メルギトスがアリーゼに召喚されてから一夜が明けた。
ベットから身を起こしたアリーゼが目をこすりながら部屋の中を見渡すが、メルギトスの姿が見えない。
「あれ……メルギトス……まだ帰ってきてないんだ……」
「おや、遅いお目覚めですね。おはようございます」
アリーゼが呟くと、扉が開いてメルギトスが顔を見せる。
「遅い? ああっもうこんな時間……帰ってきているんだったら起こしてくれても……」
時計を見て慌てたアリーゼがメルギトスに抗議するが、彼は微笑を浮かべて受け流す。
「女性が寝ている部屋に入るわけにもいかないでしょう?」
「それは……そうですけど」
ちまいち納得が出来無いアリーゼだったが、メルギトスが顔を引っ込めて扉を閉じると支度を始めるのだった。
メルギトスとアリーゼが海賊船の食堂に入ると他の全員はもう揃っていた。
一番遅く起きたのはアリーゼだったようだ。
「あの……おはようございます」
「おう! おそかったじゃねぇか! って……後ろのソイツは誰だ?」
遅れてきたアリーゼに挨拶する体格のいい金髪の男は、少女の後ろからついて来た見たことが無い男に気が付いて疑問符を浮かべる。
「ヤダ、美男子じゃないの」
「うわぁ……ほんとに綺麗な人だ」
黒髪の男がヒューと口笛を鳴らす。
女性のような口調で喋る黒い髪の男と金髪の女性は、メルギトスの容姿に注目しているようだ。
「アリーゼ、一体どこでそんな美青年を捕まえてきたのよ」
「あたしたちにもその人紹介してよ!」
「えっ!? その……捕まえてきたとか……そういうのじゃなくて……その……彼は私の護衛獣なんです!」
一見ただの美形な男にしか見えないメルギトスの登場に興奮する黒髪の男と金髪の女性に詰め寄られるアリーゼは、迫る二人に押されぎみだ。
「護衛獣……? なによそれ。ヤード、知ってる?」
黒髪の男は召喚術には疎いようで、『護衛獣』という単語に首を傾げると灰色の髪の男へと顔を向けた。
「護衛獣とは召喚師が己の護衛や手伝いのために召喚する、いわばパートナーのような召喚獣のことですよ」
「へぇーこの男の人がパートナーかー」
「アリーゼ、あなた見かけによらず案外やるじゃない」
「も、もう! そんなんじゃないです!」
からかう二人と顔を赤くして否定するアリーゼのやりとりが終わると、それを見計らってメルギトスがアリーゼの隣へと進み出た。
「みなさん、はじめまして。アリーゼさんの護衛獣として召喚されたメルギトスと申します。お見知りおきを」
メルギトスが右ひじを曲げて綺麗にお辞儀をすると、堂に入ったその動きに海賊たちから感嘆の声が漏れる。
「メルギトスか。俺は海賊カイル一家の船長、カイルってんだ。よろしくな」
金髪の男はカイルと名乗り、メルギトスに握手を求める。
メルギトスは嫌な顔もせず、がっちりとした太い腕に自身の細い腕を差し出した。
「あたしはソノラ! 一味の狙撃主をやってるんだ。よろしくね」
金髪の女性ソノラは名乗るとメルギトスへ元気よく手を振る。
「それで、アタシがスカーレル。航海士兼ご意見番ってところね」
黒髪の男はスカーレルと名乗り、ウィンクをひとつ。
「私はヤード。レックスさんたちと同じく、カイル一家の客分です」
最後に灰色の髪の男ヤードが名乗ると、カイルが再び口を開く。
「アリーゼの護衛獣なら、メルギトスも俺たちカイル一家の客分だな。ようこそ、カイル一家へ!」
陽気な海賊たちに歓迎され、カイル一味の客分に悪魔王メルギトスが加わった。
海賊たちへの自己紹介と朝食を済ませたメルギトスはアリーゼの申し出で島内を案内されていた。
「この浜辺が、私が最初に流れ着いた場所なんですよ」
「その歳で海に投げ出されて、よく無事でいられましたね。あなたは運がいい」
「そ、そうですよね……もしかしたら今頃……」
アドニアス港からパスティスへと向かう定期船に乗っていたアリーゼとレックスは途中で海賊たちと嵐に襲われ、海へと投げ出された。
もしもこの島に流れ着いていなかったら、幼く体力のないアリーゼはどうなっていただろうか。
有り得たかもしれない自身の末路を想像したアリーゼは顔を青くしていた。
「醜い水死体になっていたかもしれませんねぇ。ふふふ……本当にあなたは運がいい。……おや、あれは……」
俯きながら『水死体』という言葉に身体を震わせるアリーゼを見ながら嗤うメルギトスは、遠方に何かを見つけた。
メルギトスの声に気が付いたアリーゼが顔を上げると、浜辺に何かが見える。
「あれは……人!?」
それが流れ着いた人間だと気が付いたアリーゼは慌てて駆け出す。
少女の脳裏には先ほどメルギトスの言葉が焼き付き、何度もこだましていた。
幸い、人影は水死体ではなく息がある人間だった。
か細い呼吸を繰り返す黒髪の青年を見て少女はホッと溜息をつく。
「生きてる……よかった……」
「ですが身体が冷えているようですね。かなり弱っているのではないですか?」
「えっと……そ、そうだ! リペアセンターに連れて行きましょう」
青年に触れたメルギトスが体温を確認すると、アリーゼはホッとしている場合じゃないとあわあわと思考を巡らせ、この島の医療施設を思い出す。
アリーゼに青年の運搬を頼まれたメルギトスは主人の案内で機界集落ラトリクスへと向かうこととなった。
機界ロレイラル出身の召喚獣たちが暮らす集落、ラトリクス。
自然が多くあるこの島において、鋼鉄製の建造物が乱立する地区の一角にリペアセンターはあった。
「お預かりした患者は衰弱がみられるものの、生命活動に支障をきたすものではありません。このまま安静にしておくべきです」
「命に別状はないんですね……よかったぁ……」
看護用の機械人形<フラーゼン>のクノンに青年の容態を告げられたアリーゼは今度こそ安心できたようで、大きくため息をついた。
「あの青年はこちらで様子を見るわ。……ところで、そこのあなたは初めてよね?」
「ああ、申し遅れました。私はメルギトス。アリーゼさんの護衛獣として召喚されました」
「護衛獣、か……ごめんなさい、私も名乗らないと失礼ね。私はアルディラ。このラトリクスの同朋たちを纏めている護人よ」
かつてハイネル・コープスという人物の護衛獣として召喚されたアルディラは、護衛獣という言葉に思うところがあるのか、目を細める。
どこか昔を懐かしんでいるようなアルディラに居心地の悪さを感じたアリーゼは、メルギトスの手を引くとリペアセンターを後にした。
「(彼に憑いていたのはほぼ間違いなく病魔。これはまた面白いオモチャを見つけてしまいました。アリーゼさん、本当にあなたには感謝していますよ。あなたといると退屈しない)」
自身の手を引く少女の背を見ながら、悪魔は嗤う。
サプレスの悪魔王はあの青年に憑依している病魔を見抜き、彼の抱える事情を察した。
彼は弱って死にかけていた? とんでもない。
あの青年は恐らく死にたくても死ねないのだとメルギトスは推測する。
だがそれを口には出さない。アリーゼたちに教えない。
なぜならきっと──そのほうが面白いから。
メルギトスの手を引いたまま歩くアリーゼは次の集落に辿り着く。
緑が生い茂る森と、所々から生える水晶。
およそ人が暮らす場所ではないそここそが、精神生命体であるサプレスの者たちが暮らす霊界集落・狭間の領域。
「おや……ここは?」
「サプレス出身のみなさんが暮らしている……狭間の領域です。メルギトスもサプレスの召喚獣だから喜んでくれるかなって……」
「なるほど……確かに居心地がいいですね」
ありがとうございます、とメルギトスが微笑むとアリーゼも笑顔を浮かべる。
サプレス出身のメルギトスならと思ってここに連れてきたのは正解だったようだ。
アリーゼと向かい合ってにこにことしていたメルギトスだったが、突如腰にぶらさげた剣の柄に手を添える。
柄と剣が擦れる音と共に凶器を抜き放つ。
その剣は先日帝国兵から奪った、軍で正式に採用されている剣。
「メルギトス? なにを──」
人の命を奪える武器を取り出した護衛獣に戸惑うアリーゼだが、メルギトスは相変わらずの笑顔だ。
「居心地がいい場所ではありますが……どうやら邪魔者がいるようですね!」
その剣はアリーゼには振り下ろされず、即座に後ろ振り向いたメルギトスによって先ほどまで背後だった空間に振るわれた。
そしてその剣は金属どうしがぶつかる音と共に、もう一つの剣と組み合う。
もう一つの剣の主は、長い金髪の男だった。
「悪魔め! この狭間の領域に何をしに現れた!?」
「天使……いや、堕天使ですか」
「どうしていきなり攻撃するんですか!?」
「お嬢さん、離れてください。そいつは悪魔です! ファルゼン様の副官フレイズ、悪魔にこの場所を汚させはしない!」
「堕天使如きが私に挑みますか……実に不愉快です。あの忌々しい天使を思い出してしまいますよ」
フレイズと名乗った金髪の天使はアリーゼに警告しつつも、メルギトスへと強い敵意がこもった視線を向けている。
銀髪の悪魔と金髪の天使の間に緊張が走り、一触即発にみえた。
「悪魔でもメルギトスは私の護衛獣です! だから……やめてください!」
「……は? 護衛獣……? いや、それより……メルギトス!?」
二人を止めるため、アリーゼは懸命に大声を上げた。
その声の内容に驚きの声を漏らしたのはフレイズだ。
「わかったらもうやめて──」
「よくわかりましたよ。尚更引けないと言うことがね」
フレイズはより強く剣を握る。
メルギトスの名を聞いて、刺し違えてでも目の前の悪魔を倒そうと決意をしていた。
「どうして!?」
「お嬢さんは知らない様なので教えましょう。メルギトスはサプレスでも有名な悪魔です。もっとも狡賢い悪魔の王として!」
「悪魔の……王? メルギトスが……?」
メルギトスが悪魔王であると知らされたアリーゼは呆然としていた。
「おや、知られてしまいましたか。予定よりもずいぶんと早くばれてしまいましたねぇ」
「魔王メルギトス。それがそいつの正体ですよ」
当のメルギトスは予定がズレてしまったようで、少し残念そうだ。
そしてフレイズは念を押すようにもう一度メルギトスの正体を告げる。
次にアリーゼが口を動かすのをメルギトスは楽しみにしていた。
自分の護衛獣の正体が魔王だと知った少女はどのような反応を示すのか。
そしてついにアリーゼの口が開かれる。
「悪魔の王……メルギトスは王子様じゃなくて王様だったんですね」
「……は?」
「あっはははははははは!!!! アリーゼさん、あなたは本当に……ひひひ」
少女言葉への反応は、意味が分からないと言いたげな疑問符と爆笑。
「お嬢さん、意味を理解していますか? メルギトスは魔王なのですよ?」
腹を抱えて笑い出したメルギトスを視界に収めつつも、フレイズはアリーゼを見つめて問う。
「悪魔の王様なんですよね? メルギトスがとっても偉い悪魔だってわかりました。……でも、メルギトスは私の護衛獣……パートナーなんです」
サプレスで悪魔と戦い続けたフレイズと、結界が張られて異界からの侵略を受けなくなった現代のリィンバウムに生きるアリーゼではそもそもの認識が違う。
アリーゼにとってはメルギトスが初めてあった悪魔であり、魔王という存在がどれだけ高位の存在であるかも知らない。
フレイズと同じ認識をアリーゼに求めること自体が間違いなのだ。
「あなたは魔王の脅威を認識していない! いくら護衛獣とはいえ……護衛獣……? メルギトスが……魔王が護衛獣!?」
「……さっきもいいましたけど……」
メルギトスの名ばかりに気を取られていたフレイズは自分で口にすることで、ようやく護衛獣という言葉を認識したようだ。
「一体どういうことですか!?」
「言葉通りの意味ですよ。アリーゼさんがこの私──メルギトスを護衛獣として召喚したということです」
「魔王を護衛獣に……? そんな話、聞いたこともない……」
「だからこそ面白いのですよ。彼女はとんだ番狂わせですからねぇ」
あの悪魔王メルギトスが人間の少女の護衛獣になっているという事実を受け止められないフレイズが口をぽかんと開けていると、突然近くに雷が落ちる音がした。