少年は赤いカーペットの上を走る。その速度は吸血鬼姉妹の妹にも追いつくほどで相手もきっと度肝を抜かされたと思う。
少年は最初に空を切った。右腕を大きく振り下ろして大きく隙を作るような真似をした。
吸血鬼もその隙は見逃さす訳がなく、持ち前の魔力を集結させて作り上げたレーヴァテインを大きく振りかぶって少年を上から押さえつけようとしていた。
が、その判断は誤りだった。既に少年の姿は居なくなっていた。吸血鬼でさえその姿を見失った。左へ首を振る。その方向はある意味正しく、そして気づくにはあまりにも遅かった。
少年は気合を込めた大きな声を出す。
それに目を見開いているだけの吸血鬼。
そのまま攻撃を受けた吸血鬼はぼとり、と何かを落とした。その切り口から来る激しい痛みはいくら強い吸血鬼だからと言っても我慢できるようなものではなかった。狩猟慣れはしていても戦闘の中で負う怪我は今生の中で考えたこともなかった。それは初めて受けた傷でもあった。ここまで誰にも破れなかった記録を易々と乗り越えていく。
そのまま少年は一旦距離を取り、様子を静かに狩人のように眺めていた。その姿は一種のスナイパー。的確に狙うための動きを考えている下衆な顔だった。
もう余裕なんてものはお互いになかった。一方は元から無理な戦闘に挑み、もう片方は人生で初めて受けた傷に頭の中では混乱を起こしていた。どちらが勝つかは側から見ればそんなものはどうでも良い。早く終わってほしいなんて思っている人もいるのかもしれない。
現に小悪魔はこの状況に対して落ち着きなくハラハラとしている。だが、こんな中でも自分の道を進んでいる人もいる。七曜の魔女だ。
ここに上なんてものはなく、下というものもない。言わば、平等の力加減で行われている死闘だ。死ねば、諸共。そんな心の叫びが聞こえんでもない。
吸血鬼は生まれて初めて受けたその傷の痛みの中に快感というものを何となく覚えたように笑っている。
それを気味悪く眺めているだけの少年は静かな目で物を語っていた。それに吸血鬼は楽しいおもちゃを見つけたようににったり、と笑ながらゆっくりと歩き出した。炎のような大剣を床に擦り付けながら狂気に満ちたその体から大ぶりな一撃を全身を使って放つ。
少年はフェイントをかけて右側へと避けた。そして前へと走り出す。吸血鬼の左横を通り抜けて滑り込むように方向を変えて斬撃を与える。簡易的なものであり、こちらにいる事を気付かせるのにはちょうど良かった。
少年が走り抜けていった方向へと首を向けた。それが単純に罠であるもは気づくこともなく、首は変な方向へと向いた。吸血鬼には何が起こったのかわからないような表情を一瞬だけして、背中から来る一刺しを何も構える事なく受けた。腰骨が砕けるような曲がり方をした吸血鬼は何てないかのように立ち上がる。
少年はあの時、真上を飛んでいた。そして吸血鬼の頬を持ち、力を込めて方向へと変えるとそこから体を縦に反転させて両足で腰骨を狙っていた。そして前転して受け身を取るとすぐに後ろを振り向いて次の攻撃が来るのを待っていた。
その先では目を赤くして両腕を広げて気を高めているような立ち方をした吸血鬼がいた。その姿は神々しさがあれば救世の神なのだろうが、見る限りは悪魔のような神、邪神であった。どうやら何とか腕は戻せたらしい。その吸血鬼は大きく脚を蹴り出して的を一つ、まるで恨みがあるかのように大きな振り方で少年に当てようとしている。もう制限だとか、そんな物がなかった。
少年は左側へと避けて開店して床を転げる途中で床を蹴り出して方向を変えた。カンガルーかのような脚力のある少年は吸血鬼の懐に潜っていた。
吸血鬼はそれに焦る。大剣というよりかは自分の身近に使えるもので殴りかかろうとした。拳を固めて下へと振ったそれはそう易々とは当たらなかった。吸血鬼はその一瞬だけでも動きを止めた。もはや、理解なんてものができなかったのだろう。目の前にいたはずの少年がまるで幻だったのかのようにその場には居なかった。
そして後ろからはその様子を嘲笑するかのように脳天に回し蹴りを食らった吸血鬼は無抵抗かのように床に倒れた。まず、状況を理解するのに時間がかかり、少年を浴びせた一撃をそこそこダメージを与えられたようなものだったのだろう。吸血鬼はもう笑うしかなかった。
アハハハハ、
その乾いた笑いは時期に病む。
ギロッ、と少年の方をその真紅の目で睨み付けると白くて綺麗な歯を見せるように大きく口を開けて叫んでいた。もう我など忘れた本能での闘争と化していた。それでもパチュリーは止めようともしなかった。
生憎、防護魔法を張られている魔道書には吸血鬼の炎も少年の魔法も効くことはない。全ての魔法を吸収するような効果を持っているため、そしてパチュリー自体が高い魔力を有しているからこそ出来る賜物である。本さえ守れたらそれで良いパチュリーにとっては今の二人の闘争は騒音としか思っていない。割って入ろうかと思っても早々入れそうもない。だからここで静観を決め込んでいる。子供同士の遊びに首を突っ込む大人も良しとは思わないのだろう。
吸血鬼の大剣は床を叩き割るほどの威力を持っていた。そしてそれを避け切る少年。
斜め上に振り上げていた吸血鬼だが、それも当たる事はなかった。少年は脚を折り畳んでその大剣の通ったであろう軌道の少し下に存在していた。まるで意味のなしていないかのようで少しだけ哀れにも思えるその一撃。
刹那、吸血鬼の身体は前に引き寄せられるようだった。もう外からではなく、近くから攻撃を仕掛ける。
少年はいきなりの左腕の一突きを素早く防いだ。
そこには紅い色をしているまるで血を塗っているかのような爪が主に三本当たっていた。その威力はさることながら、それを止める判断をした少年も凄かった。
吸血鬼の中指だけが折れ曲がり、両端の指と設置面は変わっていなかった。そして素早く、後ろへと翼を使って逃げていく吸血鬼に近づいていく少年。
相手の着地を狩るつもりなのだろか。吸血鬼にとって着地なんてものはそうそうしない。一度飛んでしまえば、獲物を捕らえるまでは飛び続ける。そんな事を知らないのであろう少年は近づいていく。間合いも相手に分がある。それが判断出来ない少年ではないはずだ。
突如として怒った大気が吸血鬼に牙を剥いた。押さえつけられるような上からくる突風に吸血鬼が床に叩きつけられる。その着地を床をするように持ち上げた少年の刃が吸血鬼の四肢をもいでいく。肩に深い傷を負った吸血鬼は更に少年の飛び上がった勢いで刺した血色の悪い細い脚には真っ赤な血が出ていた。少年はそれを見るようなこともしない。これは遊びだ。相手の降参がなければ終わるようなことはない。その事だけは十分に承知して欲しい。
少年は吸血鬼の足元で笑みをこぼして見下しているのかと思ったが、そうでもないらしく、真面目な顔で静観していた。勝ちは確定しているようなものだがそれはまた違うものであるらしい。少年は一切の余裕は見せなかった。それはある意味、現状でも兜の緒が締まっているのか確認しているようだった。
むくり、と起き上がった吸血鬼は先程から続く生まれて初めて知った痛みというものに身体中を震わせていた。それはもう正気の沙汰ではない、これはもう深くまで潜っていってしまった誰にも入る事を許されないデュエル。いかなる事が起ころうとも二人の世界に入る者も、入ろうと思う命知らずもいなかった。
少年は静かに立ち上がるのを待っていた。そしてその時を待っていた。相手の動きが過激になる最終局面。吸血鬼は炎の力を強くさせて炙り出すかのように大剣を振るう。それでも少年は微動だにしなかった。
その篝火に少し見惚れているとさえ思える。その力は正にクラウンピースのようなもので狂気へと落としてくれるもの。
そして大剣は少年に落ちてきた。まるで天罰かなように。そしてそれが受けるべきだと強い力を示していた。
だからこそ、少年はそれを受けた。いや、正確には受ける振りをした。
少年の双剣がその大剣に触れた瞬間に折り曲がるようになった。そして後ろへと下がる。
ステップ。
少年の脚が大剣の上に乗ると軽々しく飛び越えていた。それが何を意味するものであるかは言うまでもなかった。
逆手持ち、自分の方に刃を向けたままその回転に合わせて腕を伸ばしながら上へと切り上げる。腰骨あたりから肩甲骨辺りまで傷を負わせた少年はその場から一気に離れた。本当はここでもう一撃与えても良かったのかもしれない。
吸血鬼の周りには波動があった。吸血鬼として、夜の帝王として、レミリアよりも力ある者として、何より自分の力によって発動させたその波動から逃げた少年は床に押し付けた剣の向きを変えていた。波動の影響は全く受けていない。
そして立ち上がる。その身には一切の傷はなく、綺麗な体だった。対して吸血鬼はここまでの幾多の傷の痛みから流石の吸血鬼と言えど、流石にこたえていた。吸血鬼の口から暖かい吐息を吐いていた。
少年もそれは変わりはしない。幾ら魔法に頼っているからと言っても使っている自分の体は限界というものになっていた。それでも前を見続けていた、負けたくない相手を見ながら、少年はゆっくりと歩いた。
はぁ、はぁ、
お互いの口から疲れたというしかない気持ちがダダ漏れしていた。
少年が急に叫ぶ。その目は闘志というものを宿している。
吸血鬼もそれに呼応して叫ぶ。狂気というものを宿しながらゆっくりと間合いを詰めていた。
そこで一気に吸血鬼が四人へと人数を増やした。どれも同じで人相であるので識別はつかなかった。
フォースアカインド
吸血鬼が持っている狂気に染まった自分の分身を三人出す技。先ほどまでの戦いは本当に遊びだった。此処からが本番、決闘へと姿を変えたその少年と吸血鬼の遊びは最早そうとは呼べないものだった。
二体が左右から少年を挟み込む、前から一人。後ろで静観しているのは残った一人。
少年はまず左右を見ていた。両目から左右を中心として全体を見ていた少年は一気に前へと進んだ。丁度その間はガラ空きだった。
そしてタイミングは丁度左右の吸血鬼の分身と思われる者が相打ちとなる瞬間で其処に空中で体勢を変えられない吸血鬼の分身と思われる者が上から傷を与えあった二人を斬り伏せる。そして静観を決めていた吸血鬼の本体と思われる者は素早く来た勝負を急いでいるような少年と向き合った。
しかし、決してそのようなことはなく、一度止まった少年は吸血鬼の大剣の間合いになギリギリ入っていなかった。もし、振ればその隙に少年が入り込んでくるが吸血鬼には圧倒的な戦力差というものがあった。単純に四倍した戦力が少年を襲う。
後ろからは三人、前には移動できない程度にいる大剣を構えた吸血鬼。
後ろの三人は既に各々が攻撃体制を作り上げていた。
少年は左右にしか逃げ場がないはずだが、前へと進む。その方向に本体と思われる吸血鬼がいるがそちらも構えている。愚直だった。
そんな様子をパチュリーは何となく気になってちらり、と魔道書から視線を少しだけ外して見ていた。小悪魔はもう見ていられなくなり、その場で頭を抱えて蹲っている。
少年は素早かった。
パチュリーが驚く程度には。そしてその使い方をするとは。
本体と身代わりのように変わった少年は後ろで左手に持っている剣を右肩に反対も同じ形になるようにしていた。
其処から一気に走り出した少年は三人からの不意打ちのような攻撃を受けた本体に双剣を使って水平に斬り伏せる。そしてその先、分身だと思われる吸血鬼にはその先まで届けていた。一気に四人を斬り伏せた少年はその場で立っていた。
思わなかった。まさか風の元素で相手の身体を斬ってしまうとは。パチュリーでさえそのようなことは考えもしなかった。その姿にはもう正気なんてものはない。
分身であった三人の吸血鬼はその場で破裂するように消えてしまった。本体はあまりにも斬られた上に最後の一撃が致命打となったのか、体に傷はないものの、相当な疲労が蓄積していると思う。
そしてここまで大きな音が立て続けに起きていた大図書館では静寂が訪れていた。
「天晴ね。」
満足そうに見ている保護者がぼそり、と呟いていた。