ヒカルは大事な娘にも等しい早苗の元へと走り寄ってきた。だが、その眼は何か協力を仰ごうなんてことは考えていなさそうだった。何を見ているのか私にはそれは不明だが由々しき事態であることには変わりない。
得手でもある御柱で強引に弾くことも出来たがそれをすれば早苗が巻き添えを喰らいそうな距離まで近づいていた。これは私の失態だがここまで近づいてきてそれが敵対心に近いものだと思えた時にはもう手遅れだと思っていた。そして被害を被る事が既に分かっている状況で私は一瞬でも迷ってしまった。衝動と理性に阻まれた結果、私は何もすることは出来なかった。これでは保護者としての資格はあるのだろうかさえ分かったものではない。
もう諦めることにして私は目を閉じた。当たりそうなところだったので直視出来そうになかったからだ。
大きい音、それがその直後に聞こえていた。目を背けて瞳から入る情報を遮断した私はそれが何であるのかはさっぱり理解出来なかった。ただ、思っていたのとは違うものだった。それだけで何があったのか不安にもなったが安心したような気もした。
「申し訳ないです。怪我はありませんか?」
ヒカルの声だ。
「はい」
早苗は小さな声でそれに答えていた。それから大きな笑い声が遠くの方から聞こえる。
「いやー、面白いものだったな。傑作だよ」
太陽を克服したとかいう吸血鬼のカディング・スカーレットだったか。その人はこの状況とは似合わず、高らかな声を出していた。私だってそんなに優しい神でもない。やる時はやるつもりだ。私はそこで目を開けておくことにした。まさかだと思ったがヒカルは早苗の下に自分の左膝を入れて地面に付かないようにしていた。その上で自分は地面に寝転がっている。これではどちらが危害を加えられた方なのか分からなくなる、私はそこで一つ小さく溜息を吐いた。安堵というのかそういうところだ。
「それにしてもこいつ以外に誰も動きはしないが良いのか?倒しちまっても知らないよ」
「まぁ、私が出ても……。いや、出る幕がないだけだよ」
横からの異様な威圧感に私は出していた言葉を引っ込めた。確実に頭に来ている彼は私に対しても敬意も何もない視線をぶつけた。それだけで評価に値する。私はそこで身を引いて静観していることにした。
「嬲り殺しても知らないよー」
できるものならしてみろ、私は心の中で小さく呟いた。
○
先ほどの件はかなり危なかった。僕自身でもあのように上手く回り込めたのは奇跡だとしか言いようがないようなものであった。気が付いたら僕は地面に倒れていた、そして早苗さんは僕の左膝で尻餅をついている程度で怪我を負ったような気はしなかった。それでも一応は聞いてみたが放心気味に返された。
それから神奈子さんは向かっていこうとしていたが何故かその言葉を濁していた。何が起こったのか、それは僕には理解出来ないものなのだろうが何か思惑があってそのようにしたのだと思っている。
僕は早苗さんが立ち上がってから左腕に力を入れて立ち上がろうとした。相手はとても上機嫌で笑っていて側から見ていれば楽しそうだった。何か色々と常人と外れた感性をお持ちのようだが僕にはそれは関係なかった。お父さんがそうだからだ。
不意に崩れた、力を入れていたはずの左腕はその場で折れてしまったように倒れた。もう一度地面を舐めてしまった僕はサイドで体を使って起きるとすぐに異常に気づいた。既に左腕には力が入りそうになかった。
「いつまで楽しませてくれるか楽しみだね」
「すぐに終わらせますよ」
僕は立ち上がりながらにも右腕で剣を構えていた。自分の肩のあたりの高さで水平に構えた剣はどのような技にも派生が出来る。それを見据えた上でのこの構え方をした。
「それは悲しいね。じっくり楽しませてよね」
相手からすればもう勝てる試合だと思われている。それ故に楽しめるかそうではないかでしか判断をしないようで最早此処に誰かの意思と言うのはなかった。僕はそれを感じて動くことはしなかった。
「何か反応はしてくれないの?悲しいね」
僕は相手の言葉に反応はしなかった。それどころか最早別世界で隔てられているように言葉が届きもしなかった。僕にはもはや何があったのかそれを判断つかない程度にはなっていた。
僕はその場に留まっていた。何もしないし、何かを行う気さえしない。あれから何も変えていないが変えたところと言えば焦りなんてものを持たなくなったぐらいだろうか。僕は一歩も動く気はなく、その場で早苗さんが近くにいるところで止まっていた。これで先程の何か得体の知れない攻撃のようなものは関係なくなくなる。それに、他に向かおうとしても僕よりも強い。
「動かないならこっちから行くよ」
一つの音、それから二つに分かれた身体は三本の線を描いてその四足をかき鳴らす。五本の指から放たれた六回の攻撃を僕は七回、自分の剣を振って防いでからその場で止まった。
動きなんてものは最低限で行われるもので他は何もなさそうだった。自分の中では何が起こっているのか、とても冷静だった。普通にどこに向かっているのかも見えているし、攻撃も捌けるものはそうした。そして一撃を与えて相手を後退させた。
「何だ?まだまだ実力は隠していたのか?それは、面白いねぇ」
更に興が乗じるつもりなのかそれはそれは楽しそうにしていた。こういう時に扱える技があるので使ってみようか。僕は一応剣に風を纏わせるように念じた。この念によって多少変わるものがある。なので、それを実践してみようと思った。まだ、綺麗なものではないがそれでもやってみる価値はあると思う。僕はその時期を見計らうために静かに構えていた。相手の動きにどのように当てはめる事ができるのか、練習とは違った本番という魔力がある世界では僕はまだ十分に戦えるというわけではない。それでも噛み付ける限りは幾らでも、八起きくらいはやってみせる。
僕は相手の言葉に答えるようなことはせず、僕の中でどのようにしようかそれを考えていた。一ノ技、二ノ技、六ノ技、八ノ技のうちのどれを使おうか、それを瞬時に判断する必要があるので動きはしなかった。まるで尸のように剣を構えて仁王立ちをしていた。どれだけ刃を向けられるのかそれは僕の意志の強さで決まる……。
「まぁ、良いさ。楽しいことには変わらないよ!」
一つの音、そして先ほどと変わらない軌道、三度目は流石に見飽きてきた。剣を構えて低く体勢を保ったまま僕は相手の初撃が何か見極めた。上からなのか下からか、左が右か。それから足を使うのか爪なのか腕なのか。僕はそれをじっくりと時間を使って見極めた。
左腕の突き。
僕は構えていた剣を上に持ち上げてから下へと向かわせて左足が浮くほどに一気に振り上げた。相手の爪先はその剣で敷いた膜の間に入り込んでいた『八ノ技 防風』。相手の赤くて長い爪は尽く砕かれ、後ろへと退けざらされた。
そして僕は再度地面の水平になるように肩の位置で剣を構える。そしてじっ、と相手を見ながら追い討ちもせずにその場に立ち止まっていた。左腕は相当痛い。
後ろからはどちらかと言えば感嘆の声が聞こえてくる。それさえ僕は反応しなかった。
「はぁ、はぁ。よくもやってくれたな」
それさえ僕は反応出来なかった。段々と意識も白濁としてきた。それでも立ち続けている必要がある。これではまだ届きそうにもない。
もう僕には余裕というものはない。それでも相手はまだ倒れていない。此処は少し力を抜いて相手の行動に合わせる形で行なっていくのを続けていくしかないだろう。体力面ではとても敵いそうにない。それなら、出来るだけ最大まで溜めてから少しずつ使っていきたい。それが今のところ、僕に出来そうな最大の抵抗だーー。
「やっーちまうか。なぁ?」
そういったカディング・スカーレットは自分の右手から恐らく魔力を貯めて作り上げたと思われる剣を作り出した。漆黒の剣で炎が燃え上がるような不鮮明な形をしたその刀身と持ち手として機能していないような気がする形で不明瞭な長さの柄。それから自信満々にしている。僕にはどのように対処しようか迷った。長さは相手の方が長いし、自分の魔力なので上位であることには変わりない。
僕はそこで固まっていたが、相手からすればそのようなことは何もない。こちらへと向かってくる、その頃には既に攻撃の体勢を作り上げていた。僕はすんなりとそこでかわす。当たればどうなるか分かったものではないものに触ろうという気はなかった。そして、背後に回ろうと思ったがそれはしなかった。三人があまりにも近過ぎる。
泣く泣く、軽い風を起こしてこちらに意識を向けさせた。それから僕は歩いて相手に近づく。その間、構えているかどうかさえ悟られないために切っ先を下に向けて何とかしてみようと試みた。それが駄目だと思えるその時まで諦めるつもりはなかった。
相手は冷静さを欠いているようで簡単な軌道で向かってきた。こうも分かりやすいと罠を疑うがそのようなこともなかった。相手の横薙ぎに合わせて切っ先を下に向けていた。
刀身に乗る、その瞬間まで耐えてから横へと走り抜けるその腕を真下へと打ち下ろした『六ノ技 疾流し』。
相手は特に動けるわけもなく僕を仕向けた方向に転がり込むように体勢を崩したところで回し蹴りをかまして更にその転がりを助長した。そして、僕はその様子を横目に踵を返していた。そして出来るだけ距離が開くように歩いていた。二歩程度ではあるがそれでも自由度はそれなりに変わる。剣を特に気にすることなく振れるだけでも無問題だろう。
右腕から左腕、そして下から上へと相手の炎のような刀身をした剣が動いていた。それが僕の目線の合うところで止まるとくるり、と反転してから横に一線振り切ろうとしている。相手ながら見事に騙されたのだが、あまりにもそれは合わせやすかった。
右腕に持っていた左腕へと切っ先が向いている地面と水平の位置に構えている剣に残っているのを纏わせてから何も動かさなかった。剣はもちろん、身体も動かさなかった。
相手の振る剣は僕の構えている剣に当たって振り切りたい方向とは真逆へと持っていかれている。だが、身体はその場で上手く止まることはなくそのままの勢いで回っていた。腕と身体が回り方が異なっていた結果、その場に蹲ってしまった。少しは反撃をしようとはしたが僕にはまだ躊躇があった。それを逆手に取られたようで簡単に逃げられた。
僕だって剣を振って決着をつけたかった。しかしながら、振り切るだけの行動を起こしてくれる身体ではないことと、斬るという意味合いを考えた時に僕はその場で動けなかった。少しばかりか弱過ぎたのかもしれない。
相手には届きもしない剣を振り続けて何になるのだろうか、ふと疑問に思えた。自分で答えは出なさそうだが、僕には何も出来そうになかった。今は休憩を取ることにしよう。
「フフフッ、そろそろ限界が見え始めたかー?もう辞めにしようぜ」
もちろん、答える気はない。僕は相手ではなくてその後ろの方を見ていた。そこにはここまで技を教えてくれた椛さんがいる訳だが、明らかにその目は怒りに満ちていた。僕はそれを直視出来ずに、あからさまに目を背けてしまった。そして思った、やはり落胆させているのだと。そう思えた時、僕は何となくまだまだ実力なんてものは下の方なのだと思えた。そうでもなければこのように遊びのようなことに身を投じるようなこともないわけだし、何よりあんな風に怒る訳もなかった。期待もされていない。あんなに疲れる感情を出してまで僕に弱いことを知らせるつもりなのだろうか。そう思えた。僕はまだまだらしい。
「本気だ、ここからは私も狩りにいくぜ」
世紀末かのような笑い声と声を出していたカディング・スカーレットは段々と興が乗ってきたようで明らかに楽しそうにしていた。僕は単純に餌としてしか見られていないのだろう。僕は剣を優しく構えた。やれるところまではやってみようと思えただけでも及第点だろう。
相手の言う通り、それなりの強さを持って僕のことを狩ろうとしていた。しかしながら、僕にはそれに答えられるだけの気力が無くなっているのでどうしたものか、それを考えていた。左腕はあまり動かさない方がいい。それに比べて両脚は動かせるものの疲労というものは溜まりに溜まっている。右腕も技を多用しているためかそれなりに疲労感がある。
相手が動き出した。それを感じて、僕は右腕で持っている剣を構える。どのように動いたとしても全て対応する手立ては残している。後は相手の出方次第、といったところだろうか。僕はゆっくりと構えていた。そしてその時が来るのを待っていた。
ゆっくりと。
その一歩の動きに注目して。
僕は切っ先を脚へと向けた。
右脚は相手の動きから読み取ってみた結果、安全そうな方向へと向かうように風を纏わせておいた。
相手はそれを見切ってか僕からみて左側へ膨らんだ軌道ですん、と音を出しながら振り下ろしていた。
僕は切っ先を左脚に当てて、身体は相手の攻撃を避けられるように、右脚はその下を通れるように角度をつけたところへ移動した。左脚を右脚と交換するように振り回した。剣を当てた脚は全身に風を纏っていてその勢いは相手の右腕に当たる『一ノ技派生 風刃脚』。
そして僕は左脚裏を地面につけてかかとの方へ進ませる。それから左脚を振り回した勢いを使って右脚を折りたたみながら、身体を傾かせながら真後ろへと蹴る。左脚にはそれなりの負荷があった。それでも僕はそれ以上何かする気は起こらなかった。逃げることしか考えなかった。一回転、守矢神社の社がある方向へと転がると足で地面を蹴って距離をとった。だが、立ち上がれない。相手も脚を蹴られてその場で蹲った。勝負は引き分けかと思えたがそうでもなかった。
相手の怒りは相当なものだった。僕はそれを背中で感じて変に身体が硬直、余計に動けなくなった。
「よくも、よくもよくもやってくれたな」
相手は怒りが最高潮に達していた。駄目かな、なんて思ったその時。
「立て。まだその時ではありません」
遠くからだった。ここで誰も口を開いている人は居なかった。これは社とは反対方向にいる白い髪をしている、今では生活を共にしている椛さんだった。しかし、いつものように優しい声ではなかった。
僕はそれでも立ち上がれなかった。意識は段々と無くなっている。眠たい、と言うわけではないが目が閉じていく。本番には魔物が住んでいる、いつもならもう少し出来たと思う。
○
少年は動かなかった、否、動けそうになかった。左腕を早苗を避けた際に打撲、その時に剣を落とした。そして度重なる技の過度な使用に身体がついて来ていなかった。練習とは違い、自分のちょうど良い時に終わると言うわけでもなかった。少年は正に魔物に噛み殺されそうになっていた。
その様子をカディング・スカーレットは上機嫌に見つめていた。彼女も右腕と右脚に相手の蹴りを受けていたが体の構造は全く違う。動かしづらい程度で人を殺す上ではあまり支障のないものだった。少年はまだ挑むには早かった、という事らしい。
ようやく仕留められることにカディング・スカーレットは油断をしていた。これを振れば倒せる。そう思っていた……。
しかし、その思惑は意外にも簡単に打ち破られた。少年の剣は背中を守っていた。そして切っ先は社の方へと向いていた。上から下に降っていた軌道は急に左へと流される。それによって体勢を大きく崩したところで少年は脚を使って地面を蹴ると前転のように前へと転がるが地面に手をつけずに大きく上へと飛び上がると右腕を大きく自分の体の外側へと振りきっていた。少年は背中から地面につくと回転の勢いを使って立ち上がる。その立ち上がりに音はなく、今までの雑念もない。相手のことしか見ていないようでその周りのことも呆然と見ているように感じる。
思わぬ損傷を受けたカディング・スカーレットは顔を歪ませていた。油断したばかりにこうも痛い仕打ちを受けたと言うのが腹立たしかったのだろう。彼女は怒りという激情に駆られて少年の元へと走り出した。
少年は上から下へと剣を自分の前で振り回した。彼女の剣はそれに弾かれる。
少年はそれを機に前へと走り出した。構えていた剣を肩の上へと乗せる。彼女も反応して剣で防ごうとしたが少年は残像であるかのように彼女の視界からは居なくなった。まさか幻覚だったのか、と思えるほど。自分が少年にかけてここの神社の巫女に剣を振らせた時にかけた技をされたのかと思っていた。
その時、彼女の腕と脚に違和感があった。
それを確認しようと、振り向いてみたものの遅かった。思い切り地面に顔をぶつけられていた。彼女はその地面に当てられた勢いでもう一度地面に口付けした。顔への痛み、四肢の違和感に目を閉じていた。一瞬、考えてから彼女は何となく整理をつけたようで何もしようとはしなかった。最早、生きるということを諦めていた。
「ここではまた王に舞い戻れると思ったんだけどなぁー。こんなところでこんな少年に負けるようじゃその夢も叶えられるわけないか。もう全て諦めたから手早く終わらせてくれ。頼む。)
少年の脚は彼女の首筋の前で止まっていた。剣を振ることも、動くことも、何も出来ない彼女は目の前の運命を仕方なく受け止めようとしていた。
幻想入りする前である場所を統べていた彼女も負けが続いて逃げ延びるように此処へと二人と交代するように入り込んだ。それまでの自信と実力から己の力を過信したが今ではもう何もしようとしなかった。
彼女は目の前の事を受け止めて目を閉じていた。その先、それは何も語らない……つもりだーー。