HEAD.HUNTER   作:佐々木 鴻

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Ⅲ・like a demon

《市街》のほぼ中央部には病院がある。その病院は、この都市が《結界都市》となって暫くしてから建てられたものだ。

 では何故この場所に建てられたのか、その理由は実に単純で、それでいて効果的なことだった。

 

《市街》では賞金稼ぎと犯罪者達の戦いが絶えない。そしてそれに巻き込まれる一般人もまた多いのが事実。

 集金稼ぎ――〝ハンター〟に一般人を護る義務などないし、幾ら犯罪者達には彼らだけのルールがあるといっても、戦いの最中にそんなことは気にしていられない。自分の身を護るのが最優先だから。

 

 そのことに対して《結界都市》を統括する者達、《都市連合委員会》もなんらかの処置を執らなければならなかったのである。

 

 まず、必要な設備を整える事。これは簡単な事であり、《結界都市》に住む人々も賛同して僅か半年足らずで病院が出来上がった。

 

 受傷した人々に対する対処だが、〝ハンター〟と犯罪者との戦いに巻き込まれた者、そしてそれに類似することで受傷した者に限り、その治療費はどの程度の怪我であっても無料、無償で治療が受けられる。

 

 更に、それで死亡した者には生命保険の加入・未加入に関係なく、その生活水準に見合った金額が保証されるのだ。

 

 そして最も重要なことである医師だが、実は優秀な人材が見付からなかった。《都市連合委員会》は当初、天才と呼ばれた医師であり、生体機械工学者の権威でもあるラッセル・Vを院長に招き入れようとした。だがその矢先に彼は何者かに殺されてしまった。一説によると、そのことを妬んだ者が犯行に及んだのではないかとも囁かれたが、事実は今でも闇の中だ。

 

 だが彼には、《Vの子供達》と呼ばれる者が四人いる。その中の一人に、彼の全ての知識と技を習得した者がいたのだ。但し、性格に多少問題があるのだが、それらを差し引いたとしても充分に釣りが来るほどその者は優秀で、《龍脈》の乱れから発生する、人体を生体として再生不能にする瘴気、《ドラゴン・アシッド》に侵された者でさえ治療することが出来るのだ。五年前、ラッセル・Vでさえ治療不可能だったにも拘らず、彼はそれを見事にやってのけた。

 

 その出来事もあり、彼は《都市連合委員会》の依頼を受け、その病院の院長となったのである。

 

 そのとき、彼は幾つかの条件を出した。そしてそれを断ることは、彼という優秀な人材を永遠に失うこととなるために、《都市連合委員会》はそれを呑んだ。だが彼の要求など、《都市連合委員会》にとっては些細なことなのかも知れないが。

 

 その条件とは、第一に彼を今後一切《Vの子供達》と呼ばないこと。

 そして第二に、病院の運営、方針には一切口を挟まないこと。

 第三に、病院内で起きる全てのトラブル――《ハンター》と賞金首の戦いなど――の処理は病院のスタッフに一任すること。間違っても公安・警邏に口出しをさせないこと。

 第四、この病院を受診する患者の支払い金額設定に口を出さず、且つ保険請求をした分だけ支払うこと。多い少ないという問い合わせは一切無用。

 最後に、この病院内で働くスタッフの給与、病院設備に関する支払いは全て《都市連合委員会》の負担とする。

 

 ――かなりとんでもない申し出だったが、それらが全て受理され、その病院が運営を開始したのである。

 

 病院の名は、院長の名をそのまま使っており、そしてその院長の名は……。

 

 

 

 

 院長室の内線が鳴り、座り心地の良い革の椅子に坐って本を読んでいた院長、ファウル・ウェザーはそれを持ったままモニターのスイッチを入れた。其処に映し出されたのは、病院の制服を着た受付の美しい女性でだった。彼女はしばしば、患者を虜にしてしまい、連日意味もなく受診する患者が数多い。

 

「なんだ?」

 

 その彼女を見もせず、彼は静かに訊いた。彼女の方からは、彼の顔は見えない。見えるのは彼が読んでいる小説《まぁぶる探検隊》の扉に描かれているミカンのイラストだけだ。

 

『外線が入っていますが、どうしますか?』

 

 顔が見えなかったことに安堵し、彼女はそう言った。それが判っているのか違うのかは知らないが、彼は小説を読んだまま一言、

 

「誰からだ?」

『判りません。ですが「儂からだと言ってくれるかの?」と言っておりました』

「……判った、繋いでくれ。何処からだ?」

『公衆電話からです。場所は……あ……』

 

 その後、彼女からの返答はなかった。何故なら、本を閉じて身を乗り出した院長を見てしまったから。

 視線が合ってしまったから。

 明日、彼女は暫く仕事は出来ないだろう。彼の、ファウル・ウェザーの眼を見てしまったから。

 

 彼はモニターのスイッチを切り、外線を繋いだ。受付嬢は、傍にいるスタッフが何とかするだろう。ストリップなどを始めなければいいが。

 

「何の用かな?」

 

 受話器を耳につけ、彼は静かに訊く。すると其処から派手な喧騒と雑踏の音が飛び込んで来た。

 

「……今、何処にいる?」

『それは御挨拶じゃのぉ』

 

 電話の先の人物、リィクはそう言うと楽しげに笑う。

 

『儂は《公園》にいるがの。ちょっと気紛れで二三番街のメインストリートから電話をしておるのじゃ』

 

 二三番街とは、都市の西側にある場所で、新しい歓楽街と呼ばれている所だ。因みに其処には夜ともなると人々が溢れ、日が昇るまで思いのまま享楽に耽るのである。

 

「ほう……珍しいこともあるな。どうしてそんな所から電話を?」

 

 リィクの発言には不可解な箇所があったが、彼はそんなことを気にしないようだ。それにそれをやってのけるのを判っているし、その程度でいちいち驚いていたらキリがない。

 

『ちぃとばし、心配事があってのぉ。《(ミザリィ)(レスキュー)》からの入電はまだかの?』

「……いや、まだ入っていない」

 

 パネルを操作して、本日の救急患者のリストを見ながら言う。

《M・R》とは別名《不幸の救急隊》と呼ばれ、《結界都市》内で人名が危うい事故・災害が起きた場合に必ず現れるレスキュー隊である。

 但し、彼らが現れるのは事故・災害が起きる三分前(・・・)であり、現れた先では必ず不幸な出来事が起きるのだ。

 それでも、彼らに搬送されて助からなかった人々は皆無で、そのために彼らの出張所である一三番街出張所には感謝のメールが絶えない。

 だが、そのメールは絶対に届くことはないのだ。

 何故なら一三番街出張所なるものは、《結界都市》には存在しないのだから。

 

《結界都市の奇妙な人々》の一つに名を連ねている《M・R》。彼らの素性を知る者は、この世に存在しない。

 

「今日は《M・R》は来ていないな。どれも大した事のない急患ばかりだ。……ふむ、これは入院などしなくても良かったな。……第三外科か。減俸だな」

『じゃあ、多分これから来るじゃろう。あくまで多分、じゃがのぉ』

 

 もごもごと笑っているのが聞こえて来る。彼は溜息をついた。

 

「貴方の情報が間違えることなどないだろう。《M・R》が来るくらいだ、こちらもそれ相応の準備をしておこう。情報料はいつもの口座に振り込んでおく」

『おっとっと、待て待て。これはサービスじゃが、《(リカバリー)・ラボ》も準備しといた方が良いぞい』

「《再生機》を? ……判った、そうしよう。それでは……」

 

 ファウル・ウェザーはそう言い、受話器から耳を離した。

 

『何かあったらいつでも呼んどくれ。儂はいつでも此処いる。儂にとって、時間は意味を成さないからのぉ』

 

 受話器を置き、机を指で叩いて考えてから彼はサングラスを掛け、パネルのボタンを押した。モニターにはネクタイを締めて眼鏡を掛けた初老の男が映る。

 

『何かありましたか、院長?』

 

 そう訊く初老の男、副院長に《R・ラボ》が空いているかどうか訊く。彼は躊躇せずに、

 

『一基空いています。ですがそれは明後日「両上下肢断裂」の患者が入る予定でしたが』

「緊急で使用する。その患者にはその旨、私から説明しよう。スタッフを集めろ、これより《M・R》から入電するぞ」

『了解しました。……五分後にはスタンバイしています』

「……ちと遅いな……」

 

 呟き、時計を見た。二一タイムを回っている。

 

「……この時間だ、仕方ない。では、三分後に救急外来に行く」

『判りました』

 

 モニターのスイッチを切り、ファウル・ウェザーは純白の白衣を着て院長室を出た。

 

 そして《M・R》からの入電は、それから七分後にあった。だがそれも、この病院――ファウル・ウェザー病院では日常の出来事だった。

 

 

 

 

 窓の外に飛び出したリケットを呆然と見詰め、そしてジェシカはあることに気付いた。

 

「ちょっと、此処って三〇階なのよ! 一体何を考えて……」

 

 窓際に近付こうとしたが、ガラスの破片が散乱しており、更に自分が裸足だということに気付いてその場で足踏みした。このままでは、逃げることすら侭ならない。どうしても危なくなったときには、仕方なく逃げるが。

 

 リケットは持っている蛮刀を構え、空中にいるバグナスに突進して斬りつけた。だがそれはあっさりと躱され、リケットはそのまま下へと落下して行く。

 

「莫迦じゃねぇのか? そんなモンでこの俺様に敵うとでも思ったのかよ? 死ね!」

 

 ポケットから両手を出し、落下して行くリケットへと漆黒のエネルギー弾を無数に放つ。それらの一つ一つに、凄まじい重力が込められているのを一目見ただけで理解したが、それでもリケットの表情は変わらない。全く慌てることなく右手の甲から鞭を打ち出し、ジェシカの部屋の天井へと放つ。極限まで細く強く鍛えられた金属の糸を数万本寄り合わせて作られたそれは天井に突き刺さり、リケットはその反動で振り子のように外壁に立った。そしてそのまま垂直に跳ぶ。

 

 バグナスの放ったもの――重力弾はそのまま歓楽街のストリートに落ち、一帯に重力の嵐が吹き荒れた。その衝撃によりマンション全体が激しく揺れ、全てのガラスが吸い出されるように割れた。

 

「避難していろ」

 

 再びジェシカの部屋に降り立ったリケットは鞭を巻き取り、先ほどと全く変わらない口調で振り向きもせずに言った。だがジェシカは、

 

「何処に? 奥の部屋にでも行っていろって言うわけ? ま、ガラスの上を裸足で歩いて痛くないっていうなら行くけど」

 

 ガラスの破片が散乱している部屋を見回して溜息をつき、ジェシカは更に続けた。

 

「この若さで天文学的数字の借金を抱えるとは思ってもいなかったわ。どうやって返済したら良いのかしら?」

「あの莫迦に払わせれば良いだろう」

 

 冗談めかして言うジェシカへと、抑揚のない声と表情で言う。やはり表情は変わらないのだが、何故かその台詞が滑稽に聞こえて吹き出すジェシカだった。

 

「何が可笑しいってんだよ、この野郎!」

「五月蝿いわね、黙っててよ!」

 

 何故か激昂しているバグナスへと吐き捨てるように言い放ち、リケットをじっと見詰めた。そしてその表情が変わらない顔に手を触れ、頬を撫でる。

 

「可哀想な――。笑うことも泣くことも忘れてしまったの? でもどうしてその眼だけは、そんなに哀しそうなの? ……そうなったのも、私の所為なんだよね……私を《ドラゴン・アシッド》から護ったばかりに……ゴメンね、私、貴方に何もしてあげられない……」

「気にするな」

 

 自分の頬を撫でる白く小さい、そして柔らかい手を握り、そして突然抱き締めて横に跳んだ。高圧レーザーが、避けた二人がいた場所を焼く。

 

「人を無視してラヴラヴしてんじゃねぇよ! いい加減にしねぇと……」

 

 大声で叫んでいるバグナスへと、リケットは懐にあるナイフを抜き打ちで放った。それは正確にバグナスの喉を直撃する筈だったが、彼は咄嗟に持っている短銃で受け止めた。

 

「……巫山戯やがって……」

 

 短銃に突き刺さっているナイフを一瞥し、それを捨てる。ナイフは正確にエネルギーカプセルを貫いており、短銃は空中で小さな音を立てて破裂した。

 

「本気でいくぜ……」

 

 バグナスの双眸が血の色に輝き、不意に周囲の空気が文字通り重くなる。その瞬間、突然呼吸をするのが辛くなったジェシカは肩で息をし始めた。

 

「……強力な重力を受けた空間は、一体どうなると思う?」

 

 突然リケットが呟く。だがそれに答えられる余裕は、ジェシカには既になかった。それでもリケットは平然と呟く。

 

「空間が歪み、全てを圧縮して時空の彼方へと飛ばす空間が出来上がる。……〝グラビドン〟か」

 

 バグナスの《能力》、それは〝PSI(サイ)〟で最高ランクの《グラビドン》だ。重力を自在に操り、時空すら捻じ曲げる《能力》である。

 

「重力の歪を喰らえ!」

 

 バグナスが両腕を上げて絶叫した瞬間、部屋の中にあるテーブルや椅子、シングルソファが外へと吸い出される。そしてリケットとジェシカの身体も浮き、同様に外へと吸いだされた。

 

 バグナスの後方に、漆黒の重力塊が現れている。それが超重力力場(ブラックホール)であると、ジェシカは瞬時に理解した。だが、どうすることも出来ない。あれほどの超重力に引き込まれたら、人間の身体など数ミリに満たないほど小さく圧縮されてしまうだろう。

 

 悲鳴を上げているジェシカを尻目に、リケットは着用している戦闘服に仕込まれている《結界機》を起動した。途端に周囲を吸い込む重力の嵐が消え、今度は正常な重力に従い落下を始める。そしてジェシカは、違う意味で悲鳴を上げた。

 

「しっかり掴まっていろ」

 

 静かに呟き、吸い寄せられている看板やエア・モービルを足場にして屋上へと駆け上る。そして着地した瞬間再びナイフを投げるが、それはバグナスを避けてその後方にあるブラックホールへと吸い込まれた。

 

「……もう、なにがなんだか判らないよ……でもこれって私の所為になるのかな? イヤよ、マンションを弁償させられるなんて」

 

 ジェシカの真剣な悩みに、リケットはやはり答えない。少し寂しくなるジェシカだったが、此処は開き直って話し掛け続けようと思っていた。

 

「へぇ、《結界》持ってたんだ。ま、基本だろうがよ」

 

 再びポケットに両手を突っ込み、バグナスはゆっくりと屋上に降り立った。その様は、隙だらけだ。そしてそれをリケットが見逃す筈がない。彼の両足のモーターが唸りを上げ、空気の壁を突き破って突進し、バグナスの腹を薙ぎ払った。凄まじい衝撃波が彼を襲う。

 

 並みの相手だったらそれで両断されるか、衝撃波で圧死してしまうのだが、バグナスは違った。発生した衝撃波を感じた瞬間、重力力場を発生させてそれを弾き飛ばした。だがそれでも衝撃は止まらず、彼の肋骨は嫌な音を立てて折れた。

 

「てめ……」

 

 呟いたその口から、血液が逆流する。折れた肋骨が肺を傷付けたようだ。

 

「…………やってくれるじゃねぇか……もうどうなっても知らねぇぞ!」

 

 鋭い双眸が見開かれ、瞳が血色に発光した。逆立っているバグナスの灰色の髪が、更に逆立つ。その瞬間、リケットは弾かれたように後退してジェシカの腰に手を回す。そして、

 

「ちょっと、一体どうしたの……え、ウソ? 本気なの?」

 

 突然隣のビルへと跳んだ。ジェシカの絶叫が響くが、突如その絶叫は轟音で掻き消された。

 

「……マンションが……」

 

 信じられない光景を見て呟くジェシカを抱かかえたままリケットは隣のビルの屋上に立ち、空中でゆっくりと視線を廻らせているバグナスを静かに見る。マンションは、轟音を立てて崩れていった。

 

「ウソ、ちょっと待ってよ……これは夢なの? 夢だったら嬉しいんだけど……ううん、それ以前にあそこには全財産があるのよ。……受験票もあの中だったわ……」

「来るぞ」

 

 頭を抱えるジェシカを一瞥し、呟いた。戦闘服に仕込まれた《結界機》の警報が響く。限界は近い。

 

「何なのよ、あいつは!?」

 

 訳が判らなくなって半狂乱で絶叫するジェシカに、リケットはやはり無感情に、

「〝PSI〟、然もその中で一、二を争う《能力》、〝グラビドン〟だ。さて、《結界》が何処まで持つかな?」

 

 呟くと、彼は初めて笑った。いや、笑いというより嗤ったと言う方が適当だろう。だが幸いにも、その表情はジェシカの視界に入らなかった。彼女はじっとリケットの腕の中に抱かれたままである。

 

「《結界》が壊れたら……どうなるの?」

 

 震えながら訊くジェシカへと、頭上を見てから何事もなかったかのように、

「上にあるあの重力塊によって、瞬間的に三〇を超える強烈なGで潰れるだろうな。……拙いな……」

「今頃気付いたの!? 拙いなんてモンじゃないわよ!!」

「違う」

 

 しっかりと抱き付いているジェシカの顎に指を掛けて上を向かせ、顎を杓った。その方向を見て、混乱した頭が一気に覚めた。

 其処は空間が歪み、そしてガスが発生していた。その毒々しい橙色のガスは、見たことがある。

 

「あれって……確か……」

 

 嘘であって欲しい、そう思うジェシカの願いは現実の前では虚しいだけだ。

 

「《ドラゴン・アシッド》。空間が歪み過ぎたか……」

 

 既に二人のすぐ傍までその有毒ガスは迫って来ていた。《ドラゴン・アシッド》は地中深くにある《龍気》が変質したもので、そしてその現象は滅多に起こらない。更に、起こったとしても他の《龍気》がそれを浄化する筈なのだ。稀に浄化しきれないものが地上に出る。それが《ドラゴン・アシッド》と呼ばれるものだ。

 

「こっちに来るわ……どうしよう……私、まだ死にたくないよ」

「吸い込まなければある程度なら大丈夫だ。だが肉体の方は諦めろ」

「イヤよ!」

 

 リケットを真っ直ぐ見詰め、突然左の胸を出す。

 

「此処にある刺青は、絶対に消されたくない。だって、これは貴方と私の《誓い》なのよ。何があっても、消されたくない」

 其処に刻まれている懐中時計と重なる月の刺青を一瞥し、少し考えるとグラブを外し、突然ジェシカの胸を鷲掴みにした。

 何事が起きたのか理解出来ずに呆然とするジェシカを尻目に、程なくその手を離す。彼女の刺青は、綺麗になくなっていた。

 

「……え……何をしたのよ!?」

 大切なものが消えてしまい、激昂してリケットの頬を叩いた。それを避けもせずに受けたが、全く動じる筈もなく、更に叩いたジェシカの平手の方が痛かった。

 

「その刺青、預かっておこう。さて、お喋りの時間はお終いだ。来るぞ」

 

 前方から巨大な重力塊を従えたバグナスが迫る。そして後方からは最悪の生体破壊ガスがゆっくりと、獲物を狙う蛇の様に近付く。逃げられないこの状況で、突然リケットはジェシカへ口付けをした。

 

「……巫山戯んな、このサイコ野郎!! この状況で何考えてんだ!?」

 

 ジェシカもそう思った。だが彼がなんの考えもなく、ましてその場の雰囲気や気の迷いでそんなことをしないのはすぐに判った。

 

「ありがとう、――」

 

 口が塞がれている為に声には出来なかったが、ジェシカは彼のその気持ちだけで充分だった。人工心肺を埋め込んでいるリケットは、呼吸を必要としない。人口肺が、酸素を作り出すから。リケットの口からは酸素が流れ出し、それがジェシカの呼吸を助けていた。

 

 そして《ドラゴン・アシッド》は二人を包む。ジェシカの服はもとより、皮膚が、髪がそのガスによって焼け爛れていく。幾ら呼吸が出来るといっても、長時間はもたない。肉体が崩壊していくから。

 

 そして《結界》の効果も既に限界だ。リケットは一度目を閉じ、そしてジェシカを抱かかえたままバグナスの方へと跳んだ。そしてナイフを次々と投げる。

 

「莫迦じゃねぇのかよ、それは効かねぇっつうのは判ってんだろうが!」

 

 バグナスの言う通り、ナイフは全て軌道を逸れ、重力塊に吸い込まれた。それを一瞥したバグナスが鼻で笑い、そしてリケットを見た。その瞬間リケットの両腕から放たれた四条の鋼の鞭が彼の四肢に巻き付いた。

 

「〝Equipment of Molecule Collapse by a High-pressure Electric Current〟」

 

 鞭へと高圧電流が流される。だがそれは感電させる為のものではなかった。

 突然、鞭が絡み付いているバグナスの四肢が消滅していく。いや、正確には分子単位で分解されているのだ。

 

「何だと!? この効果は《EM(エム)(シー)HEC(ヘック)=ブレイカー!=》!? 何故、貴様がこんな物を……ち、これまでか……」

 

 自らの両手両足を引き千切り、バグナスは重力塊の中へと消えて行った。その瞬間、彼が発生させていた空間の歪みが全て消え、《ドラゴン・アシッド》の発生も収まった。

 

「生きているか?」

 

 ビルの屋上に降り立ち、唇を離してジェシカを見下ろした。

 彼女の皮膚は焼け爛れ、髪は全て抜け落ちていた。更に焼けた皮膚からは頭蓋骨すら覗いている。体幹の表皮はおろか脂肪すら焼け爛れ、内臓が露出し、そして下半身は完全に消失している。

 そしてリケットは、〝サイバー〟であるため生体としての機能が低いせいもあり、それによる汚染はある程度抑えられていた。

 

 

「戦闘服全壊、身体機能43%ダウン、残存エネルギー0.2プール、残存活動所要時間四七秒……ジェシカ・Vの生命反応確認……心肺機能停止、脳機能再生可能時間八分一六秒。生体機能再生……不能……」

 

 淡々と呟き、そしてリケットは、ジェシカを抱き締めたまま倒れた。その瞬間、エア・モービルが屋上に降りる。そのオレンジの車体にはこの様に書かれていた。

 

《M・R13》

 

 

 

 

 ファウル・ウェザーは、救急外来の診察室で読書をしていた。周囲に人がいる為にサングラスをしているが、その透き通るほど色白で整っている美しい容貌に見惚れる者は、この病院でも数多い。例え読んでいる本のタイトルが『まぁぶるウォーズⅡ――まぁぶる一号の逆襲――』だったとしても、だ。

 

 今日の急患は少なく、そして入院患者すらも気味が悪いくらい大人しい。普段なら幻覚を見て暴れる〝ハイパー〟崩れがいたり、大声で泣き喚く狂った〝デッカー〟で賑やかだが、今日に限ってそれらの人々は大人しかった。多分それは、先ほど院長自ら回診(・・)したためではないかと予想されるが、真偽のほどは定かではない。

 

 だがその静寂も長くは続かないのは判っている。もっとも、落ち着いているからといって呆けている者は一人もいない。

 

「……もうすぐか」

 

 読書を止め、ファウル・ウェザーは立ち上がった。それを合図に、スタッフも所定の位置につく。そして……。

 

『《M・R》より入電。歓楽街にて〝PSI〟と〝サイバー〟の戦闘あり。《ドラゴン・アシッド》が発生した模様。被害者は〝サイバー〟一体とノーマルの女性一人。詳細不明。二分後に搬送来ます。尚、女性は心停止しており、且つかなり汚染されているようです。防護スーツの着用をお願いします』

 

《ドラゴン・アシッド》と聞いて、スタッフは顔を顰めた。あれに汚染された者は、既に生体としての姿をしていないからだ。そして時間が経つごとに、汚染は全身に及び最後には全て溶けてしまう。

 

 だが文句を言う者は誰もいない。只無言で防護服を着込んでいる。

 

 サイレンの音が響き、《M・R》が到着したことを告げた。現場が一気に慌しくなる。

 

 防護服を着たスタッフが搬送口に向かう。皆、防護服を着ていた。だが何故か院長――ファウル・ウェザーだけは白衣を着たままである。そしてそれを見ても、誰もなにも言わない。言うだけ時間の無駄だし、彼にはそんなものは必要ではないから。

 

 車内から瞬間冷凍されたカプセルに入れられた患者が運び込まれる。《ドラゴン・アシッド》に汚染された者は例外なくそのような処置をされるのだ。そうすれば汚染が広がりにくいし、その進行もある程度は抑えられる。

 

「ご苦労。状況は治療しながら訊こう。それに、君達も僅かだが汚染されているようだ。入りたまえ、治療する」

 

 そう言うファウル・ウェザーに、だが青白い顔の隊員達は頭を振った。

 

「大丈夫です、我らはそれによって死ぬ命を持っていませんから」

 

 隊員に「そうか」とだけ言い、ファウル・ウェザーは患者を見て……溜息をついた。

 

「……お前かよ」

 

 一方は辛うじて人間と判る程度だが、もう一方はすぐに判った。〝サイバー〟はその身体に埋め込まれている機械のお陰で汚染されにくい。《ドラゴン・アシッド》はあくまでも《精気》である為に、生体とかけ離れている〝サイバー〟には通り難いのだ。

 

 そして運ばれた〝サイバー〟は、彼と同じ境遇の者だったのである。

 

「誰がお前をこんな目に合わせた? なぁ、リケット」

 

 呟き、そしてその彼を無視してもう一方の女性のカプセルを開けた。

 

「院長、此方の《サイバー》はどうしますか?」

「洗浄して高カロリー輸液でもぶち込んどけ。そいつは単に急激なエネルギー消費による意識消失だ。そして目が覚めたら高カロリーペーストでも喰わせておけば問題ない」

 

 指示を訊くナースにそう答える。〝サイバー〟のエネルギー源は、実は体脂肪だからだ。よって〝サイバー〟は往々にして大喰らいが非常に多いし、そうしないと身体がもたないのだ。

 

 人間としての原形を、まだ何とか留めている女性の額を中指で触れる。ファウル・ウェザーの皮膚が僅かに焼けたが、彼は気にしなかった。

 

「拙いな……生きているのは大脳・小脳の一部と脳幹だけか……身体は塩基配列が狂っていやがる……破棄した方が早い。おい、今すぐ此処に《R・ラボ》を持って来い。此処でオペをする」

 

 額に触れただけなのに、其処までの診断をする。そして白衣を脱ぎながら指示をした。

 

 今すぐ此処で手術をするということは、この病院では珍しくない。時と場合によってはトイレでそうすることもある。それに緊急時、感染などには気を使っていられない。――もっともそれは、ファウル・ウェザーに限って、だが。

 

 その返事を待たずに、ファウル・ウェザーは素手でその女性の首を切断した。その切り口は滑らかで、とても素手で切断したとは思えない。

 そして彼はその首を持ち上げ、頭を撫でた。たったそれだけなのに、その頭蓋骨が消滅して脳が露わになっていく。

 脳は汚染により緑色に変色していたためその汚染部分を丁寧に掻き分け、そして程なく脳と脳幹だけとなる。彼はそれを用意された《R・ラボ》へと優しく入れた。全長約2.5メートルのそれは、人口羊水で満たされている。それは人体の失われた部分を再生させる装置。過去、この装置によって命を長らえた者は数知れない。だが……。

 

「これほどの再生は出来るかどうか判らない。そしていつまで掛かるのかも見当がつかないな……一体、何があった?」

 

 もう一方のカプセルに横たわっているリケットを見る。既に輸液がされており、服や戦闘服が汚染の可能性がある為に全て剥ぎ取られていた。

 

「……《サイオニクス》と戦った」

 

 リケットが呟く。輸液のお陰か、既に意識が回復したらしい。だが身体は相変わらず動かない。まだ其処までのエネルギー補充が出来ていないのだ。

 

「ほう。で、負けたのか?」

「……さあな」

 

 勝ち負けなど、リケットにとっては関係ない。それにそんなことを気にするほど矮小でもない。

 

「だが奴の両上下肢は消した」

「『消した』だと? お前まさか《ブレイカー!》を使ったのか?」

 

 その質問に「そうだ」とだけ答え、リケットは眼を閉じた。

《EM-C-HEC=ブレイカー!=》とは、高圧電力によって物体の分子運動を狂わせ、そしてその繋がりを絶つ兵器である。物質全てを消滅させるその凶悪さと、消費される莫大な電力の為に稼動は困難であり、主に経済的な理由で禁止兵器とされている。因みに消費される電力は、0.5秒で約12ジゴワット(120億ワット)――落雷のエネルギーの十倍弱である。

 

「……お前は機械に頼り過ぎなんだよ。だがそう言っても、どうせ『脳が疲れる』とか言うんだろうが。まあいい、ゆっくり休め」

「一つだけ、頼みがある」

 

 眼を閉じたまま、リケットはファウル・ウェザーに言った。

「今から言う情報を、彼女の塩基配列に組み込んでくれ。彼女が望んだことだ」

 

 リケットが言う情報を聞き、彼は頷いた。そして再び意識を閉ざすリケットを一瞥し、

「……懐中時計と月……お前は、ジェシカすらも忘れてしまったのかよ……」

 

 思わずそう口走るが、そういう自分に苦笑した。そうだった、リケットにとってジェシカ・Vという固有名詞は「どうでもいい」存在でしかなかった。

 

 天才と呼ばれたラッセル・Vに育てられた四人の《Vの子供達》。その一人であるファウル・ウェザーは、彼に最も愛された者をじっと見詰めながら溜息をついた。

 

「相変わらず、自分に正直過ぎて他人を傷付ける奴だ」

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