ノスタルジック・ダブルクロス   作:宇宮 祐樹

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『絶対にいたずらです! いたずらですから! 行かなくていいんですって!』

 

 などと制する彼女を振り切ったのが、三十分ほど前。

 背中に両手剣と、腰にナイフだけの簡単な装備で赴いた俺は、湖沿いの小道を歩いていた。

 遠くには青々とした山が背の高い森から顔をのぞかせていて、そこには雲が薄くかかっているのが見える。天気は快晴。太陽は既に顔を出しており、心地よい日光の暖かさが全身へと伝わる。

 両手を軽く広げると、ふわりと吹いたそよ風が、全身を撫でた。

 

『こんな大層な名前がありますか! ましてや、この文字! 明らかに釣りです、詐欺です、出会いを目的としたイタズラですっ!』

 

「……メアリウィズ・サンダーソニア」

 

 ぽつりと呟いたその名前に、やはり思い当たる節はない。

 この街の冒険者とほとんど顔を合わせている彼女ですら知り得ない名前なのだ。俺が知らないのも当然だった。

 

『……エーベルさんはこんなの興味ないですよね? まさか、エーベルさんみたいなヒトがこんな軽そうな女と……ん? いやまて、なんで行く準備してるんですか? え? そりゃ依頼は依頼ですけど……あっ金!? いや金貨三百枚って絶対嘘……エーベルさん!? おい! 戻ってこい!』

 

 話を聞かなかったのは、申し訳なかったと思う。

 けれどそうしないと、行かせてもらえない雰囲気だったから。

 

「金貨三百枚……」

 

 女の方に期待している訳では無い。どちらかと言えば、金の方に期待は寄っている。

 無論、事実だとは思っていない。けれど、微かに希望は抱いていた。

 金貨三百枚。三百枚だ。数ヵ月はいい暮らしができる。その間にちゃんと金を稼げば、その後も余裕を持った生活ができる。下手をすれば、いま住んでいる宿屋を出て、家を買えるかもしれない。貯金と合わせれば、それも夢ではなかった。

 まずは良いものを食べたい。それこそ、日ごろの労いも兼ねてグレシアでも誘ってみようか。いつも忙しくしている彼女のことだ。たまには美味いものでも食わないとやっていけないだろう。後は武器や防具の整備もしておきたい。そろそろ新調も考えなくては。

 捕らぬ狸の皮算用、という言葉が、どうしてか記憶から蘇ってきた。捕るので問題はないのに。

 

「あと少し……金貨……」

 

 最後の大きな曲道を抜けて、森の正面へと辿り着く。

 こちらを今まさに呑みこまんとする、怪物のように開いた暗い森の入口。

 そこに俺は、一人の少女を見た。

 

 十と五を過ぎたくらいだろうか。少なくとも大人ではない、けれど子供らしさも感じられない、曖昧な見かけであった。背中まで伸びるくすんだ灰色の髪の毛と、冷めたような大人びた顔つきからは、どこか退廃的な雰囲気を感じさせる。

 袖を通しているのはゆったりとした薄いブラウスで、その上からはクロークを羽織っている。下は膝よりも上の丈の短いスカートで、そこから覗く両足は印象的なまでに細かった。

 ぎろり、と視線がこちらへ向けられる。その瞳は、ぎらぎらとした金色をしていた。

 そうして彼女は体をこちらへ向けて、腕を胸の前で組んだかと思うと、

 

「おっそい」

 

 開口一番、そんな言葉を吐き出した。

 

「すまない、少し話が立て込んでいて」

「それでも遅すぎるわよ。余計な詮索なんかせずに、さっさと来てくれればいいのにあの女ったら、余計なマネを……」

 

 がりがりと爪を噛み始めて、少女が忌々しそうにつぶやいた。

 

「だいたいあんた、慎重さが過ぎるのよ。自分ならできるって分かってるのに、自分でしようとしないし。あと、他人を気にかけすぎ。だからあの女もあんたに過保護になってるのよ。言っておくけど、その優しさが、あなたの一番悪い所よ。世界はそこまで平和じゃないの」

「……なんでそこまで言われなければいけないんだ」

「決まってるじゃない、今まで全部見てきたからよ」

 

 今まで、ぜんぶ。

 言葉の意味は分かるけれど、本意が分からなかった。

 

「……おい、いたずらだったなら帰るぞ。ギルドにも報告しておくからな」

「そんなわけないでしょ。私があなたをここに呼んだのよ。エーベル―ジュ・フィルライン」

 

 呟いたその名前は、かつて捨てたはずもの。

 また何人もの人間を殺した、忌々しい名前でもあった。

 

「……何故だ? どこでその名前を知った?」

「言ったでしょ。今まで全部見てきたって」

 

 二度目に渡されたその言葉が、ひどく現実味を帯びて俺の肩へ圧し掛かった。

 

「……目的はなんだ」

「別に怯える必要はないのよ。殺そうとしてるわけじゃない」

 

 からかうように頬へ手を添えながら、彼女が薄い唇を開く。

 

「あなたが欲しいの」

 

 気づけば彼女は、既に俺の目の前へと迫っていて、その細い指先で頬をなぞっていた。

 

「な──」

「ずーっと探してたの。あなたを……いや、正確にはあなたみたいな存在を、ね」

 

 頭を埋め尽くすのは困惑で、それは段々と大きくなっていく。

 どうして彼女は俺を欲するのか。なぜ彼女は俺のことを知っているのか。浮かぶ疑問が頭の中をかき回していて、吐き気すらも込み上げてくるようだった。

 太陽のようにぎらぎらと光る瞳が、こちらを覗く。

 

「八百年間、ずっと待ってたの。このために生きてきた。このために一人で耐えてきた」

「君は……」

 

「全部知ってるわ。あなたが産まれたところも。持ってる力のこと。あなたの頭の中も、全て」

 

 伸びる指先は、こちらの首元へとあてがわれて。

 

「だから……絶対、私のものに──」

 

 そうして振りぬいた足が、彼女の像を揺らめかせた。

 幻影魔法。暗闇のような霧が当たりを包み込む。背中から抜いた両手剣を構えると、黒い霧は一転へと集中し、再び彼女の形を成した。

 

「ひどい人。女の子に手を上げるなんて」

「そうでなければ殺していただろうに」

「だから、殺すつもりはないの。あなたの体を使ってあげるだけ」

 

 そう語る彼女の手に、魔法陣が浮かぶ。

 次の瞬間、彼女の背後から幾多もの鎖が、まるで水面から浮かぶように顕れた。

 

「……その理由が分からない」

 

「分からなくてもいいのよ。あなたはただ、私にその体を捧げればいいだけ」

 

 鎖が飛翔する。

 剣を肩に構えて、勢いよく振ると、それは瞬く間に光の粒になって消えた。それを掻き分けながら地面を蹴って走り出し、剣の柄を強く握る。

 振りぬいた刀身は、彼女の前に投影された魔術式へ大きな傷をつけるだけだった。

 淡い光の向こう、彼女が薄く笑っているのが見える。

 

「怖いの?」

「……信用できない」

「信用とかそういうのはいらないの。まあでも、無理やり従わせる方が楽かもね」

 

 傷ついた魔法陣をかき消しながら、彼女が新たな魔法陣を映し出す。地面に展開したそれを勢いよく踏みつけると、周りの大地へ波打つような歪みが伝播していった。

 ふらつく足場へと剣を突きたてると、視界に暗闇が映る。

 それは、こちらへと飛んでくる漆黒の槍であった。

 

「ッ!」

 

 抜いた剣でそれを弾き、続けて飛んでくる槍の切っ先を、もう片方の手で受け止める。血の滲む手のひらで蠢くそれは、瞬く間にその形と槍から狼のようなものに変えて、その牙を俺へと向けた。

 開かれた口へと剣の柄を噛ませて、体を地面へ叩きつける。霧散する暗闇は、同じような暗闇の狼を何匹も従える彼女のほうへと戻っていった。

 

「かわいそうに。そんな風に何人も殺しちゃったのね」

「違う……俺は、そうでは」

「ええ、それも知っているわ。分かるわよ。一人で寂しかったことも」

「……何が、分かる」

 

 勝手に力を与えられて、知らぬうちに命を奪って。

 誰からも理解されずに、逃げるだけしかなかった俺の事を、誰が──

 

理解(わか)るわよ。あなたの悲しさも、孤独も、全て」

 

 駆けてくる狼を何匹も薙いで、一歩一歩、進んでいく。

 既に力を使うことに、抵抗はなかった。

 最後になった一匹の首を腕でつかみ、それを地面へと叩きつける。そうして喚く口へと剣を突き立てると、吠える声は黒い霧となって溶けていった。

 

「なぜこんな真似を……」

「信頼できないって言うから。きちんと従ってくれるなら、こんな面倒なこともしないんだけどね」

 

 かざした手のひらに再び魔術式を映し、そのまま右へ薙ぐ。それに応じるように魔法陣が彼女の背後に何枚も複製されて、その一つ一つから、今度は大きな鉄の杭が、こちらへと撃ち出された。

 剣を地面に突きたてて、真上へと体を浮かす。数舜前まで自分の居た場所を巨大な鉄が貫いたのを確認すると、その上に着地したのち、彼女の方へと駆けだした。

 

「甘い」

 

 彼女が手を握ると同時に、足場にしていた何本もの鉄が歪み始めた。

 まるで液体のようになった鉄の杭が、俺の脚へと絡みつく。そうして見上げるそこには、魔術式に座りながらこちらを見下ろす、いかにも退屈そうな彼女が居た。

 

「やっぱり知識は皆無なのね。魔術式が消えるまで油断するんじゃないわよ」

「あまり使ったことがない。……本職じゃないんだ」

「あれだけ沢山の人を殺したのに? 謙遜も凄いわね、大魔術師サマ」

 

 全身に力を流す。

 身体を流れる魔力は鉄の枷を砕き、地面を少しだけ震わせた。

 

「まあ、そうね。それだけの力があるなら、技術とかの話も無視できるわね」

「そうか」

「で? 次は何を見せてくれるの?」

 

 その言葉に応えるように、左手から魔法陣を開く。

 それをすり抜けるようにして地面を駆けると、握った剣が炎を纏った。

 

「……それ、初級魔法」

 

 掲げた炎の剣を、勢いよく振り下ろす。

 雲を突き抜けるほどの、炎の柱が立ち上がった。

 業火が辺りを包み込み、木々が焼け落ちる音がする。燃え盛る炎の光が目を焼いていて、眩しさに目をこすりながら、再び剣を構えた。

 

「出鱈目ね。まるで、駄々をこねる子供みたい」

 

 揺れる炎の中で、彼女がそう呟く。

 再び力を込めると、切っ先から伸びる炎が、また勢いを増して燃え盛る。

 

「次は無い、と思う」

「そうね、次は無いわ」

 

 薄く笑う彼女の背後で、暗闇が蠢いた。

 広がる黒い霧は俺達と炎を完全に遮断して、瞬く間に俺と彼女だけを包み込む。

 

「何のつもりだ」

「言ったでしょう、逃がさないって」

 

 蝕むように、暗黒が青空を埋め尽くす。

 そうして、完全に闇へと包まれたその瞬間──体から力が抜けていくのを感じた。

「な……!」

「あなたの記憶も、力も確かめられた。間違いない。あなたならきっと、私を救ってくれる」

 

 飛び掛かってくる彼女に思わず剣を盾にするけれど、伝わる衝撃に体が浮かんだ。

 力の感覚はない。それは今までに味わったことのない感覚で、違和感の中に少しだけ、新鮮さのような、喜びのようなものを感じていた。

 飛ばされた体は、木に打ちつけられる。鈍い痛みが、全身へ広がった。

 

「どういう……」

「言ったでしょう、知っているって。あなたのその力についても」

 

 ふらふらと立ち上がる俺に、彼女がそうやって言葉を投げる。

 

「あなたは自分では知らないでしょうけどね、それはいわゆる神からの贈り物。神託、とでも言えばいいかしら。生きている限り、あなたはその力を纏う事になる。神からの贈り物、と言ったけど、呪いみたいなもの……そうね、呪いの方が正しいのかしら」

 

 面倒くさそうに髪をかき上げながら、彼女が言葉を続ける。

 

「でも残念、この結界の中じゃそれは使えない。私のような魔女に、そんな神の恩恵なんて与えられるはずがない。ましてこの私の魔力の中じゃ、そんなものが届くはずもないわ。ほら、私って嫌われ者だから」

「く、そッ」

「あら、ひどい。感謝されてもいいはずなのに」

 

 振りかざした剣は、驚くほどに軽くて。

 持ちうる限りの力を込めた俺の剣は、彼女の細い腕に、いとも簡単に受け止められてしまった。

 

「な……!」

「驚くことないわよ。力を持たないあなたなんてこんなものよ。至って非力な、ただの人間」

 

 血の一滴も流すことは無く、彼女は受け止めた剣を握って、後ろへ捨てる。

 一歩、一歩と近づいてくる彼女を、俺は拒むことすらできなかった。

 いや──拒もうと、しなかった? 

 

「良かったわね、殺せなくて」

「……君、は」

「もういいのよ、怯えなくても。あなたは私に使われるだけでいい。それで救われる。もう誰も傷つけることなんて、ないんだから」

 

 頬へ、手が添えられる。

 その仕草には、どうしてかやさしさが籠もっている気がして。

 

「覚えておきなさい、エーベルスト・フィルライン」

 

 開いた唇が、かつての名前を紡ぐ。

 

「私は、居場所を求める者。孤独に追われ、かつての原風景を追う、望郷の魔女──メアリウィズ・サンダーソニア」

 

 ふわり、と彼女の手が、両目を覆う。

 それと同時、視界が暗闇に覆われて。

 

「やがて、新たな世界へと降り立つ者の名よ」

 

 その呟きと同時に、意識が沈んでいった。

 

 




こいつメインヒロイン
ケリドウェンみたいなのを想像してもらえるとメチャクチャ助かります
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