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▼_ 授けられた力とは、何を意味するか
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十歳に満たないころだったと思う。俺──エーベルという人間は、自身が転生者だということを理解した。
きっかけは、頭の中にある記憶だった。そこには今生きているこの世界とは違う、異様な光景が広がっている。立ち並ぶ鉄の塔。鋼鉄の馬。見慣れない服装に身を包む人々。そして、魔法にも似た何か。おそらく言葉で表すのなら転生する前の記憶、元の世界の記憶、というのが正しいのだろう。
そして何よりも決定的だったのは、幼いころの俺がその光景に興味を示さない──つまり、それが見慣れたものだと認識できている、ということだった。
頭の中に描かれたこの光景を、確かに覚えている。
そして何故かその時から、自分の境遇を理解するようになった。
憑依や転移ではなく、純粋な異世界転生なのだと思う。どこか懐かしさすら感じるその言葉が、腑に落ちた。だから前の人格というか、その記憶を持っている自分はいない。今ここにいるのは、エーベルという人間だけだった。
前世はそれなりに普通の人間らしかった。
普通の学生生活を過ごして、普通の大学を出て、普通の社会人として会社へ奉仕する。決して貧しくはないけれど、かといって豊かだった、と言えるわけでもない。その過程で俺はどうやら車に轢かれて死んだらしい。自分の事ではあるが、あまりにもあっけない死に方であった。けれど、悔しさはない。今生きているこの俺のことではないから、同情も後悔も、ましてや不満なんてあるはずもなかった。
前世については、それくらいしか語れない。
何もなかった。
この体には力が宿っている。
剣を振れば大木は簡単に倒れるし、魔法を使えば辺り一面が焦土と化す。魔力も他の人間よりはるかに多く保有していて、身体的にも何等かの加護が付与されている。子供のころから神童だともてはやされたけど、既にその時に俺は、それが誰かから授かった借り物の力だということを知っていた。
前世の言葉を借りれば、チートというものらしい。
その響きには聞き覚えが無かったが、持つ力は本物だった。
制御できない力で何人も殺せば、そんなことは嫌というほど理解できた。
俺には力があるだけだった。勇者にも賢者にも、果てには魔王になるつもりもない。よくあるおとぎ話のように世界を救うつもりもないし、世界を亡ぼす考えなんて持つはずもない。
だって俺は何も知らない、この世界に生まれただけの人間なんだ。この力を望んだかどうか、それすらも分からないのに。
だから俺は──俺は、逃げることを選んだ。
親も、友人も、知り合った人間も。すべて捨てて、一人でいることを選んだ。
それが俺にできる、唯一のことだった。
──本当に捨てたいのは、この力だった。
記憶もすらも全て無くしてしまいたい。けれどそれは無理だった。
だから、俺がいなくなればよかった。そうすれば誰も傷つくことはないから。
たとえ前世の記憶を持っていたとしても、チート能力を持っていたとしても、今ここにいる俺はただの人間だ。世界を救う力も、世界を亡ぼす力も、俺にとっては何も知らずに与えられた、ただの力。
それ以外に、俺を形容する言葉はないように思えた。
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「あ、エーベルさん」
起きてから間もなく。
街のギルドへ赴くと、顔見知りの受付嬢がこちらへと声をかけてきた。
朝焼けに輝く銀髪と、その中でも強く光る紅い色のひとみ。けれどどこか表情は柔らかいもので、頭から足先までしっかり整えられた制服に袖を通していても、親しみやすさが滲み出ている。
「おはよう、グレシア」
「おはようございます! 今日も一番乗りですね」
「ほかにすることが無いから。それに、顔見知りの方が話が早い」
「ふふ、ありがとうございます」
そう伝えると、彼女──グレシアは、含みの無い笑みを見せてくれた。
少し過干渉に思える部分もあるが、全体的にはおっとりとした、優しい女性。その性格からなのか、はたまた見かけの珍しさによるものなのか、このギルドの中ではかなり人気のある受付嬢らしい。
そんな彼女の勤務時間は朝から昼と夕方から深夜までらしく、朝の始めからクエストを受ける習慣が付いている俺と顔見知りになるのは、そこまで不思議なことではなかった。
「ええと、冒険者登録の更新はまだ先ですから、今日もクエストですね?」
「頼む」
頭を下げると、グレシアがいそいそと机の下から分厚い書類を取り出す。表紙は緑で、それは中級用の依頼書を示す印だった。
冒険者には上、中、下階級が存在し、俺は一番人口の多い中級に属している。色分けもされており、下からそれぞれ白、青、紫となる。
下級は登録したての冒険者で、大まかに言えば採取や輸送任務にしか就けない雑用だった。抜け出すのも簡単で、一定の期間内に一定量のクエストをこなせば中級へと昇格することができ、そこから討伐案件への参加が許可される。
しかしながら上級に昇格するにはかなりの難易度のクエストを達成しなければならなくて、更に受付嬢やギルドマスターからの承認も得られないといけない。それくらいに上級の能力というものは強力で、それこそ街の外へ派遣がされることも珍しくはなかった。
そう言った意味で、中級の冒険者の数は多かった。
「……いつもより、討伐の案件が多くないか?」
「そうなんですよ。最近、西の森で魔物が活性化しているらしくて。被害もいっぱい」
「みたいだな」
低級向けの薬草採取や薬品の輸送護衛が多く出回っている。報酬金もそこそこ良いあたり、医療品を街の外部へと手配したのだろう。
「でもこれはチャンスですよ、エーベルさん!」
「……つまり?」
「ほら、見てください。これ、最近のエーベルさんの依頼達成率なんですけどね?」
どうして俺の個人記録を採っているかは置いておくとして。
同じように机から取り出した一枚の紙を、彼女と一緒に覗き込む。
「ここ数年で受けた入り、ほとんど達成してるんですよ! すごくないですか!?」
「採取系しかしていないからな。討伐も一応こなしているが、どれも小型のものだし」
「それでも達成率は達成率です! だからあと一件、何か小さなクエストを一個でも達成すれば! エーベルさんも上級冒険者の仲間入りですよ!」
「そうか」
いえーい、と間延びした声で喜ぶ彼女を、傍目に眺めながら。
「…………あら? 反応が薄いような?」
「上がるつもりは無いと何度も言ってるだろ。今のままで充分食っていける。それができるならそれでいい」
「でもでも、上級冒険者になると色々お得なんですよ? ギルドからの支援も色々ありますし、少なくとも住むのには困らないと思いますけど……」
「その代わり、他の冒険者が少ない街とかに派遣されたりするんだろ? そんな都合に振り回されるのは困るし、まして俺がそんなクエストを達成できるとは思えない」
「えっ……ええ。じゃあ、女の子もいっぱい侍らせられますよ?」
「そこは……単純に趣味じゃない」
夢のある話だとは思うが、苦労もあると思う。
「……本当に上がられないんですか?」
「何度もそう伝えている」
「受付嬢からこんなにオススメするの、本当はめったにないんですよ? 他でもないエーベルさんだから、こうしているんです。そりゃ、ちょっと正規の手段からは外れるかもしれないですけど……でも、私が保証しますから」
「……すまない。気持ちは嬉しいし、可能ならそれを受け取りたい。けれど、俺よりも相応しい人間が居るはずだ。だから、その気持ちはその人へ伝えてほしい」
それに、そうなれば必ず力を必要とされる。
先に待つ未来は、既に見えていた。
もう、逃げるのにも疲れたから。
「……なんかフラれた気分なんですけど」
「すまない。不快にさせたのなら、可能な限りで償う」
頬を膨らませる彼女にそう伝えると、返ってくるのは溜め息だった。
「……わかりましたよぅ。決めるのはエーベルさんですもんね」
「助かる」
「はぁ、専属受付嬢とかやってみたかったんですけどねえ……」
「なんだそれ」
「はい、上級冒険者にだけあるシステムなんですけど、その人が受けるクエストを選んであげるんです。この人ならできる仕事なのか、逆にこの人には荷が重いとか、他の人でも出来るな、とか。そうやって選んであげることで、上級冒険者のクエストにおける事故を減らしてあげるんですよ。なにせ、上級は数が少ないですから。欠員を出さないよう、そうやって対策してるんです」
「なるほど、だからギルドマスターとかの許可が必要になってくるのか。それで、俺が上級になったら」
「推薦した私が専属になるってことですね。これからは朝だけじゃなくて、昼からでもクエストが受注できますよ? どうですか? ちょっと興味湧いてきました?」
それなら、もし彼女に自分の持つ力を伝えられたら。
もう、誰かを巻き込むことも──
「……いや、遠慮しておく」
「あら、私じゃ不満でしたか?」
「決してそんなことはない。むしろ君が付いてくれるなら嬉しい。けれど……やはり、やめておく。君も迷惑だろう」
「そんなこと」
「それに、君が専属になったら……その……周りが、色々と面倒そうだから」
主に他の人間からの視線が怖くなる。
それだけ、彼女は人気があった。
「とにかく、上級の話はナシだ。今は依頼を」
「むぅ、分かりました。でも、もし気になったらその時はいつでも声をかけてくださいね?」
「考えておく」
口を尖らせる彼女に頭を下げながら、そのまま依頼書へと目を通す。
先程も話に上がったように、近頃は魔物が凶暴化しているらしい。そしてその場は西の森付近であり、そこは俺がクエストを行う際に拠点としている場所でもあった。
今出ているクエストもほぼその区域が指定されており、昼を過ぎるころには騒がしくなるだろう。だから今日は、出来るだけ早めに帰れるように、二、三件だけ採取のクエストを……
「……ん? なあ、これおかしくないか?」
「はいはい? どれです?」
ふと目に留まったクエストが気になって、思わずそれを指で示す。
「この……薬草三袋分で、金貨三百枚というのは本当か?」
「……本当なんですかね?」
「こちらが聞いているんだぞ」
首を傾げる彼女に、肩をすくめた。
金貨三百枚。銅貨十枚で銀貨一枚、銀貨十枚で金貨一枚と考えると相当になる。それこそ数ヵ月は食うのには困らないだろうし、それでも遊べるほどの御釣りが返って来るだろう。
そんな大金が、たったの薬草三袋。
せいぜい三十分ほどの作業には、明らかに釣り合わない金額であった。
「おかしくないか?」
「確かにおかしいですけど……でも、ここに書いてあるってことは必ずギルドの眼が通ってるはずですよ。流し見だとしても、絶対目につきますもん」
そう言っているグレシアはけれど不安を拭えないようで、しかめっ面のまま依頼書とにらめっこを続けている。
「誰かのいたずらでしょうか? まったく、こんな迷惑な……」
「グレシア、もういい。確かめる意味も込めて受けることにする」
だんだんと深くなる眉間に、思わずため息をついてそれを制した。
「けど、何があるか分かりませんよ?」
「誰かの調べによれば、クエスト達成率はそれなりに高いほうなんだ。そろそろ上級に昇格できる」
「……それとこれとは話が別です」
む、と目を吊り上げながら、グレシアがそう制してくる。
「だが誰かが調査に行かないと、また別の人間が危険を冒すだろう。そのためにも、誰かが対処しておかないと」
「……分かりました。ギルドからの正式な調査依頼としても、あなたに依頼しますね。もし間違いであれば、怪我や金銭面での負担は全てこちらで請け負います。お願いしてもよろしいですか?」
「請け負った」
自分の実力を過信している訳ではないが、それくらいの頼みなら聴く余裕はある。こうして長く顔を合わせ、それなりに信頼し合っている彼女だから、放った言葉だった。
切り取られた依頼書へ自分の名前を記したグレシアが、それを机の上へ広げる。
「ではこちらの依頼ですね。期限は、ええと……本日の日没まで?」
「随分早いな。緊急か?」
「いえ、そうでもないですけど……ああ、それと待ち合わせも指定されていますね。西の森の入口、湖の前……これって」
「……いつも俺が行くところか。都合がいいな」
「何があるか分かりません。細心の注意を払って下さいね。それと、イタズラだったらすぐに引き返して、ギルドに報告してください。私も呼ばれたらすぐに駆けつけますから」
「ありがとう、気を付ける」
こちらを見つめる真剣な瞳に、首肯で返す。
「そういえば、依頼者はどうなってるんだ? さすがに実名だったら特定もできるだろ」
「あ、それもそうですね。では、依頼者の欄を……かく、にん……」
途切れ途切れになる彼女の言葉に、気になって依頼書を覗き込む。
そこに記されていた、依頼者の名前は、
『メアリウィズ・サンダーソニア』
そんな文字が、やけに綺麗な文字で刻まれていた。
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