ばあちゃる学園から一駅離れた場所にあるアイドル部をが所属する.LIVEを運営する企業
放課後ヤマトイオリは裏方のメンテちゃんに呼ばれ赴いていたようだか…?
平日の夕方。アイドル部の一人『ヤマトイオリ』は.LIVEの運営会社、アップランドの事務所を上機嫌で歩いていた。案件は単純なもので、最近メディアにも露出が増えてきたアイドル部のスケジュール調整のためだ。イオリ自身、スケジュール管理は得意の方ではない。ならなぜ上機嫌なのか。その答えは単純で、彼女の愛するプロデューサー『ばあちゃる』に会うことが出来るからだ。
ほぼ毎日、学園で会っているとはいえ、それ以外でも会えるというのは嬉しいことだ。それがイオリが苦手なことだとしても、胸から湧き上がるこの気持ちは止められない。
「ふんふんふーん」
「やけに上機嫌ですね」
嬉しそうに鼻歌も零れる。仕事関係で来ていることも忘れていそうな上機嫌さに、共に歩いていた『メンテちゃん』は呆れ顔だ。
「だってだってうまぴーと会えるんだよ!?それだけでイオリは幸せがいっぱいです!」
「といっても一応お仕事ですよ?あまり浮かれすぎないようにしてくださいね?」
「そうだけど。やっぱ嬉しくて顔がにやけちゃうんですよ」
軽く窘めるが、それでも幸せな表情を浮かべるイオリに苦笑しか零れない。これは何を言っても無駄だと判断し、メンテちゃんは話を逸らすことにした。
「そういえば、最近シロちゃんは学園に行っているんですか?」
「え、シロちゃん?んーん。最近は学校で見ないかなぁ。イオリもだけど、他のアイドル部の子とかしょっちゅう学園長室に行くんだけど、見てないなー」
「え、そうなんですか?」
イオリの回答が予想外だったのか、小さく驚くメンテちゃん。その反応に今度はイオリが首を傾げる。
「シロちゃんがどうかしたの?」
「いえ、些細なことなんですが…ここ最近、連絡が取れないことが多々あるんですよね。休日の時なんて、一日中取れないときもあるし、ちょっと心配なんですよ」
「うまぴーなら何か知ってるかも!」
「それがばあちゃるさんも何も知らないみたいで…こんなこと初めてなんです。ばあちゃるさんは『大丈夫っすよ』なんて言ってるますけど」
心配する表情を浮かべるメンテちゃん。その表情と裏腹に、イオリは変わらずに安心しきったような表情を浮かべていた。その表情に、メンテちゃんは怪訝そうな視線を向ける。
「…なんでそんな、安心したような顔なんですか?」
「え?だってうまぴーが大丈夫って言ったんだよね?なら大丈夫ですよ」
「その根拠は?」
「うまぴーだから」
「…分かり切っていましたよ、ええ」
イオリの胸を張って自信満々に応えるその言葉に、メンテちゃんは肩を落とす。彼女たちのばあちゃるに対する信頼の高さは知っていたが、これはちょっと心配になる。
確かに、彼とは長い付き合いだし、多少不安が覚えるところもあるが頼りになる。何より、ここ最近はアイドル部や彼の友人たちのおかげで彼が私達を頼ってくれることも増えた。それも嬉しいし、彼なら何とかしてくれるだろうという信頼もあるが、だからと言って思考停止するのはいけない。…というか振り返ってみて自分もかなり彼のことが好きなのでは?そう頭が処理すると、自覚したのか、一気に頬に熱が集まる。
「?お顔真っ赤になったけど、大丈夫?」
「へぁ!?だ、大丈夫ですよ!?ええ!?これぽっちも問題はないです!?」
「そ、そう?」
焦るように、その朱く染まる頬を隠すように大袈裟なリアクションをして返す。普段の彼女が見せないその反応に、イオリも少し驚いて引き気味だ。このままでは不味いと思ったのか、コホンと小さく一息入れて落ち着かせる。
「と、とにかく!何かあってからでは遅いので、変化がありましたら連絡をくださいね?」
「はい。わかりました!…ふふふ」
「きゅ、急に笑って、どうしたんですか?」
「ああ、違うの!バカにしてるんじゃなくて、今のメンテちゃんがこの前罰ゲームでうまぴーに抱きしめられた時のすーちゃんに似てるなーって思っただけですよー」
「んなぁ!?」
思い出し、笑みを浮かべるイオリの言葉に、メンテちゃんは再び大袈裟なリアクションを取る。アイドル部の子たちが、ばあちゃるに好意を抱いていることは社内では知られていることだ。そのアイドル部の一人『神楽すず』と同じような表情を浮かべていたということは、自分が抱いているこの感情も、それと似たようなものだと理解をし、メンテちゃんはさらに頬を朱に染めた。
「い、いえ!?私と彼はあくまで仕事仲間で合って!…そりゃあ対テロ組織の時からの付き合いですから、エイレーンさんに並んで付き合いも長いですし、彼の好みや癖なんかも知り尽くしてますけど!決してこの気持ちが愛情とかではなくて!信頼の延長線上で!」
「あ!うまぴーだぁ!」
「さすがにスルーは酷くないですか!?」
無邪気に無視をするイオリについ声を荒げてしまう。しかし、当の本人はそんなことは気にもせず、愛しいプロデューサーに一直線だ。これは何を言っても意味がないと理解したメンテちゃんは、肩を落としてイオリに続く。そして、イオリの言う通り、廊下の先にはばあちゃるの姿が確認できる。さらにその横には、先程話題に上がったシロの姿もあった。しかし、二人の雰囲気がどこかおかしい。付き合いが長いからこそ察知できたメンテちゃんはイオリを止める。
「ストップですイオリさん」
「え?けどうまぴーがいるよ?」
「ええ。ですけどどこか雰囲気がおかしい。ちょっと待ってもらってもいいですか」
問うというより、言い聞かせるようなその言葉にイオリは無言で頷く。そして二人は息を殺し、ばあちゃるたちに悟られないように、近づいた。
「…い……ま……」
「…は………ょ…」
「…ダメですね。ここでは聞き取れない」
「何か言い争いしてる?」
「というより、シロさんがばあちゃるさんを一方的に拒否してる感じがありますね。それに、あそこまで詰め寄るばあちゃるさんも初めて見ます」
シロとばあちゃるの二人の光景は、普段の二人を知っているのであれば少し異質な雰囲気だ。ばあちゃるがシロに対して過剰に干渉し、それをシロが拒絶する。それ自体は見慣れたことであるが、目の前に繰り広げられているのは少し違う。大まかにはいつもと変わりはないのだが、ばあちゃるがシロに対して一歩も引いていないのだ。普段であればシロに拒絶された段階で、ばあちゃるが一歩下がるはず。しかし、目の前に光景はそうとはいかず、ばあちゃるがその拒絶を振り切ってまで、シロに詰め寄っているのだ。その光景は、二人との付き合いが長いメンテちゃんにとっても意外な光景だった。
その光景に、イオリの胸はチクリと痛みを伝えた。
「え?」
「ん?どうしたんですか、イオリさん?」
「え、ああ。ううん!何でもないよ!」
何故胸は痛みを伝えたのか、理解できないイオリはつい驚きの声を零す。それはメンテちゃんにも聞こえていたようで、振り向くメンテちゃんにイオリは急いで何でもないと返答した。未だに伝わる胸の痛みに困惑しながらも、イオリは目の前のばあちゃるとシロのやり取りに視線を戻す。
「……なら……すよ………」
「…う!………ル部の……しょ!………」
「随分と白熱してますね。あそこまで言い争う二人は見たことがない」
「…」
言い争う二人に比例して、イオリの胸の痛みも強くなっていく。そして湧き上がってくるのは暗い感情。シロに対して向けたことのない感情に、イオリは戸惑いながらも、その感情に徐々に飲まれていった。このまま見ていても、いいことはない。本能がそう命令してくるが、既に遅かった。
「なぁ!?」
「ッ!?」
目の前には驚く光景。なんと、ばあちゃるがシロの唇を奪ったのだ。彼から何かアクションを起こすことは少ない。それこそ、以前あったちえりの事件の時から。いや、それ以前から知っていることだ。しかし、目の前に繰り広げられる光景に、胸に溢れる『嫉妬』とという感情を、これ以上シロに向けたくない。そう思ったイオリは気付くと振り向いて走り出していた。
「イオリさん!?」
後ろから聞こえるメンテちゃんの声を振り切るように、イオリは更に足を速める。それは、さらに後方にいるばあちゃるとシロの二人から目を背けるようでもあった。
「はぁ…」
アップランドの事務所から少し離れた公園。そこにある二つのブランコの片方に、イオリは座っていた。日も大分落ち、夕方から夜に変わるであろう時間帯。ここにいるのは不味いことくらい、イオリも分かっていたが、どうにも足取りが重い。
「戻りにくいなぁ」
脳内に浮かぶのは先程の光景。ばあちゃるがシロの唇を奪う光景だ。それを思い出すたびに、胸にチクリと痛みを訴える。
イオリはばあちゃるは勿論、シロのことも大好きだ。自分を引き取ってくれた家族とは、違うもう一つの家族であるアイドル部。その母親と当て嵌まるとしたら、それはシロだろうとイオリは思っている。そのシロと、大好きなばあちゃるが口づけをしたのだ。それは素晴らしいことで、嬉しいと思うはずなのに…
「なんで、イオリの胸は痛いのかなぁ」
変わらず痛みを訴えてくる胸に視線を落としながら言葉を零す。
実はこのような感情を浮かび始めたのは、これが初めてではない。明確に覚えているのはちえりの事件の時だ。最初は、『いいな』という羨望だけだった。しかし、それ以降のあずきやピノ、双葉にたまとばあちゃると仲良くなっていくのも見る度に、知る度に胸の痛みが強くなっていく。そして先程の、シロとばあちゃるの光景で無意識に逃げ出してしまった。
落ち込む気持ちを誤魔化す様に、視線を空へ向ける。日のほとんど落ちているため、空には微かであるが星が見え始めていた。そして、ひときわ輝く月の姿もそこにはある。
「お月様…」
「呼んだー!?」
「え!?」
縋るように手を伸ばしながら零した言葉に、返事が返ってくる。予想だにしなかったその返事に、イオリは驚きながらも声が聞こえたほうに視線を向けた。
「ってなぁんだ、ルナちゃんのことじゃないのか」
「あ、『輝夜月』さん!?」
視線の先には、イオリと同じ様に着物をアレンジした黒のミニ丈のワンピースに、赤い帯とカラータイツに身を包んだ人物。イオリの尊敬する先輩である『電脳少女シロ』と同じく四天王と称される一人。『輝夜月』がコンビニの袋を片手にそこに立っていた。
月はイオリの姿を確認すると、何かを思い出す様にわざとらしく顎に手を置き、考えるような素振りをする。
「えっと君は…ああ!シロちゃんのところの後輩ちゃん!!え、なんでこんなところに!?」
「えっとあのあの、事務所がここから近くて…」
「あ、そっかそっか。アップランドさんは確かここらへんだったねぇ」
納得したように何度も頷く月に、イオリはどこか萎縮した。しかしそれは仕方のないことでもある。相手はシロと同格で、さらにVTuber業界の火付け役でもある人物だ。同じVTuberとして、雲より高い人物に、さすがのイオリも緊張を隠せないでいた。
「どうしたどうした?もしかして緊張してるの?」
「え…と、はい」
「マジで!?緊張する必要なんてないじゃーん!同じVTuberとして先輩後輩ではあるけど、気にする必要なんてないんだよ!」
勢いよく肩を叩く月に、痛みから小さく睨みの視線を送る。しかし、そんな視線も何のその。月は変わらず高いテンションでまま、はははと大きな声で笑った。ふと家で嗅いだことがある匂いが漂った。この匂いには覚えがある。お酒の匂いだ。匂いの元凶は目の前の月からである。よく見ると頬をも少し赤くなっている。これはどう見ても酔っ払いのそれだ。
「あのぉ。もしかして、酔ってますか?」
「あ、わかるぅ?実は今日オフでね、さっきまで飲んでんたの!んでね、お酒が切れちゃったから補充に買い物に出てたんだ!」
そういって掲げるコンビニの袋にはお酒が包まれている。半透明の袋から見えるロゴには『ストロ〇グゼロ』と書かれているのが確認できた。どこで聞いたか忘れたが、確か、かなり強いお酒ではなかっただろうか。心配する眼差しを向けるが、それに気づいているのいないのか、それは分からないが、月はそんなイオリの視線にニコっと可愛らしく笑った。
「となり、お邪魔するよ!」
そう一言入れて、隅にコンビニの袋を置いてもう片方のブランコに座る。下がらないテンションのまま、ブランコを漕ぎ楽しそうに遊具を満喫し始めた。
「お?おお!?ははは!!ブランコってこんなんだっけ!?面白いじゃん!!ほらほら、えっと…名前分かんねぇや!教えて教えて!」
「あ、アイドル部のヤマトイオリです!シロちゃんの後輩をしてます!」
「それは知ってるよ!ほらほら!イオリちゃんも漕いで漕いで!!楽しいよ!」
勢いに押されて、月の様にブランコを漕ぐ。最初は小さくだったが、振り子の原理でその勢いは徐々に大きくなっていく。さることながら小さなジェットコースターのように風を切るそれは、イオリの暗い心を取り払っていく。
「凄い凄い!早ーい!!」
「でしょでしょ!?ブランコなんてもう卒業したと思ってたけど、予想以上に面白いよな!?」
「うん!イオリもそう思う!」
辺りいっぱいに響く大声で問う月に、負けないくらいの大声で答えるイオリ。近所迷惑など知らないとの応酬と、身体をめいっぱいに使った運動に、気付いたら胸に立ち込めていた暗いものは完全に消え失せた。
ある程度落ち着いて、再びブランコに座るよう佇む。その姿はいつものイオリの姿だ。
「どう、スッキリしたっしょ?」
「え?」
「なぁんか暗い顔してると思ったんだよね。そういうときは、大声出していっぱい運動するのが一番でしょ!」
下から覗き込むように、イオリとは違う天真爛漫の笑みを浮かべる月。その表情に、イオリは月に救われたことに気付いた。この晴れやかな今の気分は彼女が与えてくれたものだ。イオリの中で、月は凄い人だと理解をする。
「何悩んでるのか言ってみ?ルナちゃんが聞いてやるよ?」
「けど…」
「だーいじょーぶ。ルナちゃん今酔っ払いだし、明日になってれば忘れてるからさ。それなら喋りやすいっしょ?」
ニシシと白い歯を見せながら、悪戯っぽく笑う月にイオリもつられて笑う。ここは彼女を信じて、打ち明けよう。イオリは意を決して、胸の内を晒す決意をした。
「イオリね、好きな人がいるんだ。その人はイオリたちの為に一生懸命な人で、いっつも忙しそうにしてる人なの。イオリはその人の背中がすっごい好き。そして…気付いたらその人のことで頭がいっぱいになっちゃったのです」
「ふむふむ」
「けど、イオリはVTuberだから、この感情はダメなんだーなんて思ってたんだけどね。すっごい幸せなことに、その人が好きな仲間と一緒に、これからも一緒にいられることになったの!イオリは、それがすっっごく嬉しくて幸せで、ずっと笑顔になっちゃうんですよ」
「へぇ!詳しいこと聞いたらヤバい気がするから聞かないけど、幸せならよかったじゃん!」
酔っているとはいえ有名人。そこの引き際は流石に心得ていた。
イオリも、月の言葉に笑顔で頷いたが、次第にその表情に曇りが立ち込める。
「けど、最近のイオリはおかしいの」
「ん?」
「好きな人と大好きな人が一緒に幸せになるのは嬉しいことなのに、なんか最近ね、胸が苦しくなるですよ。今までも、ズルいなーなんて思うことは確かにあったよ?けど、最近はホントにズルいズルいって胸が苦しくなって…その大好きな人にイヤな気持ちを向けちゃうの」
「そっかぁ。イオリちゃんは嫉妬しちゃったんだね」
「そうなの…イオリは…悪い子になっちゃったのかなぁ」
波が零れないように上を見上げる。頭上に輝く満月が光を注ぐ。堪えきれず、零れそうになる波が貯まる。溢れるその時、イオリは抱きしめられた。
「ルナちゃんが言えることは至極単純!『嫉妬して何が悪い!』」
「え?」
「イオリちゃんだって女の子だぞ?いくら好きな人とはいえ、嫉妬しちゃうのは仕方がないことじゃん。気にしてたってどうしようもないよ」
「けど…イオリ、シロちゃんにイヤな気持ちを向けちゃったんだよ?うまぴーにだってッ!?」
「大事なのはその後だぞ」
あやす様に背を撫でられる。その心地よさに、荒ぶりそうになっていたイオリの心が落ち着きを取り戻し始めた。
「ルナちゃんにも平田って後輩がいるんだけど、実はしょっちゅう嫉妬してるんだよ」
「そーなの?」
「そーなのそーなの!平田ったらルナちゃんって先輩いるのに事ある度に『めめめ』、『めめめ』とか『アイカツ見ろ!』ばっかりなんだぞ!お前にはこんなに偉大なパイセンがいるだろうが!っていっつも口酸っぱく言ってるのにさー」
彼女から零れるのは確かに嫉妬の感情だ。しかし、そこにイオリが感じているような後ろめたさはない。それが羨ましくて、イオリは月の言葉に聞き入る。
「っと、話ずれちったなー。なんだっけ?…そうそう!嫉妬の話!大事なのはその感情をしっかり相手に伝えること!」
「けど…」
「けどもかかしのないの!人なんて見ただけで全てを理解できるわけないんだから、しっかり自分の感情を伝えていかないと分からないんだよ!ズルいって思ったらズルい!羨ましいって思ったら羨ましい!そう伝えないとダメだぞ!」
「…子供っぽくない?」
「意地張って黙って、それで離れて後悔する方がよっぽどダサいとルナちゃんは思うぞ!なにより、馬刺し君はイオリちゃんのことをほっぽりだす様なつまんない男なの?」
「そんなことないよ!うまぴーがイオリたちを見放すことなんて絶対にあるわけない!」
「ほら、答え出てんじゃん」
「あ…」
先程と変わらない、天真爛漫な笑みを満月を背に浮かべる月。その姿は正しく月のお姫様そのものだ。そのお姫様に背中を押されたのだ。イオリの目には、既に涙は引っ込んでいた。
これからやることは決めた。イオリは決意を胸に、月を真正面から向き合う。その姿は、先程のような萎縮した姿の面影すらなくなっていた。
「月ちゃん、ありがとう!イオリは、これから突撃したいと思います!」
「いいねいいね!青春だね!恋は当たって砕けろってね!」
「砕けるつもりはないですよ!…うん!ヤマトイオリ、いってきます!!」
「いってらっしゃい!」
元気よくお辞儀をし、イオリは公園から飛び出した。その姿が見えなくなるまで、月はイオリに激昂の念を込めて手を振り続けた。
「っと、どこだっけかなー」
イオリの姿が見えなくなると、ブランコの片隅に放置したお酒を取り出す。こんな気持ちに、一杯やらないのはもったいない。その感情の赴くままに、缶のプルタブに指を掛けて、封を開けた。
「くうううぅぅぅぅ!!!うまーい!!」
その酒は、今まで飲んだどの酒よりも美味しかった。それは次に目を覚ました時に、月が唯一覚えていた記憶だった。
アップランドについたイオリが最初に目指したのは、メンテちゃんの所在地だ。アップランド一忙しい男の称号をほしいままにしているばあちゃるは、たとえ事務所内でもその姿を捕らえるのは容易ではない。そして、そんなばあちゃるの居場所を理解してる人物はシロとメンテちゃんの二人だけだ。
「メンテちゃん!!」
「ひぁ!?い、イオリさん!?驚かさないでくださいよ!」
「メンテちゃんメンテちゃん!うまぴーどこにいるか分かる!?」
「ちょっとはこっちのことも!…まあいいです。ばあちゃるさんですね。少し待ってくださいね」
急かすイオリの視線にメンテちゃんは諦め、社内GPSでばあちゃるの姿を確認する。頻繁に移動をするばあちゃるの為に開発し、使用されているこの社内GPSは実はメンテちゃんの自作だ。そして、それを使用できるのも実はメンテちゃんだけだったりする。
「えっと…今は屋上にいますね。ベンチに座っているようですし、移動する様子もないですよ」
「ありがとう!ちょっとうまぴーに会ってくるね!」
「ちょ!?待ってください!ばあちゃるさんは先程のシロさんとのケンカ?のようなものがまだ解決していないので、少しそっとしておいた方が…」
「大丈夫!シロちゃんのこともイオリさんとうまぴーにお任せあれ!」
「あ、イオリさん!?」
メンテちゃんの制止の言葉など聞きえれず、イオリはばあちゃるがいる屋上に駆け出した。扉を閉めずに飛び出したイオリに、メンテちゃんは小さくふくれっ面を晒す。
「…なんでなんか負けた感じになっているのでしょうか…いやいや!?私とあの人はあくまで仕事仲間で!シロさんはともかく、あの子たちに嫉妬するのはおかしいことで!…って違う違う!!嫉妬なんてしてないです!!」
その日、アップランドの事務所では縁の下の力持ちであるメンテちゃんが、顔を赤くして錯乱しているという珍しい風景が見られた。その様子は、他社員に温かい目で見られていたそうな。
屋上へと続く階段をイオリは全力で駆けあがる。ばあちゃるへ向けるこの愛も、先程胸に灯っていた嫉妬も、全部を彼に伝えるために全力でばあちゃるを求める。湧き上がる感情の勢いのまま、イオリは屋上に繋がる目の前の扉を力いっぱいこじ開けた。
「うまぴー!!」
「うおぉ!?い、イオリン!?」
イオリの全力の呼び声に、ばあちゃるは驚いた声を上げる。イオリの訪れることがよほど予想外だったのだろう。驚愕の表情を浮かべるばあちゃるがどうにも可愛らしくて、イオリは彼への愛情を大きくした。
「イオリは!うまぴーが大好きです!」
「は、はい?ちょ、いおりん?」
「頑張ってお仕事する姿も!イオリのお話を一生懸命聞いてくれる姿も!優しく抱きしめてくれる時の表情も大好きです!!」
胸から溢れるばあちゃるへの愛を、感情のままに伝える。頭だってあまりいいわけでもなく、言葉にするのは苦手だ。それでも、この胸に灯る彼への愛は、全部の全部、底が尽きるまで伝えたい。けれど、その愛は底があるとは思ってもいない。だから言葉が尽きるまで伝えるのだ。
「えっとね、えっとね!学園でなとちゃんと気持ちよさそうにお昼寝してる姿も!ごんごんちゃんと楽しそうに笑ってる姿も!すーちゃんの音楽を聴いてるときの姿も!とっても大好きなんです!それと、それと…!わぷっ!?」
「…違うっすよね、イオリン。いっぱい大好きを伝えてくれるのは嬉しいっすけど、伝えたいことは他にあるんすよね?」
「…うん」
言葉に詰まるイオリを、ばあちゃるは優しく抱きしめた。そしてばあちゃるの言葉に、イオリは目を見開き、力を抜いて体を預ける。愛を伝えたいのは嘘ではない。それでも、その先を察してくれるばあちゃるに、イオリはどうしても嬉しくなる。ああ、思った通り、ばあちゃるならイオリの悪いところも受け入れてくれると、そう確信することが出来た。ばあちゃるにしか聞こえない様な小声で、イオリは自分の暗い感情と向き合った。
「イオリね、悪い子になっちゃったんですよ」
「そんあことないっすよ。イオリンは良い子っすね、完全に」
「んーん…イオリね、そのですね、ズルいってすっごい思う様になっちゃったの」
「ズルい?」
安心させるように、ばあちゃるはイオリの背と頭を優しく撫でる。イオリはそれに身を任せながら、自身の気持ちをしっかりと吐き出していく。
「この前、うまぴーがちえりちゃんとキスしたでしょ?その時くらいかな、ちえりちゃんにすっごいズルいって思うようになったの。そこから、みんながうまぴーと仲良くなるのを聞くたびに、イオリの中がねズルいズルい!って言ってくるんですよ」
「…それは、さっき言ったなとなとやごんごんとかにも?」
「…うん。イオリね、今までにもズルい!って思うことがあっても、こんなにみんなに暗い気持ちを向けることはなかったの。だからイオリ、悪い子になっちゃったのかなって…」
気持ちの丈を伝えるのは、勇気があることだ。それがマイナスの感情であれば尚更である。受け入れてくれるという確信があっても、心のどこかで拒否られるかもという気持ちだって存在していた。急に湧き上がる不安に、イオリの目に涙が溢れそうになる。
その時、それを察するようにばあちゃるが、イオリの背中を優しく叩いた。
「イオリンはおバカっすねー。さすがアイドル部一のおバカっすよ」
「ええ!?ひどいようまぴー!」
「ふふ。いいっすかイオリン。イオリンがそんな気持ちになるのは、悪い子になったんじゃなくて、大人になったっすよ」
「…え、大人に?」
予想外のその言葉に、イオリは涙を引っ込め、驚愕する。優しく背を叩くばあちゃるは、そのまま言葉を続ける。
「誰だって、ズルいって思う気持ちはあるっすよ。それこそ子供だって、おもちゃを取られてズルいとかそんな感情だってあるものです」
「うん」
「イオリンがズルいズルい!って思うのはワガママだけじゃなく、『独占欲』があるからなんすよ」
「どくせんよく…」
その言葉自体はイオリももちろん知っている。しかし、今までのイオリはその言葉を理解することはできなかった。確かに言いたいことは分かるが、独占したとこでいいことがない。みんなと共有していった方が幸せだと、そう思っていたからだ。、けれど、今は違う。仲間であるみんなに向けるこの暗い感情は、確かに『独占欲』だ。ピタリと、歯車が嵌ったような気がした。
「そっかぁ。これが『独占欲』なんだね」
「人は成長していくと譲れないモノが出来るものです。それが例え友達でも仲間でも、『譲れない、これは自分が一番だ』と思う様になるっすよ。だからイオリンが、そういう感情を持つということは決して悪いことじゃない。成長したって証拠なんすよ。それがばあちゃる君ってとこが、俺としてはすっごく嬉しいっすけどね」
苦笑しながら優しげな声でばあちゃるがイオリに伝える。それは耳から入り、イオリの身体に、心にゆっくりと浸透していった。
今だからこそわかる。ばあちゃるが恋文を貰った時の何故双葉があのようなことをしたのかを。最初に聞いた時は少し可哀想と思ったが、独占欲を理解した今のイオリには双葉の気持ちがよく理解できる。うん。今のイオリが、うまぴーがラブレター貰ったなんて聞いたらきっと正気じゃいられないなー、なんてどこか他人事のようにそう思った。
そして、イオリはふと友人である一人の人物が思い浮かんだ。
「…ごんごんちゃんって、凄いんだね」
「ん?急にごんごんがどうしたっすか?」
「んー…だってごんごんちゃんも、イオリみたいに独占欲があるんだよ?それなのに、みんなと一緒がいい!って選んだごんごんちゃんは凄いなーって思ったの」
「ああ、そうっすね…ごんごんがいなかったら、今のばあちゃる君たちも無かったっすからねぇ」
思い浮かぶのは金髪の友人『金剛いろは』。イオリとめめめと並んでおバカトリオ『チームhoose』のリーダーでもある彼女には尊敬の念を送らざる負えない。彼女の決死の行動が、今の関係のきっかけだとしたらと思うと、イオリは今度いろはに何か奢ってあげようと、思っていた。
幸せの腕の中にいるのは良いが、もう一つ、気になることがある。イオリは意を決してそのことを聞くことにした。
「…ねえうまぴー。シロちゃんは、大丈夫なの?」
「ありゃりゃ。メンテちゃんが零すとは思えないですし、これは見られてたっすね」
頭を撫でる腕が離れる。きっといつもの誤魔化す様に後頭部を掻いているのだろう。少し寂しいと感じながらも、話の続きが気になり、上目遣いで催促をする。
「あの時のシロちゃん、なんか焦ってる感じがしたよ?うまぴー何かやっちゃったの?」
「ばあちゃる君が何かやった記憶はないっすけど、心当たりはあるっすね」
「…大丈夫?」
シロのことを任せれるとしたら、それはばあちゃるしかいない。けれど先程のやりとりを見た様子だと、どこか不安を覚えてしまう。先程零れた言葉にその不安が混じっていることは、ばあちゃるにも感じることが出来た。
「正直、ばあちゃる君だけじゃちょっと無理っぽいっすね」
「えぇ!?」
返ってきた言葉は予想もしていなかった弱気なものだった。シロに関しては絶対的な自信を持っていたばあちゃるから聞かされるその言葉は、意外というものではない。
「けど大丈夫っすよ。シロちゃんにはばあちゃる君だけじゃなく、色んな友達や仲間がいるっすよ。…だから、なんも問題はない」
「うまぴー…」
力強く、自信を持って言うばあちゃるに、イオリの胸に灯る不安は消えていく。いつだって、ここ一番の時のばあちゃるは信頼できる。イオリは安心しきったように、再び胸の中に身体を預けた。
「イオリに出来ることがあったら何でも言ってね!全力でお手伝いするよ」
「それは頼もしいっすね」
その話題はそれっきり、以降は口数も少なく、イオリはばあちゃるの腕の中を堪能する。
二人っきりの屋上。そんな秘密の密会は、夜空に浮かぶまん丸とした月だけが知っていた。