木の葉の里。かつての大戦を終えて、再び各国一の軍事力を備えたこの里には今、各国の忍の姿があちこちにあった。平時ではあり得ないことだが、このような事象が起こり得る数少ないイベントの一つがある。
中忍試験。下忍と上忍の中間に値するこの試験は里が他里の忍や大名を招待する。その経済効果は言うまでもないが、肝はそこではない。忍里の軍事力の要である中忍の質はその里の忍の質をそのまま意味する。普段見ることのない忍の戦闘はそれを取り扱う富裕層の需要と自尊心を刺激し、他里に対する牽制を意味し、それすなわち戦争の縮図なのだ。
商いを営む民にとっては格好の稼ぎ時であるものの、木の葉の治安を守る警備部隊やそれに準ずる者にとっては気の休まる暇もないほど忙しない。屋根の上をせかせかと飛び回る忍を眺めながら、歓楽街をどこかのんびりと歩く女がいた。
見る人が見ればその歩法に隙が無く、重心は安定して、不意打ちにも対応できるものだと気づくことが出来るだろう。だがその女の恰好がいささか問題であった。
下着にそのまま鎖帷子で編まれたベストを着こみ、ジャケットを羽織っているだけで、そのジャケットも前を留めずに素肌が隠されていない。夜の女でさえ露出はこれより少ないだろうと分かる姿に、発育の良い躰が合わさって、すれ違いざまに男たちは厭らしい視線を浴びせるばかりで、忍ですらも彼女の歩き方に気づかない者もいる。
女。みたらしアンコは機嫌良く歩くばかりで男たちの視線を気にもしなかった。
手にはお気に入りの店で買ったみたらし団子のお土産が包んであり、アンコの機嫌そのままに楽しそうに揺れている。
周囲の様子もまるで脳に入ってこない様子のアンコもさすがにそうも出来なくなるほどの衝撃が視界から入って来た。道の先の土産物屋で店主と何やら交渉中の女性とその付き添いの女性がいたからだ。アンコの方からでは背中側しか見えないが、背中に『賭』の字が入ったドテラに、背中からでも見えるほどの胸部の存在感。肌色に近い金髪の持ち主をアンコは一人しか知らなかった。
「綱手様っ! 里に戻ってらっしゃったのですか!?」
「お!? 確か――どこかで見た顔だと思ったら、大蛇丸の弟子のアンコじゃないか」
「はい! お久しぶりです綱手様。……それと………あー、シズネもっ」
「今、絶対私のこと忘れていましたよねっ! ――いいんです。ど~せ私は影が薄いですよっ」
拗ねてしまったシズネの背中を擦ってなんとかアンコは励ました。同じ三忍の弟子として幼少の頃からお世話になっていたお姉さんという印象だったが、こんなに可愛い人だったかなと己の記憶力に少し疑いを持ちつつも懐かしさはこみあげてくる。きっとこんな感じだったのだろうと一人結論を出した。
「相変わらずお美しいですね綱手様は」
「お前も大分綺麗になったな。女がそんなに綺麗になるってことは……好い人でも見つかったのか? え?」
シズネはおっさん臭いなと内心思っていたら、案の定綱手に一発ぶたれた。考えていることが分かるほど長い時間尊敬する人物に付き添ってきたということだが、それも良いことばかりではないとごちる。
「――へへへッ」
頬を染めるアンコは、少女としての愛らしさと大人の女としての魅力を兼ね備えていた。思わず綱手はほうっと息を呑む。同時にシズネは興味津々でアンコに次を促した。結婚適齢期を過ぎている師を前に自身も危機感を抱いていた。
「それよりもっ! 綱手様は木の葉に居を戻されるのですか? もしかして火影として……」
「止めてくれっ。あんな役職誰がやるもんか!」
本当に勘弁だと言わんばかりに美しい顔を歪ませる。
「今回戻って来たのはうるさい爺婆たちの厄介事……というだけなら戻るつもりは更々なかったんだが。可愛い
「綱手様のはとこというと……」
付き添いにも関わらず綱手の事情を知らないままでいたシズネは綱手のはとこと聞いてもピンと来る人物が浮かんでこなかった。千手一族であることは間違いないだろうが、その千手一族も戦争やら任務やらで残された一族は少ない。かつての仇敵であったうちは一族も滅亡寸前と聞く。木の葉創設の二大一族の現状に一抹の虚しさを感じていると、アンコが嬉々とした表情で口を開いた。
「藍染 惣右介さんですね! 確か上忍衆の統括部に内定が決まったとか」
里の戦力を表すのが中忍だとすれば、上忍は貴重な戦闘力を持ち、それ故に内政に関与する権限を与えられた存在だ。その名の通り上忍衆はその上忍の限られた一部のみが他の上忍たちの推薦や自薦で選ばれた存在だ。火影の次に権力のある議会と言い換えても良い。火影の信任投票や、大名との定期集会に参加し資金の融通を図る事、里の訓練施設や娯楽施設の要望を直接火影に送ることもできる。
その業務は多岐に渡り、統括部はそれらの活躍を取りまとめ、忍を適性のある任務にあてがったり、班の構成を提案する総務に値する部だ。業務の性質上、忍一人一人の個人情報を取り扱うこともあり、よほど信頼されてなければ候補として挙げられることもない管理職だ。
30代の若さで統括部に内定が決まるということは、誰の目から見ても栄転だった。
「ん。――にしても情報が早いな。……そういえば惣右介も大蛇丸が教育してたか?」
「はい。藍染さんには小さいころからお世話になってきて……」
『字が上手くなったのも藍染さんのおかげなんです』と続けざまに熱く語るアンコの姿に、綱手もさすがに察しがついた。隣のシズネが気づいてないのを見て、だからお前には相手がいないんだと心中呟く。
「ちょうどいいから惣右介がいそうな場所を教えてくれ」
アンコは首肯した。
突然現れた綱手の存在に、男は医務室で纏めた書類を片手で持ちながら目を見開いた。
「綱手様!? 里に戻られたのですか?」
驚きつつも男は生来の性格からか、来客用の椅子を用意して、もう一方ではお茶の葉を茶こしに入れ始める。相変わらずだなと遠慮なく綱手は椅子に荒く腰かけた。付き添いのシズネは勧められた椅子に座るのを遠慮して、遠巻きに綱手の様子を窺う医療忍者たちの視線に居心地悪そうに立ち尽くす。
「姉さんでいいぞ惣右介。昔は姉さん姉さんと可愛かったんだがなぁ」
「さすがに……それは勘弁願います。あの三忍の一人で、天才医療忍者を前にこの場でそんなことを言ってしまえば後で酷い目に遭いそうですからね?」
藍染が確認をとるかのように覗き見ていた医療忍者に目線をやると、自身の行いが恥ずべきものだと理解させられた忍は蜘蛛の子を散らすかのように行ってしまった。
「案外締めるところは締めてるみたいで安心したよ」
ホッと安堵の表情を浮かべる綱手に、藍染もクシャッとした笑顔で応えた。
「……実は職場が変わることになりまして、今日は最後の荷物を取りに来たんですよ。彼らも送迎をしようと集まっていたところに綱手様がいらっしゃって。……お見苦しくはあったでしょうが、皆拙い上司を支えてくれたかけがえのない人材なんです」
ゆっくりと心情を吐露する藍染は、甘いマスクも際立ってとても魅力的にシズネは思えた。声音が優しく耳元に響いて、所作の一つ一つが丁寧。戯れに書類に触れる指先の動きが滑らかで、あれと同じように肌に触れられたらどうしようと、いらぬ心配をしてしまう。
そんなシズネの不安もどこ吹く風。藍染と綱手は久しく会わなかったこともあり、話す話題には事欠かない。しばらくの雑談の後、綱手は本題を切り出した。
「さっき職場が変わるって言ってたな? いいところなのか?」
知らぬ体で突っ込む。
「ええ。今までは上忍衆の一員として木の葉病院にも同時に勤めていましたが、新しい職場では兼務が難しいので、木の葉病院からは退職することになりました。中忍試験が終わって一月後に――」
「――上忍衆の統括部とは随分な出世だな」
「……知っていたんですか? 相変わらずですね綱手様は」
「今回の帰省のメインがそれだからな」
「それを聞いてホッとしました」
「ん? 何がだ?」
「この里があなたにとって未だ帰る場所だということを知れてですよ。綱手
「……本当、そういう可愛くないところも全く変わってないなお前は」
この場ではし辛い話もあるということで、藍染の見送りを行う医療忍者の温かい送迎を受けながら三人は近くの酒場に移動した。花束や色紙、贈り物の荷物を四人掛けの席の一つで占領しながら会話していたはずなのだが、
「藍染さん、お酒お注ぎしますよ」
「すまないねアンコ君。次は僕が注ごう」
いつの間にかアンコが合流して4人になっていた。よその席から椅子を藍染の横にちゃっかりつけている。シズネは何かに気づいたかのようにハッと横の綱手を振り向く。素知らぬ顔で無視された。挫けずに口の動きだけで抗議する。
(綱手様ですね。アンコを呼んだのは! 私にも男を落とす機会をください)
(諦めろ。女たちの骨肉の争いは見たくない。それにアンコは怒らせると怖いぞ)
(むむっ)
(それより惣右介に男友達を紹介してもらったほうがいいんじゃないか?)
(それですっ!)
急に機嫌を良くしたシズネに単純な奴だと毒づく。賑やかな酒場で藍染と古い付き合いの女たちと呑む酒の旨さに、あまりいい思い出の無かった木の葉の里にも郷愁の思いが知らぬうちにあったのだろう。最初の内は杯を空けるごとについでもらっていた酒も追いつかなくなり、綱手も酌を断って手酌でぐいぐいやりはじめた。
(シズネを馬鹿には出来ないな。浮かれているのはどっちだか……)
すっかり酔った綱手は時折足元を不安定にさせながらも宿場へと足を進める。久しぶりの楽しい飲み会に頬を赤らめ、胸元をはだける様子に周囲の若い男たちは声をかけようと近づくが、付き添いのシズネが肉食獣のような眼光で睨んでいるのに気づくとさっと避けてゆく。藍染はアンコを家まで送り届けると言い残して別れたが、こちらはとんだボディガードだなと思う。
しかし、心の強い男はいるもので。シズネの眼光を無視して綱手の前までたどり着いた男がいた。目鼻立ちの整った銀髪を腰のあたりまで伸ばした30代の男性。歌舞いた鮮やかな衣装を身に纏った男は綱手の前まで近寄ると、
「一目ぼれしました。どうですか、これから一杯」
そう気障な態度で告げた。いつもの綱手なら直ぐに一発ぶちかまして去るのが常であったが、何分綱手は今日機嫌が良かった。
「……いいだろう。上手く私をエスコートして見せろ」
「綱手様…………ずるぃ」
ぶつくさと文句のうるさい付き人をさっさと帰して、男の誘いにのった。この男どうやら木の葉の里に詳しいのか、とっておきの店があるといって路地裏に案内する。最初の内は食い物屋の店の明かりがぽつぽつとあったが、男は巧みな話術で綱手の注意を周囲の環境から逸らしてどんどん道が狭く、人通りの少ない場所へと進んでゆく。
遠くに街の明かりがわずかに見えるようになると、もう周囲に店どころか人の気配を感じることもなくなってしまった。
男がゆっくり振り向く。先程の紳士的な態度はどこへやら、無遠慮に綱手の胸元や臀部をにやにやと助平を隠す気もなく凝視する。ここまで来ると流石に綱手も知らないフリを続けるのは難しかった。
「さ~て、いい事をしましょうか? 二人でじっくりね」
「――その三文芝居をいつまで続けるつもりだ自来也?」
男の顔が驚きで固まり、その後白煙につつまれて別の男が現れた。否。銀髪に近い白髪を歌舞伎役者のように生やして一本歯下駄を履いた中年の男が変化した姿が先程の男なのだ。男、自来也は顎をポリポリ掻きながらも納得のいかない渋い顔つきで綱手に尋ねた。
「よく分かったのォ綱手。今回は結構うまくいったと思っとったが敗因を聞いていいか?」
「あのダサいセンスの服と、隠しきれない助平の視線を浴びれば誰だって気づく」
幼少の頃より、何度も告白され、覗き見されてきた綱手にとって最初から騙す気があったのかどうかも疑わしいほどだった。
「で、用件は何だ? わざわざ私にくだらないお遊びの為に近づいたわけじゃないんだろ?」
ふざけた性格はしているものの同じ三忍に数えられている自来也。その里への思いやりは綱手を軽く超えている。里の内外の情報を入手するため各国に潜入して、いざ里の危機になると誰よりも早く動き、非情な判断すら下せる男だ。わざわざ変装して綱手をここまで連れてきたというにはそれなりの理由があるはずだった。
「……あまり良い話ではなくてのォ。それも特にワシとお前にとってはな」
「ジジイが体調でも悪いのか? 無理もないな年だから」
「違う! ……大蛇丸のことだ」
最後の三忍、大蛇丸。数年前から里を離れて音信不通になっている男だ。綱手も同じようなものだが、大蛇丸に関してはほとんどの情報がなかった。昔から個人主義で、秘密主義でもあった大蛇丸の心情は付き合いの長い綱手や自来也ですらよく分からなかった。
「大蛇丸がどうかしたのか?」
「……お前は知らんとは思うが、今里である事件が起きておる」
「神隠し……ですね」
アンコは藍染に家まで送られる途中で少し話があると、里の外れまで来ていた。期待していた色気のある話ではなかったが、藍染の真面目な表情に深刻そうにうなずいた。
神隠し。
数年前から何の前触れもなく、木の葉の里の忍、一般人、老若男女が突然消える事件が起きている。当初は家出による失踪事件だろうと里の周囲をしばらく捜索したが、里を出た痕跡すら見つからず捜索は打ち切られた。しかし、事件は続いた。
行方不明者の共通点は里に住んでいることぐらいのもので、その周期は数か月分かっている限りでは起こらない時もあれば、月に十件以上の時もある。暗部も動員して事件の解決の糸口をつかもうと必死になっている最中、中忍の一人が行方不明になった。どれもいなくなった瞬間を誰もみていないというのが味噌で、それ以来忍には複数の集団での外出が奨励されている。一般人には余計な混乱を招くとのことで伝えられていないが、耳聡い一部の一般人から噂話として静かに広まっている。不幸中の幸いと言えるのが上忍や暗部、里の運営に関わる者に犠牲者は出ていないというだけで、未だに犯人はおろかどのような手法を用いての行為か、そもそも人為的ですらないのではと不安の声は止まない。
中忍試験の始まる今年までに解決させておきたかった事案ではあったが、とうとう他里の忍が試験の為に里へやってきてしまった現状でも解決の糸口すら見えない状況だ。
「そう。今里を賑わせている事件だけど、僕には少し心当たりがあるんだ。そうあって欲しくはないのだけど、君にも関係あることだからね」
「私にも……ですか?」
アンコに心当たりはない。藍染は信頼している君だからこそ話すのだけどと、前置きをして話した。
「……数年前から大蛇丸様が里を離れる機会が多くなった。尤も他の三忍のかたに比べれば大差はないレベルの話だけどね」
「確かに……でもそれになんの関係が?」
「二年前は一年間里に帰ることさえなかった」
「…………」
「その二年前は神隠しが確認されなかったんだよ。大蛇丸様が里にいる時を狙ったかのように神隠しが起きているのは紛れもない事実なんだ」
「ただの偶然……とは言い難いですね」
首元の呪印がチリチリと疼く。大蛇丸様に追いつくために施してもらった特殊な術式。特殊なチャクラで体の一部すら変質するこの力は、いったいどこで見つけてきたのだろう。大蛇丸様に深く依存していたころのアンコはあまり考えたことはなかったが、今のアンコなら分かる。これほどの力が、人体実験もなしに安定した術式へと昇華される訳がない。考えれば考えるほど気分は重くなる。
「そして大蛇丸様が里の近くまで戻ってきているという確かな筋からの情報もある。そして中忍試験の開催時期が正に今だ。偶然というにはあまりに出来過ぎているとは思わないかい? 今回の中忍試験の時期に合わせて帰ってきたのなら、他国の里の忍もその標的になる可能性が高い。もしものことがあれば木の葉の責任問題となる。僕はそれを危惧しているんだ」
藍染の顔色は悪そうに見えた。藍染のことだ。自身が忙しい時期にも関わらず、それらの情報収集に時間を充てていたのだろう。加えて元担当上忍が里を裏切っているかもしれない精神的負担はアンコも同じ立場故によくわかる。
「私が問いただしてみます」
これ以上の負担を藍染にかけたくなかった。
「いや、アンコ君は確か今回の中忍試験の試験官に抜擢されているだろう? 受験者と同時に相手するには大蛇丸様は手ごわすぎる。それに直接の弟子の君は良くも悪くも大蛇丸様に近すぎて、証言を上に伝えるにしても信頼されない恐れが高い」
「それなら……」
「僕が大蛇丸様に問いただそう」
迷いのない表情。きっとアンコは反対の不安そうな表情をしているのだろう。複雑な感情に今どんな顔をしているか自身でも分からなかった。忍としての実力ならもう藍染を超えている自信はあるが、藍染の前では未だ幼い頃の少女に過ぎないのだ。
俯くアンコの手が温かい手に包まれた。見上げればそこには憧れの人が見つめている。
「これは信頼する君だから話した情報だよ。もしも僕に何かあった時は、君が火影様にこのことを伝えるんだ」
「……はい。藍染さんお気をつけて」
口ではそういったものの藍染一人に任せる気は更々なかった。もうあの時のような少女ではない。頼られるだけの力は必死の思いで身につけてきた。手裏剣術、忍術、封印術、体術。そしてとっておきの切り札もある。直接の交渉は藍染に任せるにしても、もしもの際に藍染を陰から護衛することはアンコにも出来た。
(師の失態の責任は弟子の私がとる)
(あなた一人で背負わせたりなんかしない)