《結界都市》に住む人々は、大抵どのような場所であっても動揺せずに足を運ぶ。《トレイン・メン》がいる列車内然り、《路地裏の人々》が住む近辺である歓楽街然り。この程度の事で動揺していたら、この都市では生活していけないから。
だが一箇所だけ、人々が近付きたがらない場所がある。それは、〝魔導士〟の住む《世界の館》。其処は言ってしまえば、この都市の中で唯一何の変化もない場所でもある。〝ハンター〟達が跋扈している他の場所の方が、遥かに危険なのだ。
では何故、その様な唯一の安全地帯に人々が近付きたがらないのか。それはこの都市の中で最も不可解で、変化が無さ過ぎる場所だからだ。人は、いつまでも変わらない場所には興味が無い、自分の知らない不可解な場所には近付きたがらない。そして《世界の館》は、その二つを有する場所なのだ。
それに、《魔導》は遥けき太古より脈々と受け継がれている秘法。一般人には理解できる筈もない。もっとも〝魔導士〟も、理解しようとしない一般人には必要以上に理解を求めない。そうした所で、徒労に終るのが判っているから。
その《魔導士ギルド》の長はイグドラシルという。《魔導》としては最高位である《太陽》の〝魔導士〟。だが彼は高齢であり、更にはその姿を見た者は既に十年以上いないため、実質的な全ての権限は最高導師である《月》の〝魔導士〟ハズラット・ムーンが握っているという。
そのことが周知の事実だったとしても、人々はそれに触れなかった。興味がないし、触れてはいけないことのような気がするから。
〝魔導士〟が人々の注目を浴び始めたのは、歓楽街の『重力塊騒動』の後からだった。それにより、排他的だが平穏な日々を過ごしていた〝魔導士〟達の周囲は一気に騒がしくなった。
連日のようにマスメディアが《世界の館》を訪れ、更には無断で〝魔導士〟達の研究室に入り込み行方不明になる者がいたり、大騒ぎをして近隣住民が呼んだ警邏に連行されたりしている。そして正規に取材を申し込もうと許可を求める者もいたが、実は《世界の館》は唯一の特例で、取材の申込などは一切出来ないこととなっている。正規の理由さえあれば《ファウル・ウェザー病院》ですら取材できるのだが、この《世界の館》だけは、どのような手段を用いても取材は出来ない。《都市連合委員会》の圧力が掛かるから。
何故そのようなことになったのか、それはこの《結界都市》を創造する際に《龍脈》を導いた者が、他でもない《魔導士ギルド》の長イグドラシルだったからだ。彼は自室から一切出ることなく《龍脈》を操り、この都市の最終的な仕上げをしたのである。そして彼は、マスメディアを心の底から憎んでいるのだ。過去にどのようなことがあったのか、知る者は既に本人しかいない。そしてその後も、語られることはないだろう。
「……まだ諦めずにいるのか? 煩い奴らだ」
窓から外の様子を侮蔑を込めて眺めながら舌打ちをし、複雑で不思議な紋章の刺繍が施してあるマントから手を出し、顎を撫でつつハズラット・ムーンは呟いた。心の底から鬱陶しい様子である。
「貴方がマスメディアに言った内容は、明らかにそれを挑発していましたからね。はっきり言って無理のないことだと思います」
その傍にいる赤いローブを羽織った男が言う。だがハズラットはそれを一瞥し、
「挑発ではない、莫迦にしたのだ。あの程度のことしか考えられず、且つ標的が決まれば真偽は二の次にして責め立てる。そんな奴らは莫迦で充分だ」
「そんなことを言っていると、敵が増えますよ」
良いことを言ったとキメ顔をする副長を見て呆れた様に首を振る男に視線を移し、今度はハズラットの方が呆れた様に、
「お前は、どちらの味方なのだ? マスメディアの味方だとしたら手加減せずに追放するぞ。……ふむ、莫迦と言ったのはやはり訂正しよう。一般の莫迦に失礼だからな。あいつらは莫迦以下でも賛辞と取れる程の低能すら褒め言葉に値する……う~む、言語ではこの概念を説明出来ん」
ハズラットは、イグドラシルと同じくマスメディアを激しく憎んでいる。彼は一度、弟と共にそのマスメディアに殺されかけたのだ。世間的に、物理的に。そしてそれが原因で、自分の大切な人を、これからずっとずっと護って行きたいと思っていた人を亡くしてしまった。永遠に。
「ま、お前があの言語で説明できないくらいに愚かしい輩どもの手先になるなどということは絶対にないと思っている。まだ死にたくないようだし」
「涼しい顔で恐ろしいことを言わないで下さい。寿命が縮まります」
ハンカチで額を拭きつつ男が言う。その頭は、もう薄くなっていた。因みに彼は、ハズラットよりも若い。
「恐ろしいか? 当然のことを言ったまでだ。それに……あの――便宜上莫迦と呼ぼう――莫迦どもは一度くらい死ぬほど恐ろしい目にあってみないと絶対に判らないだろうよ。……仮にそうなっても判らないだろうが。……付ける薬がないし死んでも無駄だから性質が悪い」
何しろ莫迦以下だし。心の中で独白し、ハズラットは窓に視線を戻した。
「それより、今後の動向を如何なさるおつもりですか?」
男は話題を変えた。これ以上マスメディアへの悪口雑言を聞かされるのも苦痛だし、そんなことを羅列しても仕方のないことだ。彼にとって、マスメディアなどどうでも良い。大切なのは、自分の研究のみ。これ以上その邪魔はされたくないというのが本音だ。憎んでもいない、尊敬もしていない、どうでもいい存在としてすら認識していない。
「……どうもしない。今まで通りの生活を続ける。必要とあれはこの《世界の館》を《結界》で封鎖する。そうなれば外でどれほど騒ごうと、例え都市が倒壊しようと全く影響が無い。出来ればやりたくないが……疲れるし時間の無駄だ」
そう言うと思った。そう考え、男は「そうですか」とだけ答えて一礼し、彼の部屋を後にした。ハズラットは、どのような犠牲を払おうとこの《世界の館》だけは護ろうとしている。そしてそれは男にとっても同じこと。此処は、《魔導》という誰も受け入れてくれない《力》を持つ者達の居場所。そして遥けき太古より受け継がれた秘法の守護者達が集う処。此処にいる限り、自分達は全てを認めて貰える。
「さて、研究の続きをするか……」
独白し、男は自室へ向かうべく歩き出した……つもりだった。だがその足が進まず、彼はそのまま床に転がった。
「足が動かない……この効果は……」
筋肉は前に進もうとしている。だが、足そのものが動かない。何か強い《力》で抑え付けられている。
「いけない……これは〝テレキネシス〟。〝PSI〟が入り込んだのか!?」
呟く男の眼の前に、眼鏡を掛けたスーツ姿の女性が立っていた。首にはネクタイをしており、その長く艶やかな髪を無造作に頭頂で縛っている。
「ハズラットの部屋は、此処ね?」
女は呟き、片手で男の首を掴むと、信じられない事だが軽々と持ち上げた。その時に僅かだがモーターの音がし、男は理解した。この女は脳以外を改造している、と。
「個人的には人質を取るなんて、やりたくないんだけどね」
そう言うとドアノブに手をかける。だが、その右手が掴まれた。何事かと思い顔を上げたその瞳に、ダークグレーの髪と藍色の瞳の〝魔導士〟が映る。
「人質を取りたくないのだったら、止めれば良い」
女を易々と持ち上げ、呪文を呟く。男を掴んでいる腕が引き千切れ、噴き出した血とオイルが廊下を汚した。だがその染みは、数秒で消失する。この《世界の館》を物理的に汚すことは、誰にも出来ない。何しろ別名《掃除要らず》とすら呼ばれているから。
「暫く前から入りたそうに莫迦以下共に紛れてうろついていたから招待したのに気付かなかったのか? それとも莫迦以下が感染して理解出来なかったか? まあいい、恨まれる覚えの有無など訊かん。貴様は私の大切な同士に手を出した。死ね」
そう言うと、廊下の壁に叩き付ける。咄嗟に女は衝撃に備えて身を硬くした。だがいつまで経ってもその衝撃は伝わらない。代わりに、何故か空中に自分と自分を投げ付けた〝魔導士〟、ハズラット・ムーンがいる。
どういうことだ? 不思議に思いつつ、女は身を捻って体勢を整え、庭に音もなく着地した。そしてハズラットもゆっくりと庭の芝生に降り立つ。彼は芝の葉の『上』に『立って』いた。それは、身体の質量と物理法則を全く無視した現象。
一体どうやって壁を擦り抜けた? 不思議に思う女の方へと、ハズラットは眼を閉じたまま無防備に近付いて来る。その行動が不気味だが、此処で何もしないわけにはいかない。なにしろ、相手は《魔導士ギルド》の副長ハズラット・ムーンだから。
音もなく近付いて来るハズラットの胸目掛けて、女は集中して創り出した精神エネルギーの槍を投げ付ける。それは狙い違わず、ハズラットの胸を貫いた。鮮血が飛び散り、芝生を濡らす。だがその血はハズラットのものではない。胸に穴が開き、血を吐き出したのは女の方だった。
「詰まらん」
胸を貫いている槍を無造作に引き抜き、短く溜息をついて上を見上げ、ハズラットが呟いた。その身体に、無数の槍が突き刺さる。だがやはり、血を流して倒れるのは女の方だった。
「詰まらん詰まらん詰まらん詰まらん詰まらん詰まらん詰まらん詰まらん詰まらん!」
苛立たしげに言い、埃でも掃うかのように突き刺さっている槍を掃い、その手を懐に突っ込んだ。槍が突き刺さっていた筈の胸には、傷一つない。
「詰まらん、弱い」
そう言って再び手を出す。その手には直径三センチメートルほどの珠が握られている。
「私を狙って来たのだったら、もう少し頑張って見せろ。せめてこの簡単な《結界》に傷を付けるだけの努力をするのだな」
女は続けて電撃を放つ。眩い光が周囲を照らした。だがそれすら、ハズラットには届かない。そして全て自分に返って来る。このままでは只悪戯に自身を傷付けるだけだ。
それに、女はあることに気がついた。これだけ派手に騒いでいるのに、周囲を取り囲んでいるマスメディアは全く気付いていない。
「だから、《結界》を張ったんだよ。この程度のことも気付かないのか?」
女の心理を先読みしたのか、ハズラットが詰まらなさそうに言う。そして持っている珠を女の目の前に放り投げた。すると突然、夥しい煙が発生する。咄嗟にそれを吸い込まないように口を抑えたが、その煙は女を包むことなく、まるで生物のように一つにまとまって行く。
「出でよ、《煙魔》」
ハズラットが言うと、その煙は獣の姿になってゆっくりとその背を伸ばした。それは〝魔導士〟だけが使役可能なもの、《使い魔》。呪文を唱え、効果を発揮するまでのタイムラグを埋めるために存在する生命無きモノ。
厄介なことになった……。傷付いた自身を〝ヒーリング〟で癒しながら呟き、女は再び電撃を放つ。
「無駄だというのが判らんのか? 学習能力のない奴」
放たれた電撃は、ハズラットのマントを滑ってそのまま女に返って行く。そしてその瞬間、マントに施してある刺繍が蠢く様を、女は確かに見た。
そういうことか。女はそう思い、その電撃を躱した。どうやらあのマントを何とかしなければならないようだ。それが、どれほど困難なことかは理解出来る。だが自分の弾き出せる最高速度で動けば、マントくらいは何とかできるだろう。しかし、傷付いているこの身体で出来るだろうか。
「出来るじゃなくて、やらなきゃいけないんだけどね……所詮、勝てないと判っているし。それに……」
両足のモーターが唸りをあげる。そして女は大地を蹴り、高速でハズラットに突進した。
「私の役目は、それだから……!」
突進しつつ、精神エネルギーでナイフを創り出す。そしてそれを構えた。この体ごと突っ込み、マントに傷を付けることが出来れば効果は消える筈。〝魔導士〟のマントは、それほどまでに脆い。
「……莫迦が……」
呟いたハズラットの傍らで、《煙魔》が咆哮をあげ、その姿が煙となる。そして女の胴体を包み込んだ。だがその程度で止まる筈もなく、女はそれを振り払って突進を続けた。
後一歩でハズラットに手が届く。そう思った瞬間、胴体の力が抜けて女は地面に倒れ込んだ。それはまるで、胴体そのものの筋力が全て無くなったかのような力の抜け方だった。
どういうことだ? そう思い、自分の胴体を見て女は驚愕した。なんと、胴体そのものが無くなっている。残っているのは人口骨格と人工心肺だけだ。その他の器官は、根こそぎ消失している。だが奇妙なのは、それによる苦痛も何も感じない、そして気付いてしまった今も、全く何も感じていないし血すら流れないことだ。その事象が、単純に恐ろしい。
それでも倒れこんだときに、僅かだがハズラットのマントに傷を残した。これで、もう〝魔導士〟のマントは使えない。それだけで自分の役割は終った。
「何を狙っていたのかは知らんが、全て徒労に終ったな」
そう言い、戻って来た《煙魔》の頭を撫でながら、ハズラットは女を見下ろして言う。
徒労には終ってはいない。女は思った。何故なら、《魔導士ギルド》の実質的な指導者のマントを傷付けることが出来たから。その強力な魔導具を、破壊出来たから。
「……哀れな」
胴体全てが消滅し、生きる術を一瞬にして失い、静かに息絶える女を見下ろし、《煙魔》を珠に戻してその傍らにしゃがみ込んだ。マントの傷は、消失している。彼のマントは普通の〝魔導士〟のマントではない。例え引き裂かれても自己修復できる。その素材は、彼の死んだ恋人の血と髪の毛だから。それは、何があろうと彼の身を絶対に護る。
「お前が何者かは知らん。だが、此処に侵入した者は誰であれこの様な運命を辿る。覚えておけ……」
女に手を翳し、呪文を唱えた。ハズラットの手が輝き、発生した光が帯となって女を撫でる。光が触れた場所は、消失していた。
愛しい女性を愛撫するようにその光はゆっくりと女を撫で続け、程無く女の姿は完全に消失した。
「E・マーヴェリー」
身を起こし、呟いた。
「居るのは判っている。そしてその気配も覚えている。忘れるものか、《裏切り者》のマーヴェリー」
「……私が裏切ったわけではありませんよ」
突如《結界》に強烈な衝撃が走り、続いてハズラットの正面に風が渦を巻く。その強い風に煽られて、彼のマントが靡いた。
「私から、貴方達が裏切ったのです」
風が収まり、其処に男が立っていた。短く切り揃えた髪をオールバックにし、顎鬚を蓄えている。そしてネクタイをきちんと締め、スーツに身を固めたその姿は、何処から見ても何処ぞの会社の重役である。
「……コピー風情が、判った様な口を利く」
呟くと、ハズラットは呪文を唱えて小さく細かい光の針を放った。先程の女を消し去ったのは、その光の針が無数に寄り集まって出来たものだ。余りに細かく、そして多いためにそのように見えたのである。そしてそれに触れたものは、目に見えないほど細かく分解されてしまう。
無数の光の針がマーヴェリーを襲うが、彼は無造作に腕を振り払っただけでそれを消し去った。その手には、風が渦を巻いている。それを見て、ハズラットは舌打ちをした。
「どうです、これが私の新しい《能力》、〝エアリアル〟。何人たりとも私に触れることすら叶いません」
誇らしげに言うマーヴェリーを一瞥し、口の端を吊り上げて嗤う。その表情は、邪悪そのものだった。
「……借り物の《能力》で何を威張る? その程度の《能力》なら、奴はとっくに使えたぞ。所詮は借り物の《能力》でなければ自己を誇示出来ない愚か者。いや、莫迦以下だ」
一言だけ呪文を唱え、周囲に漆黒の物体を出現させて再びハズラットは集中した。一方莫迦以下呼ばわりされたマーヴェリーは、意外にも逆上せずに、だが笑いながら全身に風を纏った。
「貴方が〝エアリアル〟を何処まで理解しているかは存じません。だがそのポテンシャルの高さを判っていないようだ。天候を操るということは、即ち空気の流れと気温、そして湿度を操るということ。使い方によってはこのようなことも出来ます」
大気中の湿度が集まり、それが急速に冷え固まって行く。そして遂に氷となり、マーヴェリーはそれをハズラット目掛けて放った。だがその程度では数一つ付けられないと判っている。案の定、彼の周囲に漂っている漆黒の物体に吸い込まれただけだった。
「貴様の手品など見る気はない。それに、これ以上雑魚と遊ぶほど退屈はしていない。脳だけは届けてやる。そして伝えろ、これ以上我々に巫山戯たことをすると《ウルドヴェルタンディ・スクルド》そのものを潰す」
圧倒的な《力》がマーヴェリーを包む。それが《結界》だと理解することすら、彼には出来なかった。それほどハズラットの《力》は強力で、そして迅速だ。
全身に纏った風をハズラットに叩き付けようとするマーヴェリーの行動よりも遥かに速く呪文を完成させ、ハズラットは左手を握った。マーヴェリーを包む《結界》が一瞬にして収縮し、不可視なほど小さくなる。続いて爆音が響いた。極限以上に圧縮された物質は、元に戻ろうとする自己の力で自壊する。もっともそれ以前に、圧縮によって全ての生物は死滅するが。
「莫迦な奴……一つの力を磨けば、例えコピーでもそれなりに強くなれるものを。だがどう頑張った所でオリジナルには敵わないが。なぁ、そうだろう、〝サイオ・メイジ〟マーヴェリー」
マントから右手を出して開く。其処には人間の脳と脳幹が乗っていた。周囲を漂う漆黒の物体にそれを吸い込ませ、再び呪文を唱える。
「行け、そして伝えろ」
漆黒の物体に語り掛けると、それは空中高く浮き上がって消えた。
「さて……」
頭を掻き、《世界の館》の塔に取り付けてある時計を見た。もうじき一七タイムになる。
「そろそろか……」
呟き、ハズラットはやや小走りで自室へと急いだ。そう、もうすぐ始まるのだ……週に一度のお楽しみ、『まぁぶる物語』が。
実はハズラットも、『まぁぶる』のファンだった。そして彼にとって、あの程度の連中に命を狙われることなど取るに足りない出来事でしかない。そう、ハズラットが真に脅威と感じている者達、それは《Vの子供達》だけだ。――それ以上の者達、例えば《世界の館》の長イグドラシルなどの《長者達》とは〝世界〟が違うために、脅威すら感じないが。
《ウルドヴェルタンディ・スクルド》は、兵器から哺乳瓶まで幅広く取り扱っている商社で、《結界都市》では随一の総合販売会社である。その資本は《結界都市》二位で、此処が動けばその経済も動くとさえ言われており、創業以来その実力は衰える所か益々発展の一途を辿っている。武器商人が儲かるのは、何処の世界も同じらしい。
場所は《結界都市》の南側、南区中央街の東側。一見すると平屋だが、実はその社屋は地下五十層にも及んでいる。
因みに《結界都市》一位商社は、『まぁぶる』でお馴染みの《クラウディア社》である。既に『まぁぶる』は、数あるファンシーグッズの中にあって《結界都市》の顔とすら言ってしまっても過言ではないほどである。それもある意味驚異だが、ファンシーグッズの販売業者が死の商人と言ってしまっても過言ではない《ウルドヴェルタンディ・スクルド》を抑えて一位の座にいること自体、ある意味驚異で脅威だ。
その《ウルドヴェルタンディ・スクルド》の研究室には、下手な病院など比べ物にならないほどの医療施設がある。だがそれは医療のための物ではなく、生体を研究するための施設なのだ。
生体の研究といえば聞こえは良いが、実際に中で行われていること、それは人体実験。
勿論そのような行為がまかり通る筈はない。もしこのことが公表されたのなら、《ウルドヴェルタンディ・スクルド》は世界中からあらゆる手段で攻撃され、そして消滅するだろう。
だが、それでも続けなればならない理由がある。この会社にではなく、創始者であり代表取締役であるギスカー・スルーバックに。だから、彼は優秀な人材を集めた。極秘に、だが精密に大胆に目的を達成するために。
その優秀な人材が最も集っている場所、それが《結界都市》北側にある純白の建造物。その地上二十階の建造物は、生体研究をしているために《バイオ・タワー》と呼ばれている。
この《バイオ・タワー》は、〝魔導〟や〝PSI〟に対する防御機構が施されており、余程のことがなければそれらの干渉を受け付けない……筈だった。そしてそれは、その塔の開発に携ったランクVAの〝サイ・デッカー〟カペルスウェイトが開発した最高傑作のソフトで、これを破ることは《ウルドヴェルタンディ・スクルド》の幹部ですら難しいと言われていた。
それほど強力な防御機構が施されている《バイオ・タワー》中にあり、更にそれが十重二十重に施してある研究室のメインコンピューターもまた例外ではなく、そのシステムに干渉することは限りなく不可能に近い。だから、《ウルドヴェルタンディ・スクルド》の殆どのデータは其処にあり、開発者であるカペルスウェイト自らが管理しているのだ。
だが、それほど強力なプロテクトが掛かっていたとしても、それを打ち破ろうとする輩は多い。それこそ星の数だけ。だがその多くは、彼の作ったプログラム《エクスキューショナー》によって抹殺される。そしてその作業は自動で行われるため、彼自身が手を下すまでもないことか殆どだった。過去、彼自身が手を下したことは……実は一度もない。
だがそれが必要になる出来事が起こったのは、時計が一六.五二タイムを表示した時だった。
研究員達が忙しなく動き回るのを尻目に、カペルスウェイトは座り心地の良い椅子に座り、革のスパッツを履いた足を大股開きして、仰け反る様にテレビを見ていた。因みに上半身はランニングシャツ一枚である。どうやら〝サイ・デッカー〟という人種は、その格好が好きらしい。
この時間は、いつもそうやってテレビの前で待機しているのが日課である。彼は一日たりともそのスタイルを崩したときなどなく、今日もそうなるだろうと思っていた。だが、突然メインシステムの警報がけたたましく鳴り始め、彼は溜息を付きつつ困惑している研究員達の方を見る。
「……へぇ、またハッキングかい。物好きなこったな。一体誰よ?」
防御はシステムに任せれば良い。そう思いつつ長い髪を後ろに払って頭を掻き、掛けている丸いサングラスを中指でずらしてモニターを見つめた。彼の作り出したシステムは、ハッカーを撃退出来るばかりかそのような身の程知らずを完膚なまでに叩きのめし、尚且つ逆にハッキングを仕掛けることが出来る。
「……何方ですか……と。……へぇ、珍しい。《市街》じゃないのか。星の裏側からはるばる御出でなすったか。だが相手が悪かったな。ほい、さようなら」
ハッカーがシステムからあっさりと追い出される様子を観察し、再びテレビの方へ視線を戻そうとしたが、視界の隅に奇妙な文字列が映り、向き直る。そして徐に立ち上がってスピーカーのスイッチを入れ、戸惑っている研究員を押し退けてシートに座る。
「相変わらず姑息な手を使うじゃないかよ。堂々と入って来たらどうだ? なぁ、《E・ヘッド》」
片手でキーボードを弾きながら、コードを取り出して首のプラグに差し込んだ。途端に彼の身体から力が抜ける。
『……基本に忠実ナのは良いことダよ。君もソうやったらどウだい?』
スピーカーから声がした。発見されたのに、動揺している響きは感じられない。そしてその声を、研究員達は聞いたことがない。だがそれは《サイバー・ワールド》に入り込んだ《サイ・デッカー》からの声であるということは知っている。そのような知識がない者は、この《結界都市》には存在しないから。
『はン、お断りだね。どうして俺がそんな《脳が疲れる》ことをしなくちゃならないんだよ。そもそも俺はお前とは違うんだ。この常時接続反則野郎め』
スピーカーからカペルスウェイトの声がする。この時初めて、研究員達は彼の《ダイブ》を見た。因みに《ダイブ》とは、《サイバー・ワールド》に〝サイ・デッカー〟が入り込むことを指す。
研究員達はモニターを見た。其処には真っ白い顔をしたピエロと、黒い犬が映し出されている。
『大体なぁ、お前は反則なんだよ。大人しく時間制限を守れば良いのによ』
黒い犬――カペルスウェイトの口から数字が吐き出される。それは敵を抹殺する為のプログラム。《サイバー・ワールド》では文字と数字が武器となる。
『何を言ってイるのです。僕は反則なんカしていまセんよ』
白い顔のピエロが突然転び、乗っていた玉が吐き出された数字に当たり、対消滅する。転んだピエロは上半身を起こし、キョロキョロと周囲を見回してから何処からともなくボールを出してジャグリングを始めた。
『僕はそノように作られタのです。貴方だって知っテいる筈でシょう』
そのボールがピエロの手から次々と零れて行き、黒い犬へと向かう。それら一つ一つには強力な破壊プログラムが込められていることは承知している。それはこのシステムに侵入した者、E・ヘッドが最も得意としている兵器、圧縮された破壊プログラム《ディスインテグレーション・チェーン》。連なるボールが弾け、カペルスウェイトを襲う。
だがそのプログラムを使いこなすことが出来るのは、何もE・ヘッドばかりではない。彼も同様に同じプログラムを放ち、相殺する。
《サイ・デッカー》の戦いにおいて、攻撃を躱すことは一切出来ない。何故ならそうすることにより、背後にあるデータが破壊されてしまうから。ハッキングを仕掛ける側とされる側とでは、そういう意味で条件は一緒だ。そして背後のデータが破壊されるということは、最悪の状況として帰還不能になってしまう。そうなると、待っているものは否応のない死だ。
『だ・か・ら、気に入らないんだよ』
黒い犬が咆哮をあげる。そしてそれを皮切りに背後のメインコンピューターから0と1で構成された不定形の塊が無数に這い出て来る。
『俺が幾ら努力して自身の処理速度を上げようと、俺はお前に敵わない。どんなに強力なプログラムを作り出そうと、お前は絶対にそれを打ち破る。それは何故か? 答えは簡単だ、お前が《Vの子供達》だからじゃねぇ。お前が〝サイ・デッカー〟の中で最も非常識で、最も人に遠い存在だからだ』
その不定形のものは、ゆっくりとピエロを囲み始める。それに対して再びボールを出し、周りに次々と放つ。だがその不定形のものはそれを飲み込み、逆に大きくなる。
『……君のソフト開発技術ハ賞賛すべきもノがあるね。そんな所にイないで、大人しくそレを販売すれば一生オ金に困らないト思うよ』
腰に手を当てて、困った様に首を傾げながらピエロが言う。もう殆ど囲まれているというのに、動揺した様子は全くない。その余裕に根拠があるということが、痛いほど身に染みて判っているカペルスウェイトだった。
『言ってろ。それにそうした所で、即座にお前がアンチソフトを作り出すだろうが』
『アンチソフトを作リ出すことは、案外簡単だカらね』
不定形のものに完全に囲まれ、ピエロは背後にあるデータバンクと完全に遮断された。即ち、帰還不能になったのである。
「《エクスキューショナー》の進化型、《マーダー》。どうかな、閉じ込められた感想は?」
黒い犬が消え、カペルスウェイトが起き上がって首のプラグを抜いた。時刻は一六.五四タイム。もうじき三分が経とうとしている。そして〝サイ・デッカー〟が《ダイブ》していられる時間は、三分。
『良くなイね』
「ま、良い奴ぁいねぇだろうなぁ」
言いながらキーボードを弾き、データのバックアップを取り始めた。そして研究員たちにもそうするように指示する。
「え? でももうバックアップする意味は……」
研究員の一人がそう言い掛けたが、
「研究を無駄にしたくなかったらやれ」
睨まれて、指示に従った。だが彼が慌てている理由が判らない。既に侵入者を閉じ込め、時間が過ぎれば自動的に消滅する筈だ。消滅する際に多少の抵抗あるだろうが、あれだけのアンチソフトに囲まれているために、大した衝撃は来ないだろう。精々時計が狂う程度だ。
研究員の多くがそう思っていた。だが……。
「……遅かったか……」
舌打ちをし、カペルスウェイトはキーボードを弾く。そして残った全てのデータを消去し始めた。
「な、何をしているのですか!?」
慌てて止めようとする研究員達を無視して作業を続ける。そしてその意味を知らせるために、彼はモニターを指差した。其処には閉じ込められたピエロが……いなかった。代わりに人形が一体いるだけである。
「E・ヘッドの二次形態……一次形態のままある程度の時間が経つと発動する。《ホワイト・フェイス》のときにバックアップを済ませたかったが……もう無理だ。このシステムは全て消去する。済まない、研究が無駄になった」
「どういうことですか?」
質問する研究員を尻目に、彼の作業は続いた。そして……
『yyyyyYYYYYYYAHAAAAAAAAAaaaaaaaaaAAAAaaaaaaaaaaaaaaaa―――――――!!』
スピーカーから、狂気じみた雄叫びが聞こえて来る。そしてモニターに映る人形が動き始めた。
「《オート・マータ》……始まったか……」
本社に続く回線を遮断し、カペルスウェイトは舌打ちをする。
時刻は、一六.五六タイムを指していた。
モニターに映し出されているピエロが不定形のものに囲まれる様を見て、『まぁぶる』が「きゅう」と声を上げた。だがその傍にいるリケットは、表情一つ変えずに見守っているだけだった。もっとも変える表情を持ち合わせていないだけだろうが。
「チェックメイト」
激しく痙攣するDBを見て、そう呟く。その足に『まぁぶる』が体当たりをするが、逆に飛ばされただけだった。
「あ痛たたたたた、まぁさかカペルスウェイトがいるとは思わなかった……参ったねぇ、E・ヘッドが閉じ込められちまったよ」
頭を掻きつつDBが起き上がる。それを見た『まぁぶる』が、喜びに顔を輝かせて跳びついた。その頭を撫でているDBに、リケットは一言だけ、
「終わりか?」
「そう思うか?」
撫でている手を止めずに、不敵に笑いながら言う。それをどう思ったのか――きっとどうも思っていないだろうが――リケットは何も言わずに背を向けた。
「俺はこれからE・ヘッドを引き戻しに行く。それがA・ヘッドたる俺の役目だからな。それに……遅くなったら《結界都市》の機能が滅茶苦茶になっちまうし」
「……好きにしろ」
言い残し、リケットは部屋を後にした。
「やれやれ、せっかちだねぇ」
頭を掻き、『まぁぶる』を撫でる手を止めてモニターを見た。其処には文字が浮かび上がっている。リケットはそれを見てその場を立ち去ったのだ。
「《結界都市》も、やっぱり広いねぇ。俺様に気付かれずに
ノートパソコンのキーボードを叩いてその文字を消し、更に操作する。周囲を取り囲んでいるコンピューターが格納され、代わりに寝台がせり上がって来た。それにゆっくりと横になり、丁度両掌を置く場所にある漆黒の球体に手を掛ける。
「危ないから離れてな」
『まぁぶる』にそう言い、DBは目を閉じた。その瞬間、大音量の音楽がスピーカーから飛び出した。その激しいビートに合わせて、『まぁぶる』もくるくる回って踊り始める。
「SOMEONE LEAVING TOWN.MY INNER PAIN I DO NOT NEED I LOOK AT ME AND TAKE SO SHE KILLS ME NOW」
そしてDBは歌い始める。その瞬間、彼の両手から高圧電流が走った。
彼の、DB自身がA・ヘッドと呼ぶ人物の《能力》、それは電子機器を操り高圧電流を放つ〝エレクトロキネシス〟。今では戦闘用に行使されることが多い《能力》だが、本来の用途は電子機器の操作である。だがそれには相当の熟練が必要となり、その繊細な操作が出来る者は《結界都市》には三人もいないだろう。そしてDB――A・ヘッドはその数少ない者の一人だ。
「IF I THINK ABOUT THE LACK OF SHAME OR "SHOULD HAVE DONE"」
歌い続けるDB――A・ヘッドの頭上にあるモニターには、《変異》してシステムを破壊しているE・ヘッド――《オート・マータ》の姿が映し出されている。その姿は、《ホワイト・フェイス》だった頃の面影など一切ない。侵入者を完膚なまでに叩きのめす筈の《マーダー》をいとも簡単に破壊している。更に、彼の開発した最悪のウイルス《カンサー・セル》まで植え付けていた。
「I LUST LIKE AN ANIMAL BUT I NEVER SAW NOBODY HAVE TAKEN TO THE CITY」
派手にやっていやがる。歌いながら心の中で独白し、DB――A・ヘッドは電流の触手をE・ヘッドが暴れている処まで伸ばして行った。
「COULD HAVE BEEN ANY GIRL AROUND SO SHE LIKE A CHEW AND LICK AND SHE LIKE WHAT SHE KNOW SOMEBODY'S CRRUPTION CRASH CRASH YOU TRASH」
発せられた電流は、遮断された筈の回線すらも再接続させ、そしてその回線に乗ってDB――A・ヘッドは《バイオ・タワー》のコンピューターを支配し始めた。
彼の《能力》、〝エレクトロキネシス〟と《サイ・デッカー》の相違点、それはコンピューターを操作するか、支配するかである。つまり、前者は完全に支配し、後者は操作するだけなのだ。
「SO.I'M COMING DOWN.MY INNER NEED DON'T HOLD ME DOWN YOUR KARMA ZOO SICKENS ME NOW AND ME KNOW MANY HYENAS WHO LOOK LIKE DOGGIES LICK YOU.LICK YOU.LICK YOU.LICK YOU. DIE IN A HOLE HATE YOURMOUTH. SO NICE.SO CHEAP.SO IDON'T CARE YOUR MOUTH."SHUT IT"YOU SAY.SAY YOU'LL NEVER TRUST.」
さてさて、どんな抵抗をしてくれるかな? 歌いながら邪悪に微笑み、唇をゆっくり舐めながらDB――A・ヘッドは独白した。モニターには、全ての《マーダー》を破壊したE・ヘッドが、システムの変異に戸惑っている様が映し出されている。
誰が御主人様か、判っているんだろうな? なぁ、A・ヘッド。
「FACK OFF!!」
その絶叫と共に、『まぁぶる』が一層激しく踊り始める。
時刻は、一六.五七タイム……既に〝デッカー〟の《ダイブ》許容限界を越えていた……。