とある企業に勤めているバイト戦士もそんな時間に帰宅をするようだ
しかし、そのバイト戦士も最近何故か嬉しそうにしているようで…?
(番外編)
時刻は7時45分。日も落ち、窓から見えるビルの外は街灯が光り街を彩る。そんな街の風景など気に留めず、『牛巻りこ』はPCの画面の前で格闘していた。打ち込むのはプログラムの羅列。何故か吐き出すエラーに頭を抱えながらも、りこは懸命にその原因を探っていた。そう、りこはアルバイト真っ最中なのだ。
「うーん。なんでだぁ?」
固くなった体を解す様に椅子に座りながら上半身を動かし、軽くストレッチをする。同じ姿勢を長時間維持していたためか、急な運動に身体が小さく悲鳴を上げる。その痛みか、もしくは目の前の画面に映し出されるものが原因かは不明だが、りこの瞳には涙が溢れそうになっていた。
画面に映し出される『エラー』の文字。この原因不明のエラーに既に2時間も費やしている。ああでもない、こうでもない。と試行錯誤を繰り返すが、どうにも解決の糸口が見つけられない。完全なる袋小路に嵌っていた。
「お疲れさん。行き詰ったら、とりあえず息抜きだ」
「あ、社さん。どうもです」
デスクに珈琲が置かれる。それを置いた人物へ目を向けると、そこにはここの正社員で同じVTuber、『にじさんじ』所属の『社築(やしろきずく)』が片手を上げて笑みを浮かべていた。
りこのプロデューサーである『ばあちゃる』の紹介で入ったアルバイト先は、なんと社が勤める会社だった。社内で対面した時はそれは驚いたものだ。ばあちゃるに問い詰めると、どうやら無理しがちのりこには監視が必要だと思った為、知人である社が勤めるこの会社を紹介したとのこと。心配性だと思うと同時に、ばあちゃるが自身に向けるその感情につい笑みが込み上げてくる。
「ん?急に笑ってどうした?」
「ううん!何でもないですよ!ちょっと、嬉しいこと思い出しただけです」
「ほほう。ってことはばあちゃるさんのことだな」
「んなッ!?ななな、なんでわかるん!?」
意地の悪い笑みを浮かべ指摘する社に、りこは頬を赤く染める。図星をつかれ、つい素である関西弁が出てしまう。そんな素直なりこの反応が面白かったのか、社は笑みはより深めた。
「顔に思いっきり出しておいてそれはないだろ。恋愛初心者にもほどがあるぞー?」
「むー。意地悪な言い方だなぁ!」
悪態をつきながら、社が置いた珈琲の蓋を開け、口に含む。砂糖もミルクも入っていないブラック特有の苦みが喉を通る。その苦味のおかげで、ある程度落ち着いたりこは、前から疑問であったとあることを思い出した。
「そういえば。社さんって、いつばあちゃる号と知り合ったんですか?」
「俺とばあちゃるさんか?…そーいや配信や放送で共演したことはなかったな」
顎に手を置き、思い出す様に思考する。そんな考えるような仕草をするが、探していた記憶は思いのほかあっさりと出てきた。
「出会いは割と偶然だったな。『にじさんじ』ライバーにクレアさんがいるだろ?」
「クレアさん?…ああ、シスタークレアさん!」
「そうそう。俺はクレアさんのファンで有り、同じライバーなんだが、とある事情でクレアさんの勤めてる教会に行くことがあってな。その時にばったりって感じだな」
「教会?教会にばあちゃる号が何の用なんだろう?」
「確か、もちもち?って子がそこでアルバイトしてるらしくて、その様子見とクレアさんに用事で来てたみたいだったぞ」
「もちにゃんが!?へー。それは知らなかったなぁ」
出てきた予想外の友人の名に、りこは驚愕する。そして少し前にクレアとばあちゃるが共演していたことを思い出し、その二つの理由であれば、ばあちゃるならば教会に赴くだろうという結論に至る。りこが知っているばあちゃるという男はそういう男だ。わかり切っていることだが、その事実が何故か嬉しかった。
「まーた顔に出てるぞー」
「うぇ!?見んといてぇ!?」
にやにやと笑みを浮かべる社に羞恥心を覚え、りこは腕で顔を隠す。どうにもあの報告会の後から感情コントロールが上手くできない。朱に染めた顔を隠しながら、りこは頭を抱えた。
そんなりこを横に、呆れた表情を浮かべながら社は時計に目をやる。時刻は8時丁度。アルバイトであるりこの終業時間だ。
「ほらほら、就業時間だ。アルバイトは帰った帰った」
「え?けど、これのエラー取り終わってないですよ?」
「そんなもん明日か別のやつに投げちゃっていいよ。牛巻を残業させると俺がばあちゃるさんに怒られるからな」
「むう。それを言われるとさすがに牛巻も申し訳ないかな。…うん。後はお願いします!」
「はいはい。任された」
渋りながらも、社が最初から切ってきた切り札にりこは大人しく従う。状況をしっかり保存したかを確認した後にPCの電源を落とす。電源が落ちることを確認し、りこは急ぎ足でオフィスを後にした。
年相応のりこの反応に、社はつい笑みを浮かべながら『青春だなぁ』と零す。その時、背中に大きな衝撃が襲う。その衝撃に体制を崩しそうになるが、何とか踏ん張り持ちこたえる。何事か、と首だけ振り返ると目の前には同じ正社員である同僚の顔があった。
「うおぉおぉ!?急になんだ!?ホモか!?」
「んなわけあるか!?」
飛び引く社に、心外だとばかりに叫ぶ同僚。普段スキンシップしない人物が、急に距離を詰めてくれば誰だって警戒する。もちろん社も警戒する。警戒体制のまま、社は同僚と距離をとった。
「…じゃあなんだよ。急に抱き着いてきて、お前そんなキャラじゃないだろ?」
「あー。いや。社さ、さっき牛巻ちゃんと話してただろ?それで、聞きたいことがあってな」
「聞きたい事?」
同僚は気まずそうに視線を逸らしながらそう切り出す。オウム帰しで聞き返すが、同僚のその態度に社は嫌な予感が過った。
「…おいおいおいおい。お前まさか。牛巻のこと狙ってるとか言うんじゃないだろうな!?」
「わ、悪いかよ!」
「正社員がアルバイトの子に手を出したらヤバいだろ!何より!…いや」
『年の差を考えろ!』という言葉を何とか飲み込む。その言葉は、りことばあちゃるにも当て嵌ってしまう。二人の友人である社はその言葉は言わないと誓っている。だから、寸でのところで何とか飲み込むことが出来た。急に言葉を詰まらせる社に同僚は首を傾げた。
「なあ頼むよ社。応援してくれとは言わない。せめて牛巻ちゃんの好みくらいは教えてほしい」
「ガッツリ聞くじゃねえか!?っていうかお前、牛巻のことをどれくらい知ってるんだ?」
「へ?なんか変な馬のマスクの紹介で入ってきた可愛い子ってくらいだが。あの馬は保護者かなんかだろ?」
「あー。お前さんはあれか。VTuberは見ないタイプか」
「そうだが。え?なんかまずかったか?」
首を傾げる同僚をつい同情的な視線を送ってしまう。VTuberのことを知らないのであれば、ばあちゃるの存在を知らないのも無理はない。そして、ばあちゃると牛巻の関係だって知らないはずだ。同僚が二人を親子と勘違いするのも仕方がないことだった。
どうあっても彼の恋は成就することがない。そのことを知っている社は、せめて諦めてもらおうと意を決した。
「…しゃーない。好みだけだぞ」
「マジか!?助かるぞ社!」
「つっても前にちょびっと聞いた程度だぞ?それでもいいか?」
「全然!情報があるだけでもありがたい!」
一人で盛り上がる同僚に、同情の気持ちが大きくなる。そんな彼を諦めさせるために、社は言葉続けた。
「まず、年上が好みだ」
「よし。当てはまるぞ!」
「そんでもって、体格もよくてガタイがいい」
「多少鍛えているから問題ないな!」
「よくスべるし語彙力もないが、面白い」
「うん!…この前に女性社員に『同じ話ばっかりでつまんないよ』って笑われた!」
「お、おう。そうか。…さらに料理が上手くて包容力がある」
「肉料理が得意だから問題ないな!包容力だって自信アリだ!」
「お前の肉料理ってただ焼いてるだけじゃなかったか?まあいいや。それじゃ最後。馬のマスクが似合う」
「なんだそれ!?牛巻ちゃん変わってるな!?」
諦めさせるためにばあちゃるの特徴を順番に伝えていく。しかし、それは同僚の背中を押しているように感じてならない。よくよく見てみれば、同僚の特徴は、どことなくばあちゃるに似ている。背も高くてガタイもいい。話もつまらない。包容力もないわけでもない。だが、決定的に足りない。なにが?と聞かれても社はうまく答える自信はなかった。しかし、足りないということは確実だ。あえて言うのであれば、全部というところだろうか。
「全部は当てはまってないが、ある程度は当たってる!…社。俺、行くよ」
「行くってどこに!?」
「勿論牛巻ちゃんの所さ!」
「あ、待て!てめぇ、仕事投げんな!」
飛び出した同僚を追うために、部長に一言伝え追いかける。向かうはビルのエントランス。りこと別れてそれほど時間がたっていないので、同僚の足であればエントランスで合流してしまうことが読み取れた。エレベーターではどうやっても追いつけない。ならばと階段を駆け下りる。幸い、階層がそれほど高くないところにあるオフィスだ。階段であれば追いつけると踏んでの行動だった。そしてその読みは当たった。
「てめぇ待てこら!」
「ちょ離せ社!人の恋路を邪魔するな!」
「邪魔してるのはお前だ!落ち着け!」
エントランスに続く扉の前、エレベータの前に男二人が取っ組み合う。その暑苦しい光景に、他にエレベータに乗っていた人たちは一歩引いてしまった。そんな二人の取っ組み合いは一人の少女の声によって終止符が討たれた。
「ばあちゃる号!」
扉を挟んで、エントランスからりこの声が響く。その声色は業務中に聞くことはなかった幸せに満ちたものだ。その声に、社と同僚はガラスの扉からエントランスの風景を覗き見る。
「連絡もなくきてどうしたの?」
「はいはいはい。丁度ね、ばあちゃる君のお仕事が終わったのでね、確かりこぴんのね、アルバイトが終わる時間もこれくらいだったかなーと思ったので、来ちゃったわけっすよ」
「えへへ。そっかー。ばあちゃる号、牛巻のお迎えに来てくてたんだぁ」
そこにはいつもの馬のマスクは着けていない素顔のばあちゃると、そんなばあちゃるの腕の中に納まるりこの姿が見えた。先程見たりこの表情より、さらに幸せに満ちたその表情に社は嬉しくなってしまう。同じプログラマーの同志として、VTuberの仲間として友人の幸せはやはり嬉しいものだ。
「…そーいやちぇりーちゃんに聞いたんやけど。お泊りさせたんだって?」
「う。なんでその話漏れてるっすかね」
「部内で情報を共有してるんやもん。そりゃ知ってるよ」
「えぐー!?ばあちゃる君のプライバシーゼロじゃないっすか!?」
「ふっふっふ。好きな人のことやもん。牛巻たち、なんでも知りたいんよ?だから…」
「うん?」
「…今日、お泊りに行ってもいい?」
「ッ!…りこぴん、今のはきいたっすよ」
話の内容は社たちには聞こえていないが、常時赤面状態のりこと、会話の途中で控えめではあるが赤面するばあちゃるから大よその会話が読み取れる。呆然とする同僚を余所に、社は心の中でエールを送った。
「…いいっすよ。お泊りしましょう」
「へへ。やった」
「…いやー。それにしてもりこぴん、大胆っすね」
「へ?」
片腕であるが背に回された腕が強くなる。報告会以前であったのなら、決して回させることがなかったその腕が、りこにとって最上級の幸せだ。さらにばあちゃるからの返答。もうりこは幸せは有頂天だ。
その時、意地の悪い顔を浮かべばあちゃるはとある方向へ指をさした。何かと思い、そちらに顔だけ向けると、そこにはガラスの扉からりこたちを見詰める複数の視線。それを認知した瞬間、りこの頭は混乱した。
「み、みみみみみ!?みられッ!?ばあちゃる号知ってたの!?」
「はいはいはい。ばあちゃる君も今知ったとこっすよ。いやはや、てっきり知っているものかと」
「そんなわけないやん!え、えと!あああの!?し、失礼しましたー!!」
「ちょいちょーい!?ばあちゃる君の車はこっちっすよー!?」
ばあちゃるの腕を抜け出し、勢いのまま玄関から飛び出す。そんなりこを、愛おしいと書いた表情を浮かべながらばあちゃるは追いかける。その光景に、見ていた全員が近くにおいてある自販機からブラックの缶コーヒーの購入を決意した。
失恋の決定的の状況を見てしまった社の同僚は震えながらこの後の予定は決めた。
「社ォ!今日は失恋パーティーだ!飲むぞ!」
「お、ここにおったか」
「パパ―!!」
「ドーラにひま!?え、なんで職場に!?」
社を巻き込んで朝まで飲みに行こうと決めた同僚は、社を連行すべく振り向く。しかし、そこには社に用があって訪れていた『ドーラ』と『本間ひまわり』の姿があった。
「今日はひまと収録があっての。それで近くに社の職場があると聞いてきたから様子を見に来たのじゃ」
「パパ。まだお仕事?」
「あーそうなんだわ。…ってちょい待ち。部長から連絡だ。…はい、もしもし。…え!?今日はもう帰っていい!?アルバイトの教育を頑張ってるからご褒美!?ありがとうございます!…暇になった!」
「おーなんという幸運。よし、せっかくだから葛葉も誘って焼肉でも行こうかの」
「わーい!みんなで焼肉だー!」
「了解了解!ちょい荷物取ってくるから外で待ってて!」
嬉しそうに階段を駆け上がる社。そんな社と同様に、嬉しそうに外へ出ていく二人の女性を同僚は呆然とした表情で見送ることしかできない。
「こうなりゃヤケ酒だぁ!」
「君はまだ業務が残ってるだろうがッ!」
「げぇ!?部長!?」
残業する者、家族で団欒する者、二人の夜を堪能する者。それぞれの夜の過ごし方がその世界にはあった。