消えていきそうな視界の中、ぼやけた眼は何かを見つめていた。瞼は重たい。まるで石でもぶら下げているかのように開くのが精一杯で開けていられる時間もそう長くはなかった。そして、手足には特に感覚というものはない。あるのかさえ、記憶を頼りにしないといけないほど。そして暗かった。だからと言って、もう閉じた瞼からは夜なのかまた別の世界なのかは判断が付けられなかった。
身体はひどく疲れている事を知らせてくれた時、僕は一旦動こうと、この状況をなんとかする事を諦めた。動きそうにない事や意識が朦朧としている、それを知れただけでもそれでいいのかも知れない。
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今度眼を覚ました時は意外とすんなりと起きれた。先程の事が嘘であるかのように、夢であるかのようだ。上半身は身軽だし、手足も指先まで感覚はある。そして軽く折り曲げることもできる。もう朝を過ぎて昼前へとなっていそうな気がするのを目で確認していた。そして、明るめな緑色の床と馴染みのある木の香りがするこの部屋で僕は何となく記憶を繋いでいた。昨日、いや一昨日、その辺りから凄く深い眠りの時間を横になっていたような気がする。それは本当に手足の感覚が無くなるほど。しかしながら、音は聞こえない。どれぐらいの人がいるのか、近づいている人がいるのかそれは襖の先に動く影から推測するしか方法はなかった。簡単な話、まだ完全に治っていると言うわけではなかった。感覚があるだけで身体が重たいことには変わりなく、もう一度横になっては天井の木目の数を数えていた。
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夕刻へと近づいているのか外からは赤い光が入り込んでいた。どちらかと言えば、一日を無駄にしているような気もしなくはないが、本当に一日なのかは定かではないので良くない方向に考えることだけを辞めておいた。他には何もなさそうなので今も寝ておくことにした。
だけど、それをしようと思うと変に活発になっていた身体はそうさせてもらえなかった。状況を把握しておきたいと身体が言っている。それだけではなく、感謝の言葉の一つくらいは言っておきたかった。ここに居る医師は凄く腕がいいのは確かだが、微妙に副作用の強いのが多い。それでもやはり治してくれたのには変わりないので言いにはいきたかった。起き上がって襖を開けて周りを見てみるが居そうな雰囲気はなかった。探しに行こうと思ったその矢先、後ろから声をかけられた。その声には優しさのある控えめな声だった。どちらかと言えば申し訳なさそうな感じがある。
その声を聞いた時には僕は何となくだが、答える気にはなった。
「別に気にすることはないんじゃないですか?」
それに対する返答は意外にもあっさりとしたものだった。考えていたものよりも後味はなくすまし汁を食しているかのようだった。
「これは僕がやっている事です。誰かに謝られる理由はありません」
「そう言われると私がここにいる理由がないじゃないですか」
「来てくれただけでも嬉しいですが気は落とさないでください。そう言う意味です」
「……よく生きていましたよね、本当に。信じていた通りですが」
「それなら良いじゃないですか」
その時の僕は自然と笑顔になれた。まだ、身体に力は入りにくいのだが、それでも表情は無意識でも出せた。それは何故かなんて聞く必要もないのではないかと思う。
「安心です。これからも日々精進していきましょう」
「はい」
僕に必要なのはそれだけだった。相手もその事を理解しているような柔らかい表情と炊きたてのご飯のような心がほっ、とする何かはあった。
「案外元気そうね。良かったわ」
銀色の髪を後ろで三つ編みにしている女性でここの主治医をしている人だった。赤と青のツートンカラーをしている服装で大人としての魅力のある人だった。
「貴方には感謝しかないです」
「別に良いのよ。怪我をしてもしなくても訪れる人が居たのだから。また、いつでも生きている状態でいらっしゃい」
優しい笑顔でゆっくりとした口調で僕の顔を見ながらその人はそのような言葉を放った。僕にはある意味、安心できる言葉だった。今やっている事は無茶も良いところ、勝算があるのかどうかも分かったものではない。ゆっくりと老後までなんて長い期間は用意されていない。
「怖いですよ、永琳さん」
「それはどちらの言葉かしら。明後日になったらまた始めなさい」
永琳さんはそう言いながら、その部屋を出て行った。ある意味、定期診察と言うのか、少しだけ患者の様子を見に来ただけなのかも知れないがそれでも僕にとってはとても嬉しい言葉であることには違いなかった。もう少しだけ頑張ってみようかと思えた春先の夜。
「明後日、また来ますね」
椛さんは僕の横から立ち上がると、それ以上は何も声をかけられることはなかった。桜の散り際の如く。