《D.R 水晶の森美術公園にて待つ》
彼がステーションにあるホワイトボードでこのメッセージを見つけたのは、既に西の空が黄金色に輝き始めた頃だった。
彼は襟を立てた漆黒のロングコートを羽織り、鉄錆色の長い髪を持つ色白の優男である。普段は黒だが、光の加減で虹の様な色を発するサングラスを掛け、癖なのか時々その髪をかきあげている。サングラスを掛けている為に顔の作りは良く判らないが、中々の色男であるというのは誰の目にも明らかの様で、道行く人々はホワイトボードの前で立ち尽くしている彼を必ずと言って良いほど一瞥していた。
溜息を一つ、彼は無言でそのメッセージを消してその場を立ち去った。吐き出す息が白くなっている。巨大なドームによって外と隔絶され、人間にとって最適な環境に保たれている《結界都市》とは違い、日中どんなに良い陽気でも、夜になれば気温は零下を遥かに下回るのだ。
余談だが、《結界都市》に住む人々は其処を《市街》と呼び、外は《下界》と呼ぶ。何処か言い得て妙なものだと人々感じていたが。
高級住宅地が並ぶ《市街》には住めず、《下界》への家路に急ぐ人々とは全く反対方向に彼は進み、この時間帯に人々は滅多に行かない場所へいくためホームへと向かい、チケットゲートでパスを承認させる。ホームの壁には誰が描いたのか、一般人には到底理解し難い、落書きとしか映らないであろう絵が描かれており、その下には申し訳程度に作者の名前が書かれていた。それを手入れする者はいない為か、塗料の所々は剥れ掛けている。また駅員も、その落書き的絵画を取り除くべく努力する気もない様だ。
ホームに人通りはなく、駅員すらいなかった。売店は固くシャッターが下ろされ、その脇には清涼飲料水の自動販売機が灯かりを点滅させながら立っている。その自動販売機から缶コーヒーを買い、彼はベンチに坐るでもなく只じっと立ち尽くしていた。
やがて列車がホームに音もなく滑り込む。その列車は《市街》へ向かうものではない。《下界》から更に離れた、《結界都市》の影響をまだ受けていない《郊外》へ向かうものだ。
この時間帯、列車の中にいる者達はやはり普通の人間達ではない。頭に端末があり、其処にプラグを接続してひたすらキーボードを叩く〝サイ・デッカー〟、身体の所々から油圧バルブが飛び出している中古の〝サイバー・ドール〟、まるで獣の様な姿をしている〝ハイパー・ビースト〟、奇妙な紋章が刺繍されたローブを纏っている〝魔導士〟等々……これから何の目的があるのか、また何処に向かうのか判らないが、彼らは只じっと虚空を見詰めているだけだった。
彼が列車内に踏み込んだ時、それらの人々の視線が一斉に注がれた。それはほんの一瞬の出来事だったが、気の弱い者だったら卒倒してしまうほどの殺気が込められていた。車内の人々が彼を見たのはその一瞬だけで、その後は何事もなかった様に、先ほどと同じ様に虚空を見詰めている。キーボードを叩く音だけが車内に響き、ことさらその静寂を強調していた。
彼は出入り口のすぐ横の席に坐り、足を組む。そして持っている缶コーヒーをコートのポケットにしまい、続けて胸のポケットから黒革のグラブを取り出して手を通す。そして手首をマジックテープで止め、その手をコートのポケットに突っ込んでじっと俯く。
窓の外からネオンの明りが遠ざかり、列車は《市街》から離れて行く。そして暫くして列車が止まり、彼はそのステーションで降りた。列車内の人々は、今度は一瞥すら与えない。彼らが一体何の目的で列車の中にいるのか、それは誰にも判らない。そして列車は休む事無くずっと動き続けている。そう、昼も夜も。彼らはその列車にずっと乗っている。何故降りようとしないのか、それは誰にも判らないことだ。彼らでさえ。彼らを、人々は俗にこう呼ぶ。《トレイン・メン》――と。
自動改札を抜け、彼はほぼ無人と化したステーションを出た。既に日は暮れており、《結界都市》の影響がまだ少ないとはいえ気温はかなり低い。そして辺りに遮る物がない為に、冷たい風が彼の身体を包み込む様にして吹き抜ける。ロングコートが風に靡き、その内側に着ている戦闘服と脇に取り付けてある肉厚の蛮刀が露わになるが、既に人通りがない為か、それとも気にしていないのか、それを隠そうともしない。
ステーションから彼方に見える半透明のドーム。それが《水晶の森美術公園》である。其処はいつでも開館しており、人々の待ち合わせや時間潰しの場となっている。そして入場料は無料。だが中にある美術品に傷一つ付けようものなら、即座に防衛兵が現れて全額弁償させられる。然もその値段は、この世界の会社員一般の基本給五年分だ。更に全館禁煙で、守らなかった者は放水させられ締め出される。此処までしても、――完全に自業自得なのだが――毎日誰かしらそのような目に遭っているというのが実際だ。
強い風が吹き抜ける中、彼はゆっくりとその場所へと向かった。だがふと、その足が止まった。そして右手をポケットから出し、人差し指と中指を立てる。手を出した時には何も握られていない筈だったが、何故か其処にはナイフが挟み込まれていた。それを器用に手の中で回し、前方の暗闇へと投げる。何か重い物がアスファルトに落ちる音がしたが、彼はそれを確認しようとしなかった。その気がないというのが本音だが。
彼は懐から煙草を出して火を点ける。そしてゆっくりと煙を吐いて、
「用件は?」
暗闇に訊いた。すると複数の足音が静寂を破り、彼を包囲して行く。それでも尚、彼はゆっくりと煙を吐いているだけだった。そして完全に包囲された時に初めて、彼はゆっくりとそれらの人々を見回した。
ざっと六人。全員が戦闘服に身を包み、強力な重火器を帯びている。兵器だけを羅列すると、グレネードランチャー、ガドリング・ガン、ビームランチャー、火炎放射器――比較的安価で入手可能な兵装だが、一人だけフォノン・メーザーを帯びている者がいた。
ゆっくりと煙を吐きながら溜息をつき、煙草を咥えたまま暗い空を見上げた。その彼の態度をどう思ったのかは知らないが、リーダーらしき者が手を上げた。それを合図にそれぞれが手に持っている兵器を構える。正面のリーダーらしき者がガドリング・ガン、右前方には火炎放射器、左前方にはグレネードランチャー、右後方にはビームランチャー、左後方にもグレネードランチャー――多分これは違う弾丸を込めているのだろう――、そして後方にはフォノン・メーザーをそれぞれ構えている。同士討ちにならない様に計算された角度だ。余程訓練されていなければ出来ないフォーメーションである。
「用件は? まぁ、恨まれる覚えはあるが」
煙を吐いてそう言う。返って来た答えは、レーザー光線だった。それは彼のサングラスのフレームを焼き切り、彼の顔に僅かだが傷を残した。
煙を吐いてサングラスをゆっくりと外し、アスファルトに放り投げた。彼の鋭い双眸に宿る藍色の瞳が、遥かに離れたドームの明りを受けてはっきりと映し出される。それを皮切りに、重火器が一斉に火を噴いた。
暗闇に轟音と炸裂音が響く。眩い光と共に最大出力でレーザーが打ち出され、炎が閃きアスファルトを焼き、象をも瞬時に殺す大口径の銃が焼けたそれを粉々にする。そしてそれを、全ての繋がりを絶つ音が塵にした。
だがこの程度では仕留められないということは知っている。包囲の中心に既に彼の姿はない。いつの間にか空中に跳んでいた。
彼は脇に仕込んである蛮刀を抜き、左手で逆手に持つ。そしてビームランチャーを持っている男に目掛けて右腕を突き出した。手甲から鋼の鞭が打ち出され、ビームランチャーに絡み付く。それを男が振り解こうとした刹那、高圧電流が流れた。
「テッド!?」
ガドリング・ガンを持つ男が叫んだが、既に全身から火花を散らして絶命していた。どうやら彼は〝サイバー・ドール〟だったらしい。鞭を振り解こうとせずにビームランチャ―を捨てれば死ななかったのだろうが、後の祭りだ。
倒れた男の傍に着地し、左前方にいるグレネードランチャーの男へと一気に踏み込み蛮刀を振る。避けられないと思ったのか、男は素手でその蛮刀を受け止めた。鍛えられた金属同士が激しくぶつかる音がする。男の腕は鋼のように硬質化していた。
動きが止まった隙を逃さず、左後方にいる男がグレネードランチャーを撃つ。だがまたしても彼は消えており、蛮刀を受け止めた男がその弾丸をまともに受けてしまった。ゲル状の可燃物質が全身に纏わり付き、一瞬にして数千度の炎に包まれる。幾ら鋼の皮膚を持っていても、それに耐えられる筈がない。更に戦闘服にぶら下げている弾倉が誘爆し、男は原形を留めないまでに粉々になった。
「『炎の中に神は在り、神在る処に力在り!』」
フォノン・メーザーを持っている者が呪文を唱えた。だがそれよりも早く懐に手を突っ込んで一気に振った。振動によって高熱を発するナイフがその肩を抉り、悲鳴を上げて蹲った。〝魔導士〟らしいが、集中が途切れた為に何も起こらなかった。所詮〝魔導士〟は術の邪魔をされると何も出来ない。
「貴様、よくもイザベラを!!」
そう叫び、火炎放射器を向ける。だがその頭がそっと掴まれ、一気に捻じ切られた。更に首から火花を散らしつつ滅茶苦茶に火炎を放ち続ける男の身体を、股間から真っ二つにする。そして錆色の髪を掻きあげて、
「まだ、やるか?」
蛮刀を左手で逆手に持ったまま、彼は残った二人に訊く。右手をポケットに突っ込んだままだ。
ガドリング・ガンを持っているリーダーはアスファルトに唾を吐きかけ、短剣を両手で抜いてもう一人を見る。そして、
「ダリル、動きを止めろ!」
「イエス・サー!」
ダリルと呼ばれた男は持っているグレネードランチャーを捨て、集中する。その瞬間、彼の身体が衝撃を受けて動かなくなった。この衝撃は今までに何度となく受けた事がある。だから、特に驚きもしなかった。
「〝テレキネシス〟か……次から次へと……」
一瞬にして最高200km/hの速度を弾き出す両脚のモーターが唸りをあげる。そして五tもの超重量を支えることが可能な彼の骨格と人口筋肉から繰り出される斬撃は、持っている刃に対象が触れなくともその衝撃波のみで充分な殺傷能力を生み出す。更に今回は〝
彼は動かない。そしてその錆色の髪が顔を覆っている。諦めたのか、それとも絶望しているのか、兎に角、これで終わりだ。
「殺った!!」
勝利を確信したその時、僅かなモーター音と、何かの蓋が開く音が聞こえた。そして次の瞬間、短剣から伝わって来た感触は肉を絶ち、骨を砕いたものではなかった。鍛えられた金属同士が激しく打ち合い、そして砕ける音だった。
「実力があると勘違いしている輩が来るものだ……」
何と、彼は200km/hの高速で突進しつつ繰り出された斬撃を左腕の力のみで受け止めた。更に発生した筈の衝撃波をまともに受けた筈なのに、身体の何処にも傷はなく、ロングコートに至っては風に靡いてすらいない。そしてあろう事か、
「……終わりか?」
何事もなかったかのように涼しげに言う。気の所為か、彼の全身を茶色の薄い膜が覆っている様に見える。そして蛮刀が微弱に、だが超高速で振動している事に気付いたのはこの時だった。
「貴様……ソニック・ブレードを……」
呟き、再び離れるべく後方へ跳んだが、その足が着地する前に彼は突進した。アスファルトが摩擦熱で熔けるほど凄まじい踏み込みである。
「Good die」
超振動によって生じた熱を帯びている刃が、リーダーの首をバターの様に熔かしながら切断し、続いて袈裟斬りに両断した。
「そんな……俺の《能力》が……全然効かないなんて……」
呆然として呟き、倒れるリーダーを見詰める男に近づき、彼はその喉元に蛮刀を突き付けた。
「〝サイバー・ドール〟三人に〝ハイパー・ビースト〟、〝
「い……言えねぇ……そんな事は、死んでも言えねぇ……」
生唾を飲み込み、冷汗を垂らしながら彼は呟いた。
「言ったら……殺される……」
「……今ある生命の危機と、これからあるかどうか判らない危機と、どちらが良い?」
喉元に突き付けられた蛮刀が食い込む。皮膚が焼ける嫌な臭いが、彼の思考を停止させた。だがその時、人間には絶対に聞こえない音が二人を直撃した。
「イ……ザベ……ラ……な……」
その音が男の体細胞の繋がりを断ち切り、液体となって崩れて行く。数瞬のうちに、彼は只の液体となってアスファルトを赤く染めた。
「どうして……」
先ほどの〝魔導士〟が、フォノン・メーザーを構えて狂った様に引き金を引いている。だが、
「どうしてあんたは平気なんだよ!?」
彼はゆっくりと近づき、逆手に持っている蛮刀で無造作にその胴を薙ぎ払った。
「夏草や、兵どもが夢の跡……ふむ」
水晶の森美術公園の中、噴水の傍のベンチに腰掛け、自称〝詩人〟のリィクは呟いた。そして足元にある芝を撫でながら満足げに微笑む。良く言って何処にでもいる好々爺か、悪く言えば変人にしか見えないその彼は、実は《結界都市》随一の情報屋である。そして仲介屋でもあり、多くの賞金稼ぎが彼の情報を買っている。
「国敗れて山河あり……城、春にして……む、何じゃったかな?」
彼方に見える、眩い光に照らされて色とりどりに乱反射する水晶の像を眺めながら、彼は小首を傾げて考え込む。そしてその隣に、漆黒のロングコートを羽織った優男が坐った。
「のぉ、国敗れて山河あり。城、春にして……の続きは何じゃったかのぉ?」
「俺に何の用だ?」
聞いちゃいねぇ。リィクはそう思いつつ男を見た。そして「ほう」と感嘆の声を上げた。
「今日は色眼鏡をしておらんのぉ。ほっほっ、噂に違わず色男じゃ。のう、リケットや」
そう言われたが全く反応せずに、彼――リケットは傍にある屑篭に缶コーヒーの空き缶を放り投げた。自動的に蓋が開き、その中に空き缶は消えた。
「むう、珍しいのぉ。お前が缶コーヒーなんぞを飲むとは。コーヒーは嫌いじゃなかったのかの?」
「飲んだ訳ではない」
もごもごと高笑いをしているリィクに素っ気なく言う。まさかその缶コーヒーの中身が、衝撃波ばかりかフォノン・メーザーの高周波音までも防いだという事を信じるものはいないだろう。
「用がないのなら消えるが」
「まぁ、待て。そうせっかちな事を言うでない。慌てる〝サイバー〟は貰いが少ないのじゃぞ」
余談だが、〝サイバー・ドール〟は俗称〝サイバー〟と呼ばれている。同様に〝ハイパー・ビースト〟も〝ハイパー〟、そして〝サイ・デッカー〟は〝デッカー〟と呼ばれているのだ。
それに対してまたしても何も言わず、リケットは立ち上がった。この男には一切の冗談が通用しないということは判っているのだが、それでも言ってしまうのが人情というもの。そしてリィクは殊の外駄洒落が好きだったりする。
「まぁ、待て。まったくもって気の早いやっちゃのぉ」
溜息をつき、懐から紙切れを取り出す。メモ帳を破った物のようで、皺だらけだった。受け取り、開いてみると流暢な筆跡で住所が書かれていた。リィクは妙に達筆でもある。
「お主を捜して――いや、探して、かの? 兎に角そんな女がいるらしい。名前はジェシカ・V。一度会ってみたらどうじゃ?」
寂しげな表情になり、リィクは独白のように呟いた。その表情から、リケットは何も察することが出来ない。何故なら彼には感情というものがないから。
「何の為に?」
「お主を捜しているのじゃ。一度くらいは会っておいても損はないと思うぞい」
「そう言われて命を狙われた奴の、何と多い事か」
「何じゃ、儂の情報を疑うのか?」
「いや」
リィクの情報は、常に100%正しい。だが情報は生き物だ。いつまでも同じであるとも言い切れないのもまた、事実。
「あくまでも一般論だ。それにそういうこともあったという実際の体験から話している」
「ま、そういうこともあるのぉ……じゃがのぉ、これは儂からの忠告じゃ。一度会っておいた方が良い。お前さんの無くしたものに逢えるかも知れんぞい」
「参考までに聞いておこう」
そう言ってメモをポケットに突っ込み、代わりに紙幣を渡した。リィクはそれを受け取り、愛しげに撫でて数え始める。そして……。
「何じゃい、これっぽっちかの?」
「紙切れ一枚とその情報ではそれが妥当だ」
「何を言うか! 相場の三分の二とはどういう事じゃ!?」
「ありがたい忠告の分は差し引いた。以後、俺に指図するな」
判っている。この男には忠告などは無意味だという事を。〝天才〟が創り出した最高傑作。無敵の名を欲しいままにしている最強の〝サイバー・ドール〟。そして、最強の〝ヘッド・ハンター〟。
「……ま、良いかの。何かあったらいつでも呼んどくれ。儂はいつでも此処いる。儂にとって、時間は意味を成さないからのぉ」
「気が向いたらそうしよう」
冗談とも取れることを言い、リケットは水晶の森美術公園を後にした。
「……あれが本当に冗談じゃったら、彼奴もまだ見所があるのじゃがのう……」
彼は常に本音しか言わない。それしか、言えないから。
《市街》にある高級ホテルのスウィート・ルーム。其処に〝PSI〟のソリッド・バグナスは白いガウンをだらしなく羽織ってベッドに横になり、シャンパングラスを片手にラッパ飲みをしていた。そしてその視線の先にはモニターがあり、更にその先には戦闘服を着た男が申し訳なさそうに畏まっている。そしてモニターを睨む双眸はやけに鋭く、更には灰色の髪を逆立てていた。
「失敗した、だと?」
テーブルにシャンパンのグラスを叩き付ける様に置き、バグナスは吐き捨てた。
「手前ぇら、何の為に俺の兵隊を付けたと思っているだ! 失敗しねぇ為だろうがよ! くぉの役立たずどもめ!!」
そして再びシャンパンをラッパ飲みする。グラスは持ったままだ。グラス、意味ないじゃないか……そう思ったが何も言えず、モニターの先の男は申し訳なさそうに額を拭く。冷汗が噴出している。それだけこのバグナスという男が恐ろしいのだろう。
『で、でもよぉバグナスの旦那、彼奴は強ぇですぜ。何つってもあの天才生体物理学者ラッセル・Ⅴの最高傑作だ。最強の〝サイバー〟、最強の〝ハンター〟に俺らみたいな、言ったら虚しくなるだけなんだけど、二流〝サイバー〟風情が敵うわけがねぇよ』
「だ・か・ら、一流の〝サイバー〟と〝PSI〟付けてやったじゃねぇかよ」
その他は雑魚だが。そう思いつつ、バグナスはやっとグラスにシャンパンを注いでテーブルに置く。そしてモニターの先の男は、それを見て何故か安心した。
『でもよぉ、一流でも敵いっこねぇよ。だって彼奴は《CLV》最高の《MA》だ。其処の所、ちゃんと判っているのかい旦那?』
「お、おお、判ってるわい!」
本当か? そう思ったがやっぱり言えず、男は黙り込んだ。
因みに《CLV》とは《サイバー・ドール・レベル》の略で、そのランクは最低の《DD》から最高の《MA》まである。《MA》とは《マキシマム・A》の事である。
「だが努力と根性と知恵がありゃあ絶対に勝てる! それに友情のスパイスがプラスアルファで完璧だ!!」
『で、でもよう……』
それは何処ぞの熱血なんちゃらだろう。男はそう突っ込みたくて仕方ないが、言える筈がない。何故ならバグナスは本気で言っているし、機嫌を損ねたら殺されるから。
「デモもストもあるか! 手前ぇの頭ン中ぁスカスカかい!!」
『す、済んません』
舌打ちをし、シャンパンをラッパ飲みする。グラスに注いだものは忘れているらしい。モニターの先の男は、何だかすっきりしないと思ってしまう。此処で思い切りツッコミを入れることが出来たなら、どれだけ幸せだろう。
ブツブツ文句を言いつつ、シャンパンを綺麗に空けてテーブルに置く。そして腕組みをして考え込んだ。頭を使えと言ったものの、実際問題として彼自身も何の考えも浮かばなかったりする。そういえば、マーヴェリーの奴がそういう小細工が得意だったな? そんなことを考えていると、
『じゃあ旦那、申し訳ないんだけど知恵ぇ貸してくんねぇかな?』
「え?」
『いや、え? じゃなくって、知恵ぇ貸してくんねぇかなぁ。俺らバカだからなぁんにも浮かんでこねぇんだ』
「あ、いや、ちょおっと待てよ、おい」
暫しの沈黙。それは妙に気まずい空白の時間だった。
『……もしかして、なぁんにも浮かんでこねぇとか……言うんじゃねぇですかい?』
「んな訳あるかい、こんボケ」
そう言うが、何故かその言葉に以前の迫力も力も籠もっていなかった。
『…………何だよ、旦那。俺らに頭使えって言っといて、実は自分も浮かばないんじゃねぇですかい? それはねぇよ、旦那』
思わずツッコミを入れてしまった。だが次の瞬間、男の顔に「しまった」という表情が浮かぶ。そして……。
「……んだと、この野郎!」
バグナスの双眸が血の色に輝き、瞬時にして凄まじい重力の嵐がホテルの一室に吹き荒れる。ベッドが軋み、テーブルが潰れ、中身の入っているグラスが音もなく潰れた。そしてモニターに鋭い罅が走り、バグナスの姿を映し出しているカメラのレンズにも亀裂が走る。そればかりでは終らない。部屋全体が揺れ、ホテルそのものが軋む音がした。何処かで警報の音が響き、地下に設置されている発電機がショートし、電源が落ちた。宿泊客は何が起きたのか判らず、混乱して部屋の外に出ようとするが、電源が落ちてオートロックが外れない為にそれすらままならない。
「もう一度言ってみやがれ!!」
獣の様に絶叫するバグナスに呼応するかのように、揺れはどんどん激しさを増して行く。そして遂に屋上にある貯水タンクが重力に耐え切れなくなって潰れ、大量の水がストリートへと滝の様に降り注ぐ。ストリートにいる人々も異常に気付き、ホテルを見上げて驚き、混乱した。
『わ、悪かったよ旦那、落ち着いてくれよ!』
モニター越しに叫ぶが、どうやらその声は届いていないらしい。ホテル全体が凄まじい重力を受けて、全ての窓の硬質ガラスが弾け飛んでストリートへと降り注いだ。
『落ち着いてくれよ、落ち着いてくれって、旦那! ホテルが、潰れちまう!!』
やっと聞こえたのか、荒い息を吐きつつ歯軋りをしながら点滅するモニターを睨む。息が荒いのは疲れたからではない。興奮している為だ。
「……んの野郎、余計な力ぁ使っちまったじゃねぇかよ! ん、喉が渇いたな」
そう言い傍にある冷蔵庫に手を掛けるが、開かなかった。どうやら歪んでしまったらしい。まだ逆上しているバグナスは冷蔵庫を素手で殴って破壊し、中から缶ビールを出す。ちょっと歪んでいるが、中身は変わっていない筈だから気にしないバグナスだった。
「ったくよぉ、最近のホテルは安普請で困る。もちっと頑丈に作れねぇのか? こんなんじゃあ俺様の《能力》が発揮できねぇじゃねぇかよ」
缶ビールを開けながら、無茶な事を言う。そもそもそんな場所で《能力》を使う方がどうかしている。そう思う男だった。だがそう言うと、今度こそ絶対に何かされる。だからその言葉はぐっと飲み込んだ。
「うわっと、畜生! ビールの分際で俺様に喧嘩ぁ売ってんのか!?」
噴出したビールに向かって叫んでいる。滅茶苦茶だ。一刻も早く回線を切断したい。そう男は思った。
「何でもかんでもヤワっちくて困るぜ、ったく。もちっと頑丈に作れってんだよ畜生!」
『それはちと無理な注文ですぜ、旦那』
「……んだとぉ?」
再びホテルが軋み始める。バグナスの双眸が薄く発光した。
『い、いや、そういう意味じゃなくって、旦那の力が強すぎるって言いたいんだ』
「ん、そうか? へっへ、そーかそーか。何でぇ、判っているじゃねぇかよ」
言われて、上機嫌になったのか缶ビールを一気に飲み干し、口元を拭う。こういうのを、鋏と何とかと言うのだろう。男はそう考えていたが、当然口はおろか表情にすら出していない。
「お、いい考えが浮かんだぞ。ちっと待ってろ」
唐突にそう言い、バグナスは男を無視して潰れたテーブルの傍にある端末を操作する。
『はい』
僅かワンコールで繋がる。その声は落ち着いた野太い声だった。
「おぉ、マーヴェリー。久し振りだな!」
大声で上機嫌に言う。だが相手の反応は、
『何だ、バグナスですか。私に一体何の用ですか?』
やや迷惑そうでもあった。しかしそんな事は気にしないバグナスだった。
「おいおいおいおい、『何だ』はねぇだろう。久し振りだってぇーのに御挨拶だな」
『……用がないのなら切りますよ。これでも多忙な身ですから』
「だ・か・ら、待てっつってんだろう」
『そんな事、一言も言っていませんが?』
「揚げ足とってんじゃねぇよ。ったく。判った判った、真面目に話すから」
手をひらひらさせて、うんざりしたかのように言う。だがマーヴェリーはそれを全く気にした様子はない。実際見えていないから当然だろうが、モニター越しに見ている男はその行動に冷汗をかいていた。端末の向こうの人物が何を言っているのか判らないが、あのバグナスがあんなことをするのは初めて見る。だから次の行動の予想がつかない。またいきなり《能力》を暴走させるかも知れないのだ。
『判れば宜しい。で、何の用ですか?』
男が聞いたらひっくり返るような事を平然と言った。だがバグナスは気にしていない様で、至極あっさりと、それでいてそれが当然の様に、
「カクカクシカジカで知恵ぇ貸して欲しいんだよ」
『………………判りませんよ』
「相変わらず冗談の通用しねぇ野郎だな。まぁいい、実はな……」
バグナスは事の顛末を説明したが、それは甚だ支離滅裂だった。モニターの男は少なくとも理解不能だったが、どうやらマーヴェリーは理解した様だ。これは稀有な才能かも知れない。
『なるほど、判りました。しかし貴方も物好きですね、〝ハンター〟ごときにそんな事をするなんで……』
「っせぇ! 俺の勝手だ!!」
その瞬間、バグナスの双眸が赤く発光する。モニターの男はそれを見て小さく悲鳴を上げたが、何も起きなかった。どうやら今度は理性が働いたらしい。
『……いいでしょう。人それぞれ思う所がある様に、貴方にも貴方なりの考えがあるのでしょうから』
「おお、判りゃいいんだよ」
この気持ちをマーヴェリーに理解しろというと、それは絶対に無理だということは知っている。何故なら彼は徹底した合理主義者で、人を信じることが出来ないから。それに、自分と『あいつ』が関わりを持っているばかりか親友で、おまけに取引相手だったと知れたら面倒だ。別に犯罪云々で面倒なのではない。バグナスが属する会社はその程度は細工できる。ただ、社長に説明するのが面倒だということだ。もっとも言った所で、「それがどうした?」で終りそうな気もするが。
そしてマーヴェリーも、バグナスの気質を熟知している。それでも尚協力しているのは、同僚という事もあるが、偏に彼と対立したくないだけだ。一度キレると《市街》を文字通り潰しかねない彼と戦っても、負ける気はしないが勝てる気もしない。出来れば敵にしたくない相手、それだけだ。
『取り合えずその彼の情報を集めないといけませんね。今から《本社》とハンターバルドのデータバンクをハッキングしますので少々お待ち下さい。……おっと、出ました』
相変わらず早いこって。独白しつつ、バグナスは次の言葉を待った。彼のハッキング能力は、レベルの低い〝サイ・デッカー〟など足元にも及ばない。勿論それは、彼の使用する回線の情報伝達力がかなりのものだという前提条件付だが。
『成程。このデータによると、確かに貴方の私兵には荷が重いでしょう。というより、下手な軍隊など足元にも及びませんよ。ほう、只今あの犯罪組織゙ヘカトンケイル”を壊滅中ですか。中々大胆なことをしますね、死ぬのが恐くないのでしょうか? ……既にボスを葬ったのですか……一体どういう手段を使ったのでしょうね? あそこのセキュリティを崩すのは私でさえ難しいというのに……』
「おい……」
モニターに寄り掛かり、それを指でコツコツと叩きながらバグナスは静かに言った。モニターに寄り掛かられている為に何も見えないが、声だけは聞こえて来る。静かな声だが、それが余計に不気味だ。いい加減、スイッチを切りたくなって来るモニターの男だった。因みに、彼の名前はアンラーキーという。
『判っていますよ。えーと……ん? これは……』
「どうした? ハッキングに失敗してウイルスでも喰らったか?」
『まさか、そんな失敗はしませんよ。ほう、これは実に興味深い。彼の名前に関するデータがありました。彼の名前、知っていますか?』
「あん? 生体なんちゃら、ラッセル・ピーマンの最高傑作だろ?」
何だよ、ピーマンって。思わず心の中で突っ込むアンラーキーだった。だが呆れたのは彼ばかりではない。
「何だよ、其処まで深い溜息つかなくてもいいだろ。別にテストに出るワケじゃねぇんだからよ」
『生体機械工学者ですよ。彼の名前はテストに出ます。それで……』
「……おい、今何つった?」
『テストに出る、と言いました』
「ちゃうわ! その前!!」
『? 生体機械工学者ですか?』
それを聞いた瞬間、バグナスはぐるりと回ってモニターを睨んだ。その先に映る人物、アンラーキーは素知らぬ顔をして、
『あ、旦那、俺、その、用事があるから……』
「………………お前ぇ、さっき『生体物理学者』って言わなかったか?」
『え? きききききききききき気のせいですゼ。あ、俺もう行かなくちゃ……』
「後で覚えてろ」
そう言い、バグナスはモニターを叩き潰した。そしてアンラーキーは……
「…………逃げよう」
即決し、彼は《結界都市》の暗闇に消えて行った。そしてその後、彼の姿を見た者は誰もいない。
『一体どうしたのですか?』
「何でもねぇよ」
心の底から不思議そうに訊くマーヴェリーにそう言うと、続きを促した。彼は溜息をつきつつ、検索した結果をバグナスに告げた。
『彼の名前は《D・リケット》、本名は不明。一説によると《魔導士ギルド》の最高導師にしてサブマスターのハズラット・ムーンの弟ではないかと言われています。だがこれは確認のしようがありませんね。〝魔導士〟には家族・親族に関するデータは一切ないのですから。そして彼のファーストネームの《D》。誰が呼んだのか《死神》、《悪魔》、《破壊者》、《死人》の《D》である説が有力ですね。これもあくまで噂の域を出ませんが。それは良いとして、その彼の戦闘能力ですが、怒らないで下さいよ、私や貴方に匹敵すると仮定できます』
「ほう……根拠は?」
バグナスの声が、どんどん低くなってくる。それは彼の怒りが限界に達しつつあるという事でもある。人は真に怒った時、頭の中は妙に静かなものだから。
『あくまでも仮定ですよ。それにこれは《市街》での戦闘であり、且つ周囲の被害を最小限に留めた場合です』
ただでも鋭い双眸を更に細め、唇を尖らせている。マーヴェリーにはその声を聞いただけでどういう表情をしているかが判ったが、敢えて気付かないふりをした。言ったとしても、逆効果にしかならない事を知っているから。
「なら、被害なんぞを考えなかったらどうなる?」
静かにバグナスは訊く。それに対してマーヴェリーも静かに答えた。
『愚問ですね。貴方はご自分の戦闘能力をご存じないのですか?』
「……成程、アリガトよ。じゃあ俺はちょっくらツラァ拝んでくらぁ」
『え? ちょっと待って下さい。まだ私の説明が……』
聞かず、バグナスは端末の電源を切った。そして冷蔵庫の中から缶ビールを取り出し、一気に飲む。
「さて、パーティの始まりだ……」
呟き、皺だらけのジャケットとスラックスを取り出して羽織る。そして何故かネクタイをだらしなく締め、砕けた窓ガラスから身を躍らせた。空中からはあらゆる物が落下するのだが、バグナスにとってそれは常識ではなかった。彼は、空中を歩いていた。そう、まるで其処に見えない道が在るかのように。