16.55タイム。ファウル・ウェザー病院の院長室で、彼は片肘をついてモニターを見つめていた。17タイムになれば、心待ちにしていた番組が始まる。この日は彼にとって、いや、この《結界都市》の住人達が心待ちにしている時間でもある。
事実この時間帯は、急患は元より外出者や犯罪すらも少ない。それだけこの時間帯を楽しみにしている者が多いということだ。
早々に仕事を終えたファウル・ウェザーは、「余程のことがない限り呼ぶな」とスタッフに告げ、院長室に籠もってしまった。だがスタッフ達も慣れたもので、それをどうとも思わないのが実際だが。
そして院長室に籠もったファウル・ウェザーは、時計を気にしつつ座り心地の良い椅子に深く座り、肘掛を指で叩きながら時間が経つのをじっと待った。
するとそのとき、コールが鳴る。それは外線、然も直通だった。彼に直通で連絡を取れる人物は、極めて少ない。更に言うならば、それはたったの四人であり、内二人は余程のことがあっても連絡しないし、連絡も来ない。その二人とはDBとリケットのことだが。そして残りの二人の内の一人には、実はファウル・ウェザーの方から連絡を取ることが多い。その相手も実は、ファウル・ウェザーには全く連絡しない人物だったりするが。
普段はあまり――いや、全くといってもいいほど動じない彼も、このときばかりは動揺した。そして受話器を取り、
「何の用だ?」
不機嫌も露にそう言った。そういう態度をとるファウル・ウェザーも珍しい。
『あら、つれないのね。折角私が珍しく電話をしたのに』
それは彼にとって慣れ親しんだ女性の声、そして直通で連絡を取ることが許されている人物の一人だった。だが今の彼にとって、それは余り有難くないものでもあったが。
「……嫌がらせか?」
やはり不機嫌に、ファウル・ウェザー。他の病院関係者がその声を聞いたのなら、恐怖の余りその場に凍り付くだろう。だがその電話の先の人物は全く動揺せずに、
『まぁ、それもあるけどね』
笑いながらそう言う。彼に対してその態度を取ることが出来るのは、電話の先の彼女だけだ。それ以外はリケットだろうとDBだろうと、只では済まされない。然も今の彼は、非常に機嫌が悪い。
「用がないのなら切るぞ」
言い放ち、受話器を置こうとしたが、
『まあまあ、慌てないでよ。すぐ用は済むわ。私だって大切なお客さんをお座成りになんか出来ないしね。例の物が出来たわよ。でもね、別の方からも特別注文が来ているのよ。その方は貴方の支払った料金の倍額を払ってくれたわ。それに、ちょっと事情があるらしくてね。だから、どうしようかと思って連絡をしたの』
その言葉に、少しだけ考え込むファウル・ウェザーだった。どのような治療のときでも、一切動揺せずに即決する彼が迷う姿を、彼を良く知ると自称する者が見たのならば、それは絶対に間違いだったと思うだろう。
『……迷う気持ちは判るわ。特別注文品は私の手作りだから直ぐには出来ないからね。でも個人的意見だけど、此処は貴方が諦めて欲しいな』
「何故だ?」
その意外な言葉に、彼は耳を疑った。彼女もプロである。そのような優先順位をつけることはない。どれほど金額を積まれたとしても、注文順に仕上げることが誇りでもあった。それを曲げると彼女は言う。そのことが、彼は信じられなかった。
『……理由は、言いたくないなぁ。ゴメンね』
「……判った。君がそうしたいのなら好きにすれば良い。私は待つことにしよう」
溜息を一つ、ファウル・ウェザーは言った。だがそれは諦めたわけでも、呆れたわけでもない。彼女が信念を曲げてまでやりたいということを、否定出来る筈がない。
『ありがとう。ゴメンね、迷惑掛けちゃった』
「気にするな」
『後でご飯奢るから。それじゃ、バイバイ。愛しているわ、ファル』
そう言うと、彼女は返答を待たずに電話を切った。相変わらず忙しいようだ。そう呟いたファウル・ウェザーは、再び真剣な表情でモニターを見詰めた。
時刻は16.57タイム。かなり話をしていたと思ったが、実際はそうではなかったらしい。時間の流れがゆっくりと感じられ、ファウル・ウェザーは溜息をついた。
「溜息ばかりついているとねぇ、幸せが逃げるよ」
不意に声がした。そしてその方向を見ると、スーツを着た男が立っている。
「貴様……」
ゆっくりと立ち上がり、殺気の籠もった声で呟く。だがそれでも、男は飄々としていた。もしこの場に誰かがいたのなら、その男は余程の自信家か、只の莫迦なのだろう思う筈。いや、どちらかというと後者としか思わないだろうが。
「おやおや、怖いねぇ。一体どうしたんだ?」
男が揶揄するように言う。その声が、気に入らない。だがそれよりも許せないのは、幾らモニターに夢中になっていたとはいえ、そして電話をしていたとはいえ、この男の侵入に気付かなかった自分自身だ。
「また、貴様らか。〝ウルドヴェルタンディ・スクルド〟の人間が私になんの用がある?」
「あれ、バレてたの? ま、いっか」
後頭部で手を組み、全く悪びれた様子もなく部屋を歩き回り、そしてモニターのチャンネルを見て顔を顰めた。
「天下のドクター・ファウル・ウェザーが、こんな詰まらない番組を見るのはどうかと思うけど? まったく、大人しくしていれば良いのに……。〝クラウディア〟の阿婆擦れ女め」
その瞬間、ファウル・ウェザーの長く美しい黒髪が波打った。そしてその双眸が橙色に光る。
「……おや、怒ったのかい? 怖い怖い。どうやらあんたも〝クラウディアの信者〟らしいね。下らないことだ」
本日のこの番組を楽しみにしている者達を莫迦にするとき、必ず使う言葉がある。それが〝クラウディアの信者〟だ。何故なら、この番組のスポンサーが『クラウディア社』であり、更にその番組は、其処の顔とも言うべきキャラクターが主人公だからである。
「あんたの《能力》は既にリサーチ済み。その不可解な《魔眼》にさえ気を付けていれば、恐れることなどなにもないのさ。あんたの《能力》、それは《サイコプレイヤー》をメインにした〝
そう言い、男は懐から小さく振動する直径5センチメートルほどの球体を出し、床に放り投げる。その瞬間、凄まじい衝撃がファウル・ウェザーの身体を包んだ。
〝サイオ・ジャマー〟。それは全ての〝PSI〟の《能力》を完全に封じるために開発された、対〝PSI〟用兵器。だがその大きさは、どれほど改良しても直径三〇センチメートルほどにしかならない筈だった。
「我が〝ウルドヴェルタンディ・スクルド〟の新製品はどうだい? 何も言えないだろう? 何しろ〝PSI〟はその《能力》を封じられると、身動きすら出来なくなるらしいからね。って、実は会社で実験済みなんだけど。さて、そろそろ死んで貰うよ」
男の右腕が硬質化し、一振りの剣となる。そして身動きの出来ないファウル・ウェザーの胸を貫いた。鮮血が吹き出し、院長室の床を真紅に染める。そしてそれは止めどなく流れ続け……染まった床に片膝を付いた。立っているのは、ファウル・ウェザーのみ。
「誰が〝PSI〟だって?」
胸を貫かれたまま、冷たく男を見下しながら言い放つ。
「このファウル・ウェザーに気付かれず院長室に侵入したことまでは褒めてやる。だがそれだけだ。それに、貴様は私の前で言ってはならないことを言った。――誰が阿婆擦れだって?」
ファウル・ウェザーの胸を貫いている腕を抜き、鼻で笑いながらゆっくり後ろに下がる。貫いた筈の胸には、傷一つなかった。そしてそのようなことが出来る《能力》は、一つしかない。
「参ったな……どうにも実力が測れない。一体、お前ら《Vの子供達》やハズラット・ムーンはどうなっているんだよ?」
「戯言は要らん。消えろ」
そう言い、呪文を呟く。そしてその橙色に輝いている双眸が見開かれ、男を射抜く。
「闇に還れ」
男の全身を闇が包む。その瞬間、その身体を構成している蛋白質の基配列が崩れ始めた。その苦痛は想像を絶するものなのか、それともその有り得ない超常に耐えられなかったのか、堪らず男は絶叫した。
「ファウル・ウェザー! それ程の力がありながら……何故、人々を救うという愚かな事をする!? その力があれば、全てを手に入れることも出来よう……」
苦痛に絶叫しながら、男は言った。だがファウル・ウェザーは応えない。応えたくもない、そしてその義理もない。
やがて男は白骨と化し、更にそれすら崩れて床を汚した。
「阿婆擦れだと? 巫山戯るな。あいつを誹謗、中傷することは誰であろうと許さん」
床に転がっている〝サイオ・ジャマー〟を拾い、軽く握る。それだけでその丸い物体は消滅した。
床を汚している男の残骸は、彼の身体から漏れ出る闇が覆い尽くし、在るかどうかすら判らない。だがそれを全く気にせず、ファウル・ウェザーは再び椅子に座った。
時刻は、16.59タイム。どうやら間に合ったようだ。あと少しすると、始まる。軽快な音楽と共に、モニターにはみかんに顔が描かれたもの、『まぁぶる』が映し出される筈……。
そして遂に17タイムになり、画面には軽快な音楽と共に『まぁぶる』が……映し出されなかった。
「どういうことだ?」
番組予定に目を通し、そしてそれが間違いではないことを確認する。
『本日は予定を変更しまして、特別番組をお送りします……』
ナレーションが流れ、違う番組が放映されることを告げる。それを横目で眺めつつ、携帯端末を持ち上げた。そして連絡をした先は……。
『どうしたの?』
先ほど連絡があった女性、〝クラウディア社〟の社長、リエ・クラウディアだった。
「どうしたもこうしたも、一体どういうことだ?」
『さっきのこと? やっぱり気が変わったの?』
「違う、そんなことではない」
『……どうしたの、ホントに。ファルがそんなに怒っているのって、凄く久しぶりじゃない?』
端末から困ったような声が聞こえて来る。それを聞いて、ファウル・ウェザーの頭が一気に冷えた。
「済まない、少しばかり面白くないことが続いたのでな」
『あらぁ、やっぱり面白くなかった? それとも忙しくて私と逢えないから色々溜まっちゃったの? もう、ファルったら欲しがりんぼさんなんだから』
「それもあるが――」
あるんだ。リエはそう思い、今度は気合を入れて休みを取ろうと休暇のシミュレートを開始した。一日二日じゃファルも満足しないよね、よし、最低三日。傍にいる秘書が引くくらいだらしないデレ顔を浮かべつつそう画策する。
そして更に、ちょっと本気で仕事を終わらせよう。などといつもは本気を出していないかのようなことを考えた。
だが実はそれもあながち間違いでもなく、彼女は止められなければ独りで何処までも突っ走ってしまい、他の社員が付いて行けなくなってしまうために秘書から「本気を出すな!」と
「今は別件だ。それより、今日は『まぁぶる物語』が中止なのか?」
『え?』
言われて、『休暇取得大作戦』とナンセンスな銘を付けた情報を心のフォルダに記録し、少しだけ沈黙してから彼女は溜息を吐いた。どうやらモニターをつけたらしい。同じ音が受話器越しに聞こえて来る。
『……こんなの、私だって知らなかったわ。無断で番組を変えるなんて、どういうことなのかしら? スポンサーの
勝手に番組を変えられたことを怒っているようだ。それもその筈、『まぁぶる物語』は〝クラウディア社〟の独占スポンサーだ。それを何の連絡もなく勝手に変えるということは、由々しき事態である。
『連絡してくれてありがとう。仕事が増えちゃったけど、これを知らなければ《結界都市》の笑いものになるトコだったわ。それにしても、私も嘗められたものね』
「まぁ、無理はするなよ。それから、今度の食事の件は無かったことにしよう。何やら忙しくなるらしいからな」
『あら、無しにして良いの? もしかして、何かヘンなことを企んでいるんじゃないでしょうね? まぁ、私としては少しくらい企んでくれた方がいいけど』
貴方って妙なところで真面目だし。そう付け足して喉の奥で笑う。悪戯っぽく笑う彼女の顔が容易に連想でき、苦笑する。だがそれを悟られないように、
「何だ、それは?」
呆れた様に溜息を付きつつそう言うと、彼女は笑って『冗談よ』とだけ言い電話を切った。
通話が切れた端末をデスクに置き、ファウル・ウェザーは少し考えてから再びそれを持ち上げた。
『有難ウ御座イマス。此方〝せふぃろーと〟デス』
連絡先は、フィンヴァラのカフェ〝セフィロート〟だった。
「私だ」
『……オヤ、一体ドウシタノカナ、ふぁうる。『マァブル物語』ガ突然中止ニナッテ八ツ当タリデモシタイノカ?』
「お前相手に八つ当たりしても面白くない」
冗談とも本音とも取れることを言い、ファウル・ウェザーは出前の注文をした。そして出前先は……。
『〝くらうでぃあ社〟ノ社長室デイイノカナ?』
確認し、更にフィンヴァラは続ける。
『念ノタメニ訊クガ、人間用ノ食事デ良イノカ?』
「当たり前だ」
ファウル・ウェザーから連絡を取る人物。それは〝セフゥロート〟の主人、フィンヴァラだった。そしてその主な内容は、出前だったりする。
実は〝セフィロート〟の主人であるフィンヴァラは、料理の達人だった。機械で量ったかのような――実際に機械だが――絶妙な味加減と調理法は、知る人ぞ知る《結界都市》のグルメなのである。だが彼は、それを知らない者には絶対にそのような料理を出さない。何故なら、〝サイバー〟はそのようなことが出来て当然と思われるから。それに、機械が作る料理は所詮機械の料理と思われるのが嫌だから。フィンヴァラは、自分を理解しない者にはそれ相応の対応しかしない。それが彼のプライドであり、妥協出来ないものだ。
端末を置き、もう一度だけ溜息をついてモニターを見た。其処には《結界都市》の中央公園が映し出されている。何やら大規模なイベントが行われるらしい。だがファウル・ウェザーにとって、それはどうでも良いことだった。徐にモニターの電源を切ろうとした時、聞き覚えのある名前が出演者として名を連ねていた。
『第一回目の出演者は、最強の〝サイバー〟D・リケットです』
〝ウルドヴェルタンディ・スクルド〟の研究室である《バイオ・タワー》。其処は今、混乱の極みに達していた。ハッキングされ、そして最悪のウイルスである《カンサー・セル》を植え付けられたのである。
このウイルスの特徴は、最も単純で、だが最も被害が大きく効果的なものだ。それはどのようなものかというと、急速に自己増殖を繰り返して容量を占拠し、更にどのような作業をしてもウイルスのパターンデータを完全に消去出来ないというもの。よってコンピューターを初期化したつもりでも、同じコンピューターを使っている限り再び自己増殖するのである。
見る限り史上最悪のウイルスなのだが、二つだけ救いがある。
まず一つ目。このウイルスは、感染したコンピューターの容量を全て飲み込まない限り、ネットワークを介して他のコンピューターには行くことはない。其処までの機能は、実はないのだ。それにその機能を付けてしまったのなら、ネットワーク化された世界中の全てのコンピューターが、一瞬にして使用不能になってしまう。
そして二つ目。このウイルスを保存することは、絶対に不可能なのだ。何故ならどのようなプロテクトをしていても、それすら吸収して増殖するから。よってデータの転送では植え付けられない。直接システムに侵入し、その場でそのウイルスを作り出すしかないのである。
最悪のウイルス《カンサー・セル》、それを植え付けることが可能な人物は、この《結界都市》の中では二人しかいない。〝サイ・デッカー〟の最高ランク《VA》に位置する二人、《黒妖犬》カペルスウェイトと《道化師》アハ=イシカ――E・ヘッド。
だがカペルスウェイトは、そのようなことはしない。何故なら彼は、アンチウイルスソフトの開発者だからだ。彼の作ったアンチソフト《
《γ-ナイフ》の最大の特徴は、自己進化することで最新のウイルスへの免疫を付ける点にある。それにより、パターンファイルをインストールするなどという面倒な作業が必要なくなり、一度フルインストールすることで今後一切ウイルスの侵入を許さない。
但し、気を付けなければならない事項がある。それは、このソフトは自己進化するという点。それが何を意味しているか、容易に想像出来るだろう。インストールした時点では只のプログラムソフトなのだが、日々の進化に対してユーザーが何も対応しなければ、時間と共にシステムが侵略されて行くのである。ある意味、このソフトもウイルスを駆除するウイルスと考えてしまっても良いのかも知れない。
非常に優秀で危険なソフトなのだが、実はこのソフトは桁違いに高価で、とてもではないが一般のユーザーは購入出来ない。よってその使用対象は企業に限られている。大抵の企業は優秀な技術者――〝サイ・デッカー〟を雇用しており、そのソフトの管理を任せているのだ。
そして当然、《バイオ・タワー》のメインコンピューターにもそのソフトがインストールしてあった。だが自己進化する《γ-ナイフ》であっても、《カンサー・セル》には敵わない。ウイルス駆除機能が一瞬の内に呑み込まれるから。
記録されているデータを消去しつつ、システムの中で暴れまわる人形――E・ヘッドを何とか牽制するカペルスウェイトは、急激にシステムが変貌したことに気付いて慌てて全ての回線を切断した。だが切断出来ない。何者かが強制的に回線を繋いでいる。
そしてそんなことが出来る人物を、カペルスウェイトはE・ヘッド以外で知っていた。その人物は〝サイ・デッカー〟ではないが、ある意味どれほど優秀な〝サイ・デッカー〟も敵わない。何しろ電子機器そのものを操るから。
「なん……だって……? このクソ忙しい時に!!」
モニターに不可解な文字が一瞬表示され、その現象の意味を理解したカペルスウェイトはキーボードを床に叩き付け、突然マイクに向かって叫んだ。
「研究員、緊急事態だ! 余計に
言うなり、突然総電源を切断した。それは此処のシステムを全て放棄するという意味であり、バックアップ中の全てのデータは消えてしまう。そして彼は、実はその程度で済んで欲しいと思っていた。だがその願いを裏切る結果が、彼の目の前に叩き付けられた。なんと、電源が落ちない。
「…………あー、ったく! やっぱりかよ!!」
所詮願いはそれだけでしかないようだ。それに、彼はそうなることが予測出来ていたらしい。
「バックアップがある程度終わったら、熨斗つけて返してやろうと思っていたんだよ。どうしてそれが待てない!?」
マイクに向かって大声で叫ぶ。それはカペルスウェイトの心の声でもあった。その声に反応するように、床に転がっているキーボードが勝手にキーを打つ。そしてモニターに文字が表示された。その文字は、この様なものだった。
【Don't get angry.〝Capelthwaite〟】
「怒りたくもなるわ! 一体お前はこの俺になんの恨みがあるんだよ!! 此処のシステムの構築に、一体どれくらい時間と金が掛かったと思っているんだ!?」
マイクに向かって絶叫する彼を他所に、再びキーが動く。そして画面に映し出された文字は……。
【It sympathizes】
「いらんわ、そんなモン!」
言い放ち、別のキーボードを持ち上げてキーを弾く。システム内に《エクスキューショナー》が無数に排出された。だがそれは、人形――E・ヘッドの植え付けた《カンサー・セル》に呑み込まれるだけだった。
「とっととあの迷惑な野郎を連れて帰れ、A・ヘッド!」
【I mean to. However, it is although the kana with which you may make it already play just for a moment was thought】
「冗談は止めてくれ。これ以上あいつに遊ばれたら、俺は真剣に転職先を考えなくてはならなくなる」
溜息を付き、だがキーを打つ手を止めずに言う。彼が今出来ること、それは《エクスキューショナー》を排出し続けて、少しでも《カンサー・セル》の進行を食い止めることだけだ。だがそれにも限界がある。《エクスキューショナー》を吸収した《カンサー・セル》は、自己増殖を繰り返して巨大化するのだ。幾ら容量の大きいハードドライブを搭載していても、放っておけば一秒間に50Gbも増殖するそのウイルスに対抗出来る筈もない。
【Comprehension】
その文字が画面に映し出され、そして一瞬だけだがコンピューターが暴走した。そしてその結果、排出された《エクスキューショナー》は元より《カンサー・セル》までもが消え失せた。
【hey are electric appliances after all. Current is not won】
画面に文字が映し出される。そしてそれは更に続いた。
【Probably, it played enough? It will return】
だがそれは、戸惑っている人形――E・ヘッドに向けてのメッセージであった。
『いヤだ、僕は帰らナい。久しぶリに外へ出られタんだ、もっとモっと遊んでイく!』
システム内の人形――E・ヘッドが、子供が駄々を捏ねるように激しく首を振る。そして何処ともなく見詰め、
『お前は良いヨな、ずっト表に出らレていて。僕はいツでも何カの中だ。ソう、決して外ニは出られナい』
【……Each=Uisge】
その文字が画面に表示された瞬間、人形の姿が白面のピエロに戻る。名前を呼ばれたのだ……A・ヘッド――御主人様に。そしてそれは、絶対に贖えないこと。逆らえば、自分の人格が修正されてしまう。それは自分が自分でなくなるということであり、また新たなE・ヘッドを作り出すという脅迫でもある。
【It's a good child】
電流の触手が白面のピエロ――E・ヘッドを優しく撫でる。それを見たカペルスウェイトは一言、
「相変わらずの子煩悩だな」
そう呟き、システムの復旧をし始めた。だが再び画面に文字が打ち出され、その手を止めた。
「そうか……時間を忘れていたよ。もうそろそろなんだよな」
画面が数回点滅し、それが事実だと告げた。そして更に時刻が表示される。
「16.59タイムか……まぁ、システムの復旧は後にしよう」
呟き、自分の椅子に座る。そしていつものように大股開きで仰け反ってモニターを見詰めた。だがその姿を見て、研究員は慌てて駆け寄る。
「そんなことをしていると、ウイルスが増殖してしまいます! 何とかして下さい!!」
悲鳴じみた絶叫を上げる。それを鬱陶しげに一瞥し、カペルスウェイトはシステム内を映し出しているモニターを指差す。声を出すのも面倒といった様子だ。そしてシステム内には、ウイルスは元よりその痕跡すらなかった。
「所詮ウイルスも、電化製品なんだよ。電気がなければ作動しない」
E・ヘッドの放ったウイルスは、A・ヘッドの《能力》である〝エレクトロキネシス〟によって消滅したのである。それが事実であっても、俄かに信じ難いのもまだ事実。だがカペルスウェイトがそう言うのならば、自分に出来ることはなにもない。そう思い、自分を納得させる研究員だった。それでも釈然としないのは、人として当然だが。なにしろ事情を話してくれないのだ。頭では判っているが、どうしても納得いかない。
「……おい、一体どういうことだよ!?」
そんなことを考えている研究員だったが、カペルスウェイトが突然大声を上げたために思考を中断した。これほど慌てている彼を、今まで見たことがないからだ。
「ど、どうしたのですか!?」
慌てて訊く研究員に、彼は無言でモニターを指差した。そしてそれを見た研究員は……呆れを通り越して力が抜けてしまった。
『本日は予定を変更しまして、特別番組をお送りします……』
モニターから、そんな声が聞こえて来る。そう、実はカペルスウェイトも、『まぁぶる物語』のファンだった……。
【D.R
DBのマンションでノートパソコンに映し出されたメッセージを反芻しながら、リケットはゆっくりとした足取りでその場所へと向かっていた。
二二番街。色とりどりのネオンが輝き、深夜になって尚陽光が差しているかのように明るく、まさに眠らない街と呼ぶに相応しい其処は、若者達が夜を謳歌するためにあるような処。そしてそのための施設が軒を連ね、若い来訪者を誘っている。
その中の一つ、バー〝drunken cat〟は、煌びやかなネオンが輝くこの二二番街には相応しくない、良く言えばシックな、悪く言えば地味で景観を損ねている店舗だ。
だがそれがまた良いと、一部のマニアに常連が多い。そしてその余りの地味さが逆に目立ち、若者達の待ち合わせの場所として利用されることも多々あるのもまた事実だが。
リケットが〝drunken cat〟の前に着いた時、街は丁度これから本格的に賑わい始める時間だった。何処からともなくスーツ姿の男達や、肌も露な女達が現れ始め、街行く人々を誘おうとする。当然、リケットの傍にもその人々は訪れるのだが、なにを言っても全く反応しない彼にすぐ愛想をつかせて立ち去って行く。
無視されたから諦めたのではない。その者達は人々の僅かな反応をも見逃さない術に長けている。僅かでも反応し、興味を示したのなら直ちに自分の店に誘導出来るから。それら客引き達は、無駄な労力は使わない。逆にそれが出来ない者共は、一気に干されて淘汰される。客引きとて、これが『仕事』なのだから。
いや、幾ら興味がなくても、多少たりとも反応する筈だ。それが例え拒絶であっても。だが全く反応しないのは、〝サイバー〟以外の何者でもない。そしてその者達は、彼がそうだと判ったから立ち去ったのだ。〝サイバー〟相手に客引きをするのは、時間の無駄である。
リケットの周りに誰もいなくなった頃、タンクトップにホットパンツだけを身に付けた妖艶な、だが触れただけで消えてしまいそうに儚い雰囲気の女性が、足音もなくリケットに近付いて来た。その背は高く、そして更にスパイクヒールを履いているために余計高く見える。だがそれでもリケットよりは低いが。
「お久しぶりね、リケット」
その女性はそう言い、艶やかな黒髪を揺らしながらリケットの前に立ち、その紫色の双眸で見つめた。その全身は僅かだが燐光を発しており、知識のある者が見たのならば、彼女は実体を持っていないということが判るだろう。だがそれに、誰も興味を示さない。実体のない人物だけだったら、この都市に沢山いるから。
「……何も言ってくれないのね……それともあたしを忘れたのかしら?」
寂しげに、そして哀しげに微笑み、彼女――〝PSI〟のキョウはリケットの背に手を回し、突然その唇を重ねた。リケットは避けない。その必要もないし、そうすることの意味を理解しないから。
街行く人々も、突然唇を重ねた二人を見ても何とも思わない。そうする若者なら、其処彼処に点在しているから。それにそんなことでいちいち騒いで隙を見せていたら、客引きに捉まってあっという間に店舗の中だ。
「……唇を奪われたのに、それでも反応しないのは哀しいわね……」
抱き付いたままリケットを見上げ、彼女は呟いた。だが……。
「用件は?」
無機質に、リケットは訊いた。自分の話は最初から聞いていなかったらしい。少しだけ不本意なキョウだった。だがそれ以前に、ジェシカを再生不能にした自分を恨んではいないのかが気になる。だが……。
「……莫迦ね……どうしてそんなことを気にするんだろう、あたしって……」
彼女の双眸の哀しみが、更に深くなる。彼女が一体なにを思い、そして何故そのように哀しい眼をしているのか……リケットにとって、それはどうでも良いことだ。
「同じことを二度言うのは好きではない」
リケットは、只そう言った。そしてキョウも諦めたのか、肩を竦めてリケットから離れた。しかし彼女は知らない。リケットの口からそのような言葉が出ることの意味を。常の彼ならば、只機械的に同じ言葉を紡ぎ出すだけなのだが。――そう、彼は今苛立っている。
「……いいわ、本題に入ってあげる。今、中央公園で大規模なイベントが行われているの。内容は〝ウルドヴェルタンディ・スクルド〟の新製品を御披露目するものよ。そしてその性能もね。貴方は、その性能を試すために呼ばれているの。来る、来ないは貴方の自由。でもね、来ない場合は貴方の大切な友人が一人ずつこの世から消えていくわ」
「それは無理だ」
キョウの言葉を直ちに否定する。そして懐から煙草を取り出し、火を点けた。視線はサングラスを掛けているために判らないが、その行為をしている時も真っ直ぐにキョウを見ているのが判る。視線を外さず、リケットは煙を軽く吸い込んでから続けた。
「俺には友人がいない。仮に仕事で親しくしている者どもをそう呼ぶのだとしたら、自身のために止めておくのだな」
「あら……絶対にそれをさせないという自信があるのかしら? それとも友人を信じている? ……それは……あたしにとってはどうでも良いことね……ごめんなさい……」
何故謝るのか、それを疑問に思うだけの感情は、リケットにない。今彼が思っていること、それは目の前の敵を消し去ることだけ。それ以外は、考えられないから。
「じゃあ、あたしはそろそろ消えるわ。貴方が無事に生還出来ることを祈っているから。あたしはね、貴方の味方でいたいのよ」
「それも無理だ」
そう呟いたリケットの表情は、いつもの彼とはかけ離れていた。彼は、嗤っていた。冷酷に、残虐に、そして邪悪に。
「それは必要ない」
コートのポケットに手を突っ込み、再び出す。その両手が、帯電している。
「敵に味方など、必要ない」
口の端から、火の点いた煙草が零れ落ちる。
「……そう……残念だわ……。でもこれだけは覚えておいてね。あたしは、貴方が嫌いじゃないの」
両手の電流が強くなっていく。そしてそれに気付いた通行人達が、二人から緩やかに離れて行った。〝ハンター〟の戦いに巻き込まれるのは、御免だからだ。
「それじゃ、またね……bon voyage……」
寂しげな瞳のまま、呟くように言う。だがリケットは表情を全く変えない。そして……。
「Good die」
高圧電流によって空気がプラズマ化する。
その余波で瞬くネオンが破裂した。
ビルに取り付けてある電光掲示板が意味を成さない文字を映し出す。
上空に浮かんでいる飛行船のモニターが火を噴いて破裂した。
信号が無意味に点滅して切り替わり、上空を飛んでいるエア・モービル同士が衝突寸前になり急ハンドルを切り、その内の数台が地上に降りて来た。
「……そうね……例え実体がなくても……空気をプラズマ化すれば精神体も蒸発するものね……判っていたわ……判っていたの……。貴方が空気をプラズマ化させるほど強力な電撃を使うことも……」
哀しい眼をしたまま、キョウは呟いた。その身体の所々が蒸発していく。
「それでも、あたしは貴方に逢いたかった……。貴方なら、あたしと共に在り続けることが出来ると思った……」
愁いを宿したその双眸で天を仰ぎ見る。白色に輝く空気に包まれているためか、《結界都市》の機能のためか――その両方だろうが――天空に星は見えない。
「でもね、リケット……それはまだ無理みたい……。だって……あたしは《あの場所》から出られないもの……。まだ……《良い妖精》は目覚めない……。そして……それがない限り、まだ、〝良い死〟は迎えられないわ……」
徐々に薄れて行くキョウの体を見詰め、リケットは無表情のまま電流を流し続けた。
「あたしは……死ねないの……そういう身体なのよ……。早く、目覚めさせて……貴方の大切な〝Seelie Court〟を……」
寂しげに、哀しげに笑い、薄れゆくその手でリケットの頬を優しく撫で、そしてキョウの姿は完全に消えた。それはまるで、儚い幻のようでもあった……。