ㅤフィールドから退場した後、すぐに天幕テントに戻る気にもなれずにいた。何というか、余韻をまだ大事にしたかったのだ。
ㅤ適当に歩き回っていると、キッチンカーが並んでいる場所に行き着く。その近くには、一人アイスクリームを食べている知人――つまり、理澄が居た。
「何してんだよ」
「見たらわかるでしょ。アイスを食べてる。僕、チョコミントが好きで」
ㅤ聞いてもいない味の好みを言って、彼はスプーンを口に運ぶ。ちなみにおれは、その味は嫌いだった。歯磨き粉の味がするのだ。
「あっ、ちょっと。これ持って」
ㅤ食べかけのアイスを手渡してきた。おれは無言でそれを持つ。すると、彼はCADを操作して、遮音フィールドを構築する。フィールドを作ってすぐ、アイスをおれの手からひったくった。
「優勝できたね。十文字の『ファランクス』を破るとは。流石にもう無理かと思ってた」
「まぁな。人間、やれば何でもできるらしい」
「今頃、師族会議は大騒ぎだ。どの家も必死になってお前の素性を探っているだろう……四葉以外は」
ㅤ彼はそう言いながらも、アイスを食べるペースは落とさない。掬っては食べ、である。
「ふーん」
「それで、だ。ヤクの十師族をぶっ倒すという"大活躍"によって、御当主様も色々考えたみたい。今、ここに2つの道が開けている」
ㅤ理澄は思わせぶりな口調でそう言い、おれの目の前で二本の指を振った。
「一つ目はある意味、朗報かもね。津久葉夜久を『現四葉当主の息子、および次期当主』と公表する道……」
「公表!? 本当に……?」
ㅤ涙が溢れそうだった。
ㅤお母様はおれを見ていたのだ。息子として……もしかしたら、もう一度最初からやり直せるかもしれない。
「出自を隠さないということは、これからは存分に目立っていいということだよな?」
「今までも散々好き勝手だった気はするけどね」
ㅤ非常に彼は何か文句を言いたげではあったが、おれは気に留める事はなかった。
「一応、二つ目も教えておくよ。『十文字を倒したのは偶然、と言い張って普通の生活を続ける』という道。まだ時間はあるから、ゆっくり選ぶといい」
ㅤ選ぶまでもないだろ、と言い返す前に彼はスタスタと去って行ってしまった。消化不良の気持ちを残したまま、おれはそこに立ち尽くす。
「――津久葉! やっと見つけた! 何で戻ってこないんだよ!」
ㅤ不意に、おれの名を呼ぶ声が。振り向くと、一条がそこには居た。
「一条、何してんだよ? 主役はちゃんとテントに居ろよ」
「その主役を探してこい、と先輩に追い出されたんだよ。今日の主役は……津久葉、お前だろ」
「おれ?」
「当たり前だ。優勝の大貢献者なんだから。ほら、行こう。三高のみんなが待ってる」
ㅤさらりと言われた言葉が衝撃的だった。
ㅤ家名を出さなくとも、ナンバーズでなくとも、「夜久」という個人に価値を見出してくれる誰かは存在するのだと。
ㅤ自分は一体、何者であるべきなのか。このまま、おれは「四葉夜久」を選んで、良いのだろうか。急に迷いが浮かんだ。先程まで、迷うことは一つもなかったのに。
「……あぁ。そうだな」
ㅤ東道閣下、または「スポンサー」達は、きっと四葉の道を望むだろう。四葉家内でのおれの立場が安定することで、干渉をさらに強めることができる。彼らが目指す「秩序」の構築も進んでいくことだろう。それは自分自身も願っていたこと――けれども、"そんなもの"の為に今を手放してしまう?
◆
ㅤ夕方の閉会式。三年生達に続いて、おれ達三高生はぞろぞろと会場に向かう。三高は優勝校だからか、他校生が気を遣って道を空けてくれた。やはり、優勝は良いものである。
「――津久葉……少しいいか」
ㅤそんなパーティーを楽しむ気持ちに水を差してきたのは、少し前に雌雄を決したばかりの十文字克人だった。
「スカウトとかならお断りだ」
「いや、少し話したいことがあってな。場所を変えよう」
ㅤ強引な男だ。ちょうど持っていた炭酸ジュースのグラスを投げてやろうかと思ったが、一応思いとどまる。近くに居たウエイトレスにグラスを渡し、おれは十文字の後ろに続く。会場の外、庭の人気の無い場所で彼は足を止めた。
「つまらない話ならすぐに帰る」
「案ずるな。すぐに済む」
ㅤホテルの広い庭に、今はおれ達しか居ない。ホールから聞こえる微かなBGMが、寂しさを感じさせる。
「――津久葉。……お前は、十師族だな?」
ㅤ短いそれには、言葉以上の圧力が込められている。だが、おれは屈しなかったし、屈する必要もなかった。
「もし、おれが十師族だとしたら……。貴方が格下の魔法師に負けた、という事実を誤魔化すことができる。そんな事の為に、そもそもあり得ないような質問を?」
「……いや、違う。お前は俺に勝った。最強の魔法師の一角を担う十師族に、お前は勝利したのだ……。――それ故、お前も十師族という立場に立たなければならない」
「ふーん。見合いの斡旋か。お節介なことで」
ㅤおれは肩をすくめた。やっぱりつまらなかったじゃないか。もう帰りたい。
「例えば、そうだな……。七草なんか、どうだ?」
「正気か? 七草に一高を追い出されたのに?」
「お前を受け入れるとなれば、七草家が折れる形になる。悪い話ではないだろう」
「……断る」
ㅤ考えるまでもなかった。おれは四葉で無いと嫌なのだ。十師族に価値は何にも見出していない――その答えが浮かんだ時、自分の中の矛盾に気付いた。
ㅤおれは、十師族になりたい訳じゃ無い。お母様に愛して欲しいだけだ。形だけの「息子」になって、自らの望む未来はあるのだろうか?
「そうか。気が変わったら、いつでも言ってくれ」
ㅤ彼はそう言い残し、去って行った。勝手な奴だと思いつつ、おれも会場へと戻る。そして、三高生の皆が集まっている場所へ向かって歩き出す。
ㅤもう、答えは決まっていた。
◆
「――えっ、やっぱり四葉バレはしないことにした? どういう風の吹き回し?」
ㅤ九校戦、および夏休み明けのこと。三高の適当な空き教室に理澄を呼び出し、結果を伝えていた。
ㅤ結局、おれは四葉真夜の息子であることは公表しないことにしたのだ。このまま魔法師コミュニティに紛れ、普通の魔法師として生きる。つまり、今の人生を受け入れようということ。何だか、それも良い気が今はしていた。
「あぁ、なんか文句あるか?」
「無いけど……なんなら、割と好都合ではある。カバーストーリーを作らなくて済むから。それに作ったからって、みんなにそのまま信じてもらえる訳じゃ無い。色々と工作が必要なんだ」
ㅤなるほど、「四葉夜久」としての知り合いだったなら、どういう出会いをしたのか誤魔化すことが彼には必要だった訳だ。
「こっちは逆に色々あったけどな」
ㅤおれは東道閣下との共闘関係が解消されたことを理澄に告げた。彼はそれらの事情を全て聞いたあと、納得したように頷く。
「なるほどね、お前が達也と同じ立場になっていなかった訳だ。それほどに『精神構造干渉』を、スポンサー様も手元に置きたかったと」
「それだけじゃない。あの人達は『魔法師コミュニティの一元化と、それによって政官財システムの全てを一手に掌握すること』を目的に動いている。けど……魔法師を纏め上げる題目が今のところ無い以上、単なる机上の空論のままだ」
ㅤだからこそ、スポンサーはおれを選んだ。
ㅤかつての「アンタッチャブル」のような――つまりは大漢崩壊時代のように四葉を暴走させ、既存の魔法師社会に反旗を翻す為の――苛烈さと軽率さを買われていたというだけ。
「まぁ、とりあえず……おれが四葉内での地位を蹴ったことでスポンサーとの関係は悪化。とはいえ、四葉の中でも問題は解決した訳でもない」
「最悪だね。どう考えても、選ぶべきじゃなかっただろ。ヤク的には」
ㅤそうだな、と頷く。だからこそ、これからのことには問題が山積みだった。
「……就職とかどうしよう。魔法大学は推薦でどうにかなるだろうが」
ㅤスポンサーの斡旋を当てにしていたので、このままだとワーキングプアの未来しか見えない。とはいえ、他のナンバーズの傘下魔法師になるのも癪だ。かといって、魔法と関係ない職に就きたくもない。
「非合法な仕事でもしたら? 暗殺とか。特に黒羽は仕事が多過ぎてキャパ崩壊寸前らしいし、いくつか横流しして貰えるように頼んであげるよ」
「要らん」
ㅤそんな馬鹿話をしている時、急に理澄の端末がけたたましく音を鳴らした。
「うるせぇな」
「いや、これは緊急用の着信音なんだけど……――!」
ㅤ画面を確認したあと、彼は急に顔を青ざめさせた。
「どうした?」
「……七草の狸、やりやがったよ――お前と御当主様のDNAを勝手に鑑定して、ご丁寧にも本家に結果を送ってきたそうだ!」
ㅤ端末をこちらに放り投げてくる理澄。それを見ると、確かにその旨が端的に書かれているメールが表示されていた。
「予想外過ぎる……七草だぞ? 四葉の情報保護システムを破れるとは思えない」
「正攻法じゃないんだろう。知ってる奴が知らない奴に教えるのなら、ハッキングも何も必要ない。どうせ、九島烈辺りだろう」
「九島烈が?」
ㅤ九校戦前のパーティーで何か挨拶をしていたことを思い出す。初手で精神干渉魔法をかましていたので、「変なジジイだな」とは思ったものの、それ以上のことは特に思わなかった。
「あの人、『可哀想で魔法が良くできる子供』が大好きだからね」
ㅤおれを見て「可哀想」と思うということは、ほとんどの事情を知っているということだ。
「多分、ウチ的には七草の捏造という形に着地させるだろう。それが一番都合が良いからね。ただ……あちらもそれが分かった上でカウンターを仕掛けてくるはずだ」
ㅤ恐らく、彼というか彼の実家が七草との交渉テーブルを握るのだろう。武倉は「交渉」を一番得意とする、四葉でも異色の家だ。
「師族会議でバラす、ってか?」
ㅤそう、と理澄は首肯した。
ㅤ嘘か本当かなどは、あまり関係がないのだ。疑惑さえあれば、それを議論の場に持ち込めてしまう。
「それを避ける為に交渉するとして……きっと、ヤクと七草家当主の面会の場を設けるくらいはカードとして切らないと無理だろう」
「マジかよ」
「だって、こっちは四葉の縁者とは口が裂けても言えないんだから。『七草が一高から追い出したんだし、まずは謝罪しろよ』で押し切るしかない」
「……面倒だな」
ㅤ心を入れ替えて、真っ当に生きようとしたところでこのザマである。この世に神がいるとするならば、よほど捻くれているらしい。
ㅤ