第100話
灰色の雲が一面の空を覆っている。その雲はじっくりと見てみるが動いているのか止まっているのかさっぱり分からなかった。もうそろそろ夏という季節になりそうだが、とても寒かった。まるで季節が逆行しているような……そんな感じで決して気分が良いものではなかった。
空を見上げていた僕の顔に冷たい何かが乗っては体熱でじわりと溶けていき、その場で乾いてしまう。雨ではない何か。
「雪?」
僕はそう思った。
この夏とは思えない陽気、春のような麗かさのない寒さ、そして顔に当たる何か。これはもうそうだとしか思えなかった。
○
松の木や大きな桜の木、その他の要素で彩られた庭園は綺麗に整えられていた。しかし、大きな桜の木だけ生きるという事をしなくなり、枯れていると同等だった。呼吸も段々と少なくなっていく中で再度息を吹き返したのはまだ日の浅い事だ。
徐々に徐々に……行われていた呼吸はやがてそこで庭師を行なっている剣術指南役にもわかる形となっていた。それは異変として認知されるべき事だろうがそれにはまだ至らなかった。姿、形は何も変わらない、況してや元々息を引き取りそうな状態で庭師も匙を投げるしかなかった桜の木が何となく息を吹き返した、というだけだった。この日本庭園を有している主人との相談の結果、様子を見る事にした。
「まさか、眠っていたなんて事はないでしょうね?」
○
雪?なのだろうが僕にはそれを気にしている暇はなかった。いや、これも技を磨く為には必要なことかもしれない。もしかするとその小さな衝撃も感じ取れるようになっていれば扱いやすくなるのかもしれない。
右手で柄の頭に触れる。それから左手は鍔に触れていた。それから何かを斬る想像をして剣を振り下ろす。きゅっ、と握った両腕。それに呼応する剣。そこからは風を切る音がしていた。
あぁ、やっとここまで来たんだな、と思っていた。それは隣にいた人にも聞こえていた。
「ここからは自分で磨いてください」
「偶に頼るのは良いですよね?」
「それは構いませんよ」
白い毛皮を身につけた白い髪の白狼天狗。頭には赤い山伏の帽子を被っている。
僕はその声を聞いて頭だけ下げるとまた別の場所へと向かうことにした。偶に思うのだ、僕は誰かの下にいるだけでは駄目なのではないか、と。椛さんはそれを平然と理解しているようでそれ以上何も言葉は交わさなかった。行ってくるよ、それ以外は。】
誰も寄り付かないのであろう森の中。参拝路からもかなり遠く離れているのか、それらしい声は聞こえない。もし、誰かに会ったのならば誰にも助けを求める事はできないと周りの環境が示している。音なんて何処かに置いてきたように静かで風もゆっくりと吹いていた。
意識を集中させる。風の動き、それを感じながら技を扱う。自分が風だと思い込ませてからその身が風に乗るように想像して、ゆっくりと森の中を通り抜ける『三ノ技 凪』。
どうやら、すぐ近くには誰も居ないようだった。椛さんも何処かへ行ってしまったらしく、反応はしなかった。この山全体に範囲が及ぶようになればかなり近づけると思いたい。そうなるように僕は日々、こうする他ないのだろう。
僕が次に行ったのは基本中の基本。一ノ技とニノ技。一人で技の練習を行う為には必要になるものだった。まずは基本が出来ていないとその先は上手くいかないと思っている。自分の勝手な想像である事には変わりないが今のところ、使える技の中ではこれしか攻撃手段として取れるものはない。勝負での切り札の腕を上げる事は必ず勝利へと繋がると思っている。僕は素早く抜刀した。
気分は風だ。
自由に舞い、放浪するーー。
その途中で何かを知らせてはまた何処かへとその姿を消していく。
それはまるで自然の摂理として生み出された妖精のよう。
剣にはかなりの風が集まっていた。腕もしっかりと持っていないと外されそうで仕方がなかった。それでも僕の手に剣は答えてくれる。
腕を交差させてから目標にした木を見つめる。左腕は内側にして指に力を込めていた。剣を持っている右腕は切っ先を空に向けるようにして待機している。
僕は剣に風が纏うまで待っていた。その時間もこれから短くなれば良いとは思っている。しかしながら、まだまだ未熟なもので更なる鍛錬が必要になることは明白だった。目標は地面から足を離してから着くまでの間に一撃が放つ事が出来るようになること。その為にはかなりの時間を有することになるだろう。
溜まった。時間にして、3秒程度。
放つ。
木の幹には傷がついた。その傷は浅いもので成果はあがらないものだった。このままではやっていられない……。ので、まだまだ時間が必要になることを感じながらもう一撃を同じところへと放つ。
一点を貫くような一撃に元々傷が付いていた木は此方へと体勢を崩した。そこを僕はもう一度風を剣に纏わせてから自分の顔の前で構えた。
剣に倒れてきた木がのしかかる。
真っ直ぐに倒れてきた木は僕の左側へとその方向を変えた。
「そこそこですかね」
頬を伝う汗のような何かは流れて首筋を歩く。