少し考えているのか、歩くように僕の前へ来ると此方には向かずに小声で話しかけてきた。
「腰にある剣を貸してくれないか」
僕は一瞬、何を言っているのかは全く分からなかったが何かしようとしているのだけはよく分かった。特に迷う事もないのだが、少しばかりが渋る事にした。特に理由はない。
「貸してほしい、頼む」
「どうして必要なのですか?その薙刀で戦えませんか?」
「これはお遊び用だ。此処からはそう言っていられそうにないからな」
「元々渡すつもりなので早めに持っていてください」
僕は腰から剣を抜くとそのまま渡した。別に渡す相手を間違えたとは思っていない。
「恩に着る」
短い言葉だったが確かに狐湖面はそのように言った。それから右手の中に鞘を納めるとフラフラと歩き始めた。少しずつ変容を遂げる背中にはまた違う強さを浮かび上がらせていた。
狐仮面の背中からは殺気というものはない、その代わり他に何かで埋め立てているようでそうでもない空箱のような空間があった。何もかも吸収されそうな雰囲気には相手がいるということを感じさせなかった。僕はその姿を見ながら、自分とは違う次元である事を感じ取った。
相手の四人はその事には気付けないのか、余裕そうな表情をしている。先ほどの薙刀とは異なり、間合いが変わる事もなければ二刀になる事もなく、ましてや矢を放てるわけでもない。そして一本だけで人からの借り物である以上は手に馴染んでいないと考えるべきだろうだが妥当なのだろうがそれ以上に狐仮面の不気味な雰囲気には魔性の魅力があるのだと思う。気付ける人は少なく、それに準じた技量がなければその姿は低く見える。
鞘に剣を納めたままフラフラと歩いていく狐仮面は自分の間合いにも相手の間合いにも入らないところで止まった。見る限り体に力は込めておらず、腕も簡単に動けるような感じはなかった。それは偽りなのだろうと、僕はどうしても感じてしまった。
「向かってくるなら、私は容赦はしない」
「愚弄しおって」
「そうしたくもなる理由はその身が知っているだろう」
此処まで狐仮面が苦戦したという感じはなかった。何処か遊んでいるような感じで本気を出そうとしている感じはなかった。
「今度はそう上手く行くか」
「やってみないと分からない。が、本気にはならないから安心しろ」
その言葉にどれだけの感情が込められていたのか、それを知る由はないのだろう、相手は。少なからず良い意味としては取れそうにない。僕は何となくの憤りを感じずにはいられなかった。
「その言葉、後悔はないな?」
「男に二言はない」
狐仮面は静かに答えた。もうそろそろ始まるのだろうが僕は楽しげに見るしかなくなった。相手がこの状況をまるで感じ取れていない上に勝てるのだろうと高を括っている。四人とは言え、力量を見誤ったらしい。僕は特に言葉には出さなかった。
親指で唾を弾こうともしない上に左手は特に動かす事もしないのはある意味では怖かった。
相手は先に一番間合いのある槍から動き出した。
一突き。
金属が擦れる音、そして金属が木材に当たる音。
ふわり、と優しく触れるように槍の柄に僕が渡した剣の刀身が触れていた。僕はもうそこで一人で勝てそうにないな、と感じた。抜刀して一回振り抜いてからもう一度柄に触れるように剣を動かしていた。本当の事を言えば、折られていたとしても何も不思議なことではなかった。
それから誰に言わぬ事もなく、その剣を槍の柄から離すとゆっくりと鞘の中に納めた。鯉口と剣の刀身が触れる時に起こる音が緊張感に相まって大きく聞こえた。それから狐仮面は何もする事もなく、一歩、二歩と下がると棒立ちと洒落込む事にしたらしい。そこから動きそうな気配もなければやる気もなさそうな雰囲気で青色の緩やかな風が吹いているだけで霊的なものを想起させる。
「もう私にこの剣を抜かせないでくれ。この剣は誰の血にも染めたくない」
狐仮面の表情は見えなくとも静かに怒っていることだけは伝わる。ゆっくりとだが、芯のある頑丈な一突きで少しずつ浸食をしてくるその感じだけはひしひしと伝わる。僕はこのような人に勝負を挑んでいたことがあった。だが、あの時疲労困憊であったはずの人に負けてから椛さんのところであれだけの事をしているのにも関わらず、勝てそうな感じはとてもではないがなかった。雰囲気だけでもう負けているのだけは確か。そして自分の身体も震えているのか、とてもではないが入れそうになかった。
「このような状況で立ち下がれるほど私達も落ちぶれていない」
「此処で退くのも手の一つだ。戦略的撤退なんて言い方をするのが分かりやすいだろう」
狐仮面はとても静かだった。それ以上は話す事もなければ、動く雰囲気もない。もぬけの殻となったような存在に相手は逃げるなんて選択肢を無くしたようだった。武器を構えるのをやめると思いきや、そのような事もしない。僕の判断が間違えていなければ此処で逃げるべきだろう、狐仮面も逃がそうとしているわけだし。
弓を引く。矢を構えていた相手はその手を離した。
それに反応するように引き寄せた右手は親指で唾を弾いていた。其処から柄を掴んだ左腕が動いた。斜め上に走らせてからぐるり、と下へと小さな弧を描いて右斜め上へと再度剣を走らせる。それからもう一度同じような弧を描くと自分の身体の後ろで剣を納めてから右の手の内で半回転させていた。無駄な動きの多いはずだが、それを感じさせないその動きには少しばかりか、興味深いところもあった。あのような動きにはどのようにして辿り着くのだろうか。
「後、何本叩き落とせば気が済む」
「後、何人斬り殺せば気が済む」
「後、何分その命を保つことが出来る」
歩きながら、相手に近づきながらそのような言葉を四人に投げかける狐仮面。その距離に比例して持つ手に力を込めていく相手はもう何も出来そうになかった。それほどに気迫だけで追い詰めている。
「そもそもお前には関係のない話だ。何故首を突っ込む?全面戦争を御所望か?」
「私はこの刃を大切な人を守るために振るう。其処に理由なんていらない」
「まぁ、良いだろう」
「この剣は汚れるかもしれない。良いか」
「構いません」
僕は狐仮面にそのように言った。別にあの剣は汚れようが構わない。そもそも貰い物ではあるし、使っている人があれだから僕にどうにか出来る問題でもない。
「もう手加減はしない」
そう言う矢先、その速さは相手との間合いを零まで詰めた。真っ正面に急に現れた顔面と腹部から来るこみ上げる何かはその人にとっては猛毒に近い事だった。その場で倒れ込み、狐仮面に肩を貸してもらった後で後ろに倒れた。その無気力さの塊のような感じで立ち上がれそうにない相手は泡に吹いていた。もう何も出来そうにない。
其処から槍の一突き。この状況に動じなかったと言うよりかはこの状況だからこそ、先ほどの雪辱を晴らそうとしているのだろうが軽くその先を弾かれた。下がりながら、行われたそれは綺麗なものだった。着地の音さえなかった。そして軽やかに飛び回る。それは伝説の生物である龍の動きを真似ているように優雅に永遠亭の庭を飛び回っていた。
相手の動きを自分の動ける範囲内に集めながら、相手からの攻撃を捌き続ける。剣を抜いているのかは定かではないところも多いが確かに金属が擦れる音だけはしている。
まるで踊りの一部であるかのように狐仮面は相手の攻撃を避けていく。僕は狐仮面のその動きを見ながら何かに似ているような気はしたが本で見ただけの知識の為かそこまで明確に覚えているわけでもなかった。ただ、ぼんやりと輪郭が浮き出ているような感じで薄気味悪い、そんな気分にもなった。
狐仮面は戦場から一旦離れた。間合いは剣が二本分。一応人間が寝れるくらいの間合いだった。未だあまり姿を見せていないあの居合の構えは僕も真似をしてみたいところはある。しかし、それをしたところであの人の二番煎じになる事は間違い無かった。あの技は是非とも使ってみたいが真似にならないような持ち方を思いつくことはなかった。僕は永遠亭の縁側で座りながら、片膝に頬杖をつきながら考えていた。
狐仮面はその場から急に間合いを詰めていた。何を考えてなのか、それは今は如何でも良い。相手はその動きにギョッ、と目を丸めていた。狐仮面が近づいただけ、それだけではないからこそ、その表情なのだろう。三人の中心に現れてから幽霊であったかのようにその場から消えていた。そして三人は辺りを見渡すが居るはずもない。僕はどこに居るのかはよく分かっている。
結局のところ、狐仮面は移動をしていない。三回の地面を蹴る音を出して、三人の意識をそちらへと向けた。その後は身を小さくして三人の視界の外で待機していた。詰まるところ、三人の背中が向き合う場所だ。
僕はその場で永琳さんに聞いた。
「あれは何を模倣したものですか?」
「よく知らないわ」
僕はそれには同意見だった。
「彼処からどうするつもりでしょうか?」
「決まっているでしょう」
それにも僕は同意見だった。彼処からやる事といえば一つだろう。
「退屈だ」
その声に驚いた三人は急いで振り返って特に確認もしないまま武器を振り下ろす。そこからは庭が汚れるようなことが起こった。ポタポタ、とみたいな優しい現場ではなくなった。これも幻想郷の一つの姿なのだとすればこれもある意味では学びの類なのだろう。ただ、僕にとっては気分の良いものではない。ある意味、月からの使者の方に慈悲を恵みたい気分になる。まさか峰打ちであそこまでなるとは。
「後はお前だけだ。帰るか、それとも此奴らと変わらぬ姿になるか選べ」
「今回は許してくれ」
「それなら、金輪際関わるな。人の選んだ道に茶々を入れるもんじゃない」
それから、月の使者の生き残りは敵に背を向けて逃げていった。僕にとってはよく理解できなかった状況ではあった。
「借りたものを返す」
狐仮面は僕から借りていた剣を返すと何処かに向かいそうだったので一言声をかけた。
「お父さん、凄かったですねあの技」
「いつから気づいていた」
「最初は薄々でしたけど登場した時からですね。それから何となくそんな気はしてました」
「そうか。して、またやるのか」
お父さんは聞いていた。でも、僕にそれをやる気はなかった。
「圧倒的な力の差を見せつけられてやろうとするほど子供でもないです」
「成長した、か。それも良いだろう」
お父さんは少しだけ気分を良くしていた。だが、実際のところどうしてそのような表情を浮かべるのかは分からないはずだが、何となく分かるような気もする。
「強かったですね」
「そうか。その羨望が実力となることを願う」
「日々、精進します」
「もしもの事があれば、此処にいらっしゃい」
永琳さんはそのように言ってくれる。だが、僕にはもう一つ気になることがあった。それは幻想郷では今回のようなことはよくあることなのかどうか。僕がただ単に運がいいだけなのかどうかそれを知りたかった。
「それで、気になることがあるのですが幻想郷では人を殺すのは結構普通なことなんですか?」
「逆に珍しい部類にはなってきた。が、ないとは言い切れない」
「それではどうして二人は何も抵抗なく命を奪ったんですか?」
「抵抗は一応ある。が、もう背負った業がある以上、何人増えようと人を殺したと言うその事実は変わりはしない」
「私は抵抗はないわ。この生活が確保できるのならね」
「そうですか」
「此処らでお開きだ。次会う時は死闘をすることにしよう」
狐仮面、基お父さんはその場から立ち去った。どこに向かったのかはさておき、永琳さんは疲れ果てた表情をしていた。
「これから供養するのを手伝ってほしいのだけど良いかしら?」
「はい、同じ業を背負ってますので」
永琳さんは僕の言葉に少し戸惑いを見せて何事もなかったように作業を始めた。僕にとってはそれで構わないことではあった。確かに、一人だけやった事には変わりない。
○
静寂に包まれた、とは程遠いビシビシとした緊張感で辺りを囲まれているとある場所で一人の男は平伏していた。
その原因は先の失態の弁明なのだろうが、それでもまだ許されないらしい。その男性は更に続けた。
「あの地上人如きに遅れを取るとは思いもしませんでした。次は失敗しませんのでどうか命だけは」
「命は取りはしない、私はな」
その女性は銀髪を後ろで黄色のリボンで一つに結んでいる髪型で怒っているからこそ、余計にそのように見えるがつり目をしている。白色のシャツの上から赤いサロペットのようなものを着用していて黒色の小さめなボタンで留められていた。左腰には太刀を携えている。
「ただ、上は如何するのかは良くわからん。覚悟はしておく事だ」
冷たくはない、そして男性のことを卑下にしているわけでもないが言葉の力は強かった。
「はい」
「それと、地上人だからと言って侮ると痛い目に遭う。よく分かっただろう」
「はい」
「早く行け。私は報告書をまとめる」
「はい」
男性はその女性が放つ静かな殺気に言葉が出なくなった。その場に吸い付けられているようになった男性を引き剥がしたのも女性の言葉だった。
「彼奴には辛酸を舐めさせられた。これはいつか晴らそう」
その言葉に嘘偽りはない。