ZOIDS-Unite-   作:kimaila

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第41話-片鱗-

 襲撃して来た敵……その中には、アレックスによく似た奴も居た……

 どうして同じ顔の奴ばかりいるのかしら?まるで悪い夢でも見ているみたい。

 かけがえのないたった1人の家族だった兄。私と“彼”を裏切った最低の兄……

 あぁ、駄目ね。アレックスの事を考えると……殺意のやり場に困ってばっかり。

 [もう1人のシーナ]

 

 [ZOIDS-Unite- 第41話:片鱗]

 

 現在、惑星Ziに暮らしている人間は、宇宙の彼方の青い星……そう。地球から移民して来た地球人達の子孫である。

 しかし金属生命体の繁栄するこの惑星は、地中にも、水や動植物にも、地球よりはるかに多くの金属分が含まれている為、地球人達は惑星Ziの環境に適応しなければならず、加えて、各地で細々と生活を営んでいた数少ないゾイド人達との交配も進んだ彼等は、体内にゾイド人と同様の金属細胞を有した「アッズ」と呼ばれる新たな人種へと変化を遂げている。

 その最大の特徴は、彼等の顔や体に浮かぶフェイスマークやボディマークであり、これは皮下組織に浮き出た金属細胞の集合体……医学的には「金属斑」とも呼ばれている。

 だが、いくら金属細胞を有していようと、鍍金化能力を発現させる事が出来る程の細胞量を有していたのは、あくまで遥か太古。原始時代のゾイド人達のみである為、文明が滅んだ古代大戦時の時点で鍍金化能力というのは既に退化し失われていた能力だ。当然、地球人との交配種である現代人アッズ達にも、そのような能力は存在していない。

 つまり理屈上、鍍金化能力が使える者はこの世に“存在する筈が無い”のだが……

 

「ねぇ、この程度?」

 

 若干退屈そうな面持ちで、シーナが受け止めた投擲ナイフを片手でベキッとへし折る。

 一見、その身体は既に傷だらけのように見えるが、切り裂かれているのは服のみであり、その下に覗く紅い素肌……鍍金化した身体には傷一つ付いていない。

 その姿を眺め、クラウは苦々し気に舌打ちした。

 

「この化け物ッ……」

「恨むなら私じゃなくて、私みたいな化け物を作った科学者達を恨んでくれる?」

 

 めげずに切りかかって来たクラウを感情無く見つめながら、シーナは再び迫った刃を鍍金化させた手の甲で弾く。この細腕の何処にそんな力があるのだろうか? と思わずにはいられないその一撃は、クラウの握るナイフの刀身を中ほどから叩き折った。

 

(ホンット、信じらんないッ……)

 

 すかさず距離を取り、クラウは叩き折られたナイフをチラリと見やる。

 手持ちの投擲ナイフはとっくに底を尽いた。直接攻撃用のナイフも片方叩き折られてしまった以上、残るナイフは左手に握った1本のみだ。

 いくら“古代の英雄”である“双星の片割れ”あろうと、武器を持たない彼女に負ける事など有り得ないと思っていた……しかし、まさか失われた筈の鍍金化能力を有していたとは想定外にも程がある。武器を持った自分が、丸腰の相手に此処まで追い詰められるとは、正直、悪い夢だと思いたいくらいだ。

 

「グギャォッ?!」

 

 突如響いたその声にハッと我に返り、クラウはヒドゥンへ視線を移す。斬りかかったヒドゥンの尾部ブレードにユナイトが自ら喰らい付き、メキメキと嫌な音を立てていた。

 自分と同様、ヒドゥンもユナイトに全く歯が立っていない事に、一抹の絶望が腹の底を掠める。

 クルトに左脚関節へダメージを与えられたせいで僅かながら機動力は落ちているし、ステルス光学迷彩も再使用出来ない状態である為、ヒドゥンのコンディションはお世辞にも万全とは言い難いが、それを差し引いてもユナイトのパワーは桁外れだった。

 ユナイトはそのまま力任せにヒドゥンを振り回して2度、3度と地面へ叩き付けた後、まるでゴミでも吐き捨てるかのように放り出し、起き上がろうとしたその頭を無造作に踏みつける……最早一方的な蹂躙に他ならない光景の中、頭を踏み潰されそうになっているヒドゥンが痛々しい悲鳴を上げた。

 

「ヒドゥン!!」

 

 クラウもたまらず悲鳴を上げる。

 そんな彼女に、シーナが冷たく言い放った。

 

「いい加減諦めて降伏しなさい。貴女もヒドゥンも、私とユナイトには絶対勝てないから。それとも、このまま殺してあげた方が良いかしら?」

「ヒドゥンを殺したら、お前も殺してやるから!!」

「そう……じゃぁ、やってみれば?」

 

 薄く笑うシーナに対し、憎悪と殺意がより一層沸き上がる。

 何故、オイゲンはこんな化け物が欲しいのだろう?

 何故、こんな化け物に自分の唯一の居場所を脅かされなければならないのだろう?

 いっそ此処で殺してしまえば良い。いや。絶対に殺さなければならない。この場を切り抜ける為というだけではない。そうしなければ、いずれ自分は……

 

「うるさいッ! うるさいうるさい!! お前なんか死んじゃえば良いんだ!! お前がいるからッ! お前なんかが生きてるからッ!!」

 

 残されたナイフで切りかかって来たクラウを最小限の動きで躱し、すれ違いざまに、シーナは哀れみにも似た眼差しでクラウを眺める。

 

(殺意だけで簡単に殺せるような存在じゃないのよ。生憎だけど)

 

 シーナから見て、すぐに感情的になり動きが単純になってしまうクラウは“未熟”としか言い様が無かった。その程度では仮に朝まで掛かったとしても、自分に傷一つ付ける事など出来はしないだろう。

 そして、彼女のオーガノイドであるヒドゥンも“コンバットモード”状態のユナイトには到底及ばない。アップグレードされただけの一般オーガノイドとユナイトでは、あまりにも性能差があり過ぎる。

 クラウに諦めるつもりも、大人しく捕まるつもりも無いのなら、これ以上相手をしていた所で状況は何も変わらない。敵である以上、生かしておく義理も無い。

 

(正直期待外れね。あまり遊んでいても埒が明かないし……そろそろ終わらせようかしら)

 

 そう思った次の瞬間。突如響いたのは数発分の銃声。

 咄嗟に距離を取ったクラウを眺めるシーナの耳に“大嫌いな声”が飛び込んだ。

 

「シーナ! 大丈夫か?!」

 

 シーナはうんざりとした様子で、静かに振り返る。

 纏う雰囲気には微かに殺気が混ざり、その殺気は駆け付けた2人の少年の内の1人……先程響いた声の主であるカイに対してのみ向けられていた。

 

「悪いけど、アレックスと同じ声で名前呼ぶの、やめてくれる?」

「え……」

 

 戸惑ったようなその表情は、アレックスによく似ていた。元々同じ顔なのだから当然といえば当然だが、それでもカイは“似過ぎ”なのだ。自分が最も“憎んでいる”兄と……

 

「とりあえず、怪我は??」

 

 レンの言葉に、シーナは冷たく簡潔に答える。

 

「平気よ。切られたのは服だけ」

 

 そんな彼女に、カイとレンは顔を見合わせた。

 例の別人格が主導権を握っているという事は勿論だが、先程カイへ殺意の込もった憎悪の眼差しを向けていた事に、戸惑いを隠し切れない。少なくともレンから見て、普段のシーナはカイの事を誰よりも信頼している様子であったし、アレックスと声や容姿が瓜二つである事から、どうしても兄と重ねてしまっている部分があるのだろう。と、カイも考えていた。

 だが、少なくともこの別人格のシーナは、カイに対して……いや“アレックスに対して”明確な憎悪や殺意を抱いているようにしか思えない。

 

「グルルル」

 

 何処か不機嫌な唸り声に、シーナだけでなく、カイとレンも視線を向ける。その視線の先に居るのは、ヒドゥンの頭を踏みつけたまま、真っ赤な双眸で此方を見つめるユナイトだ。

 その様子はまるで「コイツ、まだ殺しちゃ駄目?」と問い掛けて来ているようで、シーナだけでなくユナイトまで豹変している事に対し、カイとレンが呆然とする中、シーナはまるで興が冷めたとでも言わんばかりに溜息を吐き、呟いた。

 

「気が変わったわ。どうせもう動けないでしょうし、返してあげて」

「グルッ……」

 

 舌打ちのような短い鳴き声と共に、ユナイトがヒドゥンをクラウの元へ蹴り飛ばす。

 壊れた玩具のようにぐったりと地面を転がったヒドゥンは、立ち上がろうとして再び地面へと崩れ落ち、そんなヒドゥンに縋りついてクラウは必死で呼び掛けた。

 

「ヒドゥン! ヒドゥンお願い! しっかりして! 死なないで!!」

「グルル……グルァ……」

 

 微かに頭を持ち上げて此方見つめるヒドゥンに、クラウは涙を溢れさせる。

 

「やだ! やだやだやだ!! ヒドゥンを置いてくなんて絶対やだ!!」

 

 ボロボロのヒドゥンの体に突っ伏して、首を横に振りながら泣きじゃくるクラウ。その光景は最早、どちらが悪者か分からない……そんな気不味さに、カイもレンも視線を逸らした。機能停止に至る程の損傷では無いだろうが、あの様子では、ヒドゥンは当分まともに動けないだろう。

 

「で? 何の用?」

 

 両肘を抱えるように低く腕を組んだシーナの冷たい視線が、目を背ける彼等に突き刺さる。

 その言葉にレンはビクッとしながら顔を上げ、カイは疲れたような小さな溜息を一つ吐いて、気持ちを切り替えるように口を開いた。

 

「応援に駆け付けたつもりだったんだけど、とっくに片が付いてるみてーだし。とりあえず一緒に陣営まで――」

「嫌よ」

 

 食い気味にカイの言葉をバッサリと切って捨てたシーナに、レンがすっかり困り果てた表情で、それでも何とか説得しようと情けない声を上げる。

 

「シ、シーナ! あのっ……嫌って言われても……それにほら! あいつらももう戦えないっぽいし、今回の任務はあいつ等を捕まえる事より、マリーを守る事の方が重要だから――」

「それが分かってるなら、何故わざわざ揃って私の応援になんか来たの? マリーがガーディアンフォースの陣営に向かっていると連絡を受けた以上、貴方達はマリーと合流次第、護衛に当たるべきだった筈。役割を見失ってるのは貴方達の方じゃない」

 

 カイとレンを睨みつけ、シーナは静かに呟いた。

 

「大方、戦闘訓練もロクに受けていない私の事を心配したんでしょうけど、私達が守るべきなのは仲間じゃなくてマリーなんでしょ? 命のやり取りは遊びじゃないの。目的の為なら仲間の命を切り捨てる覚悟くらい持ちなさい。まぁ私とユナイトの場合、切り捨てられた所でそう簡単には死なないから、別に心配する必要もないけれど」

 

 そんなシーナの冷たい瞳を見据えて、カイがそっと語り掛ける。

 

「なら……手負いのコイツらとこれ以上遊んでる場合じゃねぇって事も分かってるよな?」

「言ってくれるじゃない。止めを刺そうとした所で水を差したのは貴方のくせに」

「コイツらを“殺す事”が任務じゃねぇって言ってんだ」

 

 撥ね付けるような冷たい声音に、シーナの眉が僅かに動いた。

 真っ直ぐに自分を見据えるカイの目もまた、光の消えた冷たい色を宿していたから……その眼差しに嫌と言う程、見覚えがあったから。

 

「忘れたのか?幻影騎兵連隊(や つ ら)にはヤークトが居る。パイロットが此処に居るからって、出てこないとは限らないんだ。コイツらは俺が引き受ける。お前はユナイトと一緒にクルトを迎えに行け。電子振動シールド搭載機のディバイソンが動かねぇんじゃ、話にならねぇからな」

「けどカイ! クルトは負傷中で―――」

 

 思わず声を上げたレンへスッと視線を向け、カイはその眼差しと同様の声音で呟いた。

 

「あんだけ通信越しに怒鳴れるなら大した怪我じゃねーだろ。レン、お前もすぐ引き返せ。クルトが間に合わなかったら、荷電粒子砲を止められるのはお前とゼロだけなんだからな」

「……わかった」

 

 何処か心苦し気に返事を返し、レンが陣営へと取って返す。

 その背中を眺めた後、シーナはカイを見据えて呟いた。

 

「ホント、何処までもアレックスに似てるのね。貴方って」

「知るかよそんな事。つーかお前もサッサと行け。間に合わなかったら承知しねぇぞ」

「偽物には優しい癖に、私には随分辛辣じゃない。まぁ、私も貴方の事目障りだから、いっそ清々しいけど」

 

 嘲笑うように小さく鼻で笑い飛ばして見せたシーナは、組んでいた腕を解いてユナイトの元へ歩き出しながら指示を出す。

 

「ユナイト。コンバットモード解除“ヨルハ”の所に行くわよ」

「グオゥ」

 

 鮮血のような赤から、いつもの若葉色の目に戻ったユナイトがシーナを背に乗せて飛び立つ。

 カイは飛び立ったシーナとユナイトを暫し見上げていたが、やがて疲れたような溜息と共に視線を落とし、頭を掻きながらぽつりと零した。

 

「……人の気も知らねぇで、好き勝手言ってんなよな。つーか誰だよヨルハって……」

 

 自分は「クルト」を迎えに行け。と言ったのだ。「ヨルハ」を迎えに行けとは一言も言っていない。そもそも仲間は勿論、現在共に任務に当たっている第三陸戦部隊の者達にも、そのような名前の軍人は居なかった筈だ。

 モヤモヤとした気持ちを抱えたまま、カイは何処か不機嫌そうに眉間に皺を寄せた。

 

   ~*~

 

「なんだよ……これ……」

 

 その頃、陣営に引き返したレンは、信じられない光景に目を見開いていた。

 ガーディアンフォースの陣営に広がっていたのは、ネロやヴィオーラ。果ては応援に駆け付けたのだと思われる帝国軍人3名が倒れている光景だった。

 すぐさまレンは一番近くにいたネロの元へ駆け寄り、助け起こして声を掛ける。

 

「ネロ兄! 一体どうしたんだよ?! 何があったんだ?!」

 

 その言葉に、ネロは苦し気に目を開き、掠れた声で呟いた。

 

「レン……あいつが……あいつが殿下を……」

「あいつ?」

「バルテル……中尉だ……」

 

 その言葉に、レンが再び目を見開く。

 

「奴は偽物だ……あいつに襲われて……俺達じゃ全く歯が立たなかった……」

「じゃぁ、マリーは……」

「恐らくあいつに……俺が最後に聞いたのは、殿下の悲鳴だけだった……」

「くそっ……やられたッ……」

 

 カイと共にシーナの元へ向かった際、実は自分達も一度、逃げて来たマリーベル達とすれ違っている。あの時、共に居た中尉がまさか敵だったとは……

 ギリッと歯を食いしばるレンの脳裏に、シーナの言葉が過った。

 

―役割を見失ってるのは貴方達の方よ―

 

 彼女の言う通りだ。あの時シーナの応援に向かわず、マリーベルの傍に居れば……だが、そうやって打ちひしがれている時間は無い。すぐに探しに行かなければ……

 

「ネロ兄ごめん。俺、マリーを取り返しに行かねーと……」

「あぁ。俺達の事は気にするな……殿下を、頼む」

 

 ネロの言葉に、静かに頷いて見せる。

 切れた額から溢れた血が左顔面を染め上げ、呼吸も浅い。共に捜索出来るような状態でないのはパッと見ただけでも容易に分かった。

 そんなネロを再び横たえて立ち上がったその時だった、砲撃音が響き、爆風が陣営まで押し寄せたのは……

 

「ぐっ?!」

 

 思わず両腕で頭を庇った後、レンが顔を上げる。

 帝国軍側の陣営で戦闘が始まった光景と共に、装着したインカムから第三陸戦部隊の通信兵の声が響いた。

 

幻影騎兵連隊(ファントムリッター)の無人ゾイド部隊、及び、同所属の不明高速戦闘ゾイド出現! 総員、対地迎撃戦用意!』

 

 レンは思わず、倒れた者達を見渡す。

 

(嘘だろ?このままじゃ……)

 

 恐らく皆、ネロと同様か、下手をすればそれ以上の深手を負っている事だろう。戦闘が始まった最中、そんな状態の彼等をこの場に放置していてはどうなる事か……

 しかし、彼等を安全な場所へ移動させていれば、マリーベルを探しに行くこともままならない。

 目の前の人間を切り捨てられないレンにとって、この状況はまさに極限の選択を迫られている状態に等しかった。

 

「キュルァ!!」

 

 鋭い鳴き声に、ハッと顔を上げる。

 ブレードイーグルが、倒れている者達を踏まぬようにそっと傍へとやって来た。

 

「ブレードイーグル……」

 

 ぽかんと呟いたレンの前で、イーグルはそっと動けぬネロを咥え上げ、レンを見つめる。

 それはまるで「怪我人は俺に任せろ」と言ってくれているかのようだった。

 

「……サンキュ。ネロ兄達の事、頼んだぜ!!」

「キュル」

 

 その返事に背中を押されるように、レンは走り出す。

 あの偽物中尉がマリーベルを連れ去ったのだとしても、恐らく移動は徒歩だろう。ならば、ライガーゼロと共に周囲を探せばすぐに見つけられる筈だ。

 

「ゼロ! マリーを探しに行くぞ!!」

「グルル」

 

 しかし、どうしたというのだろう? ライガーゼロはいつものような元気の良い返事ではなく、レンを見つめて躊躇うように喉を鳴らしてみせるだけだ。

 

「ゼロ?どうしたんだよ」

「グル……」

 

 不思議そうに訪ねたレンの前に屈み、ライガーゼロがキャノピーを開く。

 そこから飛び出してきたのは……

 

「レン様!!」

「え?!」

 

 そう。今まさに探しに行こうとしていたマリーベルが、ライガーゼロのコックピットから飛び出してレンに抱き着いたのである。

 

「マリー?! なんでお前がゼロの中に?!」

「バルテル中尉に攫われそうになった時、ゼロが私を助けてくれたんです」

 

 そう言って、マリーベルはレンに抱き着いたまま、笑顔でライガーゼロを見上げる。ゼロもそんな彼女の視線に、グルグルと喉を鳴らすような声を上げた。

 

(そうか……そういう事だったのか……)

 

 普段自分以外にけして懐かないゼロが、マリーベルの事を妙に気に入った様子であったのを思い出し、レンの真紅の瞳がハッとしたように見開かれる。

 ネロが聞いた悲鳴というのは、偽中尉にマリーベルが連れ攫われてしまった際の物では無く、攫われかけた彼女を守る為、ライガーゼロが開いたキャノピーの端で彼女を掬い上げた際の悲鳴だったのだ。

 

「良かった……」

 

 ホッとしたように、レンはマリーベルをギュッと抱き締める。

 しかし、安堵するにはまだ早い。幻影騎兵連隊(ファントムリッター)の無人ゾイド部隊が襲撃して来た以上、ミレトス城の周囲はじきに戦場と化すだろう。まずはマリーベルを避難させなければ……

 

「マリー。ちょっと狭いけど我慢できるか?」

「え? はい」

「よし! じゃぁ行くぜ!」

 

 レンはマリーを抱きかかえ、ライガーゼロのコックピットへと飛び込んだ。

 ライガーゼロは単座機である為、必然的にマリーベルが乗る場所はレンの膝の上。おまけに従来機のようなシートベルト式なら一緒に身体を固定出来るが、安全バー式を試験導入されたこの機体では、一緒に身体を固定する事も出来ない。自分だけ安全バーを下ろしても、マリーベルがしがみ付き難くなってしまう為、レンはバーのロックを解除して上に押し退け、マリーを膝に座らせる。

 

(とりあえずヴァルフィッシュにマリーを避難させるまで、戦闘は避けねーと……)

 

 いくらロイヤルセイバーを乗り回すお転婆皇女といえど、彼女はまだ12歳の少女だ。戦闘時にあらゆる方向から強烈なGが掛かる高速戦闘ゾイドのコックピット内で、身体固定具の補助も無く自身の体を支えるというのは到底不可能だろう。

 一瞬だけ、レンはすっかり参ったような情けない表情を浮かべる。

 ライガーゼロも、父の愛機ブレードライガーのような複座機であったなら……いや、せめて安全バーではなく固定具がシートベルトであったなら。と、思わずにはいられない。

 とはいえ、今此処でそのような無い物ねだりをした所で、複座が生えて来る訳でも、安全バーがシートベルトに変わる訳でもない。

 覚悟を決めたように、レンの目に力強い光が宿った。

 

「此方ガーディアンフォース、レン=フライハイト少尉! マリーベル殿下の保護に成功! 安全確保の為、これよりホエールキング-ヴァルフィッシュへ向かいます! 帝国軍第三陸戦部隊、ライガーゼロの援護を願います!!」

 

 通信に向かい凛と叫ぶレンに、マリーベルが彼の顔を見つめる。

 その黒曜石のような瞳に映るのは、いつもの陽気で優しい少年の顔ではなかった。任務の為に命を張る、ガーディアンフォースの隊員としての顔だ。

 自分の知らないレンに戸惑う一方、その頼もしさとカッコ良さに思わず見惚れるマリーベルの前で、ルーカスからの通信が響く。

 

『レン正気か?! ヴァルフィッシュの元へ向かうには、戦場を突っ切るしかないんだぞ。レオーネ副親衛隊長とブローベル達はどうした?』

「城内からマリーと一緒に逃げて来たバルテル中尉って奴にやられちまった。きっとあいつは偽物だ。まだ近くに潜んでるかもしれないし、こっちの陣営も、もう安全じゃない」

 

 真剣にそう答えた直後、レンは不意にニッと笑って見せた。

 

「大丈夫だって。ゼロが全力で突っ走っても、ジークドーベルなら余裕で付いて来れるだろ?」

『……ふんっ』

 

 挑発にも似たレンの言葉に、ルーカスもニヤリと口角を上げる。

 城内に侵入者が残っている以上、引き返す訳にはいかない。

 当初の避難予定地であった帝国軍陣営は、戦闘開始によって安全を保証出来ない。

 そしてガーディアンフォース陣営も、偽中尉がまだ周囲に潜んでいるかもしれない。となれば、残された道に賭けるしか無いだろう。レンと、ライガーゼロに。

 

『良いだろう。ライガーゼロの援護には俺が付いてやる。ボサッとしてないでとっとと来い。』

「あぁ! 頼りにしてるぜ! シュバルツ少佐!」

 

 ルーカスに笑顔で返し、レンはマリーベルへ視線を移す。

 ずっとレンに見とれていたマリーベルは、不意に目が合って思わず頬を赤らめたが、そんな彼女に対し、レンはたった一言囁いた。

 

「しっかり掴まってろよ」

 

 こんなに大人びたレンの声を聞いた事が、今まであっただろうか?

 マリーベルは思わず恥ずかしそうに目を逸らしながら、肩口に顔を押し付けるようにギュッとレンに抱き着いた。

 

「私の命。お預けします。レン様」

「おう! 行くぜマリー! ゼロ!」

「はい!」

「ガルォォォッ!!」

 

 周囲を覆う闇も、不安も、全てをかき消すように咆えて、ライガーゼロが地を蹴った。

 

   ~*~

 

「……見つけた」

 

 その頃。シーナはユナイトの背の上から、地上を見つめていた。

 彼女の視線の先には、城の中庭を突っ切るように走る人物……そう。クルトの姿がある。恐らく彼も、通信インカムに響いた無人ゾイド部隊の出現の一報を聞き、ディバイソンの元へ向かっているのだろう。そんな彼の進路上に、シーナがユナイトと共にそっと降り立った。

 

「シーナさん! ご無事で――」

 

 降り立った彼女の姿に気付いた途端、いつも通りの明るい表情を浮かべ駆け寄ったクルトだったが……直後、雲の切れ間から差し込んだ月明かりと共に、彼は言葉を途切れさせた。

 青白く照らし出されたシーナの瞳が、普段と明らかに違う。

 

(この目……まさかもう1人の人格に切り替わって……いや、それよりも……)

 

 切り裂かれた彼女の任務服の下には、傷跡の刻まれた素肌が覗いていた。けして厭らしい感情を抱いた訳では無いのだが、それでも月明かりに照らし出されたその姿は、不気味ながらも妖艶で、ある種の神秘性すら感じる。そんな彼女に、思わず目が釘付けになってしまった。

 しかし、当の本人であるシーナはそんなクルトの視線にすぐ気付いた様子で、光の消えた冷たい瞳に、微かな温度を浮かべ微笑む。

 

「もしかして……見惚れてる?」

「あ、いえ! そんな……」

 

 慌てて視線を逸らしたクルトの反応をからかうように、彼女は笑う。

 

「冗談よ。それにしても……相変わらずね」

「え?」

 

 クルトが反射的に視線を戻したのと、シーナの指先が彼の胸元に触れたのは同時だった。

 切り裂かれた任務服の下から覗く、血の滲んだ包帯。それを優しく一撫でしながら、花の戦女は懐かしむように、そして何処か愛おしげに呟く。

 

「私の事は心配する癖に、自分はこんなに怪我して……あの頃と、ちっとも変わってない」

「シーナ……さん?」

 

 彼女は、一体何を言っているのだろう?……それがクルトの正直な気持ちだった。

 ほんの数か月前にゾイドエッグから目覚めたばかりのシーナと自分が、過去に出会っているなど有り得ない。

 

「あの……一体どういう……」

「……良いの。気にしないで」

 

 ふっと浮かべた笑みに一抹の寂しさを溶かして、シーナが呟く。

 

「悠長に話し込んでる場合じゃ、なかったわね」

 

 普段とはまた違った儚さを漂わせる彼女に、クルトがこれ以上何かを訊ねる事は無かった。恐らく訊ねた所で答えてはくれないだろうと容易に想像が付いたし、彼女の言う通り、今は話し込んでいる場合ではない。

 

「乗って。ディバイソンの所まで送るから」

「グオウ!」

「……わかりました」

 

 クルトが小さく頷く。

 そんな彼の目の前でシーナを取り込んだユナイトは、至っていつもの様子でクルトへ「乗って乗って」と催促するようにグオグオと鳴いた。

 

「……すまん。頼んだ」

 

 何処か譫言(うわごと)のようにぽつりと呟いて、クルトはユナイトの背に乗る。

 夜空に飛び立った直後、クルトは不意に、シーナに触れられた胸元へ手を当て考え込んだ。

 

―あの頃と、ちっとも変わってない―

 

 彼女の言う“あの頃”とは、一体いつの事を指しているのだろう?先程の口ぶりでは、まるで昔から自分の事を知っているかのようだった。そんな事、普通ならありえないが……

 

「参ったな……」

 

 吐息のような呟きが零れ落ちる。

 あの何処か懐かしげで愛おしげな一言の真意は分からない。自分に対するものでは無く、自分を通して見た“かつての誰か”に対して向けられた言葉なのかもしれない。それでも、クルトの口元は緩んでしまう。

 過去の忌まわしい事件以来、無茶を無茶とも思わなくなってしまった自分を、親しい者達は都度咎め、諫め、無茶をするなと叱って来た。だがシーナの先程の言葉は、そんな自分の無茶すらも肯定し、包み込んでくれたような気がした。例えそれが自分に……クルトという人間に向けられたものでなかったのだとしても、この在り方を赦してもらえたような、そんな気がしたのだ。

 

「っと」

 

 グンッと下に落ちるような感覚に、クルトはユナイトの肩を掴み直す。

 真っ直ぐディバイソンの前に降り立ったユナイトは、クルトが背から降りるのと同時にシーナを体外へそっと解き放った。

 

「じゃ、行きましょ」

 

 そう言ったシーナの表情からは、既に笑みが消えていた。

 何処までも凍てついた慈悲の無い眼差しで歩き出した彼女を、クルトは思わず呼び止める。

 

「シーナさん!」

「何?」

「行くって、もしかしてシーナさんも戦闘に参加するつもりですか?」

 

 その言葉にシーナが再び微笑えんだが、その笑みは、これまでクルトに対し見せていたものとはまるで違った。彼の心配を軽く一蹴するような冷たさを孕んだ、暗く、それでいて不気味さと妖艶さを兼ね備えたような笑み……ぞくりと背筋が凍てつくのに、視線を逸らす事も出来ず固まったクルトに対し、シーナは両肘を抱えるように低く腕を組んで答えた。

 

「えぇ。それが何か?」

「……シーナさんは前線オペレーターなんです。本格的な戦闘訓練を受けていない以上、ぶっつけ本番で戦闘に参加するのは危険過ぎます。どうかオペレートに専念して下さい」

 

 しかし、シーナはそんなクルトを見据えて静かに呟いた。

 

「生憎だけど、私はこっちの方が専門なの。丁度即戦力も暇を持て余してるみたいだし」

 

 その言葉に吸い寄せられるように、彼女の背後へ歩み寄り頭を垂れたのは鋼鉄の守護鷲……

 

「まさか……ブレードイーグルで戦闘に加わるおつもりですか?」

「ええ。数を薙ぎ払うなら、この子の方が都合が良いもの」

 

 さも当然のように答えたシーナは、クルトが二の句を継ぐ前にきっぱりと言い放った。

 

「登録パイロットが不在である以上、動かせる人間が乗るしかないでしょう? 何か異論がある?」

「……いえ」

「なら、早く行きましょ」

 

 ふっと表情を緩めたシーナが、クルトに歩み寄る。

 彼の頬を優しくするりと一撫でして、シーナは囁いた。

 

「援護は、任せたわ」

「りょ……了解、しました」

 

 別人格に切り替わっているとはいえ、好きな女性にこんな風に触れられれば、ドキッとしてしまうのも致し方ないだろう。上ずった声を返したクルトを何処か微笑まし気に見つめた後、シーナはブレードイーグルに乗り込み、夜空へと飛び立つ。

 そんなイーグルを見送る間もなく、クルトもすぐさま踵を返し、ワイヤーリールを使ってディバイソンへと乗り込んだ。

 

「ったく! 俺には偉そうに説教しやがった癖に、一体何処で何をやってるんだあの馬鹿は! シーナさんにもしもの事があったら、後でしばき回してやる!」

 

 荒々しく独り言を吐き捨てた彼は、バイザーデバイスを装着しながら相棒へ呼び掛ける。

 

「テオ! 戦況は?!」

[フライハイト少尉が、マリーベル皇女殿下を避難させる為、ヴァルフィッシュへ向かい移動中。シュバルツ少佐が現在護衛に当たっています。第三陸戦部隊は、無人ゾイド部隊に対しやや劣勢。ブレードイーグルが援護に入ったので、まずは其方の後方支援を]

 

 交戦中の第三陸戦部隊の元へ向かいつつ、クルトが訝し気に眉を顰める。

 

「例の不明機は?」

[現在ロストしています。動向不明]

「ロスト?……」

 

 乱戦に乗じて後退し、無人部隊の指揮を執っている事も十分考えられるが、ならば最初に姿を現す必要は無かった筈……何か別の理由があるに違いない。

 

(あの機体にも光学迷彩が搭載されていたな。奴がわざわざ乱戦を抜け出す理由か……)

 

 はたと、クルトは思い至る。

 考えられる可能性はいくつかあるが、最も濃厚なのは2つ、1つは前線戦力であるライガーゼロが戦闘を避け、ヴァルフィッシュへと向かっている事に気付き、マリーベルが同乗している事を察して奇襲に向かった可能性。あの不明機とライガーゼロには、合同演習の一件で因縁もある。仮にマリーベルが同乗している事に気付いていなくとも、狙うには十分な理由だろう。

 そしてもう1つは……

 

[荷電粒子収束反応を確認。1時の方向。距離およそ8000]

「やはりな!!」

 

 無人部隊で邪魔者を足止めし、遠方から荷電粒子砲で一掃する……その巻き添えにならない為に単機で離脱した可能性。今回の答えはどうやら此方らしい。

 

「下がれ陸戦!」

 

 怒号にも似た一言が共通回線に響き渡る。

 最前線へ躍り出たディバイソンが電子振動シールドを展開するのと、破滅の光が届くのはほぼ同時だった……

 

   ~*~

 

 時間は、カイが1人になった辺りに遡る。

 

(……さて。と)

 

 開いた瞼の下から、光の消えた凍てついた瞳が再び姿を現す。

 彼はその眼差しをただ一点……クラウとヒドゥンでは無く、右手の木陰へと突き付けた。

 

「で? いつまで隠れてんだ? 出て来いよ」

 

 殺気すら込もっていない、ただただ何処までも底冷えした無感情な呼びかけに、カイが睨みつけている木の陰から1人の男が姿を現した。

 宵の闇を溶かしたような黒髪に、紺碧の瞳……帝国軍の尉官服に身を包んでこそいるが、その顔には全く軍人らしくない笑みが浮かんでいる。

 

「へぇ。気付いてたんだ」

 

 あっけらかんと、素直に感心した様子で声を上げたその男性を見つめ、クラウがポツリと呟く。

 

「イグ……どうして……」

「やぁ。クラウ。助けに来たよ」

 

 優しく、拍子抜けしてしまうほど爽やかに答えながら、イグナーツはポケットから取り出した拳大の青い鉱石をクラウへと投げて寄越す。

 

「これ……」

 

 受け取ったクラウが目を見開くのも無理は無い。

 火山地帯の、それも火口付近でしか採掘されない稀少鉱石“ゾイマグナイト”ゾイドの治癒能力を大幅に増幅させる奇跡の石を、まるで飴でも投げて寄越すかのように突然渡されるなど、誰が想像出来るだろうか?

 

「それにしても驚いたよ。まさか現代人の男の子に気配を気取られるなんてね」

「ぬかせ。陰からこそこそと、舐め回すみてーに俺の事見てやがったのは何処のどいつだ。穴が開いたらどうしてくれんだよ。気色悪ぃ」

「それは失礼。君があんまりにも似てたからつい。ね」

 

 含みのあるその言葉に、カイは若干うんざりした様子でイグナーツを睨みつける。

 

「どうせアレックスに似てるって言いてぇんだろ。いい加減聞き飽きてんだよこちとら。もっと他に捻りのある煽り文句ねーのか」

「へぇ~。自分がアレックスと同じ顔してるの、自覚あったんだ」

「チッ……」

 

 思わず舌打ちが口を突いて飛び出す。

 

(なんなんだ……コイツ……)

 

 何故、最初見かけた時に気付かなかったのだろう? この異質さに……耐え難い不快感に。

 情報屋時代にもヤバい連中は掃いて捨てる程見て来たが、正直な話、そんな連中とは到底比べ物にならない。腹の底から……いや、細胞の奥から、自分を形作るもの全てが目の前の男を拒絶している感覚だ。

 

「それにしても、思い出すなぁ……」

「あ?」

 

 わざとらしく、しみじみと呟くその声すらも不快で、流石のカイも苛立ちを露わに声を上げる。

 その反応を堪能するようにたっぷりと間を置いて、イグナーツは告げた。

 

「君のその目。アレックスにも同じ目を向けられた事があるんだ。いやぁ、楽しかったなぁ。眠りに就く前に戦った、彼との最後の戦闘はさ。本当にゾクゾクしたんだ。流石“第二世代”だと感心したよ。所詮僕は“試作”の“第一世代”だからね」

 

 何処か恍惚としているようにすら聞こえる口調で語るイグナーツを見据えたまま、カイは注意深く、探るように訊ねる。

 

「……話が見えねーな。一体どういう意味だ?」

「あぁ、そっか。()()君じゃ分からないよね。じゃぁ教えてあげるよ。僕は優しいから」

 

 そう言い終えるのと同時に、イグナーツは一気に距離を詰め、カイの首を捕えた。

 

「がっ?!」

 

 到底反応出来ないような速度で首を掴まれたカイは、そのまま地面へ叩き付けられるように組み伏せられ、思わず息を詰まらせる。

 そんな彼に、イグナーツは不気味な程優しく微笑みかけた。

 

「どうも初めまして。カイ。僕はイグナーツ。シーナと“君”のお兄ちゃんだよ」

 

 その言葉は、あまりにも衝撃的過ぎる一言だった。

 自分に兄は居ない。古代ゾイド人であるシーナと、現代人である自分に血の繋がりは無い。なのにイグナーツは、自分を「カイ」とハッキリ呼びながら、シーナと自分の「兄」であると言う。まさに矛盾の大渋滞だ。一欠片も理解が出来ない。

 だが、彼の言葉が全く理解出来なくとも、自分が今殺されかけているのだという事だけは、嫌と言う程理解出来た。

 

「ど……こが、優しいんだよッ……自己紹介くらい……普通に、言え!」

 

 拳銃を抜き、イグナーツの顔面目掛けて発砲する。

 パッとカイの首を離したイグナーツは、そのまま半身で弾丸を避けると一旦距離を取り、楽し気に笑った。

 

「良いね! やっぱりそう来なくちゃ。さぁ、遊ぼうか! 久し振りに!」

「げほっ……てめぇと遊んだ覚えなんて――うぉ?!」

 

 起き上がって咳き込みながら悪態を吐くのも束の間。飛んで来た投擲ナイフを間一髪で躱し、その勢いに任せて横へ転がりながら体勢を立て直して起き上がったカイは、イグナーツへ向けて再び発砲する。しかし、イグナーツは弾丸を躱しながら、先程のように一気に距離を詰め、コンバットナイフを抜き放った。

 

「くっ!」

 

 顔面目掛けて放たれた突きを、精一杯避ける。刃が微かに頬を撫で、痛みが奔ったが、致命傷でさえなければそれで良い。

 

―お前、避けるのだけは上達したな―

 

 ふと、脳裏にクルトの言葉が過る。

 近接格闘訓練を重ねる中で、唯一成長が感じられたのがそれだった。

 

―うるせぇな! お前が容赦ねーから避けるしかねーんだろ?!―

―逃げてばかりじゃ、いつまで経っても相手には勝てんぞ。寿命は多少延びるかもしれんがな―

―お前は俺を殺す気なのかよ……―

―馬鹿を言え。実際の任務での話だ―

 

 そんなやり取りを交わしたなと思いながら、カイはイグナーツの動きを注視する。

 

(今は寿命が延びてくれりゃ御の字だ。集中しろ。アイツの攻撃を躱す事以外考えるな)

 

 全神経を研ぎ澄まし、集中が極限に到達した時、頭の中はスゥッと冷たくなっていく。耳の中に響いていた鼓動の音すら遠のいて、周囲の音がいきなり鮮明になり、相手の動きが僅かながら遅くなったように見える……だがカイはこれまで、自らこれに頼ろうとした事は無かった。

 理由は、正直自分でもよくわからない。

 

―……カイ。もう二度とこんな戦い方すんな。命がいくつあっても足りねーぞ―

 

 初めてこの状態に入って戦った直後、ザクリスにそう言われたからかもしれない。

 この感覚に身を任せている間、自分という存在が溶けて消えていくような感覚になるのが、なんとなく不安だからかもしれない。

 心の奥底の、その更に深い場所で……戦いそのものを求め、楽しんでいるような感覚が微かに顔を覗かせるせいかもしれない。現にザクリスからは、この状態を「()る気スイッチ」と命名されているくらいだ。恐らく傍から見ても、この状態の自分は普通ではないのだろう。

 だが今は、そんな甘い事を言っている場合ではないとハッキリ感じた。

 

(――来た)

 

 集中が極限に達した感覚……自身の存在すら曖昧になり、ただ戦いを求める感覚……今まで無意識に移行していたその領域に、初めて自らの意志で堕ちる。

 

()れ……でなきゃ――)

 

 カイの瞳から、完全に温度が消えた。

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