羽根っ娘もの 作:take2
必要最低限のものしか置いてない森の中の家には、当然ながらワインセラーなんてものがあるはずがない。
そんな訳でインテリア風に棚に置かれたまま、そのボトルは放置されていた。
門出の日、餞別代わりに送られた葡萄酒。
それを手にとって窓を開け放てば空には星、星、星。月不在を補おうと各々が輝いていた。
明かりをつけることなく窓辺に腰掛け、片手には葡萄酒の入ったグラスを持ちつつ、ぼんやり星空を眺めていた。
ふと今師匠が帰ってきたらと想像して、思わず口元が歪む。いくら飲め飲めと言われても口にしようとしなかった酒を、一人隠れて飲むなんて──きっと頭を変なところにぶつけたのか慌てふためいて、強制的に医者に見せようとしたに違いなかった。
厳しくも、面倒見がよく、優しい師匠。
あの人がいなければきっと俺はとっくのとうに野垂れ死んでいただろう。
そんな師匠の言いつけを破ったのは、やっぱり裏切りになるのだろうか?
扉を開く音も、床が軋む音も、一切合切無視して口に含んだ葡萄酒の味は、いまだ美味しいとは思えなかった。
「……何してるの?」
「空を見てるんだよ」
振り返ることなく言葉を返して、空いたグラスに再び酒を注ぐ。
「ここから出ていくのか?」
「まさか、鳥は夜に空を飛ばないの」
「……それもそうだな」
鳥が夜に飛べないわけではなく、ただ効率の問題で飛ぼうとしないことは知っていたけれど、特にそれを突っ込む気にもなれなかった。
「まだ寝てた方が良いぞ」
「傷が痛むから寝れないのよ、私にも一杯くれないかしら?」
貰うまで離れる気はないと言わんばかりに背後にひしひしとプレッシャーを感じる。
けれども彼女が部屋から出てくると見越していなかったし、よってグラスを2つ用意していたわけでもない。
それじゃあとボトルをそのまま渡しかけたのは、多分だいぶ酔いが回り始めていたからだろう。
暗がりで彼女が首を傾げてるのを見て、慌てて自分用のグラスを差し出した。
「ん、美味しい。これを夕方の食事の時に出してくれれば良かったのに」
「図々しいことを言う……」
まだここに来て1日も経っていないと言うのに随分とくつろいでいる様子だった。互いに名前の他は何も知らないというのに、俺が何を考えているのか知れるはずもないのに。
「ねえ、話をしましょうよ」
「……」
「私、お話するのが大好きなの」
「……」
「ねえ、ねえってば」
まさか一杯で酔っ払ったのだろうか?
それともこれが素だというのか?
そんな疑問が頭に浮かんでいる間にも、彼女は雲雀の様にピーチクパーチクと騒いでいた。
酒のせいか、明らかに距離感がぶっ壊れた彼女に沈黙で対応する。きっとそのうち他に興味が移ってくれるだろうと期待して。
「つれない人ね、つまらない人。もう良いわ、私は1人で喋り続けるから」
「それなら部屋に戻って1人でやっててくれないか?」
「嫌よ、だって聞き手が居なければ話は始まらないでしょう?」
「語り手はお前、聞き手もお前、問題ないだろ」
「私、お前って名前じゃないんだけど」
「……」
「名前を聞いてきたのは貴方じゃなかった? それとも私の名前なんて覚える価値もないってこと?」
背中に嫌な汗が滲むのを感じていた。強い、それも恐ろしく。なんというか俺と彼女との相性はすこぶる悪いようだ。
この家の主人は私だ、なんて今言われたら何故だが知らないが綺麗に丸め込まれそうな気がした。
出来ればこの場から逃げ出したいのだけれども、逃げ場所も見つからないのだ。
真っ先に思い浮かぶ候補の寝室は駄目だ。ベッドは怪我人優先である以上、俺が使うことはできない。
まあ、その怪我人はここで元気に喋り続けてるのだが。
「とりあえず外を見てないでこっちを向いて、ちゃんと私を見て」
その言葉を聞いてようやく俺が彼女から目を逸らしていた事に気付いた、正確に言えば彼女の羽根を見ようとしなかった、だろうか。
窓辺から離れて蝋燭に火を灯す。
そうでもしなければ暗闇の中に浮かんだ羽根だけを眺めていただろうから、闇の中でこそ白が目立つものだ。明かりをつければ羽根はより輝くだろうけれども、きっと他に見えてくるものもあるだろう。
そうして蝋燭に照らされた彼女の顔は案の定、火照ってるように見えた。お代わりを求めてグラスを差し出すのを無視し、窓際へと戻る。
ほんの少しだけ羽根がしゅんとしょげたように見えたが、それでも求める言葉を言うことはなかった。
「……ともかく、話をしましょうか」
「いいえ」
「だまらっしゃい、明かりをつけたってことは話をする気になったってことでしょ」
別に話すとは一言も言ってないけれど、明かりをつけたという事はそう捉えられても仕方なかったのだろう。
全く自分勝手なことで、そう思いながらも特に不愉快な思いを抱くこともなかった。
「貴方は夢はある? 目標は持ってる?」
「森を守る、平和に暮らす、長生きをする」
「いいね、うん。特に森を守るって使命は良いと思うわ」
他の2つを無視して、それだけを選んだことに苦笑する。そこまで大したことではないだろうにと思うのは、それがやって当然のことだとわかってるから。
それが義務であり、俺が生きてる意味である。
「やれることが少ないんだよ。だから俺にはそれぐらいしかできない、徹底的に技術や知識を叩き込まれて、ここを守るってことぐらいしか」
「でも貴方はやれることをやってるじゃない。私は違かった、村から出ることを禁止されていた」
この翼があるのにと言葉を吐き捨てて、彼女は遠い日を振り返ってるのか目を細めた。
「ここからずっとずーっと遠くにある小さな村、私と同じように翼を持つ人達が住んでるところ、退屈で死んでしまいそうなぐらい何もない場所」
可能性が己を殺すのだ。退屈な日常を変える力はちゃんと備わってるというのに、それを生殺しにして日々を怠惰に過ごすことを彼女は認められなかった、認めたくなかった。
「そんなの許せなかった。外の世界への憧れは募るばかりで、毎日昔話を聞いて自分を慰めていた」
外の世界が危険だらけだとしても、そのリスクを背負ってでも。
「私、海に行きたかった。どこまで続くか見当もつかないほど広いと言われてるところに。この空と同じ色をした、私の瞳の色と同じ場所に」
他人に夢を話すことは初めてだったと、彼女は照れ臭そうに笑った。この村から出ていくなんて言えるはずもない。
「ねえ、ルフは海に行ったことある?」
「いや、話に聞いたことはあるけど行ったことはないな」
「そう、じゃあ貴方もいつか行けるといいわね。きっといい場所だから、なんたって私の瞳と同じ色をしてるんだから」
その自信はどこから来るというのか、グラスの淵をなぞりながら彼女はそう言った。それでも俺もなんとなく行ってみたい気持ちにはなっていた。
森を守り続ける限り行く機会は訪れないだろうけど、自分が森を守ることができなくなったら、その後にでも。
「……眠くなってきたわ」
「良い夢を、シルフィ」
「……最後の最後に、ようやく名前を呼んでくれたわね」
微かに微笑んで、彼女はゆっくりと目を閉じた。また俺が運ぶハメになるのかと思いながら蝋燭の火を先に消す。でもまあ、それぐらい良いだろう。
暗闇に包まれて、それから、それから――
以上。ずっと話は続いていくのだけれども、この先を書くには時間が足りなすぎる
彼、彼女に幸せが訪れんことを