「いったい何だってんだ」
サスケが我愛羅との試合中。我愛羅が分厚い砂の殻に閉じこもり、カカシに教わった千鳥という新術で突き破り見事突破したのだが、中から現れた我愛羅の様子がおかしい。独り言を呟いて頭痛を訴えている。明らかな隙なのだが、纏う雰囲気があまりにも異質で攻めあぐねていた。
その時会場全体に白い鳥の羽が降り注ぐ。
我愛羅が術を使っている様子はない。羽自体に攻撃の意図を掴めないということは、効果を発揮するのに時間がかかるタイプの術か幻術のいずれか。ならばと幻術返しをしてみたところ、観客席に座っていた人々が崩れ落ちるように意識を失ってしまった。対応は間違ってなかったのだろう。
しかし幻術は合図に過ぎなかった。観客席の隅から忍が一斉に幻術を逃れた木の葉の忍を急襲し始めたのだ。会場内は怒号や剣戟音で混沌の様子。
もはや中忍選抜試験がどうのこうの言ってられない。
直ぐにサクラやナルトと合流すると、リー達年長組の担当上忍であるガイから任務を言い渡された。騒ぎに乗じて逃げ出した砂の忍を追え。
会場内で暴れる忍は明らかにサスケ達よりレベルが高い忍もいるようで、同じ下忍の砂の忍を追う任務は途中で試合が中断されたサスケにとっても丁度良かった。
そのサスケを眺める視線が一つ。
サスケが会場内から離れたのを見計らって、木の葉の暗部の姿の男が会場内に侵入する。目指すは建物の屋根で戦う二人の師弟のもとへ。
屋根の上にはヒルゼンと大蛇丸が戦闘中。邪魔が入らないように四人の敵忍が結界で封鎖を続けて、火影直属の暗部は結界の破壊を試みているがどうも難航している様子だ。
「そちらに標的が向かった。後は手筈通りに」
無線機の奥でくぐもった了承の声がする。作戦は順調だ。恐ろしい程に。
「惣……右介!? 惣右介だなっ?」
脇目もふらずに辿り着いた先で待っていたのは綱手以外の千住一族の生き残りである藍染惣右介だった。
――そのはずだった。
艶やかな栗毛に軽いパーマ。特徴的な全身和装に得物は刀。彼の男は見る人を安心させる優しい笑顔で綱手とシズネを迎えた。
どれも彼を彼たらしめる重要な要素だ。
しかし何か致命的な物が欠けているように思えた。最初に藍染に投げかけた言葉に疑いが混じっていたのはそのせいだ。
分からない。……何が足りていないのか。あるいは変わってしまったのか。
綱手はもはや肉親とすら思っていたのだが、それはこちらの一方的な勘違いだったのかもしれない。それほどまでに藍染のことを理解していたつもりになっていたのだ。里に帰って来た際に会った時のような幼少の頃の面影はそこになかった。
笑顔ではあるものの視線はぞっとするほど冷たい。
「どうも綱手姫。来られるとすればそろそろだろうと思っていましたよ」
口調は穏やかだが、そこには藍染からの情を感じ取ることが出来ない。地に前のめりで倒れているカカシや、崩壊した建物の中に血塗れのアンコの姿もある。そして道中のご意見番の死体。手に凶器を携えてそれを隠そうともしていない。
「さすがにあなた相手では誤魔化せませんか」
「いや。かなり良く出来た死体の人形だった。触診と内臓内の微生物の違和感に気づかなければ最後まで騙されていたよ」
自来也が去った後、シズネに支えられながらなんとか解剖して偽物だと判明した。血液恐怖症は未だに患ってはいるが、偽物だと分かればその対象ではない。
「偽物を作ってまでこんなところに潜伏していたというのか? 念のためアンコに発信機をつけていたがこんな時に役立つとは思わなかったぞ」
なんとか時間稼ぎをして、少しでも話を引き延ばしにかかる。木の葉の暗部も無能ではない。非常事態にここまで様子を見に来れば異変に必ず動くはず。
やはり藍染との決定的な対立はしたくない。例えどんなに変わってしまっても、綱手にとって血の繋がりがある唯一の人物だ。
「惜しいな。読みはいいが間違いが二つある」
「まず一つ目に僕は身を隠す為にここに来たわけじゃない」
「そしてもう一つ。これは死体の人形では無い」
藍染の手に何の前触れも無く、解剖したはずの死体が現れた。綱手もシズネも藍染から意識を逸らした時間はない。そのはずだった。
「い、いつの間に……」
「……いつの間に? この手に持っていたさ。さっきからずっとね」
「ただ、今この瞬間まで僕が
驚愕の表情で固まった二人は藍染の言葉を理解出来ない。無意識にシズネが呟いた。
「ど、どういう――」
「――直ぐに分かるさ。そら解くよ」
「――砕けろ『鏡花水月』」
藍染が持ち上げていた人形が一瞬に罅割れて散る。
今既に人形があった位置には代わりに刀が掴まれていた。まるで刀が人形だったかのように。刀自体が偽物でない証左に藍染の手から一度離された刀は地面に突き刺さる。
変化する口寄せ生物は確かに存在している。武器自体が形を変えるというのも聞いたことがある。しかし、綱手は人の構造を再現した人形と刀の二つの姿を持つ存在は聞いたことがない。前者であれば綱手が解剖した時点で生命活動を停止している筈で、後者はあくまでその体積を大きく超えた変化は不可能だ。つまり目の前の刀はそのどちらでもないということ。
現状を上手く理解できないでいる彼女たちに藍染は告げる。
「僕の忍刀『鏡花水月』。有する能力は完全催眠だ」
「……完全催眠」
規模の大きな話だ。普通ならとても信じられない。
しかしこの場で嘘をつく理由が藍染には無い。本当かどうかは定かでないがそれでもそれに近しい能力がなければ目の前の現象を説明できないのも確か。
何より今の藍染にはある種の絶対者のオーラが漂っている。自身の力に絶対の自信を宿した瞳にはそのようなつまらない偽りの穢れは一片たりとて感じ取れないのだ。
シズネはあまりプライベートで多く藍染と接触したことはないが、それでも教わったことは何度もある。その時の印象と現在とがあまりにかけ離れていて、否定して欲しい一心で問いかけた。彼女にとって綱手の大事な縁者である藍染がここまでの犠牲を生み出した黒幕だと信じたくなかった。
「――だってあなたは水幻術使いで、水面の光の乱反射で敵を撹乱し同士討ちさせるって、藍染上忍そう仰ってたじゃないですかっ!? 私たち中忍を集めて実際に目の前で見せて下さったじゃないですか!?」
必死さを感じさせるシズネに藍染の口が薄く裂けるように開かれる。
「その忍刀、普通じゃないな。……どこかの里の秘宝か、霧の忍刀か。目の前で見せたのはそれが完全催眠の条件という訳だな」
完全催眠。チャクラを乱すことで幻術が解けない以上、現実改変の一種ともいえる人智を超えた力にはそれなりの条件や制限があるのが自然だ。
「ご名答。『鏡花水月』は霧の忍刀七本の兄弟刀でね。有する完全催眠は五感全てを支配し、一つの対象の姿、形、質量、感触、匂いに至るまで全てを敵に誤認させることが出来る」
霧の忍刀七人衆は他里でも噂になるほど高名。しかし詳しい名前や能力が明らかにされている物は少ない。
七人衆と相対して生き延びることが非常に困難で、情報の整合性が取れないからだ。何らかの形で変形する物や、チャクラ自体を奪ってしまうほどのものまであると聞く。
藍染のそれは七本の内の一本という訳ではないようだが、話の内容はそれらしくもある。
「つまり蠅を龍に見せることも、沼地を花畑に見せることも可能だ」
「そしてその発動条件は敵に『鏡花水月』の刀身を反射させた光を見せること」
ブラフかもしれないが確かに綱手にもその条件を経験した覚えがあった。藍染があの刀をいつから身につけ始めたかの記憶は定かではない。少なくとも上忍になる前で、顔に子供っぽさが抜けてもいない時だった。その時から既に綱手や、その他諸々の木の葉の人間が敵として想定されていたということだ。
あの時見た笑顔や、振る舞いも全て偽物だったというのだろうか?
さすがにそうは信じたくなかった。
「一度でもその光を目にした者はその瞬間から完全に催眠に落ち、以降僕が『鏡花水月』を解放する度、完全催眠の虜となる」
「それでカカシを犯人に仕立てあげたのだな。ご丁寧に遺書まで書いて」
「……完全に筆記の癖を掴み、模写するのは本人か、
「だからそれが――はっ!?」
「気づいたようだね」
何故だ。何故
つまりそれは己が直接
綱手の額から汗が滲み出る。もし藍染が意図するのがそういうことであれば、新たな脅威がこの里に襲来している恐れがある。大蛇丸に続き、藍染がそんな奴と手を組んでいたとするならば、木の葉の里が崩壊する可能性は十二分にあった。
『写輪眼』使いはカカシとサスケ。それだけだっただろうか?
「つまり最初からうちはイタチは僕の部下だ」
異変に気付いたのは大蛇丸だった。禁術:穢土転生でかつての火影、初代柱間、二代目扉間を現世に蘇らせて、ヒルゼン相手に三対一の戦いを挑んでいる際の出来事。
当初の予想と違って思いのほか攻めきれてはいないが押している。油断は欠片もしていないが、まずは戦況を把握し易くする為に小高い瓦礫の山に身を置いた時だった。
結界の外にいた火影直属の暗部が倒れている。外傷は無く、ただ眠っているという印象。カブトの幻術が遅れてかかった訳でもなさそうだ。
結界を張る四人の部下も状況は掴めているが、大蛇丸たちへの意識を少しでも逸らせばその
結界の中でひと時の平穏を甘受していると、視界に違和感を覚える。視界の端が黒く歪んでいる。これは――陽炎だ。黒い炎によるすさまじい熱量が空間を揺らがせている。
結界術『四紫炎陣』の一点から突如発生した黒い炎が結界の表面に沿って広がってゆく。表面が軋んで結界の構成が破壊されているのだ。物理的耐久度はかなりのものの筈の結界、しかも触れた物を燃やす特性のある炎陣を逆に燃やし尽くす黒炎はあっという間に結界の外側全てを覆い、念の為に内側に張った結界までもがその餌食になってしまった。
結界は解かれた。
黒炎の正体は未だに不明。触れた物を燃やし尽くす異常性はそこに据えられている結界と相性が悪い。対炎専用の封印術の使用を他の仲間相手に確認しようと、結界の四隅を守護していた味方は――――
――既に気絶していた。結界の外にいた暗部と同じように。そして己の意識さえも。
大蛇丸は外の異常に意識を割ける状況ではなかった。ヒルゼンが大蛇丸の知らない術『屍鬼封尽』とやらを使い、初代、二代目と続けて穢土転生で塵芥に宿った魂ごと封印されてしまった。遠隔操作で草薙の剣を腹部へと突き刺しかなり体力を消耗させることには成功したものの、不意を突かれて体を掴まれるとまるで金縛りの術でも受けたかのように体が硬直してしまう。
「離しはせんぞ! 大蛇丸よ!」
「このっ! 老いぼれ風情がっ」
ヒルゼンの背後に二本の角を生やした死神の姿が見える。眉はなく闇に染まった眼の中で無機質な光がこちらを覗いている。血で赤黒く染まった歯に短刀を咥えて、その口内の隙間から大蛇丸という餌を目の前にして唾液が絶えず流れ続けていた。とても人の理解の及ぶものではない。理解してはいけない存在だ。
この死神の腹の中で永遠に争い続ける魂たち。それを戯れに取り出して貪る死神に封印などされてたまるものか。
シュタ シュタ
お互いに気力は限界状態。ヒルゼン、大蛇丸共に一瞬たりとて目の前の相手から気を離せない。ヒルゼンは己の腹からリンクした死神の手を呼び出し魂を封印しようとし、大蛇丸は背後から突いた草薙の剣を遠隔操作で傷口を広げて死神に魂を奪われぬよう止めを刺そうとする。
シュタ シュタ
黒炎の残り火が屋根の瓦を焼いていた。それを越えて死線の中へ踏み込む一人の影。もはや変装する必要性はない。黒地に赤い雲が浮かぶ外套を身に纏い、額あてには木の葉マーク。抜け忍の証としてマークには横一文字の傷跡がつけられていた。
黒髪に三つ巴の『写輪眼』。男はヒルゼンと大蛇丸の眼と鼻の傍まで足を進めた。
「くっ、何故ここにいるのかしらイタチ君」
「!? 下がっておれイタチっ!」
7歳で忍者学校を主席で卒業。13歳の時には暗部の部隊長を務めていたうちは一族の中でも更に優秀な抜け忍。うちは一族虐殺事件の犯人とされているうちはイタチの姿がそこにあった。イタチは二人の言葉に眉一つ動かさず、懐から巻物を取り出すとそれを解く。複雑な術式が描かれた本紙がイタチを中心としてヒルゼンと大蛇丸の周囲を包むほどに軸が高速で回転して解かれて、ある術式を構築していく気配を漂わせていた。
「これは……簡易的な時空間忍術の術式じゃな!?」
藍染に付き添っていた暗部の黄緑が袖から巻物を取り出すと、それが藍染と黄緑を包んで術式を構築する。イタチが大蛇丸とヒルゼンに行使したのと同じ術式だ。
「それでは、さようなら」
術式の内容が分からない以上、下手に近づくのは危険だ。それでも綱手はもう会えないと聞いて、今まで必死で我慢してきた思いが溢れだした。亡くなったはずの親族が生きていて、それだけで幸せだったのだ。二度の別れはあまりにも綱手にとってつら過ぎる。
「惣右介っ!! 待ってくれっ! お願いだ! 例えお前がどんなに酷いことをしたって姉さんが庇ってやるっ!! お前の言うことなら何だって聞くからっ、里を一緒に抜けたっていいっ!!」
「……」
「だから……お願いだ。もう私を置いていかないでくれ」
声がどんどん弱まる。最初の内の強気な態度はあくまで装っていたに過ぎなかった。藍染が変わってしまったのを確信して、こちらがいつも通りでいなければ今までの関係が全て崩壊してしまうと理解していたのだろう。最後のほうは涙ながらの、聞いているシズネの胸が痛くなるほどの必死の懇願だった。
近づいて時空間忍術関係だろうと推測がつくと、巻き込まれて体の一部が取り残されてしまう可能性があるにも関わらず綱手は中に入ろうとする。藍染が二度と消え去らないように。その為なら自身の命でさえ賭けられた。
「破道の一『
藍染の指先から不可視の壁が綱手を突き飛ばした。風遁ではない。衝撃そのものが飛んできたように思える。
なんとかしがみ付こうとしていた綱手は碌な受け身も取れずに地面を転げまわった。
「綱手様っ!」
シズネは師を気遣いながら、その仇を睨みつける。レンズの反射で相変わらず藍染の表情は読めないままだった。
「……また会う時まで」
術は成功した。影も形もそこには残されていない。そこに取り残された二人は微妙な間の後にようやく現実へと引き戻された。
「シズネっ!」
「は、はいっ!」
あれだけのことがありさぞかし綱手は気落ちしているだろうとシズネは考えていた。強い口調で声には確かな意志を感じる。でも何故だろう。それが喜ばしいことにはシズネは感じられなかった。どこか藍染に近い雰囲気が今の綱手からは伝わって来る。
「これ以上惣右介に罪を負わせてなるものかっ! 私はカカシとアンコの救命措置に入る。シズネは結界班にいる感知忍者に時空間忍術の転移先を捕捉させろ。巻物を用いた簡易的な術式だ。里外までは移動出来ていないはず。山中一族を通して木の葉の忍に今までの情報を流せ。いいなっ!」
鬼気迫る様子の綱手。目の奥が濁っている。執念がチャクラを活性化させて身に纏っていた。
「でもっ! 綱手様はまだ血液がっ!?」
「そんなことはもういい」
シズネの懸念もなんのその既に綱手は治療忍術に取り掛かっていた。適切な処置、そして何より速い。濁った血を体外へと送り出して、血管の一本一本を正確に繋げなおす。二人の容態は重く、血液が飛び交う戦場のような医療現場で一瞬の気の動揺が患者の命を左右する。綱手には全く血液への恐怖が感じ取れなかった。
「惣右介っ、例え半身不随にさせてでもお前を連れ戻すっ」
シズネは結界班へ急ぐその道中で、震えていた。
もう何もかもあの時のようにはいかないのだと。