そこをお気に入りにしている一人の生徒がいる
昼休み前の最後の授業前、その少女は屋上にいるようで…?
(番外編)
雲一つのない快晴。そんな青空を『木曽あずき』は屋上で見上げていた。
時刻は昼まであと一時間。昼休憩が前に当たる4限目前の休憩時間だ。そんな僅かな時間にあずきは、お気に入りである学園の屋上に訪れていた。日差しが指さない日陰に当たる場所にてあずきは地に座る。
「ふぅ…」
肺にある空気を吐き出す。遠くから聞こえてくるさまざまな教室からの声が聞こえる。その中には聞き覚えがある声もいくつかあった。その声に無意識に笑みを浮かべる。
あずきは、そういった騒がしい雰囲気は別に嫌いではない。クラスメイトである『北上双葉』や、プロクラマー仲間である『牛巻りこ』との会話だって実は結構好きだったりする。ただそれ以上に一人でいる方が好きなだけなのだ。いや『一人が好き』というのは語弊がある。今屋上に流れる静かな、ゆったりとした雰囲気が好き、というのが正確だろうか。いまいちはっきりせず、どこかもやもやとした感覚を抱えてしまう。
「…まあ、いいでしょう」
悩むのもバカらしくて、あずきは思考を停止する。誰かといるのも好きで、一人でいるのも好き。それでいいやと、矛盾した感情を肯定した。そんなもの、こんな見事な青空に比べたら些細なものだと一人納得する。
気持ちの切り替えに、持ってきた紙パックのジュースにストローを指す。その中身はブレンドコーヒー。4限目を寝ずに乗り切るために買ってきたものだ。喉を通るコーヒーにしては甘めの味と共に、昼に消化する案件は何だったか、と考えていると扉が開く音が聞こえた。誰だろうと扉の方へ目を向けると、そこには見慣れた人物が日差しが眩しそうに眼を細めてそこにいた。
「あ、キス魔さん」
「誰がキス魔っすか!?って、きそきそじゃないっすか」
普段身に着けている馬のマスクを片手に、最近見慣れ始めた素顔を晒した男性『ばあちゃる』がそこにいた。急に掛けられた声に驚くも、その正体があずきと知ると胸を撫で下ろす。そして自然にあずきの横に座った。
「…」
「ん?…あー、もしかして嫌だったっすか?」
「いえ、そういうわけではないのですか…」
顔を伏せるあずきにばあちゃるはそう声をかけた。流石に許可もなく隣に座るのは無遠慮が過ぎたかと反省するが、頬を朱に染めるあずきにそれは杞憂だと知る。
「…随分と遠慮がなくなったなと、そう思っただけです」
「あー、そうっすね…すずすずにも変わったと言われたっすよ」
苦笑しながらあずきと同じように空を見上げる。横目で見るその表情は困惑の色が見て取れた。
「実はばあちゃる君が一番びっくりしてるとこもあるっすよ。特に、先日のちえりんの時は流石に暴走しすぎたと反省したっすからね」
「…なら、何故あのような行動を?」
そっと身体を寄り添いながら問う。そのさり気無い可愛さに、ばあちゃるは心が暖かくなるのを感じた。
「気付いたら、って感じっすね。テキトーなことを言うあの男に血が上って変な独占欲が湧いて勢いのまま、しちゃった感じっすよ」
「やっぱキス魔じゃないですか」
「えぐぅ…いや、否定できないっすねこれ、完全に」
乾いた笑いを零すばあちゃるに、呆れた表情しかでないあずき。一通り笑った後、ばあちゃるは再び空を見上げながら嬉しそうに笑みを浮かべた。
「けど、ばあちゃる君は今の自分は嫌いではなかったりします」
「…そうですか」
「ええ」
投げやりの言葉に満足そうに頷く。まるで見透かされているように、あずきは謎の羞恥心に襲われる。
「今思い返してみると、昔の自分はどこか生き急いでいたのだと思うっすよ。シロちゃんやアイドル部のみんなのために奔走して、自分のことなんて後回しにして、それが苦しいと思ったことはなかったっすけどね。けど、振り返ってみるとシロちゃんやみんなが言う様に『もっと自分を大事にしろ!』って言いたくなるっすよ」
「…自分語りですか」
「はいはいはい。あずきちがね、なぁんか聞きたそうにしてたのでね、語っちゃいました。まあ、ばあちゃる君の勘違いかもしれませんけど」
「…むえー」
図星を付かれ、赤くなる頬を隠しながら意味不明な言葉を吐く。その可愛らしさにばあちゃるは、衝動のままあずきの頭を撫でた。
正直の感想を述べるのであれば、あずきは今のばあちゃるに対して困惑するところの方が大きい。あの報告会より前では考えられなかったこの距離は、どうしたって心臓に悪い。今だって、胸は高鳴り続けている。頬だって熱いままだ。だが、あずきは今のこの気持ちは決して嫌ではないかった。むしろ、嬉しいと思っている部分だってある。それでも、何故か寂しいとも思ってしまう。
その不安を隠すように、ばあちゃるの手を握る。それを読み取ってか、ばあちゃるはその手を握り返してくれた。
「変われたからこそ言えることかもしれないけど、人は変わっていくものっすよ。昨日より一歩、一昨日より二歩、そうして人は日々変化していくっす。それがいい方向に変わるか、悪い方向に変わるかは、その人、というより周りの環境に変化するものっすよ。そして、ばあちゃる君は最高級に幸せ者でした。だからこそ、変わったことを受け入れられた」
「…」
「けど、変わらないこと、変えたくないことだってある。それが大事な人は、それを守るために踏ん張って頑張るものっすよ。それがなんなのかはその人によって変わるものっすけど、あずきちにだってそういうものがあるでしょう?」
思い浮かぶのはアイドル部のみんなの姿。彼に向けるこの感情の名前は恋である。そしてこれが進展していくということは、今の関係に終止符を打つものだ。普段は表に出さないが、あずきはみんなことが、ばあちゃるに負けず劣らずに大好きである。だからあずきはこの恋に消極的だった。
だからこそ、いろはの行動には度肝を抜いた。『恋も、友情も、どっちも取る』。それはあずきも望む未来の姿だ。ばあちゃるの言う変わらない努力をいろはに当てはめるならば、そういうことなのだろう。世間体、倫理的観点からあってはいけない関係だ。それでも今の関係に続いたのは、いろはの努力によるものが大きい。
目の前の愛しい彼の背中を押せたあの日。実はいうとあの日は、自分の気持ちを見詰めなすために海へと向かったのだ。色々とあったが、あの日にあずきも決意することが出来た。
「…変わらない、ですか」
「そうっすね。ホントそういう意味ではごんごんには驚かられたっすよ。…そして、ばあちゃる君もその想いに共感した。あずきちもそうでしょう?」
「…さぁ、どうなんでしょう」
「ちょいちょーい!そこはあずきちも同意するとこっすよね!?」
「ゼンショシマス」
「えぐー!?」
投げやりの相槌に変わらないリアクション。その何気ない雰囲気が、あずきに笑みを与えた。
『変わる強さと、変わらない強さ』。矛盾している二つだが、あずきはそれを胸に進むことを決意した。その隣にはきっと、愛しい仲間の姿がいるはずだ。これほどに心強いことはない。
だからといって、抜け駆けしたことを許すつもりは毛頭なかった。
「…とー」
「ぐぇっ!?ちょ、あずきちッ。ちょっと痛いところに入ったっすよ!」
「ワザとです」
「質が悪いっすね!?」
寄り添う形から、彼の身体に飛びつく。その際に肘が彼の腹に突き刺さったが、あずきはそれを気にしなかった。悶えるばあちゃるを無視して、あずきは身体を彼に預ける。
「どうも最近抜け駆けが多いので、ここであずきも乗りかかろうかと」
「へ?」
「へい、そこ行く馬面プロデューサー。今から一緒にサボらないか?」
演技する気が一切感じない棒読みで、変わらない表情で言い放つあずき。しかしそれは手を繋いでいるばあちゃるには筒抜けである。なにせ、あずきの手は手汗が滲み出てきており、緊張していることが読み取れたからだ。その見事なポーカーフェイスに、ばあちゃるは苦笑しながら繋いでいる手とは逆の腕を、あずきの背に回した。
「ぁぅ…」
「はいはいはい。あずきちはわるわるっすね!しょーがないっすから、ばあちゃる君もお供しますっすよ。あとでたまたまとなとなとに一緒に怒られましょうか!」
「…あ、授業には動画編集神が出席するので、怒られるのはばあちゃるさんだけですよ」
「えぐー!?」
変わらない辛辣なあずき。変わらない語彙力のないばあちゃるのリアクション。変わらない屋上を照らす太陽の光。そして、変わったあずきとばあちゃるの距離。
変わるものと変わらないもの。仲間と共に、かけがえのないものを大事にしていこうと、愛しい彼の腕の中であずきは笑みを浮かべながら瞼を閉じた。