記憶だけをたよりに記録されたクトゥルフ神話TRPG 作:ばばたける
事件から一週間後。
櫻井・ディテクティブ・スタジオにて。
「ここさ、『櫻井探偵事務所』じゃダメなの?」
ソファに腰かけ、四ツ谷あゆ美はもう何度目かになるクレームをつける。
「『ディテクティブ』の部分が言いにくいんだけど。噛むんだけど」
「いいじゃない、でで……ででてくてぶ・すたじお」
「言えてないよ」
「名前だけでもね、ほかの探偵さんと差をつけないと。――はい、お茶」
出された紅茶を「ありがとう」と受け取りながらも、四ツ谷の脳裏を巡ったのはお茶を淹れるのさえ上手だった、あの少女だ。
「どう、なずなちゃん。彼女のこと、見つかった?」
「ぜんぜん。知り合いの泥棒に彼女の部屋を見に行ってもらったけど、もぬけの殻だったわ」
「知り合いに泥棒がいる知り合いは嫌だな……」
四ツ谷が探す人物とは、石沢裕美である。
一応、今回の事件の依頼人だった。
「あと調べるとすれば、彼女自身の身辺調査かな。――とはいっても、こうしてわざわざあゆ美ちゃんが来てくれるくらいだもん。ジャーナリストとして、ある程度調べてるんでしょ?」
「……まあね。で、有益な情報を掴んでるなら、わざわざここまで来ないって」
四ツ谷が彼女と知り合うきっかけになった、石沢啓太。彼に妹などいなかった。
「そもそもさ、石沢啓太さんを調べる過程で、家族構成までたどり着かなかったの?」
「はいはい、確認を怠ってましたよ。考えてみれば、石沢先輩にあんなにかわいい妹がいるって聞いてなかった」
「要するに、かわいい裕美ちゃんにまんまと騙されちゃったってわけ。あーあ、あゆ美ちゃんともあろうものが」
「しょうがないでしょ。ふつう、あんなかわいくていい子が嘘をつくとは思えない。私はそんなに歪んでいない」
「お兄ちゃんが言ってた。女はすべからく魔性だって」
「ああ、あのオネエのお兄ちゃんね」
もはや四ツ谷にとって、石沢裕美の『本質』は無視すべき事項であった。善性だろうと悪性だろうと関係はない。問題は、彼女の目的だ。
「裕美ちゃんは――なにがしたかったのかな」
「鈴さんにも相談しましょ。警察と探偵の持っている情報に、どれほど差があるか分かんないけどね――とりあえずこの件は、あゆ美ちゃんからの依頼で貰っておくわ。報酬は安くするからね」
仕事は仕事である。四ツ谷はすこし呆れながらも、「それでいいよ」と同意した。
「こんど探偵組合の寄り合いもあるし、みんなにも聞いておくね」
「た、探偵組合……?」
「こういう微妙な職業だもの。うちも含めて吹けば飛ぶような個人経営の事務所は、結託しなきゃやっていけないのよ。『オネエ探偵』『落語探偵』『珈琲探偵』『高校生探偵』、よりどりみどり取り揃えてますから」
「バラエティ番組みたい。――で、なずなちゃんは何探偵と呼ばれているの?」
「あたしはそういうの、まだ。飲み会に参加したことないもの」
「飲みの席かよ」
「最近、『珈琲探偵』は『要介護探偵』に変わったんだっけ」
「絶対、ふざけてるよね。探偵組合」
四ツ谷あゆ美は櫻井・ディテクティブ・スタジオを後にして、職場へ戻る道中、公園のベンチに腰かけた。
休憩だ。
「……寂しいな、なんだか」
最近、会社にはほとんど無断で、石沢啓太の死の真相を探っていたが――そもそも四谷が石沢啓太の死を知ったのは、職場に石沢裕美が訪れたからである。
行方不明の兄を探す、健気な妹。
それを放っておけなくて、四ツ谷は元先輩であり、そういえば最近連絡を取っていない、石沢啓太の捜索を手伝ったんだ。
ほどなくして彼の訃報が届いたのだが。遺体はなく、痕跡もなく、目撃証言だけの死の報せが。
石沢裕美は兄の死を受け容れられていない――すくなくとも四ツ谷にはそう見えた。だからせめて、彼の死を明らかにしようと。
「私はずっと、あの子と一緒だったな」
四ツ谷あゆ美は、探偵でも警察でもない。ジャーナリストとしての情報網と正義感を持ち得ただけの、ただの女だ。報酬のない彼女の努力に、石沢裕美が差し入れてくれる料理は癒やしとさえ感じた。
「胃袋から掴まされちゃったなあ……」
二週間ばかり石沢啓太の調査に費やしたが、じつに情報が少なかった。聞き込みできる人間は少なく、唯一の情報源である彼の手帳やスマートフォンも警察が応酬していたし。
「……手帳?」
違和感。
四ツ谷は思い出す。それは石沢啓太がフリージャーナリストになる前、おなじ職場の先輩としてバディを組んでいたとき。
彼が手帳を手放したことなんて、会っただろうか。
煙草休憩でさえ、休日でさえ、石沢啓太は情報がパンパンに詰まった、何冊目になるかわからないあの手帳を肌身離さず持っていた。橋田鈴が遺族(仮)の裕美に返却した手帳は、四ツ谷も知っている薄汚れたブックカバーだ。
石沢啓太は死亡時、『なにか』に呑み込まれたという。
にわかには信じがたい話だが、嶋田の事件を経験した今ならば、いくらか受け容れられる。
石沢啓太は身に着けた衣類ごと消滅した、らしい。だったら『肌身離さず』携えていた持ち物もおなじように呑み込まれてたとして、不思議ではない。
「手帳は、後から用意されたものだった……?」
あの手帳はどこから出てきた? 警察、橋田鈴が石沢裕美に返却し――その時点で、裕美の手に渡っているのだ。
小森メイの家、図書館を渡り歩き、次なる手がかりを探していた四ツ谷たちにとって、もっとも大きな情報としてもたらされたのがあの手帳だ。
「もしこの推理が――いや、邪推が正しいとすれば」
なんの証拠もない、ただの疑いである。
「小森メイを探すという、依頼を持ちかけられた時点で」
それどころか妄想にすら等しい。
「嶋田一真に、引き合わされていたんだ」
石沢裕美。
否、きっとその名も偽りだろう。
「……裕美ちゃん。あなたは一体――」
「だーれだ?」
背後から、目隠し。
それこそ家族のものであるような、慣れ親しんだ、可愛らしい声。
私の視界を覆うその指。隙間から入る光。それはまるで、檻のようだった。