懐かしき森の香り。懐かしき川の音。
いつもと変わらない森の中を通る風の音。いつもと変わらない人間の往来の多い参拝路。
その中に混じる一つの異物。それを排除する為に天狗達は集まり出していた。事態の収束自体はそう簡単に行われると思われた。しかしながら、そのような事は全くなかった。
「かったるい」
欠伸を噛み締めた男の足元には大量の天狗の亡骸が転がる。その異様な光景に助太刀に来た天狗達は唖然とする。最初こそ、何でもなさそうに見える男だったが実際のところ、そんな事はなかった。
右手で縦回転を繰り返すナイフには鮮血は付いている。それを見ては、天狗はその羽を畳む。
「お疲れさん」
男にやる気と言うものは見るからにはない。しかし、それを見て油断しているとそうでもないことが見て伺える。
「次は誰かな?」
「私ですよ」
白髪に赤い山伏の帽子、左手には紅葉の描かれた黒い盾、右手には大剣を持ち、その目には野生を灯す。白狼天狗の中でも一際強い身体能力を持つ犬走 椛だった。
「あ、君。そんな本気にならなくても良いよ」
男のやる気は全くなかった。それこそ、見えているのかどうかさえ怪しくなるほど。
「貴方のやってきたことはそうせざるを得ないですよ」
「地上人が一人、二人減ったところで何か変わるの?」
「それは大きく変わりますよ」
「そうなの。興味ないけど。と言うかさ、何で僕此処に連れて来られたんだろ?穢れた大地を踏みたくないのに加えて地上人に危害を加えろとか何の命令だしてんだろ。あのヘタレ」
「さて、私にそんな事を言われましても」
「だよね。だから持って帰って」
「そうですね」
椛が話を切り上げた直後、その男は動きだしていた。ナイフを一直線に押し出す。その瞬間に起きたことは盾に防がれたと言うこと。
「それくらいの速さなら手慣れてます」
「良いよ良いよ、そんな見栄張らなくて。どうせ、死ぬんだから」
「その予想は外れますよ」
「生意気だなー」
「もう一度振ってみてはどうです」
椛の安価な挑発に乗る男。何度か振ったナイフは椛の盾に全て弾かれる。
その様子を眺めながら男は急に怒り出した。
「何で弾くの?大人しく死んで。まもなく殺すから。死んで!」
「情緒不安定ですね」
椛の発した言葉は冷静だった。
「そんなんじゃないから。本当に」
男は単純に前へと動いてくる。椛は軽く大剣で押し潰す『圧風』。
男はそれに押し潰され、地面を舐める事になった。それでもその先は続く事はなかった。
その風の圧力も抜け出してくる。男はそれでもナイフを振るい続ける。まるで先ほどの事は何もなかったかのように。
椛はとある人を思い浮かべながら懐かしく思えた。そう考えるほど男の戦闘には余裕があった。
だけど、そう長く時間を食っている理由もないので椛は盾で押し出しながら次の一撃に繋げた。
それは風の衝撃波。それは風の刃。だが、椛が振るうのは最早物理的に斬れるかも知れないほど。左側へ腰をひねりながらそれを放つ『一ノ技 轟風刃』。
男は防御をしてみたが意味などなかった。圧倒的な圧力の前に軽々しく押された。男はその場で転がりながらやがて力尽きるのを待たれるより前にこの世を去ることになった。
○
「……とそんな事がありまして」
「ほう。月の民だったか。しかし、何故このような事が」
「妖怪の山での被害は天狗が三十、今のところそれ以外の被害は聞いていません」
「他の場所で聞いてみる必要はありそうだな」
「分かった。ただ、気になるのは月の民、の目的か」
「それだけは今のところ、分かりません」
「聞き出す事はできなかったのか?」
「とある少年から聞いたのですが、どうやら即死させないとあまり効果はないようです」
「ほう。例えばだが、腹部に穴を開けようとも普段通り行動するということなのか。生捕りをして来なかったのは正解かも知れないな」
「実際のところ、少しだけ活動を抑える事はできるそうですが、その効果は著しくないようです。後はそちらの方で判断お願いします」
「やっておく。持ち場に戻ってくれ」
伝言を伝えにきた人はその場から離れてその持ち場へと向かっていった。
「紫にでも知らせるか。相当、危険な状況だ」
「月の民に対して何か有効な手があるなら別だけどね」
「あぁ。取り敢えず知らせる。後は任せよう」
二人の中でその決断は決まり、妖怪の山としての意見となった。他の場所から届いたそれらを纏めて判断をするのは管理者たる八雲家の仕事となる。此処ではこれ以上の議論は無駄に等しい。