人間に化けて夜な夜な人を襲うという人狼。村人たちは人狼を排除するために疑わしい人間を一日に一人、処刑することにした。
今夜の処刑者を告げる村長ヴァルターの声が村の集会場に陰鬱に響く。
「……ヨアヒムは狼である、ということを村の総意とさせてもらう」
村長の決定を聞いたとき、私は目の前が真っ白になった。唇が震え、目の奥が痺れている。全身の感覚がいつもと違う。足が震え、手先から血の気が退いていくのが分かった。
今の私に自分の身体を思った通りに動かせる自信は無い。
他の者達は誰とも目を合わせずに席を立っていく。自分が処刑の対象で無ければ何でも良いみたいだ。薄情者達め。
思考が脳の浅い位置でぐるぐると空回りして考えが纏まらない。しっかりしろカタリナ。ヨアヒムを救えるのはお前だけだ。
自分に強く言い聞かせると手足の感覚も戻ってきた。
「待って下さい、村長。皆さんも。私の話を聞いて下さい。ヨアヒムは人狼なんかではありません」
最後に集会場から出て行こうとした村長ヴァルターの腕を掴んで留める。ひどく落ち窪んだ眼がこちらを見た。思わず手を離してしまいそうになるのを何とか堪えた。
「もうすぐ日付が変わる。それまでに処刑の準備をせねばならん。君の気持ちは分かるが……もう決まったのだ」
そう言って村長は掴んでいた私の手を振り払った。
「待って! 待ちなさいっ!! 話を……」
「もう決まったことなのだよ」
集会場から出て行く際に村長が独り言のように呟いた。
聞く耳持たずとはこのことだ。もっとも、まとめ役の重圧で彼もギリギリなのだろうが……。
いや、彼だけではない。村の全員が酷く疲れている。
毎晩、襲撃の恐怖に耐えながら、今まで同じ村で生活していた親しいものを疑い、そして処刑していかねばならない状況。
誰もが逃げ出したいくらいに消耗している。
私だって同じだ。
しかしヨアヒムが、自分の愛した人が処刑されると分かっていて正気でいられるほど私は……。日付が変わるまで後何分もない……どうすればヨアヒムを助けれるだろう。
「カタリナ……ありがとう」
立ち尽くしていた私に声を掛けたのはヨアヒムだった。
憔悴しきっているが、どこかホッとしたような顔をしている。
「もう良いんだ」何がもう良いのよ。
「カタリナが僕のことを思ってくれている、それだけで十分なんだ」私は全然十分じゃない。
「カタリナと一緒で楽しかった」何で終わったことのように言ってるの。
ヨアヒムがそっと抱きしめてくれた。私のフードを取って頭を撫でてくれる。その手は震えていた。
私はヨアヒムの少し頼りない胸板に顔をうずめた。
「それに……カタリナ。僕を助けるということは、僕以外の誰かを処刑しなければならないんだ」
そんなこと分かってるわよ。それでも私は貴方を助けたいんじゃない。他の誰かを殺してでもヨアヒムが生きてて欲しい。側に居て欲しい。
そう言いたいのに声が出ない。
何で?
一杯伝えたいことがあるのに。ただ泣き喚くことしか出来ない。
ごめん。ごめんね。ヨアヒム、本当にごめん。
私にもっと力があれば助けてあげられるのに。そう思うたびに涙が溢れ出す。
ヨアヒムの服は私の涙と鼻水と涎でぐしゃぐしゃだ。私の顔もきっと酷いことになっているだろう。
ふと、あることに気がついた。泣いている私を見つめるもう一人の私がいることに。
ヨアヒムの死を悲しむ村人のカタリナと、もう一人のカタリナ。
心の奥では何故か冷静な自分がいる。
何でだろう? 何だろう、この感じ。
不意に私を抱きしめてくれていたヨアヒムの腕が解かれる。
「時間……ですね」
部屋の入り口には村長とトーマスが立っていた。二人は無言だった。
ヨアヒムはすがりつく私を制するように、ありがとうと耳打ちをして私から離れた。支えを失った私はその場にへたりこむ。
ヨアヒムが村長とトーマスの方へと歩きだそうとした。が、ふらついて壁に手をついてしまう。
「……駄目だな、足が上手く動かない……トーマスさん、すみませんが……」
トーマスは無言で部屋に入ってきて、ヨアヒムに肩を貸した。ヨアヒムはトーマスに寄りかかるようにして部屋から出ていった。
行っちゃ駄目……ヨアヒム……。
戻ってきて……。
相変わらず私の声は出ない。手も足も重量と仲良くなって一向に私の言うことを聞いてくれない。
がらんとした議事室で私は独り泣いている。
どれくらいそうしていただろうか。
涙もついに枯れた。こんなに悲しいのに涙が出なくなってしまった。
私も薄情者だな、と思っていると涙の代わりか強烈な吐き気が襲ってきた。
何処かへ吐く場所を、と思う間もなく胃液が逆流してきた。口の中に強い酸味とエグい味が広がる。昨日から食事はとれていないためか、胃そのものが上がってきたような感覚を覚えた。
私はたまらず床に突っ伏して、そのまま嫌な味のする液体を吐いた。何度かえずいた後、四つん這いの状態で居るのも苦しくなり、自分の吐いたものの上へ倒れこむ。
胃の中のものを全て出し切り暫く横になっていると、徐々に吐き気は収まってきた。
部屋にすえた匂いが充満している。
ふと視線を感じた。
部屋の入り口に目をやるとペーターが居た。心配そうな顔で私の様子を伺っている。
「リナ姉……大丈夫?」
「ありがとうペーター、大丈夫よ」大丈夫なわけがない。
出来るだけ笑顔を作りペーターに応えた。
汚物まみれの顔では逆に不安にさせたようでペーターはどこかへ行ってしまった。
「酷い有様……」
上半身だけ起こして、どうしようかと思案しているとペーターがまたやってきた。手には木のバケツとタオルをいくつか持っていた。
ペーターは無言で私に近づき私の口元やらを拭いだした。
少しびっくりしたけどペーターが泣きそうな顔をしているので、私も何も言わずペーターに綺麗にしてもらった。
ペーターは汚れたタオルをバケツに入れ、もう一枚のタオルで私が汚した床を拭き、窓を開けて部屋の換気を促した。
窓の外はもう薄っすらと明るくなり始めている。
ヨアヒムはもう……。
また吐き気がこみ上げてきた。身体がくの字に曲がる。
胃の中にはもう何も入っていないのにも関わらず、私の身体は必死に吐き戻そうとする。何を身体の外に出したいのだろう。
涙はもう全て外に出てしまったのだろうか。本当に私が消し去りたいものとは……。
「リナ姉っ! 大丈夫!?」
ペーターが慌てて駆け寄ってきて、背中を撫でてくれた。
吐き気はすぐに収まった。
こんな状況でも他人を気遣えるペーターには本当に感心する。
ペーターと目があう。表面上は疲労の色が見えるが、その瞳の奥は力強く光っている。
大人は皆、疲れきって疑心暗鬼になり、互いに攻撃しあうばかりだというのに。
強い子だ。
「リナ姉?」
不思議そうにこちらを見ている。ペーターの強さはどこから来るのだろう。
子供だからなのか。
「ペーターは怖くないの?」
「怖いよ。すっごく」
即答。
それはそうだ、怖くないわけがない。
「じゃあ私なんか放っておいたらいいのに、私が狼かもしれないんだよ?」
「リナ姉の痛みは僕の痛みでもあるから」
一瞬、意味が分からなかったが、すぐに思いあたった。
昨日の処刑者はリーザだ。
それでか。本当にこの子は強い。
私はたまらなくなってペーターを引き寄せ抱きしめた。
「い、痛いよリナ姉……」
ペーターの抗議は聞こえていたが、それでも私は離さなかった。
涙は出なかった。
吐き気も収まった。
次の日、村は滅亡した。
村の食堂では飲めや騒げやの宴会が開かれていた。
入り口に近いのカウンターの席に、ならず者と並んで私は座っている。
私たちの座っている反対側、食堂の奥の方のカウンター席で共有者のヴァルターとジムゾンが手を繋いだり見つめ合ったりしているのが見えた。
何か色んなものを共有してそうね、あの二人。
厨房の中からレジーナの威勢のいい声が聞こえる。リーザとパメラが空いたお皿やコップをお盆に乗せて厨房に入っていくのと入れ替わりに、オットーが色んな種類のパンが入ったバスケットを手に持って厨房から出てきた。
ふんわりとバターの匂いが漂ってくる。
部屋の中央にある大きなテーブルではトーマスとニコラスとの飲み比べが始まったようだ。アルビンが囃し立てながら賭事の対象にしている。なんともたくましい商魂魂に変な笑いが漏れる。
その横ではヤコブがひどく見っともない感じで、オイオイと泣いている。自分が丹精込めて作ったぶどう酒を、あんな風に湯水のように飲まれちゃ泣いても仕方ないか。
「だから言ったじゃない。ヨアヒムは人狼なんかじゃないって」
ヨアヒムが居ない村なんて滅んで当然だ。
「うわ、ひっでぇ」
隣にいるディーターがニヤニヤと笑っている。
「おかわり!」
空になったグラスをディーターに差し出す。
「なんで俺なんだよ! そういうのはパメラかリーザに言えよ」とか何とか言いながら、ちゃんとお代わりを持ってきてくれる。
こういうのを流行りの言葉でツンデレとかいうそうだ。
ディーターはカウンターの中にいるオットーに空のコップを渡す。受け取ったオットーは笑いを噛み殺しながら厨房の中へ入っていった。
「あ、オットー何笑ってやがるんだ」
ディーターはオットーを追いかけて厨房の中に入っていった。
私はカウンターに置かれたバスケットからクロワッサンを一つ摘んで齧った。
「皆さん、お疲れ様です。不甲斐ない狩人ですみませんでした。」
食堂の入り口に目をやるとペーターが入ってくるところであった。コルセットで胴体を固定している姿が痛々しい。
それぞれから「ペーターお疲れ様」との声が上がる。
「ペーター、ここ空いてるわよ」
私は先程までディーターが座っていた席を手のひらで叩いた。
「いやぁ……リナ姉守りに行ったら、まさか……」
そう言って私の隣にペーターが座った。私は「んふっ」と笑ってペーターの頭をぐりぐりと撫で回す。
「ペーター、お疲れ様。何か食べる?」
厨房からオットーが出てきた。厨房から顔を覗かせてディーターがこちらの様子を伺っている。
「あ~……パン屋さん。今、リハビリ中なんで……お水で結構です」
オットーは軽く頷くとおもむろにエプロンのポケットをまさぐる。そうして水の入ったコップを取り出しペーターの前に置いた。
出た、オットーマジック。
「ありがとう、パン屋さん」
オットーは満足したように厨房へと戻っていった。ディーターが慌てて顔を引っ込める。
「ディタさん何やってるんだろう」
「デレてるんじゃない?」と言ってみたらペーターの頭の上にハテナマークが浮かんだ。
「まぁそういう気分なのよ」
「ふぅん」と言ってペーターが部屋の中を見回す。
「後、まだ来ていないのってモリ爺とヨアヒム兄ちゃんかな?」
「ヨアヒムなら遅れるって言ってたけど、モーリッツならそこに居るわよ」
私は天井を指さした。
ペーターが私の指先に従って上を見上げる。
「上って……うわぉ」
モーリッツはどういう原理かは分からないけど、さっきから天井に張り付いている。しかも女性用の下着を頭に被って。
「相変わらずの変態さんで安心した」
「墓下でもずーっとあんな調子だったそうよ」
たしか忍者の末裔だか何だか言ってたけど……。
ちなみにあの下着はリーザの部屋から取ってきたらしい、ということをペーターに教えると、途端にペーターの表情が般若のようになった。
それからゲルト神に聞かれたらどこかに連れて行かれそうな暴言を吐いて、懐から玩具のパチンコを取り出したかと思うと、モーリッツに向けて発射した。
背中に青虫が這っている感覚を覚えるような気持ちの悪い笑い声を上げて、なんとなく口にするのも嫌なあの虫を連想させるような動きで、モーリッツはペーターの攻撃を回避する。
何度もパチンコ玉を発射するペーター。しかし、リーザの下着からエネルギーを充電しているモーリッツを捉えることは、どんなに凄腕の狩人だろうと不可能に見えた。
「何だかカオスですねー」
聞き覚えのある爽やかな声。
ヨアヒムだ!
食堂の入り口を見ると、やはりヨアヒムが立っていた。
会いたかった。
私はたまらずにヨアヒムに勢い良く抱きついた。
「カタリナっ!」
ヨアヒムが受け止めてくれた。
嬉しい。暖かい。気持ちがいい。
ヨアヒムの目を見ようと顔を上げると首筋の白い包帯が目についた。消毒液の匂いがした。
思わず私は指でそれをなぞる。ヨアヒムが私の指に手を重ねる。
「この村のトーマスさんは処刑が素晴らしく上手い。痛みも何も感じなかったよ」
白い歯をみせてヨアヒムはにっこりと笑った。私はもう一度、ヨアヒムの少し頼りない胸板に顔をうずめる。
「さて、みんな揃ったようだな」
村長の声がした。
振り返ると、中央の丸い大きなテーブルにいつのまにか全員が座っていた。
私達も空いている席に座り、目の前に置いてあるグラスを手に取った。ヴァルターが立ち上がって全員の顔を見回した。
「みんな、特に最終日まで残っていた者達は本当にお疲れ様だ。一週間色々あったが本当に楽しかったな。では村人の健闘と人狼諸君らの勝利に……乾杯ッ!」
ヴァルターが高々とグラスを掲げた。
「カンパ~イッ!」
みんなもグラスを勢い良く掲げる。
私は嬉しくなって一気にグラスを空けた。
それから先は覚えていない。
気が付いたら机に突っ伏して寝ていた。窓の外はもう完全に明るくなっている。部屋の中には誰もいない。
部屋は昨日までの喧騒が嘘のように静かだった。
酒瓶やグラスが散乱しているテーブルの上にぶあつい書類を見つけた。
『山奥の村議事録』
表紙にはそう書かれていた。
議事録を手にとって一番後ろページをめくってみた。
みんなの別れの言葉が綴られていた。
今度は一番最初のページを開いた。プロローグの風景が記録されている。
ほんの数日前のことなのに、もうずっと前のことのように感じるのは、それだけこの1週間は濃い時間だったのだろう。
次のページをめくってみる。村人達の議論の様子が綴られている。
もっともっとめくってみる。そこには議論の記録があるだけだった。
記録だけがあった。
誰も発言してくれない。
誰も発言も出来ない。
無性に寂しくなった。
議事録を閉じて静かにテーブルの上に戻す。
『この村は終了しました』
議事録の裏表紙にはそう書かれてあった。