雷の原因はサプレスの魔精タケシーだった。
泣きわめく黄色く丸い雷精霊は傍迷惑なことに、周囲に雷をまき散らしている。
「ゲレッゲレレ……ゲレレェェーン!!」
「あの子……どうして泣いているんだろう? メルギトス、聞いてみてもらってもいいですか?」
「おやすい御用ですよ」
降り注ぐ雷を気にもせず、メルギトスがタケシーに近づいて話しかける。
流石王様だなとメルギトスの胆力にアリーゼが感心していると、メルギトスとタケシーがリィンバウム語とは違う言語で会話を始める。同じサプレスの住人であるメルギトスにはタケシーの言葉が分かるようだった。
アリーゼからしたらよくわからない言語で話していたメルギトスはやがて会話を終えると、現在誓約を結んでいる主人の元に帰ってくる。
「それで……なんて言っていたんですか?」
「住処を他の召喚獣に襲われて奪われたようです。彼は落ち延びて泣いていたようですね」
「ゲレレェ……」
タケシーがメルギトス、アリーゼ、フレイズに縋るような目を向けると、フレイズが白い翼を広げた。
「フレイズさん?」
「こうして助けをもとめられたんです。私がその召喚獣たちを追い払ってきます」
「ただの縄張り争いでしょうに……よくあることではないですか」
「彼らにとっては『よくあること』では済まないと分からないのか!?」
正義感を燃やすフレイズを呆れたように見るメルギトス。フレイズはタケシーたちの身に怒ったことを『よくあること』と吐き捨てたメルギトスを睨むと、翼を羽ばたかせて奪われたタケシーたちの住処へと向かっていった。
「分かっていないのはどちらなのやら。天使特有の正義感と欺瞞……反吐が出ますね」
「ギシャアアアア!!」
それから少しして、フレイズが向かった方向から複数の咆哮が響いてメルギトスたちの耳に届く。
その数は三や四ではすまない。
「私たちも行かないと……」
「我々が行く必要はないでしょう? 彼はあんなにも自信満々に飛び出していったではないですか」
フレイズが向かった元タケシーたちの住処へ行こうとするアリーゼをメルギトスが押しとどめる。
「……メルギトス」
「なんです? まさかあの堕天使を助けろと?」
「お願いできませんか?」
「嫌ですよ。悪魔の私が堕ちているとはいえ天使を助けるなど」
少女の願いは護衛獣が首を横に振ったことで却下されてしまう。
「どうしても……ですか?」
「どうしてもです」
「……困っちゃいました」
もう一度頼み込んでも意志の変わらないメルギトスにアリーゼは眉を八の字にした。
「どうなさいますか? 私としてはこのまま帰るのをお勧めしますよ」
「困っちゃったので……仕方ないです。私だけで助けに行きます」
「何を言っているのですか? アリーゼさん一人だけで行ったところで助けになるどころか犠牲者が増えるだけでしょう」
フレイズを見殺しにする選択肢を提示したメルギトスに対してアリーゼが返した答えはあまりにも無意味かつ無謀な答えだ。
実戦で召喚術を使ったこともない、駆け出し召喚師アリーゼが護衛獣無しで増援にいったところで戦力にならない。
そして身を守るすべを碌に持たない少女ははぐれ召喚獣たちの手にかかり死んでしまうだろう。
「そうですね……私だけ行っても召喚獣たちにやられちゃいます。どこかに私を守ってくれる護衛獣さんがいたら助かるんですけど」
「……そうやって私を乗せる気ですか? 悪魔王を甘く見てもらっては困る。そんなに死にたければお一人で行ったらどうです?」
同行を拒否するメルギトスを気落ちしたように見たアリーゼは溜息をつくと、フレイズが向かった方向に走り出した。
そこかしこに水晶が点在する森の中を駆けるアリーゼの視界に少し開けた場所が見える。
奪われたタケシーの住処であろうそこにはフレイズを囲むキノコ型の召喚獣プチトードスの姿がある。
数の暴力によって不利になったフレイズはプチトードスたちに痛めつけられ、地に膝をついていた。
「フレイズさん!」
「なっ……お嬢さん!? 来てはいけない! 早く逃げなさい!」
プチトードスたちに敗れ、屈辱と痛みに顔を歪めるフレイズが警告するがアリーゼはそれに従わず、紫色のサモナイト石を取り出す。
レックスに教わったように落ち着こうと、深呼吸をして集中し始めるアリーゼ。
「ピコリット! フレイズさんを癒して!」
アリーゼの呼びかけに応えた小さな天使の力が傷ついたフレイズを癒す。
だが癒されたはずのフレイズの表情には焦りが浮かんでいた。
「お嬢さん! 後ろです!!」
「えっ……」
召喚術に触れたばかりのアリーゼの授業用に教えられたそれは、戦場で使うには悠長すぎた。
召喚術に集中していたアリーゼの後ろから接近していたプチトードスは、慌てて振り向こうとする少女へと腕を振るう。
「アギィィ!」
咆哮と共に振るわれた腕は少女の小さな体躯を打ち据えて、いとも簡単に吹き飛ばす。
「あああああああ!? ……痛い……痛いよ……」
草が生い茂る地面を転がったアリーゼが苦痛に悶える。
アリーゼを殴りつけたプチトードスが獲物へと歩き始めるが、少女の身体は言うことを聞かず、動かない。
ピコリットに癒されたフレイズがアリーゼを助けに行こうとするが、元々プチトードスたちに包囲されているのだ。
当然阻まれて命を奪われようとしている少女を助けに行くことは叶わない。
「くっ……行かせない気ですか……。主人の危機にメルギトスは一体何を……護衛獣になってもやはり悪魔は悪魔か」
「……メルギトス……助けて……」
プチトードスは既にアリーゼの目前まで来ていた。
か細く呟くアリーゼへ止めをさすべくプチトードスが再び腕を振り上げる。
自身の命を奪う一撃に怯え、アリーゼは目を瞑る。
だがその一撃は振るわれず代わりに──。
「ギュアアアアアアアア!?」
プチトードスの悲鳴がアリーゼの耳に届いた。
目を開けたアリーゼが見たのは腕が黒い炎に包まれて悶えるプチトードスと──。
「馬鹿ですか、あなたは」
プチトードスの頭に剣を振り下ろして絶命させるメルギトスの姿だった。
「メルギトス……来てくれた」
「何故こんな無茶をしたのですか? 私が来なかったらあなたはあのまま死んでいたのですよ」
横たわるアリーゼを見つめるメルギトスは心底わからないといった風に言う。
「信じてたから……王子様が助けに来てくれるって」
「……またそれですか。先ほど聞いたでしょう? 私は王子ではなく、悪魔たちの王だと」
「こうやって助けに来てくれたじゃないですか……だから私にとっては王子様です」
「度し難い……よくもこんな状況でそんなことが言えますね。その度胸だけは認めましょう」
そう言ってアリーゼから視線を外したメルギトスはプチトードスと戦いを続けるフレイズを見る。
せっかくなのだから、この状況を利用しない手はない。
口元を歪ませるメルギトスは自身の能力を行使する。
黒い炎を出現させるその力は──フレイズの背後から襲いかかろうとしていたプチトードスの身体を焼いた。
「っ!? メルギトス!?」
「おやおや……あんなに偉そうな口を叩いておいてこのザマですか。この程度の実力で悪魔王メルギトスに挑もうとしていたとはお笑い草ですねぇ」
「くっ……」
「お優しいアリーゼさんのお願いで助けて差し上げますよ。嬉しいでしょう? 口だけの天使さん?」
「……」
「それとも悔しいですか? 天使が悪魔に助けられるなんてねぇ! あっははははは!」
魔王メルギトスが天使フレイズを煽る。その誇り高いプライドを踏みにじり、屈辱を与えるように。
フレイズが唇を噛んでメルギトスの言葉を耐える姿が悪魔に愉悦を与える。
その間にもメルギトスの剣がプチトードスたちを倒し、フレイズもまた悔しげにしながらもプチトードスの数を減らしていった。
そして最後の一体が崩れ落ち、ついには動けるプチトードスはいなくなる。
辺りを見渡して安全を確認したフレイズは一息つくと頭を下げる。その先にいたのは天敵であるはずのメルギトスだった。
「……感謝します」
「おや?」
「悔しいですが……助けられたのは事実です。それに、私を癒してくれたお嬢さんの命をお前は守った」
「案外素直に認めるのですね。面白くない……もっとくやしがってくれると思ったのですが」
「内心では腸が煮えくり返りそうですよ。だがこれは己の不甲斐無さへの怒りであってお前への怒りではありません」
「全く……生真面目過ぎてからかいがいがありませんねぇ……」
思ったよりも楽しめなかったと残念そうにしつつ、メルギトスは倒れたアリーゼへと近づく。そして小さな手の中に握られたサモナイト石を取ると、召喚術を行使した。
「ピコリット。アリーゼさんを回復しなさい」
さきほどのアリーゼが使った召喚術よりもよほど手際よく召喚された、霊界サプレスの小さな天使が傷ついた少女の身体を光で包む。
光が消えると、アリーゼの身体に出来た痣などがさっぱり消えていた。
「ありがとう、助けに来てくれて……メルギトスも召喚術が使えるんですか?」
身体から痛みが消えたアリーゼは立ち上がると、ぺこりと護衛獣に頭を下げる。
「召喚術を扱えるのは何も人間だけではありません。召喚獣でも知識さえあれば、召喚術を扱えるのですよ」
「そうなんだ……メルギトスも誰かに召喚術を教えてもらったんですか?」
「ああ、それは──」
アリーゼがレックスに召喚術を教わっているように、メルギトスにとっての先生もいるのではないかと思ったことで生まれた疑問。
それへの答えは、立てた人差し指を口元に持って行ったメルギトスの『秘密です』という言葉だった。
「いじわる……教えてくれても……」
「ええ、いじわるですよ。なにせ悪魔ですからねぇ」
不満そうに頬を膨らめる少女となにを当たり前のことを言っているんだと笑う悪魔。
二人は狭間の領域を離れて海賊船へと戻るのだった。