17.43タイム。ファウル・ウェザー病院の《R・ラボ》病棟で、形成外科部長ベンディス・ア・ママイ――ベスは全ての治療を終えて安堵の溜息をついた。
こんなにも困難で複雑な治療は、初めてだった。そして、その治療の工程が余りに高度過ぎる。例えこの治療を学会で発表しても、誰も理解しないばかりか一蹴されて終わりだろう。それほどに、この治療内容は複雑で……怪奇だった。
もっとも、自分は院長が指示した通りにしか治療は行っていない。形成外科的な技術と知識では院長を上回っているということは自他共に認め、そしてその自負と自信もあった。だが院長の指示は、その自信を根底から覆すほどの理論と技術が込められていた。
画面に表示されているその治療データを一瞥し、ベスはもう一度溜息をつく。幾ら院長が、
「この治療は今回限り、彼女に限り有効な治療だ」
と言ったとしても、それで納得出来るほど向上心がないベスではない。なんとしてでもこの理論を習得し、より高度な医術を身に付けたいと思っている。だが……、
「………………全然~~~~~ん、理解出来ないです~~~~~ぅ」
間延びした口調で独白し、寝癖がそのままの頭をぼりぼりと掻く。どう考えても、この治療内容は人間の治療ではない。そして……この世界の人々の――〝サイバー〟や〝ハイパー〟の治療ですら、ない。
「どうして~~~~ぇ、こういう~~~~ぅ、治療をするのです~~~~~ぅ?」
この治療で、果たして彼女、ジェシカ・Vが再生出来るのだろうか? だが院長がそれで良いと言った以上、自分はそれに異議を申し立てることは許されない。何故なら、院長――ファウル・ウェザーは常に正しいからだ。絶対に失敗はしないし、それが許されない人物なのである。
「ヒントは~~~~ぁ、彼女の~~~~~ぉ、脳幹に~~~~ぃ、あると思うんですけど~~~~ぉ」
彼女の脳幹に施されていたプログラム。自分はこれを解読しようとしたが、出来なかった。だがファウル・ウェザーはそれを見ただけで理解し、即座に診断と治療方針を打ち立てたのである。何故それが出来るのかが不思議で仕方なく、そしてそれを見た瞬間にベスの知的興味が湧いて来た。ファウル・ウェザーに、絶対これを解読したいと直訴したのである。彼はそれをあっさりと認め、マスターデータを渡した。そのデータは、今ベスの眼の前に表示されている。しかし……、
「う~~~~~~~ぅ…………」
理解し難いのは相変わらず。一体なにをどのようにしたら解読出来るのだろうか? そんなことを考えながら、《R・ラボ》の中に浸かっている脳の一部と脳幹――ジェシカを見詰めた。
経過は良好。約半年で完全に再生出来るだろう。《ドラゴン・アシッド》で汚染された部分も、〝ナイトメア〟によって植え付けられたウイルスも全て取り除いた。今自分達に出来ることは、待つことのみ。
視線を移し、再びそのデータに目を通す。塩基配列のみを見ると、確かに生物のそれなのだが……それだけだ。この配列では生物としては機能しないし、生体の螺旋――ゲノムに至っては見たこともないもの、四重螺旋になっている。つまり単純に考えると人の倍なのだが、実際は其処まで単純ではない。そもそもそのようなものは、この世に存在していない。そしてそれらの配列を統合して仮定すると、只の無機質と同等になる。もっともそれは、ゲノムを無視して考えた場合、だが。それなのにファウル・ウェザーはこのままで良いと言った。
「可能性として~~~~ぇ、ジェシカさんは~~~~~ぁ、人ではないという~~~~ぅ、結論になる~~~~ぅ。でも~~~~~~ぉ……」
人でなければ、どうして有機体であり塩基配列がそれなのだ? 判らないことばかりで頭を抱えるベスだった。
「ほう、これはまた、見たこともない生体構造だ。実に興味深い」
聞き覚えの全くない声がし、慌てて振り返った。その首が、いきなり掴まれる。
「これが生物のものなのか? だとしたら実に興味深い。是非とも解読して後学の足しにしたいな」
首を掴んでいる手に力が籠もり、ベスの首が悲鳴を上げた。だが彼女は必死にその腕を掴み、それを消し去った。
「……ほう、小娘の分際で……だが見事な〝イレイザー〟だ。これほどの《能力者》がいるとは、流石ファウル・ウェザー病院」
床に転がる腕を拾い、そしてなくなった部分に付ける。それだけで腕が再生した。
「……何て、強力な〝ヒーラー〟……」
〝ヒーラー〟とは、生体における異常を癒したり再生する《能力》。そしてこれほど強力な〝ヒーラー〟は、この病院でも少ない。
噎せ込みながら呟くベスに、現れた者――スーツを着用し、アタッシュケースを持った口髭を生やしている男――マーヴェリーがゆっくりと近付いて行く。
「其処を退いてくれないかな? そうすれば君には危害を加えない」
再生した腕の具合を確かめるように動かしながら、低いが良く通る声で呟くように言う。だがベスは首を横に振った。それをしてしまったのなら、自分は医師失格だから。そしてそうするほど、臆病でもない。
「わりゃあ、こっから生きて出られると思っとぅか!?」
ベスの腕から電撃が迸り、マーヴェリーを直撃する。だが彼はそれを、口元に笑みを貼り付かせたまま片手で弾いた。その腕には、風が渦を巻いている。
「ふむ、なかなか良い攻撃だ。だが電撃は大気中では直進しないということを知っているかな? 使うのなら伝導体を巧く使用するべきだった。では、そろそろそのデータを渡して貰おうか」
言うなり、《R・ラボ》病棟に強烈な風が発生した。デスクに置いてある資料が宙に舞い上がり、切り裂かれる。だがそれだけではない。風はどんどん強くなり、周囲にある機器も悲鳴を上げた。
「やるなら、これくらいやらないとな。どうした、此処を護るのではなかったのか?」
自分を見下ろしている男を睨み、そしてベスは全身から電撃を放った。その余りに強力な電力に、空気がプラズマ化する。だがマーヴェリーの放った風は、それすら巻き込んで更に巨大化した。その衝撃で、ジェシカが浸かっている《R・ラボ》に亀裂が走る。
「ダメ、止めて、壊さないで!!」
「そう言えば止めるとでも思ったか?」
絶叫するベスを冷たく見下ろし、《能力》を解放し続けた。
亀裂が大きくなり、そして、遂に《R・ラボ》が割れた。満たされている羊水が流れ出て、浮かんでいるジェシカの脳と脳幹が押し流される。そしてベスの声にならない悲鳴が病棟に響いた。
データの転送は既に終わっている。だがそれは《R・ラボ》の中に満たされている羊水に浸かっている状態でしか効果を発揮しない。そして……この状態――脳と脳幹のみで其処から出てしまうと、もう二度と再生は出来ない。この瞬間、ジェシカは死んでしまった。
「さて、そのデータを渡して貰おうか」
床を濡らす羊水や、押し流されたジェシカのそれに一瞥すら与えず、彼はベスの傍を素通りしてキーボードに手を掛ける。そしてキーを打ち始めた。ベスは、その場に崩れ落ちて自失している。
やがてマスターデータが入っている記録キューブを取り出し、マーヴェリーは満足げに笑った。それを懐に仕舞いその場を去ろうとしたとき、病棟の入り口に立っている人物――ファウル・ウェザーが目に付いた。
「おやおや、これは困った。最も会いたくない方に会ってしまいましたね」
呟き、溜息を付いて再び腕に風を纏う。だがファウル・ウェザーはそれを無視して、床で蹲っているベスに近付き、抱き起こした。
「……ほう、私とは戦わないのですか?」
腰に手を当て、心の底から意外そうに言う。それを聞き、彼は鼻で笑った。
「私が手を下すまでもない。貴様は《Vの子供達》最後の一人が消し去るだろう。……さあ、もう全ての治療は終わった。いい加減に起きろ、〝Seelie Court〟」
傍にあるジェシカの脳と脳幹を愛おしげに撫でる。そしてそれが合図であったかのように、脳細胞そうなる筈がないのに、それが脈動し始めた。
脳が急激に成長し、その表面が高質化して頭蓋となった。
脳幹が延びて脊髄を形作り、更に頸椎、胸椎、腰椎が滲み出る様にして生えてくる。
頸椎から肩甲骨、鎖骨、胸骨が生え、その胸骨が延びて肋骨を形作っていく。
腰椎から骨盤が延び、其処から大腿骨が続けて延びる。
肋骨が形作られると、今度はその内側に内臓器官が滲み出る様にして形作られた。
肩甲骨から上腕骨が延び、更に前腕の
その出来事に、マーヴェリーは言葉を失った。何の手助けもなく脳が勝手に成長し、そして人を形成するなどということは出来る筈がない。それに、これほどまでに急激に成長することは有り得ないのだ。見る限りその再生能力は〝ヒーラー〟を軽く凌駕する。
再生を続けるそれを見詰めていたマーヴェリーは、我に返ると突然風を叩き付けた。彼の本能が、それは危険だと判断したのである。だがその風は、再生途中で所々骨格が覗く筋肉組織が剥き出しの腕に阻止された。
「……いきなり……何をするの?」
自分を攻撃する風を消し去り、再生途中のその人物が言う。筋肉組織はいつの間にか皮膚に覆われ、完全に人として再生が終了した。
「お前は、一体何なんだ?」
そのあまりに非常識な出来事を、マーヴェリーは否定していた。そんなことが、物理的にあり得る筈はない。だが目の前で起きた出来事も、事実に他ならない。
「私……私は……」
銀色の膝まである長い髪を撫で、その人物は茫洋と呟いた。まだ、自分が何者かが判らないようだ。
「〝
困惑しているマーヴェリーへ、ファウル・ウェザーが言った。だが彼は答えない。そうする必要がないと思っているから。彼は幾度となく、〝PSI〟の《能力》を研究して新たな《能力》がないかを模索した。その結果、新たなものは発見出来なかった。
そして既存の一五種――〝テレキネシス〟〝リーディング〟〝テレパス〟〝スキャナー〟〝サイコプレイヤー〟〝エレクトロキネシス〟〝ヴァンパイヤ〟〝テレポーター〟〝ヒーラー〟〝サモナー〟〝エアリアル〟〝ナイトメア〟〝グラビドン〟〝イレイザー〟〝タイムウォーカー〟のみという結論に至ったのである。だがその結論を、ファウル・ウェザーはあっさりと否定した。
「既存の一五種。まぁ、人類が習得出来るものはそれだけだろうが、実はある特定の条件とあるものが揃えば、一六番目の《能力》が出来上がる。それが、彼女だ」
言われた彼女は、その白く美しい裸身を隠そうともせずに只茫洋と周囲を見回している。その左の胸には、懐中時計と重なる月の
「……私は……ラッセル・Vに……『作られた』……〝Seelie Court〟」
「お前は《Vの子供達》最後の一人。フィンヴァラ、DB、私、そしてリケットと続く『出来損い』達のデータを集結させて出来た……唯一の成功例」
彼女の肩に、自分が羽織っていた白衣を掛ける。彼女はそれを握り締め、俯いた。
「私は……成功例なんかじゃ……ない……だって……私……人間じゃないもの……」
俯いたまま呟く。その空色の瞳が濡れ、涙が零れてきた。自分を作るために、《あの人》は沢山の人を不幸にしていた。そのデータが、自分の脳に刻み込まれている。そして結局、《あの人》は何も生み出さず、去った。なにをしたかったのか、その目的がなにであったのか、その全ては闇の中だ。
「……何を言っているかは判りませんが、彼女の再生能力は非常に興味深い。どうです、私と共に来ませんか? 貴女にとって決して損にはなりませんよ」
ファウル・ウェザーへなのか、それとも彼女へなのか、手を差し伸べてそう言うマーヴェリーを一瞥する。そして眼を伏せ、
「……可哀想に……貴方は自分がオリジナルだと
白衣の胸元を掴んだままマーヴェリーに近付き、そしてその眼をじっと見詰めた。その吸い込まれそうに深い瞳から、慌てて視線を逸らす。
「危険だ……貴女は危険だ……。此処で、消えて貰わなくては……」
全てを見透かしているようなその深い双眸に見詰められ、彼は例えようもない恐怖に襲われた。それは、自分が何者かを気付いてしまう恐怖。そのことを、自分は気付いてはならない。
「消す、貴女……お前の全てを……」
呟き、マーヴェリーはその《能力》を解放する。風が渦を巻き、病棟内に竜巻が幾つも発生した。それが、彼女とファウル・ウェザーを取り囲む。空気の刃が、彼女の身体を切り裂いた。だがその傷も、一瞬にして消えていく。
「彼女の《能力》を知りたいか?」
結界を張ってマーヴェリーの風を防いでいるファウル・ウェザーが、ゆっくりと言った。その口元には笑みが浮かんでいる。
「教えてやろう。彼女の《能力》は〝リジェネレート〟。例え単一の臓器のみしか残っていなくても自動再生する究極の《能力》。だがそれは自身にしか発揮出来ないし、そうすることは莫大な労力と疲労が伴う――つまり、相当
〝PSI〟の能力は、大きく分けて二つに分かれている。一つは単一の《能力》のみ使える〝単象能力〟、そしてもう一つは複数の《能力》を使える〝
〝単象能力〟は単一の《能力》のみしか使えない代わりに、極限までそれを研ぎ澄ますことが出来る。そして〝複象能力者〟は、一つ一つの能力を極限まで研ぎ澄ますことは出来ないが、複数の《能力》を使うことが出来るのだ。
更に〝PSI〟の《能力》には〝単象能力〟でしか発揮出来ないものもあり、〝グラビドン〟、〝ヴァンパイヤ〟、〝ナイトメア〟、そして〝タイムウォーカー〟がそれにあたる。
「そんなことが……物理的にあり得る筈がないでしょう」
言いながら、風を彼女にぶつけ続ける。銀色の髪が風に翻弄され、羽織っている白衣が切り裂かれる。そしてその透き通る白い肌に、赤い筋が走っては即座に消えている。
「……埒があきませんね……。新たな《能力》かどうかは知りませんが、その治癒能力は相当なもののようだ。……宜しい、一瞬で消し飛ばしてあげましょう」
無数に発生している竜巻を一つにまとめ、巨大な竜巻を発生させた。病棟内の全ての機器が悲鳴を上げ、だがそれらにファウル・ウェザーが結界を張った。幾ら《都市連合委員会》の援助を優先的に受けているとはいえ、これ以上病院の設備に傷を付けられたら堪ったものではないから。
一つになった巨大な竜巻が彼女に迫る。それをまともに受けたものは、一瞬にして細切れになってしまうだろう。
彼女は茫洋とそれを見詰め、そして眼を伏せ両手を広げた。その身体が宙に浮く。そして床に零れている羊水が、その成分を残して蒸発する。それは、この病棟内の大気が消え失せた証拠。大気がなければ風は発生しない。そしてそれがなくなると、人は呼吸が出来なくなる。
「ごめんなさい」
彼女の唇がその言葉を紡ぎ出す。だが空気がない為にそれは言葉にならない。そして……マーヴェリーの身体は分子単位で分解された。
大気を一瞬で消したり、肉体を一瞬で分解することが出来る《能力》、それは極限まで研ぎ澄まされた〝イレイザー〟。
空調設備が機能し、大気が元通りになったのを確認してからファウル・ウェザーは結界を解いた。そして呆然としているベスを立たせ、彼女を見た。彼女はその美しい裸身を恥ずかしそうに隠し、彼に背を向ける。
「自分が誰だか、判るか?」
自身を抱きしめて背を向けている彼女を見詰め、ファウル・ウェザーが訊く。仕事上、女性の裸など見慣れているから別になにも思わないのだが、彼女が平気な筈はない。何処からともなくガウンを出し、再びその肩に掛ける。
「判っているわ、ファウル兄さん。私は《Vの子供達》の末妹、〝Seelie……〟シーリー・コート」
〝天才〟と言われた生体機械工学者ラッセル・Vが最も愛し、最も手を加えた者。そして――唯一の成功例。
土煙りが舞い上がる結界内で、ゆっくりと崩れ落ちるT-REXの傍に着地し、そして懐から煙草を取り出して火を点けるリケットを見た観衆は、その意外な展開に言葉を失い静まり返った。
T-REXに勝利したからではない。その方法が、信じられないのである。あの巨体に、巨大な穴を穿って勝利するなど、一体誰が考えつくのであろうか。
『………………あ……え…………?』
司会ですら、何が起きたのかが理解出来ていなく、間抜けな声を出すだけだ。だが観衆はそれにすら気付いていない。
ゆっくりと煙を吐き出し、そして更に懐から錠剤を取り出して口に含む。それは、ファウル・ウェザー病院で処方されたもの。一錠で五万キロカロリーある高カロリー薬。それをまとめて飲み込み、再び煙をゆっくりと吐く。
〝サイバー〟の胃は、摂取した食物を即座にエネルギーに変換出来る。そして今のリケットは、それが必要なほど消耗していた。T-REXとの戦いで消耗したエネルギーは莫大なものだったのである。もっとも、それは《《
『こ……こいつぁ驚いた……』
暫く後、司会がやっと口を開いた。
『今の出来事、しっかり見たかい皆の衆!? いやいや、私もおったまげたぞ! 何とあのT-REXの頭を一瞬で吹き飛ばしてしまった!! 流石は最強の〝サイバー・ドール〟!』
絶賛する司会を尻目に、リケットはまだ火の点いている煙草を咥えたままポケットに手を突っ込む。摂取したカロリーが、急速にエネルギーに変換され全身を満たしていく。
『此処で彼の心境をインタビューしたい所だが、もう《結界》に入ってしまっているからねぇ。インタビュー出来ないのは哀しいが、それは仕方ないか! では、続けて次の勝負だぁ!!』
司会の声と共に花火が上がる。民衆が吼え、それが音のうねりとなって中央公園に木霊する。中央公園は、異様で異常な熱気に包まれていた。
『第二幕、破壊神降臨!!』
その声と共に《結界》に展開してあった景色が消滅し、今度は雪山になる。そして、その周囲に雪が降り始めた。T-REXの死体は何処にもなく、完全に消え失せている。
結界壁が歪み、其処に先ほどと同じく漆黒の穴が現れる。其処から二人の男女が姿を現した。
男は腕が四本あり、長い髪を後ろで乱暴に縛っている。その首には、頭蓋が鈴なりに連なっている首輪をしていた。そして女はその両手に曲刀を持ち、宝冠を被り、その隙間から髪が数束零れ落ちている。
どちらも上半身裸で全身に奇妙な文様の入れ墨がしてあり、更に双眸は虚ろで、その表情だけでは何を思っているのかを窺い知ることは出来ないだろう。
『この二人は〝シバ〟と〝カーリー〟。男がシバで女がカーリーだ! さあ、早速始めて貰おうかぁ!!』
司会の絶叫が終了するなり、シバが拳を振り上げてリケットを襲う。口から煙草を吐き出して後退し、突き立ててある蛮刀を掴む。吹き付ける吹雪のためか既に冷たくなっているが、そのスイッチを入れた瞬間、蒸気を上げて発熱した。付着した雪が、振動によって発生した熱により一瞬にして蒸発したのだ。
シバの拳は空を切り、だがその凄まじい衝撃波が地面に積もっている雪を打つ。雪が舞い上がり、その視界を塞いだ。だがそれを空気ごと斬り裂いて視界を確保したカーリーが、持っている曲刀をリケットに叩き付けた。それを蛮刀で受け流し、雪を掻き分けて移動するリケットをシバの拳が再び襲う。だがやはりそれも、空を切った。雪が弾け飛んで、視界を全て塞いだ。
拳を振り下ろして体勢がまだ整っていないシバに、リケットの鋼の鞭が雪を突き破って飛来し絡み付く。
空気が白色の光を発して爆発した。それにより、弾け飛んでいる雪と降り続いている雪が蒸発し、その場に大きな穴を空ける。その光の渦中にあるシバは、白煙を上げて両膝をついた。
それを尻目に曲刀を振り下ろすカーリーのそれを蛮刀で砕き、即座にその手で頭を鷲掴みにする。再び空気が爆発し、掴んでいるカーリーの全身を高圧電流が駆け巡る。だがそれでも、カーリーは動いた。
残る曲刀を振り上げ、斬りつける。それを避けるべく手を放して離れたリケットの背で、衝撃波が弾けた。シバが絡み付いている鋼の鞭を力ずくで解き、そして拳を振り上げている。漆黒のコートが弾け、その下に装備している戦闘服が露わになるが、それを全く気にせずに移動を始めた。蛮刀は、彼方の雪に埋もれている。今リケットが持っている武器、それはその両腕に内蔵された鞭しかない。
高速移動するリケットに、シバとカーリーが迫る。カーリーの曲刀とシバの拳から発せられる衝撃波が襲い、リケットはそれを避けつつ移動し続けた。そして、蛮刀を拾って振動のスイッチを入れようとした刹那、シバの衝撃波が蛮刀を貫き、粉々に砕いた。
リケットはそれを静かに一瞥し、捨てた。使えないものをいつまでも持っていても、それは仕方のないこと。
その瞬間、リケットに隙が生じた。再び移動を開始しようとしていたリケットを、カーリーが羽交い締めにする。そして正面にいるシバの額に眼が現れ、強力なエネルギーが集中した。それは、全てを破壊する光学兵器。
雪を蒸発させて膨らむそれを見詰めるリケットの全身が、白色に輝いた。そしてカーリーの腕を振り解き、体制を入れ替える。
シバの額の眼――第三眼からエネルギーの塊が打ち出された。その先にあるもの――カーリーは避けようとしたが、間に合わない。その膨大なエネルギーがカーリーの左半身を、文字通り消し去った。被っている宝冠が転げ落ち、雪に埋まった。
その出来事を理解出来なかったのか、シバはその場に崩れ落ちるカーリーを呆然と眺め、そして視線を再びリケットに戻したそのとき、
「〝Numerator Decomposition Equipment〟」
打ち出された鋼の鞭が、シバの右半身を消し去った。そして《EM-C-HEC=ブレイカー!=》を使ったリケットも、その場に膝をついて動かなくなった。さきほど摂取したカロリーを殆ど消費してしまったようだ。
一度だけ眼を閉じ、ゆっくりと開いて立ち上がる。残るエネルギーは少なく、全力では長く戦うことは出来ないだろう。リケットは懐にある煙草を取り出し、火を点けた。実はこれはフィンヴァラが作ったもので、僅かだがカロリーを摂取することが出来る。だがそれも一時的なもの。すぐに消費されてしまうだろう。
煙を吐きながら、ゆっくりと周囲を見回す。吹雪は止んでいない。そして景色も変わっていない。
怪訝に思ったのか、倒れているシバを見下ろす。……いなかった。そしてカーリーは……立ち上がっていた。消え失せた半身はシバと同化しいる。そして既にその接合部はなく、完全に一体化していた。
シバとカーリーが同化した『それ』は、左腕を振り上げてリケットに殴りかかる。それを後退して避け、『それ』から離れた。そして煙草を吐き捨て、自分の残ったエネルギーを計算する。残量は……既にない。電撃一回が限界だろう。
空気を切り裂くほど鋭く斬りつける曲刀を避け、衝撃波を生む拳から離れる。だがそれにも限界があり、遂にその衝撃波をまともに受けてしまった。鮮血が飛び散り、純白の雪を濡らす。そしてリケットの白い顔も、鮮血で深紅に染まった。
血に染まるリケットに、『それ』の曲刀が迫る。その切っ先を右腕で受けた。金属同士が激しくぶつかり、火花を散らす。だがその衝撃すら受けきれず、蹌踉めくリケットの身体に衝撃波が叩き付けられた。その衝撃で、身に付けている戦闘服が弾け飛ぶ。だがそれで終わりではない。『それ』は続けざまに衝撃波を叩き付ける。降り続く雪が、赤く染まった。
両腕を下げ、そのまま為す術もなく立ち尽くすリケットに止めを刺すべく、『それ』は曲刀を振り上げる。それは勝利を確信した必殺の一撃。
だが曲刀を振り上げる『それ』の眼とリケットの眼が一瞬だけ合い、それだけで『それ』の動きが僅かだが止まった。
リケットは後方へ跳び、そして鞭を打ち出しその首に絡み付ける。そして電流を放った。だがそれは雪を溶かすだけの出力しかなく、『それ』は溶けた雪に包まれただけだ。しかし、それで充分。
降り続く雪が、氷点下の気温が、雪解け水の中にいる『それ』を瞬時に凍結させる。如何に強力な力と電撃をも無効にする機能があろうと、その自然現象に勝てる筈がない。生体や機械などの区別など一切関係なく、動かなくなるから。
「Good die」
動きが止まった『それ』の頭に手を掛け、そのまま砕いた。それはリケットの勝利を意味している。だがその代償は余りに大きく、立っていること自体が信じられないほど消耗していた。
懐を探り、そして煙草の箱を取り出す。残り一本だけ……。それを咥えて火を点け、深く吸い込んだ。そこからエネルギーが吸収され、僅かだがその身体を満たしていく。
『凄い! 凄い! 凄い!! またまた勝利を掴んだねぇ! 一体君は何者だい? 大抵の〝サイバー・ドール〟は一度全力で戦うと続けての戦闘は困難なんだけどねぇ。おやおや、そろそろ限界かな? だがこれも仕事だから、恨まないでくれたまえ! さて、実は此処からがメインイベントだぁ!!』
絶叫する司会に答えるかのように花火が上がり、観衆が熱狂の声を上げた。観衆は、既に当初の目的を忘れてしまっているようだ。そして更に、これ自体が殺人ゲームだということに、一体何人が気付いているのだろう。きっと殆どの者がそれに気付かず、只熱狂しているのだろう。
『さあ、次に登場するのは《ウルドヴェルタンディ・スクルド》最強の〝PSI〟の一人、大気と気温を操る男、〝風使い〟マーヴェリーだぁ!!』
盛大な花火と共に、大音量で音楽が流れる。《結界》の景色が一変し、今度は灼熱の砂漠になった。そして凍り付いた『それ』は、雪景色と共に消えていた。
その変化に眉一つ動かさず、リケットはゆっくりと煙を吐く。少しでもエネルギーを補給しようとしているのだが、端から見ているとその仕草は余裕以外のなにものでもない。そしてそれが、観衆を更に熱狂させる。
「残エネルギー12.6%……起動可能時間0.0852タイム……〝shock wave〟……エネルギー不足の為使用不能……」
戦闘服もなく、エネルギーも少ない。そして……《結界》に包まれて逃げることも出来ない。この絶体絶命の状況下でリケットは……嗤っていた。
程なく風が渦を巻き、その中心に顎髭を蓄えたスーツ姿の男が現れた。その男、《ウルドヴェルタンディ・スクルド》の幹部であるマーヴェリー。
「どうだったかな、私が趣向を凝らしたイベントは。楽しんで貰えたかね?」
そう言いつつ、ゆっくりと砂の上に立つ。それに一瞥すら与えず、リケットは根本までになった煙草を捨てた。そして両手をだらりと下げたままマーヴェリーを見る。
「煙草のポイ捨てはマナー違反だが?」
真剣な顔で惚けたことを言うマーヴェリーに無言で答え、リケットは静かに立ち尽くす。その表情からは、なにも読みとれない。
「……何か言ったらどうです? それとも言うだけの気力がありませんか?」
口元に笑みを浮かべ、じっとリケットを見る。この瞬間、彼はリケットの分析をしていた。骨格から体内に埋め込まれた機械、そして神経系と人工脳に至るまで全てを透視し、そしてデータを弾き出そうとしている。だが……。
「……莫迦な……そんなことは有り得ない!!」
突然、マーヴェリーが大声を上げた。それは丁度リケットの脳と神経系をスキャンしている時だった。彼の、リケットの脳と神経系は、全くのノーマルだったのである。つまり、その部分に限り機械などは埋め込まれていないのだ。
「そんなことは、絶対に有り得ない筈だ。そもそも物理的に不可能! もし可能だとしても、どうすれば他に類を見ないほどの反応速度を弾き出せる!?」
「……気が済んだか?」
混乱するマーヴェリーを見据え、呟く。そしてリケットの両足のモーターが唸りを上げた。瞬間的に音をも超える速度を生み出すその両足は、砂の地面など全く関係なしに同等の速度を出すことが可能。そしてその速度で接近されると、大抵の生物は反応出来ないばかりではなく、それによって生じる衝撃波だけでも絶命するだろう。
だがマーヴェリーは、その身体に纏っている風をクッションにしてそれを防ぎ、弾かれたまま宙を舞い、そして静止した。これでは空を飛ばない限り、攻撃するのは不可能。
「……それに……貴方の中には面白い物がありますね。〝
〝次元変換装置〟とは、時間という無限のエネルギーを変換して使用する装置のことである。だがそのエネルギー変換能力は低く、食物摂取によるエネルギー補充の方が遙かに早いのが実状だ。
「一体何を考えてそのような役に立たない物を埋め込んだかは知りませんが……良いでしょう。貴方を捕らえて研究します」
砂塵が舞い上がり、それがリケットの身体を激しく打ち付ける。そしてマーヴェリーは、鞭の届かない場所まで上昇した。
「なるべく傷は付けたくありませんので、あまり抵抗しないで下さい。もし抵抗したのなら、その命の保証はありません。もっとも、その満身創痍の状態で抵抗出来るとは思えませんがね」
「……そう思うか?」
勝ち誇るマーヴェリーを見上げ、薄く嗤う。だがその双眸は哀れみで満ちていた。そしてそのような表情を作ることは、〝サイバー〟には不可能だ。だがその表情に、マーヴェリーは気付かない。彼は更に集中し、大気を操作し竜巻を引き起こす。いや、それは既に竜巻を遙かに超えていた。それに近付くだけで、全てのものは切り裂かれてしまうだろう。
リケットは、動かない。いや、動けないのだ。さきほどの高速移動で、殆どのエネルギーを使い切ってしまった。そして補充するだけのものは……高カロリー薬も、《煙草》も、ない。
風の刃が、リケットのコートを、肉体を切り裂いていく。その長い錆色の髪が、風に翻弄されて逆立つ。そして……彼は虚ろな眼で呟いた。
「……『脳が疲れる』ことはしたくなかったが……仕方ない……『僕』は、まだ死ぬわけにはいかない」
その瞬間、全身が白色に輝いた。それはT-REXを消し飛ばしたときとは比べ物にならないほどのもの。そしてリケットの左手に
スパイドを持っている手を降ろしたまま自分を見上げるリケットをスキャンし、マーヴェリーは混乱した。彼の中に埋め込まれている〝タイム・チャージ〟が、高速で動いて膨大なエネルギーを発している。幾ら高性能なそれであっても、そこまで高速稼動することはない。それに、あのサイズのものは、短期間では子供の玩具を動かす程度のエネルギーしか発しない筈。それを高速稼動出来るもの……可能性は、一つしかない。
「……『脳が疲れる』と言いましたね? そして〝タイム・チャージ〟の高速稼働……まさか、貴方は……」
その瞬間。
人々は、見なかった。いや、それを見ることが可能なのは〝サイオニクス〟の一部の《能力者》でしかない。その能力とは……。
全ての動きが止まっていた。人々も、風も、大気の流れも、そして……時間すらも。止まっていた時間はほんの僅か、数瞬でしかない。だが、リケットにとってそれだけで充分だ。
両足のモーターが膨大な力を発して地面を蹴った。そして白色に輝く全身が、その光の軌跡を残しつつマーヴェリーへと迫る。リケットの身体から離れた光の粒子もその場に凍りつき、動かない。
そして時は動き出す。
その場に凍りついていた光の粒子が霧散する。風が再び渦を巻いて動き出す。そして、マーヴェリーも。
「Good die」
リケットのその言葉を聞いたとき、彼は自分の死が最も身近に迫っていることを知った。そしてそれを変えることは、もはや出来ないということも。
マーヴェリーの身体を、鋭い何かが滑るように通り抜けた。それが冷たい金属であることも認識出来るほど、彼の頭は清明だった。
彼はそのまま地面に降り立ち、立ち尽くす。風は、止んでいた。もはやそれを続ける必要がなくなったから。
そして既に降り立ち、自分に背を向けてしゃがみ込んでいるリケットを見た。その全身を包んでいた光は、もう消えている。
「反則ですね……貴方は狡い。我々の知識を超える《能力》を持ち、そして常識すら覆している。何処の世界に、脳と神経系を全く弄っていない〝サイバー〟がいるのです? 貴方は〝サイバー〟などではない……そして〝ハイパー〟でもない……只の人間……いえ、あの《能力》を持っている時点で、既に貴方は只の人間ではない……。一つ、訊きます。貴方は、何処から来たのですか? そして……何処へ行こうというのです? その《能力》は、この《世界》に在ってはならないものです……」
その質問に、やはりリケットは答えない。そしてそれは予想出来ていた、判っていた。それに……もしかしたらリケット自身、自分が何者かも判っていないかも知れない。
答えないリケットを見下ろし、マーヴェリーは笑った。所詮、自分は此処までの生き物でしかない。いや、生き物ですらないのかも知れない。何故なら、自分はコピーだから。強力な《能力》を行使するオリジナルには、到底敵わない不良品。だがそれでも、その優秀な頭脳と解析能力は貴重だった。だから自分は……いや、自分達は其処に存在していたのだ。其処にしか、存在出来ない。
マーヴェリーの身体が脈打ち始めた。リケットによって斬り裂かれた箇所を《能力》で接合していても、限界がある。完全に断ち切られたものは、自身ではもう二度と戻らない。
《結界》に展開してある風景が消え去り、其処にはリケットとマーヴェリーの二人しか存在しない。そして周囲も、耳が痛くなるほど静まり返っている。司会も観衆も、何が起きたのかを全く理解出来ずに只その成り行きを見守るしか出来ないのだ。
この後どのような展開になるのかを、固唾を飲んで見守っている全ての人々の目の前で、突如耳を覆いたくなる様な轟音と共に漆黒の物体が現れ、《結界》に侵入した。そして滑らかな断面を見せて崩れていくマーヴェリーの身体を喰い尽くすように吸い込み、やがて宙に静止する。
そして其処から、一人の男が姿を現した。逆立った灰色の髪、鋭い深紅の瞳、体幹を包んでいる戦闘服、そして……その両四肢は機械が剥き出しで、所々に何故か包帯が無造作に巻かれている。
「よぉ、待たせたな。ケリぃ付けに来てやったぜ」
男は静かにそう言った。だがその静かな口調とは裏腹に、彼は殺気と殺意の塊と化していた。機械仕掛けになった手の具合を確かめるかのように離握手を繰り返し、しゃがみ込んでいるリケットを見下ろしている。
其方に一瞥すら与えず、ゆっくりと立ち上がった。その左手にはまだスパイドが握られている。
一度眼を閉じ、そして開く。その藍色の双眸は、冷たい青に変貌している。首にぶら下げているネックレスが、自らの意志があるかのように蠢き、その三日月のペンダントヘッドが顔を出す。
そして……リケットは男――バグナスを見上げた。