そこにはコンクールで学生が描いた絵画が展示されていた。
そんな会場に、人気がない通路に迷い込んだものがいるようで…?
(番外編)
「ここ…どこだろう…」
とある展示ホールの細い通路に入った先にある従業員用の廊下。そこに一人の少女が涙を浮かべながら彷徨っていた。
「どうしよう…完全に迷子だ…」
認めたくないが確信してしまったそれを口から零して少女『鈴原るる』は、不安そうに顔を歪ませた。
るるが現在『学生絵画コンクール』にて受賞した作品を展示しているコンクール会場に来ていた。普段にじさんじとして配信活動をしているるるだが、一応美大に通う学生でもある。今日は自分が丹精込めて作成した絵画が展示されているこの場に、同じ美大仲間と共に訪れていた。
展示している作品を閲覧途中に催したるるは友人に一言断り、トイレへと席にたったのが今の状況の発端だ。会場に備えられているトイレは展示している場所と少し離れており、さらに近くに従業員用の通路もあるため、迷いやすい。るるもまた迷った人の一人で、トイレを出た後に誤って従業員用の通路に入ってしまったのだ。
そして本日は学生ではあるが、絵画の展示会。スタッフのほとんどが従業員用の通路を使うこともあまりない。そのためるるは、既に10分ほど迷子になってしまっていた。
「さすがに『トイレの帰りに迷子になりました』なんて恥ずかしすぎるよぉ…うん、もうちょっと頑張ろう」
羞恥を隠す様に小さくこぶしを握るが、その姿はどうにも頼りない。それに、友人に連絡とらない理由もあまりにしょっぱくて、るるは既に涙目だ。
それでも立ち止まってるわけにはいかない。せめて知っている場所へと向かうため、るるはその足をゆっくりと勧めた。
電力消費を抑えるためか、通路の明かりは弱めだ。そのため少し薄暗いその光景が今が昼間ということを忘れさせる。まるで『この前にデビ様とやったホラーゲームみたいだな』とどこか他人事のように思いながら、足を進めていると曲がり角を見つける。そしてその先から影が伸びていた。
人を見つけ一安心するも、どうにもその影が可笑しい。男性と思われるその影は一般男性に比べてガタイがいい。るるが所属するにじさんじの先輩である舞元やベルモンドと同じくらいの背丈だ。何よりおかしいのはその頭。人間の頭はこんなに異形なわけがない。これではまるで馬の頭だ。
ゴクリと湧き出る唾液を飲み込む。それでも喉が渇きを訴え、身体が答えるように永遠と唾液が溢れてくる。るるは胸に不安を落ち着かせるように大きく息を吸った。
「すぅー……はぁー……よしっ!」
怖気ついて固まっていても何も始まらない。るるは持ち前の当たって砕けろの精神で、思い切ってその曲がり角の先に飛び込んだ。
「こ、こんにちは!その、私!迷子になってしまった者なんですけどッ!」
「あ、なとな…じゃないっすね、完全に。えっと、たしか…」
「…ってばあちゃるさん!?」
そこにいたのはるるにとって予想外の人物、VTuberとしての大先輩であるアップランドに所属する『ばあちゃる』だ。馬のような頭の影も、これなら納得できる。ばあちゃるは配信や、VTuberとして活動する際に馬のマスクを着用している。それはVTuber『ばあちゃる』として参加する打ち合わせでも同様だ。彼と共演したことある先輩から聞いていたそれに、るるは一人納得と頷いた。
「あれ?自己紹介しましたっけ?」
「いえ!ばあちゃるさんはウチの先輩方と共演してますし、何より、あの事件を中継で見てましたから」
「あー…そーいやにじさんじの皆さんが同時視聴してたってみとみとが言ってたっすね」
「ははは…」
呆れるようなその言葉に、乾いた笑いしか出てこない。
『あの事件』…通称『やらかしちゃったシロちゃん事件』はるるの言う通り、その一部始終が配信されていたのだ。配信者は『エイレーン』であったが、それを見逃すほどにじさんじは目は腐っていない。美兎をマイクラを通して現地に送り届けた後、急ピッチで作った巨大モニターにて、事件に関わったライバー全員でオフ実況していたのだ。ばあちゃるとシロのキスシーンは現地もヤバかったが、モニター越しで見てたライバー陣営もヤバかった。阿鼻叫喚というか、狂喜乱舞というか…白組、そして馬組と自称するライバーもいるため、それはもう大騒ぎになったのも記憶に新しい。
その為、るるにとって目の前にいるばあちゃるという存在は、直接で会ったことがなくとも、とても身近な存在でもあった。
「あ、私の自己紹介がまだでした。にじさんじ所属の『鈴原るる』です!」
「はいはいはい。るるるるっすね!噂はかねがね聞いてるっすよ。なんでも負けず嫌いの配信ジャンキーのやべーやつとかなんとか」
「うぅ…何も間違ってないから言い返せない」
ライバーとなってからのるるの日常は激変した。学校が終わって帰宅して、次の日の朝に余裕があれば配信をする。余裕がなくても配信をする。それだけるるは、異常なまでに嵌った。元よりゲーム実況に興味はあったが、まさかここまで嵌るとは、ライバーになる前にはとても考えられない事だ。
「あ、そういやばあちゃるさんはどうしてここに?」
「はいはいはい。ばあちゃる君はですね、『ばあちゃる学園』という学園の学園長もしてるんですけどね。そこでるるるると同じVTuberの『八重沢なとり』って子が居まして、その子は美術部に所属してるっすよ」
「へえ!なとりちゃんも美術部なんだ」
直接の絡みはないが、それでも有名なアイドル部の一員であるなとりのことは、るるはもちろん知っていた。あくまで同じVTuberの仲間ということぐらいだったが、自分が専攻している学科を部活動として活動していることに興味を湧く。そんなるるの反応に、ばあちゃるはマスク越しで親の様に穏やかな表情を浮かべた。
「はいはいはい。それでですね、今日はこのコンクールになとなとの絵が展示されているんでね、ちょっとばあちゃる君はなとなとと見に来たわけっすね」
「そうだったんですか」
ばあちゃるの言葉に、るるは納得したように頷いた。学生であれば今は夏休み真っ最中だ。顧問の教師の代わり、もしくは同伴として来ているのだろうと、勝手に脳内補完を加える。
「そういうるるるるはどうしてここに?確かるるるるは美大生というのは知ってるっすけど…ここ、関係者以外立ち入り禁止っすよ?」
「え、ええ!?あ、じゃああの時だ!」
ばあちゃるの言葉に驚愕し、迷子になった原因を突き止める。単純な理由で迷子になった事実に、るるは軽く頬を朱に染めた。
「あー…その感じだと、展示展入口のトイレから迷い込んだ形っすね。あそこ分かりずらいっすよからよくわかるっすよ」
「うぅ…お恥ずかしい限りです」
羞恥から顔を俯かせるるるに、ばあちゃるは小さく苦笑を零す。そして座っていたベンチから立ち上がり、るるが来た廊下に歩き出した。
「大まかな場所さえわかれば単純っすよ。丁度ばあちゃる君も暇してたっすからね、良ければ案内するっすよ?」
「いいんですか!?」
「これくらいお安い御用っすよ」
その好意にるるは少し恥ずかしそうに『お願いします』と一礼して受け入れた。
少し薄暗い廊下を二人で歩き出す。一人の時は心細くて仕方なかったのに、今はそれほどだ。あの配信を見て思ったが、やはりばあちゃるという男は包容力があるとるるは一人思った。
「そーいや、るるるるってアルバイトとかしてたりします?」
「え?アルバイト…ですか?」
「そうっすそうっす」
足並みを揃えて隣を歩くばあちゃるが不意にそんなことを聞いてきた。唐突にきたその質問に一瞬思考が止まるが、すぐに持ち直して答える。
「…したことは、ないですね。ライバーとして、いちからさんからお給料は貰ってますけど、それをアルバイトとは言いずらいですし。社会経験とかしてみたいとは思うんですけど…親が許してくれそうになくて」
「そういえばるるるるは『箱入り娘』ってプロフィールで書かれてたっすね」
「そうなんです。愛されてるのは分かるんですけどね」
ばあちゃるの言葉に頷き、苦笑を零す。
両親や姉、家族の愛を受けてきたるるは少し束縛されていることに不満を持っていた。勿論家族は大好きだし、感謝だってしている。しかし、それでもやってみたいことはたくさんある。ただそれだけのことだ。
「それでしたらウチなんてどうっすか?」
「え?.LIVEさんですか?」
「違う違う。ばあちゃる学園の方っすよ」
「それはどうゆう?」
続けて言われたそれに、るるはさらに首を傾げる。よく考えてみればにじさんじに所属しているのだ。そのうえで.LIVEにアルバイトするのは少しおかしいことに気付く。
「実はウチの美術部。所属する生徒の数に反して顧問教師が一人しかいないっすよ。なとなとの活躍もあって、美術部に入部する人が増えてきてて、担当の先生が頭を抱えていましてね」
「ふむふむ…」
「それで補佐というか、それに近い人を雇おうと思ってるっすよ。それで美大生のるるるるが良ければ、アルバイトとして来ていただけないかなっと思った次第っすね」
ばあちゃるの言葉にるるは『なるほど』と小さく零す。ばあちゃる学園は最新鋭の学校だ。その施設の充実さ、最先端さは家族からも聞いていた。その学園で美術部に教える。そこまで思考して、悪くはないと思った。
「ウチからるるるるの美大にアルバイト募集したと、親御さんに説明すればいけそうじゃないっすか?学園にはばあちゃる君しか男性はいないし、それなら親御さんも安心っすよね?」
「あ、それならいけるかもしれません!」
もとより親が心配していたのは、世間知らずを利用されて悪い男に何かされないかだ。それが、シロという恋人がいる男性が運営する女子高と知ればグンと可能性が高まる。
そうこうしているうちに、徐々に人の気配を感じ始める。視線を廊下の先に向けると、先程使用したトイレの看板が見えた。ここまでくればもう大丈夫だろう。お礼を言うため、るるは足を止めてばあちゃると向き合った。
「案内ありがとうございました!アルバイトの件、家族に話しておきますね」
「はいはいはい。それじゃあばあちゃる君の方から学校に連絡入れておくので話の続きはその時にお願いするっすね」
「楽しみにしてます!」
最後に一礼をして展示展の会場へと歩みを進める。その時、とあることが疑問に浮かんだ。
「あれ?…そういえばばあちゃるさん、なんであの場所にいたんだろう?」
思い返してみればるるがばあちゃるに聞いた内容は、『何故この会場に来ているのか』だ。それはばあちゃるがあの関係者以外立ち入り禁止の従業員用の通路にいる理由にはならない。
ならば何故。と浮かんだ疑問に思考を張り巡らせていると、こちらに走り寄ってくる影に気付いた。
「あの…すみません!」
「はい?」
声をかけてきたのは緑色の制服で腕に謎のスリットが入っており、スカートが短い学生だ。身長は同じくらいで、とても可愛らしい印象を受ける。そして、その顔にるるは覚えがあった。
「あ、なとりちゃん!」
「え!?も、もしかして米粒さんですか!?」
「あ、違うよ!?私、にじさんじ所属の鈴原るるっていいます。よろしくお願いします」
「あああ!?頭を下げなくても大丈夫ですよ!」
挨拶と共に一礼をする。その様になとりは少し焦ったように、制止した。
直接的な面会はないが、その姿は件の事件。そして配信などを視聴したことがある故に知っている。何より、先程なとりのことでばあちゃると話していたの事もあり、るるはすぐに彼女の存在を思い出すことが出来た。
「それで、なとりちゃんは私に何か用かな?」
「あ、えっと…知っていればいいんですけど、ばあちゃるさんっていう私のプロデューサーを見ませんでしたか?」
「知ってるよ。さっきまで迷子になってた私の案内をしてくれてたの。…ん?私のプロデューサー?」
なとりの何気ない一言に、小さく疑問が浮かぶ。それはまるで、独占欲が無意識に出た様な、とても自然な感じだった。だからこそるる自身も、聞いた瞬間は違和感を感じることはなかったのだ。
「はい。実はちょっと別行動をしてまして、さっき鈴原さんが出てきた通路の先を待ち合わせにしていたので知っていれば聞こうと思ったんですけど…」
「それなら問題ないよ。この通路の少し進んだ先の休憩所?みたいな場所に出るからそこだと思う。私も迷子になっている時にそこであったから」
るるの言葉はなとりに聞こえていなかったのか、特に気にせずに言葉を続けた。深く追求する気がなかったるるは、その疑問を横において、なとりの問いに答える。るるの答えに、なとりはどこか安心したように胸を撫で下ろした。
「ああ、もう先に来てたんですね。よかった。…あの、ついでになんですけど、他に誰かいませんでした?」
「え?ううん。少なくとも迷ってからばあちゃるさんにあって、ここまで案内されるまで誰にも会わなかったよ?」
「なるほど。…それは好都合ですね」
「え?」
「では、私はばあちゃるさんと合流してきますので、これで」
「え、ああ、うん。さようなら」
困惑するるるを余所に、なとりは急ぎ足で狭い通路に姿を消した。
彼女の問いは明らかに変だ。それではまるで、ばあちゃる以外、誰もいないことを望んでいるようにも聞こえた。そもそも、関係者以外立ち入り禁止のあの場所で待ち合わせをすることすらおかしい。ばあちゃるの話が正しいのであれば、なとりもるると同じように自分の作品及び、展示されている作品の鑑賞に訪れているはず。それなのに、何故あのような場所で待ち合わせするのか。るるの好奇心が疼いた。
「…」
通路に入っていったなとりの後を、少し待ってから追う様に侵入するるる。道なりは先程ばあちゃると共にしたことにより覚えている。そもそも一度迷子になったところだ。そのおかげか、意地でも覚えるように脳が働いたのだろう。
ばあちゃると合流するまでの道のりは、怖かったはずなのに、その恐怖は既に感じない。むしろるるの胸に占めているのは先程のなとりへの好奇心だ。箱入り娘として育てられたためか、人一倍に好奇心が強いるるはその衝動を抑えることは出来なかった。
先にいるであろう二人に気付かれないように、某忍殺ゲームのように息を潜める。そしてたどり着いたのは先程と同じ曲がり角前。そこから先込む影は二つになっており、二人がいることが一目瞭然だ。
「…ッ!?」
その瞬間。二つの影が一つになる。なとりの影と思わせる物がばあちゃるに重なったのだ。そしてそれと同時に馬のマスクも剥ぎ取られるのが見えた。その影が示す意味に、なんとなく気付いたるるは、頬を朱に染める。同時に零れそうになる、息を反射で抑えた。
「…ッ…ぁ…」
「…ょ……と…ッ」
「ここじゃちょっと…聞こえない」
影の形から二人が抱き合っているのは分かる。そして二人が何か会話していることも。しかしこれ以上近づいては気付かれる汽船系がかなり上がる。それを本能的に理解していたるるは溢れそうになる好奇心を何とか抑えて踏みとどまった。
しかし、先程も言ったように、るるは好奇心が旺盛だ。ましてや漫画やゲームの中でしか経験したことがない逢引のシーンが目と鼻の先で繰り広げられている。大きくなる好奇心にるるは、ついに抑えきれずに一歩踏み出そうとした。
その時だ。
「ちょ、なとなッ」
「んぅ…」
「…ぁ」
今度は明確に聞こえた二人の声。そしてるるが見たのは、いったん離れた影が今度は顔の影だけ重なった所だ。それを指し占める答えは一つしかない。
プロデューサーとアイドル。学園長と生徒。そして親愛なるVTuberの仲間。そんな二人が人目を隠れたこの場所で、逢引をしている。もしかしたらと思っていた事実に、るるの脳は既にパンク寸前だ。
このままでは事件の打ち上げの時に『名取さな』があげた様な絶叫をしてしまうかもしれない。そう思ったるるは、なるべく音を立てずにその場から走り去った。
後方から聞こえる、意味深めな小さな水音がやけに耳に残った。
後日、ばあちゃる学園の美術部にアルバイトしてやっていた美大生に、質問攻めされて顔真っ赤にしている風紀委員長の姿があったそうな。