そこには珍しく、自主的に居残りをして勉強している生徒がいるようで…
(番外編)
「あー!終わんないよー!!」
窓から指す光はオレンジ色。夕焼けの光が一人っきりの教室を照らす。窓から見える風景からは部活終わりと思われる生徒たちが続々と下校をする。ばあちゃる学園の2-Cと表記された教室に『金剛いろは』は机を目の前に頭を抱えていた。
「うー。そもそもこんなの分かるかわけないじゃん」
机の上に開かれたノートと教科書。いくつもの計算式に数字からそれは数学の教科書ということがわかる。いろはは数学の居残りをしていた。
いろはの成績はアイドル部内では最下位を争うほどに悪い。その中で特に数学が苦手であり、ついに先日行われた定期テストにて平均点よりかなり下を取ってしまった。本人が自信満々だった分、そのダメージはデカい。同じクラスのめめめから『…頑張れ』と控えめにエールを受けるほどだった。
「こらこらー!そんな大声出しちゃ廊下に響いちゃうでしょーが!ってごんごん?」
「あ、うまぴー!いいところに来た!」
「はい?」
空いている北側の扉から顔を出すのは見慣れた冒涜的なマスクの男性。我らアイドル部のプロデューサー『ばあちゃる』だ。学園長でもある彼は教師と共に学園の見回りをやっていた彼は急に聞こえたその声につい首を出してしまう。そんなばあちゃるにいろはは手招きをし、自分の机の前に席に座らせた。
「実はいろは居残りしててさー。ね、教えて?」
「えぇ…別にいいっすけど、教科はどれっすか?」
「…数学です」
首を垂れながら鞄から答案用紙を取り出して渡す。受け取りまず点数を確認して、マジンガー。答えに見直していく度にえぇ、やらえぐー、やらいつもの彼の語録が口から零れる。そして全部見終わった後に軽くため息を吐き、いろはへ視線を向けた。
「いやいやいや、ごんごんこれは不味いっすよ。一教員としては進学出来るか心配するほどやばーしっすね」
「うぅ、それはいろはが一番分かってるよー!だから居残りして真面目に勉強しようと思ったんだけど…」
「あぁ、あの先生なら部活動の方っすね」
「そうなの!」
いろはが所属するクラスの数学担当を思い出し、何故彼女が教室で一人頭を抱えているのか理解する。
「それならまた後日に改めて頼めばいいんじゃないっすか?」
「それだといろはのやる気がなくなってるかもしれないじゃん。こういうのはやる気がある時にやらなきゃ!」
「そういうもんっすかね?」
「そういうものです!」
むふーと鼻息を立てドヤ顔のいろは。ノートに目を向けるとそこには確かに努力の跡が見える。しかし、独学でやれることなど、たかが知れている。それが苦手な科目であればなおさらだ。自身の仕事の進捗を頭に思い出し、アイドル部に対して甘々な、ばあちゃるの下す決断は一つであった。
「しょうがないっすね。ばあちゃる君が完璧のぺきぺきになるまで教えてあげますよ。はいはいはい」
「ぺきぺきってなにww」
特徴的な笑い声を上げながら満面の笑みを浮かべる。その笑みは見ている者も笑顔に変える力があると感じられる笑顔だ。マスクの下で、彼女に釣られるように笑みを浮かべる。
そうして始まった二人っきりの居残り勉強会はばあちゃるの予想とは裏腹に、順調に進んでいった。いろはの今回の低い点数の原因は単純で、最初に習う公式を覚えていなかったことだ。公式がわからなければ応用のしようがない。結果、根元が出来なかったため総崩れしたのだ。ならば対策は単純で、公式を教えてその公式の応用のやり方を教えればいいだけである。
「うまぴーって教えるの上手いね!」
「はいはいはい。ばあちゃる君が上手いっていうよりはこの教科書が凄い分かりやすいっすよね。ばあちゃる君はこの教科書のことを伝えてるだけですし」
「いや、うまぴーの教え方やっぱ上手いよ!うまぴーが教科書にマーカーしてくれたところとか、いろはが詰まった時にすぐに気づいてくれることとか!すっごい勉強しやすかったもん!」
「そ、そっすか?そう言ってもらえると嬉しいっすね、完全に」
惜しみない賞賛に照れが出てしまう。誰に対しても全力で向き合うのが彼女の魅力だと理解していたが、それがいざ自分に向けられるとなるとどうしても羞恥が出てしまうものだ。誤魔化す様にマスク越しに後頭部を掻く。
「…ごめんねうまぴー」
「ん?何がっすか?」
目標としてきたところまでほぼ終わりと差し掛かったところでいろはは急に顔を俯かせ呟く。その表情に影が差した。
「うまぴーだってまだ仕事中でしょ?それなのにいろは、無理言っちゃってさ」
「はいはいはい。そんなことごんごんが気にすることないっすよ!仕事に関しては最近余裕があるっすからね、大丈夫っすよ」
脳裏に浮かぶのは生徒会の三人組。元は会長一人だけの手伝いだったが、気付いたら人が増えていた。断っても居座られるので諦めた結果、作業効率はさらに向上。そのため、後日に仕事が残ることはほとんどなくなった。現に、今やっていたのはかなり先の仕事だ。それでも彼女の表情が晴れない。ばあちゃるは持っていた教科書を机に置き、いろはと向き合う。
「急にどうしたっすか?ばあちゃる君でよければ聞くっすよ」
「…うん、ありがと。あのね、いろはね、不安になっちゃったんだ」
「不安?」
俯いた状態で視線だけがノートへ向く。消沈気味のいろはを刺激しないように、ばあちゃるは姿勢を正した。
「うん。いろはさ、頭よくないじゃん?今回は自主的に居残りしてるけど、補習だって何度も受けてるよ」
「一応学園長っすからね、そこのことは知ってるっすよ。けど、それも個性っすよ」
「うまぴーがそう言ってくれるのはすっごく嬉しいよ。けど、それで皆の足を引っ張るのは、やっぱりやだな」
俯く瞳から一粒、涙が落ちた。
意外と人見知りな彼女の交友関係は狭い。狭いが、その繋がりは固く太い。きっとその仲間はいろはの成績不振が原因で何かあっても、笑って許してくれるだろう。しかし、いろは自身がそれを許せない。そう考えているであろういろはに、ばあちゃるは荒っぽく頭を撫でた。
「わぷっ!?うまぴー!?」
「うわ!ごんごんめっちゃ髪さらさら!この髪の量でこのサラ付き、すっごい手入れ上手っすね!」
「た、確かに気を使ってるけど!崩れるからやめて―!」
「変なこというごんごんにお仕置きっすよ!うらうらうらうら!」
「やーめーてー!」
手を放そうとする彼女を無視してさらに頭を撫でる。ぐしゃぐしゃになったところで離し、顔を上げているいろはに視線を合わせた。その瞳には涙はない。
「ごんごんも分かってると思うっすけど、そんなこと気にする必要はないっすよ!ピーピーだってたまたまだって、いやアイドル部の皆がそんなこと気にするわけないじゃないっすか!」
「それは、そうだけど」
「言わせたい奴に言わせておけばいい!なんていってもやっぱり気になるっすもんね。なら、ばあちゃる君がごんごんのお手伝いをするっすよ!」
「え?」
机に置かれた数学の教科書を手に取る。彼女の顔が曇らないように、いつも以上のテンションでばあちゃるは言葉を紡ぐ。
「数学でも、社会科でも理科でも!なんでもごんごんの勉強のお手伝いをするっすよ!ばあちゃる君的には成績なんて進学できる最低限あればいいと思ってるっすけど、もしそれ以上目指すというなら、いくらでも協力するっすよ!」
「…が、学園長が最低限出来ればいいなんていっちゃダメじゃん」
呆れたように笑ういろはの表情に既に影はなくなっていた。安心したように肩の力を抜き、改めていろはの頭を撫でる。それは先程のような荒っぽさはなく、優しさに溢れていた。
「…ねぇうまぴー。ワガママ言っていい?」
「はいはいはい。なんでもいいっすよ」
「いろはね、きっと飽きちゃうかもしれないからもしそうなったら叱ってほしい」
「ばあちゃる君が叱れるかわからないっすけど、背中は押すっすよ」
「うん。そっちのほうがうまぴーらしくていいな」
頭を撫でられるという状況ぬ徐々に恥ずかしくなってきたのだろう。その頬を徐々に熱を帯びていく。それでも腕を払わないのは、その温かさがきっと気持ちがいいから。
「もう一個いい?」
「いくらでも聞いちゃうっすよ?」
「いろはね頑張るから、すっごい頑張るからまた頭撫でてほしいな」
耳まで真っ赤にして、はにかみながら笑ういろは。その表情は普段の彼女とは違う魅力が溢れている。そんないろはにばあちゃるは小さく胸が高鳴った。
「もちろんっすよ。だから頑張れ、『いろは』」
「えへへ、うん!いろは頑張る!」
そんな二人の姿を夕暮れの太陽だけが見ていた。