ㅤ数日後。深雪は、達也の魔法科高校退学手続きを代理で行っていた。もちろん、兄が嫌な思いをして欲しくないと思ったからである。
ㅤ彼女は事務室を訪れ、職員に達也のIDカードを差し出す。あっさりとした態度でそれを受け取る職員。去年にあった激動の出来事など、忘れてしまったかのよう。自分にとっては忘れることなど決してあり得ない兄の偉業も、他人だとこんなものか……深雪は悲しくなった。
「――深雪っ!」
ㅤ今日は、入学式の打ち合わせもしなければならない。仕事を投げ出す訳にはいかないけれど、なんだか気分が重かった。それでも、自分を奮い立たせて生徒会室へと向かう。
「雫……それに、ほのかも」
ㅤ既に先客が居た。しかも、今一番会いたくない二人。案の定、彼女らは暗い顔で深雪に謝罪の言葉を述べた。
ㅤとはいえ、これが初めてではない。数日前にも、雫の父親である北山潮を含めて、深雪達の下へ謝罪に訪れていた。
「本当にごめんなさい。私が達也さんを誘ったせいで、こんなことに……」
「待って! 私が達也さんに来て欲しくて、強引に誘ったから……責めるなら、私も!」
「……ううん、貴女達は悪くないの。少しもよ」
ㅤ全て、私のせい。
ㅤ深雪は誰かに懺悔したかった。でも、言える訳がない。四葉が消え去った今、逆に四葉の血縁を明かすことは危険だ。そんなことくらい、分かっていた。
ㅤ自分の罪を数えてくれる人は、どこにもいない。達也すら、深雪を責めなかった。優しさが逆に、心に鋭く刺さる。
「だけど……」
「お兄様を哀れむのはよして。全てを失った訳じゃないのよ」
ㅤ夜久の「マギ・インテルフェクトル」は、人の無意識と意識の間にある領域を分断する魔法だ。つまり、事故などによる一般的な魔法技能喪失とは少し違う。
ㅤだから、達也は未だに「精霊の眼」や想子を操る無系統魔法は使える。それどころか、「人造魔法師実験」の為に意識領域に後付けされた仮想魔法演算領域は健在。ルートを介さないまま、魔法式をエイドスに投影するからだ。
ㅤ要は、彼が魔法科高校を退学する必要は無かった。学校で「分解」や「再成」を使うことなんて稀なのだから。このまま魔法工学科に進んでも、支障なんてあるはずもない。けれども、そうしなかった。
「本当はね、お兄様は高校なんか通う必要無かったのよ。私が寂しいから、付いてきて欲しかったの」
ㅤ事実とは少し、違う。
ㅤ達也は妹の為に生きなければならなかっただけだ。「分解」と「再成」という魔法ゆえに。神の如き力を持ってしまったせいで、息苦しい生き方を強いられていた。
ㅤけれども、それら無き今。達也を縛る必要はどこにもない。真の意味で、兄妹は互いに解放されたのだ。
「でもね、そろそろ……兄離れをする時期なのかも」
ㅤそれこそが、深雪から兄への精一杯の罪滅ぼしだ。
「実は……お兄様はね、魔法大学に飛び級するの」
「え?」
「どういうこと?」
ㅤキョトン、とした顔をする雫とほのか。
「書き溜めていた論文を送ったら、すぐに入学許可が下りたそうよ。さすがは、お兄様だわ」
ㅤ自分に言い聞かせるように、深雪は二人に告げた。死すら超越する力が無くとも……敬愛すべき兄なのだと。
「すごい!」
「達也さんって……ほんと、私達よりもいつも上を行くよね」
「えぇ。だから……気にせず、仲良くしてね」
ㅤ深雪は二人に微笑みかけた。
ㅤ兄を解放した今、彼女は自分の生き方を見失っている。残された高校生活は、改めて自身を見つめ直すいい機会だ。そう思いつつ、新入生のデータを端末から引き出した。
◆
ㅤ案の定と言うべきか、魔法師排斥運動は日に日に進んでいる。反魔法的な内容の記事は毎日のようにネットに出ている上、ワイドショーなどの番組も魔法師批判にシフト。
ㅤ挙げ句の果て、親魔法師派国会議員の収賄疑惑――七草家縁者から多額の献金を受けていたというニュースが世間を騒がしていた。
「――ですから! すぐにでも七草家を糾弾すべきなんですよ! 一条先輩には、正義感ってものが無いんですか!」
「馬鹿! 疑惑の段階で抗議文を出してみろ! もし事実でなかったら、大変なことになるんだぞ!」
「七草家ですよ! 絶対やってるに決まってます!」
ㅤ将輝に詰め寄るのは、師補十八家・七宝家長男である七宝琢磨。彼は三高への入学を予定しており、金沢まで引っ越してきていた。将輝も今まで面識こそ無かったものの、後輩になるのだからと積極的にサポートをしてやることにしたのだ。
ㅤ今日も将輝は自室に琢磨を招いて、高校で習う内容を先取りして教えてやっていた。
ㅤ七宝家の本拠地は都内近く。それなのに、琢磨が三高を受験した理由は夜久にあった。
ㅤ例の「七草家と正面切って戦い、第一高校を退学処分された」話を聞き、彼は色めきたった。自分も一高を入学してすぐ七草家に喧嘩を売ろう……そして、退学処分を受けよう――そんな風に彼は考えていた。
ㅤ息子のめちゃくちゃなアイデアを聞き、七宝家当主の拓巳は流石に仰天。「それなら最初から三高に行け」と叱り付けたのであった。
「絶対、勝手に七草家宛の手紙とか送るなよ! お前の親父さんからも、『しっかり見張っておいてくれ』と頼まれてるんだからな!?」
「……っ、親父が!?」
「当たり前だろ! 入学前から一高退学を検討する息子、心配で仕方ないに決まってる!」
ㅤ将輝が琢磨の説得に骨を折っていた時、乱暴めなノックの音が。
「……将輝っ! 大変なものを見つけたんだ!」
「吉祥寺先輩!」
「ジョージじゃないか。どうしたんだ?」
ㅤ血相変えて走り込んできたのは吉祥寺。ただならない親友の様子に、将輝も意識を切り替える。
「研究所に残っていた武倉の遺品を整理してたら……。こんなものが見つかったんだ」
「手紙?」
ㅤ吉祥寺の手には、白い封筒が。「第三高校のエース達へ 武倉理澄」と汚い丸文字で書かれている。この筆跡は、間違いなく理澄の書いた文字だ。
「武倉理澄って……少し前に金沢で起きた魔法師によるテロでMIAした、あの人ですか?」
「あぁ、実は四葉家縁者でな。アイツがいなくなるギリギリまで、知らなかったことだが」
「変わった奴だったけどね。よく学校も休んでたし。今考えれば、四葉の何かしらに関わっていたんだろう」
ㅤ将輝と吉祥寺は友人のことを回顧した。本音でぶつかることは最後まで無かったけれど、短い期間ながらも思い出は多く残っている。
「けど、その四葉も今はどうなっているのか」
「お家騒動があった、っていうのが専らの噂ですよね。本当なんですか?」
「あぁ、お前は知らなかったか。せっかくだし……」
ㅤ夜久は四葉真夜の息子であること。そして、それによって四葉家の継承を発端とした何がしかの問題が起き、崩壊が起きたのだろう。そんな推測を将輝は琢磨に語る。
「……けれど、崩壊って言ったって。四葉家を継ぐことができる人は誰もいないんですか?」
「実際、やろうとしたさ。けれど、圧力がかかった……」
「圧力?」
「親父が言うにはな。詳細は知らん」
ㅤ将輝は話しつつ、手紙の封を破って開けた。吉祥寺と琢磨が横から覗き込む。
「これは……」
「武倉が研究してた『魔法式構造のパターンと変則』に関連するものだ。基本コードの研究を進める為に、アイツは魔法式記述の酷似する部分をAIで自動認識させるシステムを作っていたんだ」
「そんなことできるんですか?」
「従来は無理だった。魔法式の文法は変則が多くて、似てる部分なんて殆ど無いから。基本コードが中々見つからない理由も、それだったんだけど……」
ㅤ理澄の開発したシステムは、大雑把に似ている部分を集めて効果を逐一確かめ、それらをカテゴリ分けすることで作成したものだ。
ㅤ四系統八種全てを網羅することはまだできていないが、「加速・加重」「収束・発散」といった比較的単純な魔法は同システムで解析可能であった。
「いわば、基となる魔法式の共通部分を自動認識して、スーパーコンピュータで変数を書き込む。エイドス上で処理されたそれを、魔法演算領域で一部待機させて『ループ・キャスト』で連続して発動させる。それによって、単純な魔法でも出力を飛躍的に上昇することができる……!」
「待てよ? 『ループ・キャスト』ってフォア・リーブス・テクノロジーの秘匿技術じゃないのか? それをどうして……あっ!」
ㅤ文面に目を通すと、「四葉にデータが置いてあったからパクった」との記述が。
「四葉が盗んだのか……」
「あるいは、実はFLTが四葉傘下か」
「でも、あそこも大量の変死体が出たとかいう噂ありましたよね? あり得る話じゃないですか?」
ㅤ仮にFLTが四葉の関連企業なのであれば、何か第四研に繋がる研究データを入手することができるかもしれない――「死」の魔法師工場とまで呼ばれた、魔法技能師開発第四研究所。機密性が高いという理由で、未だ一切情報が明かされていない。
ㅤ少年らしい好奇心を刺激され、3人は顔を見合わせて頷き合った。
◆
「……忖度するだろうから、逮捕とかは無いだろうな。だが、そのせいで更に炎上する」
ㅤ十師族・七草家の収賄疑惑。十中八九、事実だろう。とはいえ、何とか有耶無耶にする筈だ。少々無理があろうとも、十師族ならできてしまう。
ㅤ寝転びながら端末で情報サイトを見ていると、隣で寝ていたリーナが何かを思い出したように言った。
「ナッツが言っていたわ。親魔法師派の議員を暗殺してくれ、って依頼が相次いでいるって。断ってるらしいけど」
「断っている、ということは……昔からの取引相手ではないのか?」
「素人も素人、完全な一般人。どこかから噂を仕入れて、ネット経由で依頼してくるの」
ㅤそれは、なかなか興味深い話だった。
ㅤ魔法師に対する反感がかなり伝播しているということ。けれども、魔法師そのものに対する恐怖は未だあるということ。これらが、「殺し屋に依頼する一般人」というアンバランスな事態を生んでいる。
「正義感、なのかね?」
「そうでしょうね。歪んでいるけど」
「亜貿社みたいな裏社会でもマトモな所は、まぁ動かないだろうが。けど、魔法関係者殺しを請けるのも出てくるんじゃないか?」
ㅤ今までの勢力図を無視して、殺し屋稼業に参入してくる団体が増えそうである。何なら、魔法師による魔法師殺しも。
「あとは、素人に武器を売る人間とか? どんどん治安が悪くなっていくわね。――でも、日本国内でこんなことしてて……大丈夫なのかしら? 他国に付け入る隙を与えるんじゃないの? そうなったら、あちらも困るんじゃないかしら」
ㅤお前が言うか、というツッコミを入れたくなったが、その言葉の代わりに説明をしてやることにした。
「策はあるんだろう。アイツら、手だけは長いからな。『妖』を海外に放ったりするんじゃないか」
「アヤカシ? デーモンとか……ゴーストとか、そんなののこと? あっちにもエクソシストくらいいるわよ。どうしようもなければ、スターズも協力要請くらいするんじゃない」
「デーモンを祓うエクソシストか。現代魔法学で考えれば、似たようなカテゴリに分類されるだろうけど……古式系の厄介なところは、『約束』の存在だ。ルールを知っていれば単純なシステムも、分からなきゃどうしようもない」
ㅤ要は、伝承を理解していなくてはならないということ。そうでないと、余計に拗れる場合が多いだろう。しかも、派閥が多く分散しているので判断が非常に難しい。
ㅤ他のアプローチ――例えば、現代魔法でも対抗できないことはないが、それも一握りの強力な魔法師のみだ。
「詳しいのね。意外」
「四葉時代は、スポンサー側に付いていたからな。それなりに事情は知ってる」
ㅤおれを嫌うお母様に代わり、四葉家内の立ち位置を東道青波が保証してくれていた。一族内の不和を抑える必要性があったのもそうだが、自分のルーツにも理由があった。
ㅤ不安定な冷凍卵子の受精率を上げる為か、精子はナチュラルなもの――十六夜家縁者の精子を使用したらしい。この家だけは、先祖を遡っても遺伝子操作の例が一度も無いからだ。
ㅤつまるところ――おれには、十六夜の血も流れている。
「その、スポンサーっていうのは一体何? ずっと気になってるのよ」
「正式名称は、『元老院』。人ならざるモノを封印・管理する集団だ。その特殊性ゆえに表に出ることは無いが、一部の権力者とは密接に結びついている。いわば、裏の支配者という感じだな」
「……アニメの設定みたいだわ」
ㅤリーナが苦笑いする。確かに、話だけ聞けばそう思うのも当然だ。
「そういう奴らだからこそ、政治工作は十師族なんかよりも上手い。現代魔法師の奴隷化もすぐそこまで迫ってるな」
ㅤおれはそう言いつつ、近くにあった袋に手を伸ばした。昼食代わりのポテトチップスが入っていたはずだ。
「言ってることの割に、呑気ね」
「未だ利用されてたのは癪だが、こうなればどうしようもないからな」
「自衛するしか無い、ってことね」
「一番良いのは、スポンサー側につくことだけどな」
ㅤポテトチップスを口に放り込む。人工的な味わいが舌先を刺激する。
「どういうこと? ヨルヒサも聞いたじゃない。あの男の言葉……」
「十六夜瑠綺の奴は、過激なことを言っていたが……魔法師管理の締め付け具合は、派閥によってバラバラの筈だ。多分、アイツは樫和派の人間だろう」
ㅤ元老院のシステムには、四大老というものがある。簡単に言えば代表者で、発言権が特別強い4つ家の当主が担う。
ㅤその一人である東道青波がおれに協力していたのは、十六夜家を子飼いとする樫和主鷹に対抗する為。歴史は浅いものの強力な魔法師である四葉と、血統が長く続いている十六夜。その両方の血を継ぐもの。おれの存在は、彼にとって都合が良かったのだろう。
ㅤ古式魔法師の復権が叶った後、四大老の誰が主導権を握るのか――結局は、政治の話なのだ。
「だから、葉山さんがおれを呼び戻そうとしてるんだ。ただ……お母様に会うのもなぁ」
ㅤ手についた粉を舐め取り、おれはため息をつく。
「――本当に、それでいいの?」
「え?」
ㅤ思いもよらぬ言葉に、おれは固まらざるを得なかった。
「このまま、成り行きに任せるだけで……いいの? 」
ㅤ返事に詰まってしまったおれを見つめ、リーナは真剣な表情で言葉を重ねた。
ㅤ何だかずるい、と思う。何も分からなさそうな顔をして、おれが本当にやらなきゃいけないことを教えてくる。
「魔法をお母さんに褒めて貰いたいんでしょう? その為に、ヨルヒサはこんな世界で諦めずに生きているんじゃないの?」
ㅤだって、ワタシ達って死んだ方が楽じゃない――彼女はあっけらかんと言い放った。
「うん……だけど、おれのことを忘れてる」
「でも、貴方のお母さんに変わりは無いじゃない。今みたいに逃げて、逃げて……それでいいの? 向き合う勇気が無いからって」
ㅤ黙り込んだまま、おれは宙を睨む。
ㅤやるべきことは、もう分かっていた。こんなことをしていても仕方ない、ということくらい理解できる。
ㅤもはや、一歩前に踏み出すしかないのだ。