ㅤリーナは、おれを長いこと抱きしめはしなかった。なぜなら、部屋に異変が現れたから。ガスが流れ込んだ気配をおれよりも先に感知し、CADに手を伸ばしたのだ。
ㅤ灰色をした靄のようなものは、不自然な位置で留まる。粒子の大きい気体を通さない障壁のせいで、広がり切らなかったのだ。
「……睡眠系ね。人体に害は無いけれど、体に入ったら一発だわ。対魔法師用に開発された特殊ガスかしら? それなら、どうしてこんなものが……」
ㅤガスの正体に気づいたリーナが、不思議そうに首を傾げた。
「このタイプは、粘度が高くて中々飛散しないの。ずっと障壁を張るのも面倒だし、早く移動した方がいいわ。――歩ける?」
「うん……」
ㅤ手を引かれて、おれは渋々歩き出した。本当はもう動きたくなかったけれど、そういう訳にもいかないのは分かる。リーナは「仮装行列」を発動し、自身とおれの位置をずらし始めた。
「別にそこまでしなくても良くないか」
「この先で、何があるか分からないじゃない」
ㅤおれの意見を一蹴し、リーナは慎重な足取りで進んでいく。こういう言動を見ると、本当に軍人だったんだなと思う。「アンジー・シリウスはもう死んだ」と彼女はよく嘯くが、染み付いた習慣は未だ離れないのだ。
「さっさと脱出しましょ。テロに巻き込まれた時って、災害と違って危険手当とか付くのかしら……? 賃金規定に書いてあった?」
「知らん。そんなの見てない」
「ヨルヒサは、もう少しそういうことを気にした方が良いと思うわ」
ㅤ呆れたような顔をし、リーナはおれを嗜めた。
ㅤ意外にも、彼女は細かいことを気にするタイプだ。とはいえ、何でも切羽詰まってから気づく――ツメが甘いのは変わりないので、どっちもどっちな気がする。まぁ、要は似たもの同士ということだ。
「――!?」
ㅤあと少しで地上だ、という時。階段の途中でおれ達は足を止めた。ある人物が行く手を阻んでいたから。
「カン・フェール……」
「眠ってくれたならば、説明する手間が省けたのですがね。ですが、ここまで来たのです……。是非、我々の理念を聞いて頂きたい」
ㅤカンは大袈裟に両手を広げ、芝居掛かった口調で話し始めた。こちらの反応など、お構い無しである。
「――魔法師は、理解のない非魔法師に虐げられている。謂れのない迫害を受けながらも、魔法師達は国外の脅威からこの国を守っているというのに。国防軍だけでは、もはや戦力を維持できないからだ。戦闘義務もない一般魔法師の『協力』を評価すらせず、経済的・社会的に追い詰めているのは許されることではない!」
ㅤ彼が熱く語るそれは、魔法師社会の現実だった。コミュニティに所属しないと、魔法師は生きることすら非常に難しい。
ㅤおれやリーナだって、騙し騙し生きているだけだ。亜貿社の不透明な資金の流れを嗅ぎ付けられたら、捕まらない為にも逃げ出さねばならない。おれの魔法で追手の記憶を弄り続ければ、長い間潜伏は可能だろう。逆に……だからこそ、罪は重なり続ける。
「だからこそ、魔法力の有無で国民を二層に分ける必要がある! ナンバーズに限定された特権を、全ての魔法師達に!」
「……その『魔法師の為の社会』で、エクストラの魔法は何の役に立つ?」
ㅤ気持ち良く話していたカンが、おれの言葉で黙りこんだ。鋭い視線が、真っ直ぐこちらを射貫く。
「――馬鹿にするなっ! 自分の魔法は……」
「他魔法師の演算領域に干渉し、魔法を使うよう誘導する魔法。通常のマルチキャストと違うのは、複数の魔法を別々の演算領域で処理できる点。それによって、威力は大幅に上昇する」
「そっ、そうだ! だから……」
「ソーサリー・ブースターで十分じゃないか、そんなもの。それなりに使える魔法師を催眠状態にするより、D・E級レベルの魔法師をバラして機械にする方がマシだ」
「……!」
ㅤおそらく、彼は人生でこのようなことを何度も言われ続けてきたのだろう。だって、本当に有用な魔法ならば、それなりに普通な人生を送れている筈である。
ㅤ意味の無い魔法だからこそ、理解されない。それなのに、自分の魔法を使いたくて仕方ない。生まれ持った才能を、誰かに評価してほしいだけなのだ。社会に、同世代に、お母様に。
「……だが。そもそも、お前の願いは叶わないぜ」
「何故だ?」
ㅤ怪訝な顔で、彼はそう尋ねてきた。しかし、その言葉を発した途端、フリーズしたかのように動きが止まる。
「――そこまでです」
ㅤスポンサーの手先であり、四葉家素体・古式系の魔法師……東雲瑠綺が立っていた。CADを手にしており、何かしらの方法で彼を止めたのは明らかだ。
「意外と聡い方だったんですね、夜久様は。てっきり、我々に乗っかって大暴れして下さると思っていたのですが」
「お前……」
「まぁ、どちらでも良いんですが。既に外では構成員と警官隊が交戦中ですし。『魔法師の起こした史上最悪の事件』として、歴史に残るのは確定しています」
「さっきから、一体どういうことなの? ワタシ達は何に巻き込まれていて……こんなことに? 魔法師がそれなりに受け入れられる社会の、何がダメだっていうの? 貴方だって、魔法師でしょう?」
ㅤ訳がわからない、と言わんばかりのリーナ。
ㅤそれはそうだろう。だって、スポンサーの目的は従来の魔法師増産計画に真っ向から突っかかるもの。国際情勢も無視した、狂っているとも言えるアイデア。
「コイツらはな……魔法師を『飼いたい』んだよ。だから、人間扱いする訳にはいかないんだ」
ㅤ魔法師が、魔法師と非魔法師を管理する社会。
ㅤ以前――東道青波と共におれは、そのような題目で「十師族の破壊」を目論んでいた。あの頃のおれは分からなかったけれど、最終目標は「古式魔法師の復権」であったのだ。
ㅤ十師族のルーツは、研究所のモルモット。先祖を辿れば、多かれ少なかれ遺伝子を操作されている。スポンサーの彼らは、そんな人間を排除することが目的だった。四葉という飼い犬を使って。
「そんな、そんなことって……」
「当たり前だろ」
ㅤリーナの言葉を、瑠綺は遮った。先程と口調も変わっている。
「遺伝子操作? 受精卵の調整? デザイナーベイビー? 人の手によって作られたものが、"我々"のような純粋な人間と同じ訳がない」
ㅤさも当然のように言い放つ様子を見て、リーナがギュッとおれの手を握った。おれも握り返してやる。
「……それがお前の本性かよ」
「嫌悪感もまた、人間らしい感情だよ。普段は押し殺していたけどね。――改めて、自己紹介しよう。東雲は母方の名で……本当の名字は『十六夜』。もう分かるだろう?」
「百家最強の魔法師……十六夜家か」
ㅤ十六夜家。伝統ある古式魔法の名家だが、現代魔法を積極的に取り入れることで強化を図った家だ。十師族を頂点とする魔法師管理システムに最後まで異を唱えた家でもあり、調整体や数字落ちに対する差別運動の最右翼でもあった。
「ナンバーズだなんて、そもそも後付け。元より数字が名前にあっただけなのに、研究所の開発番号と混同されてしまった。百家だなんて、嬉しくもなんともない称号だ」
「てっきり、東雲の分家だと思っていたぜ。理澄の下についてたんだろ?」
「武倉理澄については、監視しなければならなかったのさ。アレが動くせいで、破滅的な四葉が安定志向に進みそうになっていたからな」
ㅤ魔法も厄介だったし死んでくれてよかった、と彼は呟く。
ㅤ確かに「ワルキューレ」は、ただ一点「人を殺す」という点では屈指の性能を誇っていた。だからこそ、四葉分家の希望であったのだ。
「……」
ㅤ理澄を自死に追い込むことで、図らずともスポンサーの追い風へとなっていた。何とも、やってられない気分だ。
「――お前らが進人類フロントの代表者か?」
ㅤ急に別の声が割り込んだ。
ㅤ振り返ると、そこには2人の魔法師が。おれは、彼らのことをよく知っていた。
「司波達也……。それに、司波深雪」
「意外なところで再会したな。津久葉夜久、お前が首魁か?」
「いいや? リーダーはそこにいるコイツさ」
ㅤおれは未だ固まったままの男――カン・フェールを蹴り飛ばし、達也の側へと移動させた。彼は少し屈んで、左手を軽く翳す。
「……死んでいる。心臓が止まったのか」
ㅤどうやら、瑠綺は普通に殺していたらしい。数字落ちのことなど、本当に人間と思っていないのだろう。
「まぁ、いい。この男のエイドスで大体のことは分かった。今回の事件は、お前がこの男の記憶を書き換えたことが理由にあるようだ」
ㅤ深雪を危険に巻き込んだんだ。それ相応の落とし前は付けてもらう……。彼はそう続け、特化型CADの銃口をこちらへと向けた。引き金が引かれ――。
「――は、?」
ㅤ達也が一瞬、呆けたような顔をした。魔法が発動した、という手応えが無かったのだろう。リーナの「仮装行列」が、「分解」の照準をずらしたのである。
ㅤおれはそのチャンスを見逃さなかった。彼らの魔法演算領域に干渉する。常時動かしている魔法だから、すぐにリンクは可能だった。
ㅤつまり、「誓約」の魔法式の出力を上げて、演算能力を大幅に縮小させたのだ。少なくとも、人体を消滅せしめる威力は出せない。
「……貴様!」
ㅤ憎しみの篭った声で唸る達也。おれは無視して走り出す。
ㅤ時間があれば、「マギ・インテルフェクトル」を使いたかった。けれど、照準を合わせるのは時間が掛かるし骨が折れる。隙を見せるのは憚られた。
「リーナ、逃げるぞ!」
ㅤ自己加速術式を掛けて逃げる。這う這うの体で、地上まで上がっていく。
ㅤ冷気がすぐそばまでやってきていた。深雪の魔法力は高い。ロックを掛けてやっても、A〜B級魔法師レベル。気を抜けば、氷点下の世界に呑み込まれるだろう。情報強化と領域干渉を目一杯掛けて、必死に出口まで走った。
ㅤ
「――お前も付いてきてんじゃねぇよ!」
ㅤリーナとおれが逃げる横で、何故か瑠綺も追いすがってきていた。
「そんなこと言ってる場合じゃないだろ!」
「テメェらが撒いた種だろうが! 肉壁になるくらいの気概を持て!」
「いいのか? この後、絶対にお前らは俺に礼をいう筈だがな!」
「どういうことだ!?」
ㅤ瑠綺はポケットから呪符を取り出し、祝詞らしき言葉を唱え始めた。
「……ビルを折るために用意していた仕掛けだ。数ヶ月前から、事前に大規模結界を張っていた!」
ㅤその瞬間、大地が大きく揺れた。日本でよく見られる災害の一つ――地震だ。瓦礫が崩れ落ちて、先程までいた場所が様変わりする。
ㅤところが、一歩遅かった。達也は深雪を庇いながらも、既に地上へと飛び出してきていた。
「間に合わなかったか」
ㅤ瑠綺が舌打ちする。
ㅤ今の達也は、魔法を満足に使えないはず。純粋な体術のみで対処したのか。
「……古式武術の一つ、『縮地法』だ」
ㅤ聞いてもないのに、ご丁寧にも使った技術を教えてくれる達也。いや、教えたくなるほどにおれ達が唖然とした顔をしていたのか。分からない。
ㅤけれども、おれはすぐ冷静になった。何とかしなければいけないと、「マギ・インテルフェクトル」を"CADで"発動した。
「――!?」
ㅤ起動式が、砕け散る。想子の奔流に掻き消されたのだ。
「使うだろうと思っていたさ」
ㅤ坦々とした声で、達也はおれにそう言った。
「どんなに強力な魔法であろうと、起動式の露出は避けられない。現代魔法師は、そのルールに縛られている」
「そうだな。だが、それを回避する方法もあるぜ」
ㅤおれはCADでの発動と並行して、魔法式の構築を行なっていた。もうそろそろ発動できるだろう。
「あぁ、自力で魔法式を組み立てることだ。でも――無意味だろうがな?」
「は?」
「このフィールドでは、深雪が領域干渉を敷いている。故に、魔法そのものが存在できない」
ㅤ笑いたくなった。彼は、勘違いをしている。自分の妹が、兄を信頼している故のミスがあるというのに。
ㅤ確かに、深雪は今持ち得る全てのリソースを領域干渉に割いている。息も絶え絶えで、今にも倒れそうな顔。それでも、CADに手を添え続けている。覚悟を背負ったそのパワーを前に、リーナですら魔法を抑えられていた。
「そうはいかないぜ! 残念だったな!」
ㅤおれの得意魔法が、達也の無意識領域と意識領域を分断する。ルートを魔法式が通ることが不可能になり、イデアへ投影することが出来なくなる――実質的に、魔法師は魔法師でなくなるのだ。
「何故……?」
「お前の妹は、無意識のうちに……領域干渉の選択から外していたんだ」
ㅤ達也が魔法を使えなくならないよう、普段から深雪は気をつけていたのだろう。今、それが仇となった。
「あ、あぁっ……! 私は、なんてこと……」
ㅤ深雪の顔が絶望に染め上げられた。事実に耐えられなくなったのか、彼女はヨロヨロと地面へ膝をつく。
「深雪! ……深雪!」
ㅤ達也が慌てて駆け寄り、妹の名を何度も呼んで身体を揺すった。おれ達はそれを尻目に、その場を去る。長居は無用だった。
ㅤタワー近くにいる警官隊などにバレないよう、認識阻害を使って脱出する。いつのまにか、瑠綺は居なくなっていた。
「ねぇ、ヨルヒサ……ワタシ達、どうすれば良いのかしら。魔法師を貶めようとする相手もまた、魔法師だなんて……」
ㅤ帰り道。夕食を買って帰る道中、リーナがおれに尋ねてきた。
「……おれも、まだどうしたらいいか分からない。けど、一つだけ言えることがあるぜ」
「なに?」
「なんか、大丈夫な気がするんだよな。今のおれは1人じゃないから」
ㅤ彼女は微笑み、「そうね」と言う。
ㅤもう日が沈みそうだ。どちらか言い出すでもなく、家まで早足で進む。
ㅤそして、その裏で……魔法師排斥運動は加速していく。東京オフショアタワー崩壊は始まりに過ぎなかったのだ。