外はしとしとと雨が降っている。
幸いにも小屋はしっかりとした作りになっているので雨漏れする心配はない。だが少々肌寒く感じるか。
そんなに広くない部屋には常に二組の布団が敷かれている。そこに昏々と目覚めることなく眠っているのは禰豆子。その隣で今も苦しそうにうめき声をあげ苦痛に顔を歪ませて眠っているのは、花だ。
そう、いつも馬鹿みたいに喧しい花はもう一年近くこの状態だ。飲まず食わず眠り続けている。
「………」
いつものあの元気な声を早く聞かせて欲しい。
こうなることは分かっていたはずなのに、左近次は胸を締め付けられる想いで毎日花の介抱をしている。
常に桶に冷たい水を張っておでこに乗せた布を定期的に入れ替えていた。少しでも花が楽になれるように。
花はあの日、炭治郎にもう教えることはないと宣言したあの日からこの状態でそうさせたのは今熱心に介抱している左近次自身である。それは騙し討ちにも近いやり方だった。
だがそうしなければならなかった。育手として花に試練を与えなくてはいけない。
『花、飲んでみろ。疲れが取れるぞ』
『え、なんですかコレ?お酒?うわぁ、未成年は飲んじゃダメなんですよ』
げぇと顔を顰める花に左近次は強く勧めた。
『薬酒だ。そんなに強くはない』
『無理やりに飲みたくない……』
それでも拒否する花に左近次はちょっと強引に口元へ付けた。
『いいから飲め」
『ぐっ!ごほっ、ゴフッ!』
無理に飲まされた薬酒にむせながら花は批難の目を左近次に向けたが、それはすぐにふらりと倒れ込むことになる。
『…あ、れ……?』
床に転がる寸前左近次に抱き留められ、焦点の合わない瞳で花は左近次を見上げた。
『し、しょ……』
『すまない、花』
左近次は辛そうに謝って花の視界を手で覆いすぐに暗示を掛ける。
『鬼の力を掌握できたのなら目を覚ませ』
これが花への課題だった。
その暗示により今も花は意識を取り戻すことはない。
花に飲ませた特製の薬酒は強い幻覚作用を引き起こすと共に強烈な眠気に襲われたちまち深い眠りへと誘われる。
普通の人間が飲めばたちまち狂ってしまうほどに強烈でしかもそれは人の心に隠されている心的外傷、通称トラウマをよりリアルに感じさせる作用がある。主に拷問用として昔から用いられた。相手を徹底的に攻めあげて眠りの内に自白させるというものである。左近次はこれを逆手に利用した。
花の中にある鬼の部分をあえて浮き彫りにさせ、しっかりと己の力を自覚させようとの荒業にでたのだ。
花は自分が特別な鬼である自覚がまるでない。
自分を普通だと花はいうが、左近次からしてみれば異常でしかない。見た目は可愛い……まぁ可愛いとしておこう。
そんな少女が実は鬼でしかも自我もしっかりとありなおかつ日の下で消滅せずに生きている事。これが何より鬼の特徴を覆しているのだ。
もし、鬼舞辻無惨に知られでもしたら……。
想像するに堪えがたい事が待っているに違いない。
考えるだけでも恐ろしいことだ。だからここはグッと堪えてただひたすら花の目覚めを信じるしかない。
「うぅ、……あぁ」
時折、苦しそうに呻きながら涙を流すこともある。
きっと花は今頃鬼に変化しているだろう。もしかしたら向こうの世界で泣いているかもしれない。自分を恨んでいるかもしれない。
もし仮に目覚めたとしても、以前のような関係には戻れないかもしれない。それだけのことを己がしている自覚はある。
だがあえて言い訳をするのなら、花の未来の為に必要なこと。
花は鬼となっておらず人の形のまま、心の中で鬼となっている。
このまま目覚める兆しがなければ最終選抜は行かせないつもりだった。炭治郎が岩を斬れぬと思うように、左近次には無理だろうと考えていた。
左近次はこれ以上弟子を死なせたくなかった。
もう、送り出したまま帰ってこない者を待つのは嫌なのだ。
花の手を皺だらけの手でぎゅっと包むように握りしめる。
「……花……」
(どうか、どうか)
祈らずにはいられない。願わずにはいられない。
(どうか、無事に帰ってきてくれ)
この暗示は下手すれば廃人となる可能性もあり得る。
現実と精神との境目が分からず己を己と認められず、果てには自我崩壊が待っている。
花ならきっと大丈夫だと左近次は信じて毎日毎日、花の為に祈りを捧げている。
◇◇◇
その頃花は、幻覚の世界で現実世界との時間差など分からずに自分のトラウマと遭遇していた。
バクバクと心臓が早鐘を打ち瞳を見開きヒューヒューと過呼吸さえ起こす。苦しくて花は胸元を握りしめ、ある一点から目を離せない。
「ぁ、ぁあ……」
自分を死に追いやった男。
その男の足元で地に伏している大切な者達の死。生気を失った瞳は二度と花を映すことはない。
「中々に似合っているよ。その鬼の姿は」
そんな混沌の中、柔和な顔立ちで男は花の神経を逆なでるような言い方をした。
花は膝をガクガクさせて何とか距離を取るだけで精一杯だった。
「……ア、ンタ、アンタぁ!なんで、なんでここにいるのよ!?」
男は怯える花の様子を気にもせず、顎に手を当てわざとらしく考える素振りをして答えた。
「……そうだな、私は君が描いた幻の一部。そう受け取ってくれ」
「幻?何言ってんの。これは現実でしょ、だって……」
花は理解できないと青ざめた顔に涙目になり口元を抑えて大切な者達の死にショックを隠せない。
駄目だ、弱気になっちゃ駄目だ!
自分を奮い立たせようとしても無理だった。
花にとって残された家族が、親身になって教えてくれた師匠が変わり果てた姿になっている。花の記憶からあの時の光景が蘇る。自分を含めて殺されていく瞬間を。
自分を食い殺した男の顔を。
花は耐え切れずぎゅっと瞼を閉じた。その拍子に目尻から涙がぽろぽろと零れて行く。
「そう。これらは確かに死んでいる。だが所詮幻だ。そう怯えることはない」
男の戯言などに構っていられるほど花は余裕がなかった。
たとえそれが本当だったとしてもどうして幻なのだ。だって花は確かに鬼になっている。
「幻じゃない、……だって、そこに」
「では触ってみるか?感触はどうだ。死んでいるとするならば冷たいはずだ。あふれ出る血液も触れれば分かるはず。こっちに来て実際に触ってみるといい」
そう言って男は花に近づき手を差し出して招こうとする。だが花は声を荒げてその手を振り払った。
「……ふざけるな!人殺しっ皆を、皆を返せっ!」
この男が犯人だと花は確信してそう叫んだ。
だが男は心外だと言わんばかりに肩をすくめた。
「ふざけてなどいないよ、私は。それに殺してもいない。そういう風に君が作りだしたのだ。このままでは君が危ういことになるだろうから助けているんだよ」
「危うい?鬼になってることが?」
花の言葉を男は否定して答えた。
「鬼の力に呑まれることが、だ。こんなくだらない理由でせっかく成長しつつある君を無駄死にしてしまうことは惜しいのでね」
「さっきから何なのよ、アンタは。私をこんなんにしておいて……ノコノコ現れて勝手に言いまくって……!」
花は我慢しきれずに激高し男を睨み付ける。
「鬼になったのは不本意だ。と言いたいのかな」
「そうよ!アンタに殺されなければ私は、私は!」
花の感情の高ぶりと共に鬼の力が増していく。抑えられない力が花の中であふれ出ようとすると共にそれは花の容姿に変化を与える。もっと鬼らしく、もっと人から離れていく。
心までもが鬼に染まってしまえば、戻ることが難しくなるくらいに。
花は追い詰められていた。精神的にこの男を亡き者したいという衝動が抑えられないのだ。ならば喰えばいいと誰かが花の耳元で甘く囁く。それが誰なのか知らないまま、花は鬼の力に身を委ねようとする。
だが男はそんな鬼に落ちようとしている花をまるで見下すように冷たい目で見ていた。
「『普通に生きていられた』?」
「そうよ」
「じゃあ尋ねるが、『普通』ってなんだい」
「それは平凡ってことで」
「だが君は鬼だ。それは平凡とは言い難い存在じゃないかな」
「……普通よ。私は普通だわ」
花は自分に言い聞かせるように繰り返す。
(そうだ、この爪だって、額の角だって、鋭く生えている歯だって。普通の私は受け入れるもの)
「だが君は人ではなく鬼だ。人を喰う下劣な鬼だ。それが普通だというのかな?今まさに私を喰おうと考えている君が普通だとは笑える」
「!?」
「君は変に拘りを持っているようだが、あまりに強すぎる執着は身を滅ぼす。適度にやりなさい。適度にね」
図星を指され、花はカァと羞恥心から顔を赤らめ怒鳴り返す。
「何様のつもりなのよ、アンタは!もしかして神様になったつもりなの!?ハッ!笑わせてくれるわ。私の人生奪っといて何が神様よ!アンタなんか死神よ、死神でじゅうぶんだわ」
花の暴言に男はフッと小さく笑った。
「当たらずとも遠からず。及第点だ。私は自分を神だと名乗ったつもりはない。私は、理(ことわり)のバランスを崩し『人』と『化け物』の境界線の狭間に巣食う者。つまり、異端者というわけだ」
「異端者?」
「自己紹介が遅れてしまったな。私の名は―――———だ」
知りたくもない男の名が花の耳に入る。だがそれが終わると同時に周囲がぐにゃりと歪み始めた。まるで世界がねじれて行くようで花は周囲を見渡し驚き声を上げる。
「あ、何!?」
取り乱す花とは対照的に男はふぅと息をつき「時間切れだな」と呟いた。
「―——少なくとも君に変化を与えることはできたようだ。残念だが、取り敢えず君は我武者羅に生きてみてくれ。私は陰ながら君を見守ろう。……なんせ君には『結果を出して欲しい』からな。それでは、また会う日まで。ごきげんよう」
「………!」
花はそこで意識が飲まれていくのを感じて、ぎゅっと瞼を閉じた。世界は大きく暗転していく。
◇◇◇
花はカッ!と目を覚ました。頭上にはお面を外した左近次の素顔があり花が目覚めたことを知ると瞳を緩ませた。
「花!」
(ああ、師匠だ……。久しぶりに見る顔だ)
普段天狗の面を着けている人だが、流石に年がら年中つけているということもないが花にとっては懐かしい顔だ。
それなりに年を取っているが端正な顔立ちで若い頃は女性にモテたであろうと容易に推測できる。
そんな人が瞳を緩ませて自分の目覚めを喜んでくれる。
あの男が幻だと言っていた話は本当なんだと花はぼんやり思う。
「………」
では、禰豆子は?炭治郎は?
むくりと花は無言で上半身を起き上がる。ずっと動かしていない筋肉がピリピリと痺れて痛かったが、無理やり動かした。辺りを見回し隣に眠る禰豆子を見つけると手をつきながら這うように脇へ動く。
禰豆子の手を両手で握りしめそのまま自分のおでこにピタリと押し付けた。その温かさにほっと胸を撫でおろす。
「禰豆子!禰豆子……良かった……」
ここが現実世界であることをようやく実感できた花はついで禰豆子の手をゆっくりと降ろして左近次に向き直りガバッと首元に抱き着いた。
「師匠!…………私、帰ってこれたよ……!」
「花」
「ごめんなさい、なんだか色々あって、私、師匠の事恨んじゃった。……ごめんなさい」
ふにゃりと花は表情を歪め啜り泣いた。
抱き着く腕にさらに力を籠める。左近次は縋りつく花を強く抱きしめた。
「花……おめでとう!お前は頑張った。よく頑張った!」
色々の部分をあえて追及することはせずただ褒める。
労いの言葉をかけ、左近次も堪えがたいものを感じ声を震わせた。
きっと、今後花が鬼になってしまうことは避けられないかもしれない。守るべき人を守る為なら花は鬼に転じてもその身を捧げるだろう。だがそれをするのは最終手段だ。何よりあの男が自分を試している言葉が鼻持ちならない。
花は鬼の瞳を宿して固く決意した。
あの男の言葉になんか騙されない。私のやり方で守って見せると。
「カンザキ、ユキヒコ……!」
男の名は確かにそう言っていた。
花は忘れまいと心の中で何度も反復ししっかりと刻み付けた。
(花!?お前、お前……良かった!)
(おにぃ!なんか視線が高いような、むぎゅっ!)
(花~花~!お前死んだかと思ったんだぞ~!?)
(鼻汁が~涙が~汗臭い~!!)
(良かったな、花)
(師匠!一人で感動の涙流してないで助けてっ!?)
(花~!もう兄ちゃんは離れないぞ~)
(離れろっ!)
【双子は無事に試練を終了した】