気が付いたら、病棟のベッドだった。
なんだか私、晩ご飯食べながら気を失っちゃってたみたい。
でも、さっきのクルトの様子、いつもとちょっと違ったような気がする。
私が気を失ってた間に、何か……あったのかな?
[シーナ]
[ZOIDS-Unite- 第37話:別の誰か]
夜の基地内病棟。その廊下に、3人分の足音が響き渡る。
カイ、レン、エドガー。彼等は先程、クルトから連絡を受け、シーナの病室に向かっていた。
―シーナさんが、食堂でのやり取りを一切覚えていないんだ……―
戸惑いを滲ませながら伝えてきたクルトの声。その声音は「自分も未だに信じられない。」と言いたげであった。それを聞いた3人も、同様である。
(覚えてないって……どうして……)
その中でも一際戸惑いと不安に駆られているのがカイだ。
あの強烈なやり取りをシーナが一切覚えていない……遺跡で出会ったあの日から、明るく無邪気な彼女をずっと見て来た彼にとって、それはあまりにも信じ難かった。
「クルト!」
廊下を曲がった先。シーナの病室の前で廊下の壁に背を預け、腕を組んで俯いているクルトを見つけたカイが、その名を呼ぶ。
ハッとしたように顔を上げ、此方を見つめたクルトに駆け寄り、彼は訊ねた。
「シーナが何も覚えてなかったって、ホントか?」
「あぁ。俺とセルウェイ少佐が話していた辺りまでしか、覚えていない。と……」
「……」
何処か訝し気な表情に心配と不安の色を織り交ぜながら、カイは開きっぱなしになっている病室の入り口から、室内を……ベッドの上で起き上がり、医務官と話をしているシーナを見つめる。
いつものきょとんとした表情で、医務員の質問に素直に答えている彼女の姿は、まるで何事もなかったかのようで……それが逆に不安を掻き立てた。
何故、何も覚えていないのだろう?一体、彼女の身に何が起きていたのだろう?……もやもやとしたままシーナを眺めた彼は、やがて吐息のような微かな溜息を一つ吐いて呟いた。
「とりあえず、廊下で雁首揃えて話し込んでても仕方ねぇ。場所変えようぜ」
その提案に、レン達がそっと頷く。
先に歩き出したレンとエドガーの数歩後から、暗い表情で後に続くクルトの背を、カイが無造作に、しかし何処か優しく叩いた。
「お前のせいじゃねぇから、そんな顔すんな」
ひっそりとした声で囁くようにそう告げると、カイはクルトの隣を歩く。
クルトはそんなカイの様子に何かを察したのだろう。探るような眼差しを向けながら、静かに訊ねた。
「一体……どういう風の吹き回しだ?」
そんなクルトをチラッと見上げた後、カイは伏し目がちに視線を落とす。
「覚えてない。ってのが嘘であれ本当であれ、あの時ネイトをピッチャーでぶん殴ったのは、シーナ自身の判断の結果だ。お前が責任感じる必要はねぇよ」
「何を言うかと思えば……俺は別に「自分のせいだ」と言った覚えは無いが?」
「言ってなくても、顔見りゃ分かんだよ」
何処か投げ遣りに呟いた後、カイはふと表情を陰らせる。
「俺もずっと、自分を責めて来たクチだから……」
「……そうか」
たった一言ではあったが、ぶっきらぼうなクルトの返事に、訝し気な響きはもう無かった。
~*~
隊員宿舎のレストルームまで戻った彼等は、数台置かれた丸テーブルの内の1つを揃って囲む。
テーブルに突っ伏すようにして視線を落としながら、最初に口を開いたのはレンだった。
「シーナ、一体どうしたんだろうな?……」
その一言に、一同は重苦しく黙り込む。
―大丈夫。殺してないから―
―止め、刺した方が良かったかしら?―
―そう。残念ね―
食堂でのシーナの変貌ぶりは、まるで別人のようだった。
その発言も、もしセシルが止めを刺して良いと言っていれば、本当に止めを刺していたのではないか?と思わずにはいられない。
明るく無邪気なシーナが垣間見せた、狂気とも取れる冷徹さ……それを当の本人であるシーナが全く覚えていないなど、本当に有り得るのだろうか?
「僕……ちょっと思ったんだけど……」
エドガーが遠慮がちに、そっと声を上げた。
「シーナって、もしかしたら二重人格……なんじゃないかな?」
「二重人格??」
不思議そうに訪ね返すレンに頷いて見せて、エドガーは言葉を続ける。
「たまに映画やなんかでもあるだろう? 普段の人格は、もう1つの人格に切り替わっている間の記憶を一切覚えていない。っていう描写。もしかしたらそれなんじゃないかな? って……アディンセル准尉を殴った時の豹変具合も、明らかに普段のシーナじゃなかったし」
あまりに突拍子も無い仮説に、カイがテーブルに頬杖を突いて疲れたような表情を浮かべた。
「まぁ、そうでもなきゃ説明付かねぇのは確かだけどさ……フィクションじゃねぇんだし、いくらなんでも……」
しかし、そんなカイの言葉の直後、口元を手で覆うようにして考え込んでいたクルトが、不意に真顔で呟いた。
「……いや。エドの言う通りかもしれない」
「え?」
カイ達の視線が一気にクルトへ向けられる。
クルトは口元からそっと手を放し、レンとエドガーを見つめた。
「シーナさんが気を失う直前、何と言ったか覚えているか?」
「何て言ったか??」
「えっと、確か……」
食堂でのやり取りを思い返す。
シーナが気を失う直前に呟いたのは……
―大丈夫。もう“戻る”から……―
その一言を思い出し、ハッとしたように顔を見合わせたレンとエドガーを交互に見つめ、1人置いてけぼりを喰らっているカイが遠慮がちに訊ねた。
「なぁ……お前らだけで納得してねぇで、俺にも教えてくれよ」
「あぁ、悪ぃ悪ぃ」
苦笑を浮かべるレンの隣で、エドガーがそっとカイの質問に答える。
「気を失う前、シーナが「もう“戻る”から」って言ってたんだ」
「戻る??」
訝し気に訊ね返すカイに、クルトが頷いて見せた。
「あの“戻る”というのが“人格の切り替わり”を指し示しているのだとすれば、二重人格の可能性はかなり高いと思わないか?」
「……」
背凭れに身体を預け、腕を組みながらカイは考え込む。
二重人格である。と仮定した上で、自ら“戻る”と発言している事を考えると、あの冷たい人格はある程度“自分の意志”で自在に主導権を握る事が出来るのだろう。今まで頑なに姿を現さなかったというのに、何故、今回あの人格が表出したのか? については、ネイトを殴った直後の発言からある程度察せるような気がする。
―それ以上何か言ったら……許さないから。―
あれは間違い無く、クルトを化け物呼ばわりしていたネイトに対して怒りを露わにしていた。
だが、何故そこまで……ネイトを殺しかねない程の勢いでキレたのかがよくわからない。
―クルトはさ……化け物。って呼ばれる事に、すっげートラウマがあるんだ―
不意に脳裏を過ったのは、レンの言葉だった。
クルトがネイトに対してキレた理由が“化け物呼ばわりされた事”だったのと同じように、もしかしたら、あのシーナもまた、化け物と呼ばれる事そのものに対して何かしらの耐え難い思いがあるのかもしれない。例えそれが、自分へ向けられた物でなくとも……
(化け物……化け物か……)
カイはふと思い至ってしまった。
痛覚の無いシーナにとって、傷付く事に対する恐れは皆無に等しい。戦い抜く為の障害となり得るのは、彼女自身の“優しさ”だけ……あの冷徹な人格の正体が、古代大戦の時代を生き抜く為に生まれた“戦う為の人格”だと仮定すれば、シーナがその間の事を覚えていない理由も、体中の無数の傷跡がその間に刻まれたものである事も、説明が付く。実際、シーナ自身もこう語っていた。
―もし思い出せなくなってる記憶が戦いの記憶なら、アレックスがパイロットスーツを着てた理由も……私の身体の傷跡も辻褄が合っちゃうから……―
と……
当然、どれだけ傷を負っても平然としているその姿は、何も知らぬ者達の目に“化け物”として映っても不思議ではない。
「……」
不意に、意識が遠のくように、視界が捉えていた景色が溶ける。それと入れ替わる形で脳裏に浮かんだのは、シーナの姿だった。
見覚えの無い黒と赤のパイロットスーツに身を包み、血のような赤いサソリ型ゾイドの背に立ち尽くした彼女は、焦土と化した景色の中で風に吹かれている。血塗れで振り返った彼女の瞳は何処までも暗く、冷たく、まるでこの世の全てを呪っているかのようで……
「違う……」
無意識のうちに、口を突いて言葉が零れた。
脳裏に過った光景に戸惑ったのか、それとも必死に思い出そうとしているのか……カイは片手で頭を押さえる。愕然としたような表情の中で、見開いたその目は光を失い、虚ろに陰っていた。
違う。シーナは化け物なんかじゃない。
ずっと夢見ていた平和な時代に目覚め、当たり前のような事にも目を輝かせて興味を示し、些細な幸せを無邪気に喜び、不安や悲しみに涙し、時折、ムキになって怒りもする。古代ゾイド人であろうと、痛覚が無かろうと、シーナはれっきとした人間だ。
これは彼女が望んだ姿じゃない。あの人格は本当のシーナじゃない。
歪められたのだ。心無き者達に……“ ”と同じように……
「悪いのは、全部“あいつ等”だ……」
脳裏に浮かんだ光景が砂嵐のようにザラつき、不鮮明になりながら切り替わっていく。
そんな中で微かに確認出来たのは、軍人や科学者と思しき者達の姿だ。
そいつらが、泣きながら抵抗するシーナの腕を掴んで、乱暴に連れて行こうとしている……どんなに必死に叫んでも、手を伸ばしても、敵わない。届かない。逆らえない……
「守ってやれなかった……俺のせいだ……」
己の無力さを悔いるように、見開かれたままの瞳から涙が零れた。
「カイ!!!」
不意に肩を乱暴に掴まれ、ハッとカイは我に返る。
光を取り戻した薄紫色の瞳が見上げた先には、心配そうに此方を睨むクルトの姿があった。
「しっかりしろ。一体どうしたんだ。お前まで……」
「……悪ぃ」
ぽかんと呟いて、カイはふと気付いたように涙を拭う。
(俺……いつの間に泣いたんだろう?)
クルトに呼ばれ、我に返るまで……自分は、一体何を考えていた?
カイはただ“流した覚えの無い”涙に微かな戸惑いを抱く。
涙を拭った後の自分の手をぼんやりと眺めるカイの様子に、レンが席を立ってそっとその傍らにしゃがみ、見上げるようにして心配そうに顔を覗き込んだ。
「なぁ、カイ。“あいつ等”って誰の事だ?」
「え?」
直後、レンを見つめたままカイがピシリと固まる。
その様子にレンとクルトが顔を見合わせた直後、カイは愕然とした表情を浮かべて信じられないような一言を発した。
「俺……さっき、なんて言ってた?」
「えぇぇぇぇ?!」
驚きの声を上げたレンが立ち上がり、カイの両肩を掴んで自分の方を向かせ、顔を見つめる。
「お前覚えてないのかよ?! マジで?! あんなにハッキリ喋ってたじゃん!!」
「いや、なんか独り言言ったような気はすんだけど……なんて言ったのかマジで覚えてねぇ」
途方に暮れたように答えるカイの姿を眺め、クルトは不安げに視線を伏せた。
彼の脳裏に、以前聞いた言葉が再び過る。
―ゾイドに乗る為に生まれて来たような子だったの。本当に、ただその為だけに……―
―実言うとさ、俺……小さい頃の記憶、殆ど覚えてねーんだ―
カイの母、ジャネットの言葉と、カイ自身が明かした幼少期の空白の記憶。
それに加えて、先程カイが口走った言葉……
―悪いのは、全部“あいつ等”だ……―
―守ってやれなかった……俺のせいだ……―
いきなり涙を流して意味深な事を口走ったカイもまた、シーナと同じようにその間の言動を自分で覚えていない。此処まで揃って尚、クルトは何処か信じられないような気持ちでそっと呟いた。
「まさか……な」
もしかしたらカイも……いや、カイは……
「とりあえず一旦落ち着こう。このままじゃ、どんどん混乱するばっかりだ」
カップ式自販機で買って来たコーヒーをカイへ差し出しながら、エドガーが優しく声を掛ける。
カイは戸惑いながらも差し出されたコーヒーを受け取り、申し訳なさそうな表情を浮かべた。
「えっと……なんか、ごめんな?」
「謝らなくて良いよ。レンとクルトも何か飲む?」
「じゃぁ、俺カフェオレ」
「俺はブラックで良い」
「うん」
再び自販機へ取って返すエドガーを見送って、クルトは疲れたような溜息を吐く。
複雑そうな眼差しを暫し向けた後、彼は嫌っている筈のカイの頭にぽんっと手を置いた。
「……え? どうした?」
戸惑ったように此方を見上げて来た薄紫色の瞳。
その瞳に光が戻っている事を確認して、クルトはポツリと訊ねる。
「大丈夫……なんだな?」
「あぁ。もう大丈夫……ぽい」
「そうか。なら良い」
投げ遣りな口調とは打って変わって、ぽんぽんと叩くように頭を撫でたその手つきは、何処か優しかった。
「これ以上憶測を議論し続けた所で、何か進展する訳でもなさそうだ。飲み物飲んで一息ついたら各自解散するとしよう。レンとエドもそれで良いか?」
「あ、うん。わかった」
「そうだね。今日一日で色んな事があって、皆疲れてるだろうし」
苦笑を浮かべたエドガーから手渡されたコーヒーを、レンとクルトが受け取る。
今考えた所で答えなど出る訳が無い。きっといずれ、全てが明らかになる日が来る事だろう。そんな事をぼんやりと考えながら、クルトは無言のまま熱いコーヒーを啜り、そっと目を伏せた。
~*~
「医療スタッフや医務官は“特に異常は無い”って言っていたけれど、もし何か体調に変化があったらすぐに言うのよ? 良いわね?」
「うん。ありがとう。メイシェンさん」
その頃、メイシェンに付き添われて基地内病棟を後にしたシーナは、泊めてもらっている彼女の部屋でいつものように床に就いていた。
まぁ床と言っても、隊員宿舎の部屋は完全個室である為、ベッドは当然シングルサイズ。大人と10代半ばの少女が一緒に寝るには些か狭い。
おまけに宿舎の自室に誰かを泊める。というのも滅多にある事では無いので、シーナの寝床は部屋にあるものを寄せ集めただけの簡易的な物だ。
本来なら冬場に使っている厚手の掛布団をマットレス代わりに床へ引き、薄手のブランケットを被っただけ。枕に至っては、ベッド脇に鎮座した巨大なパンダのぬいぐるみに膝枕してもらっているという状態でシーナは毎晩寝ている。
メイシェンは最初、寝心地が悪いだろうからベッドを使って良い。と言ってくれたのだが、シーナにとってこの簡易の寝床は存外寝心地が良かった。父やアレックスと地下研究所で暮らしていた頃の寝床など、マットレスとも呼べないような薄くて硬いウレタンマットの上で、アレックスと身を寄せ合って寝ていたのだから。それに比べれば、ふわふわとした厚手の羽根布団の感触も、もふりとしたパンダの脚も、手触りの良いタオルケットも、まさに快適そのものである。
「じゃぁ、おやすみなさい」
「えぇ。おやすみ。シーナ」
ベッドの上からそっと身を乗り出してシーナの頭を一撫でした後、メイシェンが室内灯を消す。
暗くなった部屋の中で、シーナは小さくころんと寝返りを打ち、黒々とした天井を見上げた。
(私、一体どうしたんだろう?……)
ぼんやりと、記憶を手繰る。
クルトがセルウェイに話し掛けられた後、すっかりいつもの調子に戻って「面倒な人に気に入られてしまった……」と呟いたのはハッキリと覚えている。その言葉を聞いてホッとしたのも、レンと頷き合ったのも……同様にハッキリと覚えている。だが、その後何があったのか?というのがどうしても思い出せない。
そもそも、この時代に目覚めてからの自分は何かおかしい。同じように記憶が途切れた、或いは気を失った事がこの他に“3回”ほどあった。
1回目は、サンドコロニーであのディスクを調べた時の事だ。
―あれ? いつ抜いたんだろう……―
ユナイトに意識を引っ張り戻して貰い、足元でディスクが破壊された音が響いた直後、ほんの僅かに記憶が途切れ、気が付いた時には“抜いた覚えの無い”ソケットのコードを握りしめていた。
あの時は無意識に引っこ抜いてしまっていたのだろう。と思って、特に深く考えはしなかったのだが……今思えば、これが全ての始まりだったような気がする。
次に、ククルテ遺跡の中庭。過去の記憶をほんの少しだけ思い出した直後、気を失った。
しかしこの時は、気を失う直前に思い出したアレックスの姿をハッキリと覚えていた。黒と青の軍用パイロットスーツに身を包み、その顔に昔から変わらぬ穏やかな笑みを湛えてた、兄の顔を。
―シーナぁ~ユナイト待ちくたびれてないかぁ~?―
カイから呼び掛けられた言葉と、かつて同じ場所で同じように声を掛けて来たアレックスの言葉が脳裏でピッタリと重なる。全く同じ顔と声に記憶を呼び覚まされたあの瞬間、自分が真っ先に感じたのは、何故か“恐怖”と“不安”だった……
ゾイドを戦争に使う大人を憎んでいたアレックスが軍に身を置いていた。という事に対する不安や戸惑いは「戦わなきゃいけない理由があったんじゃないか?」と言ってくれたカイの言葉で納得した。優しくて責任感の強いアレックスだからこそ、どうしても戦わなければならない理由が出来てしまったのなら、きっと戦う事を選んでいただろう。と。
それでも尚、あのアレックスを思い浮かべる度に、腹の底がざわつくのだ。ただ穏やかな笑みを湛えているだけの筈なのに、目を背け、逃げ出したくなるような衝動に駆られるのだ。
一体何故、そんな思いを抱いてしまうのか……自分でも全く分からない。
「……」
不安にそっと目を細め、再びころんと寝がえりを打つ。
なんとなくメイシェンの寝ているベッドに背を向けて、シーナは身を守るかのように小さく丸まった。
3回目の記憶の途切れは、正直取るに足らない程度の些末なもの。
第七辺境支部での訓練初日。午前訓練を終え、ネイトとレンが大喧嘩をして、カイがネイトを追い掛けて行った時……カイの後姿を見送った直後の記憶が、ほんの少しだけ飛んでいるのだ。
思っていたよりも疲れていたのだろう。少しぼーっとしていただけ……その程度にしか思っていなかったのだが、今回、新たに起きた4回目の気絶事件で、この症状に対する意識が一変してしまった。
これまでは気を失う“前”と“後”で周囲の者の態度が変わるような事は無かったが、今回目覚めた時、クルトも医務官も何処か態度が不自然で、まるで何かを隠しているような……そんな違和感を感じたのだ。
一体、自分が気を失っていた間に何があったのだろう?……そんな不安や疑問と共に、この先もこんな事が続くのだろうか?という一抹の不安が胸を締め付ける。
もしかしたら、今までの記憶の途切れや、気を失ってしまっていた間も、カイが口に出さないだけで、自分に何かしらの異変が起きていたのかもしれない。そう考えると、何故もっと早くこの症状に疑問を抱かなかったのだろう? とも思ってしまう。
(覚えていなかったり、気を失ったり……眠りに就く前は、こんな事無かった筈なのに……)
音も無い吐息のような溜息を小さく吐いて、彼女はそっと目を閉じる。
(私は……一体何を忘れているんだろう?……私って、一体何なんだろう?……)
いくら考えた所で答えなど出る筈の無い疑問を抱きながら、まどろみに身を委ねていく。
ゆっくりと泥の底へ沈みゆくように、彼女は眠りに落ちた。
~*~
「此処は……」
眠りに落ちた先で、シーナは真っ暗な空間に1人立ち尽くし、辺りを見渡していた。
大地と地平線。空。それぞれの境が一切分からない程の漆黒の世界……場所はおろか、時間すらも定かではない空間で、彼女はすっかり途方に暮れた表情を浮かべながらも、不意に何かに導かれるようにして歩き出す。
誰かに呼ばれている……そんな気がしたのだ。
「あ……」
延々と漆黒の空間を歩き続けた先で、シーナはふと立ち止まる。
そこには、暗く変色したような謎の巨大な靄が広がっていた。
だが、その靄はただ広がっている訳では無い。酷く朧気ではあるが、巨大な何か……それこそ、ブレードイーグルよりも更に大きな何かの形を模っているように思えた。
「何?……これ……」
恐る恐る、靄に近寄る。
その靄が一体何を模っているのかに気付いた瞬間、凍てつくような寒気が背筋に奔った。
「さそ……り?」
微かに震えた唇から、消え入るような呟きが零れ落ちる。
これは……これは駄目だ。これ以上近付いてはいけない。触れたくない。
直観的にそう感じ、ジリッと後退った時だった。
「どうやって此処に来たの?」
不意に冷たい少女の声が響き、シーナはビクリと肩を跳ねさせる。
「だ、誰?! 何処に居るの?!」
怯えながら辺りを見渡すも、自分以外の人間の姿など何処にも見当たらない。
しかし、再び巨大な蠍型の靄へ視線を戻した時、その靄の中から、ずるりと何者かが現れた。
黒と赤の軍用パイロットスーツに身を包み、桜色の長髪を揺らして現れたのは……見間違える筈の無い1人の少女。
「この顔を見れば分るでしょ?私が一体誰なのか……」
「貴女は……」
何処までも暗く冷たい鶯色の瞳に睨みつけられ、シーナは息を呑む。
靄の中から現れた少女もまた……間違いなく、シーナであった。
到底同一人物だとは思えないような暗い瞳に、微かな怒りを滲ませながら、もう1人のシーナは無遠慮にシーナの前へ詰め寄る。
「私はずっと一緒に居たわ。残酷なほど優しい夢が終わってしまったあの日から、ずっとッ……」
「ゆ……め?……」
恐怖に上ずった声で消え入るように訊ね返すが、もう1人のシーナはその質問に一切答えようとせず、両手で無造作にシーナの頬を掴み、憎悪にも似た眼差しを突き付けながら言葉を続けた。
「あの日から必死に生き抜いてきたのは私の方なのに、貴女って本当に身勝手……受け止めきれない物や都合の悪い事は全部私に押し付けて、すまし顔で都合の良い夢の続きを見続けてる! 自分がどれだけ忌むべき存在であるかすら忘れて!!」
その剣幕と言葉にシーナは思わず視線を逸らそうとするが、ガッチリと頬を掴まれているせいで身動きが全く取れない。
痛い程に早鐘を打つ音が響く鼓膜を、冷たい声が容赦無く劈いた。
「私は認めない! 自分が一体何者なのかも知らずに白々しく“人間のフリ”を続けているだけの貴女が“本物”だなんて! 本物は私! 誰が何と言おうと! 自分の役割をきちんとこなせる私が! 私だけが“在るべき本来のシーナ”なの! 貴女は偽物! 人のフリをする紛い物!!」
あぁ、嫌だ。
これ以上は聞きたくない……知りたくない!!
「やめて!!」
シーナは思いっきりもう1人の自分を突き飛ばす。
その反動で尻餅をつきながら、シーナは耳を塞いだ。
「私は人間のフリなんかしてない! 偽物なんかじゃない! 忌むべき存在だなんて、そんなの知らない! 私は私なの! だからッ……お願いだから、それ以上何も言わないでッ……」
突き飛ばされたもう1人のシーナは、そんなシーナを冷ややかに見下ろす。
ふと、その口元に不敵な笑みが浮かんだ。
「そう……貴女がその気なら、私も勝手にさせてもらうわ。けどせっかく貴女から会いに来てくれたんだから、一つだけハッキリ言っておくわね」
尻餅をついているシーナの前に膝を突き、その顔を覗き込みながら、もう1人のシーナは意地悪く囁いた。
「貴女に“あの子”はあげないから」
「あの子?……」
シーナが恐る恐る顔を上げる。
もう1人のシーナはゾッとするような不敵な笑みを崩さぬまま、シーナの反応を楽しむように、怯えた鶯色の瞳を見つめていた。
「えぇ。私、あの子の事気に入ってるの。まぁ、それは貴女も同じなんでしょうけど」
「あの子って誰? 私も同じって……あげない。ってどういう事?」
「さぁ?悔しかったら思い出せば良いじゃない。今日、一体何があったのか。自分がどういう存在なのか……まぁ、思い出した所で貴女には到底耐えられないでしょうけど」
そう言って、もう1人のシーナは立ち上がり、振り返りもせず後ろに向かってタンッと軽く地面を蹴る。
重力など完全に無視した動きで、彼女はふわりと、背後の蠍型の靄の中へ吸い込まれるように消えていってしまった。
……直後、その靄の中……丁度蠍の目に当たるであろう部分が、不気味に赤く光る。
その光を見て、シーナは再びゾッとした。
そうだ。この蠍は……
「いやぁぁぁぁぁぁっ!!!――」
~*~
ガバッと被っていたタオルケットを跳ね飛ばして、シーナは起き上がった。
その声に驚いたのだろう。飛び起きたメイシェンが慌てて部屋の明かりを点ける。時計はまだ夜中の2時過ぎ……こんな時間に何事だろうかと、彼女はすぐさまベッドから降り、シーナの顔を覗き込んだ。
「シーナ?! どうしたの?!」
しかし、シーナは目を見開いたまま両手で頭を抱え、ぜーぜーと荒い息をしながら震えている。
何かに酷く怯えているとしか思えないその様子に、メイシェンは心配そうな表情をグッと堪え、安心させるような笑みを浮かべると、そんなシーナを優しく抱き締めた。
「怖い夢を見たのね……大丈夫よシーナ。もう大丈夫。大丈夫だから」
シーナも、メイシェンにギュッと縋り付き、固く目を閉じる。
怖い夢……確かに酷い悪夢だったような気がするが、目覚めると同時にその内容の殆どは掻き消えてしまった。一体どんな夢だったのか、まるで思い出せない……
だが、最後に見た赤い目をギラつかせる蠍型の靄だけが、不気味な程ハッキリと脳裏に焼き付いていた。自分はアレを知っている。靄に閉ざされて姿はハッキリと見えなかったが……あれはゾイドだ。かつての古代大戦で、自分はあのゾイドに出会った事がある……
「赤い……蠍……」
ぽつりと呟かれたシーナの言葉に、メイシェンはそっと抱き締めていた腕を緩めて、その華奢な両肩へ手を添える。
「赤い蠍?」
顔を覗き込みながら問い掛ければ、シーナは小さく頷いた。
「見たの……夢の中で……」
「それって、もしかしてゾイド?」
その問い掛けに、シーナはまたしても小さく頷く。
微かに震えた声で、彼女はそのゾイドの名を呟いた。
「……ランド……スティンガー……破壊の為に造られた、殺戮の化身……」
メイシェンが眉を顰める。
蠍型のゾイドであるという事と、ランドスティンガーというその名前、そしてシーナが酷く怯えた様子で“殺戮の化身”と語った事から……それは、かつてヒルツと共に世界を混乱へと陥れた死の蠍「デススティンガー」を彷彿とさせた。
しかし、赤い蠍。という呟きから察するに、ランドスティンガーというゾイドの機体色は、どうやらデススティンガーとは違う。名前も「ランド」つまり陸を表す名であることから、水蠍型ゾイドであったデススティンガーとはやはり合致しない。
ただの偶然なのだろうか? それとも……
~*~
「……なんだ? 此処……」
シーナが悪夢から目覚めた頃、カイは漆黒の虚空の中に居た。
戸惑った様子で辺りを見渡した彼は、ふと気付いたように自身の足元を見下ろす。
「浮いてる……」
足が地面を捉えている感触が全くしない。試しに軽く足をバタつかせてみても、そこに地面や床と呼べるような物は何も無かった。
感覚的には水中に近いが、水圧のようなものは感じないし、呼吸も出来ている。きっと、空の果て……宇宙に広がる無重力空間というのが、まさにこんな感じなのではないだろうか?
……いや、どちらにせよ宇宙に酸素は無いのだから、呼吸が出来る以上、此処は水中でも宇宙でもない。彼はただ漆黒の虚空に浮かんだまま、途方に暮れたように頭を掻く。
「……お~い。誰か居ねぇのかぁ~?」
漆黒の虚空へと呼びかけるも、自身の声が反響して溶けるだけ……
元より自分以外の存在が何一つ無いのは明らかではあるが、駄目元の呼びかけにも一切反応が返って来ない事に対し、カイが深々とした溜息を一つ吐いた時だった。
キラキラと輝く何かが、上からゆっくりと降って来たのは……
「星?……」
そう。それは例えるならば、夜空から零れ落ちて来た星のような、小さな1つの白い輝き。
目線と同じくらいの高さで虚空に留まった輝きに対して、吸い寄せられるかのようにカイが手を伸ばす。人肌のような柔らかい温度を放つその輝きに指先が触れた次の瞬間、輝きはぐにゃりと広がり、淡く輝く白い人型へと形を変えた。
「え……」
戸惑った声が口から零れ落ちる。
まるで、白く淡く輝く石膏像のような、色味の無い無機質な人型。その姿はまるで、鏡を見ているかのようだった……手を伸ばした自分と同じポーズで指先を触れ合わせている様は勿論、その特徴的にふわふわと跳ね上がった髪型も、顔も、Tシャツにトレパンという服装まで……見間違えようが無い。
「お前は……一体……」
譫言のように呟いたカイに対し、全く同じ姿の人型がそっと声を発した。
「今は……まだ、教えられない」
自分と同じその声は、鼓膜を揺らしているようにも、脳を直接揺らしているようにも感じる。だが、穏やかに言い聞かせるようなその声には、不思議な懐かしさと安心感があった。
「ごめんな。本当はまだ、眠っているつもりだったのに……今日は少し、取り乱した」
「今日?」
何処か怪訝そうな表情を浮かべるカイに、人型はそっと頷いた。
「まさか、もう1人のシーナが起きてるなんて予想外だったから」
「それって……ネイトをぶん殴ったあのシーナの事か? まさかあいつ、本当に二重人格なのかよ? なんでお前がそんな事知ってんだ?」
「今は……まだ言えない」
核心に迫るような事には頑なに言えない。教えられない。と繰り返す人型に対し、苛立ちが沸き上がる。何か知っている素振りを見せている以上、大人しく「はい。そうですか」と引き下がれないカイは、目の前の鏡写しのような人型へ、続けて問いを叩き付けた。
「じゃぁ、俺がレン達と話してた時に意識が飛んでたのは、お前の仕業なのか? 俺の体を使って一体何を口走ったんだ?! なんであの時泣いてたんだよ?! 答えろよ!!」
触れ合わせていた指を離し、乱暴に人型の肩を掴む。
それでも人型は特に抵抗する様子も無く、ふいっと俯いて呟いた。
「それも、まだ言えない」
「言えないじゃねぇ!! 何の為にわざわざのこのこ現れたんだてめぇ! 何か知ってんだろ?! だったら今此処で! 洗いざらい全部吐きやがれ!!」
憤りを隠そうともしないカイに対し、人型はそれでも頑なに首を横に振る。
「今全てを知ったら、きっと混乱するだけだ。君も、シーナも……周りの人間も……」
「うるせぇ! 尤もらしく誤魔化す為にシーナやレン達を使うな!!」
叩き付けるように怒鳴ったカイを見つめ、人型は悲し気に呟いた。
「全てを知る事が幸せとは限らない。君はきっと、全てを知っても受け止め切れる。俺も最終的に自分の存在や運命を受け入れたから……だけど、シーナにとってはあまりにも残酷過ぎるから、きっと受け止め切れない。だから“ああなってしまった”んだ……忘れているなら、忘れたままでいさせてやりたい。もし万が一、思い出さなければいけない時が来る事になるまでは……」
「思い出さなければいけない時?……なんだよそれ」
不機嫌に訊ね返したカイに、人型は静かに告げる。
「シーナを狙う奴らが現れた時……その時は、シーナ自身もまた戦わなきゃいけなくなる。でも、そうならない限りは……戦う必要が無いのなら、シーナはもう戦いに身を投じなくて良い。あの子を戦わせたくないのは、君も同じ筈だ。そうだろ?」
「それは……」
ハッとしたように、思わず口籠る。
ガーディアンフォースに入り、キートを登録機とした時から、シーナの役職は前線オペレーターとなってしまった。オペレーターでありながら、自分達と共に戦線に立つ身となってしまった事に対し、思う所が無い訳では無い。
―カイから空を……翼を奪う事はしないであげて欲しいの。お願い……―
ルーカスに保護されたあの日、家に連れ戻されるしか無い。と諦めかけた自分を救ってくれたのはシーナだった。
―私、やってみたい―
ガーディアンフォースへの入隊を提案され、戸惑っていた自分の背を押してくれたのも、シーナだった。
戦争の時代しか知らない少女が、平和な時代で自ら特殊部隊へ入ると決断したのは……そうさせてしまったのは、きっと自分だ。ならば戦いとは無縁とはいかないまでも、せめて彼女を戦線に立たせたくない……心の何処かでそんな思いをずっと抱えながら、それがどんどん叶わなくなっていってしまった事が怖かった。気付かないようにしていた。
(あぁ……そっか……)
薄紫色の瞳がそっと視線を落とす。
(俺……また目を逸らしてたんだ……)
罪悪感に押し潰されたくない一心で、無意識に頭から締め出していたのだ。
自分が今飛んでいる空は、守ると誓った筈の少女を犠牲にして手に入れた物なのだという、身勝手で残酷な現実を……
「……」
絶望した表情で黙り込んでしまったカイの肩に、そっと、人型が手を置く。
「別に後悔はしなくて良い。シーナがガーディアンフォースに入った事自体は、むしろ最善の選択だった筈だから」
「知った口利いてんじゃねーよ……ホント、何様なんだお前……」
力無く突き放すように呟いたカイに対し、人型は穏やかに答えた。
「だって、知ってるんだから仕方ないだろ? 君の事も、シーナの事も……」
「だから、知ってんなら教えろっつってんだよ。こっちは……」
平行線を辿るやり取りにうんざりした様子で顔を上げ、人型を睨みつける。
人型は苦笑を浮かべた後、そっと囁くように呟いた。
「今は、無意識に目を逸らしていた罪悪感に打ちひしがれて、混乱してるけど……君ならわかる筈だ。古代ゾイド人であるシーナを研究所送りにさせない為には、こうするしかなかった。って。仮に施設や里親の元で普通の生活を送らせてやれていたとしても、もしシーナを狙う奴らに見つかってしまったら最後。成す術無く連れ去られて、もっと酷い結末が待っていた筈だ。って」
「そんなの……」
「ただの言い訳。か……確かにそう思っても仕方ないよな。大丈夫。全部言わなくても、俺にはちゃんと伝わってる」
口にしようとした言葉の続きを先に言われ、目を見開くカイに人型は優しく笑う。
「安心してくれ。俺の口からは何も教える事が出来ないけど、シーナの事も、俺の事も、きっとそう遠くない内に分かる日が来る。そういう“約束”だから」
「約束?約束って、一体誰と……」
「それも、まだ秘密」
ニッと笑ったいたずらっ子のような笑みは、自分と同じ姿でありながら、自分よりも無邪気で幼いような気がした。そして同時に思ったのだ。その笑みが垣間見せた無邪気さと幼さが……シーナに似ている。と。
そんなカイの前で、人型はふと彼の手を取り、真剣な表情を浮かべた。
「カイ」
自分と同じ顔に名前を呼ばれるという奇妙な感覚に、むず痒さのような物を覚えながらも、カイは真剣なその目を真っ直ぐ見つめ返す。
得体の知れぬ存在であるとはいえ、彼が今から何か“大切な事”を言おうとしているのが、手に取るようにはっきりと分かったから……
「俺は今まで、散々君に願いを託し続けて来た。そして君も、その願いを叶え続けてくれた。君の人生を食い潰してしまった俺が、これ以上君に願いを託せるような立場じゃないのは分かってる。だけど、一つだけ……あと一つだけ、願いを託させて欲しい」
切実に、悲し気に、懇願するように、人型は願いを呟いた。
「置き去りにしてしまったあいつを、あの連中の手からッ……どうか、救い出して欲しいッ……」
両手で握ったカイの手に、そっと額を押し付けるようにして、人型は肩を震わせる。願いを口にしたその声と同じように……
それは、己の無力を呪う深い深い後悔の涙だった。
自分には何も出来なかった。残酷な運命に抗う事も出来ず、それを受け入れるしかなかった。様々な物を犠牲にして、自分自身すら押し殺して……その結果の果てに、大切な者が望まぬ道を歩まされている事を知りながら、こうして願いを託す事しか出来ないのだ……自らの手は、既に届かなくなってしまったから……
握られた手から、人型の抱える感情が流れ込んで来るような気がした。
「……わかった」
静かに呟いて、カイは握られていた手をそっと抜け出させる。
片手で顔を覆い、もう片方の手でシャツの胸を掴んで押し殺すように泣く人型を、カイはそっと抱き締めた。
「やり残した事を果たしたい一心で、こうして此処に居るんだもんな。その為に俺が
正直、自分でも何を言っているのやら……とは、思う。
ちゃんと知っている。とは、我ながら笑わせる……彼のやり残した事が何なのか?その為に自分が
だが、そんな疑問は頭の片隅でぼんやりと燻らせるだけに留め、カイはただ、口を突いて出てくる言葉を出るに任せて淡々と紡いだ。
「さっきは……ごめんな。お前は何も悪くない。自分に出来る事を最期まで精一杯やったんだ。後の事は俺に任せて、今は眠れ。いつか全部思い出した時、また会おうぜ」
「あぁ……ありがとう。カイ……」
「水臭ぇなぁ。そこは『またな。』で良いって」
クスッと笑ってやれば、人型もそっとカイを抱き締め返す。
泣き腫らした後の穏やかな声が、何処か安心した様子で呟いた。
「……わかった。またな。カイ」
人型が光の粒子として溶け、消えていく……
その粒子の一つをそっと握りしめた拳を胸に当てながら、カイもまた、何処か安心した様子で穏やかに呟いた。
「おやすみ。“ ”」
~*~
ゆっくりと、薄紫色の瞳が瞼を開く。
小タブでセットしている目覚ましのアラームよりも早く目覚めたというのに、その身を満たすのは眠気ではなく、満ち足りた安心感だった。
夢の終わりと同じ体勢で壁を向いたまま、カイは胸に押し当てていた拳をそっと開く。当然、握りしめた光の粒子などあるわけが無いが、彼は空の掌をぼんやりと見つめたまま、ぽつりと呟く。
「あいつの名前……覚えてねぇや……」
夢の中ではあったが、確かに言葉を交わした。確かにこの手で触れた。抱き締めた。その言葉も声も、流れ込んで来た感情も、温もりも、全て覚えているというのに、確かに呼んだ筈のその名前だけが、綺麗さっぱり抜け落ちていた。
―まだ秘密―
ふと、シーナにそっくりなあの無邪気な笑みが脳裏を過る。
「秘密……か……ホント、勝手な奴」
言葉では呆れているような事を言いながら、その声音は何処か納得しているようだった。
ふと口元に笑みを浮かべて、カイは起き上がる。
明け方の蒼に染まった室内は、海の中のようでもあり、まだ星の残る空の中のようでもあって、幼い頃から不思議と気分が安らいだが、今日は一際、この蒼が妙に心地良い。
ベッドから降り、ブラインドを上げ、窓を開け放つ。部屋へと流れ込む冷たく澄んだ空気を胸いっぱいに吸い込んで、カイは陽の昇りきらぬ空を見上げた。
夢で出会った、自分と同じ姿の誰か……その姿をもう一度思い浮かべながら、カイはふとシーナの言葉を思い出した。
―本当にそっくりなの。顔も、声も、顔の模様まで……違うのは髪や肌の色だけ。―
それが答えのような気がしたが、敢えて、今は彼の正体を考えないでおく事にした。仮にそうだとしても、説明の付かない事が多過ぎるし、何より「きっとそう遠くない内に分かる日が来る。」と、彼がそう言ったのだから……
「またな……もう1人の俺……」
穏やかに呟いた直後、けたたましく鳴り響いた小タブのアラームに、カイはビクリと肩を跳ねさせて、いそいそとアラームを止めた。
~*~
朝。食堂へと向かう基地本棟の廊下で、可憐な桜色がカイの目に留まる。
振り返った彼女は、いつもと同じ花の
「あ! カイおはよう!」
「あぁ。おはよう。シーナ」
挨拶を交わした後、カイはふと視線を落とす。
そんな彼に、何処か不安げな様子でシーナが訊ねた。
「どうか……したの?」
「あの……さ……その……今更こんな事訊くのも、変な話なんだけどさ……」
躊躇いがちにそう前置きした上で、彼は訊ねた。
夢で気付いてしまった事実を、彼女自身はどう思っているのかを……
「シーナはさ、俺に巻き込まれる形でガーディアンフォースに入っちまっただろ?その事……恨んだり、後悔したり……してねぇか?」
「え?……」
戸惑った鶯色の瞳が、カイを見つめる。
直後、シーナはクスッと吹き出すように小さく笑った。
「いきなりどうしたの? なんだかカイらしくないね?」
「いや、なんかふと気になっちまってさ……」
苦笑を浮かべた後、彼はシーナを直視出来ぬまま寂しげな笑みを浮かべた。
「ずっと戦争の時代で生きて来たシーナがさ、平和なこの時代でまで戦う必要なんか無いんじゃないか? って……前線オペレーターとしてシーナが訓練に参加するようになってから、なんとなく引っ掛かってたっていうか……俺のせいだよなぁって、思っちまったというか……」
「……カイのせいじゃないよ」
優しく穏やかな一言に、カイはやっとシーナを見つめる。
シーナは少し目を伏せつつも、その声音と同じ穏やかな表情をしていた。
「私は、イーグルと一緒に空を飛ぶカイが大好きだから、カイが二度とゾイドに乗れなくなっちゃうかもしれない。って言われた時、それだけは嫌だって思ったの。我儘でガーディアンフォースに入ったのは私の方。だから、カイが自分を責める必要なんて無い」
そう言って顔を上げたシーナは、困ったように笑った。
「それに、ガーディアンフォースに入らなかったら、カイだけじゃなくてユナイトやイーグルとも離れ離れになってたかもしれないんだもん。私、これでも結構我儘で寂しがり屋だから、皆で一緒に居られなくなるなんて絶対耐えられないし、その為なら、平和な時代で戦うのだって頑張る。そのつもりで入ったんだから、カイを恨んだりなんて絶対しないよ」
その言葉に、柔らかな温もりと微かな切なさがじわりと胸に広がる。
「私ね、ガーディアンフォースに入って、お友達が沢山出来たのがすごく嬉しいの。だからね、あの時『やってみたい。』って言って、本当に良かったなって――」
シーナが言葉を途切れさせる。
カイに抱き締められて、きょとんと目を瞬かせた後、シーナはそっとカイを横目に見つめた。
「カイ?」
「恨まないでいてくれて、ありがとな……だけど、頑張らなくて良いんだ。戦う事を頑張るようになっちまったら、せっかく平和な時代に目が覚めた意味が無くなっちまうから……」
微かに震える声で囁いたカイを安心させるように、シーナは優しくぽんぽんとカイの背を叩く。
「大丈夫だよ。カイも皆も一緒だから。私1人で頑張るわけじゃないし、カイも1人で頑張らなくて良いよ。皆で頑張ろ? ね?」
「あぁ。ありがとな……」
安心した様子で、カイがこくりと頷いたその時だった。
「おいこら」
「うぇ?! クルト?!」
背後から聞こえた不機嫌な低い声に、カイは弾かれるようにシーナを放しながら振り返る。
そこにはジトリとした眼差しでカイを睨むクルトの姿があった。
「廊下のど真ん中で一体何をしてるんだ? お前は……」
「いや! これはそのッ……」
なんでよりによって勘違いされるタイミングで出くわすのだろうか? と思いながら、慌てて滲んでいた涙を拭くカイの隣で、シーナはそんな彼とクルトを交互に見つめた後、クスッと笑う。
「カイが泣いてたから、よしよししてただけだよ」
「ちょっ! シーナ!!」
「えへへ」
いたずらっ子のように笑うシーナと、情けない顔をしているカイを見つめ、クルトはやはり何処かジトリとした眼差しで厭味のように呟いた。
「……良かったな。朝っぱらからシーナさんによしよししてもらって」
「あのなぁ! 確かにあのタイミングじゃ疑いたくなるのはわかっけど! マジでやましい事なんて何にもしてねぇからな?!」
「別に誰もそんな事言ってないだろう」
ムスッと不機嫌に吐き捨てるクルトの前で、不意にシーナが両手を広げた。
「クルトも、良いよ?」
「へ?!」
あまりにも唐突なその一言に、ひっくり返った声を上げてクルトが固まる。
そんなクルトに、シーナは両手を広げたまま小さく小首を傾げた。
「クルトもよしよしして欲しいのかな? って思ったんだけど、違うの?」
「いやっ、あの……自分は別に……お、お気持ちだけで……」
遠慮を態度で示すように、両手を軽く上げながらおろおろし始めたクルトを眺め、カイは悪い笑みをニヤッと浮かべてシーナに呟く。
「よしよしはしなくて良いらしいから、代わりに『おはよう』っつってぎゅーってしてやれば?」
「おい! カイ!!」
「あ、そっか。まだおはようって言ってないもんね」
納得したように呟いて、シーナはなんの躊躇いも無くクルトを笑顔で抱き締めた。
「クルトおはよう」
「は、はい。おは……おはよう……ございます……」
抱きしめ返す余裕すら無く、振り絞るように返事を返す真っ赤な顔をニヤニヤと眺めてやれば、案の定クルトはカイをキッと睨みつける。
「お前なぁ!! シーナさんに変な事を教えるな!!」
「別に変じゃねーだろ。良かったじゃねーか。シーナにぎゅーってしてもらえて」
「お前と一緒にするな! この馬鹿!!」
「俺、先に食堂行ってっからな~」
「おい待て! カイ!!」
抱き締めてやって尚、不機嫌な様子のクルトを見上げ、シーナはそんな彼を抱きしめたまま片手を伸ばし、困ったように結局よしよしと頭を撫でる。
「喧嘩、しちゃ駄目だよ?」
「あ。はい……すいません……」
やっと大人しくなったクルトに、シーナはホッとしたようにふにゃりと笑った。
「うん。良い子良い子」
再び頭を撫でられ、恥ずかしい一方で「悪くないな」と思ってしまった自分に心底呆れつつ、シーナが満足するまでもう少し好きにさせておこうか……と思っていた矢先だった。
「あれ? 何やってんだ? クルト」
「此処、廊下のど真ん中なんだけど……」
きょとんとした様子のレンと、呆れた表情のエドガーに対し、クルトは先程のカイと全く同じ反応を返すのだった。
~*~
「研修中止? どうしてですか??」
その日の朝礼で、戸惑った声を上げたのはレンだった。
カーターから告げられた突然の研修中止……それに対し、カイ達も戸惑った様子で顔を見合わせている。そんな彼等に、カーターは若干申し訳なさそうに説明を始めた。
「今朝、ガウス最先任から連絡があってね。飛び込みの案件を君達に任せたいから、至急研修を切り上げて戻って来るよう伝えて欲しい。との事だったんだ」
「飛び込みの案件を、僕達に……ですか?」
不安げに訊ねるエドガーに、カーターは静かに頷く。
「内容が内容だから、任務の詳細についてはこの場では控えさせて欲しい。帰還後、ガウス最先任から直接詳細を聞いてくれ」
そう言って、彼は不安げにカイ達を見つめた。
「急な話で本当に申し訳無いが……この任務、どうか本当に気を付けて欲しい。誰一人として欠ける事の無いように……良いね?」
「……はい」
誰一人として“欠ける事の無いように”……その一言で、この飛び込みの案件とやらがかなり危険な任務であろう事は容易に察しが付いた。が、レンは真剣な眼差しでしっかりと頷いてみせる。
元より特殊部隊であるガーディアンフォースの任務に、安全な物などありはしない。自分達がやるべき事はただ一つ。任務を全うし、生きて帰る事。それは他の面々もしっかりと理解している筈だ。
「短い間でしたが、本当にお世話になりました。これからの任務で、此処で学んだ事を生かせるよう、精一杯励みます」
レンの言葉に、カーターもようやく笑みを浮かべてゆっくりと頷く。
次の局面へ向かい、様々な思惑や願いを孕んだ大きなうねりが、再び動き始めようとしていた。