドガーとレンに向き直り、穏やかに呟いた。

 

「今はそっとしといてやろうぜ。ネイトに色々引っ掻き回されて、あいつも結構キレてたし」

「そう……だね」

「うん……」

 

 しゅんとした様子のエドガーとレンの肩をぽんぽんと励ますように叩いた後、カイはセシルを振り返って苦笑する。

 

「つーか、ネイトも病棟まで連れてった方が良いんじゃねーの? 白目剥いてるし。」

「そうだな……少佐。お願いできますか?」

「うむ! 任せてもらおう!」

 

 セルウェイがネイトを俵抱きに肩へ担ぎ上げる横で、何がなんだかよくわかっていないスタッフ達は、戸惑ったように顔を見合わせながらも、辺りの惨状を見渡して呟いた。

 

「俺らどうする?」

「とりあえず……割れたグラス片付けるか」

「じゃぁ俺、雑巾持って来て床拭くわ」

「料理長~!割れたピッチャーどうします~?」

「割っちまったグラスと一緒に産廃置き場にでもぶん投げとけ」

「う~っす」

 

 ぞろぞろと片付けに取り掛かるスタッフの1人を、レンが申し訳なさそうに呼び止める。

 

「あの、俺達も手伝います」

「あぁ、こっちはいいよ。俺らでちゃちゃっと片付けちまうから、坊主達もちょっと気分転換に外の空気でも吸って来な」

 

 レンは戸惑ったようにエドガーと顔を見合わせるが、そんな彼等の肩をカイが叩いた。

 

「スタッフの人もこう言ってんだし。ちょっと外行って来ようぜ」

「……じゃぁ、すいません。後よろしくお願いします」

 

 ぺこりと頭を下げたレンは、カイに促されるままエドガーと共に食堂を出て行った。

 

   ~*~

 

「ほら。」

「サンキュ……」

 

 外に出て来たカイ達は、隊員宿舎の入り口前にある自販機に集まっていた。

 差し出されたレモネードの缶をそっと受け取り、レンはそのまま自販機の傍のベンチに腰を下ろす。カイは小銭入れからまた硬貨を手に取りながら、エドガーにも声を掛けた。

 

「エドガーは? 何が良い?」

「良いの? 僕まで……」

 

 戸惑ったように訊ねるエドガーに、カイは苦笑を浮かべる。

 

「缶ジュース買うのに1本も2本も変わりゃしねーっての」

「じゃぁ……ココアで」

「おう」

 

 購入した缶ココアをエドガーに手渡し、ついでに自分もブラックコーヒーを続けて購入した後、カイは自販機の側面に背を預けながらレンを見つめた。

 

「……なぁ、レン」

「ん?」

「その……クルトの奴、なんであそこまでキレてたんだ? 話の流れ的に、なんか、お前やエドガーは原因知ってそうな感じだったけど……」

 

 レンはそっと気不味そうにエドガーをと視線を交わし合う。

 暫しの沈黙の後、先に口を開いたのはエドガーだった。

 

「カイになら、話しても良いんじゃない?」

「……うん。そうだな……」

 

 消え入るような返事の後、レンは手にしたレモネードの缶を見つめたまま、静かに語り出す。

 

「クルトはさ……化け物。って呼ばれる事に、すっげートラウマがあるんだ」

「トラウマ?」

「うん……話すと長くなるんだけど、良いか?」

 

 何処か懇願するような眼差しで此方を見つめて来たレンに、カイはそっと頷いた。

 

「あぁ」

 

   ~*~

 

「そもそもの原因は、俺達がまだ小さい頃……えっと、俺とエドが8歳くらいの頃に起きた事件のせいなんだ」

「事件?」

 

 首を傾げたカイに、エドガーがそっと説明する。

 

「カイは知ってる? 9年前にニューへリックシティで起きたクリスマステロ」

「あぁ。帝国でもニュースになってたし、よく覚えてる。クリスマスのイベントバルーンに爆弾仕掛けられてて、街のあちこちで爆発が起きたってアレだろ?」

 

 その事件は、イヴポリス大戦後に起きた一番大きな事件として有名なテロ事件であった。

 大規模なテロ犯罪であったにも関わらず、犯行声明のようなものは一切無し。結局9年経った今でも、犯人すら見つかっていない未解決事件だ。

 

「つーか、え? ちょっと待てよ。そんな話から始まるって……まさかお前ら、あの時ニューヘリックに居たのか??」

「ううん。そうじゃないけど……まぁ、間接的に関係があるっていうか……」

 

 エドガーはそう言ってレンに視線を送る。

 レンはそんなエドガーにそっと頷いて見せ、話を続けた。

 

「あの日、本当は皆休みだったんだ。父ちゃんも母ちゃんも、レイヴンさん達も、シュバルツ博士達も。そんなの滅茶苦茶久しぶりでさ、皆でクリスマスパーティーしようぜ。ってクルトの家に集まってたんだけど……あのテロが起こったせいで、父ちゃん達、緊急出動掛かっちまって……」

「それで僕達、クルトの家でそのまま留守番してたんだ」

 

 両親達が慌ただしく出て行った後の家に残されたのは、当時10歳だったクルトと、8歳だったレン、エドガー、7歳だったルーラ。そして、まだ5歳だったシンの5人だけ……

 皆で楽しく過ごす筈が、子供だけの寂しいクリスマスとなってしまった事に、レン達は酷く落胆していた。そんな彼等を少しでも楽しませようと奮闘したのが、クルトだった。

 

『今日は父さん達がいないから、特別だぞ』

 

 クルトはそう言って、普段なら“行儀が悪い”と怒られてしまうような事を、ここぞとばかりに皆に提案し、実行に移していった。

 テレビの前のカーペットを陣取って、皆でテレビゲームをしながら夕飯を食べたり。切り分けていないホールのままのクリスマスケーキを囲んで、皆で好きなようにフォークで直食いしたり。バスタブを泡でいっぱいにして皆で飛び込んでみたり……風呂から上がる頃には、表情の暗かったレン達も“大人のいないクリスマス”をすっかり楽しんでいて「次は何をしようか?」と皆で口々に話し合っていた。

 そんな矢先に、事件が起きたのだ……

 

―ガシャンッ―

 

 リビングに戻って来た時に響いたのは、ガラスの割れるような微かな音……

 家の中に居るのは自分達5人だけの筈であったし、特に風が強い訳でもなかった為、窓の外から何かが飛んで来てぶつかった。という訳でもない事は、幼いながらに全員が理解していた。

 

『お、お化け??』

 

 ビクッと震えてレンの背中にしがみついたシンに、クルトは優しく笑いかけた。

 

『大丈夫。お化けなんか俺がやっつけてやるから』

 

 ぽんぽんと怯えるシンの頭を撫でてやった後、クルトは少し警戒した様子でレンとエドガーを見つめ、言ったのだ。

 

『様子を見て来るから、お前達はちゃんと此処に居ろよ? 良いな?』

『うん……』

 

 何故あの時、素直に頷いてしまったのだろう?

 クルトを引き留めて、皆で隠れておけば……あんな事にはならなかったかもしれない。

 そんな思いに駆られながら口を閉ざしてしまったレンを心配そうに見つめた後、カイはエドガーへそっと訊ねた。

 

「で……その音の正体って、結局何だったんだ?」

「強盗だったんだ。2人組の……」

 

 微かに目を見開いたカイに、エドガーが続きを話し始める。

 トーマの仕事部屋の窓を割って侵入して来た強盗と鉢合わせてしまったクルトは、声を上げるより先に殴られ、口を塞がれてしまった。

 それを察知したのが、フィーネ譲りの聴覚を持つレンだったのだ。

 

『あッ――』

 

 バッと耳を塞ぎ、恐怖に凍りつたあの時のレンの表情を、エドガーは今でも鮮明に覚えていた。

 

『レン? どうしたの?』

『隠れて! 皆隠れて! 早く!!』

 

 そんな必死の呼びかけも虚しく、強盗犯はリビングにやって来た。

 大柄な男に腕でがっちりと首を締め上げられるように拘束され、口を塞がれたまま藻掻くクルトの姿を目にして、幼い自分達は恐怖に凍り付いたまま、声を上げる事すら出来なかった。

 

『なんだ。このガキを人質に金目のもん頂いてやろうかと思ってりゃ、ガキばっかじゃねーか』

 

 クルトを捕えている大男がそう言えば、ナイフを手にしたもう一人の強盗が、ゾッとするような意地汚い笑みを浮かべる。

 

『まぁ親が留守ならそれに越したこたぁねぇ。家中ガサ入れしたついでに、適当に何人か掻っ攫って、身代金でも要求してやるとしようぜ』

 

 そう言いながら此方へ歩み寄って来る強盗犯を見上げ、自分達はリビングのカーペットの上に座り込んだまま、身を寄せ合って震えている事しか出来なかった。

 その時だ。クルトが口を塞いでいる大男の手に噛み付き、声を上げたのは……

 

『お前ら逃げろ!! 早く!!!』

『ってぇ……このガキ!!』

 

 手にがっつりと歯型を付けられた大男は、怒りに任せてクルトを殴った。

 殴られた勢いのままに床へ倒れ込んだクルトに対し、大男は怒りの冷めやらぬ様子で蹴りを入れる。2度、3度と……痛みに呻きながら、身を守るように体を丸めるクルトの姿を見て、シンが泣き叫んだ。

 

『クル兄! クル兄ぃぃ!!!』

『ビービー泣いてんじゃねぇ! うるせぇんだよ!!』

 

 ナイフを持った強盗犯が苛立った様子でシンに歩み寄り、蹴り倒そうとした。

 だが倒れ込んだのは、間一髪のところで間に割って入り、シンの代わりに蹴られたレンだった。

 

『いっ……てぇ……』

『レンッ……』

 

 自分の方へ倒れ込んで来たレンを咄嗟に抱き留めた時、レンは両目にいっぱい涙を浮かべて、それでも恐怖と痛みに耐えながら震えていた。その手は蹴られた鎖骨を押さえており、さっきの蹴りで骨が折れたのかもしれない。という思いが頭を過った。

 レンを抱きしめたまま、自分はただ茫然とナイフを持った男を見上げ、震えていた。

 このままじゃ、きっと皆殺される……声も出ない程の恐怖に竦んでいた時、響いたのは掠れたクルトの声だった。

 

『レン達に……手を……手を出さないで、下さい……』

『あ?』

 

 蹴るのをようやく止めた大男の前で、クルトはふらつきながら体を起こし、懇願した。

 

『金目の物がありそうな場所なら、知ってます……だから、それ以上レン達には、危害を加えないで下さい……お願いします……』

 

 強盗達は顔を見合わせた後、ニヤリと笑った。

 大男は金目の物がある場所をクルトに案内させ、ナイフを持った男はレン達を見張る為にリビングに残り、自分達は成す術もないまま、震えていたのだが……

 

「クルトが、強盗の1人と一緒に二階へ行ってすぐ、銃声がしたんだ……」

「銃声?……まさか、撃ったのって…………」

「うん……クルトだよ」

 

 立て続けに響いた、3発の乾いた銃声と……男の絶叫……

 自分達を見張っていた強盗は、その銃声と声を聞いた途端、血相を変えてリビングを飛び出し、階段を駆け上がって行った。

 二階から響いた言葉で、自分達が聞いたのはほんの僅かな言葉だけだった。

 

『おい! どうした?!――このガキィッ! ぶっ殺してやる!!』

『この……クソガキがぁ!!』

 

 その後に続いたのは、派手な物音と再びの銃声。そして男達が痛みに叫び、呻く声……

 3発、4発と立て続けに響いた銃声に、自分達はただただ恐ろしくなった。

 シュバルツ夫婦の寝室に、トーマの軍用拳銃がある事は、自分達も知っていたから……

 

『どうしよう……』

 

 真っ青になって呟いた譫言のような呟きに、レンがそっと立ち上がった。

 レンには聞こえていた。クルトが一体何をしているのか、何を言っているのか……

 

『行かなきゃ……クル兄を止めなきゃッ……』

 

 骨折の痛みにふらつくレンを支えて、自分達はそっと階段を上っていった。

 今思えば、何と短慮な行動だっただろうか? と思わずにはいられない。5歳から8歳の子供だけで、強盗犯2人の居る場所へ向かうなど、考え無しにも程がある。まずは警察と救急に連絡するべきだっただろうに。と。

 だが、その時の自分達は、とにかくクルトを止めなければという思いでいっぱいだった。レンが「止めなきゃ」と言った以上、クルトはまだ、あの強盗達と戦っているに違いない。と、確信があったから……なのに、行った所でとっくに取り返しのつかない事態になっている可能性を微塵も考えていなかったのは……やはり幼かったが故なのだろう。

 ドアの半開きになった寝室……そこはまさに地獄だった。

 そこかしこに飛び散った血。床で大の字になって倒れている大男。そして、ナイフを持っていた筈の男に馬乗りになって、その顔を殴り続けていたのは……

 

『死んでしまえ! お前らなんか! お前らなんか!!』

 

 怒りに憑り付かれたかのように、光の無い目をしたクルトだった……

 

『クル兄ぃぃぃぃぃぃ!!』

 

 そんな部屋の中へ真っ先に飛び込んだのは、レンだった。

 レンはそのままクルトにしがみつき、泣き出した。

 

『クル兄……もうやめてよッ……この人達死んじゃうよぉ……』

 

 その言葉にハッとしたように動きを止めたクルトは、先程まで殴り続けていた男をぼんやりと見下ろす……男の顔は、いったいどんな力で殴り付けていたのだろう? と思わずにはいられない程、ぐちゃぐちゃになっていた。

 しかし、クルトは次の瞬間、信じられないような一言をポツリと零したのだ。

 

『……なんだ。もう死んでるんじゃないか』

 

 気の抜けたような、それでいて、何処かつまらなそうに零れた言葉に、自分も、レンも、背筋が冷たくなった……寝室の入り口に立ち尽くしたまま、全く動けなくなってしまった自分の隣から、妹のルーラがそっと寝室の中を覗き、パッと廊下に引っ込んで、シンをギュッと抱き締めているのが、視界の端に移っていた。

 

『ねぇ、クル兄は? クル兄大丈夫?』

 

 抱き締められたまま、唯一寝室の惨状を見ていないシンが、不安げにルーラへ訊ねる。

 ルーラはそんなシンを抱きしめて震えながら呟いた。

 

『クル兄なら大丈夫……大丈夫だけど……シンは見ちゃ駄目ッ……』

『どーして??』

『見ちゃ駄目なのッ……お部屋の中、怖い怖いだから……絶対、絶対見ちゃ駄目ッ……』

 

 それから一体どれくらいそうしていたか分からないが、やがて、外から響いてきたパトカーのサイレンでやっと我に返ったエドガーは、ふらふらと玄関へ向かい、鍵を開けた。

 

「きっと、僕達の泣き声とか銃声とかを聞いて、近所の人達が通報してくれたんだと思う。警察の人達が来て、救急隊員の人達がクルトとレンを救急車に乗せて……そこまではなんとなく覚えてるけど……その後の事は、僕も正直あんまり覚えていない。ただ病院の待合室で、警察の人や看護婦さん達が困るくらい、ずっと泣いていたような気がする」

「……そっか」

 

 話を聞いていた間に飲み干してしまったコーヒーの空き缶を、静かにゴミ箱へ捨てて、カイは再び自販機の側面に背を預ける。

 彼は星空を見上げながら、何処か納得したように呟いた。

 

「なるほどな……だからアイツ……」

「どうかしたの?」

 

 そっと訊ねてきたエドガーに、カイは大人びた眼差しをスッと細めて、淡々と語る。

 

「この支部に来た初日、俺、ネイトに絡まれたろ? 今まで何人殺した? って……あのやり取り聞いて、一番堅物な筈のクルトが俺にガミガミ言わなかったの、どうも引っ掛かってたんだよ」

 

 思えば、この第七辺境支部に来たあの日だけじゃない。

 瓦礫街の任務で、追っ手を射殺する事の是非を問うた時も同じだ。酷く戸惑った様子のレンとは打って変わり、クルトは多少考え込みはしたものの、自分と同じように潔く割り切った……14歳で銃を握った自分と、たった10歳で人を殺めたクルト……もしかしたら、そういった命の割り切りに関しては彼の方が自分よりも容赦が無いのかもしれない。

 

―俺とお前がギスギスしちまうのって……案外、同族嫌悪なのかもな―

 

 クルトに言ったあの言葉を思い返して、カイは内心苦笑する。

 自己嫌悪じみた部分だけでなく、こういった部分まで似ていたとは……偶然なのか、或いは無意識に同じものを感じ取っていたのかは分からないが、直観とは全く恐ろしものだ。

 

「じゃぁ差し詰め、その一件で詳しい事情を知らない連中が、クルトの事を“化け物”って呼ぶようになっちまった。って所か?」

 

 その問いに、レンもエドガーも表情を曇らせる。

 暫しの沈黙の後、絞り出すように小さく呟いたのはレンだった。

 

「それだけなら……きっとあんな風にはならなかったと思う」

 

   ~*~

 

 クルトはその事件で、思った以上に深手を負っていた。

 何の訓練も受けずに銃を撃った事で、銃のスライドで派手に手を切り、左腕もナイフで深々と切り付けられ、一体どんなもので殴られたのかは分からないが、右目も失明寸前……数日の入院を経て学校に再び通い始めた時、周囲はそんなクルトを拒絶した。包帯だらけのその姿と、強盗を殺したらしい。という噂から“人殺しの化け物”と呼んで……

 だが、クルトが一番傷付いてしまったのはそれではない。

 原因は主に2つ……1つは、レン達自身の問題だった。

 

「あんな怪我までして、クルトは必死に俺達を守ってくれたのに……俺もエドも、ルーラも……あの時強盗を殴ってたクルトの姿がトラウマで……暫く、まともに近寄れなかったんだ」

「あ~……」

 

 何やら察したように、カイが呻くような声を小さく上げる。

 兄貴分として慕っていた少年が、血塗れの部屋で、既に息絶えた死体を狂ったように殴り続けていたら……どんなに頭ではわかっていても、怖がってしまうのは仕方が無い事だろう。当時、レンもエドガーもまだ8歳だったのだから。

 だが、クルトにしてみれば裏切られたように感じても当然だ。ただでさえ学校で孤立してしまっていたというのに、必死に守った幼馴染達にまで避けられるようになってしまったのでは、あまりにも報われなさ過ぎる。

 

「それは……確かに仕方がねぇけど……クルト傷付くよなぁ……」

「うん……クルトがシンを一番可愛がってるのは、その時のクルトを知らないシンだけが、ずっとクルトに懐いてたからだし」

「……なるほどな」

 

 レンの家に招かれた時、シンとじゃれ合って明るく笑っていたクルトの姿を思い返す。

 きっと、シンだけが当時のクルトの心を繋ぎ止めていたに違いない。

 

「だけど……もう一つの原因ってのが、そんなクルトに止め刺しちまってさ」

「止め??」

 

 怪訝そうな顔をしたカイに、エドガーが呟いた。

 

「年末に、家族でガイガロスのシュバルツ邸に帰省してた時……分家の親戚達にこう言われたらしいんだ。『お前のような化け物、生ませるのではなかった。』って……」

「はぁ?! なんだそれ?!」

 

 いくらなんでも、その言葉にはカイも憤りを感じざるを得なかった。

 武器を所持した強盗相手に、年下の幼馴染達を……大切な弟分達を守ろうとした結果、その強盗を殺めてしまった。確かに10歳の少年がやった事としてはあまりにも重大ではあるが、それでも、立派な正当防衛として成立する事は間違い無い。存在そのものを否定される謂れなど無い筈だ。

 

「シュバルツ家って名門一族だからさ……家柄とか世間体とか気にする人、多いみたいで……親の前で寄って集って罵倒されまくったんだよ。中には精神病院に隔離しろだとか、勘当して施設に入れろだとか言う人達まで居たって聞いてる」

 

 レンの言葉に、カイはうんざりしたような長い溜息を深々と吐いた。

 

「これだから嫌なんだよなぁ。名門一族って奴は。家柄ばっか鼻に掛けて、威張り散らすしか能のねぇド屑ばっかかよ。何処も彼処も……」

 

 吐き捨てるように捲し立てるカイに、レンとエドガーは戸惑ったように顔を見合わせ、カイはそんな2人に言葉を続けた。

 

「つーか、強盗2人殺しただけで生ませるんじゃ無かっただの、隔離しろだのなんだの言われるってんならさ、俺どうなるんだよ。ハイドフェルド家一の人殺しだぜ? 多分」

「……そっか、そういえばカイも、名門の出だったね……」

 

 何処かポカンとした様子で、エドガーが呟く。

 普段の態度や、その経歴から忘れがちだが……ハイドフェルド家も、代々優秀な空軍パイロットを輩出して来た名門一族だ。カイにとって、クルトの置かれた立場はけして他人事ではなかった。

 家出して以来、両親とは再会したが、親戚達と顔を合わせた事はまだ無い……まぁ、仮に同様の罵倒を受けたとしても、自分は恐らくクルトのようにはならないだろう。言いたい奴には言わせておけば良い。と、聞き流せる程度には大人になったし。情報屋だった過去や、躊躇いなく引き金を引けてしまう自分を知った上で、傍に居てくれる仲間が居るから。居場所があるから……それが、生きる意味になるから。

 だが、当時のクルトはまだたった10歳の少年だったのだ。浴びせられた心無い言葉を聞き流す事も出来ず……シンという僅かな居場所すら、生きる意味すら、その言葉で失ってしまっていたに違いない。

 

「クルト、ヘルトバンに戻って来た時に言ってたんだ……」

 

 レンは深刻な表情で俯いたまま、そっと呟いた。

 

「あの時、俺も強盗と一緒に死んでいれば良かった……って……」

 

 そう語った時のクルトの表情を、レンは今まで忘れられずにいた。

 遊び疲れて昼寝をしているシンの頭を撫でながら、クルトはこの世の全てに絶望したような暗い瞳で、膝を抱えたまま消え入るように言葉を続けた。

 

『そうすれば、父さん達が悪く言われる事も無かったし……お前らがこうして、俺をずっと怖がる事も無かったのに……ごめんな。俺みたいな化け物、生まれてこなければ良かったんだ……』

 

 どれだけクルトが傷付いていたか、幼いレンはやっとそこで気が付いた。

 緊急出動で両親達が慌ただしく家を後にした時、兄弟の居ない一人っ子のクルトこそ、貴重な家族の時間を奪われて寂しかった筈なのに。

 強盗と一番最初に遭遇して、殴られて、蹴られて、ボロボロになるまで必死に戦って……一番怖い思いをしたのは、クルトの筈なのに。

 身体にも心にも傷を負って、どれだけ痛かっただろう。どれだけ苦しかっただろう。そんなクルトを怖がっていた自分達も、どれだけそんなクルトを傷付けてしまったのだろう……

 

『俺、死のうかなって思ってるんだ。どうせ俺は人殺しだし、父さんや母さんにこれ以上肩身の狭い思いさせたくないし……俺みたいな化け物なんて、誰も……生きてて欲しくないだろうし……だから、俺がいなくなった後は、お前が皆を守ってやってくれ』

 

 涙すら無く淡々と語るクルトの姿に、その言葉に、視界が滲むのは一瞬だった。

 

『クル兄が死ねばよかったなんて……俺、思ってないよ……』

 

 あんなに怖がっていた筈のクルトが、今にも消えてしまいそうで……それを必死に引き留めようとするかのように、レンはクルトに抱き着いていた。

 

『クル兄ごめん……クル兄は俺達の事、守ってくれただけだったのに……怖がってごめん。ごめんなさい……もう怖がったりしないから、俺、ずっとクル兄の味方でいるからッ……だから死なないで……俺、クル兄が居なくなるなんて嫌だッ……絶対嫌だッ……』

 

 ぐすぐすと泣きじゃくる自分の頭に、包帯で覆われた手がそっと置かれた。

 恐る恐る見上げた先で、クルトは暗い瞳のまま、安心させようとするような笑みを顔に張り付けていた……

 

『じゃぁ……もう少しだけ生きてみるよ』

 

 形だけの、感情の無い言葉……薄っぺらい、その場凌ぎの嘘。

 それは、幼いレンでも容易に察しがついた。それでも、その嘘に縋って、自分の身勝手な我儘でクルトを引き留めたのだ。周囲から孤立し、孤独になってしまった大切な幼馴染を……悲しい程に強くて優しい、大好きな“お兄ちゃん”を……

 

「……」

 

 カイは足元に視線を落としていた。

 自分が死んでも構わないと思っていたのは、親友を見殺しにした罪悪感からだ……そしてそんな自分を受け入れてくれたレンの存在や、仲間の皆のお陰で、そんな自分を少しずつ変えて行こうと思えるようになった。前を向いて、もう一度歩いて行こうと思えた。

 だがクルトはどうなのだろう?……たった一度のやむを得ない過ちの為に、周囲の無理解に晒され、心無い言葉の刃を浴びせられ、この世に絶望してしまった彼は……自分を居なくて良い存在だと思ってしまった。だからシーナにも、想いを伝える事は無い。と言ったに違いない。自分のような人殺しの化け物に、人を愛する資格など無い。と……

 

「ガキ1人を寄って集って吊るし上げて、罵倒して、存在そのものを否定して……死にたいって言うまで追い詰めて……まともな大人のやる事じゃねぇよ……ふざけやがって……」

 

 静かに、吐き捨てるように、カイは呟く。

 そんな彼を見つめた後、俯いたエドガーがそっと言った。

 

「周りに存在を否定された事だけが、クルトの死にたがりの動機じゃないと思うんだ。クルトの特異体質って、あの事件の後遺症のようなものだから……」

「え?」

 

 戸惑いに顔を上げたカイの視線の先で、エドガーは空になったココアの缶を手の中でゆっくり転がしていた。

 

「命の危険に晒されて、体のリミッターが外れて……それ以来、自分の意志でリミッターを簡単に外せてしまうようになったんだ。それまでは、クルトも普通の子供だったのに……だからクルトはそんな自分を、自分でも“化け物”だって思ってるんだと思う。人を殺した事で、自分も人でなくなってしまったんだ。って……」

 

 カイは再び視線を落とす。

 聞くに堪えないような反吐の出る話など、今まで散々聞いてきたと思っていた。だが、平和な町で何気なく暮らしていただけの筈であったクルトの話は、そんな今まで聞いてきた話よりも、ずっと凄惨に感じた。

 この世に絶望し、自身を化け物と蔑んで、死んでしまいたいと零した少年。同情すら憚られるような過去を抱いた彼が、何故死に物狂いで訓練を受け、ガーディアンフォースになったのだろう?

 そう考えた直後、カイは思わず嫌な予感がした。

 

―俺は整備開発以外に何の取り柄も無い人間だ。―

 

 そう語っておきながら、何故、戦闘員を兼任しているのか……

 自分の特異体質が、戦闘員として役に立つから? いや、きっとそうではない。

 幼馴染であるレン達を守りたいから? そんなの、結局建前だろう。

 専属開発整備班所属のクルトが、わざわざ戦闘員を兼任して任務に従事している理由なんて……恐らく、一つしかない。

 

「……クルトの奴、今でも死にてぇのかな?……」

 

 独り言のような呟きに表情を強張らせた後、レンは再び俯く。

 

「……わからない。けど、俺はクルトに……死んで欲しくない……」

 

 何処か頑なな様子でそう呟いたレンを心配そうに見つめ、カイはそっとエドガーに訊ねる。

 

「エドガーは、どう思う?」

 

 エドガーは躊躇うように沈黙していたが、やがて静かに答えた。

 

「もし、それがクルトの望みなら……僕達にはクルトを止める資格なんて、無いと思う。クルトをあんな風にしてしまったのは、僕達にも責任があるから……傷付けるだけ傷付けて、死ぬな。なんて……少なくとも、僕には言えない……」

「そっか……」

 

 死んで欲しくない。というレンの言い分も、自分達に死ぬなという資格は無い。というエドガーの言い分も、カイには何処か幼稚で無責任に思えた……だが、そんな自分も、何が正しいのか? というのはよくわからない……

 クルトにとって、生きる事が幸せなのか、それとも死ぬ事が幸せなのか……それはクルト自身にしかわからない事だ。世間一般の正しさに従って苦しみながら生きた所で、到底幸せとは言えないだろう。だが、死ねばそれまでだ。その先に待っていたかもしれない可能性や幸せを手にする事も無く、化け物と蔑んだ自分が消える事に安堵を覚える最期など……あまりに悲し過ぎる……

 

「難しいな……生きる事も、死ぬ事も……」

 

 大人びた静かな声は、ひんやりとした夜の空気と共に、レンとエドガーの胸にそっと溶け込んで消えた。

 

   ~*~

 

 その頃、クルトは基地内病棟の一室で、パイプ椅子に腰かけていた。

 目の前のベッドには、気を失ったままのシーナが寝かされている。

 

(あの時……どうして……)

 

 クルトはぼんやりと、食堂での出来事を思い返す。

 シーナが豹変した事には驚いたが……クルトが一番疑問に思っているのはそこではない。

 何故、シーナはネイトに対し、あんなにも怒りを露わにしたのだろう? それが、クルトの中でいつまでも渦巻いているのだ。

 

―それ以上何か言ったら……許さないから―

 

 ネイトに発したその一言は、何を思って発した言葉だったのだろう?

 クルトは……シーナが自分の為に怒ってくれたのだ。と、自惚れる事すら出来なかった。ただただ罪悪感のような感情に苛まれながら、彼は表情を陰らせる。

 

(シーナさんがあんな事をする必要なんて無かったのに……俺の事なんか、気に掛けてくれなくて良かったのに……)

 

 気を失ったままのシーナの手を、そっと握る。

 白く細い指は、女性らしくしなやかで柔らかいその手は、とても繊細でか弱い……この手がネイトへピッチャーを振り翳したなど、到底信じられなかった。

 ……同時に、そんな事をさせてしまった自分が、酷く情けなかった。

 ただ黙って聞き流していれば良かったのだ。サッサと食事を終えて宿舎に戻ってさえいれば、きっとシーナはこんな事にはなっていなかった。豹変して人を傷付け、気を失うような事にはなっていなかった筈なのだ。と、クルトは自分を責める。

 

「……シーナさん。貴女は誰も傷付けなくて……良いんです」

 

 気を失ったシーナに、クルトは静かに語りかけた。

 

「手を汚すのは、化け物である俺の役目です。傷付くのも、傷付けるのも、全部……俺が引き受けます。だからどうか……シーナさんは安心して、笑っていて下さい」

 

 幼い日の悪夢のような聖夜……あの一件で化け物と成り果てた自分が、死を望むようになった自分が、ずっと思い描いてきた理想……自分のような化け物に笑いかけてくれる人達に、この身で、この命で報いたいという、悲痛で無責任な、独り善がりの孤独な決意。

 「生ませなければ良かった」とまで言われた自分が、今も生きているたった一つの理由が、それだった。

 人を殺しても、何の罪悪感も湧かない。怪我をする事を恐ろしいとも思わない……無駄に頑丈でしぶとい化け物だからこそ、大切な者を守る為ならいくらでも傷付こう。いくらでも手を汚そう。そうしていつか……最期に誰かを守って死ねたなら、生ませなければ良かったと言われたこの命にも、多少なり価値が付く。それさえ果たせれば、後は正直どうでも良いのだ。

 父と一緒にガーディアンフォースで働くのが夢……そんな建前の夢を騙りながら、必死に工学を学んだ。死に物狂いで訓練を受けた。周りには夢を叶える為だとだけ伝えて、その実、ただ死ぬ為だけに此処まで来たのだ。化け物が平和の担い手など笑わせるな。と罵倒する者達に、望み通り死んでやるから黙ってろ。と思いながら……

 

―その夢、絶対叶えろよ。俺応援してっから―

 

 嘘吐きな自分の偽りの夢に、真っ直ぐな声援をくれたザクリスには、申し訳ないと思っている。

 だが同時に、この偽りの夢を本当の夢として追い掛けられたなら、どんなに良かっただろう? と思ったのも確かであったし、そんな夢を見させてくれた彼には、心から感謝していた。彼の声援が自分の糧になった事も、また事実だから……あの時流した涙には、嘘は無い。

 一歩一歩、身を投げる為の崖を目指して歩くだけのような人生の中で、そんな優しい人に出会えたのは、自分には勿体無い程の思い出だ。

 なのに……思い出で終わらせてしまうには惜しいと思ってしまう少女に出会ってしまった。ただ傍に居たい。と……ずっと、彼女に笑いかけて欲しい。と……それが、シーナだった。

 

(死にたがりの化け物が……恋をするだなんて……)

 

 彼女と出会って「生きていたい」と思えるようになったか? と問われれば、答えは「NO」だ。

 どれだけ恋焦がれようと、結局自分の根底には「誰かを守って死ぬ」という夢があり、揺らぎもしない。そんな自分が、彼女を幸せに出来る筈が無いのだ。

 

―私には、シーナが困っている原因は私ではなく、君に見えて仕方がないのだが―

 

 セルウェイの指摘が脳裏を過る。

 確かに彼の言う通りだ。自分では、彼女を幸せに出来無い。それを誰よりも理解していながら、それでも、好きでどうしようもなくて、彼女に言い寄る男に嫉妬してしまう。心置きなく死ねる瞬間が来るまで……それまでの僅かな間だけだから……と、一方的に言い訳を積み上げて、自分勝手な独占欲を彼女に押し付けているのだ。シーナにとっては、さぞいい迷惑だろう。なのに……

 

―私は、クルトにも傷付いて欲しくない。自分をどうでも良い。って思って欲しくない―

 

 彼女はそう言って、約束の鷲を差し伸べてくれた……その優しさと純粋さに結局縋ってしまった自分は、なんと無責任なのだろう。

 いずれその約束を破る日が来る事を確信していながら、彼女を悲しませたくないから。などという矛盾した理由で約束を交わして……

 

(本当に、馬鹿だよな……)

 

 どうかいっその事……誰かを守ってこの命を投げ出す時は、その時は、シーナを守って死んでしまいたい。好きな人を守って死ねるなら、これ程意味ある死は無いだろう。

 そして同時にそれが、こうして迷惑を掛け続けているシーナへの、せめてもの罪滅ぼしとなってくれたなら……思い残す事も無い。

 

「……最低だ……」

 

 どんなに綺麗事を並べても、救われるのは自分だけ……ただ自分が救われたくて、大切な人達を理由として利用しているだけ……身勝手で、我儘で、卑怯で、最低な、化け物の願い事。

 

「ん……」

 

 ふと、シーナが目を覚ました。

 クルトはハッとしたように顔を上げ、シーナを見つめる。彼女の鶯色の瞳は、普段通りの明るい色で、きょとんと病室を見渡していた。

 

「あれ?……此処って??」

 

 ベッドの上で起き上がり、もう一度不思議そうに病室を見渡しているシーナへ、クルトが優しく語りかけた。

 

「基地内病棟の一室です。あの後気を失ってしまわれたので、大事を取って此方に」

「あのあと??」

 

 困ったように小首を傾げて訊ね返すシーナに、クルトも違和感を感じる。

 あんなに派手に人を殴ったのだ。まさか“覚えていない”などという事は、流石にあるまい。

 

「ええ。食堂で……」

 

 だが、そこまで言いかけて、クルトは思い留まった。

 もし万が一、シーナが本当に覚えていなかった場合「ネイトを思いっきりぶん殴ってたじゃないですか。」などと言われたら、酷く取り乱すに違いない。

 彼は酷く遠慮がちに、そっと探るようにシーナへ訊ねた。

 

「もしかして……覚えておられないん……ですか?」

「ん~っと……」

 

 シーナは布団の端を握りしめたまま、一生懸命考えていたが……その後、驚愕の返事を返した。

 

「セルウェイ少佐がクルトと話してたのは覚えてるけど……その後、何かあったの??」

「え……」

 

 若草色の瞳が、戸惑いに見開く……

 そう。シーナは自分がネイトを殴った事は勿論、その発端となったクルトとネイトの会話すら、全く覚えていなかったのだ。

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