もう夕暮れというには時間は遅かった。遠くの方で赤い光を残している太陽はその務めを終えて就寝へと入っていくそんな時間だった。そして代わりに段々と明るくその存在感をやんわりと伝えている月が空には登り始めていた。
「今日はお疲れのようですね」
コトコト、と音を出している釜の下でしゃがんで竹の筒で空気を送っている椛さんは一旦行っている事をやめて一言だけ伝えてからすぐに再開した。僕はもう何を伝えたかったのか迷ってしまったところでそれで時間は終わってしまった。
「無理は禁物だといつも伝えているでしょう」
椛さんは先ほどの作業は辞めてしまった。自分の右肩をポンポン、と竹の筒で叩きながらゆっくりと立ち上がる。
「それはそうですけど」
「それでは勝てるなんて幻想は身を滅ぼすだけです」
「そんな事、ないと思います」
椛さんはいつも通りの優しい声ではなく、ちょっとだけ怖かった。無言、という事ではないのだが言葉に重たさを感じる。ズッシリ、と石がのしかかってきているかのような重たさ、それが言葉の節々で降りかかる。
「そうか。なら、貴方に足りないものを教えましょう。それは根気です。貴方は倒れるほどに何かに打ち込んでいるのですか?多少なり疲れて帰ってきてそれで終わりですか。それで勝てるなんて甘い考えは早めに捨ててください」
「そんなこと言われても」
僕の中では何を伝えたいのか、それが分からなかった。無理は禁物だと言われている中で何が悪いのだろうか。それがどうしても分からなかった。
「貴方の目標は無理難題ですからね。当たり前の事をしていれば追いつけるわけがないでしょう」
そして一拍だけ空いて椛さんは更に続けた。
「最近、吸血鬼が妖怪の山に現れたようです。まだ、噂程度の話ですが襲われているのは事実です。貴方は今から何をしますか?」
そう言われた。僕の中では上昇気流と下降気流が入り混じって竜巻が起こりそうなのだがそれが口の外に出るような事はなかった。何故か、上がってこないのだ。どうにかその答えを出そうと思っても何も出てこない。それが僕の答えなのだろうか。そう思うと違う。
何か、それは多分出てきているのだろうがそれ以上は上がってくるような気配はない。その中で一つ、何かあるような気はしていた。
「僕はどうすればいいのか全く分かりません」
「なら、そこで蹲っていてください。私が吸血鬼を倒しておきますのでそこで歯茎ガタガタいわしていてください」
その言葉自体が椛さんから出るとは思えなかった。何か怒っているように思えるのだが、何をさせたのかそれがどうしても分からなかった。そして更に言葉は続く。
「その調子なら相手が死ぬのを待てば勝てますね。良かったですね」
いや、良くない。この言葉は僕の中に出てきた言葉だった。一体何様のつもりなのだろうか、と勝手に思ってしまうがそうなってしまうのだろう。
「良くないです。自分の手で勝ちますから。それまで応援しててください」
「いつ誰が応援しないと言いましたか。……待ってますよ」
椛さんの言葉を聞いて僕はうずうずした気持ちを抑えきれずに出かけようとしたところを止められて居間で座らされてご飯とすまし汁を食してから出かけた。
これは昨日の話だ。今日は月が完全に空を支配しても何も気にするような事はなかった。昼から帰ってきてから僕は誰も訪れないような森の中で一人、技の練習を行なっていた。まだまだ発展途上の多い技だがそれでも確実に良くなっているとは思っている。決して綺麗に決まるものではないが僕にはまず最初に勝ちたい人が目の前まで来ているのだ。勝てないと二人を悲しませる事になるだろう。それは出来るだけしたくはなかった。
腕は軋む、脚は震える。それでも頭の中ではまだやりたいと訴えかけている。そこで思い出したのは椛さんの無理は禁物だった。帰れるかどうかの状態だがそれでよかったのかもしれない。
応援してくれている人は居る、そして帰りを、その挑戦を待っている人はいる。それに競い合える人もいる。まだまだ発展し切れていない中でも確実に成長していると言える事はある。でも、今日は限界だと思えるほど体を動かしていた。
木々の生えた森の中を自力で這い上がる。その途中で地面との距離を低く保ちつつ、遠くへ行くのを意識しながら糸の縫い目のように移動を行った。決して平坦とは言えない道に生えた棒を超えてからすぐに技の練習へと入った。
何をしたいのか、それを意識してから剣にその真意を向ける。出来るだけ強く、出来るだけ大きなものを想像してそれを向けていた。段々と大きなものへと変わっていくと思える技の中でまだ上がれると思える箇所を思いついては試していた。未知の領域、未知の知識を拾い上げるために既知の事実を利用していた。
その途中で何かを見つけては試しているだけの半日。腕の痛みや脚の疲労が来ていても何も気にしなかった結果、こうなってしまった。
僕には確かに時間はないらしい。それを越えていくためには色々な周りのものを超えている必要はありそうだ。
僕はそう思うとその疲労から床に横になっていた。それを横目に食器を片付けていく音が聞こえて気づけば朝だった。